「――――せんせえ。わたしたちは、どうしてきらわれちゃうんだろうね。あいしてもらいたいのに、きらわれちゃうんだ」
最初の問いは、そんな幼いものだったと思う。あたしはなんて答えたかな。どうしてでしょうねと答えてそれで終わりにしてしまった気がする。
「――せんせい。わたし達とにんげんは、何が違うのかな。わたし達は、何をしたらにんげんに受け入れてもらえるのかな」
二度目の問いは、こうだったと思う。あの子はあまり質問をしない子だったから、二度目の問いを受ける頃には少し大人になってしまっていた。あたしはそれを、少しだけ後悔した。
「先生。わたし達は、どうして……いえ。なんでもないの。わたしね、決めたわ。わたし達はにんげんになる。わたしが、すべてを終わらせる」
三度目の問いは無かった。どうして問うて良いのですよと言わなかったのかな、とずっと後悔している。問いに答えていたら何か違ったのかなと、ずっと考えている。手遅れだとわかっているけど、ずっと。
あの子が――姫様が。魔王様が。先王を殺して、その忠臣も全てその手で殺して。新たな魔王となったのは。あたし達の、希望となろうとしてしまったのは。
あたしに三度目の問いを掛けようとしてくれた、次の日のことだった。
深酒をしてしまった翌日の気分というのは最悪なもので、まあ人類って滅ぶべきですよねとかあたしの生って価値あるのかな、もうさっさと死ぬべきじゃないのかなとかいろんな思考がぐるぐるとしてしまうものなわけですけども。
「うっ……おぇ……ぇぇえぇ……うっ、うぷ。さいあくだ。もうしにたい……」
口から洩れた声の意味を自覚するのにだって時間が掛かってしまう、それこそが二日酔いの恐ろしいところですよね。けれど間違えてはいけないのは酔いとは酔ってしまった自分自身が悪いのであってお酒に罪は無いのです。全てはお酒に負けた自分が悪いのであって……あ、待ってください。不味い酒は別です。お前これ人に飲ませる気本当にあんのかと問いたくなる味の酒あるじゃないですか、あれは別です。あんなの悪酔いして当然なんですよ。あれは別です。
はい、私怨は置いておくべきですね。それでも美味しく吞めなかったお前が悪いと返されたら終わってしまうので、不味い酒への憎しみの話はここで終わりにします。いえ、納得はしてないんですけども。
寝起きの気分が最悪になる夢というのはまあいろいろとあるんですが、昔の夢というのはあたしの中ではかなり上位に入ります。他の人でもそうなんじゃないかなとは思うんですけどね。
知っている人が夢に出ると大体なんかやらかした時の記憶を再生する事になるんで、罪悪感やらなにやらで本当に気分が最悪になるんですよね。こう、やり直したいとかいっそ全部おしまいにしてしまいたいとかいろいろぐるぐるしちゃってお酒に逃げてまた悪い夢見て……と負の連鎖を始めてしまう時があるわけです。
まあ、この話はここまでにしましょう。これ以上頭の中でうじうじと言い訳を続けるとまたお酒を飲みたくなってしまいます。
便所に汚物を全て吐き出した後川で顔を洗い、すっきりとした気持ちで教会(家でもあります)へと戻ると異様な光景が広がっていました。いえ、起きた時に見てはいるんですけども。ただこれは何度見ても慣れないだろうなという光景がですね。
炎を思わせる赤い髪の大男が、せっせせっせと礼拝堂の床を磨いていました。それはもう職人のような目付きで、一言も発さずに。いえね、そこにげろっと吐いて汚したのはあたしですし明日には子供達が来てここを教室として使うので有難いんですけども。なんか……なんでしょう。情けなくなるといいますか。
よし、主導権を握りましょう。元気な声で挨拶してさっさと本題を話してもらって解散しましょう。これ以上掃除を任せるとちょっと情けなさでまたお酒に手が伸びそうです。
「やあやあ、お待たせしました! やっぱり朝は川で顔を洗うに限りますね! すっきりしゃっきりいい気分です! ということではい、お話を始めましょうよ」
「――ちょっと待ってくれや。あと少しで床を完璧に仕上げられるはずでな……いや、道具が要るか? すまん、すっきりしたなら洗剤を買ってきてくれ」
「家主より真剣に掃除するのやめてくれませんか」
