前回お伝えした通り、今回は藤堂さん視点です。
ではお楽しみください。
高遠透花は、どう考えてもバレー部に入るべきだ。
百八十センチ近い身長。
すらりと長い手足。
無理なく伸びる腕。
助走もほとんどつけずに、ネット際のボールへ届く跳躍力。
それだけでも十分だった。
けれど、藤堂杏奈が本当に見逃せないと思ったのは、別のところにある。
高遠さんは、力んでいない。
体育の授業だから、必要な分だけ動く。
届く場所へボールが来たから、軽く跳ぶ。
手を上げたら届いたから、そのまま押し返す。
まるで、特別なことなど何もしていないような顔で。
「偶然だよ」
本人は、静かな声でそう言った。
偶然で済ませていい動きではない。
しかも、試合が終わったあとには、少し眠そうな目元のまま水を飲み、早く教室へ戻りたそうにしている。
あれだけの才能を持ちながら、本人が望んでいるのは放課後の自由時間と、購買の新作菓子らしい。
意味が分からない。
宝の持ち腐れだ。
絶対に、一度は体育館へ連れてくる。
杏奈はそう決めた。
ただ。
高遠さんが髪を低い位置で結び、少しだけ困ったように眉を下げながら、
「部活に入るかどうかは、私が決めてもいいでしょ」
と静かに返した時。
杏奈の胸の奥に残った妙な引っかかりについては、まだ考えないことにした。
藤堂杏奈は、昔から運動が好きだった。
走ることも。
跳ぶことも。
ボールを追いかけることも。
小学生の頃から複数の競技を経験し、中学ではバレー部に入った。
高校でも迷いはなかった。
新しい体育館。
新しいチームメイト。
少し高くなったネット。
中学より厳しくなる練習。
全部、楽しみだった。
だからこそ。
体育の授業で高遠さんを見た瞬間から、少しだけ気になっていた。
入学初日から目立っていた。
背が高い。
女子の中では、頭ひとつ分ほど抜けている。
ただ高いだけではない。
肩から腕へ伸びる線が自然で、脚も長い。
制服姿で廊下を歩いているだけでも、周囲より歩幅が少し大きく見える。
姿勢もきれいだった。
背筋を張っているわけではない。
むしろ、本人は少し力を抜いているように見える。
それでも、不思議とだらしなくならない。
髪は黒に近いダークブラウン。
普段は胸元へ届く手前まで真っ直ぐに下ろしている。
窓際の席に座り、少し眠そうな目で外を見ている姿は、運動部というより、静かな場所で本でも読んでいる方が似合いそうだった。
本人も、そのつもりらしい。
入学してすぐ、何度か耳にした。
高遠さんは帰宅部を希望している。
理由は単純。
疲れるから。
それを聞いた時は、少し残念に思った。
でも、本人が決めることだ。
運動が好きな人ばかりではない。
背が高いからといって、必ず競技をしなければならないわけでもない。
そう思っていた。
体育の授業で、実際に動くところを見るまでは。
バレーボールの試合が始まった時。
高遠さんは、やる気がないわけではなかった。
ただ、明らかに省エネだった。
ボールを追う必要があれば動く。
届かない位置なら、近くの人へ任せる。
意味のない全力疾走はしない。
適当に流しているようにも見える。
でも、違う。
必要な場所には、ちゃんといる。
誰かとぶつかりそうになれば、半歩だけ位置をずらす。
後ろから来た声には、すぐに反応する。
ボールの落下地点も、それなりに見えている。
基礎練習をしたわけでもない。
フォームが整っているわけでもない。
けれど、周囲を見る癖がある。
それだけでも少し惜しいと思った。
そして。
「透花、そっち!」
朝比奈千夏の声が体育館に響く。
ネット際へ、高めのボールが飛ぶ。
