「――――すみません。本当によくわからないので、わたしはもう行きますね。人を待たせてるんです」
差し出された子供の手を、トモリは取らずに踵を返した。その瞳にどこか懐かしさを感じはしたけれど、それよりも今はキユとイザナの二人と合流するべきだと考えたのだ。
「ま、待ってください! と、トモリさん。話だけでも聞いてくれないっすか? それから判断をしても」
「どうしてわたしの名前を知っているのかとか、色々と聞きたいことはありますけど。今回は見逃してあげます。でも、次は殺すかもしれません。あまり悪いことはしない方が良いですよ」
「ち、違うんす……お願いだから、話をっ」
しつこいな。いっそ殴って黙らせるか、一度襲われているわけだし。トモリは不快感のままに子供へと振り返り、少しだけ冷静さを取り戻した。
細い。子供の顔と手を見てまず感じたのは、これは殴ったら殺してしまうなという己にも理解のできない心配だった。次に思ったのは、何をそこまで必死になっているのだろうという気味の悪さと疑念だ。
トモリにはわけがわからなかった。裏路地に入るなり襲ってきたかと思えば土下座をして賊は辞めるだのなんだのと勝手に騒ぎ、今度は未来が視える、悪巧みに付き合ってくれなどと妄言を言い出した。この子供が何を考えているのか、トモリにはまるでわからない。
それに、この橙色の瞳を見ていると頭が痛くなる。思い出したくない何かを思い出しそうで、トモリは気分が悪くなった。
こういう面倒とは、距離を取るに限る。なにより、合流にあまりにも遅れてしまうと脱走を企てたと勘違いされるかもしれない。トモリにはまだ王国にいなければいけない理由がある。今の立場を失いたくはない。
「殴られたくなかったら、もう付き纏わないでください。すみませんけど、本当にさようなら」
「…………わかり、ました。すみません、お手間を取らせて」
渋々といった様子ではあるけれど、子供が伸ばした手を降ろしたのを確認して、トモリは溜息を吐き出した。あまり酷い事はしたくなかったので、退いてくれて助かったというのが本音だ。決して態度には出さないけれど。
「――――どうか。どうか、よいさいごを」
裏路地を出る直前、トモリの耳に届いた子供の声は。どこか悲しげで、やはり懐かしさを感じるものだった。
キユから渡された地図に従い辿り着いた宿は、火を放たれたようでぼうぼうと激しく燃えていた。
「えぇ……。どういう状況なんだろうこれ」
思わず呟いてしまった後にキユとイザナは無事なのだろうかと周囲を見回し気配を探ってみたけれど、二人を見付ける事はできなかった。日はまだ高い、時間ではないので来ていないのだろうとトモリは結論付ける。
さて、どうしよう。燃え盛る宿を眺めながらトモリは考える。トモリに人のことは言えないけれど、誰も火を消そうとする様子が無い。あるいは、専門家の到着を待っているのかもしれないけれど。
周囲の人々は心配そうに燃える宿を眺めているものの、そこまで深刻そうには見えない。避難は済んでいて誰も中にはいないのかもしれない。
さて。今トモリにできる選択は二つだ。
一つはこのまま待ち続ける。時間になればキユとイザナが来るはずだ。それを待つのが一番良い。ただ、燃える宿をただ呆けて眺めていたというのは印象を悪くするし、なにより宿に行く前に燃えていると知ったらキユ達は来ないのではないだろうか。最悪トモリが火を放って脱走したのだと思われるかもしれない。弁解を聞いてくれるかは微妙なところだ。
もう一つは領主がいるらしい館へ向かう。街から少し離れた丘の上にある館は、地図を見なくてもどう行けばいいかわかる程に目立つ。トモリ一人では不審者として門を通してはもらえないだろうけれど、仕事を終え出てくるキユ達と合流できれば問題無い。
ついでに宿が燃えていることを息も絶え絶えに伝えれば必死に走ってきたのだと感じて印象を良くしてくれるかもしれない。決めた。これでいこう。トモリはそう考え、人混みから脱出しようとして――
――人混みの中に、宿と火ではなくトモリを見ている者がいることに気付く。目が合った。
