トモリとココネの約束
面倒な老人との話し合いを終え、トモリはまず旧市街へ繋がっている十二番街へ向かう事にした。
寝床の一つである橋の下から下水道へ入り、王都の地下を進んでゆくと尾や翼の生えた者が物陰からトモリを睨んでいる姿を見掛けるけれど、こちらから近付かなければ彼らは何もしてこないので問題は無い。
トモリとしては挨拶くらいは交わしたいところではあるのだけれど、下手に刺激してはいけないということくらいは弁えている。
魔族と呼ばれる存在は、人間同士からでも生まれるらしい。トモリがそれを知ったのはこの新世界で目覚めて一月が過ぎた頃、トモリは今より多くの事を忘れていて、少なくとも同胞である勇者からは嫌われていなかった頃の事だった。
山に巣食うサル――と呼ぶには腕と頭の数が多かったけれど、この新世界ではそう呼ぶらしい――退治の際に立ち寄った小さな村で、もうすぐ娘が生まれるのだという女と話し仲良くなった。
仕事を終えて、次に村に立ち寄った時にはもう生まれているかもしれない。娘の為にも化物を倒してくれと、女から冗談交じりに言われた事をトモリは覚えている。
その仕事では、トモリよりも幼い勇者が二人も死んでしまったけれど。二人の遺体は弔う事すらできなかったけれど。それでもどうにかサルと呼ばれる獣を討ち、巣には毒を撒き最後に火を放って根絶やす事に成功した。
それから、長であろう大ザルの首の一つを荷台に乗せ、報告と補給の為に村に立ち寄った――その時の、事だった。
最初に見えたのは、火に炙られる三本の柱のようなものだった。よく見ればそれらは黒い何かを貫いていて、バーベキューみたいだと勇者の誰かが口にしたのを覚えている。
楽天的な誰かが「化物退治のお礼かも」と笑った。何かを察した誰かが「見るな」と小さな声で言い、くそ、と舌打ちをした。近付くにつれ妙に懐かしい嫌な臭いが鼻を突き、嫌な予感が確信に変わってゆくのと共に口の中に唾液が増えてゆき――
――二人の若い男女と、赤子が串刺しにされ火で炙られている。それを理解した瞬間、その場にいた四人の勇者の内三人がほとんど同時に嘔吐した。トモリも三人の内の一人であった。
あの二人は死んでてよかったのかもな、あんなの見ない方がいいだろ。おれも死んでればよかった。楽天的だった勇者は、そう言った日の朝に首を吊って死んでいた。最初に見付けたのはトモリだった。
何が新世界だ、くそったれなままじゃないか。そう言った二人の勇者は何人かの騎士と同胞を殺し脱走したらしい。今のところ、トモリが殺した勇者の中にあの二人はいない。
尾に翼、毛に包まれた耳に角。人間には無い何かを持って生まれた子供は、いずれ人を喰らい魔族となる。赤子の内に殺すかひとでなしの畜生として躾けなければならない。我が子を殺す事も畜生とする事も認められない親は、魔族に与する人類の敵として殺さねばならない。王都の中ですら火炙りの光景を目にする事がある。そう多くないからか、民には娯楽のように思われているようだけれど。
王国に限らず、新世界の人間はそうして魔族への憎しみの炎を燃やし続けてきたのだ。今のトモリはそれを知っている。理解はできても、納得と賛同はできないしするつもりもないけれど。
「……だから、君達とも話してみたいんですけどね。わたしにはまだ、どっちが本当に人間なのかわからないんです」
トモリがそう言葉にしてみても、下水道の住民は誰も答えてはくれない。届く事も無いのだろう。
王都の下水道は旧世界の遺跡を拡張する形で築かれたようで、新世界人には迷路のように感じられても旧世界人のトモリにはわかりやすい構造をしている。覚えていないけれど、旧世界ではこういった地下を探検した事もあったのかもしれない。
十二番街の下水道から、十八番街の防壁を越えた少し先、外の見える大穴へ。元はマンホールだったのだろう大穴には縄梯子が掛けられている。それを伝って上がれば、旧市街に到着だ。
かつて十九番街と呼ばれていたらしいこの地区は、二十年程前に王都の十八番街までを囲む壁が完成してから放棄されてしまったらしい。それからは市民権を剥奪、あるいは取得を拒否され王都に入れない者が住み着き貧民街などと呼ばれるようになってしまったらしい。
「おやっ……あんた、また来たんかい」
トモリが大穴から顔を出すと、嗄れた男性の声が背後から聞こえた。大穴の出入りを監視している者の一人だ。トモリも何度か会った事がある。
