旧世界より、愛と呪いを込めて   作:にとずみ

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ココネと月のお姫様

 レッドラム。法国という傭兵団で特別優れた一人に継がれ続ける名。その名を聞いて一瞬でも恐怖を感じない者は西にはいないだろうと思える程の存在です。

 

 法国が傭兵団ではなかった頃、一つの国であった頃から継がれ続ける恐怖の象徴。あたしのような魔族よりも、にんげん達にこそ恐れられる戦士の証。何代か前のやつに酷い目に遭わされた事もありますし、とっくに寿命で死んでるだろう今でも思い出すと手が震えます。

 

 ただ、あたしの知るそれと比べるとこの子は――

 

「――こうも手を抜かれると、少し傷付きますね」

 

 そこそこの本音を添えた戦鎚の一撃は、確かに右の脇腹へ届いたものの衝撃が伝わりきる前に転移されてしまいました。今この子指鳴らさなかったですね、あれ必須条件じゃないんだ。

 

「抜いた、覚え……無いですけど、ねぇ」

 

 息も切れ切れ、どれも掠り傷とはいえ傷だらけの血塗れ。だというのに逃げる気は無く殺意も薄い。応援が来るまで足止めのつもりなのか、なにか事情でもあるのか。

 

 解体屋、斬り裂き魔。今のレッドラムはそのように呼ばれ恐れられています。傭兵としてよりも、殺し屋としての恐れられ方ではありますけども。

 

 霧の中で鉈を持った赤ずきんに会ったら泣いて許しを請え。鋏を持った赤ずきんに会ったら見えなくなるまで息と足を止めろ。包丁を持った赤ずきんに会ったら舌を噛むか毒を飲め。八年程前、とある霧深い街で生まれた怪談は、今では西の国々に広まり子供を寝かしつける脅しにも使われている程だそうです。そちらでは赤ずきんの老婆とされているそうですけど。

 

 

 さて、怪談を信じるわけではありませんがここで疑問が一つ。正直この子、今振るってる魔剣と相性悪いと思うんですよね。全く向いていないという程ではないにしても、あたしみたいなの相手にわざわざ使うかな。あたしが舐められてるか自分で思ってる以上に弱ってるかってのを含めても、妙だなと思うわけです。まあ事情とやらがあるのかもしれませんが。

 

 ただ――仕事があるってのに邪魔されて、それで本気も出せませんってのはむかつきますよね。死ぬ気は無いから必死に避けて足止めしてくるのもむかつく。ラス君ならもう怒って灰にしてますよ。あたし優しいんでそこまでしませんけど。

 

 

 ちょっと仕掛けてみましょうか。殺すのを諦めるなら、せめて心に傷を与えたいですよね。この子精神的に弱そうですし。

 

 

「赤ずきんさん、一つ質問です。この王都に……いえ。王国に勇者はどれだけいると思いますか。細かく条件を付けますと、首輪のある勇者です」

 

 質問を無視するように魔剣が伸びてきましたが、息切れしているからか軽く横に歩くだけで避けられてしまいました。きちんと殺すならここで整えさせるべきじゃないんですが、今回はもう諦めました。この子しぶといしもうやめにしたいんですよね、今日のあたしは本当に忙しいので。

 

「月から降る怪物と戦う戦士達は、戦えぬ者達にとって英雄であったはずです。彼ら、彼女らに首輪という枷で縛っている事を妙だと考えた事はありませんか。そもそもを言えば、何故年若い少年少女ばかりが戦っていたのかと」

「……さっきからそうですけど。意味のわからない話振ってから奇襲仕掛けるしか芸がないんですか?」

「お気に入りの手ではあります。知識の披露と時間稼ぎ、隙作りができるお得な手ですよ」

 

 にっこりと笑ってみせましたけど、これ光の仮面越しだから顔見えませんね。まあ笑ってるとは感じたのか舌打ちは返されましたけど。

 

「知識をひけらかす人って嫌いなんですよねぇ。あぁ、人間じゃなかったですね。喋る糞袋だった」

「良い呼び名ですね、糞袋。我々がにんげんとなった暁には貴女方をそう名付けましょう」

 

 今度は舌打ちが返ってきませんでした。代わりに感じるのは今までで一番鋭い殺意。煽り合いをやる余裕も無くなってきてるなら、さっさと逃げてくれれば楽だったのに。

 

 まあ、どうあれ時間切れです。これ以上遊んでるとラス君に怒られちゃいます。それか、ラス君がやらかしてあたしが怒る事になる。トモリさんの特徴ちゃんと教えたけど覚えてんのかなあいつ。お爺さんと遊ぶのに夢中になって全部忘れたりしてないよね?