高遠さんは一度だけ視線を上げた。
それから、軽く膝を曲げた。
大きく助走をつけたわけではない。
力んだ様子もない。
ただ、届くと思ったから跳んだ。
そんな動きだった。
長い腕が伸びる。
指先が、ネット際のボールへ触れる。
乾いた音。
ボールは、そのまま杏奈たちのコートへ落ちた。
一瞬だけ、動けなかった。
高さ。
腕の長さ。
跳ぶタイミング。
そして、着地。
高遠さんは床へ戻ると、何事もなかったように少しだけ首を傾げた。
「……あれ?」
本人が一番分かっていない。
杏奈はネット越しに高遠さんを見る。
体育のため、長い髪は低い位置で一つにまとめられている。
跳んだ時に揺れた髪が、着地のあとで背中へ静かに落ちる。
少し眠そうだった目元が、今だけはわずかに開いていた。
驚いている。
自分が得点を取ったことに。
その表情を見て、杏奈は思った。
絶対に、一度は話を聞いてもらう。
「今の、バレー経験ある?」
授業中。
ネット際へ寄り、高遠さんへ声をかける。
高遠さんは少しだけ視線を上げた。
背が高い。
分かっていたことだが、近くで向かい合うと改めて実感する。
「ないよ」
声は落ち着いていた。
低すぎるわけではない。
柔らかいのに、聞き取りやすい。
体育館には、ボールの跳ねる音や、クラスメイトの声が響いている。
それでも、高遠さんの返事は自然と耳へ届いた。
「本当に?」
「授業以外では、ほとんど」
「助走なしで、あれ?」
「近くに来たから」
「近くに来たから、で止められる高さじゃないと思う」
高遠さんは少しだけ首を傾げた。
本人にとっては、本当にそれだけらしい。
腹立たしいというより、不思議だった。
高遠さんは、自分の体格を自慢しない。
褒められれば礼は言う。
けれど、大げさに喜ぶわけでもない。
周囲が騒いでも、少し困ったように眉を下げるだけだ。
自分の目立ち方を、あまり理解していないのかもしれない。
それとも、分かっていて興味がないのか。
どちらにしても。
惜しい。
「もう一回、高いボール上げていい?」
「授業中なら」
少し間を置いて、高遠さんは答えた。
完全には断られなかった。
杏奈は思わず笑う。
「分かった」
そこから何度か、高めのボールを送った。
全部を追うわけではない。
無理な球は、あっさり見送る。
届く範囲だけ。
必要な分だけ。
それでも、届く範囲が広い。
フォームは粗い。
動き方も、まだ競技のものではない。
だからこそ思う。
教えたら、どこまで伸びるのだろう。
きちんと助走をつけたら。
ブロックの手の出し方を覚えたら。
タイミングを合わせる練習をしたら。
想像すると、少し楽しくなった。
授業が終わったあと。
高遠さんは体育館の端で水を飲んでいた。
低い位置で結んだ髪が、肩の後ろへ流れている。
水分補給を終えると、少しだけ息を吐く。
疲れ切っているわけではない。
でも、満足そうでもない。
できれば早く教室へ戻って座りたい。
顔にそう書いてある。
分かりやすい。
学校では落ち着いていて、感情が表へ出にくい人だと思っていた。
けれど、よく見ると違う。
表情の変化が小さいだけだ。
面倒な時は、返事までの間が少し長い。
困ると、眉がほんのわずかに下がる。
好きな話題が出ると、眠そうな目元が少しだけ柔らかくなる。
きっと、周囲にいる朝比奈さんたちは、もう気づいている。
体育の準備中も、三人は自然に高遠さんの近くへいた。
朝比奈千夏。
小日向莉子。
白河真澄。
朝比奈さんは、昔から高遠さんのそばにいるらしい。
小日向さんは、最近よく昼休みに隣へ座っている。
白河さんも、以前より高遠さんへ話しかけることが増えた。
