TS転生おっさん物語   作:すすぺっと

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第12話 距離感がうまい女、全員を狂わせる

 

人間関係というものは、適度な距離を保っていれば大抵どうにかなる。

 

近づきすぎない。

突き放しすぎない。

相手が話したければ聞く。

疲れていそうなら、少しだけ休ませる。

 

気づけば身についていた処世術としては、かなり実用的だ。

 

少なくとも、俺はそう思っていた。

 

「透花、今日も帰り一緒だから」

 

右隣から千夏が言う。

 

「透花ちゃん、放課後に購買寄らない? 新作のお菓子あるみたい」

 

左隣では、小日向さんが笑う。

 

少し離れたところから、白河さんが何か言いたそうにこちらを見ている。

 

そして、その全部を眺めていた瀬尾さんが、妙に楽しそうな顔で呟いた。

 

「高遠さんって、距離感うまいよね」

 

褒められたのだろうか。

 

俺は少し考えた。

 

けれど、左右から飛んでくる予定の確認に対応しているうちに、考える余裕はなくなった。

 

平穏に過ごすために身につけたはずの距離感が、なぜか最近、逆方向に仕事をしている。

 

♢

 

昼休み。

 

俺の机の右側には千夏。

左側には小日向さん。

 

いつの間にか、この配置が定着していた。

 

千夏が来れば、いつも通り右側へ座る。

なので、そこは自然と空けてある。

 

小日向さんは左側へ当然のように椅子を持ってくる。

 

二人とも別に騒がしいわけではない。

昼食を取るだけなら問題はない。

 

ただ、一人でパンを食べていた頃と比べると、机の周辺人口は明らかに増えた。

 

「透花、聞いてる?」

 

千夏が弁当箱から顔を上げる。

 

「聞いてる。今日も一緒に帰るんでしょ」

 

「そう」

 

「透花ちゃん、帰りに購買も寄ろうよ」

 

小日向さんが笑顔で重ねる。

 

「新作のお菓子、今日から販売なんだって」

 

「購買なら帰る前に寄れるね」

 

俺は答えた。

 

「千夏もそれでいい?」

 

千夏は箸を止めた。

 

ほんの一瞬。

 

「……まあ、購買なら」

 

「決まりだね」

 

小日向さんは嬉しそうに頷く。

 

千夏も笑っている。

 

笑ってはいるのだが、少しだけ目が細い。

 

何か不満があるのだろうか。

 

「千夏、甘いもの苦手だった?」

 

「別に」

 

「ならよかった」

 

「……そういうところだよ」

 

「どこ?」

 

千夏は答えなかった。

 

難しい。

 

小学生の頃の千夏は、遊びたい、帰りたくない、約束して、と大抵のことをそのまま口にしていた。

 

最近は、言葉にする前に一度飲み込むことが増えた気がする。

 

幼馴染の会話にも、いつの間にか行間というものが生まれたらしい。

 

俺は購買で買ったコロッケパンを一口かじった。

 

揚げ物とパン。

 

少し重い。

だが、昼休みの満足感としては悪くない。

 

「透花ちゃん、今日のパンは当たり?」

 

小日向さんが覗き込む。

 

「おいしいけど、午後に少し眠くなりそう」

 

「一口ちょうだい」

 

「どうぞ」

 

小さくちぎって渡す。

 

小日向さんは口へ運び、少しだけ頬を緩めた。

 

「ほんとだ。おいしい」

 

「でしょ」

 

「透花ちゃん、購買のパン選ぶの上手だよね」

 

「経験則」

 

「高校始まって、まだそんなに経ってないよね?」

 

「観察は大事」

 

何事も傾向を把握すれば外れを引きにくくなる。

 

商品の売れ方。

補充される時間。

パンの種類。

 

日常を快適にするための小さな工夫である。

 

右側から箸が伸びてきた。

 

千夏が卵焼きを差し出している。

 

「透花」

 

「なに?」

 

「あたしのも」

 

