(おいおいおい…なんつぅモン見せてくれてんだこの野郎)
ここまで帝東打線を完封し続けた空のピッチング…しかし先程垣間見たあの投球は雷蔵から見ても"更に数段ギアが上がった"ように見えたのである。
野球というスポーツにおいてレベルや純度の対比を例に出す時、高校生と小学生の例を出すことが多いだろう。
しかし、今のはそう言う次元を遥かに超えている。
まるで高校生の中に1人、プロ…いやメジャーリーガーが混ざっているような…もしこれを見ずににそう語る有識者がいるなら大衆は大袈裟だと笑うだろう。
しかし、数多くの名選手を目の当たりにしてきた雷蔵をして先程の空は飛び抜けていたのである
「…っ…ちっ…おいテメェら!ルーキーがこんだけかましてんだ!良い加減向こうの投手を打ち崩せ!!」
少しの間呆気に取られていた雷蔵は、集まってきた自軍選手たちにそう声をかける。
「「「っ!?…はい!!」」」
しかしそれは雷蔵だけでなく味方チームですら未だに動揺が消えていない。
そしてそれは、相手チーム…
「…10年に1人…いや…100年に1人の逸材か…思わぬ所で当たっちまったぜこんちきしょうめ…」
帝東監督・岡本一八は腕を組み顔を歪めながらそう呟く。
動揺している…会場が揺れている
「…ふん…これくらいやって貰わなきゃ態々見にきた甲斐がないからね」
「…そんだけ強がれんのは一種の才能だな。」
会場で目撃したライバル達も例外ではない
「…化け物め…シニアの時より更に伸びてやがる」
「…奴は本当に一年なのか…末恐ろしい者が同地区に現れたものだな」
薬師…空と同地区に位置するライバル達はいずれ目の前に大きな壁となり立ちはだかるであろう男に対し畏怖の概念を抱かずにはいられなかったのである
◆
7回の裏の薬師の攻撃…ここまで薬師打線を7安打無失点に抑えていたエースが突如乱調する。
1番2番と立て続けに四球を与えてしまい迎えるは今試合ここまで2本の長打を放っている3番の空である。
(なんだ……あの男は……一年生だぞ……? 俺が一年の頃とは比べ物にならない……球速だけじゃない。キレも制球も、マウンドでの存在感まで……全部が異常だ。こんな奴が同じ高校生にいるのかよ……)
帝東エース・相良は大いにもがき苦しんでいた
(俺だって必死に練習してきた。エースとしてやってきた自負もある。なのに――このまま俺があいつと投げ合ったら……勝てるのか?いや……勝てる奴など存在するのか……?)
その瞬間、自信に満ちていたはずの心に小さな亀裂が入る。
「負けるかもしれない」
今まで一度も考えなかった可能性が頭をよぎる。
それが動揺だった。
そして、その動揺を生み出した感情の正体は――
怪物に対する劣等感を通り越した危機感であった。
つまり…
「一年生離れした投球は、エースの自負を揺るがし、その胸に畏怖と焦燥を抱かせた。」
である。
もちろん、そのような心境に陥った投手が平常に投げ続けれるわけも無く…
『フォアボールです!ここまで好投を続けてきました帝東エース相良くんここにきて三者連続のフォアボールです!!』
試合は無死満塁の大チャンス。帝東高校は堪らずベンチから伝令を出しマウンド付近に内野が集合する。
「…」
その様子をネクストサークルから眺めている男がいた
(この状況を作り出したのは間違いなく梅宮の投球だ)
黒川の目から見ても梅宮の投球から明らかに帝東エース相良のピッチングが荒れ始めているのが分かった。
名門・帝東と弱小・薬師…この試合をここまで緊迫感のある接戦へと昇華させているのは間違いなく梅宮の力あってこそであると言うことは誰の目から見ても明らかである。
しかし…
「…このままじゃ俺は…俺たちは何も変われない…何者にも成れやしない」
「…キャプテン?」
バットを立て静かに語り出す黒川に気づいた雷蔵が呟く
マウンド上では続投なのか相良を中心に声を上げたナイン達が散らばっていく姿が見える
