城は外から見たトモリの印象以上に崩れかけているようで、内部もほとんどが補修作業の最中のようだった。今も建材を担いだ魔族達が忙しなく走り回っていて、ラスを見ては親しげに声を掛け作業へ戻ってゆく。
それにしても傷だらけだ。トモリはなんとなしに周囲を見回した。建物が古いのもあるだろうけれど、それよりも気になるのは弾痕等の戦傷だ。根拠があるわけではないけれど、どの傷もトモリには新しいもののように思えた。
「見苦しくて悪ィな。最近はちっと面倒事が多くてよ、補修に手間取っちまってる」
そう言って笑い、ラスが足を止める。ここまで見てきた城内は扉が破られていたり窓も割れていたりと傷だらけだったけれど、今目の前にある扉には傷一つ付いていない。ふと振り返ってみれば、この部屋に近付く程に戦傷は減っているようだった。
ここがラスにとって最も重要な部屋なのだろう。そこにトモリを連れて行く意味は、トモリにはまるでわからないけれど。
「……トモリ、一つ頼みがある。聞いてくれねェか」
扉に伸ばす手を止めたラスが、トモリへ視線を向けないままにそう言った。聞く理由は無いけれど、断る程の悪意も今は持てない。仕方無し、トモリは話だけでも聞いてやろうと溜息を呑み込んだ。
「どうぞ。休戦をやめにしたくなる願いでなければですけど」
「……この部屋の中で何か疑問や不快感を抱いても、できる限り口に出さないでくれ。怒りは後で受け止める」
「はあ……?」
「頼む」
「いや頼むと言われても……もうちょっと事情とか」
妙に真剣な様子で言うラスにトモリが戸惑っていると、答えを待たずにラスが扉を開いた。
トモリはふと、ラスの従者のように振る舞っているメリルが開かなかった事に違和感を覚え――
「――あるじさま、お帰りなさい!」
幼い声と共に飛び込んできた人影に、息を呑む事となった。
それは、幼い少女のかたちをしていた。よく手入れされた銀の髪を膝裏まで伸ばし、乱れるのも気にせず頭をラスの腹へぐりぐりと押し付けている。ラスもまた、それを受け入れ慈しむように背を叩いている。
何も知らず、感じずに見れば似ていない父娘のようにも見えるかもしれない。あるじさまなどという家族に向けるものでない呼び名を何度も連呼して頭を押し付けている姿も、耳を塞げば微笑ましく映るのかもしれない。
――けれど、これは違う。認めてはいけないものだ。トモリの直感が、本能が。失くしたはずの記憶がそう告げている。叫んでいる。
この少女は、人間――正しくは、その絶望の果て。終末だ。首を囲む光の輪が、終末であると示している。トモリの右手が、剣へと伸びた。
「――まだ終末じゃない。名前、わかんないでしょ?」
トモリの隣に立つメリルが、トモリの裾を引いて囁いた。何かを訴えるようにトモリを見詰めている。
一瞬の間を置いて、トモリはメリルの視線の意味に気付いた。しゃがめと言いたいらしい。無視して剣に手を掛けると、舌打ちをしたメリルが背伸びをしてトモリの耳に顔を寄せる。
「あれはまだ答えを持っていない。希望を捨てていない。だから、今のあの子はにんげんす。我が王が共にある限りは、決して終末を望まない。剣を収めて。残りの疑問は後に我が王へ」
メリルの言葉には、先までと違い殺意を感じられなかった。少女を巻き込みたくないのか、主に何かを命じられていたのか。ただ必死にトモリを止めようとするだけだ。
頭が痛い。トモリの頭が、ずきんと痛んだ。遠く昔にも、似た光景を目にした気がする。その時の己は剣に手を掛ける側ではなかった気がする。そう思いたいだけかもしれないけれど。
……納得はできない。全くできていない。けれど、討つ義務はまだ生じていない。トモリが剣に伸ばしていた手を離すと、メリルは安心したように息を吐きトモリから離れた。
