旧世界より、愛と呪いを込めて   作:にとずみ

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キユと開く楽園の門

 高く、高く聳え立つ白い卵の柱。そこから生まれる翼の生えたトカゲやカエルを殺し続けている。

 

 生まれたばかりだからか骨も柔らかいので一匹一匹は苦労しないのだが、生まれてくる数が多い。まだ十分も経っていないのに二十は殺したぞ。イザナが処理した数を含めればもっと多い。

 

『――兄さん。兄さん、兄さん。もうすぐです。もうすぐで』

 

 化物を殺している間、ずっと頭の中に何かの声が響いている。人ではなくなった何かの悍ましい声。だが、この泣き言には聞き覚えがある。あの糞餓鬼だ。

 

「これ、自我があるって言えるんですかねぇ? 聞こえてるなら教えてほしいんですけど、卵の柱になるってどんな気分ですかぁ? 気持ち悪くないですかぁ?」

『ああ……兄さん、兄さん。そこにいるんですね』

 

 会話にならない、駄目だなこれは。できる限り情報を集めてからこいつを殺しに掛かりたいところなのだが。

 

 

 終末と呼ばれる怪物には、いくつかの共通点がある。当然例外はあるが、それでもある程度は参考にできる共通点が。

 

 それは、光の環と共に顕れる。冠のように戴いて、あるいは後光のように背負って。光の環は終末の使徒である証なのだと言われている。

 

 それは、名を持っている。誰に名付けられるでもなく、己の名を持っている。名乗らずとも、人々はその姿を目にすれば名を理解する。理解してしまう。真に終末としてこの世に顕現したならば、その姿を見た、あるいは声を聞いた者は誰もがその名を知だろう。そうでないのなら、あれはまだ。

 

 柱の天辺に光の輪があるのは確認した。今も遠く山の向こうまで照らされる程に光り輝いている。

 

 いや……輪の近くを飛んでいたカエルが燃えて落ちてきている。あれ、熱か何かを出しているな。

 

 

「……さて、そろそろ何者であるか知りたいところなんですが。名乗ってくれたりしませんかねぇ?」

『あぁ――あぁ、ああ――兄さん、兄さん!』

 

 全く聞いていない。本当に駄目だなこれ。儀式に失敗したのか? それならそれで構わないのだが、ここまで悍ましい姿に変わってただ失敗したとは思えない。

 

 あれは、少なくとも私の読んだ記録には載っていない未知の終末だ。手探りで対応するしかない。

 

 こん、こんこんっ。左の爪先で床を軽く蹴り叩く。今は撃つな、隠れ続けろ、距離を取れの合図。イザナの耳なら聞こえているだろう。聞いてくれるかは別として。

 

「……仕方がありませんね。何処に目があるかわかりませんし、あんまり王国内ではやりたくないんですけど」

 

 ぼやきながら左手を懐に突っ込み、一歩足を踏み出した。白い柱はただ泣き言を繰り返すだけ。

 

 隙だらけだ。私をもう認識できなくなっているのではないか。これ以上近付きたくはないが、まだ間合いじゃない。

 

 二歩目、まだ。三歩目、何かの視線を感じた。いくつかの卵が罅割れている。その中からぎょろりとした目がいくつも私を見詰めている。

 

 ぱきぱきと何かの割れる音がしている。ぐじゅぐじゅと湿った音が柱の内部から響いている。何かの群れが卵の中から顔を出し、私を見詰めている。

 

 ばちゃんっ。耳障りな音を立てて大きなトカゲが飛び出した。その目と舌は私に向いている。一匹目が舌を槍のように尖らせ伸ばしたのを合図に、他の化物も卵から飛び出し私へ向かってきた。

 

 四歩目、ここだ。足を止めて左手を懐から引き抜いた。握っていた釘を軽く放って、そのまま左手で中指と親指をぴったりと合わせた。綺麗に音が鳴るようにと、力を込める。

 

 前から三匹のカエルと五匹のトカゲ、背後と左右から二匹ずつのトカゲ。迫る化物は十四匹、放った釘も十四本。ぴったりと数を揃えられたことに、まだ腕は鈍っていないようだと少し安堵して――

 

 

「――ひとつ、手品を見せてあげましょう。驚きで心臓も止まるとっておきですよ」

 

 ぱちんっ、と指を鳴らした。指の間で、火花に似た光が散る。

 

 目の前にあった釘がふっと姿を消し、同時に化物の動きがぴたりと止まった。びくんと身体が揺れて、ぼとぼとと音を立てて地に落ちてゆく。伸びていた舌も爪も、私に届く前に力尽きて止まる。

 

 びくん、びくんっ。地に落ちた化物はみな同じように身体を痙攣させる。もう一度指を鳴らすと散る火花に合わせるようにびくびくと何度も激しく痙攣し、やがてぴくりとも動かなくなった。