「俺は…俺たちは梅宮だけじゃない…俺が決めてみせる」
「っ…おい黒川!」
自らが弱小薬師との特異点になると覚悟を決めた黒川が相良を睨みながらバッターサークルへと向かう
凄まじい集中力だったのであろう。雷蔵の声すら届いていないのか振り向きもせずただ虎視眈々と相手投手を見つめている黒川
◆
『場面は無死満塁の大チャンス!!ここで打席に入るは4番で主将、薬師高校の主砲・黒川!!ここまでノーヒットに抑えられている相良相手にこの男が意地を見せることができるのか!!球場全体の視線がこの打席に集まります! ベンチもスタンドも総立ちだ!!』
注目の初球、相良の投げたボールはアウトコースいっぱいに投じられたストレート
「…」
「…ナイスボール相良!」
(…なんだコイツ…さっきまでと雰囲気が…)
初球を目送った黒川、先程までとは違い完璧に制球されたストレートであったが黒川の表情に驚きはない
続いて2球目、3球目とスライダーにカーブと交わす変化球を投じるがどちらも僅かにストライクゾーンから外れボール
「…」
「…」
捕手からボールを受け取った相良は一塁上にいる空を流し目で見る。その視線に気づいた空も目線を交差させる
(どこを見てやがる…テメェが今相手にしてんのは俺じゃない…その事にすら気づけない…いや違うな。コイツは…)
(…まだ俺の事を舐めてやがるな。…いいさ。その方が好都合だ)
相良の視線によりその思惑を感じ取った空と黒川。黒川はバットのグリップを深く握り直す
そして… バッティンググローブが軋む音。
スタンドの歓声が遠のいていく。聞こえるのは自分の鼓動だけ。
相良、振りかぶる。全身全霊のボールは真ん中高めへ突き刺さる渾身のストレート。
コースは甘いが球速は140を記録し球威は申し分ない一球である。
その瞬間――
黒川の瞳が見開かれる。
(来た!!)
足を大きく踏み込むみ腰の回転と共にバットを一閃する
轟ッ―――――!!!!
響き渡るような金属音が球場を切り裂いた。
『打ったぁぁぁぁぁ!!!!』
打った瞬間誰もが顔を上げ打球は一直線に…
高く…ただ高く
ーーレフトの頭上を遥かに越えていく。
『入るか!? 入るか!?』
レフトが懸命に追う。だが白球はフェンス上段をを直撃し轟音と共に跳ね返った。
『うおおおおおおおお!!!!!』
一塁走者、二塁走者が生還し続く三塁走者である空もホームイン。そして黒川は三塁へ滑り込む。
『走者一掃ぉぉぉぉぉぉ!!!!!4番黒川!! 値千金のタイムリースリーーベース!!!!!』
薬師ベンチ総立ちし監督の雷蔵が拳を振り上げる。
「うぉっしゃああああああ!!!!!」
その中心で。三塁上の黒川は立ち上がり。ユニフォームについた土を払いながらベンチに向かって大きく腕を振り上げた。
その姿は飛躍を誓った者達に取って決して忘れる事のない特異点となるのであった。
◆
慌ただしく観客が会場を去ろうと動き出す中、未だ会場からグラウンドを見つめる薬師と同地区に位置する高校…青道高校の2人がいた。
「…御幸、今日の試合お前はどう見た」
「…率直に強いですよ」
結城の問いに対して答える御幸
「…ほう?」
「けど…」
「ん?」
「"脅威"になり得るほどとは思いませんでしたね…少なくともウチ相手には」
帝東は東の名門である。青道とは同格…強さ以前に大衆の評価としては帝東の方が高い可能性すらある。
そしてその帝東相手に圧巻の投球を見せた空
その試合を間近で見て尚御幸は"脅威足り得ない"と評した
その真意とは…
「御ーー」
「一也ぁぁぁ!!!」
「「っ!?」」
真意を聞き出そうとした結城の声を遮る大声。驚いた2人が声の聞こえた方向に視線を向けるとそこにいたのは
「一也!やっぱり一也も来てたんだ!」
「…鳴…と」
「馬鹿野郎、こんなとこで大声で叫ぶ奴があるか」
現れたのは稲城実業…成宮鳴と原田雅功である