疑問は多いけれど、今は聞いても答えてくれないだろう。トモリも深く溜息を吐き出した。どうにも、思っていた以上に面倒な事に巻き込まれてしまったようだ。
トモリを、旧世界人を終末――正しくは、その幼体というべきか――と引き合わせた事には理由があるはずだ。けれど、何か事情があるのだとしても終末と共にあるなど旧世界人が受け入れられるはずもない。
今だって、トモリは頭の奥からずきずきと響く声に苛まれている。殺せ、今なら殺せると誰かの声で騒ぎ続けている。
それでも。それでも剣を抜かなかった理由は。手を離す事ができた理由は、一つだけ。
「……確かに、名前がわかりません。だからと納得はしませんけど」
終末と呼ばれる存在は、絶望の果てに全ての終わりを望んだ者達の成れの果てだ。あるいは、その絶望を叶えようとした何か達。どうであれ、それらは揺るぎない答えと名を持っている。これは、終末であるアンジェリーナ・クラークもトモリに言っていたことだ。
終末とは、目にした者にその名を理解させ世界に名を知らしめる。祈り続けるアウラアウルが、こたえるものアンジェリーナ・クラークがそうであるように。終末とは皆そうなのだ。記憶の限りで言えば、例外をトモリは知らない。
だから、一目見て名を理解できないこの少女はまだ終末ではない。メリルがそう言いたいのだとはトモリにもわかる。やはり、納得はできないけれど。
「……はあ、ほんとやねこいなあ。最近こういうのばっかだ」
深く溜息を吐いて、吐いて。そうして、トモリはどうでもいいと心の中で呟いた。全く本心ではないけれど、何度も呟けばいずれは本心になる。
結局のところ、利用できるものは利用するだけだ。それ以外は、状況に応じて逃げるか潰すか選べばよい。使命以外はそれでよい。新世界だのなんだのと、目覚めてからわけのわからない事ばかりなのだ。そうやっていくしかない。
「……お楽しみのところ悪いんですけど。そろそろ紹介してもらえません? その為にわたしを連れてきたんですよね」
トモリが意識して意地悪く言うと、ラスがその声を待っていたように笑い少女の肩を掴んで引き剥がした。少女は不満そうに頬を膨らませているけれど、ラスはにっとした笑顔のまま少女の向きをトモリへ向けてくるりと変える。
やはりどこか、娘を自慢する父親のようにトモリには見えてしまう。余程の違いでもなければトモリには人間と魔族を見分けられない。魔族の親子は似ないのであれば、本当に父と娘なのかもしれないけれど。
「紹介するぜ、こいつはユリィカだ。オレの――」
「所有物です!」
「あァっと……いや、違う。違うんだ、そんな目で見るな」
トモリが無言で蔑みの視線を向けると、困ったようにラスが視線を逸らした。少女、ユリィカはそれを不満そうに見上げている。それだけでは済まず肘打ちまで始めてしまった。
「違わないです! ユリィカは……あるじさまの……所有物、ですっ!」
「ちが、ぐっ……まァ、お前さんなら、一目見て思うところがあったかもしれんが。色々とあって、命を預かる事になった。お前さんも良くしてくれると助かる」
苦悶の声を上げながらラスが言う。その色々とやらについて話すべきではないかとトモリは考えたけれど、問う気にはなれなかった。深く聞いても今は答えてもらえないのだろうし、そちらには興味も無い。
正直、今の遣り取りで関わりたくなくなった。トモリは面倒そうな人間関係に首を突っ込むと痛い目を見ると知っている。魔族と終末のこれを人間関係と呼んでよいのかはわからないけれど。
「……ユリィカ、悪かったから止めてくれ。こいつはトモリ、トモリノドカだ。オレの……ダチのダチだな」
「貴方の友達と友達になった覚えが無いんですけど」
「いや……まァ、そうだな。予定な、予定」
