TS転生おっさん物語   作:すすぺっと

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お待たせしました。
今回も楽しんでいただければ嬉しいです。


第20話 見学だけのはずだった

 

翌日の昼休み。

藤堂さんは、本当に俺の席までやってきた。

 

右手には、一枚の紙。

 

昨日言っていた、バレー部の見学案内だった。

 

練習日と時間、それから「見学だけでも歓迎」と簡単に書かれている。

 

入部届ではない。

 

そこは少し安心した。

 

「高遠さん、これ」

 

「昨日言ってたやつ?」

 

「うん。見学できる時間を書いておいた」

 

俺は紙を受け取る。

 

思っていたより普通だった。

 

もっとこう、入部希望者向けの資料一式でも渡されるのかと思っていた。

 

「今日来いとは言わないから」

 

「言わないんだ」

 

「昨日、誘うのと決めるのは別って話したでしょ」

 

覚えていたらしい。

 

藤堂さんは少しだけ胸を張る。

 

「だから、来たくなったら来て」

 

「なるほど」

 

ちゃんと引き際を覚えたらしい。

 

少しだけ見直した。

 

右隣では、千夏が見学案内を覗き込んでいる。

 

「透花、今日一緒に帰るんだよね?」

 

「うん。そのつもり」

 

俺が答えると、千夏は少し安心したように頷いた。

 

藤堂さんも特に口を挟まない。

 

「じゃあ今日はなし?」

 

「今のところは」

 

そう答えながら、もう一度紙を見る。

 

体育館。

 

見学自由。

 

練習時間は放課後から一時間半ほど。

 

俺が参加する必要はない。

 

ただ見るだけ。

 

昨日、藤堂さんはちゃんと俺が断れば引いた。

 

そこまでされたうえで、ずっと断り続ける理由も特にない。

 

それに。

 

体育の時とは違う、本当の部活動がどういうものなのかは少し気になる。

 

「……十分くらいなら、見てもいいけど」

 

藤堂さんが固まった。

 

「え?」

 

「見学」

 

「本当に?」

 

「十分くらい」

 

次の瞬間。

 

藤堂さんの顔がぱっと明るくなった。

 

「もちろん!」

 

声が大きい。

 

周囲の何人かがこちらを見る。

 

「藤堂さん」

 

「ごめん」

 

少し声を落とした。

 

「でも、ほんとに見学だけでいいから」

 

「うん」

 

「体験とかも――」

 

藤堂さんは途中まで言って、自分で口を閉じた。

 

「……いや。今日は言わない」

 

ちゃんと学習している。

 

「偉いね」

 

「なんで褒められてるんだろう」

 

俺にも分からない。

 

左隣から莉子さんが身を乗り出す。

 

「透花ちゃん、見に行くの?」

 

「十分くらい」

 

「私も行っていい?」

 

「藤堂さんに聞けば?」

 

「見学は歓迎!」

 

即答だった。

 

向かい側の真澄さんも少し興味がありそうに見える。

 

「私も、少し拝見してもよろしいでしょうか」

 

「もちろん!」

 

人数が増えた。

 

千夏はしばらく黙っていたが。

 

「……じゃあ、あたしも行く」

 

結局、全員だった。

 

昼休みの俺の席を中心に、放課後の見学団が結成された。

 

俺は見学案内を畳む。

 

十分。

 

見るだけ。

 

それなら大したことはない。

 

たぶん。

 

♢

 

放課後。

 

俺たちは体育館へ向かった。

 

藤堂さんは先に部活へ行っている。

 

俺の右側には千夏。

 

左側には莉子さん。

 

真澄さんはその隣。

 

いつもの配置である。

 

「透花、嫌になったら帰っていいからね」

 

千夏が言う。

 

「見学だからね」

 

「でも杏奈、絶対やらせたそう」

 

「それは否定できない」

 

昨日から目がそう言っていた。

 

「でも、今日は見学だけって約束したから」

 

藤堂さん本人がそう言った。

 

なら、その言葉を信じればいい。

 

体育館へ入る。

 

中では、すでに練習が始まっていた。

 

ボールが床へ当たる音。

 

シューズの擦れる音。

 

大きな掛け声。

 

体育の授業とは、やはり空気が違う。

 

俺たちに気づいた藤堂さんが駆け寄ってくる。

 

「来てくれた!」

 

「十分だけね」

 

「分かってる」

 

即答だった。

 

藤堂さんは少し離れたところにいた上級生を呼ぶ。

 

「先輩、昨日話した高遠さんです」

 

「ああ、この子が」

 

上級生は俺を見て、それから少しだけ視線を上へ動かした。

 

