[ブルーアーカイブ] トリニティのブドウ農園主   作:ancoracor08

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第4章 ワイルドハント芸術学院 第4話:古典の終わり、芸術の始まり

 

ワイルドハント芸術学院の古風な学生寮。

 

厚い遮光カーテンが引かれた部屋の中には、まだ日が完全に沈みきっていないにもかかわらず、重苦しい闇が降りていた。

 

その闇の中、ベッドの上では、小柄な少女が壁に背を預けたまま、膝に顔を埋めていた。

 

「ひっ、ぐすっ……」

 

ウスバ・リツの華奢な肩が、かすかに震えていた。

袖口はすでに涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていたが、それでも彼女はすすり泣くのを止められなかった。

 

舎監隊で事情聴取を受けている間、彼女は被害者という立場だったため、特に厳しく追及されることもなく、供述を終えると早々に解放された。

 

だが、寮へ戻り、ひとりきりになった瞬間から、押し殺していた感情が堰を切ったようにあふれ出したのだ。

 

リツにとって、岩は受動的な素材ではなかった。

 

岩の内側には、すでにいくつもの『形象』が眠っていた。

そして、その形象たちは、自分を外へ出してほしいとリツに語りかけてくる『存在』だった。

 

彼女のノミと槌は、隠された形象を解放するための道具だった。

 

つまり、リツの創作動機はいつだって、ノミと槌を使って対象の呼び声に『応答』し、隠された形象を解放してやるという、限りなく純粋で受動的な救済の過程だった。

 

だが、今回は違った。

 

イズレ・ナホトという男を目にした瞬間。

 

そして彼が、『エデン』という名のブドウを栽培している農夫だと知ったとき、リツの内側では、生まれて初めて経験する猛烈な創作欲が爆発した。

 

岩が先に彼女を呼んだのではなかった。

 

リツ自身が明確な『意図』を持ち、自分の望む形象へと作り上げたいという、激しい渇望を抱いたのだ。

 

彼女は作業に取りかかる前、大理石を撫でながら岩を説得した。

 

岩の中に眠っている形象ではなく、自分が望む姿へと彫り出したい、と。

 

それはリツが生まれて初めて、岩の中に眠る形の解放ではなく、ひたすら自らの意図を込めた『自己表現』を成し遂げた、最初の真の『作品』だった。

 

しかし、その輝かしい最初の能動的創作は、最もおぞましい倫理的失敗と隣り合わせだった。

 

「存在しないものを、お前の下劣な想像で継ぎはぎした。それは傲慢で、吐き気がするほどの美化だ。どうしても翼を付けたかったのなら、俺の顔と身体は避けるべきだった」

 

ナホトの冷たく、残酷な一喝が、リツの耳元で絶え間なくこだました。

 

リツはそこでようやく気づいた。

 

エデンの門番を彫刻するとき、彼女は天使という普遍的で美しい象徴を具現化しようとして、ナホトを優れた『素材』としてしか見ていなかった。

 

だが、彼の顔と身体を借りた以上、その彫像を彼とは別個の存在にすることなどできない。その事実を、彼女は見落としていたのだ。

 

無機物である石塊にさえ、形を変えさせてほしいと慎重に了承を求めていた彼女が、血と肉を持ち、過去の傷を抱えて生きている生身のモデル、ナホトには、何ひとつ同意を求めていなかった。

 

抽象的な美学倫理の問題ではなかった。

 

リツがすでに石に対して実践していた、その純粋な行動原則を、肝心の人間には適用できなかったという痛烈な自覚。

 

創作者の道具が、対象の人生よりも重く扱われてしまったのだという悟りだった。

 

それは、彫刻家ウスバ・リツが芸術家として一段階進化するまばゆい瞬間であると同時に、自らの傲慢さが他人の爛れた傷を残酷にえぐったのだと悟る、惨たらしい成長の痛みでもあった。

 

「謝らないと……私が、謝らないと……」

 

