リーガル・ハック─法務省直轄呪霊対策本部─   作:森野夜

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2006年10月 二回試験終了後、あるいは過去への回帰

2週間に及ぶ二回試験の全日程が、ついに幕を閉じた。

民事裁判、刑事裁判、検察、弁護、民事弁護――法曹三者としての適性を試される5日間の起案。筆記用具を握り締め続けた右手の肉は硬く強張り、思考をすべて絞り出された脳は熱を持ったままだった。夕暮れ時。司法研修所の重厚な門を一歩外へ出た瞬間、世界が奇妙に変質した。

 

「が、あ……っ!?」

 

秋の冷たい空気を肺腑に吸い込んだ途端、脳の奥底から経験したはずのない記憶が、決壊したダムの濁流のように溢れ出してきたのだ。

 

2018年。死滅回游。宿儺との決戦。

 

脳内に出現したのは、血を吐きながら崩れ落ちていく自分自身の死の未来だった。あまりにもリアルな肉体の破壊の感覚、および死の直前に自らが抱いた諦念。脳内にはその未来の戦場で獲得したはずの呪力の動かし方や、領域の構築方法といった数式が膨大な情報となって焼き付いている。しかしそれを理解した瞬間に、俺の2006年の未熟な肉体はその異次元の出力に耐えかねて激しく拒絶反応を起こした。

脳の血管が千切れるような激痛。視界が激しく明滅し、鼻の奥からどっと熱い血が溢れてアスファルトに滴り落ちる。激しい目眩に襲われ、俺は思わず路上に膝をつき激しく咳き込んだ。

 

「はっ、く、は……なんだ、これは……制御できない……」

 

冷や汗が全身から噴き出す。脳内にある完璧な知識としての型を、人を殴ったこともない現在の肉体が再現できない。気がつけば俺の背後、夕闇の影が伸びる路上に陽炎のように揺らめく不気味なシルエットが浮かび上がっていた。

 

二つの目が縫い合わされた、巨大な天秤を持つ布を被った姿――ジャッジマン。その輪郭は霧のように不自然に歪み、巨大な天秤は制御を失ったかのようにガタガタと不快な金属音を立てて激しく揺れていた。

 

「くそ……静かに、しろ……!」

 

胃の底からせり上がる呪力の奔流に、俺は呑み込まれそうになっていた。理解だけが先行し、肉体がそれに追いつかない。制御を失った力が血管の内側を焼いていく。

 

「……日車くん。その姿勢のまま、動かないで」

 

背後からかけられた硬質な声に、俺は顔を辛うじて動かした。振り返るとそこに立っていたのは、北見だった。彼女は俺の背後で不規則に揺らめく不完全な式神を、驚くでもなくただ冷徹に観察していた。北見は静かに右手を掲げ、その指先を空へと向ける。彼女の体から呪力が滑らかに立ち上った。

 

「闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」

 

流暢に紡がれた呪詞とともに、上空から漆黒の膜が急速に降りてくる。俺たちの周囲の空間が完全な黒のドームへと隔絶されていく。研修所から出てくる他の修習生たちの視線が不自然なほどこちらを素通りしていくのが分かった。一般的な、しかし完璧な手際の帳だ。

 

「歩けるかい、日車くん。ここじゃあ、少し耳目が多すぎる。私の車へ乗りなさい」

 

北見は手を下ろし、周囲に視線を走らせる。

 

「脳内のイメージと出力の制御が追いついていない。今にも暴発しそうな危険な力を外に晒しておくわけにはいかないよ」

 

「……どこへ行く」

 

「いざという時に君を隔離できる、私の組織のセーフティハウスさ。話はそれからだ」

 

彼女の放つ迫力に圧され、俺は未熟な呪力の暴走を必死に抑え込みながら静かに頷くしかなかった。敷地外の暗がりに停められていた窓の黒い実用車。その後部座席に滑り込み、車は滑らかに走り出した。辿り着いたのは表向きは民間名義の登記になっている、郊外の元研究施設の地下倉庫だった。

 

