[ブルーアーカイブ] トリニティのブドウ農園主 作:ancoracor08
古びたトラックのエンジンが悲鳴を上げながら、トリニティ自治区の道路を疾走していた。
ハンドルを握るナホトの額には冷や汗が浮かんでいたが、彼は荒くなった呼吸を抑え込み、必死に理性的な計算を試みていた。
『落ち着け、伊豆礼ナホト。いくら葡萄酒とはいえ、聖餐式に使う杯はせいぜい十八から二十ミリリットル程度だ。そんな微量で人が酔いつぶれるはずがない。』
どれだけ最悪の状況を想像してみても、せいぜい一生酒を口にしたことのないシスターフッドの生徒数名が、ほんのり酔いが回って頬を赤くし、へらへら笑っている程度だろう。院長であるサクラコが額を押さえて困っていたり、ヒナタやマリが酔ったシスターたちの面倒を見ながら、その酔態に苦笑していたりする程度の騒ぎにすぎないはずだ。ナホトはそう考えた。
彼がこんな甘い希望的観測を巡らせることができた理由は単純だった。トリニティ本校在学時代、彼はただの一般生徒としてチャペルに出席し、学期末に一度だけある聖餐式に参加したことがあるだけで、残った葡萄ジュースをどう処理するのかまでは知らなかったからだ。聖餐に用いられた葡萄酒が「聖なる聖物」として扱われ、一般の下水やゴミ箱に軽々しく捨てることができず、できる限りその場ですべて飲み干して空にしなければならないというシスターフッドの厳格な後片付け規定など、一般生徒だった彼が知るはずもなかった。
だからこそ、ナホトはひたすら希望的観測を回し続けた。
『そうだ。今すぐ駆けつけて頭を下げ、謝罪すれば、軽い処分程度で済むかもしれない』と。
キィィィッ――!
激しい摩擦音とともに、トラックが大聖堂の前庭で停止した。ナホトは車の扉を蹴るように開けて飛び出し、荘厳にそびえ立つ大礼拝堂の重い樫の扉へ向かって走った。息は喉元まで上がっていたが、立ち止まっている暇はなかった。
バンッ――!
「はあ、はあ……サクラコ様! マリ様! 本当に申し訳ございま……!!」
謝罪の叫びとともに、巨大な樫の木で組まれた大礼拝堂の扉が、鈍い破裂音を立てて大きく開け放たれた。だが、荒く喘いでいたナホトの息遣いも、喉元まで込み上げていた言い訳も、目の前に広がる凄惨な光景の前では、一瞬にして冷たく凍りついてしまった。
ステンドグラスを通して降り注ぐ聖なる光の下。
ほんのり酔いが回ってへらへら笑うシスター? 額を押さえているサクラコ? 彼が運転席で必死に思い描いていた常識的な酔っぱらいたちの光景など、どこにもなかった。
シスターフッドの大礼拝堂は、まさに阿修羅場と化していた。
整然と並べられているはずの長椅子は、爆撃でも受けたかのようにあちこちで壊れ、転がっており、敬虔に賛美歌を歌っているはずの修道服姿の生徒たちは、そこかしこに意識を失ったまま倒れていた。空気中には、理性を意識の奥深くへ水死体のように引きずり込み沈めていく、ねっとりとした葡萄酒の匂いが濃く漂っていた。
「くっ……。」
壊れた残骸の間から、押し殺した呻き声が聞こえた。酔っ払ったシスターを見て額を押さえているだろうと予想していたサクラコが、自分の肋骨のあたりを強く押さえたまま床に倒れていた。ナホトが必死に回していた幸せ回路は、跡形もなく粉砕されていた。そこは、つい先ほどまで無慈悲な爆撃が通り過ぎたかのような、凄惨な地獄絵図だった。
ナホトは倒れた生徒たちを見て、目の前が真っ白に明滅するのを感じた。
『こ、これはいったい何が起きてるんだ?』
せいぜい葡萄酒一口にも満たない量が引き起こした惨事とは、とても思えない光景。