「予定も無いですけど……?」
何を言っているんだこいつは。言い掛けて呑み込めたのは、終末とはいえ子供の前で喧嘩をする気にはなれなかったのと背後から鋭い殺気を感じたからだ。
どうにも、メリルが殺意を剥き出す基準がわからない。付き合っていくにせよ潰すにせよ、この辺りは理解しておかねば。トモリは溜息を呑み込んで無表情を意識した。
「細けェ事は置いといて、だ。ユリィカ、挨拶はできるか?」
「できます! えとえと……ユリィカはユリィカ、です! よ、よろしくお願いします!」
ラスに促されて握手を求めてくる様子は、やはり顔の似ていない父娘のようだとトモリに感じさせる。同時に、心の奥底にいる冷めた己がままごとだと吐き捨ててもいるのだけれど。
終末は、必ず殺さなければならない。そうでなければ、いつか全てを終わらせてしまうから。友守平和はそれを否定したかったはずだ。叶わなかった願いを、今のトモリは覚えている。
大切な友達を、世界の敵にしたくなかった。絶望の果てであっても希望を取り戻す事はできるのだと、証明したかった。
――けれど、それも。なにもかも。友守平和は、望んだなにもかもを為せなかった。何一つとして守れず、それどころか。己の愚かな失敗を、今のトモリは知っている。それを他者に重ねたところで、何も意味が無い事も。
「……トモリノドカです。よろしくね」
「はっ……はい!」
握った手は、柔らかく温かかった。それだけでわかるものではないけれど、まだ人の形を保っているのだと思い込む事はできる。何処かで限界が訪れるとわかっているけれど、今はまだ見逃せる。
「…………わたし、優しいんで一応言いますけど。手遅れになった時後悔するのは貴方達ですよ」
「そうならんようにあれこれやってるのさ。まァ、まずはお前さんが
「勝手に助かってる分には構いませんけど、その当たりだなんだっていうのもむかつくんですよ」
トモリが最も嫌うのはわけのわからないままに利用される事だ。人を使うつもりならせめて理由や事情の説明をするべきだと考えている。そのうえで、気に喰わなければこの手でぶち壊すとも考えているけれど。
「……はあ、もういいです。で、わたしに紹介した理由は?」
「信頼の証だと思ってくれ。他の勇者には会わせるつもりも無ェしな」
「信頼される謂れも無いはずなんですけど。魔族に名前が知れる程頑張ってきた覚えもありませんよ」
「まァ、勘だよ。拳と刃を交えた感覚と――お前さん、天使に会っただろ? しかもご指名を受けてだ」
にっとした笑みを消して、ラスがトモリに問うた。問いの形ではあるけれど、その声と瞳は確信に満ちている。
トモリは思わず舌を打ってしまった。監視もまた、トモリが嫌うものの一つだ。王都からの監視はまだ世話になっている身なのだからと許していたけれど、魔族は別だ。
「……ずっと鳥やら虫やらに見られてたんですけど、貴方達もいたんですね」
「どれか一匹はオレの配下かもなァ。で、だ。その配下が天使から覗きの仕置を喰らう前にやつの言伝を遺したのさ」
――――子守が欲しいなら、今のお姉さんをおすすめするよ。だから、あの子を外へ連れ出してあげてほしいな。
羽虫の視界を借りていたラスの配下は、そう終末の言伝を遺した後に首が捩じ切れた。ラスは忠実で優秀だった配下の最期までは口にしなかったけれど、キユや映画館にいた男達の扱いを考えればトモリにもある程度は察する事ができた。お互い、それ以上は何も言う気になれないけれど。
「ついでにもう一つ、お前さん会わせたいやつもいてな。正確には会いてェと煩いやつがいる」
「はあ、お友達がたくさん増える一日ですね」
「良い事だな。まァ、そいつは今地下牢にいんだが」
「……罪人のお友達は要らないかもですね」