分厚いコンクリートの壁。そこには外部への呪力漏洩を防ぐための強力な防護結界が張り巡らされている。彼女が現世の法務省の裏で、来るべき事態のために用意したカモフラージュの空間だった。北見は重い鉄扉を閉め、頑丈なボルトを突き刺して完全に密閉した。壁一面の防護結界が俺たちの気配を世界から完全に遮断する。

彼女は俺から明確に距離を取り、警戒した体勢のまま漆黒の瞳で俺を射抜いた。その口元には春のあの頃と変わらない、薄い不敵な響きが戻っていた。

 

「さて、日車くん。ここなら君のその不完全な式神が暴発しても、外の人間を巻き込まずに処理できる」

 

北見は静かに歩みを進め、俺との距離を保ったまま足を止める。

 

「まずは情報共有をはじめよう。お互いの術式の開示だ」

 

「術式の開示。手の内を晒せということか、北見」

 

「当然だろう?君のその力が何なのか分からないまま、同じ空気を吸うほど私はお人好しじゃない。呪術のルールとしても、手の内を明かすことは互いの出力を高める対等な儀式さ」

 

北見は手の先を、俺へと向けた。

 

「私からいこう。私の術式は公訴執行。対象の行為を不当な事象として定義し、世界に対してその是非を問う検察と執行に特化した能力だ」

 

彼女は俺の背後の影へ視線を動かす。

 

「さあ、次は君の番だよ。君の後ろでガタガタと天秤を鳴らしているその奇妙な式神は、一体どういう仕様の能力なんだ」

 

彼女の問いは徹底して客観的だった。俺は自分の背後でなおも不安定に揺れるジャッジマンを見上げた。

 

「……俺の術式は誅伏賜死。展開した領域の中に法廷を出現させ、対象の過去の罪を暴く力だ」

 

俺の口から漏れたのは、自らの魂の形に対する法律家としての強烈な拒絶と困惑だった。

 

「だがこの力は俺の脳内にある知識から照らしても、酷く歪んでいる。ジャッジマンという式神が、証拠の提示から判決までをすべて独占している」

 

「独占、ね」

 

「ああ。検察官の存在しない場で、一方的に被告人を糾問する構造になっている。近代司法の基本である三面構造が根底から崩壊しているんだ。おまけに判決後の刑の執行はこの俺が、物理的な暴力をもって行う仕様になっている。こんなものは俺が理想とする法廷では断じてない。ただの法の形を騙った洗練された暴力装置だ」

 

北見は俺のその激しい拒絶の言葉を聞き、楽しげに口角を上げた。その瞳の奥には恐ろしいほどの知的な歓喜が宿っていた。

 

「なるほど。見事な自己批判だね。自らの力に呑まれず、その構造的な欠陥を即座に見抜くとは。興味深い仕様じゃないか」

 

北見は少し目を細め、観察を続ける。

 

「だが最大の矛盾が残っている。呪術のルールとして、術式は生まれつき脳に刻まれているものだ。だから才能は10代の初めまでに完全に開花する。日車くん、君は24歳だ。今まで完全に一般人として生きてきて、この修習の最終日の夕方にいきなりこれほど洗練された型が降って湧くなど、理論上はあり得ないんだよ」

 

彼女の足音が、コンクリートの床にコツリと響いた。

 

「なぜ今になって発現したんだ。それに君はさっき未来からの逆流と言ったね。私がそのまま鵜呑みにすると思っているのか」

 

北見の追及は至極真っ当だった。だが俺の脳内にはまだ肉体が追いついていないとはいえ、確定した事実として未来の記憶がインストールされていた。

 

2018年、ある男の暗躍によって脳の構造を強制的に変えられ、目覚めた自分。

 

俺はコンクリートの壁に背を預け、荒い呼吸を整えながら事実だけを口にした。

 

「確信はない。俺の脳のなかに残る膨大な知識が、一つの事実を告げている。俺のこの力は今新しく生まれたものではない」

 

「新しく生まれたものではない?」

 

「ここではないどこか――未来の戦場で、俺自身が命を賭して獲得した力の全容が、この修習の終わりに因果を逆流させて戻ってきたのだと俺の脳が理解している。信じるか否かは君の自由だ。だが、北見。だがこの国の社会システムは、12年後の未来に完全な機能不全を迎える」

 

