憤怒のラスと呼ばれる魔族は、百と三十年前までは最も人間に恐れられる魔族だったと言えるだろう。
羽搏き一つで竜巻を起こし要塞すら吹き飛ばし、炎を吐けば千を超える軍勢が瞬きの間に灰すら残さず消えている。赤と黒の鱗に雷を鎧の如く纏い、目に付く全てを灰に帰す。残忍で狡猾、暴虐の限りを尽くす竜の王。それは終末よりも余程身近な絶望であったろうとジュウゾは考える。
けれど、一人の人間とある契約を交わしてから。その竜は姿を見せる事が減ってゆく。五十年前からは完全に姿を消し、もう一つも記録に残っていない。切っ掛けとなった契約者の名は誰にも伝わっていないというのに、契約の内容だけは世界中に知られている。
英雄の試練。竜殺しの英雄となる事を望む者の挑戦、召喚には必ず応じなければならない。憤怒のラスは、ある時人間とそう契約を結んだ。そうして試練となり、多くの英雄を夢見る者を屠ってきた。そのついでとばかりに、幾つもの国を焼き滅ぼしてきたのだろう。
召喚の儀に必要な贄が時の流れと共に数を増やし内容も残酷になっていったのは、この契約による犠牲者を増やさない為だろうとジュウゾは考えている。契約の解消は契約者本人かその子孫にしか行えない。生きているか、何処にいるかもわからぬ契約者を探すより、契約の条件を書き換える方がまだ現実的だ。それも一流の術師でもなければ試す事すらできない命懸けの行為ではあるけれど。
ジュウゾ・アンデッタは陰湿さの滲み出る穏やかな笑みの仮面で興奮を押し隠し、かつては講堂と呼ばれた遺跡の中で召喚の儀を見守っていた。杖を握る手は興奮で力み、ぎりぎりと杖に悲鳴を上げさせている。
冤罪で作り上げた五人の魔女の焼死体に六匹の魔族から抉り出したばかりの新鮮な心臓を捧げ、魔女の子の指から作った筆に、血と胃液を絵の具に陣を描き……幾つもの悍ましい手順をなぞり、ようやく儀式の終わりが見えてきた。脂汗を浮かべた呪術師がジュウゾに視線を寄越す。あとは三日後、贄の血がよく馴染んだ陣に魔力を流し術式を起動させるだけだ。
トカゲの一匹を呼び出す程度で、随分と手間を掛けさせてくれる。心の中で悪態を吐きながらジュウゾが呪術師に労いの言葉を掛けようとしたその瞬間に――
「――おいおい。永く喚ばれてねェなと思っていたら、随分と禍々しい儀式になっちまってるじゃねェか。オレァ邪神かなんかだと思われてんのか?」
若い男の声がした。それと同時に、呪術師の頭がぼっと音を上げ青白い炎に包まれる。彼は悲鳴を上げながら全身を炎に包まれてゆき、突然ふっと姿を消した。
呪術師の立っていた場所には、入れ替わるようにして一人の男が立っている。見覚えの無い若い男が、にっかりと笑っている。
それは、この場に相応しくない異質な存在だった。二
「どちら様かな。客を招いた覚えは無いのだけれどね」
穏やかな声でジュウゾが
儀式に邪魔が入る可能性は想定していた。ラスを信奉する魔族や一部の狂人共、逃げ出した勇者など王国に恨みを持つ者達。だがそれらに備え、この場には腕の立つ者を揃えている。闖入者は想定していた。始末するに充分な戦力もある。だというのに報せが一つも無かったのは不自然だ。
何か見つければ報告が入るよう目の良い者に見張らせてもいた。転移や転送の魔術を使った? いや、だとしても気付くはずだ。法国の犬共を警戒する為、目だけでなく魔力の流れに敏感な者を見張りに選んだのだから。
顔立ちを見るに、少なくとも王国の人間ではない。他国の刺客か、改造人間などと呼ばれていた旧世界人か。あるいは――魔族か。ジュウゾは杖を握る右手に力を込めた。
確信した。この男は人に化けた魔族だ。幾匹もの魔族を斬る中で研ぎ澄まされていった直感がそう告げている。
「嘘はいけねェなァ。呼ぶつもりでこんな落書きをしてたんだろ? ちィと早かったようだが、こうして来てやったぜ」
「何の話をしているのかな? 僕達が用があるのは君のような似合わない格好をした珍妙な魔族ではないんだけどね」
