多様性ラプソディ   作:夕々@4649

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料金プラン

 スマホ売り場に着いた時点で、俺はもう帰りたかった。

 

 まだ何も買ってない。

 店員とも話していない。

 契約書どころか、パンフレットすら手に取ってない。

 

 なのに疲れていた。

 原因は分かっている。

 

 学校を出た時点では、近くのショップに行く予定だった。ところが、ガラテアが「付き合ってくれるお礼にお昼をご馳走する」と言い出したので、どうせなら街まで出ようという話になった。

 

 そこまではよかった。

 問題は街に出てからである。

 

 駅で声をかけられた。

 歩道で声をかけられた。

 昼食を食べている最中にも声をかけられた。

 俗に言うナンパである。

 

 もちろん、俺でもヴァンでもない。

 

 ガラテアとジーンさんである。

 

 声をかけてきた連中は最初こそ軽い調子だった。だが、ガラテアが謎の古語みたいな言葉を低く紡ぎ始め、手のひらに紫電を走らせたあたりでだいたい顔色を変えた。

 

 ジーンさんに至っては何もない空間に穴を開け、そこに手を伸ばしていた。

 たぶん剣を取り出そうとしていた。

 いや、あれは絶対に剣だった。

 弓じゃないんだな。などと思う暇はなかった。

 

 俺は奇声を上げた。

 

 人生で一番意味の分からない声が出た。

 自分でも何と言ったのか分からない。ただ、結果として相手は逃げた。人間、本気でわけの分からない声を出すと、魔法や剣より先に恐怖を与えられるらしい。

 

 ヴァンはその一部始終を見て、腹を抱えて笑っていた。

 

 許さない。

 

「もう疲れたから帰っていい?」

 

 スマホショップの前で、俺は言った。

 

 ガラス越しに明るい照明と、ずらりと並んだ端末が見える。文明の最前線みたいな場所だ。今の俺には、少し眩しすぎる。

 

「ここからが本番なんだけど」

 

 ガラテアは当然のように言った。

 

「俺の本番は、駅前で変な声出したところで終わったんだけど」

 

「あれ、すごかったな」

 

 ヴァンが肩を震わせる。

 

「人間も追い詰められると、あんな音が出るんだな」

 

「研究対象みたいに言うな」

 

「魔除けには使えるかもしれない」

 

「使わないよ。俺の尊厳を素材にするな」

 

 そんな会話をしながら、俺たちは店に入った。

 

「いらっしゃ――いませ」

 

 元気な声が、途中で折れた。

 

 入口近くにいた店員さんが、俺たちを見て一瞬だけ固まる。ほんの一瞬だ。すぐに営業用の笑顔へ戻ったので、たぶん普段なら気づかなかったと思う。

 

 ただ今日の俺はすでに疲れていたせいか、妙に目に付いた。

 

 店員さんの視線は、まずガラテアとジーンさんへ向かった。長い耳を見て、それからヴァンを見て、最後に俺で止まった。

 なぜ俺を見るのか?

 

「ええと、本日はスマートフォンをお探しでしょうか」

 

 店員さんは、なぜか俺に聞いた。

 

「いや、買うのは俺じゃないです」

 

「私よ」

 

 ガラテアが自分を指差す。

 

 店員さんの笑顔が、ほんの少しだけ硬くなった気がした。

 

「かしこまりました。機種変更でしょうか、新規契約でしょうか」

 

「文明への復帰よ」

 

「ガラテア、店員さんが困ってる」

 

 俺が口を挟むと、店員さんの視線がまた俺に戻った。

 戻らないでほしい。俺を港だと思わないでほしい。ここは船が帰ってくる場所ではない。

 

「えっと、新規だと思います。今の携帯はもう使えないので」

 

「なるほど。現在お使いの端末は……」

 

「これ」

 

 ガラテアが折りたたみ携帯を取り出した。

 

 店員さんは笑顔のまま、それを見た。

 