北見は俺の言葉に眉をひそめた。先ほどまで口元に浮かんでいた愉快そうな笑みが、静かに消える。

 

「ああ。羂索、という名を知っているか。千年前から他人の肉体を渡り歩き、歴史の裏で暗躍し続けている最悪の呪詛師だ。2018年、その男の手によって東京は、いやこの国は既存の法秩序を根底から無効化される。日本全土の非術師を強制的に巻き込み殺し合わせる、死滅回游という名の巨大なゲームが開始されるんだ」

 

俺は呼吸を整え、彼女を真っ直ぐに見据える。

 

「俺のこの術式が大人になってから開花したのも、未来の俺がその大局的な不条理に引きずり込まれたからに他ならない。その予定された破滅の綻びを修正するために、俺はこの不完全な力を早急に検証しこの肉体に馴染ませる必要がある。そのためには俺をただの異常者として総監部に突き落とさない、君のような明晰な知性を持つ法律家の立ち会いが必要だ」

 

その言葉が地下室に落ちた瞬間、空気が凍りついた。

 

羂索。

 

その固有名詞を聞いた瞬間、北見の目から愉悦が消える。彼女は日車の目を凝視しそこに一切の虚偽やハッタリがないことを悟らざるを得なかった。

そして歴史が育んだ不条理に対し、現世の国家権力をもって挑もうと法務省の裏で人知れず準備を進めていた彼女自身の計画と、日車の予言があまりにも完璧なパズルとなって脳内で噛み合っていく。

北見の漆黒の瞳に初めて本物の驚愕と、それ以上の獲物を捉えた法律家としての光が宿る。

 

「驚いたな。羂索……。総監部の老害どもの人事記録にも、法務省のデータベースにもそんな男の存在は引っかかっていない。だが……」

 

北見は視線を落とし、それから俺へと視線を戻した。

 

「君から漏れ出る酷く洗練された呪力の気配が、君の言葉が現実であると告げている。本当に、未来の破滅を見てきたというわけだね、日車くん」

 

「ああ。既存の法規をそのまま適用しても踏み潰されるだけだ。現世の枠組みを超えた、新たな適正手続きの檻が必要になる」

 

北見はふっと短く息を漏らし、口元にいつもの不敵な笑みを戻した。

 

「千年の因習そのものが相手というわけだね。面白いじゃないか。私が法務省の権限の裏で、極秘裏に設立を進めている呪霊対策本部――その独立組織の仕様は、君がもたらした未来の記憶を組み込むために存在していたかのような、これ以上ない極上の器だよ」

 

彼女は一歩、俺へと近づいた。

 

「足りないピースも明確になった。君の法廷に検察官がいないのが不完全だと言うなら、私がその席に座ろう」

 

北見は確信に満ちた笑みを浮かべた。だが俺の脳裏には彼女のその言葉と同時に、冷酷なまでの疑念が立ち上がっていた。

 

「待て、北見。話を終わらせる前に検証すべき前提が残っている」

 

俺の静止に、北見は眉を微かに動かした。

 

「俺の脳内にある未来の記憶において、君という術者の存在も、その呪霊対策本部という組織の影もどこにも存在していなかった」

 

地下室の空気が、さらに一段、冷たく張り詰める。

 

「宿儺との決戦が引き起こした未曾有の破滅の最中、国家機関は何一つ機能していなかった。呪術界の上層部は腐敗しきったまま独裁を続け、俺たち術者は個人として戦場に放り出された。それが何を意味するか、君なら分かるな」

 

北見の瞳から面白がるような色が完全に消えた。俺は事実を淡々と突きつける。

 

「君のその計画は遠くない未来、呪術界の古い因習か、あるいは羂索の手によって水面下で完全に瓦解させられたということだ。存在しない組織の失敗が約束された神輿に、俺が安易に乗ると思うか」

 

「なるほど」

 

北見は腕を組み低く息を漏らした。

 

「確かに私一人の力では不足し叩き潰されたのかもしれない。素晴らしい審問だ、日車くん。ならば君を納得させるだけの客観的な証拠として、私が立ち上げようとしている組織の全容を説明しよう」

 

北見はコンクリートの壁に寄りかかり、自身の思考の骨組みを語り始めた。

 