「似合わねェか……? うちの配下共が絶対これだって押し付けてきたんだが。いや、マジで似合わねェか?」
「ああ、ごめんごめん。僕が言いたいのはそういう似合う似合わないの話じゃないんだ」
くつくつ。意地悪く笑い、ジュウゾが杖を地に叩きつける。甲高く響く音と共に、制服に身を包んだ騎士達が一斉に走り出した。
「ヒトデナシの魔族が、文明の証である服を着るなと言っているんだよ。君達は裸できぃきぃ喚いているのがお似合いだ」
首を刎ねようと、目を抉ろうと、心臓を貫こうと、腹を裂こうと。幾つもの刃が魔族の男に迫る。その内の一つが、男の首筋に触れ、
――ばきんっ。赤く染まった剣が、首に触れると同時に音を立て折れた。驚愕する騎士の顔を、男の大きな手が掴む。
ばぎん、ごぎん。じゅうじゅう。骨が砕け肉の焼ける音が響く。顔を掴まれた騎士は悲鳴を上げる事もできず首から上を灰とされ、ぽいと投げ捨てられた。仲間が一人何もできずに殺された。このまま仕掛けるのは危険ではないか、騎士達の動きが一瞬鈍る。
臆したのは一瞬だ。けれど、一瞬でも戦の最中に臆してしまったのなら。恐怖に呑まれてしまったのならば。それはもう、戦士ではない。金の瞳が、怒りを焚べられ煌めいた。
だんっ、男が地を蹴り叩く。それだけで砂煙が上がり周囲には亀裂が走り、遺跡が今にも崩れ落ちそうな悲鳴を上げた。砂煙の中に揺らめく金色の光は、太陽のように熱く眩い。
「――今ァ、一瞬でも足を止めたやつ。腹ァ割いて死ね。三秒待ってやる」
さん、怒りに燃える低い声で男が声を上げる。ジュウゾを含め、この魔族の言葉の意味を誰も理解できなかった。何に怒っているのか、何を求めているのかまるで理解ができない。
にィ。声に魔力が乗っている。これは呪言だ、そう気付いた誰かが声を止める為に駆け出した。あるいは、耳を塞ぐ者もいた。
いち。そう聞こえた瞬間、呪言を止める為駆け出した者は己の判断の遅さを呪った。耳を塞いだ者にはそれすら許されなかったと考えれば、男にとっては挑む気概を見せただけまだ赦せる部類だったのかもしれない。
「ぜろ。――戦士の誇り無き者よ。試練を与えるに足らぬ者共よ。汝等、我が前に立つ資格無し。その命で非礼を詫びよ」
それは、耳ではなく頭に響く声だった。否、魂に響く声だった。男に刃を向けていた騎士達は、皆跪き剣を己の腹に突き立て腹を開いてゆく。
涙を流し悲鳴を上げながら。あるいは何もかもを理解できず茫然自失としたまま。五人の騎士は、割れた腹からはらわたを抜き出し、一人ずつ倒れていった。
六人の騎士の死を見届け、ジュウゾはにたりと笑みを深めた。陰湿さを隠す気も無くした笑みの奥にある瞳は、悦びと殺意で煮え滾っている。
「君を呼ぶのは三日後なんだけどな」
「言ったろ? 呼ぶ前に来てやったんだ、喜んで挑めよ」
「こちらにも歓迎の準備というものがあってね。それに、どうせ来るのなら本来の姿を見せてほしいものだ」
「邪魔が無ェなら見せてやっても良いんだがな。呼んだろ、竜狩り。歌が聞こえるぜ」
「……さて、なんのことやら」
何故気付かれている。ジュウゾは心の中で舌を打った。適当に言ったがこれは当たりを引いたな。男は見せ付けるように笑みを深めた。
にかっとした笑みは、ここが悍ましい儀式を行なっていた祭壇でさえなければ見る者に爽やかな印象を与えたかもしれない。あるいは、それを見ている者が魔族に憎悪を向ける騎士達でさえなければ。
男に挑み、散った騎士は六人。けれど、今もジュウゾの背後には十を超える騎士が控えている。そのどれもが先の六人よりも優れた精鋭だ。
伝令は飛ばした。じきに王都で控える他の騎士団、勇者へ襲撃の報せが届く。人型であれば数の有利で押し潰せ、追い詰められた末に竜となれば念の為に手配していた奥の手が刺さる。
一つ間違えればジュウゾはここで竜を討つ犠牲となるだろう。けれど、そうであったとしてもこの魔族は殺せる。そして、