 

「さて、質問の答えは得られていませんが私の説を聞いていただきましょうか。首輪は彼らの能力を制御する装置であったとは覚えている旧世界人も多く常識になっていますが、制御の対象は能力ではなかったのではないかと私は考えていまして」

 

 いくつかの足音が遠くから。応援ですかね、そこそこできそうな気配です。これがあるから大人しく聞いてくれてるわけでしょうけど、あたしを止めたいなら悪手だなあ。まあ、助かりますけどね。

 

「そもそも、彼らの持っていたという力は特殊かつ種類が多過ぎる。触れずに遠くのものへ干渉する力にも動かす、燃やすなどの違いがあります。更に言えばどういった力でその現象を引き起こしているかなど。超能力、呪術、魔法。様々な呼ばれ方をされ、それぞれに違う性質を持っていたのだろう力全てを首輪一つで制御するなど可能でしょうか。どれか一つの力に特化しているなら可能かもしれません。けれど性質の違う力を複数持つ者には? 私の知る限り、そういった者に対しても拘束具は首輪一つです。これ以上は不要だったのか、不可能だったのか。気になりませんか?」

「なりませんね。どうでもいいです」

 

 あら悲しい。長々と話して短く拒絶されると中々悲しくて寂しいですよね。まあ、今する話ではないしあたしにされる話でもないと思ってるんでしょうけど。

 

 向こうにとっての時間稼ぎはもう終わりなのか、赤ずきんちゃんの頭上で塒を巻く魔剣がぎゃりぎゃりと鳴き声のような音を上げています。刃先から涎みたいなのが垂れてるの多分気のせいじゃないよね……触りたくないなあ。

 

「では、邪魔が入る前に私の答えを述べましょう。まあ、誰でも辿り着ける簡単な答えなのですけれど」

 

 ぎゃりりり、答えを聞かずに魔剣が迫っています。視界の端に五つ、外に七つの気配。うん、勇者はいなさそうですね。一応いたら回収したかったんですけど、今回は残念ということで。

 

 目というのは慣れるもので、どれだけ速くて複雑でも何度も見ていると覚えるものなんですよね。ヘビのように襲い掛かる魔剣の動きも、空間の移動なんて複雑で面倒そうな術式も。何度も見ていれば覚えます。魔術や呪術の類なら真似もできちゃいます。術式再現すれば良いだけですからね。

 

 ぱちんっ。わざとらしく指を鳴らして転移の魔術を起動。赤ずきんちゃんの後ろに跳び、耳元へ顔を近付けると驚いたように息を呑む音が聞こえました。ここまで戦ってきて一番良い反応ですね。少し気が晴れました。首を噛み千切るのは今度にしてあげましょう。

 

「――洗脳。首輪が行なっていたのは能力の制御ではなく精神の制御だったのでは、というのが私の結論です。記憶喪失もこの精神制御の影響なのではないかと。貴女の知る勇者にそういった者の心当たりはありませんか」

「お、まえ」

 

 驚きながらも投げられた釘を避け、ついでにもう一度指をぱちんっと。追撃に来ていた三人を空へ跳ばし……たつもりだったんですが、まるっと跳ばせたのは一人だけですね。あとは一人が右半分、もう一人は腰から下が残ってる。しかも見えるところに跳ばしたはずなのにいないし。何処いったんだろ。

 

 これ、転移は相性が良いのか感覚でいけますけど転送がどうにも難しそうですね。それとも何かしらで跳ばしやすいのとそうじゃないのがいるのかな。

 

「驚きましたか? 見て覚えましたが便利ですね、これ。さて――面白い魔術をお教え頂いた礼に、長話はこれで終わりとしましょう。お喋り好きでして、本当はまだまだ足りないところなのですけれど」

 

 左手の中指と薬指をしっかりと合わせて、力を込めるのと同時に赤ずきんちゃんが駆け出しました。ちょっと疾いな、間に合うかな。

 

「最後に一つ。これから少し揺れるので、ご友人をお探しなら急いだ方がよろしいかと。それでは、さようなら」

 

 魔剣を放り、短剣を右手に迫る赤ずきんちゃんに仮面の中で見えないだろう笑顔を向けて。あたしは指を鳴らし転移の魔術を起動しました。目的地はナルカサテラ王城、その玉座。

 

 

 

