楽しい。ラスと呼ばれる魔族が戦いの中で感じていたのは、ただただ純粋な歓喜だった。
人を模して作った窮屈な器に慣れる為と気が乗らないままに学び始めた武術ではあったが、振るい合う相手がいるとこうも楽しいものか。にっと歪んだ口の端から火の粉を散らしながらラスは一人、二人と拳を打ち付ける。
人に似た姿をしてはいても、ラスが竜と恐れられる魔族である事に変わりはない。拳を受けた剣や盾は折れ、あるいは融け。まともに肉体で受ければ砲弾でも喰らったようにばらばらと吹き飛んでゆく。その度に、ラスは呵々と楽しそうに笑う。
これは、文字通り人の形をした怪物だ。騎士達は理解した。けれど撤退は許されない。あの竜にほんの少しでも戦を放棄したと思われれば先の五人と同じく腹を割って死ぬ事となる。魔術師達は剣や槍を得物とする者が近付けるようにと水や氷の矢を放つ。そうでもしなければ、ラスの纏う熱は人間が耐えられるものでない。
面倒だな。ジュウゾ・アンデッタは舌を打ち、杖で床を強く突いた。かつんっ、乾いた音が遺跡に響き渡る。
ひゅんっと鋭い何かが風を切り走る音。同時に、ラスの右腕から赤い液体が噴き出た。深く裂けた腕からも赤い何かが覗いている。
「おっと、斬られちまった。面白ェ技だな?」
笑みを深めたラスがジュウゾへ問う。ジュウゾは聞かずに駆け出した。老いた姿からは想像のできない速さで間合いを詰め、振り被った杖をラスへ叩き付ける。防いだ左腕が裂け、先より多くの液体を噴き出す。それでもラスは笑顔を崩さない。
「皮と肉を模してはいるが色と形を真似ただけ、これも血ではなく液状化した魔力か。人間の真似が上手くいったのは外側だけみたいだね」
「まだ勉強中でな。見逃してくれや」
ひゅんっ。杖から不可視の刃が走り、腕にいくつもの斬り傷を与えてゆく。そうして老人が作った隙を若い騎士達が突き、渾身の一撃を叩き付けてゆく。けれど、魔族は笑みを崩さない。楽しくてたまらないというように全ての一撃を身に受け、一人一人へ返してゆく。まだ避けてくれた方がマシだと一人の魔術師が舌を打った。
「まだまだ楽しめそうだなァ、次は――っと」
突然、ラスが笑顔を消し動きを止めた。隙が生じたようにも見えるけれど、鎧のように纏う熱気は冷める様子が無い。警戒する騎士達の視線を受けながら、ラスはわざとらしく溜息を吐き出した。
「……仕方無ェか。悪ィなァ、時間切れだ。もうちっと楽しめるかと思ったんだが、のんびりやり過ぎたな」
「逃げるのかい? 僕達はまだ遊び足りないんだけどね」
「そいつァ嬉しいね。ただなァ、仕事で来てるもんでよ。これ以上遊んでると叱られちまう」
煽るような言葉をぶつけられても、ラスは残念そうに肩を竦めるばかり。応援が来るまであとどれくらい掛かる? ジュウゾは目の前の魔族を一秒でも長くこの場に留める為の言葉を探す。少しでも時間を稼がなければ。
祭壇を荒らされ儀式の準備は台無しだ。仕込んでいた呪いを頼りにできないのは惜しいけれど、次に喚び出せるのがいつになるかわからない。この魔族はここで仕留めたい。
けれど、老人が言葉を見付けるその前に魔族の纏う熱が異常な程に膨れ上がった。防ぐ術を持たぬ者は炎に包まれ、あるいは干乾びてゆく。息を吸えば喉から内側を焼かれてしまう、そんな熱の中で魔族がつまらなそうな顔をしている。
どこまでもつまらなそうな顔だ。退屈で仕方がないという顔をして、――右の掌に、小さな朱い光の玉を浮かべてみせて。
「ナルカサテラよ、我らが王の要求は百年前から今に至るまで一度も変わっていない。月へ至る鍵の返還、我らへの不干渉。この二つを貴様らは拒み続けてきたな」