終末よりはマシかもしれないけれど、とは冗談にしては重いかと考えトモリは口を噤んだ。こういった気遣いにトモリは自信がある。王国で暮らしている間に誰かから認められた覚えは全く無いけれど。
「そもそもわたし、魔族に知り合いなんていませんけど」
「あァ、魔族ではねェよ。いや、どうなんだろうな……まァあいつの自認はにんげんだしなァ」
「なんですそのややこしそうな感じ……」
そのような事情を抱えた相手も知らない、と言い掛けたところでトモリの言葉が止まった。一つ、心当たりがある。あまり当たってほしくはない心当たりと嫌な予感が確かにある。
溜息。長く深い息を吐き出して、トモリはうんざりとしているのが鏡を見ずともよくわかる表情をラスへ向けた。再びユリィカに頭をぐりぐりと押し付けられている姿もトモリの疲労感を加速させるようだ。不貞寝してしまいたい。
「――その人の名前と罪状、教えてもらえます? それでこれからやる事が少し変わります」
そうして、ラスから告げられた名は。やはりトモリの溜息を長く深くさせるものだった。
魔界と呼ばれるこの世界は常に寒冷だそうだけれど、地下牢はより冷えているようだった。牢というわりに妙に綺麗に見えるのは、ラスは意外と綺麗好きなようだからかもしれない。
……どうでもいい思考に逃げている。トモリはそう自覚しながらも、現実と向き合うのが憂鬱になっていた。アンジェリーナ・クラークがこの状況の絵図を引いたらしいというだけでも気が重くなるというのに、これから会わなければいけない人物の事を思うと溜息が止まらない。
「あんま溜息吐かない方が良いすよにんげんさん……とはもう呼ばない方が良いすかね。勇者さんとお呼びしても?」
案内役として先を歩くメリルが、振り向かずにトモリへ問う。ラスがいなければ会話もしたくないのだろうとトモリは感じていたので、話し掛けてきてきた事がトモリには意外だった。それを言えば、案内役を買って出た事もだけれど。
「ガラじゃないですし、脱走兵にされてればもう勇者でもなくなってると思いますよ」
「にんげんの勇者でなくなっても、我々の勇者にはなれるでしょ。我が王は貴女がお嬢の勇者になる事を望んでいます」
「重たい期待ですね。わたし、プレッシャーに弱いんですよ」
「ぷれっ……旧世界語すか? すんません、意味を教えてもらえませんか」
「……重圧とか、そんな感じです。英雄とか勇者に向いてる人には見えないでしょ、わたし」
旧世界の生き残りがいたとはいっても、魔族も旧世界の言葉が何でも通じるわけではないらしい。何が通じて何が通じないのかを調べるのも面白いかもしれない、と考えトモリは再び溜息を吐いた。そこまで親しくなれるかはわからないし、なる必要も無いはずだ。
「誰が見ても勇者だ英雄だなんて言われるやつはウチらの味方なんてしてくれないすよ。ウチなんてきっと口を開く前に上顎と下顎がお別れするす……」
「そんなに弱くは見えませんけど」
「でも、強くもなさそうでしょ? 所詮ウチは小さなヘビ、きっと頭だけ残されて盾に括りつけられたり酒に浸けられて珍味として振る舞われたりするすよ……そういやあの手の酒って飲んだ事無いすけど中身はどうするすかね? ヘビ酒にされるならせめて浸かった身体も美味しく食べてほしいすね」
なんと返したら良いのかわからず、トモリは困ってしまった。トモリはこの魔族がどことなく苦手だ。それは、これから会う事になる人物と似た何かを感じるからでもあった。感情の向く先がトモリでない事だけは幸いだけれど。
「……見た目はほとんど人と変わりありませんし、そんな酷い事はしないんじゃないですかね」
「ふふん、甘いすね勇者さん。旧世界はどうか知りませんけど、今のにんげんの野蛮さと惨さを舐めてるす。ウチ、ガキの頃に姉ちゃんの刺身食わされましたからね。魔族じゃないなら食えるよなって」