それは、何処にでもいそうな男だった。背丈も服装も顔立ちも、何も印象に残らない。視線を外せば数秒後には記憶から消えてしまいそうな、無個性で平凡な男だった。それが何故か、トモリをじっと見詰めている。そうして、視線が合った事に気付いた男は。
無言で、無表情のまま踵を返し駆け出した。それは、あまりに異質だった。人混みを乱暴に掻き分けて、遠く遠くへ駆けてゆく。肩をぶつけ足を踏み……いくつか悲鳴と怒声が聞こえた。人混みに紛れていても何処に行ったのか探す必要が無い。
気付くまで見詰め続け、気付いたとわかれば追いやすいように逃げてゆく……どう考えても罠だ。ただ、わかっているからこそ。
「……あれを捕まえたら、キユさん褒めてくれるかな」
どうにも最近陰湿な老人がねちねちと煩い。少しくらい手柄が必要かもしれない。それに、王都で待つココネにもちょっとした土産話ができる。
あの男は放火犯かその関係者のはず。捕まえて事情を吐かせ、自警団にでも引き渡してやろう。そう考え、トモリは男を追って駆け出した。
男は意外と足が速いうえに隠れるのが上手く、追い付いた頃には空の色が赤から紺へと変わってしまっていた。もうじき黒に変わる。キユ達はどうしているだろう。トモリは少し心配になってきた。
逃げ込んだのは、遺跡群と呼ばれるビルなどの旧世界の遺跡が多く残っている地区の外れにある、小さな教会のような建物だった。元は遺跡の一つだったのだろう。石と鉄、コンクリートでできている部分と木で補修、増築したのだろう部分が混じっている。
元がどのような施設であったかトモリにはわからないが、悪趣味だ。トモリは気分を悪くした。
「それにしても……随分遠くまで来たなあ」
やはり誘導していたのだろう、トモリが見失いかけると気付かせるように何か騒ぎを起こしていた男だが、遺跡群に入ったあたりで誘導の仕方を変えたのか全く姿が見えなくなってしまった。足跡はくっきりと残っているので、なんとか教会まで辿り着くことはできたけれど。
教会の門は、開け放たれていた。微かに血の臭いがする。誰か怪我人でもいるのかもしれない。面倒事の予感はするが、ここまで来たなら最後までやるしかないだろう。そう考え、トモリは教会の中へ足を踏み入れる。
一歩中へ入ると、外で感じたものよりずっと強い死臭が鼻を突いた。足元で粘着いた水音がする。恐らく、血溜まり。
「――――お待ちしていましたよ、勇者様! さあどうぞ、奥までお越しください。ああ、足元にはお気を付けて」
しばらく足を進めると、機嫌の良さそうな少年の声が奥から響いてきた。ここは教会であると考えれば、礼拝堂か何かがあるのだろう。声がよく響いている。
トモリは一瞬、返事をしようか迷った。誘拐などの犯罪の被害者である可能性を考えたのだけれど、これは無いなとすぐに否定し声は無視することにした。
何故トモリが勇者であると知っている? 大きな物音は立てないようにしていたのに何故トモリが来たと気付いた? そもそも、何故このような場所に子供がいる? どうにも今日は不気味な子供とよく会う日だ。トモリは溜息を吐きたくなった。血の臭いを嗅ぎたくないので我慢したけれど。
暗い廊下をしばらく進んでいると、不意に明かりが見えた。ずっと何か言っている少年の声も近い。そこにいるのだろう。慎重に歩を進め、不意討ちを警戒しながら廊下を出ると――
――割れた窓と崩れ落ちた天井から差し込む青い月の光。それに照らされた新鮮な死体の山。山の頂上に腰掛け、トモリに微笑みを向ける少年。
異様な光景が、広がっていた。トモリの思い出したくない記憶を刺激する、嫌な光景だ。
「ようこそ勇者様、お待ちしていました。遣いはきちんと仕事を果たせたのですね。彼は待ちきれず先に逝ってしまったので、お礼を伝えることができないのが残念です」
「……何を、言ってるんです」
「人を追って来たのでしょう? ここで待っていますよ。探してみて」
ほら、そこにいるでしょう。少年が指さす先を見れば、そこには確かにトモリの追っていた男の顔があった。喉を掻き切り、青白くなった男の顔が。
「ずっと、勇者様を待っていたのです。儀式の準備は進めていたけれど、上手くいっているのか自信が無くて。やはり、旧き世界の絶望を喚び起こすのであれば同じ絶望を知る方を招くべきだとずっと思っていたのです。今日が私にできる最後の儀式の機会だと思い、もし勇者様をお招きできなければ粗悪な贄で儀式を行うしかないと思っていたのですが……ああ、良かった! 貴女がこうして来てくれた! ジュウゾ様の報せを信じて待っていて良かった!」