絶望的な独白とともに、ナホトの視線は惨事の元凶へ向かった。
どす黒い赤い液体を頭から被ったまま立っている巨大なシルエット。シスターフッドのヒナタだった。彼女のベールと修道服からは葡萄酒がぽたぽたと滴っていたが、当の彼女の顔には、この世の憂いをすべて忘れたかのような、恍惚として無邪気な笑みが浮かんでいた。
「いけません、ヒナタ先輩! お願いです……お願いですから正気に戻ってください!」
その向かい側で、マリが倒れたシスターたちを背後にかばいながら、切実に叫んでいた。彼女の両手には愛銃「ピエティ(Piety)」が握られており、猫耳は怯えてぷるぷると震えていた。引き金にかけた指がためらっているのが、はっきりと見て取れた。
しかしマリの懇願にも、アルコールにどっぷり浸かったヒナタは、ただ首をかしげるだけだった。
「ええ? 正気に戻れだなんて、マリちゃん? 私は今、とっても正常ですよ!」
ヒナタは間の抜けた笑い声を上げると、武器ひとつ持っていない両腕を大きく広げた。自分は安全で平和な人間なのだとアピールするような、無防備な仕草だった。
「見てくださいねえ~。むしろいつもより気分がずっと、ずっといいみたいです!」
そうして、その恐るべき両腕を広げたまま、マリへ向かって近づき始めた。悪意など一欠片もない足取りだったが、サクラコの骨が砕けるほど強烈な抱擁を目撃したマリにとっては、野生の熊が襲いかかってくるのと変わらない恐怖だった。
その光景を固まったまま見つめていたナホトの頭の中で、けたたましい警報音が鳴り始めた。
自分のミスで、この神聖な場所が崩壊した。これは単にシスターフッドにアルコールをばら撒いたという程度を超えた問題だった。その程度なら、正義実現委員会が農園に押し寄せて銃床で顎を殴りつけるとか、神聖な大ミサを冒涜したと怒り狂ったシスターたちが小銃を手に乗り込んできて葡萄園を焼き払うとか、そのあたりで済んだかもしれない。
だが今、このめちゃくちゃになった礼拝堂の惨事の原因が、ほかならぬ自分が葡萄ジュースだと思って納品した葡萄酒のせいだとしたら? これはもはや農園廃業程度で済む規模ではなかった。シスターフッドの本拠地を滅茶苦茶にしてしまったテロ行為にも等しい行いなのだから。十中八九、正義実現委員会に連行されて埃が立つほど殴られるのは基本として、最悪の場合、トリニティ自治区から追放される可能性すらあった。
不安と恐怖が連鎖し、ナホトの精神を蝕んでいく中、床に倒れていたサクラコがナホトを見つけ、苦しげに口を開いた。
「ナホトさん……! お願いです……どうかあの子の注意を引いてください……!」
サクラコの切実な叫びに、ナホトははっと我に返った。恐怖で麻痺しかけていた脳裏に、閃くような計算がよぎった。
『……いや、待てよ。』
もし自分が今すぐ、あの慈愛深い破壊戦車を止め、事態収拾の第一功労者になれたなら?
『そうだ。うまくやれば情状酌量を受けられるかもしれない。運がよければ執行猶予まで狙える!』
生存と減刑へ向かう一縷の希望が、ナホトの利己心に火をつけた。彼はぶるぶる震えていた手を固く握り、背中へと手を伸ばした。
ガチャリ――!
冷たく重い金属音が、アルコール臭に満ちた礼拝堂の空気を切り裂いた。
ナホトの手に握られていたのは、頼もしいダブルバレルショットガン。左右の銃身に「Light(光)」と「Salt(塩)」という文字が刻まれた、彼の愛銃だった。
彼は銃口を下に向けたまま、硬い表情で歩を踏み出した。無邪気な顔で死のフリーハグを繰り出そうとしているヒナタの背後へ向けて、光と塩の導きを下す時間だった。
タァァン――!!