「一応、名を聞いておこうか。これで違う首でしたとなると、僕の首で王に詫びないといけなくなるからね」
「ハッ、詫びる程の忠義も無ェくせにか。にんげんってのは大変だねェ」
「君達みたいに忠誠心を植え付けられていないからね」
「そりゃ三百十二年前に終わってるぜ。古ィんだよ情報が。なァガキ、皺が増えてもお勉強はするべきだぜ」
誰が好き好んでお前達の情報など得るか。ジュウゾだけでなく、幾人もの騎士が言葉を呑み込んだ。先に飛び出した六人と違い、彼らには己は優れた戦士であるという自負がある。
「――王都第七騎士団団長兼、バケツの聖騎士団六番隊隊長。ジュウゾ・アンデッタ。説教の真似事よりも名乗ってくれないかな、ヒトデナシ」
「長ェ肩書だなァ。要らねェだろ。はァ……魔王の怒りが一柱、赤竜ラス。憤怒のラスっつった方が通りが良いんだったか? まァ好きに呼べよ」
明日も生きていられるなら。そう締め、男――ラスはにっと笑った。口の端から火の粉が散り、周囲の空気が熱により揺らいでいる。昨夜は雪が降っていたというのに、そうとは思えぬ程に遺跡の中は暑い。
「ほれ、掛かってこいよ。オレへと一歩踏み出した者から試練を与えてやる」
「――総員、戦闘開始。竜を騙るトカゲの首を取れ」
剣を。槍を。杖を。弓を。銃を。それぞれの得物を手に、騎士達が雄叫びを上げる。ラスはにっとした笑みを深め、拳を強く握り構えた。
リュレでの騒動から十日後、太陽が沈み始めた頃。旧市街と呼ばれる王都から見捨てられた地で、人と魔族の戦が始まった。
※
魔族と呼ばれる我々には、いろいろと苦手な物や恐れる物があるとにんげんに伝わっています。
曰く、オオカミの血を引く獣人は銀を恐れる。角を持つ者は聖句に苦しむ。夢を喰らう者は人に淫らな夢を見せ、その精を貪らねば生きられない。血を啜る者は十字架と太陽を恐れる。旧世界の伝承に似た姿、特徴を持つ魔族は同じ弱点を持つはずだと蔑まれ、捕まった者はそれが本当であると示す為に拷問を受け死んでゆきました。
剣で首を刎ねられればそれが銀でなくともオオカミの子は死にます。アルステラへ、あるいは他の神へ祈りを捧げる角持つ子は大勢います。夢を喰らう者はにんげんの精になど興味がありませんし、血を啜る者は十字架と太陽を恐れません。いえ、確かに例外はいますけども。
何が言いたいのかというと、にんげんが言う魔族の弱点は大半が思い込みかでっちあげで、それは王都に張られている結界も同様という話です。そもそも、結界が本物なら壁の外であっても王都には近付けませんよ。
まあ、素通りできると知っていても衛兵に見付かれば面倒なので地下道を使いますし、弱点などは勘違いしてくれている限りはそれを利用しますけどね。相手の間違った認識は利用してなんぼです。
さて、そもそもどうしてそんな勘違いがにんげんの側にあるのかと言えば。どちらも要は、にんげんの思い込みが原因です。特定の種族を阻む結界であればわかりませんけど、大雑把に「魔族を阻む結界」と術式を組んだところで「そもそも魔族って何?」という話になるわけなんですよね。彼らがにんげんと定めている者同士の間からだって魔族と呼ばれる子供は生まれるのですから。彼らが思っている程我々との違いはありません。
……ただ。魔族を阻む結界が作用していると思い込んでいるのは、にんげんを阻む結界であれば彼らの血や出身に関係無く作用するからなのでしょうね。余談としては旧世界人には阻んだり受け入れたりとまちまちなのだそうですけど、これはあたしも詳しくは知りません。
「――ほら、何も感じなかったでしょう? 王都の結界なんて嘘っぱちなんです」
さておき。一緒に外に出た地下暮らしの代表を務める青年にそう言うと、なんともいえない表情で俯いてしまいました。嬉しいような悔しいような複雑な顔……角を削っているあたしに導かれているようなのが気に喰わないのかもしれませんね。