 

 

 転移術。才能の無い私でも扱える数少ない魔術だ。人や物をどこか別の場所に移動、あるいは遠くにあるそれらを手元に呼び出すというもの。

 

 消耗のわりに制約も多く使い勝手が悪いが、上手くやれば釘を脳や心臓に転移させて殺すくらいはできる。一度では死なずとも、何度も内臓を破壊してやれば化物だってやがて死ぬ。

 

 

『――? どうして、まだ』

「生きているのか、ですか? それは簡単です! キユはつよつよなので、あんなカエルやトカゲ程度では殺せないのですよ」

 

 懲りずに煽ってみたが、やはり会話が成立しているのかどうかは怪しい。ただ、最初よりも頭に響く声がはっきりとしてきた気がする。じんじんとした頭痛も感じるが、もう少し続けなければ。

 

 化物を呼ぶ、あるいは産み出すだけの終末であるのなら時間の経過で自我が薄れ会話は不可能になってゆくだろう。逆にはっきりとしてきたということは、これは意思のある終末だ。

 

 術者を化物に変えるもの、あるいは術者を依り代に化物を憑依させるもの……恐らくは、後者。

 

『どうして? どうして。どうして』

 

 頭に響く声が強くはっきりとしたものに変わってゆくのがわかる。人でない何かの声が、誰かの声に変わってゆく。

 

 柱に罅が入ってゆく。あの白い柱は卵を支えているだけだと考えていたが、そうではなかったらしい。あれ自体も卵だったのだ。罅割れ裂けた隙間から、何かがこちらへ顔を出そうとしている。

 

 頭の中で、知らない言葉が聞こえた。私の知る言語ではない、もしかしたら言語ですらないかもしれない何か。だというのに、その意味がわかってしまう。旧世界の終末を目にした時、人はみな同じ体験をするという。

 

「おまえ――」

『どうして』

 

 それは、光の環を戴く白い竜だった。真白の鱗に太陽を思わせる橙の瞳、ところどころ穴の開いた翼にぼろぼろに欠けた爪。卵から生まれたばかりだというのに傷だらけの竜が、三つに割れた青い月へ向かって咆哮を上げている。

 

 この鳴き声、あまり聞いてはいけない類のものだ。吐き気がする。

 

『――――どうして、まだ。この世界は、続いているの。終わってしまえと望んだのは、お前達なのに』

 

 楽園の門を開く者。祈り続けるアウラアウル。その終末の名を理解すると同時に全身に衝撃を感じ、私の身体は大きく吹き飛ばされ壁に叩き付けられた。

 

 

 ……土煙が晴れた後にまず視界に映ったのは、青い月のよく見える夜空だった。卵の塔が顕れた時すでに教会の天井は突き破られていたが、天井は完全に崩れ落ちてしまったらしい。次いで映ったのは、巨大な白い竜だ。

 

 光り輝く輪を王冠のように戴いた、ぼろぼろの翼と爪に白い鱗の巨大な竜。旧世界を滅ぼし、新世界を滅ぼさんとする怪物。只人であれば視界に入れることすら許されない狂気と絶望の象徴。あれは、紛れもなく終末だ。

 

 ――けれど。その怪物を見て最初に感じたのは、奇妙な違和感だった。何故私は今生きている?

 

 先の一撃は完璧に不意を打たれた。あれが真に終末であるならば、初撃で私を殺せたはずだ。その程度の力は無ければ終末とは呼ばない。私は今あれを恐ろしいと思わないはずだ。

 

 そして、なによりも大きな疑問が一つ。終末と呼ばれる怪物は、問いを持たない。

 

 それは、己の答えを持っている。答えを広めることはあれど、他の誰にも答えを求めない。何度か終末と呼ばれる怪物の討伐に同行した経験があるが、問いを掛けられたことはただの一度も無い。

 

 あれはまだ完全体に至っていない、あるいは私達の常識の外にある、全くの未知の終末だ。今ここで殺さねばならない。この世のあらゆるを滅ぼす本当の御仕舞となる前に、私達の手で殺さねば。そして、ここで今後の対処法を得なければ。

 

 終末とは、何度でも顕れるものなのだから。望まれる限り、あるいは己の怒りと憎しみが尽きるまで。世界を終わらようと、呪い続けるものなのだから。まずは一度、ここで殺さねばならない。

 

 

 こんこん、こっ。右の爪先で床を蹴り叩く。雑魚の相手は任せるの合図。伝わっているかは半ば賭けだ。

 

 背後を見れば教会の一部が融け落ちている。先の光が融かしてしまったのだろう。あれは、人に当たればきっと灰も残らない。イザナであれば上手く逃げ切っていると信じたいが。