先までのくだけた態度とは違う、厳かな声でラスが言う。こちらが本性なのだろう、そう感じながらジュウゾは意地の悪い笑みを浮かべてみせた。魔族の要求など知ったことではない。
「一つ前に送り返した使者は見たかい? あれはね、三つ前の使者で作った魔剣で首を刎ねたんだ。良い剣になってくれたよ、その後競り負けて他の騎士の愛剣となったけど」
「……そうかい。いやァ、怖いねェ。オレみてェな着包み野郎でないまっとうな人型しか送ってねェはずなんだが」
「ああ、武具以外も作るよ。最近は脳を使ってコンピューターという遺物を魔術的に再現できないか試しているんだ。失敗続きなんだけどね。ああ、君は本来の姿を武具に加工する予定だからね。竜だもの、死後は武器として振るわれたいだろう?」
「……すげェな、まるで会話にならねェ。同じ言葉を使ってるはずなんだが」
「それこそ間違いだよ。君達魔族はきいきいと無様に鳴き声だけ上げているべきなんだ。人間擬きなんだからさ」
熱は今も増している。何人かが防壁を張ってなお耐え切れず崩れ落ちた。ジュウゾもまた、肌がじりじりと焼けてゆくのを感じている。それでも老人は、意地の悪い笑みを崩さない。
応援の気配が近い。あと少し。あと少し時間を稼げば、やつの首に刃が届く。そう確信し笑みを深めるジュウゾに、ラスはやはりつまらなそうに溜息を吐き出して。
「――――まァ、オレに怒る資格なんてもんは無ェんだけどよ。いや、オレは怒るべきなのかね? まァいいか。これから起こる破滅は、お前さんらの積み重ねてきた悪意と傲慢への報いだ。ナルカサテラには、オレの同胞がにんげんと認められる為の礎となってもらう」
ずしん。初めに感じたのは、大きな揺れだった。ラスが右足を床に強く叩き付けたのだと気付けた者は、ジュウゾを除けば僅か数人だ。
次いで感じたのは、奇妙な静寂だった。まるで、世界から音が消えたかのような不思議な感覚。ジュウゾはこの感覚を知っている。魔族だけではない、英雄や終末のような怪物と対峙した時、ジュウゾは何度もこの感覚に襲われた。これは、死が迫っている感覚だ。音を聞くよりも速く迫る、死への恐怖だ。
死を感じながらも、逃げ出す者は一人としていなかった。防ぐ術など無い、避けることもできない。そう直感してなお、騎士達は一歩も動けない。試練などもうどうでもいい。ただ、――もう、逃げる身体が無いのだ。足が融け、肺が焼け、脳が沸き。すでに皆息絶えてしまった。老人ただ一人を除いて。
「あばよ、ガキ共。生きてたらまた今度遊んでやるよ」
静寂の中、唇の動きが読み取れて。ジュウゾは血が出る程に唇を噛み締めながら駆け出し、同時にラスが光の玉を握り潰しジュウゾから視線を外した。
何処を見ている。そう問おうとして、喉の痛みに口を閉じた。そして、すぐに気付く。ラスが向いているのは王都の方角だ。朱く光り輝く右の拳は、人体であれば耐えられない程の熱と魔力を纏っている。
こいつ、まさか。ジュウゾが答えに辿り着くよりも一瞬速く、朱い光が視界を埋め尽くして。
がらがら、何かの崩れてゆく音。音が戻っている。死を逃れたのだ。ジュウゾ・アンデッタはそう確信して――
※
駆ける、駆ける。トモリは急いでいた。この身体は今出している速度であれば息を切らさないはずなのに、ぜえはあと漏れる声が耳障りだ。
異変を目にしたのは、ココネに会う前に小遣い稼ぎをしようと考えている時の事だった。
トモリは騎士団から報酬を支払われていない。探し物が無ければさっさとこの国から逃げ出してしまうのだけれど、今は王都から追い出されるわけにはいかない。そこで考え付いたのが、お守りなどの簡単な呪物を作り販売するという手だった。
