「うっひょお〜!!飛んだなぁ今の、二刀流とか行けんじゃねぇの流行ってるし!!」
球場のセンターフェンス付近から試合を眺めていた男達がいた。胸元に刻まれた誇りある『市大三』の文字を確かに今年こそ甲子園出場を狙う今回の三つ巴戦筆頭…名門・市大三高である。
先ほど大声で叫んだ男こそ、監督である"田原利彦"が唯一認めた【天才(ジーニアス)】天久光聖である。
シニアこそ、東京都ベスト8で姿を消し空達と対戦こそないもののその実力は都内で知らぬ者はいない(梅宮兄弟を除き)ほどである。そしてその期待のルーキー右腕と"現2年生エース"を獲得した今年を含めた3年間こそが市大の全盛期と言えると田原は確信していた。
「やけにテンションが高いじゃないか光聖」
「だってあの打球見ましたか"真中さん"!!」
天久がそう呼ぶのは市大の現エースであり天久をして現状唯一敵わないと認めた男・真中要である。
真中が天久を見て驚くのには理由がある。本来、天久光聖という男は類稀な才能こそ持ち得たものの"野球というスポーツ自体に関心がない"のである。実際のところ、天久がこれまで野球を続けてこられたのも己が才能で他人より優れ周囲からチヤホヤされたためでありこの男に野球以上に見出せる才能があればすぐ様野球など捨ててしまうだろう。
市大という名門に入学したことで、天久光聖の日常は一変した。
朝から晩まで続く反復練習。
一球の乱れすら許されない投球練習。
食事も睡眠も管理され、遊ぶ時間などほとんどない。
“甲子園”というたった二文字のために、全員が人生を懸けている。
だが――
天久にとって、その熱量は最後まで理解できなかった。
野球が好きだから投げるわけじゃない。勝ちたいから努力するわけでもない。ただ、自分にはこれが人より少し上手くできただけ。だから周囲に褒められ、期待され、流されるまま続けてきた。それだけだった。故に、市大三高という環境は天久にとって息苦しい檻でしかなかった。
「もっと腕を振れ。」
「走れ。」
「考えろ。」
「努力しろ。」
才能だけでここまで来た男にとって、そのどれもが退屈でしかない。日に日に笑顔は減り、投げる球だけが虚しく増えていく。以前は退屈でもマウンドに立てば多少は気分も晴れた。だが今は違う。野球そのものが義務になった。投げるたびに、心がすり減っていく。
「……はぁ。」
練習後、誰もいないグラウンドで空を見上げる。
(俺、なんで野球やってんだっけ。)
その問いに、自分でも答えられなかった。もし野球以外に、自分がもっと才能を発揮できるものがあるなら。
絵でも、音楽でも、勉強でも。きっと迷わず野球なんて捨てていただろう。それほどまでに、この男にとって野球は”夢”ではなく、ただ一番得意だっただけのものだった。
だからこそ誰より才能に恵まれながら、その瞳からは少しずつ輝きが失われていった。田原利彦ですら、一時は覚悟した。――天久光聖という天才は、このまま静かに潰れてしまうのではないか、と。
しかし――目の前に現れてしまった"己以上の天才"
「アイツ!アイツは"マジ"ですよ!"マジな奴"何ですよ!!いるんだなぁ。こんな漫画見てぇな奴が!!」
「…光聖」
「…負けてられねぇ」
その一言を聞いた田原は、静かに口元を緩める。
(ようやく見つけたか。)
天才は、努力では燃えない。使命でも燃えない。だが、自分の理解を超える存在に出会った時だけ、その才能は本当の意味で目を覚ます。
梅宮空という規格外の存在…その存在は、消えかけていた天久光聖という天才の心に、小さな火を灯した。
天久光聖の退屈だった毎日が、少しだけ色を取り戻す。
「にしても開いてきたな」
「っすね。まぁ元々仙泉なんて"ついで"みたいなもんですしどっちでもいいですよ」
一見冷たい意見に聞こえる程の発言を放つ天久。しかしこれにしても彼の触覚に引っ掛かる選手やチームではなかっただけのこと、本人に悪意は一切持ち得ないのである。
現在、試合は8回表を終了し9:4で薬師がリードしている状況である。
そして8回の裏…薬師高校は遂に満を辞して"あの男"をマウンドに送る。
◆
一回に4点、2回にも3点を上げ一年生投手である真木を早々にKOした俺たち薬師打線であるがその後に慌てて緊急登板した3年生エース相手には中々苦戦(それでも2点)していた。
こちら側としては先発の川田さんが7回を4失点でまとめる好投を見せ見事リードを守り抜いた形となった。そして8回の裏…満を辞して登板するのが…
「真田ぁ〜頼むぜ〜!!」
「楽に投げろよ真田!」「デビュー戦にしちゃあこれ以上はねぇぞ!!」
空と並んで一年生で一軍入りしている真田俊平である。元々中学軟式野球出身の真田であるが慣れないであろう硬式球を投げ、最速135キロを計測したほどの列記とした薬師の戦力である。
