昼休み。
俺は机に突っ伏していた。
正確に言えば、魂だけが机に突っ伏していた。肉体は弁当箱の前に座っているが、箸を持つ手には力が入らない。白米の湯気が、やけに遠い世界の出来事に見える。
「はぁぁぁぁぁ……」
自分でも引くくらい、長いため息が出た。
昨日、騎乗部の見学に行った。
ドラゴンがいた。
生きていた。飛んでいた。鳴いていた。鱗が光っていた。目が合った気がした。いや、あれは絶対に合っていた。俺の中では合っていたことになっている。
そして、俺は知った。
正式に入部して騎乗訓練を受けるには、初級テイマー資格が必要なのだと。
家に帰ってから調べた。調べなければよかった。いや、調べなければ何も始まらないのだが、調べたせいで現実がより鮮明になった。
初級テイマー資格。
合格率、約五十パーセント。
試験は年に二回。
そのうち一回は三月。
今は春である。
つまり、最低でも半年近くは待たないといけない。
半年。
ガラテアなら、たぶん「ちょっと昼寝してたら過ぎるわよ」くらいに言うのだろう。だが、俺にとって半年は普通に半年であり、ドラゴンに乗れない半年は、普通の半年より少し重い。
「はぁぁぁぁぁ……」
「辛気臭いため息やめてくれる?」
前方から声が飛んできた。
顔を上げると、ガラテアがこちらを見ていた。今日は同族の女子と机を寄せて昼食を取っている。耳が長い者同士で並ぶと、なんというか、教室の一角だけ縦の情報量が多い。
「気にしないで。今、心が竜舎の柵に引っかかってるだけなんで」
「面倒くさい落ち込み方ね」
「放っておけば、そのうち乾くよ」
「洗濯物みたいに言わないで」
言いながら、ガラテアはもう弁当に視線を戻していた。慰める気はないらしい。まあ、一昨日会ったばかりの相手に本気で慰められても困る。
俺の向かいでは、ヴァンが黙々と弁当を食べていた。
白米。肉。根菜。肉。卵焼き。肉。
全体的に茶色い。だが、詰め方が妙にきれいだ。弁当箱の角まで無駄がなく、肉の切り口も揃っている。こういうところを見ると、やっぱりこいつは細かいことが嫌いな人ではない。
「そういや忘れてたわ」
ヴァンがふと思い出したように言った。
鞄をごそごそと漁る。革のケースを取り出し、俺の机の上に軽く置いた。
「ほれ。栞に加工したぞ」
「え」
俺は体を起こした。
革のケースを開ける。
そこに入っていたのは、薄い青緑の栞だった。
昨日、騎乗部でもらったドラゴンの鱗。自然に抜け落ちた小さな一枚。それが、細い金具で丁寧に固定されている。鱗そのものには穴が開いていない。縁を抱くように留め具が作られ、その上には小さなドラゴンの装飾が彫られていた。
翼を広げ、尾を丸めた竜。
細かい。小さいのに、鱗の一枚一枚まで分かる。
高級感がある、というより、ちゃんと大事に扱われたものの顔をしていた。
「ありがとう!」
声が裏返りそうになった。
「昨日の今日で、こんなにかっこよくしてくれるなんて!」
「本当に栞でよかったのか?」
ヴァンは箸を置き、少しだけ不満そうに鼻を鳴らした。
「加工し甲斐がなかったぞ。小さすぎて、派手なこともできねぇし」
「いいんだよ。これなら大事に使えるし、授業中にも机に置けるし」
「授業中に眺める気か」
「見守ってもらうだけです」
「竜に? 重いな」
重くていい。ドラゴンとはそういうものだ。
俺は栞を光にかざした。昼休みの窓明かりを受けて、鱗が青にも緑にも変わる。昨日見た翼の色と同じだった。あの訓練場の匂いまで、少しだけ戻ってくる気がする。
「私のは?」
いつの間にか、ガラテアがこちらを見ていた。
ヴァンが露骨に眉を寄せる。
「あの栞の端材でイヤリングは作れんかった」
「一応作ろうとしてくれたの?」
ガラテアの顔がぱっと明るくなった。
「んふふ。ありがとう」
「礼を言うな。作ってねぇ」
「でも考えたんでしょ?」
ヴァンは何か言い返そうとして、結局やめた。頬を指でぽりぽりと掻く。
分かりやすい。
口は悪いが、悪いだけではない。昨日の時点でなんとなく分かっていたけれど、今日でかなり確信に近づいた。
「ところでさ、ジーン」
ガラテアは満足したのか、隣の女子との会話に戻った。