大聖堂の荘厳なドーム構造のおかげで、岩塩弾が空中で爆ぜる音は、まるで雷が落ちたかのように礼拝堂全体へ轟き渡った。
「ヒナタ様!! シスターたちへのキュートアグレッション(Cute aggression:とても可愛い対象、特に赤ん坊や幼い動物を見た時に発生する、逆説的な攻撃衝動を指す心理)を止めてください!」
「こ、攻撃性だなんて……!! 私はただ愛を分け合いたかっただけなのにぃぃ……!」
「今あなたが分け合っているのは愛ではなく、腰椎と胸椎の物理的分離です! シスターのその容赦ないフリーハグは愛ではなく、か弱いシスターたちの骨と内臓を潰して人間ジュースにしてしまう油圧プレスなんですよ!」
ナホトはそう言うと、ヒナタへ銃口を向けた。
その痛切で骨身に沁みる事実の暴力が、大聖堂の高い天井を叩いて反響した。
一瞬。轟音に包まれていた大聖堂に、嘘のような静寂が訪れた。つい先ほどまで響いていた破裂音も、ヒナタの足音も、すべて止まった。
苦労して身体を起こし、すでに気絶したシスターたちを安全な場所へ移そうとしていたサクラコ。背後に倒れたシスターたちを守るため、ぶるぶる震えながらピエティの銃口を向けていたマリ。そして、つい先ほどまで両腕を広げて近づいていたヒナタまでも。
大聖堂で意識のある全員の視線が、ショットガンを持つナホトの唇へ一斉に突き刺さった。
静寂を破ったのは、とても小さく悲しげなすすり泣きだった。
ヒナタの大きな瞳に大粒の雫が浮かぶと、やがてぽつり、ぽつりと床へ落ち始めた。アルコールによって感受性が極限まで敏感になっていた彼女の純粋な心に、ナホトの「人間ジュースプレス機」発言は、まさに大艦巨砲級の致命傷を与えてしまったのだ。
「ううう……びえええん!!」
ヒナタはその場にぺたんと座り込み、まるで玩具を奪われた幼子のように、両手で顔を覆って声を上げて泣き始めた。
「あ、あれ……?」
ナホトは狼狽し、手にしていたショットガンをそっと下ろした。彼が予想していたのは、怒り狂った破壊戦車の突進であって、こんな悲しげな大号泣ではなかった。
その時、周囲から刺すような視線がナホトへ突き刺さり始めた。
「ナ、ナホトさん……いくらヒナタ先輩が悪かったとはいえ、プレス機だなんて……言い方があまりにもひどすぎます……。」
マリが猫耳をしゅんと垂らしたまま、恨めしげな視線で彼を見つめた。
さらに、肋骨を押さえながら苦しそうに息をしていたサクラコまでもが、痛ましげに首を振り、一言添えた。
「……ナホトさん。事態の収拾をお願いしたとはいえ、あれほど純粋な子の心に大釘を打ち込む必要まではなかったのではありませんか。」
おまけに、マリの背後に身を隠していたシスターたちまで、「ナホト様……ひどい……」「うちの先輩を泣かせないで……」と呟いているではないか。
瞬く間に大聖堂を荒れ地にしたヒナタの注意を引く囮から、純真なシスターを言葉で踏みにじって泣かせてしまった「天下の人間のクズ」へ転落してしまったナホト。
彼は良心の呵責に押し潰され、おろおろした末に、ショットガンの紐を肩に掛け、慎重にヒナタへ近づいた。
「あの……ヒナタ様。状況があまりに切迫していて、口が滑りました。泣かないでください……。」
ナホトがどうしていいか分からず、うずくまって泣いているヒナタの大きな背中をぽんぽんと叩いていた、まさにその瞬間だった。
「ふえええん! ナホトさぁぁん!!」
ぎゅうっ――!!
大泣きしていたヒナタが突然身を起こし、ナホトの腰と背中を両腕でぎゅっと抱き締めてしまった。悲しい気持ちを慰めてもらおうとする、極めて純粋で盲目的な抱擁だった。
「……!!」
ナホトの口から、押し殺した悲鳴が漏れた。
彼は内心、自分の腕力にはかなりの自信を持っている男だった。葡萄畑を点検しようと鉄パイプや刃物、さらには個人火器を持って押し寄せてきたスケバンたちを、素手で叩きのめして追い払えるほどなので、たいていの衝撃や力には負けない自信があった。
だが今、自分の腰を締め上げてくるヒナタの筋力は、自分の慢心と傲慢な予想をはるかに超えていた。
『ぐああああっ!! これがプレス機じゃないなら、いったい何なんだよ!! 今にも背骨の節々が互いに別れの挨拶を始めそうじゃないか!!』
内心では悲鳴を上げ、目玉が飛び出しそうな痛みを感じていたが、ナホトは歯を食いしばって悲鳴を堪えた。ここで押しのけたり声を上げたりすれば、本当に取り返しのつかない人間のクズになってしまいそうだったからだ。
彼は血の気の引いた顔で、何とか優しい声を絞り出しながら、彼女の背中を撫でた。
「ぐっ……げほっ。だ、大丈夫です。私の言い方が……ひどすぎました。謝りますから、落ち着いて……。」
「ほんとですかぁ……? 私はプレス機みたいなものじゃないんですよねぇ……?」
ナホトの優しい(実際には苦痛に満ちた)背中ぽんぽんに慰められたヒナタ。酔いの回った彼女は、まるで甘える子供のようにナホトの胸元へ顔をすり寄せながら、ただでさえ息苦しい抱擁にさらに強く、ぎゅうっと力を込めた。
ミシミシミシッ――!!
