多様性ラプソディ   作:夕々@4649

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買い物に行こう

 六日目は、午前授業だった。

 

 本格的な授業が始まる前の、慣らし運転みたいな時間もそろそろ終わる。先生たちは「来週からは通常授業です」と言っていたが、俺としてはもう十分すぎるほど通常ではなかった。

 

 ガラケーは死ぬ。

 ドラゴンの騎乗には資格がいる。

 思念伝達はWi-Fiに負ける。

 学校の自販機には酒がない。

 

 この学校で通常という言葉を使うには、まず通常の定義を疑った方がいい。

 

 最後のホームルームが終わり、教室に昼前の浮いた空気が広がる。午前授業の日は、放課後というより半日得したような気分になる。俺は鞄に教科書を入れながら、今日の予定を確認していた。

 

 予定はある。

 騎乗部に行く。

 

 入部はできない。資格がないからだ。

 だが、見学はできる。

 ドラゴンを眺めることはできる。

 

 それは用事だ。

 立派な用事だ。

 人によっては祈りと呼ぶかもしれない。

 

「アキラ、午後暇?」

 

 前の席から、ガラテアが振り返った。

 長い髪が肩から流れ、耳の先がこちらを向く。入学初日には十二年前のガラケーを握りしめていた彼女だが、今日はなぜか決意した顔をしていた。

 

「暇じゃない」

 

「へえ。何かあるの?」

 

「騎乗部に行って、ドラゴンを眺めるっていう大事な用がある」

 

「そう。暇なのね」

 

「無視された!」

 

 用事の中身を聞いた上で、暇認定された。

 ひどい。ドラゴンを眺めることの尊さを何だと思っているのか。

 

「私、今日スマホ買おうと思うの」

 

 ガラテアは俺の抗議を軽く踏み越えて言った。

 

「とうとう文明に帰化するんだ」

 

「もともと文明側よ。ちょっと端末が古かっただけ」

 

「十二年前はちょっとじゃない」

 

「細かいわね」

 

 ガラテアは鞄から例の折りたたみ携帯を取り出した。もう通信はできない。けれど捨てる気はないらしく、今も大事そうに持っている。古い道具を大事にする姿勢はいい。いいのだが、連絡手段として使おうとするのは違う。

 

「だから、一緒に見て欲しいの」

 

「ジーンさんと行けば?」

 

 俺は自然に言った。

 

 ガラテアは、ぴたりと止まった。

 なんだろう。急に空気が重くなった。

 いや、重くなったというより、本人だけが勝手に傷ついた顔をしている。

 

 ガラテアは自分を指差した。

 

「ガラテア?」

 

 俺が言うと、今度は少し離れた席で鞄をまとめているジーンを指差す。

 

「ジーンさん?」

 

「なんで!」

 

 ガラテアが机を叩いた。

 

「何この違い!? 私の方が年上なんだけど!」

 

「いや、知らないし」

 

 正確には、なんとなく知っている。

 ガラテアがジーンより年上らしいことは、会話の端々から分かる。だが見た目は同じ高校生だし、初日にガラケーが使えなくなったことを本気で驚いていたので……敬称の判断材料としてかなり弱い。

 

「キャラ的に?」

 

「キャラって何よ!」

 

「ジーンさんは、なんか落ち着いてるし」

 

「私だって落ち着いてるでしょ」

 

「ガラケーが使えない事で叫んでたじゃん」

 

「それは文明の裏切りよ」

 

「入学初日に叫んでた人は、落ち着いてる判定から外れると思う」

 

 ガラテアは言い返そうとして、口を開いたまま固まった。

 たぶん、自分でも少しだけ心当たりがあったのだろう。

 

 その横を、ジーンが通りかかった。

 

「何を騒いでいるんだ」

 

「ジーンさん」

 

「ほら!」

 

 ガラテアが俺を指差す。

 

「今もさん付けした!」

 

ジーンは少しだけこちらを見て、淡々と言った。

 

「呼びやすい方で構わない」

 

 短い髪が揺れる。彼女はガラテアより若いらしいが、立ち姿だけ見ると先輩と言われた方が納得できる。

 

「この余裕! そういうところがさん付けされるのよ!」

 

「自分で答え出してるじゃん」

 

 ガラテアは不満そうに頬を膨らませた。

 

「私の方が年上なのに」

 