「こんにちは。ココネさんに用があって来たんですけど、今日は街にいますか?」
「どうかね……ここ最近物騒だし、旧市街の外には出てないと思うが。いつも通り、ガキと遊んでんじゃないかね」
「ありがとうございます。あ、これ鶏の干し肉です。この前ちょっと遠くまで行ったんですけど、けっこう余ったので」
「へへっ……ありがとよ。まぁ、気を付けるこった」
老人は機嫌良さそうに干し肉を受け取り、懐にさっとしまった。これで騎士か何かに尾行されていたとしても多少は庇ってくれるだろう。
面倒事を起こさない為にも、こういった遣り取りは大切だ。この旧市街では貨幣よりも飲食物や娯楽品の方が
その他、立ち寄ってはいけない区域やその理由についても教わったおかげでトモリは旧市街で問題を起こさずにいられている。キユもそうだけれど、トモリに何かを教えてくれる人は貴重だ。大切にしなければ。
子供達と入れ違いになる方がいいだろうと考え、トモリはゆっくりと旧市街を歩くことにした。
旧市街の住民の家は大半が木造の小屋だけれど、一部に石と鉄で造られた旧世界の遺跡も利用されている。電気や水道、ガスといった旧世界の設備は使えないが雨風を凌ぐには充分なのだろう、補修や改築をして暮らしている者、そうして築かれた家を奪って暮らす者を旧市街ではよく見る。
ココネが暮らす教会も、ココネが先住者から引き継いだ後を狙う者は多かったらしい。少なくとも、今はあまり狙われてはいなさそうにトモリには見えるけれど。
家路へ付く子供達と擦れ違いながらトモリは目的地へと足を進め、教会の前に辿り着いた。扉は閉まっている。もう子供は全員帰ったのだろう。
「ええっと……お酒、ある。干し肉とチーズ、ある。うん、ちゃんと揃ってる」
鞄の中身を確認してよしと一息。割られたり盗まれたりしては困ると騎士や同胞との接触を避けていた甲斐はあったと言えるだろう。
こんこん、こん。軽く三度、扉を叩いた。一分程待って返事が無ければ土産を置いて王都に戻ろう。そう考えながら返事を待つ。
三十秒程経ったところではあい、と聞き慣れた柔らかな声がトモリに届いた。少しして、ぱたぱたと書けると音が扉の向こう側から聞こえる。
ぎぎぎ、と軋んだ音を立てて扉が開く。扉の向こうには、柔らかな笑みを浮かべる栗色の髪の女が立っていた。
「やあやあ、お待ちしておりましたよ勇者様。ん、こういう時はおかえりなさいって言った方が良いですかね?」
「――はい、ただいまです」
この新世界で、トモリにとっての初めての友人。旧世界人のトモリノドカにとって、己を笑顔で出迎えてくれる新世界で唯一の居場所。
だからこそ、ここにずっといてはいけない。ココネに会う度にトモリは考える。
「……それで、わたしはずっと逃げて隠れてただけなんですけど。キユさんとイザナさん……えっと、前に話した傭兵さんです。二人がすごく頑張って、終末は退散したらしくて」
辿々しくリュレで何があったかを話すトモリに、ココネは酒とつまみを喉に流し込みながらにこやかに頷きを返す。トモリがココネを訪ねてやって来た時の決まった流れだ。今日は気持ちゆっくりなようではあるけれど。
「翼の生えたトカゲにカエル……ううん、竜の子供ですかねえ。いやあ、傭兵さんがすごいのもそうですけど、トモリさんよく生き残れましたねえ」
「あはは……領主様の館の近くは、あんまりカエルとかいなかったので。ただ、その後いろいろあって生き埋めになっちゃって。キユさん達に見付けてもらえなかったら戻ってこれなかったかも」
「傭兵さんに感謝ですね! おかげでおかえりなさいを言えました」
「……はい。おかげでただいまって言えました」
トモリはココネと話す時間が好きだ。嘘を吐くのは少しだけ胸が痛むけれど、気弱で何の役にも立たないトモリノドカを許してくれるのは心地好い。
武勇伝どころか失敗の話しかないというのに、楽しそうに聞いてくれる。生きて帰ってこいと励ましの言葉をくれる。トモリはココネを己には勿体無い友人だと思っている。
新世界人と名乗る彼らは皆悪なのだと憎まずにいられたのは、きっとココネがいたからだ。旧市街で泣いていたトモリに手を差し伸べてくれたからだ。この感謝の念だけは今のトモリが抱く本物の感情だと、自信を持って言える。