三人とも、距離感は少しずつ違う。
ただ。
高遠さんの小さな表情の変化を見逃さないところは、どこか似ている。
なぜか少し納得した。
気にしてしまうのだ。
あれだけ目立つ外見をしているのに、本人は静かに過ごしたがる。
余計なことは言わない。
必要以上に踏み込まない。
それでも、困っている人がいれば自然に手を伸ばすらしい。
しかも、自分が何をしたのかあまり分かっていない。
そういう人が近くにいたら。
たぶん、目で追ってしまう。
競技の話とは別に。
少しだけ。
「高遠さん」
声をかける。
高遠さんがこちらを見る。
「今のジャンプ、もう一回やってみて」
「どうして?」
「確認したい」
「授業は終わったよ」
「だから、あと一回だけ」
「疲れるから嫌」
即答された。
声は穏やかだ。
でも、拒否は明確だった。
杏奈は少しだけ言葉に詰まる。
そこまで迷いなく断られるとは思わなかった。
ただ。
諦めるつもりはない。
「その身長と手足の長さで、帰宅部なのは宝の持ち腐れだよ」
真剣に言う。
高遠さんは少しだけ考える顔をした。
「部活に入るかどうかは、私が決めてもいいでしょ」
静かな声。
怒ってはいない。
けれど。
少しだけ困ったように眉が下がっている。
あ。
言い方がよくなかった。
杏奈はすぐに気づいた。
自分が興奮していた。
高遠さんの体格や動きばかり見て、本人がどうしたいのかを置き去りにしかけていた。
「ごめん」
謝る。
「それは、そう」
高遠さんが少しだけ目を瞬いた。
素直に謝られるとは思っていなかったのかもしれない。
杏奈は一度、息を整える。
「でも、無理に入れたいわけじゃない」
「そうなの?」
「少なくとも、一回はちゃんと見てから決めてほしい」
バレー部の練習。
体育館の空気。
ボールがきれいに繋がった時の感覚。
やってみて、合わないと思うなら仕方ない。
本人が望まないのに、引きずり込むつもりはない。
「高遠さんが入らないって決めるのは自由。でも、何も知らないまま選択肢から外すのは、少し惜しいと思う」
高遠さんは黙った。
少しだけ考えているように見える。
杏奈は待った。
数秒後。
高遠さんはペットボトルへ視線を落とした。
「見学したら、勧誘が増えそう」
「増えると思う」
「正直だね」
「嘘ついて連れていくのは違うから」
「それはそう」
高遠さんの口元が、ごくわずかに緩んだ。
笑った。
ほんの少しだけ。
見落としてしまいそうな変化。
でも、確かに笑った。
杏奈の胸の奥に、何かが小さく引っかかった。
今まで。
高遠さんを見て、惜しいと思っていた。
バレー部に入れば、きっと伸びる。
チームにとって大きな力になる。
それだけだったはずだ。
でも今。
もう一度、あの表情を見たいと思った。
静かな声で返事をされるたび、少しだけ嬉しくなる。
困ったように眉を下げられると、悪いことをした気分になる。
笑ってもらえると。
なぜか、もっと話したくなる。
これは、競技者としての興味とは少し違う。
そう気づきかけて。
杏奈は考えるのをやめた。
今は、まず見学だ。
着替えを終え、教室へ戻る。
高遠さんは、すでに窓際の席へ座っていた。
机へ頬杖をつく寸前で、朝比奈さんに声をかけられている。
「透花、バレー部入るの?」
「入らないよ」
「本当に?」
「運動部は疲れるから」
朝比奈さんは、分かりやすく安心した顔をした。
杏奈は少しだけ足を止める。
なるほど。
朝比奈さんは、高遠さんが放課後に何をするのかを気にしている。
入部するかどうかではない。
誰と時間を過ごすのか。
そちらの方が大事らしい。
小日向さんも会話へ入る。