今真面目なお話の空気を出そうと頑張ったんだからノッてくれませんかねと文句を言いたくなったんですが、そもそも床掃除をされている原因があたしの悪酔いによる粗相なので言いづらいんですよね。言ってもすまんって謝られて更に負けた気持ちになりそうですし。
本職の方ですかと言いたくなるくらいに真剣な様子で床の染みを睨むガタイの良い青年に溜息を一つ。まあ、鈍感小僧なので「溜息を吐くと幸せが逃げると言ったのはお前さんじゃなかったか?」と心配されるだけなんですけども。それなりに長い付き合いですけど、この子こんなんだから友もつがいもできないんじゃないですかね。
「なんでこんな掃除やら料理やら頑張ってるんですか……通い妻ならぬ通い夫でも始めたんですか? ごめんけどあたし歳下の男の子は対象外ですよ」
「そりゃよかった。いやな、最近雇った……じゃねェ、……使ってる、にんげんがよ。掃除だの料理だのに関してやたらうるせェんだよなあ。配下の前で拭きが荒いとか塩を使い過ぎだとか叱られるの、けっこうきついんだぜ」
「……はあ、それはそれは」
何やってんだこいつ。いや本当に。
この何故か家事に精を出している青年の名はラス。あたしとはそこそこ長い付き合いになる同胞の一人です。
捨て火のラス、あるいは憤怒のラスなどと呼ばれ畏れられる魔王の怒りが一つなんですけど……本当になんでこんなことになってんでしょうね。いえ、昨夜持ってきてくれた焼き鳥は美味しかったんですけど。焼き鳥だけ貰ってお酒飲みたいからって追い出して今朝には粗相の始末をしてもらってるので正直あたしには文句を言う資格は全くもって無いんですけども。
……というか、にんげんに叱られてるって。この子は本当に何をやってるんだ。あたしでなければ、あたしだって機嫌が悪ければうっかり殺してる失態だ。
「それあたし以外の前で話したらけっこう真面目に怒られるか刃向けられますからね……まあ今日はめんどいからいいですけど」
「いや待て待て。別ににんげんのガキに使われてるってわけじゃねェんだ。油汚れにはあれが良いとか、この辺の食える野草に薬草、毒草の見分け方に絶対美味いとわかっているが食えば死ぬとわかっている茸をどうすれば安全に食えるか真剣に話し合ったりと楽しく……いや、情報を引き出して、な?」
「そのにんげんがとっても魅力的かつ有用なのはわかりましたが取り繕えてないですし有用だと思うのもあたしみたいなやつだけですからね」
まあ実際、毒草や毒茸の情報が本物なら使い道はたくさんあるわけなんですが。それが本当か確かめるにはそのにんげんの脳を洗うかそいつで試すのが一番なんですけど、言ったら殴り合いどころか殺し合いになりそうだなあ……なんかこの感じ、かなり気に入ってそうですし。
この子はそういうところがあるのを知ってます。にんげんに対してそうなのは初めて見ましたけど、気に入って身内とした者を傷付けられると面倒臭い怒り方をする。強い甘ちゃん程面倒臭いものもないんですよね。嫌いじゃないんですけど。
――ラス。そう呼ばれる青年の姿をしたこの魔族は、百と三十年前までは狂暴で、残虐な竜でした。ただただ焼きたい、壊したい、食べたい、殺したい。だから焼いて壊して食べて殺す。そういう怪物として産まれて、そのままどこかで討たれて死ぬはずだったんですけどね。彼もそれを望んでいたはずなんですけど。何がどうしてこんなにんげんの形を模した甘ちゃんになってしまったのか、あたしにはわかりません。
あるいは、誰もがこの子のように全てのにんげんへの怒りと憎しみを簡単に捨てられるなら。好いものは好いと思って良いのだと、そう振る舞えるのならば。なんて、それが一番難しいんですけどね。憎しみを捨てるのが一番難しいんです。だって、いつだって憎しみは正義の形をしてるんですから。
……まあ、いいですよ。旧世界の文明に興味を持つのも、その真似事も。好きにやったらいい。あたしもそういうのは楽しいと思うし、否定も邪魔もしない。ただ、それもこれもまずは王国を陥としてからだと思うんです。
この国は、この国の民は。あたし達を虐げ過ぎた。角を持って生まれた子を、翼を持って生まれた子を。彼らがにんげんと定めるそれから外れた者達を魔族として、にんげん同士の間から生まれた子供まで。
ただ生きたかっただけの子供達を殺し、喰らい、弄んだ。何よりも、あたし達のものだった安息の地を奪って薄汚い欲望で穢し続けている。それらの罪は、その血で贖わせなければ。ずっとずっと憎しみに歪んだ声がしているんですよ。