いつか、全てを思い出した時。この世界の全てが憎く思えても、友人だけは別だと思いたい。全て殺さなければならないとしても、せめて寿命で死なせてやりたい。救いたいとは思えないのは、やはりどこかで旧世界と新世界を分けて考えてしまっているせいなのかもしれない。
息を吐き、トモリは思考を切り替えるよう意識した。今考えるべきでないことを考えるのはやめよう。それよりも、今日ココネに会いに来た目的を果たさねば。伝えなければいけない事がある。
意を決してトモリが口を開くと同時にココネが口を開くのが見えた。そうして、――
「あのね、トモリさん」
「あの、ココネさん」
言葉が、重なる。ほとんど同時に発した言葉はお互いの言葉を止め、気不味い沈黙が流れる。お互いに続きを促しあった末、ココネが気不味そうなままに口を開いた。
「……えっとですね。その、トモリさんって、憤怒のラスって知ってますか? それか、魔王の怒りって知らないですかね」
それは、トモリにとって意外な問いだった。ココネがそう問うた事も意外であったけれど、何よりトモリから掛けようとしていた問いと重なっている事に驚いた。
「最近知りました。その、魔族の中でも特に強い人達だって」
「じゃあ、これも知ってるかな。その憤怒のラスを倒そうって話が、今王都であるらしくって」
「……はい、知ってます。あの、わたしもそれでお話したい事があって」
憤怒のラス。そう呼ばれる魔族を王都に召喚し、騎士団と勇者で討伐する。そういった作戦が近々行われるという話はトモリもキユから聞いていた。
何故わざわざ王都で召喚して戦うのか、勝算はあるのかなど納得というより理解のできない点は多いけれど。トモリが何を思おうと、作戦は決行されるのだろう。
そして、成否に関係無く多くが死ぬ。きっと、旧市街も巻き込まれる……いや、恐らく召喚はこの旧市街で行われる。どの区画かまではわからないけれど、ここも無事では済まないだろう。
「こっちじゃ信じてる人のが少ないんですけどね。どうせお城の連中が税金上げたさにそれっぽいこと言ってるか、お薬大好きな王様の寝言に乗っかった馬鹿がいるかだろって」
王は薬に、王妃は男と酒に溺れている。王子達は親に似て意志の弱い役立たず。そうでなかった第四王子は三人の兄と二人の姉を毒殺した後己も毒を飲んだという。
王都の、そしてこのナルカサテラ王国の政治を回しているのは王に薬を覚えさせた貴族達だとはトモリも聞いた事がある。王城に入った事も無ければ王族と謁見した事も無いので、真相はわからないけれど。
「見捨てられた旧市街ですけど、手配犯が逃げ込んだりもするから時々騎士様か勇者様が巡回に来るんです。だいたいは横暴で怖い人なんですけど、親切で優しい人もたまにいてね。その人が子供に言ったみたいなんですよ」
もうすぐこの街で大変な戦いが起こる。だから、ここを出て何処か遠くへ逃げなさい。ある日旧市街へ巡回にやってきた勇者は、ココネの授業を終えて帰る子供にそう声を掛けたのだという。
「月に一回くらい来るお姉さんらしいんですけどね、なんか妙に子供達に懐かれてて。あの姉ちゃんが言うなら本当だなんて子供が騒いでたら大人も信じ始めまして。と言っても、なんだかんだと騎士と勇者がどうにかするんだろうって人が大半なんですけど」
ただ、その勇者の言葉通りに旧市街を出ようとする者もいるのだとココネは言う。元々旧市街にいても心が荒んで腐り続けるだけで、いつかここを出て何処か遠くでやり直すべきなのだと。そう考える者も多いのだと。
「……それで、ここからが本題なんですけど」
言って、ココネは深く息を吸った。何を言うのだろうと緊張するトモリに、それ以上に緊張した面持ちで口を開く。
「トモリさん――逃げませんか。こういう話も聞いてます、この作戦は勇者を生贄と捨て駒に使うものなんでしょ。王国なんか捨てて、あたしと遠くへ行きませんか?」
それは、トモリにとって予想外の言葉だった。予想外であり、何処か懐かしい言葉でもあった。
『――――ね、お姉ちゃん。逃げちゃおうよ。お姉ちゃんの代わりなんていくらでもいるんでしょ。だったら、その代わりとやらに任せてわたしと逃げよう』
いつか、遠く昔に。トモリに逃げようと言った少女がいた。トモリは首を横に振り、少女はそうだよねと諦めたように笑っていた。頷くべきだったと、トモリはずっと後悔している。少女の顔も名前も憶えていなかったのに、この後悔だけは目覚めた時からずっと憶えていた。