リツは膝に顔をこすりつけながら涙を拭い、そっとその場から立ち上がった。

 

どうにかして彼に、モデルのおじさんに謝らなければ。

 

その思いが、胸を締めつけていた。

 

―――――――――

 

同じ頃、ワイルドハント芸術学院評議会の会議場。

 

円卓を囲んで座る評議会の委員たちと舎監隊の幹部たちの間には、銃器騒動に関する舎監隊の調査報告書が画面上に表示されていた。

 

「事件の全容は明らかです。部外者であるイズレ・ナホトが銃器を使用し、学院内の展示品を破損した事件です」

 

「しかし、当該作品のモデルだった被疑者の供述によれば、これは単純なテロ行為ではありません」

 

評議会の眼鏡をかけた委員が、書類を指先で軽く叩きながら、学術的な口調で話し始めた。

 

「作者であるウスバ・リツは、普遍的理想主義と美学的温情主義に基づき、モデルの意思を徹底的に排除しました。これは、対象のアイデンティティと価値を独占的に定義し、規定できる芸術家としての優越的地位を利用して権力を振るった、情緒的暴力です。しかし、これは意図的なものではなく、完成性(Idealism)を追求する未熟な一年生の古典的思考による過失です。そして、それに対するモデルの破壊行為は、『誤った表象や偽りのイメージに対する抵抗』、すなわち極めて正当な聖像破壊(Iconoclasm)として解釈できる余地が十分にあります」

 

「同意します。当該事件は、たとえ過失によるものであったとしても、無意識のうちに芸術的権力を振るった芸術家の傲慢さに対する、対象の実存的抵抗として見るべきです」

 

ワイルドハント特有の、奇怪かつアヴァンギャルドな美学的法理解釈がかみ合い、銃を発砲したナホトに対する処分は、驚くほど速やかに結論へと至った。

 

「加害者イズレ・ナホトについては、『訓戒放免』とすることで決定します。ただし、芸術的抵抗とは別に、展示場の大理石の床タイルや柱など、共用物品の破損に対する物理的な修理費については、当然ながら弁償するべきでしょう。被害規模を算定した後、トリニティのティーパーティーを通じて彼の自宅へ請求書を発送し、本件は終結とします」

 

だが、ナホトに関する議題が終わったにもかかわらず、評議会の会議は終わる気配を見せるどころか、むしろいっそう熱を帯びていた。

 

本当の問題は、別にあったからだ。

 

「今回の事件を契機として、我々の教育課程を見直すべきです。『芸術哲学と倫理』の科目を、一年生のファウンデーション課程に導入することを提案します」

 

「反対です。具体的な実技経験すら不足しているファウンデーション一年生に、美学的倫理を論じるのは時期尚早です。芸術倫理というものは、学生たちが実際に『作品』を作り上げ、作家としての自我を確立して初めて、真剣に実感できる問題です。そもそも現在のカリキュラムがこのような構成になったのは、過去に当該科目が一年生の心に響かなかったからではありませんでしたか?」

 

向かい側の委員が机を叩いて反論すると、提案を出した委員も一歩も退かなかった。

 

「一年生たちはファウンデーション課程に所属しているにもかかわらず、それとは別に個人作品を制作して活動しており、その中には作品を生み出せる天才が一部存在しています。今回のウスバ・リツの事例は、いずれ起きる時間の問題だったということです。一年生に倫理的なガイドラインが存在しなければ、今回と同じことが再び発生するでしょう」

 

「無限の創造性が拡張される経験を先に積み、その後で倫理というフィルターを加えることと、最初から倫理という枠の中に創造性を閉じ込めて育てることは、芸術家としての潜在能力そのものを左右する問題です。発散すべき時期に、まず抑制を学んだ天才は、決してその限界を打ち破ることができません。それに、一年生のファウンデーション課程は、実技の授業時間が何よりも重要な時期です。倫理科目を追加するのであれば、既存のドローイングや塑造の実技時間を削らなければならないという、直接的なトレードオフが生じます。その最適点が、いったいどこにあるというのですか?」