「なんだァ、辛そうな顔してんな? お前さんは顔合わせる度に元気が無くなってる気がすんな、さすがにちっと心配だぜ」
「なんです心配って。君があたしを心配するなんて……というか、心配なんて言葉を君が使うなんて思いませんでした。誰の影響ですか?」
「別に、誰のってもんでもねェさ。長生きしてりゃ考え方も変わるもんだろ。ああでも、うちのやつらも言ってたぜ。ここ十年くらいのオレはどうも優しいらしい」
「それはまた、つまらなくなりましたね」
ちょっとくらい皮肉を言ってもいいよねと思ってのものだったんですけど、自分で思っているよりもずっと感情が乗った声になってしまいました。意地悪なんて、大人気無いとは思うんですけどね。なんでしょう、どうにも今のはずるいと思ってしまいました。なんででしょうね。
大きな身体と強い力。本来であれば、何に縛られる事も無く暴虐の限りを尽くせただろうに。なにもかもを灰とできたはずなのに。どうして彼はそれを窮屈な器に押し込んで封じたのでしょうね。彼がそうしたと聞いた日から、あたしはずっとそれがわからないんです。
「つまんねェか……いや、そうだな。そう言われても仕方ねェ為体だ。ただ、そう言われるのも今は嫌じゃねェんだ。このつまんねェオレにしか手に入れられない何かがある気がすんだよな」
本当に、変わってしまったのですね。今の言葉はあたしにそう確信させるのに充分なものでした。この子の怒りはずっと消えないと思っていたのに。あたしが怒りを忘れても、この子はずっと変わらないと期待していたのにな。
……ただ、やっぱり妙だとも思っています。長く会っていなかったですし、何か大きな出来事があったのかもしれませんけども。それでもこんなに変わるかな。いや、大きな出来事……まさか、まさかだけども。こいつ、にんげんの影響を。
魔王の怒り、捨て火のラスがにんげんに影響されている。これが事実なら問題です。大問題です。どこかでにんげんに絆されたか、あるいは操られているか。そういった噂が広まれば、彼と彼の配下は罰として殺されるでしょう。ここで事実であると確認が取れれば、それはあたしがやる事になります。
……あるいは、そうなる前にこの子があたし達を殺しているはず。今まさにその為に来たのだとすれば、あまりにも隙だらけだ。
「君、今のままだと殺されますよ」
「なんだァ、ちっと会話を楽しんだだけでそれかい? オレァよっぽど面白味の無いやつだと思われているらしいな?」
「ええ、それはもう。ルト君やナルちゃんに君が変わったという噂が届いたら確実に殺しにきますよ。その前にフランさんかアキさんに相談してくださいね。いや、アキさんは半々くらいですけど。でも不味いと思ったらアキさんの方が良いかな……」
魔王の怒り。魔族の王の怒りを示す、最も強い魔族達。暴虐の限りを尽くしたにんげん達へ恐怖を与え、けれども踏み越えてはいけない一線を越えた同胞へ死の罰を与える魔王に認められた強者達。捨て火のラスも、その一人です。だからこそ、にんげんに絆されるなんて許されちゃいけないのにな。
あるいは、姫様はその変化を望んで彼らを選んだのかな。あたしはどうすれば良いんだろう。姫様は、あたしにどうなってほしいんだろう。
「アキとフランには声を掛けてねェよ。アキはわからねェが……フランに助けを求めるのは卑怯だろ。オレがアイツに助けを求めたら、他のやつらは一切の気遣いを無くす。そうしたらただの喧嘩を越えて戦争になっちまう」
「……あたしに助けを求めるのはそうならないと?」
「お前さんはオレが脅しでもしなきゃ助けねェだろ。そうなりゃ他の連中は事が済むまで様子を見るし、事が済んだ後にはきっとオレァ死んでいる。その後の仕込みはしたしな。そうなりゃ何も問題が無ェってわけだ。だろ?」
「……さて、どうでしょうね。あたしには何も言えませんけど。というか、脅しってなんですか」
「そりゃ、言葉のままさ」
なんだ……何の話をしているんだこの子は。あたしを脅しに来たのはまだわかる。王都で成果を挙げたわけではないし、トモリさんの勧誘もまだ関係を深めている途中。突かれると困るところはそれなりにありますから。ただ、そこではなく……この子、どうしてもう死後の事を考えているんだ? 何をする気でここに来た?
