TS転生おっさん物語   作:すすぺっと

18 / 29
第18話 帰宅部、素材として評価される

 

体育という授業は、避けて通れない。

 

走る。

跳ぶ。

投げる。

 

必要な運動であることは理解している。

 

健康を維持するためにも、適度に体を動かした方がいい。

前世では運動不足が常態化していたので、そのあたりに異論はない。

 

ただし。

 

授業として決められた範囲を、ほどほどにこなす。

それ以上は望まない。

 

放課後まで走り回る部活動など、俺の省エネ方針とは相容れない。

 

そう思っていた。

 

「高遠さん」

 

体育館の床へ落ちたボールを拾い上げたところで、背後から声をかけられる。

 

振り返ると、短く整えた髪を揺らしながら、一人の女子生徒がこちらを見ていた。

 

名前は、たしか――藤堂杏奈(とうどうあんな)。

 

運動部系のクラスメイトだったはずだ。

 

藤堂さんは、俺の手元のボールとネットの向こう側を交互に見る。

 

それから、妙に真剣な顔で言った。

 

「高遠さん、今のジャンプ、もう一回やってみて」

 

「どうして?」

 

「確認したい」

 

嫌な予感がする。

 

「授業は終わったよ」

 

「あ、そっか」

 

藤堂さんは一瞬だけ残念そうな顔をした。

 

「じゃあ、無理にとは言わないけど」

 

そこで一度言葉を切り、俺を上から下まで見る。

 

「その身長と手足の長さで、帰宅部なのは宝の持ち腐れだよ」

 

真顔で言い切った。

 

俺は少し考えた。

 

確かに、今世での身体は前世とは比べ物にならない。

 

だからといって、部活に所属するつもりはない。

 

そんなことを思いつつ、授業の始まりを思い出す。

 

♢

 

今日の体育は、バレーボールだった。

 

体育館の高い窓から、初夏の光が差し込んでいる。

磨かれた床には、白いラインが何本も伸びていた。

 

授業の前半は、二人組でのパス練習。

後半は、簡単なルールで試合。

 

俺としては、無理をせずに終える予定だった。

 

ボールが来たら返す。

届かない球は、近くにいる人へ任せる。

必要以上に走らない。

 

体力配分は大事である。

 

俺は体育のために、髪を低い位置で一つにまとめていた。

 

普段は肩から胸元近くまで落ちている髪も、動く時には邪魔になる。

ゴムで軽く束ねるだけで、視界はずいぶん広くなった。

 

「透花、意外と似合う」

 

隣でストレッチをしていた千夏が言う。

 

「何が?」

 

「髪、結んでるの」

 

「邪魔だから」

 

「うん。知ってる」

 

千夏は少しだけ笑った。

 

その反対側では、莉子さんがこちらを眺めている。

 

「家で勉強した時も思ったけど、透花ちゃんって髪まとめると雰囲気変わるよね」

 

「そうかな」

 

「変わる。いつもより動けそう」

 

「動くためにまとめてるからね」

 

合理的な話だ。

 

向かい側で、真澄さんも小さく頷いた。

 

「よくお似合いです」

 

「ありがとう」

 

俺が返すと、真澄さんは一度だけ視線を逸らした。

 

体育館が暑いのか、耳が少し赤い。

 

そろそろ窓を開けた方がいいかもしれない。

 

「おーい。そろそろ始めるよ」

 

教師の声が響く。

 

俺たちは、それぞれの位置へ移動した。

 

♢

 

問題が起きたのは、試合が始まってしばらく経った頃だった。

 

俺はネットの前に立っていた。

 

理由は単純。

 

身長が高いからである。

 

配置を決める時、周囲から自然にそうなった。

 

別に異論はない。

 

後方で細かく動き続けるより、前で必要な時だけ手を上げる方が楽だ。

 

非常に合理的な配置である。

 

「透花、そっち!」

 

千夏の声が飛ぶ。

 

相手側から、少し高めのボールが返ってきた。

 

ネット際。

 

俺の近くへ落ちる。

 

届きそうだ。

 

そう思ったので、軽く跳んだ。

 

両手を上げる。

 

指先へ、ボールの感触。

 

反射的に相手側へ押し返す。

 

ボールは、そのまま床へ落ちた。

 

体育館に、乾いた音が響く。

 

一瞬だけ、周囲が静かになった。

 

「……あれ?」

 

俺は着地しながら首を傾げる。

 

ブロックというやつだろうか。

 

授業としては、悪くない。

 

得点にもなったらしい。

 

「透花、すごい!」

 

千夏が声を上げる。

 

「今の、ちゃんと止めた!」

 

「偶然だよ」

 

「偶然であれできる?」

 

莉子さんまで目を丸くしている。

 

向かい側では、真澄さんが少しだけ驚いた顔でこちらを見ていた。

 

その中で。

 

一人だけ、表情の種類が違う人間がいた。

 