「…………すみません」
「勇者さんが謝る話じゃないすよ。もうン十年は昔の話ですし、元を辿ればウチが……あっ。あの、楽しくない話をしてしまいました。こういう話はあんまりするもんじゃないって我が王に言われたのを思い出したす……あの、ご内密に頼みます」
急にメリルが顔を青褪めさせてトモリへ頭を下げた。わけがわからずトモリが困惑していると、メリルは先までの話を無かった事にするように雑学や最近の失敗談を話し始めた。
おろおろとしているメリルは、忠実な従者というよりは親に怒られるのを恐れる子供のようだ。これが囚人達から好奇や怨嗟の視線を向けられる地下牢の中でなければ、トモリも微笑ましく思う事ができたのかもしれないけれど。
「……っと、もうそろ着くすね。どうすか、気分の悪くなる空間ですけど少しはマシな気持ちで歩けました?」
「はい、おかげさまで。お刺身の話さえ無ければ好感度が上がってたかもしれませんね」
「あう……そこは本当にご内密に頼みたいす。勇者さんと仲良くできたら我が王のウチへの評価爆上がりなはずなんすよ……一度お褒めの言葉を戴くまではどうか……演技で良いんで……どうか……!」
「あの人けっこうメリルさんを買ってると思いますけど」
「あれじゃ足りないす! もっと、こう! ……具体的には浮かばないすけど!」
本当によくわからない主従だ。トモリはこの手のよくわからない類の者が本当に苦手だけれど、嫌いなわけでもない。ただ関わりたくなくなるだけで。
できるなら、あまり好意は持ちたくないのだけれど。殺す必要が出た時に苦しくなってしまうから。敵は敵であると斬り捨てられる方が楽なのに。
……そうだこうだと話している間も歩みは進み、メリルは地下二階の奥で足を止めた。メリルとトモリの前には小さな牢があり、中を見れば覚えのある顔が一つ。
そこには、待っていたとばかりに満面の笑みを浮かべる少女が立っていた。人の耳と犬に似た獣の耳の四つを持ち、太陽を思わせる橙色の瞳を煌めかせた少女。未来が視えると語り、トモリに一夜の悪巧みを持ち掛けた元山賊。
ハクと名乗った少女が、牢の中で笑っていた。怪我でもしたのかそこかしこに手当の跡があるけれど、まるで気にしていないとでもいうふうに満面の笑みを浮かべている。
「やぁやぁ! トモリさん、お早い再会で――」
「まず、自分が何の罪を犯したのか言ってみてください。正直にどうぞ」
両手を広げて歓迎の意を示すハクに、トモリが蔑みの視線を向けながら冷たく問いを掛けた。すると、ハクは満面の笑みを苦笑へ変える。予定と違う、とでも言いたげだ。
「あ、あれっ? 再会を祝した抱擁とか期待してたんすけど」
「罪人を抱き締める腕は無いです。まずは罪の告白をどうぞ、聞くまでは牢から出すつもりはありません」
冷たく言い放つトモリにハクは悲しげに顔を伏せてみせた。その後ちらりと上目に覗いてみたけれど、冷たい視線は全く温度を取り戻してくれそうにない。
情に訴えるのは駄目だ、ハクは作戦を変える事にした。トモリは押しに弱いところがあるとハクは知っている。どうにか言葉を尽くして許してもらおう。
「……でも、そのですね? 罪自体はもうばちぼこに殴られたうえに労働で償ってまして、後はトモリさんがあたいの身元を保証してくれれば自由を得られるわけで」
「どうしてわたしが補償しなければいけないのかは一旦置いてあげます。わたしが知りたいのは再犯の可能性です。反省してなければまたやるでしょう。それなら一生捕まってるかここで死んだ方が良い」
「うぐっ……信頼されてない」
「されるような付き合いありました?」
「あったでしょ、長い夜だったじゃないっすか!? あんなに激しくあたいを抱きっ」
