多様性ラプソディ   作:夕々@4649

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部活見学

 入学二日目。

 

 まだ本格的な授業は始まっていない。学校生活の説明だとか、校内案内だとか、提出物の確認だとか、まずはこの総合学校というものに慣れましょう、という時間が続いている。

 

 正直、ありがたい。

 昨日の時点で、俺は総合学校に対する理解をだいぶ失っていた。

 

 朝からウィスキーを飲む酒呑がいて、十二年前の折りたたみ携帯を新品扱いする長いのがいる。そんな教室で、いきなり普通に数学を始められても困る。いや、数学は悪くない。悪いのは状況だ。

 

 そして放課後。

 今日の予定は、部活見学である。

 

「で、どこを見るの?」

 

 隣を歩きながら、ガラテアが聞いてきた。

 昨日、十二年前の携帯電話が使えないと知って文明に軽く裏切られていた長いのの女子である。今日も髪が長い。耳も長い。制服姿なのに、どこか古い絵画から歩いてきたみたいな雰囲気がある。

 ただし言動はわりと雑だ。

 

「決まってます」

 

 俺はなるべく平静に答えた。

 

 ここで声を弾ませてはいけない。まだ早い。人間には、隠した方がいい熱量というものがある。

 

「この学校を選んだ一番の理由です」

 

「へえ」

 

 ガラテアが少し興味を示した。

 斜め後ろでは、ヴァンが鞄を片方の肩に引っかけて歩いている。スタヴァン。長いからヴァン。酒呑。今日も、そこはかとなく酒の気配がする。

 

 水筒は見えない。

 見えないだけで、ないとは言っていない。

 

「騎乗部です」

 

 俺は言った。

 

「騎乗部?」

 

 ガラテアが首を傾げる。

 

「つまり、ドラゴンです」

 

 言ってしまった。

 言った瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。

 

 ドラゴン。

 

 ああ、ドラゴン。

 

 この学校には騎乗部がある。正確には、魔獣騎乗競技を扱う部活動で、その中に竜種の育成と騎乗訓練が含まれている。学校案内にその一文を見つけた瞬間、俺の志望校は決まった。

 

 成績。通学距離。学費。進路。

 

 大事だ。全部大事だ。

 

 でも、ドラゴンに乗れる可能性の前では、多少の優先順位は変動する。人類史とはそういうものだ。たぶん。

 

「へー、ドラゴンが好きなんだ。男の子って感じね」

 

 ガラテアが言った。

 

「分かるぞ」

 

 ヴァンが深くうなずく。

 

「鱗は防具にも建材にもなるしな。牙も爪も使い道が多い。しかも肉が美味い」

 

「いや、美味しいのは知ってるけど、好きの方向性が違うんだよな」

 

 思わず返してから、しまったと思った。

 ドラゴン肉が美味しいことに同意してしまった。違う。そうではない。俺はドラゴンを食材として見ているわけではない。ステーキになった竜肉を前にしたら食べるけど、それとこれとは話が別だ。

 

「知ってるんだ」

 

 ガラテアが俺を見る。

 

「一般知識として」

 

「ふぅん」

 

「本当ですよ!?」

 

 力を込めて言った。

 ここで負けると、俺はドラゴンを食べるために騎乗部へ向かっている人間になってしまう。それはかなり嫌だ。

 

 廊下を抜け、昇降口を出る。

 校舎の外に出ると、風が少しだけ湿っていた。春の終わりの匂いがする。校庭では、すでにいくつかの部活が見学希望者を集めていた。グラウンドを走る運動部。中庭で楽器を鳴らす音楽系の部。角のある生徒がボールを頭で受け止めて周囲から拍手されている。

 

 だが、俺の目的地はそこではない。

 校舎裏だ。

 

 学校見学の時にも見た。昨日も、ホームルームの合間に窓から見えた。

 校舎の裏手、竜舎のある方角を、数頭のドラゴンが飛んでいたのだ。

 大きすぎない。たぶん学校で管理しやすい中型種だ。翼は細く、尾は長く、光の角度によって鱗が青にも緑にも見えた。上昇するときの翼のしなり。旋回するときの尾の使い方。着地前に一瞬だけ脚を前へ出すあの姿勢。

 

 思い出すだけで、呼吸が少し荒くなる。

 落ち着け。

 俺は落ち着いている。

 鼻から変な音など出ていない。出ていたとしても、風の音だ。

 

「ちょっと大丈夫? 顔がキモいわよ?」

 

 ガラテアが言った。

 

「顔が、って限定するのやめてもらえます?」

 

「じゃあ全体的に?」

 

「改善されてない!」

 

 ヴァンが横で腕を組んだ。

 

「これはまあ仕方ないな。男の病気だ」

 

「え? 何? 男女差別?」

 

「何でそうなる」

 

 ヴァンが本気で嫌そうな顔をした。

 

「男はだいたい、でかい生き物と強い武器と火に弱いって話だ」

 

「偏見じゃない」

 

「おおむね事実だ」

 

「俺を使って証明しようとしないでくださいよ」

 

 言い返しながらも、足は自然と速くなっていた。

 声を出すと、テンションが漏れる。もうだいぶ漏れている気もするが、これ以上はまずい。入学二日目で、ドラゴンを見に行くだけで息が荒くなるデフォとして覚えられるのは避けたい。

 