最近の子は、にんげんから離れた容姿である程に優れていてにんげんに近付こうとするのは同胞への裏切りだという考え方をするようですし。いえ、地下暮らしの彼らは己を魔族と認めてもいないのでこれとは別の理由かも。
「これで信じる気になりましたよね? 地下の同胞に伝えてきてください。反撃の時が来た、ラス様が我らを救いに来たのだと。好きに殺し、喰らって良いのだと。一度大きく地が揺れると思います。それを合図に行動してください」
何かを決意した目で頷き地下へ戻る青年を見送り、一つ溜息。少し、いえだいぶ嘘を吐きました。いえ、ラス君と打ち合わせた通りの嘘ではあるんですけども。
王都の地下で暮らす彼らを救うつもりはありません。いえ、蒸されて死ぬか溺れて死ぬよりはマシだろうと外に出してやったので救っていると言えばそうなのかもしれませんね。
何をするでもなく、ただ地下に隠れ潜み。結界があるのだからと言い訳をして王都ではなく旧市街から盗みを働き。己は何でもないのだからとにんげんと魔族の区別無く弱い子供を手に掛ける。
そのくせに狩られる側に回れば同じにんげん、魔族だと喚き命乞いをする。彼らはそういう存在です。にんげんでもなければ、魔族でもない。同胞などと呼べるはずもない。
これは、
彼らの事情や今後はさておきとして。旧世界の地下道を利用して築かれた王都には、いくつもの出入り口があります。トモリさん曰く、新世界による
「……さてさて。探し物を始めないと。例の邪魔者は中か外か、それも問題ですよねえ」
法国の傭兵が二人。恐らくは処刑隊の先触れ。トモリさんが友人だという傭兵が法国の者だというのは、すぐにわかりました。騎士団が雇う傭兵なんて、というより騎士団に兵を貸し出す傭兵団なんて法国しかありませんから。
法国と名乗る傭兵団は、遠く昔に滅んだある国の戦士団が祖国復興の為に結成したと言われています。今はそれを目的としていないそうですけど、本当に諦めたのかはわかりません。
今の彼らは、「この世界の存続」を目的として活動しているそうです。終末、及びその信者の調査、討伐には特に精力的だそうで、終末観測所と名乗っている連中とは仕事が被っているからか仲が悪いのだとか。
そんな彼らには我々魔族を憎む者も多く所属しているようでして。世界の存続という大義の為に、妖精の暮らす森を焼き払った事すらあるんですよ。良いですよね、大義。簡単に酔っ払えてお酒よりお得ですもんね。
……まあ、彼らの事は正直どうでもいいんですよね。問題なのは、その大義とやらに旧世界人も染められてしまうおそれがあるということ。勇者と呼ばれる旧世界人には、元々旧世界を守る為に戦っていた者が多くいます。守るべきものを失くした彼らは大義という毒に弱い。
だから、トモリさんがくだらない大義に酔う前に。邪魔な酔っ払いを殺しておかないと。あの子の優しさは、我々の同胞にこそ向けられるべきものなのだから。
ずしん。地が揺れ、家々と人々が悲鳴を上げるのがよく聞こえました。さて、エバン君は頼んだ通りに動いてくれているかな。そうでないと大事な妹が死んでしまう事になるわけだし、頑張ってくれると思いたいけれど。
当然、一番大切な目的は探し物です。ラス君が大立ち回りをして時間を稼いでくれている間に、探し物を済ませないと。中央なのは確定として、やっぱり王城かなあ、ラス君が結界を割る前にある程度近付きたいところですけど。
「――そこの聖女様、足を止めてもらえますかぁ?」
幾つかの区画を通り過ぎ、そろそろ目的の区画が近いなと考え始めたあたり。そこで、階段の上から声を掛けられました。
間延びした、子供のような幼い声。だけども警戒と不機嫌を隠せていません。警戒はさておき、どうして不機嫌なんでしょうね。
それにしても困るな。あんまり関係無いのを巻き込まない為に人の気配が少ないところを選んできたんだけど。もしかして誘い込まれてた?