 

大理石が砕け散り、銃弾が飛び交った前代未聞の騒動は、舎監隊から送られたナホトの供述内容と行政的な手続きによって、速やかに収拾された。

 

しかし、ワイルドハント上層部を終わりのない乱戦のような議論へと突き落とした、本当の本題はここからだった。

 

武力沙汰の残骸の上から立ち上った『一年生カリキュラム改編』という巨大な教育学的言説が、評議会の面々の顔色を変え、激しい舌戦の幕を開けていた。

 

 

―――――――――

 

 

評議会の机上の空論が、果てしなく続いている頃。

 

光の差し込まない舎監隊本部の冷え切った取調室で、ナホトは手錠をかけられたまま、鉄製の椅子に微動だにせず座っていた。

 

怒りが収まり、理性が徐々に本来の場所へ戻ってくると、ナホトの脳裏では、つい先ほど自分がしでかした行動が、スローモーションのように痛々しく再生されていた。

 

自分と瓜二つの彫像。

 

そして、その背中に生えていた、おぞましい翼。

 

確かに、あれを目にした瞬間の吐き気と喪失感は、翼を噛み砕かれた瞬間の幻肢痛さえ呼び起こす、紛れもない苦痛だった。

 

だが、だからといって、自分が振るった暴力は正当化されるのか。

 

『……大人げなかったな』

 

ナホトは深く息を吐きながら、うつむいた。

 

トリニティの複雑な政争と、過酷な農作業をくぐり抜け、自分は一人前の成人なのだと自負していた。

 

それなのに、いざトラウマを目の当たりにした瞬間、彼は十九歳の大人ではなく、駄々をこねる未成年へと退行してしまったも同然だった。

 

正式な舎監隊員や展示会の管理者を探し出し、肖像権の侵害と精神的苦痛を訴え、正当な手続きによって撤去を求めることもできた。

 

あるいは最低限、あの衝撃的な彫像を視界から退け、布で覆ってから、静かな場所へリツを呼び、彼女の目を見ながら落ち着いて感想を伝えることもできた。

 

『お前にそのつもりはなかったのだろうが、この姿は俺のトラウマを刺激する。撤去してほしい』と。

 

だが、彼は対話の余地すら与えず、いきなり十二ゲージのスラッグ弾を装填した。

 

何が起きているのかも分からないまま、自分の傑作を粉砕しようとする銃口を素手で止めようとし、悲鳴を上げていた小さな少女の顔。

 

そして、ゴム弾をみぞおちに受け、倒れ込んで息を詰まらせていた、あの苦しげな姿が網膜に鮮明に突き刺さった。

 

『愚かで、間抜けなクソ野郎だ』

 

自嘲の混じった罵声が、胸の内を巡った。

 

芸術の倫理を知らなかった子供の無知を責める前に、感情を制御できず、物理的な凶器を振るってしまった自分自身の未熟さが、どこまでも恥ずかしかった。

 

どうにかして、リツに謝りたかった。

 

そのとき、固く閉ざされていた取調室の扉の向こうから、電話のベルがかすかに聞こえた。

 

やがて扉が開き、彼を取り調べていた舎監隊の生徒二人が入ってきた。

 

たった今、舎監隊副隊長のヒロミから評議会の決定を伝えられた彼女たちの表情は、なんとも微妙なものだった。

 

「イズレ・ナホトさん」

 

生徒が近づき、鍵を使ってナホトの手錠をカチリと外した。

 

解放された手首を撫でるナホトに向かって、生徒は咳払いをしてから告げた。

 

「先ほど、評議会での緊急議案の処理が終了しました。あなたの行為はイコノクラスム、および芸術的権力に対する正当な批評的抵抗と認められ、舎監隊による懲戒を行わず、『訓戒放免』とすることが決定されました」