 空間の跳躍というものは、一度行ったり地図や絵で見た事の無い場所だと難度と消耗が大きく増すものです。特に魔術というものは術式の構築だのなんだのと計算を求められる面倒臭い技術なので、知らない場所への転移なんかは事故の可能性が高いうえに複雑かつ高度な計算を求められるようになっています。普通は戦闘で使おうとか考えないか考えてもすぐにやめます。

 

 第一に術式の構築と計算が複雑過ぎて戦うどころではなくなる。第二に魔力の消耗が割に合わない。奇襲とか緊急時の離脱に使うのはアリですし実際見ます。入り口と出口を定めてある大規模な転送陣を罠に……というのもあります。ただ、戦闘中に何度も何度も転送と転移を繰り返すというのはあのレッドラム以外に聞いた事がありませんしこの目で見るまで信じられませんでした。見たうえで言いますけど馬鹿のやる事ですよあれ。術式は覚えましたけど真似っ子する気にはなれません。

 

「ううん、なにかタネがあるんでしょうけど……捕まえないとわかんないなぁ。あんまり気も乗らな……っとと」

 

 なにはともあれ転移成功です。百年以上前の記憶をアテにして成功するかは半ば賭けだったんですけど、上手くいったのでよしとしましょう。けっこう本当にぎりぎりでしたけど。

 

 

 ぼたぼた。お腹に左手を当てて押さえているものの、溢れる血は止まりません。とはいえ、押さえなかったら中身も出てしまいそうなので塞がるまで耐えるしかないんですけども。

 

 あたしが指を合わせた瞬間、赤ずきんちゃんが懐から短剣を抜くのが見えました。魔術を起動すれば魔剣を振るうのでは間に合わないという彼女の判断は正しく、それならと釘を転移させてくると読んでいたんですけどね。なんか刃物いっぱい隠してるわりに使わないなあ、このまま使わないでねなんて思ってたんですけど。自分の得意技真似っ子されたんだからもうちょっと動揺してほしかったな。

 

 瞬きよりも疾い踏み込みと振り抜き。術が起動する数瞬前に、短剣の刃はあたしの腹を撫でていきました。もう一閃が届いてたらさすがに中もやられてたな。ほんと、怖いから急に本気出さないでほしいですよね。

 

「……なんて。いやあ、ほんと駄目ですね。にんげんは舐めて掛かると怖いぞって教えてた側なのにこの有様ですよ。昔の教え子に見られたら笑われちゃう」

 

 ぱきぱき、祈術で作った光の仮面に罅が走っていくのが見えます。まあもってくれた方かな、めちゃくちゃ顔面狙われましたからね。そんなにあたしの顔見たいかな。

 

「やあやあ王様、ご機嫌麗しゅう。広いお城ですねぇ、寂しくないですか? ここにずっと座ってるの疲れません?」

「あ、ぁ、ああ、ぁ……」

「なんて、意地悪言いましたね。薬でぼろぼろですもんね、もう動けないし考えられませんよね」

 

 ナルカサテラの腐敗が始まったのはいつからなんでしょうね。まあ元々性根の腐った国なんですが、国王を薬漬けにして国を乗っ取ろうなんて馬鹿が出てきたのは腐敗の末なのか始まりなのか、少し気になるところです。

 

 王は薬漬け、王妃は離宮に美男美女を集めお酒と肉に溺れている。子供達は醜く争った末に一人残った第五王子も失踪。政治は貴族連中が回して好き勝手。王城に潜り込んだ同胞からそう聞かされた時はまさかそんなと思いましたけど、実際にそうだと知ってまた驚きました。王子達の死は事故だなんだと上手く誤魔化されてますけど、国王夫妻の醜聞はだだ漏れですし。

 

 時間の問題とはいえ、よくもまあここまで国がもったもんです。ちょろっと滅びを加速できないかなと間者を送り込んだ先に妙に勘が鋭いやつがいたりするもんだから中々上手くいかなかったってのはあるんですけども。だのに中央はさすがに無理でしょと手を出さなかったらにんげん同士で勝手に腐ってくんだから笑っちゃいますよね。いや、笑えないか。

 

 ……この男も、元は英雄なんて呼ばれてたんですけどね。あたし達にとっては悪鬼でしたけど。果たして誰が何を企み()()したのか。気にはなりますけど、今考える事ではないですね。今から死にますし。

 

 

 ああ、でも。最期になるなら思い出話くらいしても良いかなあ。どうせこいつ覚えてないんだろうけど。

 

 