「交換?」

 

「一口」

 

意図は分かった。

 

俺は千夏にもコロッケパンを渡し、代わりに卵焼きを受け取った。

 

甘めの味付け。

 

幼い頃から何度も食べてきた味だ。

 

「やっぱりおいしい」

 

「やっぱり?」

 

「昔から変わらないから」

 

千夏の表情が、少しだけ柔らかくなる。

 

「そっか」

 

満足したらしい。

 

昼食の交換で機嫌が直るなら、非常に平和である。

 

俺がそう思ったところで、机の前に人影が差した。

 

「高遠さん」

 

顔を上げる。

 

白河さんが立っていた。

 

手には教科書とノートがある。

 

いつも通り背筋は伸びている。

黒髪もきれいに整えられている。

 

ただ、俺の机の左右を見たあとで、わずかに言葉を止めた。

 

「どうしたの?」

 

「あの……昨日の授業で、少し確認したい箇所がありまして」

 

「どこ?」

 

白河さんがノートを開く。

 

数学の問題だった。

 

途中までは解けている。

計算も間違っていない。

 

ただ、最後の式変形だけが少し遠回りになっている。

 

「ここ、先にまとめると短くなると思う」

 

俺はノートの余白を指差した。

 

白河さんが身を屈める。

 

「この部分ですか?」

 

「うん。そこから代入すると楽」

 

「……なるほど」

 

白河さんは頷いた。

 

視線がノートへ落ちる。

 

すぐに理解したらしい。

 

さすがに早い。

 

「白河さんなら、自分でも気づいたと思うけど」

 

何気なく言うと、白河さんの指先が止まった。

 

「え?」

 

「少し休んでから見たら、たぶん普通に解ける」

 

白河さんは顔を上げる。

 

「昨日、遅くまで勉強してた?」

 

「……いつもと同じくらいです」

 

「なら、今日は少し早めに休んだ方がいいかも」

 

黒い瞳が、わずかに揺れた。

 

白河さんは何か言おうとして、口を閉じる。

 

それから、少しだけ視線を逸らした。

 

「高遠さんは、またそうやって」

 

「何か変だった?」

 

「いいえ」

 

白河さんは小さく息を吐いた。

 

「……ありがとうございます」

 

声は普段より少し柔らかい。

 

問題は解決したらしい。

 

よかった。

 

俺がコロッケパンへ戻ろうとすると、白河さんはまだその場に立っていた。

 

「白河さん?」

 

「いえ。失礼しました」

 

白河さんは少しだけ名残惜しそうにノートを閉じ、自分の席へ戻っていった。

 

なぜか歩く速度が少し遅い。

 

眠いのだろうか。

 

「透花ちゃん」

 

左側から小日向さんが声をかける。

 

「なに?」

 

「白河さんのこと、よく見てるね」

 

「そう?」

 

「勉強の話だけで、寝不足まで分かるんだ」

 

「字が少し乱れてたから」

 

白河さんのノートは普段きれいに揃っている。

今日だけ少し、書き始めの線が揺れていた。

 

小日向さんは俺の顔をじっと見る。

 

「透花ちゃんって、ちゃんと見てるんだね」

 

「見える範囲だけだけど」

 

「ふうん」

 

今度は小日向さんまで、少し考えるような顔をした。

 

右側では、千夏が黙って弁当箱を見ている。

 

「千夏?」

 

「なに?」

 

「今日、静かだね」

 

「別に」

 

また出た。

 

これは、別に何もなくない時の言い方だ。

 

「何か気になる?」

 

「透花はさ」

 

千夏が顔を上げる。

 

「あたしが寝不足でも気づく?」

 

「分かると思う」

 

「ほんと?」

 

「千夏は眠いと返事が少し遅くなるし、朝から甘いもの欲しがるから」

 

千夏は一瞬、目を丸くした。

 

「……覚えてたんだ」

 

「長い付き合いだからね」

 

そう答えると、千夏の口元が少し緩む。

 