それでも、トモリは首を横に振るのだ。一度逃げることを拒んだのなら、その先も逃げるわけにはいかない。なにより、探し物はまだ見付かっていない。再び使命を投げ出せば、今度こそ生きている意味も価値も無くなってしまう。
「……二つ。探しているものが、あるんです」
ぽつり。トモリが言葉を漏らす。ココネはどこか諦めたように微笑んで、黙したままトモリに続きを促した。
「一つは、絶対に王国に――王都にあるってわかるんです。まだ見付けられていない。だけど、無くなるわけがない。上書きできるわけがないんです」
「それは、どういうものなんですか?」
「すごく大きくて、なんていうかな、気配みたいなのはずっと感じているんです。なのに見付けられないのは、王国の人が結界か何かで隠している。それを見付けないと」
見付けて、その先は言葉にできないけれど。トモリはそれを絶対に見付けなければならない。この新世界で目覚めた意味なのだと考えている。
一つ、確実に見付け目的を達成できる手があるけれど。できればその手は取りたくない。これは、ココネにも言えないことだけれど。
「もう一つは……人です。これは王国にいるかわからないし、生きてるかも、まだ眠っているのかもわからないです。でも、わたしはその人を探し続けないといけないんです。見付からないのなら永遠に」
見付からないことを祈っている。けれど、もし見付かったのなら一度話をしたいとも思っている。その果てに待っているのはどちらか、あるいは両方の死だけれど。
「……探し物が見付かったら、わたしは勇者じゃなくなると思います。多分手配犯になってます。すごく悪い事をしようとしてるんです。だから、わたしはココネさんと一緒には逃げられません」
トモリがここまで話したのは、ココネが初めてだ。もしかすればココネが王都の騎士や他の勇者に伝え面倒な事になるかもしれないけれど、それでも伝えておきたかった。
ラスの討伐にはトモリも参加させられるだろう。魔王の怒りと呼ばれる魔族がどれだけの力を持っているかトモリは知らない。知らないのだから、敗れる未来もあるだろう。
そうでなくとも、ココネが旧市街から離れれば二度と会えないかもしれない。できる限り、友人として誠実でありたかった。
「……トモリさん。実はね、あたしにも秘密があります。まだトモリさんにも言えないけども、けっこうたくさんの秘密があるんですよ」
まだ酒の残っている杯を机に置き、ココネはゆっくりと話を始めた。トモリは姿勢を正し、ココネの言葉を待つ。
「実はね、あたしも目的があって王都に来てるんです。あたしの目的にはトモリさんが必要で、多分二つ目の探し物は手伝える。あなたが王国から一生追い掛けられるような罪を犯しても、あたしは気にしません。あたしの仲間は……説得します」
「ごめんなさい。わたしは――」
「――でもっ! トモリさんにも事情があるのはわかります。そりゃあ、うん千年って昔の世界で戦ってた人だもん、秘密も事情もありますよ。いつか話してくれたら嬉しいけど、言えないこともあるってわかります」
だからね。言葉を続けて、トモリの謝罪を遮って。ココネは笑顔を浮かべ、右手を前へ差し出した。固く握り、小指だけを伸ばしている。その形にトモリは見覚えがあった。
「これ、指切り……」
「はい、そうです! 旧世界の人は約束する時これをやるんでしょ?」
「やります、けど」
「じゃあ、やりましょう。約束の内容は……そうですねえ、あたしは何があっても何処に行ってもトモリさんを待ち続ける。トモリさんは探し物が終わったらあたしを見付けて一緒に旅をする。これでどうでしょう?」
「……秘密を全部言えとかじゃ、ないんですか?」
「そういうのは、言いたいから言うってなるのを待つのが良いんですよ。友情とか信頼ってそういうもんでしょ?」
「……それは、そうかもですね」
トモリは右手の小指をココネの小指と絡めた。指切りをした記憶は今のトモリには無い。少なくとも、この新世界では初めてだ。
「嘘吐いたら……みたいなのは無しにしましょう。あたしが破った時怖いんで」
「あはは……わたしにだけでも、いいですよ」
「そういう不平等なのは約束って呼ばないんです。それで、これは約束してくれるってことでいいんですよね?」
「…………はい。守れるかは、わからないですけど」