一度だけ軽い怪我を肩代わりしてくれる、強く握ると身体を温めてくれる。そういった簡単に作れて些細な効果の呪物の販売がトモリにとって唯一の収入源となっている。かなりの頻度で値切り交渉をされ負けてはいるけれど。
キユと別れて一時間程後、寝床の一つである橋の下。材料も無いことだし今回は実演販売に挑戦してみるかと意を決したその瞬間に。トモリは、何かの割れる音を耳にした。
初めに聞こえたのは、ずしんと大きな地揺れの音だった。トモリが目覚めてから経験は無いけれど、このナルカサテラはかつて日本国のあった地だ。地震があってもおかしくはないと考え、何度かは気にせずに無視していた。
三度目か四度目、さすがに少し心配だなと思い始めた頃。まあわたしにどうにかできるわけでもないしと小遣い稼ぎの為に立ち上がったトモリは、ぱきぱきと何か罅の走る音を耳にした。何処からだろうと、橋の上を見上げたその瞬間――
――王都を覆う透明な壁が甲高い音を立てて割れ、空に黒い裂け目が走るのを目にした。
トモリはあの空の裂け目を知っている。憶えている。トモリだけではない。どれだけの記憶を失った旧世界人も、あの裂け目だけは忘れられないだろう。
あれは、門だ。月から降る獣が奇襲や帰還の際に使っていた、空間を跳躍する為の門だ。人間には決して再現できない、新世界人は知るはずもない術だ。トモリでも知覚できる力の流れが、これが間違いでないことを何より強く確信させた。
なんで、どうして。問いを口に出すより速く、思考するよりも速く。トモリは旧市街へ向けて駆け出していた。ありえない、生き残りがいるわけがない。何もわからないまま、否定だけを繰り返し駆け続ける。
王都は方々で火が放たれ、戦場となっていた。
下水道で顔を見た覚えのある者達が、家々に火を放ち人を襲っていた。地下に潜む彼らは常に何かに怯えているようだったというのに、今の彼らは怒りと悦びに満ちた顔で武器を振るっている。その顔をトモリはよく知っている。弱者と呼ばれる者が力を手に入れた時の顔だ。
悩んだのは、ほんの一瞬だけ。トモリは旧世界人だ。襲っている側も襲われている側もトモリにとっては知らない誰かで、魔族だのなんだのと新世界人の歴史や事情などはどうでもいい。だから、助ける義理など微塵も無い。
無いけれど、見ていて気分が悪くなった。失くした記憶をちくちくと刺激されているようで気分が悪い。手を出す理由は、それだけで充分だ。
「――横からすみません」
「んだテ……がっ!?」
走る速度を乗せた拳を腹に一発。派手に吹き飛んでいったけれど骨や内臓を壊す感覚は無かった。魔族と呼ばれる彼らは、やはり人よりいくらか頑丈なのだろう。
「立てますよね」
急いでいるけれど、一応無事は確認するか。そう考え振り向くと、見た覚えのある顔が二つあった。少し前にお守りを売った姉弟だ。弟がやたらと口が上手く値切られてしまったので、顔を覚えていた。
弟の背は赤く染まっていた。服が裂け、血の溢れる傷口が見えている。見ればすぐにわかるはずなのに、トモリは一瞬斬られたのだと理解できなかった。したくなかった。
呆然とした表情で、少女がトモリを見上げている。現状を理解できていない、したくないという目をしていた。嫌な何かを思い出しそうだ。早く、どうにかしないと。
「……その子、まだ生きてます。逃げてください、急いで」
「あ、あの……ありが」
「礼は要りません。それより立って、中央の方まで逃げてください。急げば治療院まで間に合うかもしれません」
嘘は吐いていない。吐いていないけれど、このままでは。トモリは舌を打ちたくなるのを必死に堪えた。むしゃくしゃする。今人を殴ったら加減を間違えそうだ。
「階段が急ですけど、中央に近付くだけ騎士や勇者は多くなるはずです。助けてもらえる可能性は上がります」
