多様性ラプソディ   作:夕々@4649

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フライング

 休日を挟んだ朝というものは、ただでさえ重い。体も心も重すぎる。

 

 一昨日はガラテアのスマホ下見に付き合い、文明の契約構造に精神を削られた。休みの日は何もしないと決めて、本当に何もしなかった。何もしないことにも才能がいる。俺にはその才能があるらしい。

 

 そして今日。

 

 校門をくぐった時点で、俺はすでに帰りたかった。可能なら惰眠を貪り尽くしたい。

 

 だが帰るわけにはいかない。学生には登校という義務がある。あと、騎乗部の竜舎を遠くから眺めるという希望もある。

 そんな小さな希望を胸に、昇降口へ向かう。

 

 そこで、妙なものを見た。

 昇降口前に、ひとりの男子生徒が立っていた。

 

 背が高い。百八十センチくらいはありそうだ。額には一本の角。肌は紫がかっていて、目つきは鋭い。漆黒の髪が朝の光を吸い込み、笑うと白い歯がやけに目立つ。

 細身だが、制服の上からでも鍛えているのが分かる。

 

 ただ立っているだけで、魔王軍の幹部紹介みたいな圧があった。

 そして、その圧のある男子生徒は、朝の昇降口前でチラシを配っていた。

 

「おはよう。よければ一枚、受け取ってくれ」

 

 声は低く、よく通る。

 けれど、思ったより丁寧だった。

 

 もっとこう、「受け取るがいい、民よ」みたいな感じで来るのかと思ったが、普通に爽やかな挨拶をされた。見た目と口調の距離感で、こっちの脳が少し戸惑う。

 

 そういえば、先週も見かけた気がする。

 タイミングが合わずに通り過ぎただけだったが、同じ場所で何かを配ろうとしていた気がする。俺はその時、総合学校には朝から劇団員みたいな人もいるんだな、くらいに思っていた。

 

「一年生か?」

 

「あ、はい」

 

「なら、まだこの学校のことも分からないだろう。だが生徒会は君たちにも関わる。いずれ立つ者として、我のことを知っておいてほしい」

 

 そう言って、彼はチラシを差し出した。

 指が長い。左手の甲に、黒い紋のようなものが見える。刺青ではない。もっと深く、皮膚そのものに刻まれているような印象だった。

 

 圧はある。

 しかし、態度はまともだ。

 俺は戸惑いながらチラシを受け取った。

 

「ありがとうございます」

 

「こちらこそ。朝から足を止めてくれて感謝する」

 

 やっぱり礼儀正しい。

 俺はチラシに視線を落とす。

 

 黒と赤を基調にした、やけに禍々しいデザインだった。紙質はしっかりしている。写真も載っている。

 写真の中の彼は、左手で顔を半分隠していた。

 完全に厨二病のポーズである。

 しかも、左手の甲にある紋がきっちり見える角度だった。狙っている。確実に狙っている。目つきも鋭く、背景には黒い炎みたいな加工まで入っていた。

 

 本人は礼儀正しいのに、チラシの自己主張が強すぎる。

 

 中央には、でかでかとこう書かれていた。

 

『我に投票せよ。第百八十四代魔王候補 総合科二年生 ハーザク』

 

 候補。

 そこだけはちゃんとしていた。

 ちゃんとしていたが、それ以外が何もちゃんとしていない。

 

 生徒会選挙のチラシらしい。上の方に小さく『生徒会長選挙に向けた政策案』と書いてある。小さい。そこが一番大事ではないのか。

 

「あの」

 

「何だろう」

 

「選挙って、いつなんですか?」

 

 男子生徒は一瞬、目を見開いた。

 それから、少しだけ気まずそうに笑った。

 

「秋頃だな」

 

「……まだ先なんですね」

 

「うむ。準備は早い方がいいと思ってな。政策を考えて、意見を聞いて、必要なら直す。生徒会長を目指すなら、それくらいはしておきたい」

 

 言っていることは、かなり真面目だった。

 真面目だった。

 

 しかし俺の手元には、『我に投票せよ。第百八十四代魔王候補』と書かれたチラシがある。

 

 この落差をどう処理すればいいのか分からない。

 

「それで、その……魔王候補なんですか?」

 

「ああ」

 

 彼は少しだけ背筋を伸ばした。

 

「我はハーザク。二年だ。魔王候補でもある。とはいえ、今すぐ世界をどうこうするつもりはないから安心してくれ」

 

「安心していい情報なんですか、それ」

 

「よく言われる」

 

 ハーザク先輩は、溌剌と笑った。

 

 笑うと、白い歯がよく見える。目つきは鋭いままだが、表情は思ったより柔らかい。見た目だけならラスボス寄りなのに、中身は選挙に真面目な先輩っぽい。

 

 総合学校、まだまだ奥が深い。

 

 俺がチラシの下の方に目を落とすと、政策が並んでいた。

 

『購買部の品揃え改善』

『昼休みの延長』

『部活動予算の公平なる再分配』

『全生徒に覇気ある挨拶を』

 

 途中までは普通なのに、最後だけ急に魔王感が漏れている。

 

「購買部の品揃え改善……」

 

 悪くない。

 