身長を確認されたらしい。

 

「藤堂から聞いてるよ。今日は見学?」

 

「はい」

 

「じゃあ、好きなところで見てて。分からないことがあったら聞いてね」

 

「ありがとうございます」

 

それだけだった。

 

練習着も渡されない。

 

ボールも渡されない。

 

本当に見るだけらしい。

 

疑って悪かった。

 

……いや。

 

昨日までの藤堂さんなら、疑われても仕方がない気もする。

 

俺たちは体育館の端に移動した。

 

藤堂さんは一度こちらを振り返ったあと、すぐに練習へ戻っていく。

 

ちゃんと部活を優先している。

 

少し意外だった。

 

いや。

 

バレー部員なのだから当然か。

 

「透花ちゃん」

 

莉子さんが小声で呼ぶ。

 

「なに?」

 

「杏奈ちゃん、すごく真面目だね」

 

「そうだね」

 

普段の勧誘だけを見ていると、勢いで生きている人に見える。

 

だがコートへ入ると、印象が変わった。

 

声を出す。

 

周囲を見る。

 

失敗すればすぐに切り替える。

 

先輩から注意されれば素直に返事をする。

 

バレーが好きなのだろう。

 

それは見ていれば分かる。

 

「楽しそう」

 

思わず口から出た。

 

千夏がこちらを見る。

 

「透花?」

 

「みんな」

 

コートを指す。

 

「楽しそうだなと思って」

 

「……やってみたい?」

 

「そこまでは言ってない」

 

早い。

 

まだそこまでは行っていない。

 

真澄さんは練習を見ながら小さく頷いた。

 

「雰囲気は良さそうですね」

 

「うん」

 

昨日も少し感じたが。

 

失敗した部員を責めるような雰囲気はない。

 

ミスをしたら声を掛け合い、すぐ次へ進む。

 

思っていたより、居心地は悪くなさそうだった。

 

だからといって。

 

毎日ここへ来たいかと聞かれれば、話は別である。

 

楽しそうなものを眺めるのと、自分が毎日参加するのは違う。

 

その区別は大切だ。

 

♢

 

見学を始めて十分ほど経った。

 

そろそろ帰ろうかと思った時だった。

 

練習中のボールが一本、コートの外へ転がってくる。

 

ころころと床を転がり、俺の足元で止まった。

 

俺は拾い上げる。

 

「藤堂さん」

 

呼ぶ。

 

杏奈さん――藤堂さんがこちらを見る。

 

「ボール」

 

軽く投げ返す。

 

藤堂さんが受け取った。

 

「ありがとう!」

 

それだけ。

 

練習へ戻っていく。

 

勧誘はない。

 

一球だけ、という声も飛んでこない。

 

本当に約束を守っている。

 

俺は少しだけ拍子抜けした。

 

千夏がこちらを見ている。

 

「どうしたの?」

 

「いや」

 

何でもない。

 

視線をコートへ戻す。

 

今度はネット際の練習らしい。

 

トスが上がる。

 

一人が助走をつけて跳ぶ。

 

ボールを叩く。

 

大きな音。

 

相手側へ落ちる。

 

次。

 

また次。

 

同じ動作を繰り返しているように見える。

 

でも。

 

さっきより高い。

 

今のは少しタイミングが遅い。

 

次の人はきれいに当たった。

 

見ているうちに、違いが少しずつ分かってくる。

 

藤堂さんの番になった。

 

助走。

 

踏み切り。

 

跳ぶ。

 

昨日の体育とは違う。

 

高い。

 

それから。

 

楽しそうだった。

 

ボールを打ったあと、藤堂さんはすぐに次の列へ戻る。

 

その顔には、いつもの勧誘の時とは違う笑みが浮かんでいた。

 

「ああ」

 

少しだけ納得する。

 

あれだけ俺を誘う理由。

 

藤堂さんは、自分が好きなものを他人にも知ってほしかったのだろう。

 

もちろん。

 

俺の身長が惜しいという理由も大きいだろうが。

 

「透花?」

 

千夏が声をかける。

 

「うん?」

 

「帰る?」

 

時計を見る。

 

予定の十分は過ぎていた。

 

「そうだね」

 

答えて、立ち上がる。

 

その時。

 

もう一度コートを見る。

 

ネット。

 

ボール。

 

昨日、軽く跳んだ感覚。

 

少しだけ。

 

ほんの少しだけ。

 

気になる。

 

俺は数秒考えた。

 

それから。

 

「藤堂さん」

 

声をかける。

 

今度は藤堂さんがこちらへ走ってきた。

 

「どうしたの?」

 

「あの」

 