「お前も来ていたとはな。それに…そっちが噂のゴールデンルーキーか?」
「結城…あぁ…ゴールデンかどうかは知らんがコイツがウチのプロスペクトだ」
互いに面識のある2年2人は探り合うような出立ちで話し込む
そしてそんな2人と対照的にシニアの頃からの繋がりのあるルーキー達は…
「9回を1安打完封…か…どう見た?」
「あん?」
「空だよ!空!」
「…あぁ…空のことか」
「そうそう。シニアで俺と空からヒット打ったことある奴なんて全国探してもお前だけだよ。」
「大袈裟だなぁ〜」
御幸は謙遜するが実際問題、世代最強投手である空と次点で評価されている成宮からクリーンなヒットを放った選手など世界大会を除けば御幸くらいのものである
「…まぁ…今更言うことでもないが…化け物だよ」
「…」
「プロに行く奴ってのはあぁ言う奴のことを言うだろうな」
「…」
「…でもまぁ勝機が無いわけでもない」
「…」
「何も言ってこないあたりお前も気づいてるんだろ。鳴」
御幸の言葉に成宮も口を開く
「よく分かってんじゃん」
「ぬかせ」
「確かに終盤のあのピッチングを続けられたら大したもんだけど…アレを試合を通じてやり通せるのか…それに…」
「変化球…だろ?」
「うん」
「いくらストレートが凄かろうがそれ一本で勝とうなんて舐めすぎだ。今日の勝利だって半分は初見殺しみたいなもんだから」
「そうだね。野球はトーナメント形式。夏の大会みたいな形式だと対策は必須。」
「まぁ後半は帝東の方もストレート一本だと理解しつつこの結果なのは流石の一言だけどな」
「ふん!このくらいの相手なら俺でも出来るね!」
「ストレートだけで?」
「……カーブはありで」
御幸の問いに顔を歪めながら小さく呟く成宮
「はっ、結局変化球いるんじゃねぇか」
御幸が肩をすくめる。
「うるさいな! カーブは別腹だ!」
「別腹ってなんだよ」
「別腹は別腹だよ!」
「意味分かんねぇ」
原田が呆れたように額を押さえる。結城も思わず苦笑した。だが――そんな軽口の後、成宮の表情が僅かに引き締まった。
先程までの冗談めいた空気が消える。
「……でも」
「?」
「ストレートだけであそこまで押し込める奴なんて見たことない」
その言葉には嘘偽りのない本音が混じっていた。
シニア屈指の左腕。誰よりも空と言う投手を知る成宮だからこそ理解できる。
あれは異常でしかないのだ。球速ではなく回転数でもない。ノビでもないだろう。
それら全てを含めた上で――
“打者が打てない何か”があった。
「打席で見たら分かるタイプかもしれねぇな」
御幸が言う。
「映像じゃ伝わらない何か」
「かもね」
成宮も頷く。
「あ!!分かった!!」
そこで成宮は不敵に笑った。
「一回分かれば終わりじゃん!!」
「ほう?」
結城が反応する。
「今日の帝東は途中まで空の正体が分かってなかった。だから振り遅れたんじゃん!」
「……」
「でも俺らは違う」
成宮の瞳が鋭くなる。
「人間は慣れる生き物だ」
その言葉には絶対的な自信があった。稲城実業というチームを信頼しての言葉。結城と原田は黙って聞いていた。それは単なる評価ではない。未来のライバルに対する分析だった。
そしてその時だった。グラウンドから歓声が上がる。まだ帰っていなかった薬師ナインが整列を終え、スタンドへ挨拶をしていた。
その中心にいる最後までマウンド付近に立っていた空が帽子を取る。
その姿を見ながら成宮が呟く。
「俺と当たるまでまで消えるなよ」
成宮が呟く。
「今度こそ叩き潰すんだからな」
その言葉は空に向けた宣戦布告。
だが――本人は既にスタンドの奥へと消えようとしていた。そして誰も知らない。今日見せたあの投球ですら。
梅宮空にとってはまだ完成形ではないことを。
同地区の強豪達が「ストレート対策」を語る中――当の本人は既に次の段階へ進み始めていたのである。
そして怪物はまだ成長の途中であった事を思い知る日がいずれやってくることをまだ知らない