だから頑張って。言い掛けて、言葉を呑み込んだ。トモリは頑張れと言うのも言われるのも嫌いだ。言葉は掛けるけれど、これ以上この少年の命を背負う事もできない。
そう。誰かの命を背負う資格など無いのだ。守りたいものを何一つ守れない人生だった。記憶は無いのにずっとその後悔に苛まれている。この手にあってほしいものを何もかも取り零す人生だった。その虚無感に今も苛まれている。
己は何も守れない。トモリはそれをよく知っている。忘れていない。
だけど、だけれど。トモリには今も諦められないものがある。大切な人にそうあってほしいと望まれた己を、今も諦め切れずにいる。
『――――友達と平和を守る、で友守平和。気に入ってくれるかな。ねえ、お姉ちゃん。わたしのことを忘れても、わたしのあげた名前は忘れないでね。あなたにはあなたを愛する友達がいたことを、どうか忘れないで』
優しく語り掛けてくれた、朝陽のように煌めく橙色の瞳を。その声を。忘れたくなかったはずの願いを思い出してしまったのなら、これ以上裏切る事はしたくない。
「振り向かずに走ってください。ここから先は、わたしがどうにかします」
トモリは英雄にはなれない。勇者とは名ばかりの怪物だ。それを自覚している。自覚はしているけれど、英雄の真似事なら怪物にもできる。本物から見れば滑稽でしかないのかもしれないけれど。
友守平和は、それを知っている。英雄の真似事など、旧世界ではずっとそうしていたのだから。
トモリにとっては意外なことに、王都と旧市街を隔てる壁は損害が少ないようだった。常と違うところを挙げるとすれば、門が開いたままで守衛も見当たらない事くらいか。
戦闘後のようで角や尾の生えた死体が幾つもあるけれど、制服姿の死体は無い。何処かの応援へ行ったのか、逃げ出したのか。どちらであれ、邪魔が無いのはトモリにとっては好都合だ。速度を上げて門を越えた。
何処に向かうべきかはわかっている。空に走る裂け目、あれを引き起こした者は気配を隠すつもりがまるで無い。自分は此処にいる、早く来いと誘っているようですらあった。
恐らくはかつて二十二番街と呼ばれていた区画、遺跡群の中。あの辺りで陰湿な老人が何かをしているのは知っていた。この状況はそれに関係しているものだろうと、トモリは確信している。
二十二番街はココネの暮らす十九番街と距離があるけれど、無事に避難できているだろうか。中央に近い辺りでも妙な気配を感じた、キユとイザナは無事だろうか。あの名前も知らない姉弟は助けてもらえたのだろうか。弟は死なずに済んだだろうか。情を持ってしまった者達の顔を思い浮かべ、これは今考えるべきではないと息を吐く。
今考えるべきは、あの裂け目を生み出した何かへの対処だ。トモリの知る存在が引き起こした現象なのであれば、今のトモリに対処できるかはわからない。それでもトモリは何もしないわけにはいかない。
この新世界に目覚め王国に従っている勇者達をトモリは信じていない。彼らが何を忘れ、何を憶えているのかトモリは知らない。どうであれ、任せようとは決して思えない。一部を除けば、彼らは今のトモリですら瞬きの間に殺せてしまうような者ばかりなのだから。
「――よォ。そろそろ来ると思ってたぜ」
トモリが二十二番街の遺跡群に辿り着くと、見覚えの無い若い男に声を掛けられた。
崩れ落ちた遺跡の前に一人の男が立っている。くたびれた黒のスーツに身を包んだ赤髪の大男が、笑みを浮かべて立っていた。
「なァ、お前さん旧世界人だろ? この服どう思う、似合ってねェか?」
「この状況を作ったのは、貴方ですか」
「おう? まァそうと言えばそうっつうか、仕掛けたのはあっち側っつうか……そんで、似合ってねェか?」