 いや、酒は入らないだろうが。

 入らないよな?入らないでほしい。

 

 俺が妙な心配をしていると、頭上から鋭い声が飛んだ。

 

「ハーザク!」

 

 昇降口前の空気が、ぴんと張る。

 

 ハーザク先輩が、ぎくりと肩を震わせた。

 

「……おはようございます、シグ」

 

「おはようじゃない!」

 

 二階の窓が大きく開いたと思った瞬間、雷鳴めいた音を引き連れて、ひとりの女性が降ってきた。

 

 女性は着地の勢いを殺さないまま、片手のハリセンをハーザク先輩に叩きつけた。

 

 スバァン!!と乾いた音が昇降口前に響いた。

 

 次の瞬間、ハーザク先輩の下半身が地面に埋まっていた。

 

「えっ!?」

 

 俺は変な声を出した。

 屋外の地面である。ちゃんと地面に埋まっている。腰から上だけが残っていて、手にはまだチラシを持っていた。

 チラシを離さないの、地味にすごい。

 

 降り立った彼女はジャージ姿だった。

 

 ただのジャージではない。着古しているのに妙に様になる、戦場帰りの部活顧問みたいなジャージである。背は高く、髪は淡い金色。顔立ちは整っているが、目が笑っていない。年齢は、俺の母より少し若いか同じくらいだろうか。いや、考えない方がいい。人は時に、年齢という地雷原を見ない勇気が必要になる。

 

「大丈夫だ」

 

 ジャージの女性は、俺を見てさらりと言った。

 

「こいつはこれくらいじゃダメージにならん」

 

「そういう問題ですか?」

 

「そういう問題だ」

 

 そうなのか。

 

 埋まったハーザク先輩は、地面から上半身だけを出したまま咳払いをした。

 

「シグ、これは朝の挨拶と政策周知を兼ねた――」

 

「挨拶だけにしとけ!」

 

「それと生徒の前でハリセンを振るうのは印象として――」

 

「印象を気にするなら先に規定を守れ!」

 

 またハリセンが鳴った。

 

「選挙管理委員会もまだ立ってないんだぞ! 勝手に選挙活動を始めるな!」

 

「しかし、我はまだ投票を強要していない。あくまで政策案を――」

 

「チラシに『我に投票せよ』と書いてあるだろうが!」

 

「あれは決意表明のようなもので」

 

「屁理屈を言うな!」

 

 すぱん。

 

 三発目である。

 

 朝から音がいい。嫌な音ではない。むしろ妙に景気がいい。だからといって、目の前で人が腰まで埋まっている状況が正常になるわけではない。

 

 俺は手元のチラシをもう一度見た。

 

『我に投票せよ。第百八十四代魔王候補』

 

 候補と書いてある。

 やはりかなりのフライングだ。

 

「すみません」

 

 俺は恐る恐る女性に聞いた。

 

「このチラシ、返した方がいいですか?」

 

「持っていていい」

 

「いいんですか?」

 

「証拠品だ」

 

「証拠品!?」

 

 チラシの重みが変わった。

 

 ハーザク先輩は地面に埋まったまま、真面目な顔で俺を見る。

 

「一年生、もし読んでくれるなら、政策への意見も歓迎する。生徒会は一部の者だけのものではないからな」

 

 やっぱり言っていることはまともだった。

 

 ただし、腰から下は地面に埋まっている。

 人間の言葉は、姿勢によって説得力がだいぶ変わるらしい。

 

「行くぞ。まず生徒会顧問に事情説明だ」

 

「分かりました。だが、その前にできれば下半身を――」

 

「引っこ抜く」

 

「できれば穏便に」

 

「知るか」

 

 女性はハーザク先輩の襟首を掴んだ。

 

 ずぼっ、という音がした。

 

 ハーザク先輩が地面から引き抜かれる。制服はなぜか汚れていない。不思議だ。魔法か体質か、もう考えるのをやめたい。

 

 去り際、ハーザク先輩は俺に向き直った。

 

「朝から驚かせてすまなかった」

 

「あ、いえ」

 

「だが、よければチラシは読んでほしい。投票するかどうかは、その後で決めてくれればいい」

 

 好青年だった。

 見た目とチラシと地面への埋まり方以外は。

 

「はい。読んでおきます」

 

「ありがとう」

 

 ハーザク先輩は白い歯を見せて笑った。

 その後頭部に、無言のハリセンが入った。

 

 すぱん。

 

「歩け」

 

「はい」

 

 二人は朝の校舎の方へ消えていった。

 昇降口前に、微妙な沈黙が残る。

 

 そこで、ようやく気づいた。

 

 周囲の生徒たちがこちらを見ていた。

 見ないでほしい。

 俺は魔王候補の関係者ではない。証拠品を持たされた被害者である。

 

 俺はすでに一日分の情報を浴びた気がした。

 まだ休み明けの朝である。

 授業は始まっていない。

 

 総合学校、七日目。

 

 俺は、魔王候補から選挙チラシを受け取った。

 そしてその魔王候補は、選挙期間前の活動で地面に埋められた。

 

 通常授業は、今日から始まるらしい。

 通常とは何か。

 もう一度、辞書で調べた方がいいかもしれない。

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