ずっと意味のわからないことを言っている。トモリは耳を塞ぎたくなった。こういう手合いは苦手だ。さっさと黙らせた方が良いと考えている。
そう考え、しかし動き出せないのは。あまりにも気味が悪いからか、聞き捨てならない名が聞こえたからか。
「……今、ジュウゾって言いました? それは、ジュウゾ・アンデッタというお爺さんのことで合ってます?」
「はい。貴女のよく知るあの御方ですよ。父の代からの友人なんです。色々と親身になってくれました。貴女がこの街に来ると報せをくれたのも彼です」
「はあ……なるほど。なるほどね」
一応は王国に管理されている身である以上、連れ出すにも申請などが必要になるだろう。キユが仕事に出る前トモリを連れて行くとあの陰湿な老人に伝えている可能性は充分にあった。あるいは、最初からキユに連れて行くよう指示を出していたか。
なるほど、この状況はあの老人の描いた絵図か。トモリは気分を悪くした。もうこれ以上悪くはできない程に。
「……そう怖い顔をしないで。私は貴女をずっと待っていました。この新世界を終わらせる資格を真に持っているのは、貴女方旧世界人だ。そう思って今日までずっと待っていたのです。そして、貴女の目を見て確信しました。私は間違っていなかった。待ち続けて良かったと」
「……気持ち悪い。本当に、ずっと何を言ってるんです?」
「だって! だってね、貴女は、貴女はずっと――」
トモリの拒絶も疑問も聞かず、少年は唾を飛ばしながら話し続ける。目はトモリを見ているようで何処も見ていない。血走り、爛々と月明かりを反射している。
彼はもう狂っているのだ。どうしようもなく、狂ってしまっている。トモリはそう確信した。だから、もう殺してしまおうと剣を抜こうとして――
「――だってッ! 貴女はずっと、世界を憎んで、絶望した目をしている。一目でわかりましたよ。貴女は……貴女も、終末だ。僕が喚び起こす御方と同じ、終末なんだ」
少年の言葉に、思考が凍り付いた。
終末。終末、わたしが? そんなはずはない。だってわたしは、終末を。わたしは。
一度凍り付いた思考は、そう簡単には上手く回らない。何に衝撃を受けたのか、今何を否定したいのか。それすらもわからないまま、ただずきずきと頭が痛み、吐き気に苛まれる。
「なにを……何を、言ってるんです」
「ああ、ああ! トモリノドカさん、貴女の絶望を知りたかった。僕の絶望を知ってほしかった。でも、貴女には僕の理解も僕への理解も必要ありませんよね。ああ、楽しみだ、楽しみだなあ! 僕はもう、ここで終わるけれど。貴女方がこの世界を終わらせてくれる。天の国というものが本当にあるのなら、僕はそこから見ていますね!」
少年はただ意味のわからないことを話すだけ。トモリの言葉は何も聞こえていない様子だった。だというのに、トモリには少年が先程放った言葉が棘のように刺さって抜けないでいる。
頭が回らない。身体が上手く動かない。こいつはさっさと黙らせた方が良い。そう思っているのに、何もできずに立ち尽くしている。
そうして、トモリが何もできずにいる間に。
「――――それでは。我らが終末、月のお姫様。どうか、良い終末を」
そう言い遺し、少年は。リュレの領主であった少年は、己の首に笑顔で短剣を突き刺し自害した。毒でも仕込んでいたのだろう、苦しむ様子も無く安らかに。
「ぁ、……えっ。あ、なん、なに」
意味がわからない。トモリは困惑に支配され立ち尽くしている。けれどそれも、そう長くは続かなかった。
「――トモリさん」
聞き覚えのある声が、背中に掛けられた。その声は、疑念に満ちている。振り返れば、そこにはやはりキユとイザナが立っていた。
「トモリさん。この状況はなんですか。説明してもらえますか?」
警戒している声でキユが言う。いつもの刺々しい言葉で隠せせていない優しい声じゃない、どこか他人事のようにトモリは思った。けれどすぐに、思考は焦りに支配されて回り出す。