 

「……放免、ですか?」

 

「はい。ただし、作品の破壊とは別に、展示場の大理石タイルや柱など、共用物品の破損に対する修理費は弁償していただきます。被害規模が算定され次第、トリニティのティーパーティーを通じて、ご自宅へ請求書が発送される予定です。もうお帰りいただいて構いません」

 

ナホトは呆気に取られた。

 

芸術の中心地と呼ばれるワイルドハント芸術学院の展示場で、大勢の人間が集まっている中、銃器を発砲して展示中の彫像を破壊したのだ。

 

明らかにヴァルキューレへ引き渡され、収監されてしかるべき重大事件だった。

 

だが、下された結論は、呆れるほど寛大な『訓戒放免』だった。

 

芸術に無知な彼には、イコノクラスムだの、芸術的権力への抵抗だのという聞き慣れない言葉が、どのような理屈で自分の暴力を取調室の外へと送り出したのか、まるで理解できなかった。

 

ただ、常識よりも芸術的な許容が優先されるこの学院の性質を、かすかに実感しただけだった。

 

しかし、安堵したのもつかの間、この件がティーパーティーへ正式に報告されると聞き、彼は再び舌を巻くしかなかった。

 

単に自宅へ送りつけられる莫大な修理費の請求書が問題なのではない。

 

現ティーパーティーのホストであるナギサにこの事件が伝われば、またある日突然訪ねてきて、ティーカップを置きながら、

 

「なぜわざわざご自分で銃口を持ち、ご自身を加害者の立場へ追い込まれたのですか? 相変わらず……ご自分をいたわる術をご存じないのですね」

 

と、静かな口調でたしなめてくるに違いない。

 

その小言が、すでに耳元で聞こえてくるようだった。

 

だが、その目眩のするような想像さえ、長くは続かなかった。

 

今この瞬間、彼の頭の中を最も重く満たしているのは、ナギサの幻聴ではなく、リツに伝えなければならない心からの謝罪。

 

ただ、それだけだったからだ。

 

舎監隊の建物を出たナホトの頬に、突き刺すような初冬の寒風が吹きつけた。

 

灰色の空の下では、雪の粒がひとつ、またひとつと舞い始めていた。

 

『リツに謝りたいが、一年生で彫刻専攻だということ以外、何も知らない。どこを探せばいいんだ……』

 

広大なワイルドハントのキャンパスで、当てもなく彼女を探し回るのは途方もないことだった。

 

ナホトが深いため息をつき、キャンパスの広場へ向かうべきか、それとも展示館へ戻ってみるべきかと迷い、その場に立ち止まった、まさにそのときだった。

 

「モデルのおじさん」

 

「リツ……?」

 

風に乗って届いた、深く沈んだ幼い声。

 

ナホトが驚いて振り返った先。

 

舎監隊の建物の角にある街灯の下。

 

その淡い光の中から、小柄な少女がためらいがちにナホトへ近づいてきた。

 

ナホトの視線が、リツの顔に留まった。

 

寒い冬の夜、いったいどれほど長い間、舎監隊の建物の外をうろついていたのだろう。

 

彼女の鼻先と耳の先、そして落ち着きなく動く小さな指先は、冷え切って真っ赤になっていた。

 

ナホトの胸の片隅が、ずきりと痛んだ。

 

つい先ほどまで銃を向けていたわだかまりなど、跡形もなく消え去っていた。

 

代わりに押し寄せてきたのは、大人として抱く重い憐れみだけだった。

 

リツはナホトの視線を避けると、深くうつむいたまま、つま先で何の罪もない大理石の床をこつこつと蹴った。

 

「おじさん、少しだけ時間をもらえる?」

 

それは、ノミを置いた彫刻家が、岩ではなく、人間という真実の形象に投げかける、最初の問いだった。

 




蛇足ですが、最後のリツの台詞は「先生、ちょっとお時間いいですか?」のパロディです!
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