「真田」
「…梅宮」
「柄にもなく緊張してんのか」
「…ふっ…分かるか?」
俺の目から見ても真田は緊張しているようだった。普段どちらかといえば口数も多く騒がしい方に入る真田であるが当番を言い渡されてから明らかに口数が減り笑みを浮かべなくなっていたからである。
俺は帽子のつばを軽く上げると、硬くなっている真田の肩を拳で軽く小突いた。
「いてっ……何すんだよ」
「肩に力入りすぎだ。そんな状態じゃ一球目から引っ掛けるぞ」
「……分かってるよ。でも」
真田はマウンドへ視線を向けた。照明に照らされた土に練習試合と思えないほど聞こえるスタンドの歓声…そして高校野球デビュー戦のマウンド、その重みを、嫌というほど感じているのだろう。
「柄にもなくここで打たれたらどうしようって思っちまってな」
「……あぁ」
俺は短く頷いた。
「…まぁそれが普通だ」
「え?」
「むしろ何も感じねぇ奴の方が珍しいだろうな」
真田は少しだけ目を丸くする。俺は笑いもせず、そのまま続けた。
「緊張は誰でもするだろう。寧ろそれがエネルギーやエンジンとなり力を発揮するタイプもいる…ふっ…まぁお前はそんなタイプに見えねぇけどな。」
「悪いことじゃねぇんだが…ただ、お前のそれは”流石に力が入りすぎてる”」
「…」
「何でそうなるか分かるか?…もっと走れたんじゃないか。もっと振れたんじゃないか。もう少し投げ込めたんじゃないか。そういう後悔があるから、本番で”失敗したらどうしよう”って考える。」
そう言いながら俺はボールを掌で転がした。
「その日できることは全部やる。走る日なら最後まで走る。振る日なら腕が上がらなくなるまで振る。考える日なら納得するまで考える。その積み重ねを毎日終わらせてから寝る。」
真田は静かに聞いている。
「だから試合の日に考えることなんて一つしかない。」
俺は真田の目を見る。
「やってきたことを、そのまま出すだけ。結果は相手もいる以上、どうにもならねぇ。でも準備だけは、自分で決められる。俺はそこだけは絶対に妥協しない。だから負けても後悔はしねぇ。“あの日もっとやっとけばよかった”だけは、一番ダサいからな。」
真田は黙って聞いている。
「そういう意味ではお前はここ数週間、俺の練習にもついて来た。…どんなにしんどくてもサボらず淡々と…なら大丈夫だ。なんせこの俺について来たんだからな…それに」
「ん?」
俺は人差し指を立てた。
「この程度で躓いてるようじゃ俺に勝とうなんて100年経っても無理だぜ」
俺が笑いながらそう言うと真田は
「…確かにな…こちとら普段からラスボス相手に張り合ってんだ。今更仙泉なんて怖くも何ともねぇ」
ようやく真田が笑った。さっきまで強張っていた表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。俺はその顔を見ると、帽子のつばを下ろした。
「ふっその意気だぜ。…あぁあと一つ。」
「ん?」
「デビュー戦なんて、一回しかねぇ。」
「……。」
「楽しんだこいよ」
その一言だけ言うと俺は駆け足で外野まで走っていく。その姿を見ながら真田は静かに息を吐くと、何度か深呼吸を繰り返す。
グラブを握る手には、もう余計な震えはない。
「……サンキュ…な"空"」
◆
「なんちゅう体たらくやホンマに…市大さん相手にエース温存してた意味がないやないかい」
仙泉ベンチでは鵜飼監督が選手達相手に激を飛ばしていた。それもそのはず仙泉はここまで得点こそ奪えているものの、攻撃や采配において全てで後手を取らされており言葉の通り、一年生ルーキーの真木を登板させたのも真木でも薬師程度の打線なら抑えれると判断しその上で真木に自信をつけさせようと言う魂胆であったがその真木がまさかの大乱調。
更にで言えば2回KOで落とされており、急いで肩をつくらせたエースですら2点を奪われている。
もっと問題なのが仙泉打線である。向こうの暫定エースである三年生投手に8回までで4点しか奪えずランナーは貯まるものの、小気味のいいピッチングと"やけに気合の入った"投球スタイルで押さえ込まれていると言っていい内容であった。
「おまけに次の投手は一年かい。真田?聞いたことのない名前やな。…お前らええ加減目覚まさんと明日からえらい目に合うで?」
「「「…はい!!」」」
「はいちゃうわホンマに〜」
そう言うと鵜飼は早々に打ち砕かれた真木を横目に見る。マウンドを降りてからと言うものの、その図体の大きさとは裏腹にその背中は誰よりも小さく顔も下を向いている。
薬師さんにはウチの未来のエースの心を完全にへし折ってもろたからなぁ。こりゃあ向こうの選手何人かおんなじことさせて貰わんと割に合わんでほんまに…
内心でそう思った鵜飼であるが…
「らぁ!!!!」
ーーガコンッ!!