「あたしに会いに来たのは、脅しの為ですか? 何の為の脅しですか?」
「さて、なんだろな。オレも報復が怖ェからよ、お互い得があるようにしてェとは思ってんだ。脅しはさせてもらうが、悪いようにはしねェよ」
「あたしが君の脅しに屈すると思ってるんですか? 君の言う得とやらに満足すると、本当に思っているんですか?」
「思っているから来たわけだ。昔お前さんが言ったことだぜ、脅しってのは効果があると確信してからしねェと痛い目を見るってな」
にっかりと、青年が笑いました。人の形をしているものにあってはならない牙の隙間から、火の粉と空気の揺らぎが見えます。にんげんの姿を真似ても、竜は竜ですから。とはいえ、これだけはっきりと感じられるのは妙ですね。彼も緊張しているのかもしれません。
「オレんとこにも王都に潜り込んでるやつはいてな。トモリノドカ、リュレの騒動でも逃げ回っていたばかりでたいした功績は無いらしいな? このまま何も力を示さないのなら哀れな犠牲者として死んでもらうことにされちまうだろう」
脅しのネタはやはりそれですよね。ええ、それはわかっていました。あたしだってちょっと強引な手を使わないと駄目かなと考える程度には困ってるんですから。
リュレの騒動は調査に向かった騎士二名が負傷、内一名は瀕死の重傷を負いながらもどうにか終末を撃退し事態は収束したそうです。とはいっても、たかだか騎士、それも雇われの傭兵が終末を撃退できるかと問われれば疑問が残るわけですけども。
期待を込めて考えるのなら、トモリさんか騎士、あるいは両方が虚偽の申告をしている。もう一つはあたしの知らない第三勢力がいたってところ。傭兵がたった二人で終末を撃退できる英傑であった可能性は……いや、無いでしょう。それだけの実力者が今王都にいるのなら、連中はもっと強気に魔族の征伐を進めようとするはず。
まあ、あたしがどう考えても関係は無いんですよね。問題はトモリさんを預かっている騎士団の方でトモリノドカは役立たずだと広まってしまったらしいこと。戦に役立たない勇者はいつか、勇者失格として処分されてしまう。そうなる前にどうにかしないといけないのは確かです。なんなら、そんな役立たずよりもっと役立ちそうなのを狙えと言われてしまうでしょう。
脅しのネタは完璧です。これを姫様や口煩い連中に届けられるとまあ面倒臭いことになる。ただ、脅す目的がわかりません。
……あたしを脅す意味がわからない程馬鹿じゃないと思うんだけどな、この子。何をしようとしているんだ。何を覚悟しているんだ?
どうにも嫌な予感がします。魔族というのは無意味な生より意味のある死を求める生物ではありますけど、この子の今のそれは我々の本能からくるものとは違う気がする。本当に、すぐ先の己の死を見ているような。受け入れているような。
「……なんですか、君が功績になってくれるんですか?」
「あァ、そうだな。本性を隠しているなら引き摺り出してやる。そうでない、ただの間抜けなら……それでも、だ」
息を吸う音が聞こえた。それがラス君のものなのかあたしのものなのかはわかりませんでした。もしかしたら、同じだったのかもしれません。だって、あたしは嫌な予感がどんどんと強くなって。ラス君は、昔は似合っていたはずなのに今は全く似合わなくなってしまった悪い笑顔を浮かべていたから。仮面を被っているようにしか見えなかったから。
「――――オレが、アイツを英雄にしてやるよ。竜殺しだ。誰だって英雄と認めるしかねェだろ? オレが、討たれる竜になってやる」
どうだ、悪い話じゃねェだろ。にかりと笑った青年が、あたしを真っ直ぐに見詰めている。あたしは裏切ろうと思えば簡単に裏切るやつだと知っているくせに、この子はこうやって真っ直ぐに見詰めてくる。いつからこうなったんだっけな、昔はこんなんじゃなかったのにな。
ああ、本当に。だから、この子は嫌いになりたいんだ。あたしが失くした真っ直ぐさを持っているから。あたし達が持っていなくちゃいけないのだろう真っ直ぐさを、いつまでも失くさないから。最初は持っていなかったくせに。
「……あの子は、英雄になんてなりませんよ。ただの友人として招いて、共に明日を築いてゆくだけです。そこには、君も一緒なんですよ」
「そうだな。そうなりゃ、いいよなァ」
きっと、そこに自分はいない。そう確信しているような。その笑顔が。その声が。
あたしは、どうしようもなく気に入らないんだ。