 

「……旧世界の汚物が、よくもまあこの新世界に顔を出せましたね。なんですかその輪っか、あれですね、蛍光灯ってやつですか。旧世界の遺物ですよね知ってますよ、どれもこれも割れて使い物にならないゴミですけど!」

 

 言葉が通じる様子は無し。先と比べると聞こえていないというよりは気にしていないという印象を受ける。さて、少しは気を引かなければ。

 

 釘を放り、頭部を狙って転送する。脳を潰せれば早いが頭蓋が阻むだろうし私の考えている位置にあるとは限らない。だが、眼球や耳に損傷は与えられるはず。

 

 白い竜が小さく呻き声を上げて右の前脚を振り上げた。適当に振るわれたのだろうそれは、当たらなくとも人をばらばらにするには充分な衝撃だ。

 

『――――どうして私を拒絶したの? どうして私と一緒に来てくれなかったの?』

「……っ!? 知りませんよぉ、だって初対面ですもんね!」

 

 意味のわからない泣き言を繰り返しながら、白い竜は乱暴に前脚を振り回す。やはり巨体はそれだけで厄介だな、ただ暴れられるだけで近付くのが難しくなる。旧世界人はこれをどう封じたのだか。

 

 右の前脚が叩き付けられるのを避け、関節のあたりを狙って大鉈を振るった。鱗が硬い。隙間も見付からない。少しは傷を付けられたが、これでは割るまでに何時間掛かるかわからない。

 

 竜が口を開いた瞬間、舌と喉を狙って釘を転送した。が、舌には届かず喉も鱗に阻まれた。心臓や脳という臓器を狙ったわけではないのに阻まれた? 魔術の類への耐性が高いのか、内側に転送できない。釘では殺し切れないとは考えていたが、そもそも傷も与えられないとは。

 

「はぁ、もう……竜狩りは専門外なのですが。キユの専門は人間相手なんですよ、あなたみたいな化物をやらなきゃいけないような仕事じゃないんです」

 

 最近はそうでもなくなってきてしまった気がするが、元は実際にそうなのだ。人間相手ですら疲れるのにどうして化物の相手までしなければいけないのかと溜息を吐きたくもなる。

 

『どうして、どうして――』

「その泣き言、聞き飽きました。泣きたいのはキユなんですよ。あと頭の中に響くそれ気持ち悪いんですけど、やめてもらえます?」

 

 釘を放り、指を鳴らす。どうせ刺さらないので身体は狙わず頭上に転送。落ちた釘が一本、二本と頭に当たるが白い竜は気にもせず右の前脚を再び振り上げた。

 

 それでいい。そうでないと困る。

 

 私が息を吸うのとほぼ同時に竜が口を開いた。口の中が紅く光っている、遠く離れているというのに、熱気に肌を焼かれる痛みがする。これは、火を吐かれるな。

 

 左手の指先に力を込め、周囲に意識を回す。今まで殺してきた化物に刺さった釘、ここまであの竜に弾かれた釘。その全てを意識して。

 

「はじけろ」

 

 ぱちんっ、指を鳴らすと同時に轟音が響いた。いくつもの爆発が発生し半壊していた教会を更に崩してゆく。

 

 巨体を揺らしながらも竜が私目掛けて火を吐くのに合わせ、突っ込むように駆け出した。瓦礫を足場に跳び、竜の首まで迫って。

 

 

「――――放熱の為か知りませんが、火を吐いた直後は喉の鱗が開く。竜という生物は皆同じで助かりますよ」

 

 鱗の隙間に大鉈を叩き付けると悲鳴のような鳴き声が聞こえ、赤黒い血が噴き出した。熱い、肌が焼けるように痛い。あまり浴びたいものではないな。

 

 刃を肉と鱗に挟まれて大鉈が抜けない。だがこれでいい。柄を支えにして、跳んできた勢いを利用してぐるりと身体を回す。地面が真下に見える直前に手を離せば身体が宙を舞った。

 

 竜の頭を越え身体が落ち始めたあたりで、外套で隠している剣帯から短剣を一本抜いた。

 

 よく研がれた短剣だ。ただそれだけで何の変哲も無い、化物に対するなら大鉈よりも頼りないだろうもの。だが、これでいい。私には、これがいい。

 

 巨大な橙色の瞳が、私を見詰めている。ようやっと私のことを脅威と認めたらしい。いや、まだ煩い羽虫というくらいかもしれない。どちらであれ、もう遅い。

 

「そっちの鉈は大事なんですよ。だから、こっちの短剣をあげますね。あぁあと、それから」

 

 短剣の切っ先が頭部に触れる。かつん、熱と硬度に耐え切れず短剣がぼろぼろと崩れてゆくのと同時に、巨大な爪が私に迫り――

 