額に強い衝撃、ハクの意識と視界が一瞬白く染まった。景色を取り戻すと、何故か天井を見上げている。ハクが視線を元に戻すと、少し耳を赤くしたトモリが睨んでいるのがよく見えた。
「次に変なことを言ったらデコピンじゃ済ませません」
「マジすんませんした……」
そういえば妙な力を持っていたな、とは心の中でだけ。ハクはトモリが超能力と呼ばれる類の力を扱う事を失念していた。というよりは、殺さないように加減ができるとは思っていなかったのだ。
「それで、話してくれるんです? わたしが保証人になるか処刑人になるかは君の態度次第ですけど」
「よし語りましょう、聞くも涙語るも涙のあたいの過去を!」
「また山賊になった経緯から始めたりしませんよね?」
ハクが気不味そうに視線を逸らした。情に訴える手段として、メリルらにはまだ話していなかったのだろう。語ったとして許してくれる程に甘くもないとトモリは思うけれど。
――さておき。ハクが語ったこの牢に至るまでの話は、トモリにも予想のできないものではあった。
リュレでトモリと別れた後、ハクは騎士団に追われる身となっていた。街から抜け出す前にと被害の少ない家々に忍び込み金目の物を漁っていたところ、王都から調査にやってきた騎士と遭遇。思わず逃走したものの領地の外に出ても追い回され、気付けば遺跡に迷い込んでいた。出口を探していたところ崩落に巻き込まれ、目を覚ませば知らない場所――この魔界のとある街にいたのだという。
魔族にも様々な者がいるけれど、ハクの迷い込んだ街ではハクと同じように獣に似た特徴を持つ魔族は少なくなかった。そのおかげで目立たずに済み、未来視で死の危険は避けられる。この二つの利点のおかげで、ハクは魔族の暮らす街で誰にも気付かれずに生きてゆく事ができた……けれど、ある日限界が訪れてしまう。
一度終末を迎え元の住人に放棄されたこの世界は、魔族により再生の道を辿っているとはいえ資源に乏しいのだ。つまり、食べ物が無い。より正確には、凶悪な野生動物を狩る力は無いうえに店に頼る金も無い。何度か情に訴えてみようとしたけれど、水を一杯恵んでもらえるのが精々だった。
もう、これしかない。飢えに苦しむ中、ハクはとうとう一つの決断を下す事となった。そうしてハクは食い逃げを働き、捕まった後牢に入る事となった。
「――ってぇわけでござんして、あたいも泣く泣くね? トモリさんとの誓いを破る事に涙を流しながらね? ある日は他の客に紛れて、ある日は堂々と店を出て。またある日は呼び止められながらも自慢の足で……あの、マジですんませんした。なんか耳元でばきばき怖い音するんすけど、これさいこきねしすってやつっすか?」
「死んだら身体で答えがわかるんじゃないですかね」
「マジすんませんしたぁ! 反省してます、出所したら迷惑掛けた全部の店に頭下げて回ります、お金払います! でもその前にお金払う為の仕事をください!」
ごんっ。鈍い音が地下牢に響き渡った。トモリがハクの土下座を見るのはこれで二度目だ。実際のところ、ハクが未来を視た数を入れればどれだけの数になるのだろう。この話もどこまでが本当なのかもわからない。
暫く考え、トモリは溜息を吐き出した。思考を放棄するべきではない。けれど、この子供の扱いに関しては考えるだけ無駄に思えてきてしまう。トモリがどれだけ考えても、結局は踊らされているのではという疑念が消えてくれないのだ。
予言や未来視とは、そういう力だ。何をどうしてもこの疑念は消える事が無い。できるのは、受け入れるか拒絶の末に離れるかのみなのだから。
けれど、きっと。トモリが、友守平和が一番に苦手なのは。この子供を見ていると、つらくなってしまう一番の理由は。