「ねえねえ、覚えてますか? もう五十年くらい前かな、あたし達会った事あるんですよ。名前聞いてもぴんときませんでしたけど、顔見るとわかるもんですねえ。皺だらけになっても仇の顔ってのはすぐわかる」

 

 ぽろぽろ、光の仮面が割れ落ちていきます。足元を見て気付きましたけど、やっとお腹の傷が塞がりました。多分ただの短剣だったと思うんだけど、魔剣の類であの技術を振るわれたらと思うと本当に怖いな。 

 

 光の仮面の奥にあるのは、うん百年と変わらないあたしの顔です。にんげんに紛れるならまた後で角を落とさないといけないのが本当に面倒臭いんですけど、こいつには角が生えてる方が思い出しやすいかもですね。

 

「隣の世界……あたし達の故郷への門を開き、ただ穏やかな日々を望んでいた者達を刎ねて焼いて。征伐だ聖戦だと語ってたみたいじゃないですか。あの頃の王国は良かったなんて言うお爺ちゃんお婆ちゃんも見ましたよ。殺しましたけど」

 

 正直に言えば、仇討ちってあんまり好きじゃないんですよ。殺したところで死人は帰ってきませんし、終わった後虚しくて死にたくなるので。ただ、機会があるならやりますよね。虚しくはなりますが無意味ではないと思っています。

 

 ぱきんっ、完全に光の仮面が割れて消えました。ちゃんとあたしの顔が見えたからか、呆けていた男の顔が少しずつ色を取り戻していきます。濁っていた瞳に光が宿り、あたしを見詰めています。

 

「ぁ、あぁ。あ、あっあっ、あ!」

「思い出したみたいですね。どうもお久し振りです。あんたが英雄だった頃に唯一討てずに逃げ出した魔族で、あんたの兄弟の仇だよ。名前は覚えてるかな?」

「でぃ、れぇ……あ、あ。あっあぁあ、ディレ、ディレ! きき、きっ貴様、きさっ」

「はいはい、あたしだよ。それじゃ――おやすみ」

 

 ぱつんっ。あたしが指を振ると、王様だった男は空気を入れ過ぎた風船のように一瞬で膨らんだ後に弾けて消えました。後に残ったのは、飛び散った血肉と王冠だけ。

 

 うん、やっぱりあんまりすっきりしません。本当は生首残して玉座に置いてやろうとか思ってたんですけど、悪趣味な事をせずに済んだという意味では加減を間違えて良かったとも言えますね。

 

「夢見の呪い。なるほど、これでぼんやりさせたうえでお薬ですか。一応英雄の末路がこれかあ、にんげんも残酷ですね」

 

 妙に頑丈な王冠が気になって触らないように見てみると、内側に呪言が刻んであるようでした。被った人間をいいなりにする呪具って感じですかね。えげつないな、一応壊しとこ。

 

 

 さて。復讐を一つ済ませたことですし、お仕事も済ませましょう。大事なお仕事が二つ残っています。

 

 まずは宝物庫へ。二つあるんですがまず一つは外れ、目当てが無いのを確認してから火を放ちました。もう一つも……残念ながら外れです。こちらも火を放ちました。

 

 探し物は、小さな鍵です。銀色に輝く、小さな魔法の鍵。

 

 月へ至る鍵。遠く昔、あたしが生まれるよりもずっと昔から受け継がれてきた魔族の秘宝。にんげんに奪われ、今は王国の手にあるそれをあたし達は取り戻さなければいけません。最後に得た情報では王城の宝物庫に保管されているはずなんですけども、見当たりません。気配も無し。

 

 何度も送った遣いは誰も帰らず、中央に潜り込んだ同胞も鍵と遣いを見付けられず。盗まれたのが魔王が先代に代わったばかりの頃だから……二百年くらい前かな。今は王国にあるとわかったのが姫様に変わる少し前くらいで……と考えると、もしかしたらまた別のところへ行ったのかもと考えたりするんですけどね。王国は盗まれても見栄張って黙ってそうですし。

 

 離宮の方はどうだろうと跳んでみれば、醜い肉の海が広がっているだけ。ラス君には火力が足りないと言われそうな処理をして一息。さて、王城にあれば楽だったんですけどそう簡単に事は運びませんね。こうなると一旦諦めてもう一つの仕事を済ませるべきかな。

 

 

 

 結界というものは基本的に要となる陣や呪物を中心に展開されるもので、この王都を覆う結界も同じように展開されています。王都の中心地には王城があり、その地下には旧世界の下水道を利用して作られた大きな力の流れがあるとは同胞の命を懸けた調査のおかげで知っていました。霊脈という力の流れをにんげんの手で作り、それを利用して陣を描いてるわけですね。

