不健康なほどに煌びやかな店内。
賑やかな男女の話し声が、この店を支配している。酒と香水の甘ったるい匂いが混ざった、息がつまるような空気。
それでも女達は笑いながら酒を注ぐ。
今夜もここでは、正直者だけが酒を飲む。
そんな中、とある一席。若い男性が静かに席に座っている。
見るからに質の良いスーツに、重そうな腕時計。そしてよく伸びた背筋。
客の中でもひときわ存在感を放つ彼の前に、一人の女性が立った。
「ご指名ありがとうございまーす」
やる気を感じられない、気怠くて優美な声。
男性は顔を上げた。そして、思わず息を止める。
圧倒的に整った顔立ちに、強い照明を浴びて輝く金髪。こちらを見下ろす長い睫が、白い肌に影を作っている。
周りと比べ物にならないほどのオーラ。
だがどこか擦りきれた痛々しさも持ち合わせており、そのズレが妙に目を引く。
「お隣失礼しまーす」
長い足を伸ばし、男性の隣に座る。
金髪が揺れ動く。
彼女は両手で名刺を差し出した。
「ルナっていいます。よろしくー」
ニッコリ笑いながら、上目遣いで男性を見つめるルナ。綺麗な円を描いた、吸い込まれそうな瞳がこちらを真っ直ぐ見つめている。男は挑発的に目を細め、ルナの細い指から名刺を受け取った。
シンプルなデザインの名刺には、漢字で「月姫」と書かれていた。
「ああ、どうも。ツキヒメ……?これでルナって読むの?」
「はい、可愛いでしょ?」
「へぇ。変わってるね」
ルナはクスクスと笑う。
男は、真面目そうな目付きでルナをじっと見ている。その視線に気付き、ルナは更に男へ近づいた。男との距離は、拳一つ分ほどしかない。
「お兄ーさんこそ変わってるよ。普段こんなとこ絶対来ないでしょ」
「あ、やっぱり分かる?」
「うん。だって見るからに余裕あるし。あと、絶対お金持ってるもん」
男は余裕のある笑みを浮かべた。
「はは、そんなこと言っちゃっていいの?それじゃあまるで、ここに来るのは余裕の無い貧乏人って言ってるみたいだけど」
「………私に意地悪した代わりに、お酒頼んでよ」
メニュー表を遠慮なく押し付けるルナ。
男はそんな様子を怒るどころか、満足げに笑った。
男はメニュー表を広げる。
触れそうで触れない距離感。
ルナは頬杖をつきながら、男の様子をじっと狩人のように観察している。
腕時計、スーツ、シャツ。全てが一級品だ。健康的で綺麗な肌、整えられた髪。
それに加え、人当たりの良さそうな笑顔に話し方。こんなところで、所作までも完璧だった。
……本当に、何でキャバクラなんか来たんだろう。この人はきっと"満たされてる"側なのに。
男は、そんなルナの視線に気付いたのかメニュー表から顔を上げた。
「そんなに見られると緊張するよ」
「君がどんな良いお酒を頼むのか楽しみで」
男は苦笑いを浮かべる。その後、近くのボーイに声をかけた。
そこで口に出した商品名。
ルナはそれを聞き、口笛を吹こうとしたが失敗した。
情けない音を隠すように、男に向き合って質問を投げかけた。
「そういえば名前聞いてなかったね。なんて言うの?」
「あー、新田。新田でいいよ」
「ニッタ君?下の名前は?」
「秘密」
「ふーん…やっぱり変わった人だね。まあいいや。新田君、ありがとね」
とびきりの笑顔を向けるルナ。
新田は平然とその言葉を受け取った。
「ねぇ、何でキャバクラなんて来たの?興味ある」
「……うーん。これも秘密って言いたいんだけど……」
ルナは目を細めて笑う。
「私、口は堅いよ?」
軽い調子のルナに少し悩んだ後、口を開いた。
「……実は、探してる人がいて」
切り出したその言葉は、僅かな重みを持っていた。
「探してる人?こんなとこに?」
「まあね……。と言っても、ここにいるかも分かんないんだけどね」
「……そうなんだ。でもまあ、新田君なら見つけられるよ。応援してる」
良くも悪くも、重さを持たないルナの声。それに新田は曖昧に笑った。
その時、ちょうど新田の頼んだ酒が卓に置かれた。それを境に、新田の探している人に関しての話題は終わった。
その後は他愛もない会話が和やかに進み、新田は帰る時間になった。
笑顔で手を振りながら見送るルナ。
そして、新田の姿が完全に見えなくなった途端、手をぶらんと脱力させる。
作った笑みが消える。
そして、黒いピンヒールでその場を離れていく。
ルナがそのまま入っていったのは控え室。そこには数人のキャスト…つまり、キャバ嬢達が休憩を取っていた。彼女らは、入ってきたルナに対してチラリと目配せをするだけであった。
ルナは気にした様子も無く、無防備に置いてある自身のスマホを手に取る。
青白いディスプレイにうつる不在着信の文字。
そして、その上に残された名前。
それを目に入れたルナは、無感情に荷物をまとめ始める。
それを見た周りのキャバ嬢たちは、不快感を隠そうともせず聞いた。
「もう帰んの?」
「うん。お疲れ様」
淡白な返事を残し、ルナは振り返らずに控え室をあとにした。
気高いヒールの音だけが、残されたキャバ嬢達の耳に入る。
次に舌打ちの音。
「ナンバーワンだからって自分勝手すぎだろ」
「何で店長も許してるんだろうね」
陰口は伝染し、その場にいた彼女らの格好の話題となった。
「枕でもしてんじゃない」
「ちょっと止めてよ。想像したくもない」
キャラキャラと、後味の悪い笑い声をあげる彼女達。
ルナの使っていた狭いスペースだけが、今はもう無い空間だけが、悲しげに残されていた。
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繁華街に並ぶ居酒屋。どこにでもあるような庶民的な色を出し、中からは賑やかな人の声とジョッキのぶつかる音が聞こえてくる。
入り口の暖簾をくぐると、熱気と食欲をそそる匂いに包まれた。
「ツキヒメー。こっちこっち」
女が簡易的な仕切りから顔をひょっこり出してきた。
中性的な顔立ちに、無造作に束ねられたお団子。どこか一昔前の人間のように見える。
こっちに来いと言うように手招く。
ツキヒメはそれに従い移動した。
座席には、もう既に一人の男が座っていた。
ツキヒメと組み、日々"仕事"をこなしている男だ。
テーブルには、既に使用済みの灰皿と、焼き鳥と大量のビールジョッキ。
ツキヒメはその量のビールを見て眉をしかめた。キャバクラの仕事終わりに酒はもう見たくないのだろう。
「店長、こういう所は止めようって言いましたよね?」
店長。ツキヒメは彼女をそう呼ぶが、別に店長では無い。いや、そもそも何の職に就いているのかすら不明だ。
「え~、しょうがないじゃん。仕切りがあるのここぐらいなんだもん」
「灰皿もな」
「あと安いし」
店長の言葉に便乗するように男は口を挟んだ。
「ハイセ……灰皿なんてどこにでもあるでしょ」
ツキヒメは真顔で返す。呆れたような声色だった。
目の前の男はハイセと言うらしい。勿論源氏名だろうが、ニコチン中毒者の彼には妙に似合っていた。
「それじゃ、ツキヒメも来たし。早速次のお仕事の話するよ」
店長が言った。2人は相変わらず無気力に座っている。だが、その言葉を聞き入れる準備は出来ていた。