自分から言うのは、少し癪な気もする。

 

「昨日やったやつ」

 

「昨日?」

 

「ネット際で跳ぶやつ」

 

藤堂さんの目が大きくなる。

 

「ブロック?」

 

「たぶん」

 

「それがどうしたの?」

 

「……一回だけなら、やってみてもいい」

 

藤堂さんが止まった。

 

完全に固まった。

 

「藤堂さん?」

 

「今、高遠さんから言った?」

 

「言ったけど」

 

「私、何も言ってないよね?」

 

「言ってないね」

 

「録音しておけばよかった」

 

「やっぱりやめようかな」

 

「ごめん!」

 

復活が早い。

 

「一回! 本当に一回だけ!」

 

「うん」

 

後ろから莉子さんの楽しそうな声が聞こえる。

 

「透花ちゃん、自分から言った」

 

聞こえている。

 

千夏は少し驚いた顔をしていた。

 

でも。

 

「透花がやりたいなら、いいんじゃない」

 

それだけだった。

 

「ありがとう」

 

なぜ礼を言ったのかは、自分でもよく分からない。

 

真澄さんも小さく笑っている。

 

「では、今度こそ見学ではなく体験ですね」

 

「一回だけだけどね」

 

重要なところである。

 

♢

 

練習着を借りた。

 

制服で跳ぶわけにもいかない。

 

借りたものは、少しだけ丈が短かった。

 

サイズ自体は近い。

 

ただ、俺の身長に対して用意されていたものではないらしい。

 

裾を確認していると、莉子さんがじっとこちらを見ていた。

 

「どうしたの?」

 

「透花ちゃん、やっぱり脚長いね」

 

「服が短いだけじゃない?」

 

「それだけじゃないと思う」

 

千夏もこちらを見る。

 

「動きにくくない?」

 

「大丈夫そう」

 

「ならいいけど」

 

真澄さんは一度だけ俺の姿を見て、静かに視線を逸らした。

 

「大変よくお似合いです」

 

「ありがとう」

 

借り物だが、悪い気はしない。

 

髪をまとめ直し、コートへ入る。

 

同じ体育館なのに、さっき見ているだけだった時とは少し違って感じる。

 

部員たちの視線が集まった。

 

居心地はよくない。

 

藤堂さんがネットの向こうに立つ。

 

「高遠さん、本当に一球だけだから」

 

「藤堂さんから言うんだ」

 

「今日は信用を取り戻したい」

 

昨日までに何を失ったのだろう。

 

「じゃあ、軽く上げるね」

 

「うん」

 

藤堂さんがボールを上げる。

 

高めの軌道。

 

俺は落ちる位置を見る。

 

一歩。

 

膝を曲げる。

 

跳ぶ。

 

腕を伸ばす。

 

指先へ触れたボールを、相手側へ押し返す。

 

床へ落ちた。

 

乾いた音。

 

体育館が一瞬だけ静かになる。

 

……またか。

 

俺は着地する。

 

藤堂さんがこちらを見ている。

 

ものすごく何か言いたそうだ。

 

でも言わない。

 

唇を結んでいる。

 

「言いたいなら言えば?」

 

「もう一球見たい」

 

即答だった。

 

「やっぱり」

 

「でも断っていいから!」

 

そこは付け足した。

 

俺はボールを見る。

 

今の感覚。

 

体育の時と同じようで、少し違う。

 

ちゃんとした練習の中でやると、周りの動きが分かりやすい。

 

どこへ飛ぶのか。

 

どこに立てばいいのか。

 

少しだけ面白かった。

 

ほんの少しだけ。

 

「高さ変えるなら」

 

俺は言う。

 

「あと一回だけ」

 

藤堂さんの目が輝く。

 

「いいの?」

 

「私が言ったんだからいいよ」

 

「分かった!」

 

今度は少し高い。

 

俺は一歩下がる。

 

助走らしいものをつける。

 

踏み切る。

 

腕を伸ばす。

 

今度は手のひらに近いところへボールが当たった。

 

押し返すつもりだった。

 

だが。

 

思った以上に強く当たった。

 

ボールが相手側の床へ落ちる。

 

大きな音が響いた。

 

俺は着地しながらボールを見る。

 

「……力加減、間違えた」

 

近くにいた部員が少し驚いた顔をしている。

 

「ごめん」

 

「いや、大丈夫」

 

藤堂さんは黙っていた。

 

「藤堂さん?」

 

「高遠さん」

 

「なに?」

 

「今の、楽しくなかった?」

 

質問が変わった。

 

「楽しい?」

 

「ちょっとでも」

 

俺は少し考える。

 

否定するほどでもない。

 

