熱を持った光により崩れた遺跡の中。三つに割れた月が青く輝く夜空を眺めながら、イザナ・オウダインは己の死を悟り深く長い溜息を吐き出していた。
キユの援護をしている最中にカエルとトカゲの襲撃を受け、右脚と左腕、ついでに腹を齧られた。腹はどうにか防弾衣が防いでくれたが腕と脚は出血が酷い。もう、逃げることすらできそうにはなかった。
……人の死体が膨れ上がり、怪物へと変貌するのを見た。わたくしもそうなってしまうのかしら。イザナは少し考え、まだ動く右腕を腰の拳銃嚢へと伸ばした。
弾が一発だけ残っていたはず。自決すればああならないという事は無いだろうが、このまま死を待つよりはマシだろう。そう考え、右手で銃を引き抜こうとして。
「――見付けた。随分と酷い目に遭ったようですね?」
今だけは聞きたくなかった声が、イザナの右手を包むように抑えて止めた。イザナは後悔した。少し迷ったのが良くなかった。もっと早く決断していれば、見苦しいところを見せずに済んだのに。
「…………あら、キユちゃん。見ての通り、やらかしましたわ。お役に立てず申し訳ありませんでした」
だから、このまま見捨ててくださいまし。そう言葉を続けようとして、結局できなかった。今にも泣き出してしまいそうなキユの顔を見ると、可哀想で続ける気にはなれなかったのだ。
「謝罪と言い訳は後で聞きます。その防弾衣、意外と硬いのですね。骨はどうですか? 痛み止めが必要ですか」
「……今痛み止めを飲んだらそのままぐっすり眠れそうですわ」
「不要ですね。二、三度跳びます。歯を食い縛っていなさい」
言葉と同時にキユが指を鳴らし、景色が変わってゆく。地下水道、誰かの家だったのだろう廃墟、最後に何処かの地下室へ。イザナに負担を掛けない為にかなり慎重に術を使っていたのだろう。真冬だというのに額に汗を浮かべながら、キユが荒く息を吐き出した。
「……イザナ、次からは詳細な地図を用意しておいてください。想像と計算だけで跳ぶのは非常に疲れるのです」
「次があれば、そうしますわね」
「今から作ってやると言っているのですよこのお馬鹿」
悪態を吐きながらキユはイザナを薄汚れた寝台に置き、何かを探すように部屋の中を歩き回り始めた。ふと、ここは何処なのだろうとイザナは気になりキユに問うてみる。返ってきたのは沈黙と少し意地の悪い笑みだった。
薄汚れた寝台は、よく見てみると拘束用の帯が付いているようだった。汚れの色は赤黒い。少し手足を動かしてみると、それだけで悲鳴を上げるようにがたがたと寝台が音を鳴らした。嫌な予感がする。
「キユちゃん……その、ここってもしかして」
「おや、気付きましたか。キユは入ってすぐに気付きましたが」
かちかち、何かを打ち鳴らしながらキユがイザナへ近付く足音が聞こえる。手を後ろに回しているからだろう、イザナにはキユが何を持っているのかわからない。
「あの……キユちゃん。怒っています?」
「それはもう。とはいえ、キユは八つ当たりをする程子供ではありません。見てくれはこの通り、世界で一番可愛い子供ですが」
「あっ怒ってますわね!? ものすごく怒ってますわねぇ!?」
キユは普段、自分で自分を可愛いとは言わない。思ってもいないだろう。こういったことを口にする時は、恐ろしく怒っている時だ。イザナはそれを知っている。何度も怒らせてきたから知っている。
「イザナ、よいことを教えてあげましょう。拷問室というのはね、意外と薬と医療器具が揃っているものなのです。下手に死なせては何も得られませんからね」
痛くなりますからね。イザナの口に布を突っ込んで、キユは笑顔でそう言った。
地下室に、イザナのくぐもった悲鳴がこだました。
「……イザナ。一度しか言いたくないことを言います。耳を澄ませて聞きなさい」
治療を終えた後、ぜぇはぁと息を荒くするイザナに向かってキユは他に使える物は無いかと物資を漁りながら声を掛ける。イザナは行儀が悪いと咎めるべきか少し悩んで、結局言わないことにした。どうせ持ち主はもう死んでいる。