男の問いを無視して己の問いを掛けたトモリに対して、男はにかっと人好きのする笑みを浮かべたまま再び問い掛ける。服が似合うかどうかなどトモリにはどうでもよい。けれど、答えなければ話を進められないのだろうとも男の態度から察せてはいる。
「……似合う似合わない以前に、ぼろぼろです。特に右袖」
「あァっと……そうだな、さっき派手にぶちかまし過ぎたんだ。まァ、なんだ。色男は襤褸を纏っても色男に見えるってもんだろ?」
「すみません、そういうのに興味が無いです」
「もっと世界に興味を持った方が良いぜ。寂しいだろ」
適当に言葉を交わしながら、トモリは男を観察する。一見すれば、厳つい見た目のわりに話しやすく人に好かれそうな大男だ。スーツも元は上等な物だったのだろう、似合っていたかはトモリにはわからないけれど。
トモリは静かに息を吸って、吐いた。この男の正体と目的、それからここにいたはずの者達について。聞かなければいけない事は多い。答えを得られそうにないのなら、無理をしてでもここで仕留める。
「ここで何かやってる人達がいたと思うんですけど、どうしました?」
「さて、どうなったかねェ。粗方焼いたが」
「……お爺さんがいませんでした? 杖を持ったお爺さんです」
「おう、あの爺さんは中々だったな! あれは生きてんじゃねェかなァ。見た目よりは枯れてねェっつうか、しぶとさを感じたぜ。隠れてんのか転移か、オレの買い被りでもう死んでるかはわからねェが」
トモリは口を閉じたまま舌を打つ。あの老人、ここで死んでくれていれば後が楽だったのに。どうせあいつは生きている。おかげで横槍を警戒する必要が出てきてしまった。
「何が目的でこんな事をしたんです?」
「そら、喚ぶつもりだったみてェなんでこっちから来てやっただけさ。まァそいつはついでで、目的は空のあれなんだがな」
呵々と笑い、男が空の裂け目を指差してみせた。そろそろ消えるか、そう男が呟いた少し後に、確かに裂け目は閉じてゆく。こいつがあれをやったのか、トモリは確信し右手の剣を強く握り締めた。ぎりぎりと嫌な音が鳴っている。
「貴方は――」
「まァ待てよ、質問されてばっかなのは不公平じゃねェか? オレにも一つ聞かせてくれや」
トモリの問いを遮り、男が言う。無視して問いを続けるべきか、答えるべきか。一瞬悩んで、トモリは後者を選んだ。どのみち、問答はここで終わりにするべきだ。次で仕掛ける。
「……どうぞ」
「まァ、これはオレっつうか殿下からの問いなんだがよ。旧世界人の女を見たらまず聞いてくれと頼まれてな」
「さっさとどうぞ」
「そう急くなよ。剣が悲鳴を上げてるぜ? それ以上強く握れば砕けちまう」
なら、砕ける前に聞いてくれないかな。堪え切れずトモリが一歩を踏み出そうとしたその瞬間に。
「――なァ、旧世界人よ。お前さんらの世界の最期、降る星の夜を憶えているか?
掛けられた問いは、トモリには理解のできないものだった。理解してはならないものだった。決して掛けてはいけない問いだった。
頭が痛い、胸が苦しい。首輪が熱い、視界が揺れる。気持ちが悪くてたまらない。わけもわからず喚き散らしてしまいたい。己でも不可解な怒りがトモリを支配しようとしている。抗おうと思えない。
この苦しさを、怒りを。全て呪いと殺意に変えて。あの男を殺さなければならない。殺せという誰かの声が、頭の中でずっと響いている。
「――――すみません。答えられません。ただ、今すぐに貴方を殺さないといけなくなりました」
「目の色が変わったな。ハッ、
瞳を紅に煌めかせたトモリが、口の端から火の粉を散らすラスが。互いに一歩を踏み出した。
何が苦しいのか、何に怒っているのか。己の感情の動きを理解できないままに、トモリは刃を振り翳す。