「……少しだけ」

 

答える。

 

藤堂さんの顔が、一気に明るくなった。

 

「じゃあ――」

 

「入部はしないよ」

 

先に言う。

 

「あ」

 

止まった。

 

「そこは変わらない」

 

「……分かった」

 

少し残念そうではある。

 

でも、昨日までのように食い下がらない。

 

「でも」

 

藤堂さんが笑う。

 

「少し楽しかったなら、今日はそれでいい」

 

それでいいらしい。

 

俺としても。

 

二球だけなら悪くなかった。

 

♢

 

着替えを終えて体育館へ戻る。

 

藤堂さんが入口近くで待っていた。

 

手には何も持っていない。

 

入部届もない。

 

追加資料もない。

 

安全である。

 

「今日はありがとう」

 

「こっちこそ」

 

「どうだった?」

 

「雰囲気はよかったと思う」

 

嘘ではない。

 

部員同士の関係も悪くなさそうだった。

 

練習そのものも。

 

見ているだけより、実際に少し触った方が面白かった。

 

ただ。

 

「でも、入部はしないよ」

 

「うん」

 

今度はすぐに返ってきた。

 

「理由は?」

 

「毎日練習するのは疲れるから」

 

「そこは変わらないんだ」

 

「大事だからね」

 

俺は続ける。

 

「それに、部活はちゃんとやりたい人が入った方がいいと思う」

 

中途半端に参加して、真剣な人の邪魔をするのは違う。

 

俺は楽をしたい。

 

だが、他人が真面目にやっているものを軽く扱いたいわけではない。

 

「私が適当に入ったら、ちゃんとやってる人に悪いでしょ」

 

藤堂さんは少しだけ黙った。

 

それから笑った。

 

「高遠さんらしい」

 

「そう?」

 

「うん」

 

よく分からない評価をされた。

 

「じゃあ、入部の話はいったん終わり」

 

「助かる」

 

本当に助かる。

 

「でも」

 

来た。

 

「またボール触りたくなったら、声かけて」

 

俺は少しだけ目を瞬く。

 

「勧誘じゃなくて?」

 

「その時は普通に遊びに来ればいいよ」

 

「部外者が?」

 

「先輩には聞いておく。駄目なら駄目って言うし」

 

以前なら、

 

絶対来て。

 

と言われていた気がする。

 

少し変わったらしい。

 

「まあ」

 

俺は少し考えた。

 

「気が向いたら」

 

「うん」

 

藤堂さんはそれだけで満足そうに頷いた。

 

今度の「気が向いたら」は。

 

前より少しだけ、本当に可能性があるかもしれない。

 

♢

 

帰り道。

 

右側には千夏。

 

左側には莉子さん。

 

真澄さんも一緒だ。

 

藤堂さんは部活へ戻った。

 

当然である。

 

「透花」

 

千夏が隣から呼ぶ。

 

「なに?」

 

「バレー、楽しかった?」

 

「少しだけ」

 

「……そっか」

 

千夏は少し複雑そうな顔をした。

 

「でも部活には入らないよ」

 

「それは聞いた」

 

「ならいいんじゃない?」

 

「そうなんだけど」

 

まだ何かあるらしい。

 

だが。

 

千夏は少し考えたあと、小さく息を吐いた。

 

「まあ、透花がやりたいならいいけど」

 

意外な答えだった。

 

「いいの?」

 

「なんであたしの許可がいるの」

 

それもそうだ。

 

莉子さんが横から笑う。

 

「今日の透花ちゃん、格好よかったよ」

 

「二球しかやってないけど」

 

「二球でも」

 

真澄さんも頷く。

 

「普段とは少し異なる印象でした」

 

「そんなに?」

 

「はい」

 

どう違ったのかは分からない。

 

ただ。

 

悪い気はしなかった。

 

駅へ向かって歩く。

 

結局。

 

十分だけの見学は、少し延びた。

 

二球だけ体験もした。

 

予定にはなかった。

 

でも。

 

今回は誰かに押し切られたわけではない。

 

一球目も。

 

二球目も。

 

自分からやると決めた。

 

その結果。

 

少しだけ面白かった。

 

それだけだ。

 

入部する気はない。

 

毎日練習するつもりもない。

 

帰宅部――という名の自由時間を手放す予定もない。

 

それでも。

 

また気が向いたら、一球くらい触るのも悪くないのかもしれない。

 

そこまで考えて。

 

俺は小さく息を吐いた。

 

どうやら、丸い蛍光灯が寄越した省エネ生活に向かない身体にも、使い道はあるらしい。

 

ただし。

 

毎日は勘弁してほしい。

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