「ならいい」

 

昼休みの席。

帰り道。

卵焼き。

寝不足の判定。

 

最近、千夏に確認されることが少しずつ増えている。

 

幼馴染との関係も、少しずつ形を変えているのかもしれない。

 

♢

 

「高遠さん」

 

少し離れたところから声がした。

 

瀬尾さんだった。

 

自分の席へ座ったまま、こちらを眺めている。

 

「さっきから何?」

 

「いや、すごいなと思って」

 

「何が?」

 

「全員に違う答え返してるのに、全部ちょうどいいところへ刺さってる」

 

意味が分からない。

 

「普通に答えてるだけだけど」

 

「それがすごいんだって」

 

瀬尾さんの隣では、桐生が菓子パンを食べながら笑っている。

 

「高遠さん、無自覚なんだな」

 

「何の話?」

 

「いや。俺は巻き込まれたくないから言わない」

 

「もう十分見て楽しんでるでしょ、桐生くん」

 

瀬尾さんが突っ込む。

 

「瀬尾ほどじゃない」

 

何かを観察されているらしい。

 

心当たりがない。

 

俺は食べ終えたパンの袋を畳んだ。

 

午後の授業まで、あと数分。

 

少しだけ窓の外を眺めたい。

 

そう思ったところで、小日向さんが机へ頬杖をついた。

 

「透花ちゃん」

 

「なに?」

 

「私が眠そうだったら、気づく?」

 

また同じ質問だ。

 

「たぶん」

 

「どうして?」

 

「小日向さんは、疲れると少し静かになるから」

 

小日向さんの目がわずかに開く。

 

「分かるの?」

 

「昼を一緒に食べてるから、それくらいは」

 

「……そっか」

 

声が少しだけ柔らかい。

 

小日向さんは嬉しそうに笑った。

 

その笑顔を見た千夏が、俺の袖を軽く引いた。

 

「透花」

 

「なに?」

 

「……あたしのことも、ちゃんと分かる?」

 

さっきも似たようなことを聞かれた気がする。

 

「分かることは多いと思うよ」

 

「やっぱり?」

 

「付き合い長いし」

 

千夏の顔が少し明るくなる。

 

だが、俺は続けた。

 

「でも、最近は前より難しいかも」

 

千夏が動きを止めた。

 

「難しい?」

 

「うん。前より言わないことが増えたから」

 

少しだけ、千夏の表情が揺れる。

 

言いすぎただろうか。

 

けれど千夏は怒るでもなく、少し考えるように視線を落とした。

 

「……じゃあ」

 

「うん?」

 

「分からない時は、聞いてよ」

 

今度は俺が少し考える。

 

「千夏に?」

 

「そう」

 

「何考えてるの、って?」

 

「……まあ、そんな感じ」

 

言ったあとで少し恥ずかしくなったのか、千夏が視線を逸らす。

 

それなら難しい話ではない。

 

「分かった」

 

俺は頷いた。

 

「聞くよ」

 

千夏が顔を上げる。

 

目が合う。

 

ほんの少しだけ頬が赤い。

 

「約束だから」

 

「約束ね」

 

そう返すと、千夏は満足そうに笑った。

 

子供の頃から変わらない。

 

千夏は約束を大事にする。

 

何気なく返すと、長期間保存される。

 

だから気をつけた方がいい。

 

分かってはいる。

 

ただ、今回は別に難しい約束ではない。

 

分からなければ聞く。

 

それくらいなら問題ない。

 

俺がそう考えていると、小日向さんが少しだけ頬を膨らませた。

 

「透花ちゃん、私の話も聞いてね」

 

「聞くよ」

 

「ちゃんと?」

 

「うん」

 

白河さんが、自分の席からこちらを見ている。

 

目が合うと、すぐに教科書へ視線を戻した。

 

だが数秒後、またこちらを見た。

 

何か言いたいことがあるのだろうか。

 

「白河さん」

 

呼びかけると、白河さんの肩が小さく揺れた。

 