「壁の外の騒ぎ聞きました? 今ちょっと面倒臭いことになってるんですよ。それで、今五から八番街は検問やってまして。この先へは許可証を持つ人しか通せないんですよぉ。なんか急に立てとか命令されて休暇潰されるし、こっちもわけわかんないから事情は聞かないでくださいねぇ」
「は、はあ。それは大変ですねえ……あの、中央にお呼ばれしているのですけども」
適当に答えながら階段を見上げると、声の印象通りな子供が腰に手を当てて立っていました。赤い頭巾の中からはお風呂上がりなのか湿った髪が飛び出していて、禄に拭く時間も無かったのかぽたりと水を滴らせています。一番近くの大衆浴場が六番街だったと思うけど、急いで来たのかな。隣の制服のお兄さんはなんかずっと気不味そう。
「中央? また面倒なのが来ましたね……。もうね、散々なんですよ今日! お友達に聞かなきゃいけないことあったのに怒ってて怖いから聞けないし、仕事が終わったと思ったら次の仕事が勝手に入ってて急いで向かったら臭い臭いって隣が煩いから大衆浴場行ってきたら持ち場を離れるなとか文句言うし!」
「おい四等騎士、だま」
「お黙り万年三等騎士! おまえなんか出世できないで一生門の前の掃き掃除でもしてればいいんです!」
「なっ……そこまで言うか貴様!?」
わあ、すごい怒ってる。そのくせ喚いている間もこっちから視線を外さないから隙があるんだか無いんだかわからない子供ですね。こういう手合い、やりづらいんですけど。
「ふぅ……はぁ。と、いうわけです。アルステラの聖女様とはいえ、中央は貴い血を引く方とその従者のみが立ち入りを許される聖域。お呼ばれしていると言われても今日に限ってはすぐには通せません。どうしてもというのなら、聖印をお見せください。金の杯を持つ方ならまぁ現場判断で通してもよいでしょう」
「おい四等、勝手に」
「おまえに決められる判断能力が無いからキユが決めてるんです万年三等。言っておきますけど今のキユ本当に機嫌悪いですからね。髪も乾かせてないんですから」
ぷりぷりと怒りながら、やっぱり赤ずきんちゃんはあたしから目を離しません。嫌な感じがしますね。この寒気、審問者に声を掛けられた時と少し似ているかも。
とぷり。足元の影が、音を立てて波打ちました。もう少し温存したかったんですけど、ここでやらないとかな。あのお兄さんを適度に生かしておくのと先に殺すの、どっちが赤ずきんちゃんに効くかな。
「……ところで聖女様、普段はどちらでお勤めに?」
「アルステラ大聖堂で癒し手となる道を学ばせていただいています。普段は地下の厨房で炊事をしていますので、外に出る事はありませんけども」
「そうなんですか! 実はキユ、つい最近大怪我をして大聖堂のお世話になったんです。聖女様の作ったご飯を食べたかもしれませんねぇ」
「お口に合っていれば良かったです。あの、すみません。今日はここを通れないということでしたら、城に言伝を頼まれてくれませんか。大きな声では言えませんが、王女様にお呼ばれしているのです」
「ふむ。それはどういった用件で? ……もうちょっと、お話しましょう? もしかしたらお話の間に検問が終わるかもしれませんし。なにせ急でしたから」
嘘吐け、逃がす気無いだけだろ。悪態を吐きたくなるのをぐっと堪えてあたしも吐ける限りの嘘を探します。仕掛けるなら、あともう少し稼ぎたい。
「その……言わせないで、ください。王女様のご趣味は、御存知でしょう?」
「ッ!? し、失礼しました聖女様! おい貴様三等、本当にいい加減にしろよ。これ以上引き留めて苦情がいったらどうする」
「怒られるのはじじ、団長様ですしぃ。気にする必要ありませんよ」
「き、っさま……今の、他の誰かに聞かれでもしたら」
「万年三等ではなく万年五等になるかもしれませんねぇ。ぷくく、傭兵以下です。可哀想に」
「まだなっとらんわ!? 貴様、その無礼な物言い……あれだ、オウダイン四等騎士に言うからな」