「でも、透花ちゃんが部活してるところ、ちょっと見たい」
白河さんも、静かに続けた。
「高遠さんが競技へ真剣に取り組む姿は、少し気になります」
高遠さんは、少しだけ遠い目をしていた。
「そういう人気はいらないかな」
杏奈は思わず笑いそうになる。
本人だけが、何も分かっていない。
三人からあれだけ見られているのに。
期待されている理由も。
自分へ向けられる視線の意味も。
全部、少しずつずれて受け取っている。
不思議な人だ。
ますます気になる。
「高遠さん!」
教室の入口から呼ぶ。
高遠さんがこちらを見る。
「放課後、体育館来てね!」
「行かないよ」
「待ってるから!」
「待たないで」
はっきり断られた。
でも。
声は少しだけ柔らかい。
完全に嫌われたわけではないと思いたい。
杏奈は自分の席へ戻った。
簡単には諦めない。
放課後。
体育館へ向かう途中。
廊下の先に、高遠さんの姿を見つけた。
朝比奈さん。
小日向さん。
白河さん。
三人と一緒に歩いている。
方向が違う。
体育館ではない。
購買だ。
杏奈は少しだけ考えたあと、走った。
「高遠さん!」
高遠さんが振り返る。
長い髪が肩の後ろで揺れる。
「体育館、こっち!」
「購買は反対だから」
「体験だけでも!」
「今日はお菓子を買う予定だから」
真剣な顔で断られた。
理由が新作菓子。
思わず黙る。
そこまで大事なのだろうか。
いや。
本人にとっては、大事なのだろう。
杏奈は少し考える。
「……買ったあとなら?」
「帰るよ」
「明日は?」
「明日は明日で考える」
高遠さんが答える。
少しだけ余地がある。
杏奈の気持ちが明るくなる。
その瞬間。
朝比奈さんが会話へ入った。
「透花、明日も予定あるから」
「あるの?」
高遠さん自身が聞き返す。
「あたしと帰る」
朝比奈さんは笑顔だった。
けれど。
一歩も引くつもりがない顔だった。
なるほど。
これは少し難しい。
杏奈は朝比奈さんを見る。
朝比奈さんも杏奈を見る。
視線が合う。
杏奈は少しだけ笑った。
敵対したいわけではない。
無理に高遠さんを連れていくつもりもない。
ただ。
一度くらい、本気で跳ぶところを見たい。
体育館で、バレーボールを触っているところを見たい。
できれば。
あの静かな顔が、競技中にどう変わるのかも見てみたい。
「じゃあ、昼休みに説明する」
杏奈は言った。
高遠さんが少しだけ困った顔をする。
「諦めないね」
「高遠さんを見つけた以上、簡単には諦められない」
競技者として。
それから。
少しだけ、それ以外の理由でも。
高遠さんは、たぶん気づいていない。
気づかないまま、購買の方へ歩いていく。
その左右には、すでに定位置を確保した三人がいる。
杏奈はその背中を見送りながら、静かに息を吐いた。
想像していたより、難しいかもしれない。
バレー部への勧誘も。
高遠さんへ近づくことも。
それでも。
翌日の昼休み。
杏奈は入部届の見本と、見学用の練習予定表を用意した。
嫌がられない程度に。
でも、簡単には忘れられない程度に。
まずは、もう一度話をする。
そこからだ。
高遠さんが購買の新作菓子を選ぶ時と同じくらい。
ほんの少しだけでも興味を持ってくれたらいい。
そう考えた時。
杏奈はようやく気づいた。
バレー部へ入ってほしい。
それは本当だ。
けれど。
高遠さんと、もう少し話したい。
その気持ちも。
たぶん、同じくらい本当だった。
沼というのは動けば動くほど沈んでしまうもの。
気づいた時にはどっぷりと深みに嵌まってしまうのです。
沼らせ最高!!
皆さんの沼らせに関する見解を感想を是非お話しください。
それではまた次回お会いしましょう。