「年齢と敬称は、必ずしも連動しないんじゃないか」

 

 ジーンが冷静に刺した。

 

「裏切った!」

 

「味方をした覚えがない」

 

 強い。

 俺がさん付けした理由、だいたいこれである。

 

「で、スマホ買うんだろ?」

 

 ジーンがガラテアを見る。

 

「私に聞いても最低限しか分からないぞ。使っているだけだ。詳しいわけじゃない」

 

「だからアキラも連れて行くのよ」

 

「俺も詳しいとは言ってないけど」

 

「ガラケーが使えないことを知ってたじゃない」

 

「それは詳しいじゃなくて、現代に馴染んでるだけだよ」

 

「十分よ」

 

 基準が低い。

 

 俺は鞄を肩にかけながら、ちらりと窓の外を見た。校舎裏の空が見える。今頃、竜舎の上をドラゴンが旋回しているかもしれない。翼を広げ、尾を流し、春の光を受けて鱗を輝かせているかもしれない。

 

 スマホ売り場に行っている場合だろうか。

 

 いや、友達が困っている。

 友達。たぶん友達。たぶんというには、もうだいぶ巻き込まれている。

 

 ただし、女子二人に囲まれてスマホを見に行くのは嫌だった。

 別に変な意味ではない。単純に、俺だけが男で、俺だけがスマホ説明係みたいになる状況が重い。店員に何か勘違いされる未来まで見える。

 

 俺は後ろを向いた。

 

「ヴァン」

 

「断る」

 

 まだ何も言っていないのに断られた。

 

 ヴァンは席で鞄をまとめていた。今日も眉間に皺が寄っている。午前授業なのに機嫌が悪そうなのは、購買に酒がない世界への抗議をまだ続けているからかもしれない。

 

「午後、暇?」

 

「断る」

 

「質問に答えてから断ってくれない?」

 

「暇だ。断る」

 

「じゃあ来て」

 

「会話が成立してないぞ」

 

 ヴァンは心底嫌そうな顔をした。

 

 俺はヴァンにだけ聞こえることを祈りながら、声を潜めて懇願する。

 

「聞こえてただろ? 頼むよ、男一人だとなんか気まずいし」

 

 ヴァンは最後まで聞いて、深いため息をついた。

 

「……俺を盾にするな」

 

「盾じゃない。同行者」

 

「言い方を変えただけだろ」

 

 ガラテアが横からにこにこと言う。

 

「ヴァンも来たら? どうせ暇なんでしょ」

 

「暇を理由に人を運ぶな」

 

「荷物持ちもできるし」

 

「もっと嫌になった」

 

「大丈夫。スマホは軽いわよ」

 

「そういう問題じゃねぇ」

 

 ジーンが腕時計を見た。

 

「行くなら早くした方がいい。午後は店が混む」

 

「ジーンさん、詳しいですね」

 

「混む時間を知っているだけだ」

 

「ほら、そういうところ」

 

 ガラテアがまた不満そうにこちらを見る。

 

 俺は目を逸らした。敬称とは、理屈ではない。

 たぶん、雰囲気だ。

 そしてガラテアには、さんを付けると本人が調子に乗りそうな雰囲気がある。

 

 ヴァンはしばらく黙っていたが、やがて鞄を肩にかけた。

 

「分かった。行くだけ行く」

 

「助かる」

 

「ただし、俺もスマホには詳しくない」

 

「大丈夫。俺もそこまで詳しくない」

 

「不安しかないな」

 

「私もよく分からないわ」

 

 ガラテアが堂々と言った。

 

「私は使うだけなら分かる」

 

 ジーンが続ける。

 

「でも、選ぶ基準は分からない」

 

 つまり、全員そこまで詳しくない。

 

 これからスマホを買いに行く集団として、かなり不安な布陣だった。

 

 俺はもう一度、窓の外を見た。

 

 ドラゴンは見えなかった。

 

 その代わり、廊下の向こうでガラテアが楽しそうに手を振っている。ジーンは静かに歩き出し、ヴァンは面倒くさそうにその後をついていく。

 

 総合学校、六日目。

 

 俺は午後、ドラゴンを眺める予定だった。

 

 それがなぜか、約二百五十歳のスマホデビューに付き合うことになった。

 

 竜に乗る道は遠い。

 

 文明に付き合う道は、もっと近くて面倒くさい。

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