多様性ラプソディ   作:夕々@4649

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Wi-Fiが飛んでる

 昼休み。

 

 俺は机に突っ伏していた。

 正確に言えば、魂だけが机に突っ伏していた。肉体は弁当箱の前に座っているが、箸を持つ手には力が入らない。白米の湯気が、やけに遠い世界の出来事に見える。

 

「はぁぁぁぁぁ……」

 

 自分でも引くくらい、長いため息が出た。

 

 昨日、騎乗部の見学に行った。

 ドラゴンがいた。

 

 生きていた。飛んでいた。鳴いていた。鱗が光っていた。目が合った気がした。いや、あれは絶対に合っていた。俺の中では合っていたことになっている。

 

 そして、俺は知った。

 

 正式に入部して騎乗訓練を受けるには、初級テイマー資格が必要なのだと。

 

 家に帰ってから調べた。調べなければよかった。いや、調べなければ何も始まらないのだが、調べたせいで現実がより鮮明になった。

 

 初級テイマー資格。

 合格率、約五十パーセント。

 試験は年に二回。

 

 そのうち一回は三月。

 

 今は春である。

 つまり、最低でも半年近くは待たないといけない。

 

 半年。

 

 ガラテアなら、たぶん「ちょっと昼寝してたら過ぎるわよ」くらいに言うのだろう。だが、俺にとって半年は普通に半年であり、ドラゴンに乗れない半年は、普通の半年より少し重い。

 

「はぁぁぁぁぁ……」

 

「辛気臭いため息やめてくれる?」

 

 前方から声が飛んできた。

 顔を上げると、ガラテアがこちらを見ていた。今日は同族の女子と机を寄せて昼食を取っている。耳が長い者同士で並ぶと、なんというか、教室の一角だけ縦の情報量が多い。

 

「気にしないで。今、心が竜舎の柵に引っかかってるだけなんで」

 

「面倒くさい落ち込み方ね」

 

「放っておけば、そのうち乾くよ」

 

「洗濯物みたいに言わないで」

 

 言いながら、ガラテアはもう弁当に視線を戻していた。慰める気はないらしい。まあ、一昨日会ったばかりの相手に本気で慰められても困る。

 

 俺の向かいでは、ヴァンが黙々と弁当を食べていた。

 白米。肉。根菜。肉。卵焼き。肉。

 全体的に茶色い。だが、詰め方が妙にきれいだ。弁当箱の角まで無駄がなく、肉の切り口も揃っている。こういうところを見ると、やっぱりこいつは細かいことが嫌いな人ではない。

 

「そういや忘れてたわ」

 

 ヴァンがふと思い出したように言った。

 鞄をごそごそと漁る。革のケースを取り出し、俺の机の上に軽く置いた。

 

「ほれ。栞に加工したぞ」

 

「え」

 

 俺は体を起こした。

 革のケースを開ける。

 そこに入っていたのは、薄い青緑の栞だった。

 

 昨日、騎乗部でもらったドラゴンの鱗。自然に抜け落ちた小さな一枚。それが、細い金具で丁寧に固定されている。鱗そのものには穴が開いていない。縁を抱くように留め具が作られ、その上には小さなドラゴンの装飾が彫られていた。

 

 翼を広げ、尾を丸めた竜。

 細かい。小さいのに、鱗の一枚一枚まで分かる。

 高級感がある、というより、ちゃんと大事に扱われたものの顔をしていた。

 

「ありがとう!」

 

 声が裏返りそうになった。

 

「昨日の今日で、こんなにかっこよくしてくれるなんて!」

 

「本当に栞でよかったのか?」

 

 ヴァンは箸を置き、少しだけ不満そうに鼻を鳴らした。

 

「加工し甲斐がなかったぞ。小さすぎて、派手なこともできねぇし」

 

「いいんだよ。これなら大事に使えるし、授業中にも机に置けるし」

 

「授業中に眺める気か」

 

「見守ってもらうだけです」

 

「竜に? 重いな」

 

 重くていい。ドラゴンとはそういうものだ。

 

 俺は栞を光にかざした。昼休みの窓明かりを受けて、鱗が青にも緑にも変わる。昨日見た翼の色と同じだった。あの訓練場の匂いまで、少しだけ戻ってくる気がする。

 

「私のは?」

 

 いつの間にか、ガラテアがこちらを見ていた。

 ヴァンが露骨に眉を寄せる。

 

「あの栞の端材でイヤリングは作れんかった」

 

「一応作ろうとしてくれたの?」

 

 ガラテアの顔がぱっと明るくなった。

 

「んふふ。ありがとう」

 

「礼を言うな。作ってねぇ」

 

「でも考えたんでしょ?」

 

 ヴァンは何か言い返そうとして、結局やめた。頬を指でぽりぽりと掻く。

 分かりやすい。

 口は悪いが、悪いだけではない。昨日の時点でなんとなく分かっていたけれど、今日でかなり確信に近づいた。

 

「ところでさ、ジーン」

 

 ガラテアは満足したのか、隣の女子との会話に戻った。

 