「何でしょうか」

 

「まだ何かある?」

 

「……ありません」

 

「ならいいけど」

 

「ただ」

 

白河さんは少し迷う。

 

それから、静かな声で続けた。

 

「明日、もう一問だけ確認していただいてもよろしいですか」

 

「いいよ」

 

「ありがとうございます」

 

白河さんはノートへ視線を戻した。

 

横顔は普段通り落ち着いている。

 

ただ、耳が少しだけ赤いように見える。

 

教室が暑いのだろうか。

 

俺は窓を少し開けた。

 

風が入る。

 

カーテンが柔らかく揺れた。

 

「高遠さん」

 

瀬尾さんが、笑いを堪えるような声で呼ぶ。

 

「なに?」

 

「もう少し自覚した方がいいと思う」

 

「何を?」

 

「そこから説明するのは、私の仕事じゃないかな」

 

不親切である。

 

♢

 

放課後。

 

帰りのホームルームが終わると、千夏がすぐに俺の席へ来た。

 

「透花、帰るよ」

 

「少し待って」

 

鞄へ教科書を入れる。

 

小日向さんも隣から顔を出した。

 

「透花ちゃん、購買寄るんだよね」

 

「うん」

 

「新作のお菓子、売り切れてないといいな」

 

「走らなくても間に合うと思う」

 

「でも少し急ごう」

 

白河さんは自分の席でノートを閉じている。

 

俺と目が合う。

 

「白河さんも帰る?」

 

思わず聞いた。

 

昨日のように、何か残っていないか気になっただけだ。

 

「え?」

 

「今日は頼まれごと、ない?」

 

「ありません」

 

「ならよかった」

 

白河さんは一瞬だけ黙った。

 

それから、少し考えるように視線を伏せた。

 

「……駅まででしたら、ご一緒してもよろしいでしょうか」

 

珍しい。

 

白河さんの家がどちらかは知らないが、駅までは同じ方向らしい。

 

断る理由はない。

 

「いいよ」

 

答えると、白河さんは小さく息を吐いた。

 

少し安心したように見えた。

 

「では、お言葉に甘えます」

 

右隣で、千夏が止まる。

 

左側では、小日向さんが笑顔のまま目を細めた。

 

「白河さんも一緒なんだ」

 

「はい。駅までですが」

 

「そっか」

 

「うん。みんなで行こう」

 

俺は鞄を肩へ掛けた。

 

これでいい。

 

帰る方向が同じなら、一緒に帰ればいい。

 

購買へ寄り、新作のお菓子を確認する。

その後、駅で白河さんと小日向さんに別れ、千夏と住宅街へ向かう。

 

無駄がない。

 

非常に効率的である。

 

そう思っていた。

 

教室を出る。

 

千夏が俺の右隣へ並ぶ。

小日向さんは左隣へ来る。

白河さんは少しだけ迷ったあと、半歩後ろを歩いた。

 

廊下の端で、瀬尾さんと桐生がこちらを見送っている。

 

「高遠さん、すごいな」

 

桐生の声が聞こえた。

 

「でしょ」

 

瀬尾さんが答える。

 

何がすごいのだろう。

 

俺は少し考えた。

 

昼休みから続く、妙な空気。

予定の確認。

質問の応酬。

少しずつ増える約束。

 

ここで、ふと懐かしい感覚を覚えた。

 

前世の会社で、似たような状況を見たことがある。

 

複数の人が、それぞれ少しずつ違う要望を持っている。

一つずつは大したことがない。

なのに全部まとめて対応しようとすると、なぜか調整事項だけが増えていく。

 

……これは。

 

面倒な案件だ。

 

俺は内心で小さく息を吐いた。

 

もっとも、今回は会議室ではなく放課後の廊下だし、待っているのも資料ではなく購買の新作菓子である。

 

前世よりは、だいぶ平和だった。

 

たぶん。

 

それでも、新作菓子は少し楽しみだった。

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