「まず君は九十九由基という術師を知っているかい?この国に数人しかいない、特級と呼ばれる最高位の呪術師の一人だ。……いや、今の君に聞くのは酷か」

 

「……いや、知っている」

 

俺は痛む頭を押さえながら、脳裏に焼き付いた記憶の残像を引き出した。

 

「彼女のことも未来の戦場における彼女の選択も、俺の記憶には確かに刻まれている」

 

「驚いたな。本当にすべてを見てきたというわけだ」

 

北見は微かに目を見張り、それから満足そうに頷いた。

 

「なら話が早い。私がわざわざ来日して法務省に入ったのは、彼女の掲げた理想に惹かれたからさ。呪霊の生まれない世界を作る、という理想をね。ただし私はそれを呪術ではなく、法律によって実現する。これが私の立ち上げる呪霊対策本部の本音であり、原因療法としてのシステム化だ」

 

彼女の漆黒の瞳に、静かな、しかし強固な意志の光が宿る。

 

「呪霊を祓い続けるだけでは永遠に負け続ける。工場を止めずに排煙だけ処理しているのと同じだからね。ブラック企業、虐待、因習。呪霊は社会が量産している。なら法律家が潰すべきは呪霊そのものじゃない。発生源だよ」

 

さらに北見は組織の法的な側面を淡々と開示していった。

 

「当然古い呪術界へ行政権を浸透させ、国家主権を回復するという建前も用意してある。法律の適用を受けない独自の死刑や超法規的処置を連発してきた彼らを法務省の管理下に置くための純粋な権力掌握、治外法権の打破だ」

 

北見は笑いながら続ける。

 

「高専も御三家も、結局は施設だ。なら建築基準法が通る。労働安全衛生法も通る。国家権力っていうのはね、正面突破より監査の方がよく刺さるんだ。拒むなら国家反逆罪や脱税で強制捜査に切り替える。そこまでは私一人で動かすつもりだった」

 

北見は俺を真っ直ぐに見据え、言葉を区切った。

 

「だが個人の術式だった君の法廷が、私の組織の後ろ盾を得ることでジャッジマンの天秤は国家の天秤へと昇華する。個人の呪力を遥かに超越した、羂索すら法の網を潜り抜けられないほどの絶対的な法廷を構築すること――君の出現によって、私の計画に最高の後ろ盾が嵌まった。どうだい、日車くん。私の組織に来ないか」

 

彼女の語る計画の規模は俺の想像を遥かに超えていた。現世の法規を網の目のように組み合わせ、呪術界という特権階級を絡め取ろうとする手法。だが俺は彼女の誘いに対し、法律家としての、そして弁護士としての矜持から、静かに首を横に振った。

 

「話の骨組みは理解した。だが北見、俺は在野の弁護士として生きるつもりだ。いくら未来の破滅を防ぐためとはいえ、現世の国家権力そのもの、法務省という官僚機構に直接身を置くつもりはない。俺の術式は権力から独立した適正手続きの場でこそ機能するべきものだ」

 

弁護士としての俺の拒絶を突きつけられても、北見の表情は微塵も揺らがなかった。彼女はむしろその反論すらも楽しむかのように、不敵に口角を上げた。

 

「なるほど、あくまで在野の弁護士として私と取引をしたいわけだ。面白いじゃないか。なら君が法務省に籍を置かずに、外部の人間として合法的に私の組織へ介入できる仕組みを今これから私が省内で作ってあげるよ」

 

「仕組みだと?」

 

「簡単なことさ。新設する監査室の運営において、日弁連を通じて外部弁護士を公募・派遣させる仕様書を私が作成する。その応募条件にね、君しか該当しない異常な条件を並べるのさ。そうすれば国側の出来レースとして、君は弁護士の身分のまま私の組織の専属として堂々と法廷に立てる」

 

その場で即座に法の網の目を潜り抜け、都合の良い制度を構築してみせた彼女の明晰さに俺は息を呑んだ。だが、まだすべての疑念が晴れたわけではない。

 

「……だが北見、君は現世の官僚機構の強度を過信している。俺の知る未来ではひとたび大局的な不条理が顕現すれば、社会システムは呆気なく機能停止に追い込まれた。君の作ろうとしている檻は現世の紙の法律で編まれた、脆い鳥籠に過ぎないのではないか」