 

 人造とはいえあたしが霊脈を再現したのだと直感する程度の力の流れがあるわけですから、もっと詳細に設定を詰めて本当に魔族を拒む結界とかできたんじゃないかなとも思うわけですが。この陣を描いた主は何を考えていたのかは、術式を読み取る事で少し理解できそうです。あの赤ずきんちゃんとい、綺麗に術式を構成する人は読みやすくて助かりますね。

 

「さてさて、何を企んでたのかな……?」

 

 術式を読み取るという行為は、人の日記を読むのによく似ているとあたしは思っています。字が下手な人、考えをまとめるのが苦手な人の日記は何を書いてあるのかよくわからないけど丁寧な人や考え方の近い人は読みやすく、時には何を考えながら書いていたのか文章に含まれていないところまで読むことができる。そういうものだと思っています。この結界を作った術者は丁寧な人だったのでしょうね、とても読みやすいです。

 

 

 王城の地下に描かれた陣には、三つの結界を作る術式が刻まれているようです。一つは魔族を拒む結界。対象の指定が大雑把過ぎるせいで意味を為していない結界です。もう一つが異空間の生成。こことは違う小さな世界を作る結界ですね。これは中々高度な術式です。そして、三つ目。これが問題です。

 

 存在の隠匿。対象の存在を知覚、認識できなくするというもの。二つ目が機能を失った場合の保険なのでしょうね。術式自体は古いものです。まだ技術が発展しきってない頃、旧世界の術を真似て作ったのでしょう。いくつかの体系を混ぜたような荒さを感じるものの、展開自体は非常に丁寧なものだったろうと思えます。優れた術師だったのでしょうね。

 

 この三つ目だけが、異常な強度をもっている。一つ目は自動で修復される代わりにほとんど意味の無い強度、二つ目は複雑でこそあるもののそこまでの強度は無い。無理矢理結界を破ろうとした者はそのままこちらに帰ってこられなくなるからでしょうね。それで、三つ目は……三つ目は、中にあるものが何かを知らなければ意味がわからないでしょうね。保険としては力の入れ方が過剰過ぎる。こっちに割く力を二つ目に回すか四つ目の結界を考えるべきだろうと思うでしょう。

 

 そう。中にあるものが何か、それを知らなければ。その名の意味を理解できなければ、ではありますが。知っている者が来たらどうするつもりだったんでしょうね。あるいは、知っている者が来て壊してくれる事を願っていたのかな。

 

「……ははっ。なるほど、なるほどね」

 

 存在の隠匿という魔術には、対象の名前も術式に記す必要があります。だから、術式を読み取る知識があれば何を隠したいのかもわかります。理解した瞬間、あたしは思わず笑ってしまいました。なんでしょうね、怒りとか呆れが限界を越えると笑っちゃうって本当なんですかね。

 

 

 あたし達魔族の故郷には、旧世界のある昔話が伝わっています。とても悲しい昔話が伝わっています。

 

 遠く昔、旧世界が地球と呼ばれていた頃。星の海を征そうとした地球人に拐われた月のお姫様のお話。一人の地球人を愛し、それすらも奪われた。それでも誰も恨まず、ただ最期まで故郷へ帰りたい、月の民に傷付かないでほしいと願い続けた優しい女の子のお話。

 

 彼女の最期を、あたし達は知っている。知っていて、それでもこうして突き付けられると抑え切れない怒りを感じてしまうとは思いませんでした。崇拝とかそういう感情は無いつもりだったので。

 

 遠く昔、あたし達と彼女は血ではなく魂で繋がっているのだと同胞の一人は言っていました。細い糸が魂と魂を繋いでいるのだと。昔のあたしは馬鹿らしいと笑ってしまいましたが、あれは嘘じゃないのかもしれません。

 

「月面砲撃塔、かぐや一号。はっ……はは、はははっ。ほんと……ははっ、ほんとにさあ。ふざけんなよ、クソが」

 

 旧世界人の原罪。月が三つに割れた原因にして、月と地球どちらにも向けられ多くを殺し滅ぼした旧世界最大最悪の大量呪殺兵器。そして――

 

 

 ――――我らが祖。月の姫、十時輝夜。彼女の亡骸、その冒涜の果て。あたし達が探し続け、恐らくはトモリノドカにとってもそうであった遺物。見付からないと思っていたそれは、ずっとここにあったのです。

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