「ショート!!」「あいよ!!」
ーーガコンッ!!
「セカンッ!!」「はいはい!!」
ーーカァァァン!!
「センター!!」「ふっ」
「…なんやあの投手…並の一年投手やあらへんやないか…」
ウチの上位打線を相手に僅か8球で締めて見せた謎の一年生投手…球速は良いところ130中盤…真木とそんな大差あらへん。カーブやスライダー、フォークといった大きな変化をするボールももっとらへん。…やのに…ウチの上位打線が"芯を外されとる"
「おい」
「は、はい!!」
ワシは先ほどセカンドにゴロを打たされた3番に声をかける。…あかんな。コイツわしにビビり散らかしとるわ。
「さっき打たされたんはストレートかいな?」
「いやぁ…ストレートにしてはなんて言うか…キレが無いとも言えないんですけど…どうにも"気持ち悪い"感じでして…」
はっきり喋らんかいほんまに…聞いたワシが悪かったわ。
にしても、何で薬師にこんな投手達が入学しとる?今の投手やってポテンシャルだけなら相当なモノを持っとるぞ。これに"梅宮空"までおるんやからホンマ頭おかしなるわ。轟雷蔵なんて聞いたことない名前やのに相当スカウトが上手いやなぁ。
◆
真田はその後も好投を続け、9回裏も運悪く外野と内野の間に落ちるポテンヒットこそ生まれたものの2回を見事無失点で抑えることに成功していた。
そして俺たち薬師はこの三つ巴戦の2戦目は休憩を挟み、その間に仙泉と市大との試合を観戦することとなった。
試合開始のサイレンが鳴ると同時に、マウンドへ上がったのは市大三高、期待のルーキー・天久光聖は、まるで周囲の空気など意にも介していないような飄々とした表情でキャッチャーから返球を受け取っていた。
「…アイツか」
「何知り合いなの?」
以前トイレ前で遭遇したことを思い出した空
「一年坊主だろ?」
「仙泉相手にどこまでやれんだか……」
そんな周囲の囁きは、一球目で消え去る。
ーーズバァンッ!!…と乾いた捕球音だけが球場に響く。
「……っ!」
仙泉の先頭打者は反応こそしたものの、バットは空を切った。そして続く二球、三球とストレートで押し込んだかと思えば、次の瞬間には鋭く曲がるスライダー。さらに緩急を織り交ぜ、打者のタイミングを完全に奪っていく。
見事三球三振である。
「…あのスライダー」
「…はは…まだあんな奴もいんのかよ」
空と真田は天久を見つめ呟く
「あ、当たらねぇ……」
仙泉ベンチから思わず漏れた声が、そのまま打者全員の本音だった。二番打者も追い込まれると、最後は外角いっぱいへ吸い込まれるような一球。
ーーズバァンッ!!
「ストライク! バッターアウト!」
見逃し三振に切って落としそして三番。初球から積極的に振りにいった打球は、力なくセカンドへのゴロ。わずか数分てわ一年生右腕・天久光聖は、東京でも屈指の実力を誇る仙泉打線を九球で三者凡退に料理してみせた。
これが、この先3年間熾烈を極めることとなる若き怪物達の会合であった。
いずれ遠くない未来で響き渡る名声
──"帝都四傑"
東京都内において別格と評された四人の投手へ贈られた異名
球威、制球、変化球、勝負強さ――そして"気品"…そのすべてが同世代の水準を遥かに凌駕し、互いに競い、高め合いながら東京高校野球界の頂点に君臨した怪物たち。
そして彼らは、この先数年を経て東京都だけに留まらず、全国でも指折りの好投手へと成長していくこととなる。
後に高校野球史へその名を刻む四人は、いつしか人々から畏敬を込めてこう呼ばれた。
──『帝都四傑』と。