「ぁ、いや……違う、違います。これは、わたしじゃなくて。意味が、わからなくて。わたし、わたし、なにも」
「……落ち着いてください。落ち着いて、ゆっくりと話して。全部聞きますから」
「あっ……はい、はい。えっと……わたし、宿が燃えてて、怪しい人がいて、追い掛けて」
穏やかな声で落ち着くよう促され、トモリは少しだけ平静を取り戻した。思考が正常に回り始め、焦りが消えたことで気付く。キユはトモリを疑っているだけで、敵意を抱いてはいない。警戒こそしているけれど、今向けられている感情の大半は心配だ。イザナもまた、キユのように心配はしていないがトモリに対して悪意を抱いているわけではない。
この人達なら話せばわかってくれる。そう思いトモリは説明を続けてゆく。少年の言葉は全て狂人の妄言だったのだ。少しずつ、心が落ち着いてゆく。
大丈夫だ。もう忘れられる。思い出してはいけないことを忘れられる。そう、無意識に考えた瞬間に。
「――――こんばんは。お久し振りですね、ナインさん?」
背後からの女の声に、再び思考が凍り付いた。先よりもずっと強く、冷たく。
それは、どこか懐かしい響きをもった声だった。それは、二度と聞く事が無いはずの声だった。それは、二度と聞きたくない声だった。
何も思い出せない。だというのに、どうしようもない不快感と恐怖がトモリを苛む。頭がずきずきと痛い。吐いてしまいそうだ。
「ぁ、あ。あぁ、ぁ……」
言葉にならない悲鳴のような呻き声がトモリの喉から漏れるのと同時に、キユとイザナがそれぞれの得物へ手を伸ばした。そうして。
「あら、邪魔が二匹――おいで。ご飯の時間ですよ」
ぱんぱん、トモリの背後で軽く手を合わせる音と共に冷たい女の声が響く。そこからの出来事は、あっという間だった。
まず、イザナの首から上が消えた。断面から噴き出る血飛沫で死んだのだとトモリが理解する前に透明な腕に持ち上げられたように浮き上がり、ばぎんっという不快な音と共に姿を完全に消してしまった。
イザナの死に気付いたキユがトモリに向かって何かを言う前に、彼女の胸に大きな穴ができた。ごふっという声と共に口から血が溢れ出す。
それでもキユは、何かをトモリに伝えようとして――腕、脚、頭の順に不快な音と共に消えてゆき。最期はイザナと同じように完全に姿を消してしまった。床に落ちた血すらも、何かが這いずる音と共に消えてしまう。
キユが死んだことで、ようやくトモリは理解した。喰われたのだ。姿の見えない何かが、キユとイザナを喰い殺した。
「ぁ……え? なんで、どうして」
どうして。どうしてこうなったの。残されたトモリはわけがわからないまま呟いた。
どうして二人は死んだの。どうしてわたしはまだ生きてるの。どうして。どうして。問いは増えるばかりで、答えは返らない。
「邪魔だったので、消えてもらいました。しかし、お粗末な儀式で喚び起こされたわりに身体の調子が良いですね。嬉しいことですけれど……いえ、なるほど。ここに貴女がいるからですね。少しだけ貴女を感じる。贄の質だけは充分以上だったから、というわけですか」
立ち尽くしたままのトモリの背後から、機嫌の良さそうな女の声がした。トモリは耳を塞ぎたくなったけれど、できなかった。女の声を耳にしてから、ずっと身体が震えているのだ。思うように動かない。
「それにしても、驚きました。捧げられた子達の知識をアテにすれば、今はあれから二千年は経っているはずでしょう。まさか貴女にまた会えるだなんて……いえ。なるほど、なるほど」
上機嫌だった女の声が、不機嫌そうに低く変わった。それから、こつこつと足音が響いて。
「――こんばんは。私の顔に、見覚えはありますか?」
憎悪と絶望を渦巻かせた橙の瞳が、トモリを見詰めていた。
それは、女と呼ぶにはまだ幼い少女だった。声の印象こそ大人びて聞こえるけれど、背丈はトモリよりも低く顔立ちもあどけない。修道服も、まだ服に着られているという印象だ。
異様に煌めく橙の瞳と――頭の上にある、花冠を思わせる光の輪さえ無ければ。きっと、ただの少女にしか見えなかった。
「忘れてしまったのですね。なるほど、勇者とはそういうものなのですか。なるほど、なるほど」