「――今から見せるのは、種も仕掛けも無いただのずるです」

 

 白い竜の頭が、ぱっくりと縦に割れた。

 

 重さに耐え切れず、竜の頭部が割れ目を広げて裂けてゆく。その間から赤黒い血が噴水のように溢れ散っている。肉片が飛び散り、不自然な軌道で私に降り注ぐ。

 

 肉片一つ一つが意思と命を持っているのか、地に落ちた後もびくんっと跳ねながらこちらへ向かってきている。だが動きは鈍い。奇襲さえ気を付ければ脅威ではない。

 

 

 深く息を吐き、呼吸を整える。まだ終わっていない。終末と呼ばれる怪物が、私が本能的に畏れを感じる怪物が。この程度で死ぬはずがない。この程度で退散できるはずがない。今の私の持っている手では殺せない、その直感を私は信じている。

 

 頭部の裂けた白い竜が力を失ったように崩れ落ちた。イザナが上手くやってくれたのだろう、生きているトカゲやカエルはもういない。卵は全て先の爆発で焼いたはずだし、これでもう――

 

「――どうして、あなたは」

 

 声がした。崩れ落ちた竜の中から。ごぽごぽと血を流し続ける喉の穴から、女の声がした。頭の中に響くものではなく、確かに空気を震わせる声がした。それは、きっと。聞いてはいけないものだった。

 

「――――どうしてあなたは。生きてるの」

 

 ごぼごぼと音がする。ばきばきと音がする。崩れ落ちた竜の頭部から、奇妙な音がし続けている。

 

 白い何かが飛び出した。それは人の形をしていた。顔が無く、すらりと伸びた手足を振り回して、人型の何かが走っている。

 

 それは、私が大鉈を振るうよりも、指を鳴らして釘を転送するよりも速く私へと迫っている。

 

 顔は無いがわかる。あれはきっと、私の目を狙っている。このまま私の眼球を抉り、脳へと爪を突き立てるのだろう。油断していたわけではないが、竜から視線を逸らした瞬間を狙われた。私ではもう反応できない。

 

 そう、私は反応できない。だが、それでいい。何も問題は無い。ぱんっという銃弾の放たれた音を、私は確かに耳にしているのだから。

 

 くるくると回る円錐形の小さな鉄塊が、白い人型の怪物の脇腹を右から喰い破った。それでも止まらず伸びる右の肘が二発目に射貫かれ折れた。左の足首から先が吹き飛び、右の膝が砕かれた。瞬きよりも速く放たれた四発の弾丸が怪物の動きを確実に止め、命を削ってゆく。

 

 両膝を折った怪物が、それでもと無事な左腕を伸ばした。届くはずもない距離であるというのにがくがくと震えながら伸びて、力尽きたように上半身が倒れる。それからまた力を振り絞っているように上半身を起こして、左腕を地に叩きつけ立ち上がろうとして。

 

 五発目の弾丸が、怪物のこめかみを喰い破った。

 

 合わせて五度の発砲音と怪物を襲った弾丸。それは、よく知っているものだ。私の同僚が愛銃から何度も放ってきたもの。

 

 らいふる弾、ふるめたるじゃけっとなどと呼ばれるらしいそれは怪物の身体を確実に破壊してゆく。そうして、白い怪物の頭部は内側で何かが爆発したように弾けて散った。首から下は、まだびくびくと痙攣している。

 

 

 これで本当に終わり。……終わり?

 

 いや。そんなはずはない。あの怪物は光の環をもっていなかった。本体ではない。光の環は今も空にある。空に……では、あの竜もまた。

 

 

「はぁ……キユ、もう疲れちゃいました。これで終わってくれても全然よかったんですけどねぇ?」

 

 空に浮かぶ光の輪が広がってゆく。それが門だと気付いた時には遅かった。卵は全て先の爆発で割ったというのに、翼の生えたトカゲやカエル、様々な怪物が光の輪の中から降ってきている。大口を開け私へ向かって落ちてくるそれは、どう見たって私への殺意に満ちていて。

 

 そうして、降り注ぐ怪物の雨の中。周囲を見回していると、白い竜の死骸の中に一つの人影が見えた。

 

 それは、修道服を着た女だった。それは、光り輝く花の冠を戴いていた。それは、祈るように手を胸の前で組み私に向かって穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 あれだ。あれが本物のアウラアウルだ。そう判断し、大鉈を握る手に力を込めるよりも速く、女がこちらへ右手を差し伸べるように向けてみせて。その手には、白い光の玉が浮かんで見えて。

 

「――――こんばんは。良い夜ですね?」

 

 私と、降り注ぐ怪物の群れと。そして、リュレの街。その全てを吞み込むように。

 

 女の手から、真白の光が放たれた。

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