「えっと……勇者さん、こいつを助ける気は無いすけど、一応牢内では指示に従順で大人しかったす。ただ、何処の誰かわかんないんで聞いたら魔族じゃなくてにんげんだとか言うんで外出せなかった感じでして」
何か困惑した様子のメリルがトモリへ補足を入れる。トモリは知らない事だけれど、ハクは今日まで基本的には大人しく……少なくとも石畳に何度も頭を叩き付けるような奇行はしなかったので、メリルは心からハクに困惑して引いていた。
「……で、わたしに身元を保証させようと。罰はもう与えたんですね?」
「はい。散々私刑を受けた後でしたし、意外と手先が器用なんで裁縫とかさせていたす。んで、ここに移された日に王都襲撃の予定を当ててみせてこう言ったす。あんたらが行く王都でトモリノドカという旧世界人に会うはずだ。そいつがこの身を預かってくれるはずだと。本当に知り合いなら始末は任せるとのことですが」
そう言われても困る。トモリは言葉にはせず溜息を吐き出した。今日何度目になるかわからない、というよりも最近は本当に溜息を吐きたくなる事ばかりだ。
目を覚ませば記憶の大半が無く、わけのわからないままに捕まり所持品を奪われ返してほしければと性能試験とは名ばかりの拷問や殺しを強いられる日々。破損していた装備は諦められるとして、鞄だけは返してほしかったのに取り戻せないまま魔族に拐われてしまった。替えの制服も何着か入っていたはずなのに。
「……はあ。まあ、いいですよ。この子はわたしが預かります。それで、またやらかすようなら責任を取って捨てるか殺す。それで問題無いです?」
「はいす。我が王も、貴女ならきっとそう答えるだろうと言っていました」
「一度殺り合っただけにしては随分と理解されているようで、嬉しいですね」
「それはもう、我が王の目に曇りはありませんから。……あ、魔王陛下に対しては別ですが」
吐き捨てるように続けられた言葉は聞かなかった事にして、トモリはメリルから鍵を受け取った。正直に言えばこのまま捨て置けばよいのではとも思っているけれど、確かに一度共に悪巧みをした仲だ。罰はすでに受けたというのなら、とトモリは半ば無理矢理己を納得させる事にした。
がちゃり。鍵が回り、牢の扉が開く。ぱっと顔を上げるハクにトモリは本当に何度目かになるかわからない溜息を吐いた。苦手な子供だ。だけれど、どうしてか放っておけないとも思ってしまう。魅了の類は受けていないはずなのだけれど。
まあ、どうでもいい話だ。トモリはいつまでも出てしまいそうな溜息を呑み込み、ハクを無表情に見詰めた。やはり何を企んでいるのかわからない子供だ。この目をした者の企みを見抜けた事など、失った記憶の全てを取り戻しても無いのかもしれないけれど。
「それで。何を企んでいるんです? どうせまた何か悪巧みをしてるんでしょう。わたしに会いたかったから、なんて言いませんよね」
「半分くらいはそれなんすけど。あ、冷たい目で見ないで泣いちゃう。あとあの、やっぱ言うとずれるんであんま言いたくないんすけど……」
「こういう会話をするのも視えてるんじゃないです? 説明を渋った末の末路も視えてると思いたいんですけど。わたし、今かなり機嫌悪いですよ」
未来を知る者に対しては、どう動いたところで掌の上にいる気持ちの悪さがあって苦手だ。今トモリが苛立っている事も、なにもかもがこの少女の敷いたレールの上の出来事のように思えてしまう。この気持ち悪さをどうにかする方法をトモリは知らない。従おうが抗おうが、それで掌の上から逃れられたかを知る術は無いのだから。
だから。こういう時にどうするかを、トモリは一応決めている。きっと、かつてもそうしたはずだと信じている。
「言いたいことは、前と変わりません。悪巧みがしたいなら上手に騙して使ってください。それができなくなったら殺してあげますから」