藤堂さんである。

 

先ほどまで相手側のコートにいた藤堂さんは、ネット越しにこちらを見ていた。

 

目が妙に真剣だ。

 

獲物を見つけた人の顔である。

 

いや。

 

獲物というのは失礼か。

 

眠っていた逸材を見つけた運動部員の顔、とでも言うべきだろうか。

 

どちらにしても、嫌な予感しかしない。

 

「高遠さん」

 

藤堂さんがネットへ近づいてくる。

 

「今の、バレー経験ある?」

 

「ないよ」

 

「本当に?」

 

「授業以外では、ほとんど」

 

「助走なしで、あれ?」

 

「近くに来たから」

 

「近くに来たから、で止められる高さじゃないと思う」

 

そう言われても困る。

 

俺の体感では、手を上げたら届いただけだ。

 

丸い蛍光灯みたいな神様が、また余計な仕事をしている。

 

身長だけならまだいい。

 

運動能力まで調整した覚えは聞いていない。

 

仕様書を渡せ。

 

「授業中にもう一回、高いボール上げてもいい?」

 

藤堂さんが言う。

 

「授業の範囲なら」

 

「分かった」

 

目が光った。

 

なぜ、こちらが少し了承しただけで、そこまで嬉しそうなのだろう。

 

♢

 

それから。

 

少し高めのボールが、何度か俺の方へ飛んできた。

 

主犯は藤堂さんである。

 

俺は届く範囲だけ返した。

 

無理に追わない。

全力で跳ばない。

体力は温存する。

 

そのつもりだった。

 

だが、授業終了後。

 

体育館の端で水分を取っていると、藤堂さんが真っ直ぐこちらへ来た。

 

冒頭のやり取りである。

 

「その身長と手足の長さで、帰宅部なのは宝の持ち腐れだよ」

 

俺はペットボトルの水を一口飲む。

 

「部活に入るかどうかは、私が決めてもいいでしょ」

 

「もちろん」

 

予想外に素直な答えが返ってきた。

 

「でも、バレー部員としては一度くらい誘わせてほしい」

 

やはりバレー部だったらしい。

 

藤堂さんは俺を見上げながら、真剣に続ける。

 

「高遠さん、百八十近くあるよね」

 

「たぶん」

 

「たぶん?」

 

「最近は測ってないから」

 

「腕も長い。ジャンプもできる。しかも、着地が変に安定してる」

 

「褒められてる?」

 

「かなり」

 

「ありがとう」

 

「だから、一度だけ見学に来ない?」

 

「入部するつもりはないよ」

 

俺が先に言うと、藤堂さんは少しだけ黙った。

 

「……そこは分かってる」

 

「分かってるんだ」

 

「今は、でしょ?」

 

「今後もたぶん」

 

「厳しいなあ」

 

本気で残念そうだ。

 

だが、すぐに気を取り直す。

 

「じゃあ、入部は置いておいて。見学だけでも駄目?」

 

「見たらまた勧誘するでしょ」

 

「したくはなる」

 

「正直だね」

 

「でも、嫌だって言われたらそこで止める」

 

少し考える。

 

そこまで言われると、先ほどよりは話が通じる。

 

ただ。

 

「今日は行かないよ」

 

「うん」

 

「即答で諦めた」

 

「今日の話はね」

 

そこは諦めていなかった。

 

藤堂さんは笑う。

 

「気が向いたら言って。体育館にいるから」

 

「気が向いたらね」

 

「その言葉、覚えておく」

 

俺は少しだけ嫌な予感を覚えた。

 

今のは約束ではない。

 

たぶん。

 

♢

 

着替えを終え、教室へ戻る。

 

窓際の席へ座った途端、少しだけ体の力が抜けた。

 

適度な運動は健康にいい。

 

だが、運動後に座る時間はもっといい。

 

机へ頬杖をつこうとしたところで、斜め前から千夏が振り向く。

 

「透花、バレー部入るの?」

 

「入らないよ」

 

「本当に?」

 

「運動部は疲れるから」

 

千夏は、あからさまに安心した顔をした。

 

「そっか」

 

なぜ安心する。

 

「千夏は部活どうするの?」

 

「まだ迷ってるけど。透花が入らないなら、バレー部は別にいいかな」

 

「私を基準に決めなくていいよ」

 

「分かってる」

 

分かっていない気がする。

 

左側から、莉子さんが机へ身を寄せる。

 

「でも、透花ちゃんが部活してるところ、ちょっと見たい」

 

「授業で見たでしょ」

 

「体操服じゃなくて、ユニフォームで」

 

「違いある?」

 

「あるよ」

 

即答だった。

 

向かい側では、真澄さんが静かに教科書を出している。

 

だが、会話は聞いていたらしい。

 

「運動部へ入るかどうかは、ご本人が決めることです」

 

「真澄さん、ありがとう」

 