 

さらに、俺は言葉を重ねる。

 

「それにいくら社会構造を変えようと、人間の心から湧き出る負の感情をすべて管理することは不可能だ。何より君の術式は相手の罪を立証し追い詰めることに特化している。それは一歩間違えれば、国家の正義という名の下に行われる合法的な処刑になりかねない。君のその傲慢なまでの知性が、暴走した検察権力として俺の法廷を支配しないという保証はどこにある」

 

北見はコンクリートの壁から背を離し、一歩、俺へと歩み寄った。

 

「国家という装置への不信か。確かに、悪法でもないよりはまし、という程度の脆いシステムかもしれないね。だけど日車くん、独自の呪術規定による私刑をこのまま許し続けることは、近代国家としての完全な敗北を意味するんだよ。それに、私の検察権力が暴走するという懸念だけど……私の術式には、厳格な虚偽告訴の禁止という縛りがある。嘘や私怨での起訴は即座に自分へ返り、呪力を没収される。つまり、私の裁判には、システムとして絶対的な誠実性が最初から担保されているのさ」

 

彼女は俺の目の前で足を止め、その瞳で俺の背後に浮かぶジャッジマンを射抜いた。

 

「原因療法への現実的な懐疑もその通りさ。人間の悪意を法律で完全に消し去ることなどできはしない。だけどね、だからといって最初からすべてを諦めて何もしないというのはそれこそ愚の極みというものだよ。不備があるなら社会の歪みに合わせて、その都度条文を改訂しつつ対応していけばいいだけの話だ。……認めよう。私の術式公訴執行も、相手を被告として一方的に糾問する、不完全な形をしている。だけどね、日車くん。だからこそ、君と私が揃う必要があるのさ。君の持つ裁判官と弁護人の機能、そして私の持つ検察官の機能。この二つが交わって初めて、この歪んだ呪術界に、本物の弾劾主義の法廷が完成する」

 

北見は静かに俺へと右手を差し伸べた。

 

「私の組織が未来に存在しなかったのなら、君のその記憶を使って、破滅の手前でこちらから先手を打って古い因習ごと潰すまでさ。どうだい、日車くん。私と一緒にこの世界の盤面を綺麗に整備し直そうじゃないか」

 

俺は差し出された彼女の手と、自分の後ろで佇むジャッジマンを見上げた。脳内にある完璧な知識としての型を、肉体が再現できずに暴走しかけているこの不完全な力。

だがもし彼女の言う通り、呪霊対策本部という現世の国家権力を後ろ盾にしお互いの不完全な術式を噛み合わせるならば。未来の地獄を、あの確定した破滅を根底から覆すための法的基盤が構築できるかもしれない。

 

「……悪くない条件だ。検証する価値はある」

 

俺は彼女の右手を静かに握り返した。

 

「交渉成立だね」

 

北見は満足そうに頷くと手を離し、踵を返して重い鉄扉へと歩き出した。

 

「二回試験が終わったばかりの修習生が、地下倉庫で世界の破滅を語り合う。これ以上ない非日常だけど私たちの現実は明日からも続く。実務修習が終わり正式に任官されれば、私は予定通り法務省の裏で呪霊対策本部の設立を本格化させる」

 

彼女はボルトを引き抜き、重い鉄扉をゆっくりと開いた。外の少し冷えた秋の夜気が地下室へと流れ込んでくる。

 

「日車くん。君は君のやり方で、弁護士としての実務と、その未熟な肉体の検証を進めなさい。千年の歴史が育んだ不条理を踏み潰すその日まで席は空けておくよ」

 

彼女の背中を見送りながら、俺は強張った右手の拳を静かに握り締めた。

 

2006年。まだ何も始まっていないこの時代。

脳裏に焼き付いた未来のあの地獄を、この国の法秩序の崩壊を、俺は断じて容認しない。法律家としての、そして一人の呪術師としての新たなる手続きがここから始まる。




補足
糾問主義:裁判官が一人で犯人探しも判定もやる
弾劾主義:訴える人と訴えられる人を裁判官が中立な審判として判定する

近代では弾劾主義で糾問主義は中世、のはず
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