 ジーンと呼ばれた女子は、ガラテアより短い髪をしていた。短髪。ベリーショートと言うやつだ。耳は長いのに髪は短い。そのせいでガラテアより少し現代っ子に見える。

 

「ガラケー使えなくなったの知ってた?」

 

「知ってるに決まってるだろ」

 

 ジーンは箸を止めずに答えた。

 

「私が何年スマホを使っていると思ってるんだ?」

 

「はぁ? あんたスマホの前までポケベルだったじゃん!」

 

「何年前の話をしてるんだ?」

 

 ジーンが少しだけ顎を上げた。

 ドヤ顔だった。

 

 彼女らのドヤ顔は、年齢の重みがあるのかないのか分かりづらい。少なくとも、ポケベルからスマホに移行したことを誇る高校生は初めて見た。

 

 俺は栞を大事にケースへ戻しながら、こっそりヴァンに話しかけた。

 

「彼女らってさ、まじで時間感覚が違うんだね」

 

「そうだな」

 

 ヴァンは小さくうなずく。

 

「俺も詳しいとは言えんが、ここに通ってる奴らはマシな方だぞ」

 

「マシ……これで?」

 

「何よ?」

 

 ガラテアがこちらを向いた。

 聞こえていた。

 俺は口を閉じるが、遅かった。

 

「気をつけろ」

 

 ヴァンが低い声で言った。

 

「奴らは見た目通り耳が良い」

 

「先に言ってほしかった」

 

 ガラテアは不満そうに目を細めたが、すぐに肩をすくめた。

 

「あーあ。連絡取るだけなら、思念伝達が使えれば楽なのになあ」

 

「思念伝達?」

 

 俺は思わず聞き返した。

 

「魔法の通信だよね。使えないの?」

 

 名前だけは知っている。長いのが昔から使っていた、声を使わない通信魔法。教科書にも載っていた。試験範囲ではなかったので、俺の知識はその程度だ。

 

 ジーンが弁当箱を閉じながら言う。

 

「ど田舎なら可能だ。だが、少し都会に近づけば無理だな」

 

「ほう」

 

 ヴァンが興味を持ったように顔を上げる。

 

「と言うと?」

 

「モバイル通信とか、ブルートゥース? とか、Wi-Fiとかが邪魔なのよ」

 

 ガラテアが言った。

 

「急に漫才みたいなこと言い出した」

 

「真面目な話よ」

 

 ジーンが続ける。

 

「下手に都会で使うと、人の電話にこちらの思念が乗る。相手が通話中だった場合、知らない私らの愚痴が混線するわけだ」

 

「最悪だ」

 

「最悪で済めばいい。公共無線をジャックすることもある。警察無線なんか乗っ取ったら怒られるじゃ済まない」

 

 思念伝達。

 魔法の通信。

 

 その響きだけなら幻想的なのに、現代では電波障害扱いらしい。いや、魔法が電波に迷惑をかけているのか、電波が魔法に迷惑をかけているのか、俺には分からない。

 

「こっちにいると、魔法使う機会が減るのよね」

 

 ガラテアが箸をくわえかけて、行儀が悪いと思ったのかやめた。

 

「もう半分くらい使い方忘れたかも」

 

「そうだな」

 

 ジーンが窓の外を見る。

 

「火おこしもガスの方が楽だし、水も蛇口を捻ればいい。雷を……いや、電気をこういう使い方ができるなんて、昔は夢にも思わなかった」

 

 その口ぶりは、少しだけ遠かった。

 

 十二年前の携帯を買ったばかりと言い張るガラテア。ポケベル時代を古い話として笑うジーン。魔法を忘れかけ、文明に慣れて、それでも時々、昔の感覚が顔を出す。

 

 彼女らはただ長生きなだけではないのだろう。

 長く生きた分だけ、置いていったものと、拾い直したものがある。

 

 俺がそこまで考えたところで、ガラテアがこちらを見た。

 

「何よ。急に真面目な顔して」

 

「いや、蛇口って便利だなと思って」

 

「そこ?」

 

「デフォの感想、浅くないか?」

 

 ジーンまで混ざってきた。

 

「すみません。深い感想を出すには、まだ人生が短くて」

 

「いい言い訳だな」

 

 ヴァンが笑う。

 昼休みの教室は、相変わらず騒がしい。

 

 誰かが弁当の唐揚げを交換している。別の席では、尻尾のある生徒が椅子の下で器用にバランスを取っていた。窓際では携帯加湿器が小さく霧を吐き、その向こうで春の光が揺れている。

 

 俺は革のケースをそっと机の中へしまった。

 

 テイマー資格の試験までは、まだ遠い。

 ドラゴンに乗れる日は、少なくとも半年先だ。

 それでも、机の中にはドラゴンの鱗でできた栞がある。

 

 昨日より少しだけ、待つのが苦ではなくなった気がした。

 

 総合学校、三日目。

 

 俺はまだドラゴンに乗れない。

 

 けれど、魔法より便利な蛇口と、電波に負ける思念伝達と、やたら仕事の早いヴァンについて学んだ。

 

 授業はまだ、本格的には始まっていない。

 

 なのにこの学校は、もう十分すぎるほど教材に満ちていた。

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