「キユちゃんのお言葉はいつでも傾聴していますわよ」
「そうですか。では」
適当な冗談を聞き流すようにして、キユは話を続けようとする。本気で言っているのですけれど。少し悲しく思いながらイザナは耳を澄ませることにした。幸い痛みが引いて意識に余裕が出てきた。聞き逃す事は無いだろう。
「――おまえは、おまえだけはキユより先に死なないでください。おまえが死んだら、もうキユには何も残っていません。キユはもうとっくに疲れているのです。おまえが死んだら、もう立つ理由も無くなります」
聞き逃してしまえば良かったとは、思ってしまったけれど。友がここまで弱っているとは、イザナは予想できていなかった。
「それは……ずるいことを言いますわねぇ」
「ずるい方が長生きするものですよ。それと、キユがおかしくなったらきちんと殺してください。すぐに気付けるのはおまえくらいでしょうから」
「わたくしに、唯一人残った同郷の友を殺せと言いますか」
「……お願いします。キユがそうなったら、最期はおまえがいい」
これは思った以上に限界が近いのかもしれない。あるいは、イザナが気を失っている間に何か大きく心を傷付けられる出来事があったか。
「何か、ありましたの」
問いに返ってきたのは、弱々しい笑顔だった。キユと名乗るようになってからは見る事の無くなった笑顔だ。イザナは酷く嫌な予感がした。どうにも、こちらが死を覚悟している間に碌でもない事があったらしい。
「人型の終末に、話し掛けられました。助けられました。おまえが何処にいるのかをキユに伝え、何者かに封印されました。封印の完了を見届けて持ち帰ることも考えましたが、できませんでした」
「それはまた……とりあえず、後者は上に伝えなければなりませんわね」
「前者も、そうです。その終末が特殊なのか、あるいはキユがおかしくなっているのか。確かめて、もしも」
「……考え過ぎですわよ。それに人型だったのでしょう、それなら言葉を交わしもするでしょう。終末観測所の一つには予言者の成れの果てが封印されており、その予言を利用して今の立場を築いただなんて噂を聞いた事もありますわ」
あの噂が真実であるかはさておきとして、会話のできる終末もいないわけではないだろうとイザナは考える。元は人や神など、世界に希望を持つものであったはずなのだ。かつての知性が残っているのであれば、ある程度の会話は可能だろう。
イザナは身体を起こし、キユの顔を覗き込んだ。疲れているせいだろう、翠の瞳は昏く淀んで見えた。身体を見れば応急手当は済ませたようだが怪我も多い。王都に戻ったら無理矢理にでも休暇を取らねばならないだろう。
そう、まずは休暇だ。身体と心を少しでも休めなければ、このままどんどんと弱ってしまう。イザナは息を吸い明るい声をと笑顔を意識した。まずはここを生き延び王都で身体を休め、できるだけ早く王国での仕事を終わらせ本部へ戻る。その後は……どこかで足を洗い、小さな料理屋でも開こう。キユは時々冗談でそう言うが、イザナは本気で考えている。
「はぁ……そうですわね。まぁ、善処はしますわ。他ならぬキユちゃんの頼みですもの。ただし、一つ条件がありますわ」
「……聞きましょう」
「――――わたくしの為に他を犠牲にせず、もしわたくしが先に逝っても後を追わないこと! ……あら、二つでしたわ。きちんと守ってくださいまし」
「……わかっていますよ。善処します」
本当に、善処してもらわなければ困る。イザナはキユより先か後かはどうでもいいが、キユに庇われるのも後を追われるのも御免なのだから。
「…………あの、ところで。本当に申し訳ないのですけれど。背負って運んでいただいてもよろしくて? 歩けそうにありませんわ」
「引き摺ることになりますよ」
「右脚だけ頑張って持ち上げていただけると助かりますわね」
「こいつ……」