「ただ」

 

真澄さんは少しだけ言葉を止める。

 

「透花さんが競技へ真剣に取り組む姿は、少し気になります」

 

援護ではなかった。

 

退路が一つ減っただけだった。

 

「透花ちゃん、人気だね」

 

莉子さんが楽しそうに笑う。

 

「そういう人気はいらないかな」

 

放課後の予定が圧迫される。

 

俺は鞄から教科書を取り出す。

 

次の授業は現代文。

 

体育後に座って受けられる。

 

素晴らしい。

 

そう思っていると、教室の入口から声が飛んできた。

 

「高遠さん!」

 

藤堂さんだった。

 

着替えを終えたらしく、鞄を肩へ掛けている。

 

「さっきの話だけど!」

 

「うん?」

 

「もし気が変わったら、いつでも体育館来て! 見学なら歓迎するから!」

 

「覚えてたらね」

 

「絶対忘れる返事だ、それ!」

 

教室の何人かが笑った。

 

藤堂さんも苦笑する。

 

「まあいいや。今日は追わない!」

 

「助かる」

 

「でも勧誘は諦めてないから!」

 

「そこも諦めてくれると助かる」

 

「それは無理!」

 

元気よく言い切り、藤堂さんは自分の席へ戻っていった。

 

強い。

 

熱量が強い。

 

千夏が俺を見る。

 

「透花、行かないよね?」

 

「今日は行かないよ」

 

「今日は?」

 

「将来まで断言すると、藤堂さんが余計に燃えそうだから」

 

「……それはありそう」

 

千夏も納得した。

 

莉子さんが笑う。

 

「透花ちゃんらしい」

 

真澄さんも、口元をほんの少しだけ緩めた。

 

♢

 

放課後。

 

予定通り、俺は購買へ向かった。

 

右側には千夏。

左側には莉子さん。

 

真澄さんも、少し後ろからついてくる。

 

別に全員で来る必要はないと思う。

 

ただ、新作菓子に興味があるらしい。

 

平和である。

 

少なくとも、体育館から遠ざかっている限りは。

 

廊下の曲がり角まで来たところで、向こう側から藤堂さんが歩いてきた。

 

さすがに今度は走ってこない。

 

目が合う。

 

藤堂さんは一瞬こちらを見て、それから体育館の方向を親指で示した。

 

「高遠さん。気が変わった?」

 

「変わってない」

 

「了解」

 

即答すると、藤堂さんは残念そうに肩を落とした。

 

だが、そのまま通り過ぎようとして――一度だけ振り返る。

 

「ちなみに明日は?」

 

「明日は千夏と帰る予定」

 

俺が答えると、隣の千夏が少しだけ目を丸くした。

 

それから、嬉しそうに口元を緩める。

 

「そっか」

 

藤堂さんは素直に頷いた。

 

「じゃあ、また別の日に誘う」

 

「まだ誘うんだ」

 

「誘うだけならいいでしょ?」

 

「断るかもしれないよ」

 

「それは高遠さんが決めることだからね」

 

「だから断られたらものすっごく惜しいけどそこは抑えないと」

 

「それならまあ」

 

「ありがとう。じゃあ、またね!」

 

そう言って、颯爽と身を翻して藤堂さんは今度こそ体育館へ向かっていった。

 

背中が妙に軽い。

 

なぜあそこまで前向きなのだろう。運動部だからだろうか?

 

運動部の精神力は恐ろしい。

 

「透花」

 

隣から千夏が声をかける。

 

「明日、一緒に帰る予定だったんだ」

 

「昨日、また一緒に帰るって話したでしょ」

 

「……覚えてたんだ」

 

「約束したし」

 

千夏は少しだけ嬉しそうに前を向いた。

 

その様子を見て、莉子さんが笑う。

 

真澄さんは何も言わなかったが、少しだけこちらを見ていた。

 

高校生活。

 

目立たず。

揉めず。

ほどほどに。

 

その目標は、今も変わっていない。

 

ただ。

 

最近は、昼休みの席に人が集まり。

放課後の予定が少しずつ埋まり。

莉子さんと真澄さんまで自然に同行し。

 

今度は、バレー部からまで逸材認定された。

 

丸い蛍光灯みたいな神様。

 

聞こえているなら、一つだけ言いたい。

 

省エネ生活に向かない外見と性能を寄越すな。

 

購買へ着く。

 

新作菓子は、まだ残っていた。

 

俺は一袋だけ手に取り、少しだけ満足する。

 

まあ、いいか。

 

今日は買えた。

 

体育館にも行かなかった。

 

十分に平穏な一日だったと思う。

 

少なくとも。

 

翌日の昼休み、藤堂さんが「一応これだけ」とバレー部の見学案内を持ってくるまでは。




積極的すぎる藤堂さん。
次回は藤堂さん視点です。

それでは評価と感想をお待ちしています。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。