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 

 すごい。笑顔が崩れない。プロだ。俺ならたぶん「わあ」と言ってしまう。

 

「かなり大切にお使いなんですね」

 

「十二年前に買ったばかりなの」

 

「ばかりではないよ」

 

 俺が言うと、ガラテアは不満そうにこちらを睨んだ。

 

「細かいわね」

 

 ジーンさんは隣で静かに端末の棚を眺めている。使っているだけで詳しくはないと言っていたが、少なくともガラテアよりは現代側にいる顔だった。

 

 店員さんはパンフレットを手に取り、説明を始める。

 

「普段の使い方としては、通話やメッセージ、写真、地図などが中心でしょうか」

 

「通話と連絡と写真と地図。あと、思念伝達の代わり」

 

「最後のやつは言わなくていいよ」

 

 俺が遮る。

 

 店員さんは一瞬だけ目を瞬かせ、それでも笑顔を維持した。すごい。営業職は魔法より強いのかもしれない。

 

「でしたら、まずは扱いやすい機種からご覧になりますか?」

 

「そうね。難しいのは困るもの」

 

 ヴァンが鼻を鳴らしつつ続ける。

 

「ガラケーが使えなくなったことに叫んでた奴が、最先端を求めても困るしな」

 

「それは文明の裏切りなの!」

 

 ガラテアは最新機種の並ぶ台へ近づき、じっと画面を覗き込んだ。

 

「板ね」

 

「スマホだよ」

 

「ボタンがない」

 

「画面を触るんだよ」

 

「画面を?」

 

 ガラテアが恐る恐る指を伸ばす。展示機の画面に触れた瞬間、アプリの一覧が開いた。

 

「動いた!」

 

「動くよ」

 

「ジーン、動いたわ!」

 

「知っている」

 

 ジーンさんは静かに頷いた。

 

 その口元が、ほんの少しだけ緩んでいる。分かる分かる、という顔をしながら、完全に楽しんでいる顔だった。

 

「こちらの機種はカメラ性能が高く、動画撮影や編集にも向いています」

 

 店員さんが説明を続ける。

 

「動画編集?」

 

 ガラテアの目が少し遠くなった。

 

「撮った映像を切ったり繋げたり、色味を調整したりできます」

 

「記録を改変するって事?」

 

「急に重いな」

 

 ガラテアの背景に宇宙が見える。そんな顔をしていた。

 

 何も分からない顔で、全てを理解しようとして失敗している。初日にガラケーが死んだ時とは違う。あれは文明に裏切られた顔だった。今は文明に真正面から殴られている顔だ。

 

 店員さんの視線が、また俺に来た。

 見ないでほしい。

 

「容量はどのくらい必要でしょうか」

 

「容量?」

 

「写真や動画、アプリなどを保存する場所ですね」

 

「保存する場所が、中にあるの?」

 

「あるよ」

 

「この板の中に?」

 

「あるよ」

 

「空間魔法?」

 

「違うよ」

 

 ジーンさんが横で小さく肩を震わせていた。笑っている。かなり我慢している。

 

 一方、ヴァンはヴァンで別の方向に面倒だった。

 

 端末を見るのかと思えば、まずショーケースを見ている。腕を組み、眉間に皺を寄せ、棚の端から端まで視線を走らせていた。

 

「この陳列、少し傾いてるな」

 

「職人の目を店に向けるなよ」

 

「あと、ケースの内側が汚れてる」

 

「やめろ。店員さんに聞こえる」

 

 店員さんは聞こえていないふりをした。

 プロだ。すごい。俺なら泣く。

 

 ヴァンは次に、薄型のスマホを持ち上げた。

 

「薄すぎるな」

 

「薄い方が便利なんじゃないの?」

 

「薄さを求めすぎると耐久が死ぬ」

 

「スマホを盾か何かだと思ってる?」

 

「落としたら割れる道具は、持ち歩く道具として信用ならん」

 

「それはちょっと分かる」

 