ジーンと呼ばれた女子は、ガラテアより短い髪をしていた。短髪。ベリーショートと言うやつだ。耳は長いのに髪は短い。そのせいでガラテアより少し現代っ子に見える。
「ガラケー使えなくなったの知ってた?」
「知ってるに決まってるだろ」
ジーンは箸を止めずに答えた。
「私が何年スマホを使っていると思ってるんだ?」
「はぁ? あんたスマホの前までポケベルだったじゃん!」
「何年前の話をしてるんだ?」
ジーンが少しだけ顎を上げた。
ドヤ顔だった。
彼女らのドヤ顔は、年齢の重みがあるのかないのか分かりづらい。少なくとも、ポケベルからスマホに移行したことを誇る高校生は初めて見た。
俺は栞を大事にケースへ戻しながら、こっそりヴァンに話しかけた。
「彼女らってさ、まじで時間感覚が違うんだね」
「そうだな」
ヴァンは小さくうなずく。
「俺も詳しいとは言えんが、ここに通ってる奴らはマシな方だぞ」
「マシ……これで?」
「何よ?」
ガラテアがこちらを向いた。
聞こえていた。
俺は口を閉じるが、遅かった。
「気をつけろ」
ヴァンが低い声で言った。
「奴らは見た目通り耳が良い」
「先に言ってほしかった」
ガラテアは不満そうに目を細めたが、すぐに肩をすくめた。
「あーあ。連絡取るだけなら、思念伝達が使えれば楽なのになあ」
「思念伝達?」
俺は思わず聞き返した。
「魔法の通信だよね。使えないの?」
名前だけは知っている。長いのが昔から使っていた、声を使わない通信魔法。教科書にも載っていた。試験範囲ではなかったので、俺の知識はその程度だ。
ジーンが弁当箱を閉じながら言う。
「ど田舎なら可能だ。だが、少し都会に近づけば無理だな」
「ほう」
ヴァンが興味を持ったように顔を上げる。
「と言うと?」
「モバイル通信とか、ブルートゥース? とか、Wi-Fiとかが邪魔なのよ」
ガラテアが言った。
「急に漫才みたいなこと言い出した」
「真面目な話よ」
ジーンが続ける。
「下手に都会で使うと、人の電話にこちらの思念が乗る。相手が通話中だった場合、知らない私らの愚痴が混線するわけだ」
「最悪だ」
「最悪で済めばいい。公共無線をジャックすることもある。警察無線なんか乗っ取ったら怒られるじゃ済まない」
思念伝達。
魔法の通信。
その響きだけなら幻想的なのに、現代では電波障害扱いらしい。いや、魔法が電波に迷惑をかけているのか、電波が魔法に迷惑をかけているのか、俺には分からない。
「こっちにいると、魔法使う機会が減るのよね」
ガラテアが箸をくわえかけて、行儀が悪いと思ったのかやめた。
「もう半分くらい使い方忘れたかも」
「そうだな」
ジーンが窓の外を見る。
「火おこしもガスの方が楽だし、水も蛇口を捻ればいい。雷を……いや、電気をこういう使い方ができるなんて、昔は夢にも思わなかった」
その口ぶりは、少しだけ遠かった。
十二年前の携帯を買ったばかりと言い張るガラテア。ポケベル時代を古い話として笑うジーン。魔法を忘れかけ、文明に慣れて、それでも時々、昔の感覚が顔を出す。
彼女らはただ長生きなだけではないのだろう。
長く生きた分だけ、置いていったものと、拾い直したものがある。
俺がそこまで考えたところで、ガラテアがこちらを見た。
「何よ。急に真面目な顔して」
「いや、蛇口って便利だなと思って」
「そこ?」
「デフォの感想、浅くないか?」
ジーンまで混ざってきた。
「すみません。深い感想を出すには、まだ人生が短くて」
「いい言い訳だな」
ヴァンが笑う。
昼休みの教室は、相変わらず騒がしい。
誰かが弁当の唐揚げを交換している。別の席では、尻尾のある生徒が椅子の下で器用にバランスを取っていた。窓際では携帯加湿器が小さく霧を吐き、その向こうで春の光が揺れている。
俺は革のケースをそっと机の中へしまった。
テイマー資格の試験までは、まだ遠い。
ドラゴンに乗れる日は、少なくとも半年先だ。
それでも、机の中にはドラゴンの鱗でできた栞がある。
昨日より少しだけ、待つのが苦ではなくなった気がした。
総合学校、三日目。
俺はまだドラゴンに乗れない。
けれど、魔法より便利な蛇口と、電波に負ける思念伝達と、やたら仕事の早いヴァンについて学んだ。
授業はまだ、本格的には始まっていない。
なのにこの学校は、もう十分すぎるほど教材に満ちていた。