「あの人キユが無礼なのはいつも通りだって気にしませんよ。あと何してもキユは殴られますから諦めてます」
「諦めるな!? くそ、こいつもあいつも……!」
ううん、愉快な遣り取り。こういう状況でなければもう少し眺めていたかったかも。いえ、生まれも違っていてくれればですね。結局、彼らはにんげんですし。
うん、変に惜しくなる前にちゃっちゃと殺してしまいましょう。それに、この赤ずきんちゃんの特徴はどうにもトモリさんから聞いた話に近いんですよね。隣のお兄さんは本当に知らないですけど。
「どうでしょう、聖女様。お急ぎなら聖印を見せてくれませんか? この際金とか銀とか、等級は問いませんよ。キユも詳しくないですし」
「生憎と、今日は持ってきていません。王女様が置いてくるよう仰いましたので」
「では、その頭巾を取ってお顔をよく見せてください。アルステラには顔を隠せという戒律はありませんよね。ほら、王女様の命が本当だとして顔を知らない者を通すわけにはいかないでしょう? 念の為です」
「酷い火傷をしているのです。王女様以外には見せたくありません」
「それはそれは。でもね、聖女様。身元を示す物を持っていない、顔も見せられないなんて。それではまるで――」
まるで、なんだというんでしょうね。その答えを聞く前に、赤ずきんちゃんは大きく吹き飛びました。彼女が立っていた階段の上には、首の無い女が右足を浮かせて立っています。良い蹴りです、仕込んだ甲斐がありますね。
エバン君のお母さん……じゃなかったんでしたっけ。彼女には、人形になってもらいました。まあ、あたしは死霊術の才能が無いのでけっこう無理矢理動かしてるんですけども。全力で動かしたら十分もつかどうかかな。
「なん、……ひぃっ!?」
おや、お兄さんが腰を抜かしてしまいました。先の遣り取りから思っていましたけど、彼にはこういう荒事は向いていなさそうですね。仕事を変えるべきじゃないでしょうか。
まぁ、来世があればの話にはなるんですけども。きっと悪いひとではないのでしょうけども、生まれと運が悪かったということで死んでもらいましょう。
首の無い女の人形がゆっくり手を伸ばします。腰を抜かした彼の額に、指先が触れて――
「――困るんですよねぇ。春を迎えるまで我慢してくれれば、契約切れるし見逃してあげられたのに」
ぱちんっ、ぱちんっ。乾いた音と共に人形の右腕がふっと消えました。次いでお兄さんの姿も消えます。この魔力の揺らぎ方、転移術かな。
「呪術師か死霊術師の類ですか? すみませんけど専門家が今日は非番なので帰ってもらえませんかね。あとキユは神様信じてませんけど、その格好で騙すのはさすがに悪過ぎません? あれです、まなあとかもらるに欠けてると思います」
「ふふ、ずっと思っていましたがよく回る舌ですね。さてどうでしょう、王国を憎むアルステラの刺客かもしれませんよ」
「それならそれで面白いんですけどね。どうにか逃げたらキユが非番の日にやってください」
まぁ、逃がしませんけど。翠の瞳に剣呑さを宿して、赤ずきんちゃんが笑いました。意地悪そうな顔ですね。これだから傭兵というやつは嫌いなんだ。野蛮でやたらと勘が良くて、してほしくない時に邪魔をしてくる。
今回は殺しておきたかったやつだからまだ良いですけど。飛んで火に入るなんとやら、としたいところです。
「さっさと降参して企み全部げろげろ吐いてくれたら拷問は軽めにしてあげますけど、どうしますぅ?」
「尻尾を巻いてきゃんきゃん鳴きながら逃げるなら見逃して差し上げますが、どうでしょう?」
「生憎、キユには尻尾が無いもので!」
「残念。では殺すしかありませんね」
さてさて……手強そうな獲物です、久々に身体を動かす事になりそうですね。時間切れまでにこいつともう一匹を殺せれば良いんだけど、見付かるかな。
ほんと、こういうの好きじゃないんだけどなあ。さっさと終わらせてお酒が飲みたい。