 いや、昨日の時点で変な二人と一緒にいたので、もう遅い気もする。

 

 竜舎に近づくにつれて、空気の匂いが変わった。

 草と土。革。金属。獣の体温。ほんの少し焦げたような匂い。

 校舎裏には広い訓練場があり、その奥に、巨大な屋根付きの竜舎が建っていた。見学者用の柵の向こうで、飼育員らしい上級生がドラゴンの首元を撫でている。ドラゴンは目を細め、喉の奥で低く鳴いた。

 

 俺は息を止めた。

 

 いた。

 

 ドラゴンがいた。

 

 図鑑でも、動画でも、料理屋のメニューでもない。生きているドラゴンが、目の前にいた。

 

「うわ」

 

 声が漏れた。

 

 情けないくらい小さな声だったが、自分でも分かるほど熱がこもっていた。

 

「ほんとに好きなのね」

 

 ガラテアが少し意外そうに言う。

 

「好きです」

 

 そこは否定できなかった。

 ヴァンが柵の向こうを眺める。

 

「手入れはいいな。鱗の艶が悪くねぇ。蹄も割れてない」

 

「見方が職人なんだよな」

 

「雑に育てると素材が傷む」

 

「だから素材として見るなって」

 

 その時、騎乗部の上級生が見学者に説明を始めた。

 

 部の活動内容。世話当番。訓練の頻度。大会。安全講習。ドラゴンごとの性格。餌代。保険。聞けば聞くほど現実的な話が混じってくる。

 

 それでもよかった。

 

 ドラゴンを育てるというのは、夢だけでは済まない。餌をやり、糞を片づけ、爪を見て、鱗を磨き、機嫌を読み、信頼を積む。そこまで含めて最高じゃないか。

 

 そう思っていた俺に、上級生は明るく言った。

 

「なお、正式入部して騎乗訓練を受けるには、初級テイマー資格が必要です。未取得者は世話補助と見学のみになります」

 

 世界が止まった。

 少なくとも、俺の中の何かは止まった。

 初級テイマー資格。

 

 知らない単語ではない。魔獣や大型幻想生物を扱うための資格だ。存在は知っていた。知っていたが、自分に必要だとは思っていなかった。

 

 どうして思わなかったのか。

 たぶん、ドラゴンに乗れるという情報を見た時点で、脳が都合の悪い文字を全部燃やしたのだ。

 

 

「残念だったわね」

 

 帰り道、ガラテアが言った。

 

「テイマーの資格がないと入部できないなんて」

 

「すっかり持ってるものだと思ってたぞ」

 

 ヴァンも言う。

 俺はゆっくり顔を上げた。

 

「……知ってたの?」

 

「むしろ知らなかったのかよ」

 

「デフォの生息域って広いもんね。知らない子は知らないんでしょうね」

 

 ガラテアの言い方は悪気があるのかないのか分かりにくい。たぶん半分くらいある。

 

「いいんだ」

 

 俺は言った。

 

「いいんだ。僕は遠くから眺めてるだけでも幸せだよォォオォ」

 

「壊れたか」

 

 ヴァンが冷静に言った。

 

「まだ壊れてない」

 

「語尾が壊れてただろ」

 

「心の一部が鳴っただけです」

 

「それを壊れたって言うんだ」

 

 ヴァンは呆れたように息を吐き、それから俺の手元を指した。

 

「そういえば、記念に鱗もらってただろ」

 

 見学の最後、抜け落ちた小さな鱗を一枚だけもらった。訓練場で自然に落ちたものらしい。薄くて、硬くて、光の角度で青緑に光る。俺はさっきから、割れ物でも扱うように大事に持っていた。

 

「ちょっと貸してみろ」

 

「え」

 

「文房具か、小物くらいなら加工してやる。穴を開けずに留め具を作れば、鱗も傷めずに済む」

 

 俺はヴァンを見た。

 

「……本当?」

 

「嘘ついてどうする」

 

 ヴァンは面倒くさそうに言ったが、目は少しだけ真面目だった。

 

 細かいことは嫌い。

 昨日、こいつはそう言った。

 やっぱり嘘だ。こういう時の声は、どう考えても細かいことが嫌いなやつのものではない。

 

「へー」

 

 ガラテアが横から覗き込む。

 

「じゃあ、私にもアクセサリーとか作ってよ。イヤリングがいいかな」

 

「何でお前に作らなきゃならんのだ」

 

「お前っていうなし。冷たーい」

 

「昨日会ったばかりだろうが」

 

「でももう名前知ってるじゃない」

 

「名前を知っただけで発注してくるな」

 

 ガラテアは楽しそうに笑い、ヴァンは嫌そうな顔をしながらも、本気で断るほどではなさそうだった。

 

 俺は手の中の鱗を見る。

 ドラゴンには乗れなかった。

 資格もなかった。

 入部も、少なくとも今すぐは無理だった。

 

 それでも、青緑の小さな鱗は、夕方の光を受けて静かに輝いている。

 

 総合学校、二日目。

 

 俺はドラゴンに乗れなかった。

 

 そのかわり、ドラゴンの鱗と、やけに手先が信用できそうな酒呑と、頼んでもいないのに会話へ混ざってくる長いのが残った。

 

 良い日だったかどうかは、まだ判断に困る。

 

 ただ、昨日よりは少しだけ、この学校に来た理由を思い出せた気がした。

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