「――あたいの答えも変わりません。むかついたら好きに殺してください。最期に理由だけ教えてくれれば、次はもっと上手くやってみせます」
橙色の瞳が煌めいている。太陽を思わせるその瞳がやはりトモリは苦手だ。眩い煌めきは、救えなかった者達を思い出させようとして胸と頭をずきずきと痛ませる。
今度こそ、だなんて。救いたかった人達の名も顔も、忘れてしまったくせに。もう世界すら侵され塗り替えられてしまったというのに。それでもどこかで、願ってしまうのは。
『――――お願いですよ、ナインさん』
大切だった友達も、同じ色の瞳をしていたから。それを思い出してしまったから。そうなった切っ掛けもこの子だったから。きっと、それだけなのだ。
「目的は」
「終末の阻止です。王都から始まる絶望を止めたいと思っています。それには、あなた達の力が必要です」
「何を見ました」
「王都に顕れた巨大な塔が、世界中へ呪いを振り撒きます。幾つもの国が滅び、その絶望から新たな終末が生まれてゆく光景をあたいは視ました」
一瞬、トモリとメリルは視線を交わし合った。トモリの疑いの視線に対して、メリルは静かに首を横に振って答える。
メリルもまた困惑していた。この獣混じりの少女は不気味なところもあるけれど、基本的にはただの子供だと見ていた。妙に懐っこく看守や他の囚人とも上手くやっていて、けれどやはりどこかに気味の悪さを感じる子供。そう感じ、多少は警戒をしていた。だからこそ案内を申し出た。
一つだけメリルに確信できたのは、この少女はトモリノドカに異常な執着を抱いているという事だ。その為に魔界に迷い込み、何度も罪を犯して捕まったのか。己はにんげんだと騒ぎ立てて主の興味を引き、トモリをここへ連れてくるよう誘導したのか。まさかと思いながらも、メリルはこの考えを否定しきれなかった。トモリを見る少女の瞳には、ある種の狂気が宿っている。己が自覚している狂気と近いものを宿している。
それは、様々な感情が綯い交ぜになり一つの名前では言い表せなくなった何かだ。重力と湿度を感じさせる黒く濁った感情だ。この瞳を見ていると、この少女はトモリに会う為ならば何をしてもおかしくないのではと感じてしまう。
トモリがそれに気付けていないようなのは少女が上手く隠しているからなのか、ただトモリが他者の感情に鈍いのか。それはメリルにはわからないし、どうでもいいけれど。
なんであれ、メリルのする事は決まっている。どのみちトモリを連れ王都へ出る予定はあったのだ。説得する必要が無くなったのは良しとするべきだろう。あの塔に用があるのは、メリルの主も同じなのだから。
「勇者さん。お話、まとまったすかね?」
「はい、お待たせしました。ラスさんと話したいんですけど、お願いできます?」
「我が王も処分が決まったら戻ってくるよう言っていましたから。それに、そろそろ王都に残っていた同胞もこちらへ戻ってくる頃です。必要な情報を持ち帰ってきてくれているかと」
魔王を信奉している点は気に喰わないけれど、メリルはその魔族の事はそれなりに敬い信用している。今のように無気力になる前を知っていて、主とも古くから認め合う仲だからという程度の理由ではあるけれど。それでも、主の次の次程度には信頼の置ける魔族だとは思っている。
「ここ最近は少しぐうたらになってしまいましたが、強く優しい御方ですよ。勇者さんともきっと仲良くなれます」
「ははは。楽しみです」
「これっぽっちも期待してない乾いた声すね……」
魔王の怒りが一柱、貌無しディレ。本名をココネ・ディレ。その魔族がトモリの王都に残した数少ない心残りの一つであり、この後気不味い再会を目撃する事になるとはメリルは全く予想していないのだった。