「嘘でもはいって言って安心させるんですよ、こういうのは。誠実でありたいって考え自体は嫌いじゃないですけどね」
小指が解かれ離れてゆく。ココネは少しの間右の小指を見詰め、くすりと笑いトモリの頭に手を伸ばした。トモリは一瞬肩を震わせたけれど、ココネの手を受け入れる。
手慣れているようでぎこちない。自分ではない何かを見ているような目をして、ココネは何か言おうと口を開いては呑み込むように口を結び直す。
「トモリさんはもっと髪のお手入れした方が良いですね。勇者じゃなくなったら、あたしがお手入れ教えてあげます」
「あはは、わたしも言われちゃった……。撫で甲斐無いですか?」
「無いってことはないんですけど。ただ、やっぱり心配になりますよ。ご飯ちゃんと食べれてるのかなとか、お風呂入れてるのかなとか」
「……勇者は、あんまり食べなくても大丈夫なんです。お風呂は綺麗な川とか湖を見付けてなんとか」
嘘は吐いていない。少なくともトモリは損傷さえ無ければ飲まず食わずで七日間戦闘行動ができ、戦闘が無ければ十五日は行動できる。多少差はあれど同じ時代の旧世界人は似たようなものだろう。
「……ココネさん。他に言いたいことはないですか? 普段わたしの話を聞いてもらってばかりだけど、したい話とか言いたいことはないですか?」
「いや、別に……あたしは、聞くのが楽しいっていうか」
「もう、会えないかもしれません。約束、破りたくありませんけど。破っちゃうかもしれませんから。聞かせてください」
少し意地の悪い言い方をしてしまった。そう後悔しながらトモリがココネの顔を見ると、少し瞳が潤んでいるように見えた。珍しい。酔っていないココネが泣いてしまいそうな顔を見せるのは初めてだ。泣いている姿は、酔っている時ですら見た事が無いけれど。
ココネは何度か口を開いては閉じ、何か言おうとしては言葉を呑み込むように喉を鳴らす。言葉にしてはいけないものなのか、言葉にしたくないものなのか。
我儘で無理をさせてしまった。そう考えトモリが謝罪しようと口を開いた瞬間に、ココネはトモリの名を呼んだ。はいと返すとまた俯いてしまったけれど、言葉を探す為の沈黙と考えトモリはココネの言葉を待つ。
「……あの、トモリさん。トモリさんは、嘘吐きは嫌いですか? あたしが嘘吐きになったら、あたしを嫌いになりますか?」
何度か呑み込んだ末にココネの口から出た言葉は、弱々しい響きをもったものだった。ココネは酒の飲み過ぎでよくわからないことを口走ったりトモリと誰かを間違えたりする事はあるけれど、弱音はこれまでに聞いた事が無い。
本当に頭を撫でてほしいのは、この人の方なんじゃないのかな。トモリは一瞬だけ迷い、結局手を伸ばさなかった。ココネが誰かに頭を撫でてほしいと望んでいたとして、それはトモリの手ではないだろう。
相手を悲しませたくない時、こういった問いにどう答えるのが正解なのか。トモリにはわからない。わからないのなら、できる限り誠実であろうとするしかない。この考え方は、きっと旧世界の頃からそうだったのだろう。トモリは己のこれを、数少ない長所であると信じている。
「嘘も使い方次第だと思っています。怒るかどうかは内容次第ですけど……上手に騙してくれるなら、わたしも最後まで騙されますよ」
「……そっか。そっかあ。じゃあ、トモリさんを騙す時は気合い入れないとですねえ」
「はい、気合を入れて騙してください」
わたしもそうしますから。最後の言葉は、思うだけ。
すでにココネには嘘を吐いている。これからも吐き続け、そう遠くない内に見破られるだろう。トモリは己が役者でないことを自覚している。
約束を破るのは、きっとトモリだ。けれど、約束を取り消すのならそれはココネからだろう。トモリに約束を交わす価値など無いと、いつか気が付くはずだから。
けれど、それまでは。それまでの間だけ。
「改めて、約束します。王国でやらなきゃいけない事を終わらせたら、ココネさんを迎えに行きます。ここにいなければ探します。それで、一緒に旅をしましょう。ココネさんの行きたいところに行きましょう」
「――はい、約束です。あたし、トモリさんは守ってくれるって信じてますからね」
きっと、嘘吐きと罵られる事になってしまうけれど。あるいは、約束などするべきではなかったと後悔させてしまうかもしれないけれど。
それまでは、