なるほど。そう言葉にする度に、少女の声は重さを増していくようだった。怒っている。トモリは直感的に理解した。この少女は、トモリが何も憶えていないことに怒っている。それがトモリに対してなのか、トモリに記憶を失くさせた何かに対してなのかはわからないけれど。
ただ、どうしようもない怒りを抱き、今トモリへぶつけようとしている。それだけは、わかってしまった。
「ねぇ、ナインさん。私、貴女をずっと待っていたんですよ。私と同じところに来てくれる日を、私と同じ絶望と怒りを知り、折れてくれるその時を。ずっと待っていたんですよ。少なくとも、終末となった私は。貴女にも堕ちてほしくてずっとずっと待っていたんです。それなのに、酷いですよね。忘れてしまうなんて。忘れさせた誰かも赦せませんけれど――忘れた貴女は、もっと赦せない」
トモリの目を見詰めて、少女は言う。視線を逸らすことは、耳を塞ぐことは許さない。言葉を返すことすらも。怒りに燃える橙色の瞳がそう訴えている。
トモリは何も言えず、何もできない。震えることすら許さない冷たい恐怖が、トモリの身体を縛り付けている。
「目を見ればわかります。貴女は絶望しても、折れずに戦ったのでしょう。そうして最後に、耐え切れなくなったのでしょう。けれど、貴女がその絶望と怒りを世界にぶつける前に、私達の世界は終わってしまったのでしょうね。だから、貴女は己の呪いに無自覚で燻ぶらせているのでしょうね。その呪いは誰が切っ掛けだったのでしょう、妬いてしまいますね」
「なに、を……さっきから」
「ふふ、なんでしょうね。でも今は教えてあげません。私が貴女をナインさんと呼ぶ理由も忘れてしまったのですものね。思い出したらたくさんお話しましょうね」
「わからないです……本当に、なにっ」
「――いいですよ、今はわからなくても。後で全てわからせてあげますから」
ずぶり。何かが肉を突き破る音がした。それはトモリの胸からした音だ。ごぼ、と口から何かが溢れる。赤黒いそれは、確かにトモリの血だった。
「えっ、……ぁ?」
「少し、眠っていてくださいね。目が覚めたらこれまでとこれからのお話をしましょう。全て思い出しましょうね。それからどうやって全てを終わらせるのか、楽しく考えましょう」
おやすみなさい。声と同時に、トモリの胸から何かが引き抜かれる。
それは、紅く濡れた少女の右手だった。その手には、脈打つ何かが握られていた。
ああ、あれは、心臓だ。わたしの、心臓だ。理解すると同時に、それは、少女の口の中へと消えてゆく。
一口ずつ噛み千切り、喉を鳴らして飲み込んで。紅く濡れた口元を指で拭う少女に、ごちそうさまと微笑まれて。
トモリノドカは、そうして死んだ。
「だから、話を聞いてくださいって言ったのに」
誰もいなくなった教会に、子供の声が響いた。死体の山や血溜まりに怯えることもなく、声の主は中央へと足を進めてゆく。
「こうなるって教えてたら、あなたはあたいの話を聞いてくれたのかな。もっと上手に嘘を吐けば良かったかな、あなたが喜んでくれる何かを知っていれば良かったのかな。あたいはどうすれば、あなたに信じてもらえたのかな」
どれだけ問いを投げ掛けても、死体は返事を返さない。胸に穴を空けた死体、トモリノドカであったそれはすっかり冷たくなっていた。開いたままの瞳は、もう何も映さない。
ひぐっ。廃教会に子供の嗚咽が響いた。泣いてはいけない。そう思っているのに、何度見ても涙が出てしまう。大切な人の死だけは、どうしても慣れる事ができない。
この世界は、もう終わる。儀式で喚び出された終末はすでにリュレとその近辺の山や村の命を喰らい尽くし王都へと歩みを進めている。明日を迎える前に王国は化物の楽園となり、それは三日と経たぬ内に世界の全てを呑むだろう。
けれど、それはハクには関係の無い事だ。大切な人のいなくなったこの世界に価値は無い。この世界が終わるのに三日も必要無い。そんなに長い時を待つことはできない。
「……大丈夫。やり直せるっす。やり直せますよ。あたいが、私がまたやり直します。大丈夫ですよ。次は、きっと上手くいきますから。頑張りますから」
冷たくなったそれをぎゅっと抱き締めて。子供は、――ハクは。祈りを、呪いを言葉に乗せる。この世界を、否定する。
「――――終末を、ここに。おやすみなさい、ご主人様」