「……!!」
その瞬間、ナホトの耳元に、自分の肋骨が悲鳴を上げる音がはっきりと響いた。肋骨が肺を押し潰し始め、気道へ入ってくるはずの酸素が途端に塞がれるのを感じた。
視界がだんだん白く明滅していた。ナホトはヒナタの背中を撫でていた手で空を掻き、自分を同情のこもった目で見つめているマリとサクラコへ、必死の視線による救助要請を送っていた。
『ちゅ、注意は引いたから……! お願いです……何かしてください……!』
彼の切実なテレパシーが届いたのか。
サクラコが額に浮かんだ汗を拭い、決然とした表情で立ち上がった。彼女は裂けるような肋骨の痛みに耐えながら、床に気絶していたシスター三人を両肩と脇に軽々と担ぎ上げた。
ついに反撃の時が来たのか! ナホトが最後に残った希望を燃やしていた、その矢先。
「さあ、シスターたち。私たちはヒナタの酔いが醒めるまで、避難しておきましょう。」
サクラコの限りなく慈愛深く落ち着いた声が、礼拝堂に響き渡った。
「……はい?」
ナホトの顎ががくりと落ちた。視界が白んでいく中でも、彼の脳裏には稲妻のような悟りが走った。
『あ……! サクラコ様がさっき注意を引いてくださいと言ったのは、ヒナタを制圧するタイミングを稼いでくれという意味じゃなかったのか?! 単にシスターたちが安全に避難する時間を稼げって意味だったのかよ!!』
考えてみれば当然のことだった。いくら酔って暴走状態とはいえ、サクラコが大切にしているシスターフッドの幹部を、自分の手で、それも武力で制圧したいはずがなかった。
タンクにヘイトを任せてダメージを入れるつもりだったら、アタッカーたちが全員パーティーを抜けて帰還しているような裏切られた感覚。
「た、助け……ごほっ!」
ナホトが血を吐くような気持ちで手を伸ばしたが、倒れていないシスターたちはサクラコの指示に従い、すでに潮が引くように大礼拝堂の出口へ向かって抜け出していた。
そして最後に礼拝堂を出ようとしていたマリ。
彼女は重い樫の扉の取っ手を握ったまま、ヒナタの腕の中でゆっくり脱穀(?)されつつあるナホトへ、ゆっくりと振り返った。猫耳をしゅんと伏せたマリの瞳には、限りない申し訳なさと罪悪感が揺れていた。
やがて彼女は、とても敬虔な動作で額、胸、両肩に触れ、十字を切った。まるで崇高に犠牲となる殉教者へ捧げる最後の祈りのように。
マリはナホトへ深く頭を下げると、薄情にも大聖堂の扉をそっと閉めてしまった。
ガチャリ――。
重い閂が掛かる音とともに、大聖堂にはナホトとヒナタの二人だけが残された。
「へへ……。」
自分に抱き締められているナホトの骨が砕けていくとも知らず、ヒナタは父親の胸に抱かれた子供のように胸元へ顔をすり寄せ、安心したように微笑んだ。そして間もなく、アルコールの勢いが頂点に達したヒナタは、ナホトをぎゅっと抱き締めたまま、立った姿勢で眠り込んでしまった。
ヒナタは猫のようにごろごろと寝息を立てた。そのごろごろと鳴る破壊戦車のエンジン振動がそのままナホトに伝わる「純粋な愛の絞め技」の中で、ナホトは自分を見捨てて去っていったシスターフッドの冷たい友情(?)に、ほろりと涙をこぼした。
やがて彼の視界が完全な闇の中へ沈み込み、ショットガンを握った農場主の意識は、遥か彼方へ飛んでいってしまった。
それでも、うちの主人公はヒナタの抱擁を受けながら意識を失ったわけですし、ある意味では大往生なのではないでしょうか?