 分かってしまった。悔しい。

 

 店員さんがすかさずケース売り場を示した。

 

「耐衝撃ケースもございます」

 

「なら最初から厚く作れ」

 

「ヴァン、それはメーカーに言って」

 

 ガラテアはガラテアで、料金プランの説明に入った途端、また宇宙へ飛んだ。

 店員さんは、パンフレットの欄を指さした。

 

「こちらのプランですと、動画サービスと音楽サービス、それからクラウド保存のオプションに加入していただくと、最初の三か月は割引が入ります」

 

「おぷしょん」

 

 ガラテアが知らない虫の名前を聞いたみたいな顔をした。

 

「本体代金の割引にも関係しますので、最初だけ入っていただいて、使わなければ後日解約していただいて構いません」

 

「後日、解約」

 

 ガラテアの目が少しずつ宇宙へ向かう。

 

「つまり使わないものに入るの?」

 

「割引のためですね」

 

「……詐欺?」

 

「人聞きが悪すぎる!」

 

「いや、言い方は悪いが警戒はしろ」

 

 ヴァンが低く言い、ジーンさんが横から静かにパンフレットを覗き込んだ。

 

「これは確かに面倒だな。解約時期を忘れる」

 

「ジーンさんでも?」

 

「忘れる。30年後くらいに思い出すかもしれない」

 

「逆に記憶力良いのでは?」

 

 店員さんの笑顔が少しだけ震えた。

 

 俺は心の中で謝った。俺が悪いわけではない。でも、なんとなく謝りたくなった。

 

 結局、俺たちは一時間近く店内をうろうろした。

 

 ガラテアは説明を聞くたびに背景に宇宙を背負い、ジーンさんはそれを横で静かに楽しみ、ヴァンは端末の耐久性と陳列棚と店員さんの靴の手入れにまで目を光らせた。

 

 俺は途中から、完全に通訳兼緩衝材になっていた。

 

「疲れた」

 

 店の外に出た瞬間、俺は言った。

 

「また言ってる」

 

 ガラテアが笑う。

 

「スマホ買うだけで、なんでこんなに疲れるんだよ」

 

「まだ買ってないわよ」

 

「嘘でしょ!?」

 

「今日は下見」

 

 俺は空を見上げた。

 

 午後の光が少し傾いている。竜舎の方角には、もう戻れない時間だった。

 

「次は契約よ」

 

「次があるの?」

 

「当たり前でしょ。文明への復帰は一日にして成らず」

 

 ジーンさんが静かに頷き、ヴァンは腕を組む。

 

「契約なら俺も見る。足元を見られるなよ」

 

「急に頼もしいな」

 

 疲れているけど、少しだけ安心してしまった。

 

 その時、店内の方が気になって、俺はふと振り返った。

 

 さっきの店員さんが、俺たちに向かって深々と頭を下げている。営業スマイルは崩れていない。けれど、その肩には明らかに一仕事終えた人間の疲れが乗っていた。

 

 そこでようやく気付いた。

 

 入店した時、店員さんの声が折れた理由。

 

 ガラテアは説明を聞くたびに宇宙へ飛び、ジーンさんはそれを横で楽しみ、ヴァンは端末より先にショーケースの汚れと陳列の傾きを気にしていた。

 

 この店の人たちは、たぶん知っているのだ。

 こういう客の接客が、大変だということを。

 

 そして、大変な客がまとめて来た時、一番話が通じそうなやつに説明を集中させるのが安全だということを。

 

 つまり俺は、客ではなく通訳兼緩衝材として見られていたらしい。

 

 納得はしたが、納得したくはなかった。

 

 総合学校、六日目。

 

 俺はドラゴンを眺める予定だった。

 

 代わりに、スマホ売り場で宇宙を背負うガラテアと、笑いを堪えるジーンさんと、ショーケースの汚れに怒るヴァンを眺めた。

 

 文明に付き合う道は、やっぱり面倒くさい。

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