お待たせしました。
今回も楽しんでいただければ嬉しいです。
翌日の昼休み。
藤堂さんは、本当に俺の席までやってきた。
右手にはバレー部の練習予定表。
左手には入部届の見本。
準備がいい。
「高遠さん、今日の放課後は?」
「あたしと帰る予定」
俺が答えるより先に、右隣の千夏が言った。
藤堂さんは一度だけ千夏を見る。
それから、少しも怯まずに俺へ向き直った。
「じゃあ、十分だけ」
「十分で終わる?」
「見学だけなら」
信用していいのだろうか。
前世でも、「五分だけ確認を」と呼び止められて、本当に五分で終わった記憶はほとんどない。
「透花ちゃん、行くの?」
左隣から莉子さんが覗き込む。
向かい側では、真澄さんも静かにこちらを見ていた。
藤堂さんは逃がすつもりがない。
千夏は行かせたくなさそうだ。
莉子さんは面白がっている。
真澄さんは少し興味があるらしい。
昼休みの俺の席を中心に、なぜか臨時の協議が始まっていた。
俺は小さく息を吐く。
ここで断り続けても、藤堂さんは明日また来るだろう。
なら、一度見て、合わないと伝えた方が早い。
「分かった。今日だけ見に行く」
藤堂さんの顔が、一瞬で明るくなった。
「本当?」
「見学だけね」
「うん。まずはそれでいい」
まずは。
その言葉に、わずかな不穏さを感じる。
そして放課後。
俺が体育館へ向かうと、なぜか千夏と莉子さんと真澄さんまでついてきた。
「どうして全員いるの?」
「透花が変なことされないか確認するため」
千夏が即答する。
「私は、透花ちゃんが動いてるところ見たいから」
莉子さんが笑う。
「私は、見学が適切に終わるか確認します」
真澄さんまで真面目な顔で続けた。
藤堂さんは、そんな三人を見て少しだけ目を瞬く。
それから、俺へ視線を戻した。
「高遠さん、人気なんだね」
「そういう話ではないと思う」
見学だけ。
十分だけ。
そう約束したはずだった。
けれど体育館へ入って十五分後。
俺はなぜか練習着を借り、ネットの前に立っていた。
話が違う。
そう言いたかった。
ただ、完全な騙し討ちというわけでもない。
体育館へ入った直後、藤堂さんはきちんと部長らしい上級生へ俺を紹介した。
「昨日話した高遠さんです」
「あなたが?」
上級生は俺の顔を見たあと、視線を少し上へ向けた。
身長を確認されたらしい。
「大きいね。経験は?」
「ほとんどないです」
「でも、体育でいい動きしたんだって?」
「偶然です」
「高遠さんはそう言うんですけど、本当に一度見てほしくて」
藤堂さんの熱意が強い。
上級生は困ったように笑った。
「本人が見学だけって言ってるなら、無理にやらせたら駄目だからね」
正論だった。
俺が密かに安心した直後。
「ただ、練習着なら余ってるよ」
補足された。
逃げ道が少し狭くなった。
「見てるだけで大丈夫です」
そう答えたものの。
体育館の端で基礎練習を眺めているうちに、藤堂さんが何度もこちらを見る。
期待が重い。
隣に座った莉子さんまで、小声で囁いてきた。
「透花ちゃん、少しだけやってみたら?」
「見に来ただけだから」
「でも、楽しそうだよ」
コートの中では、部員たちが声を掛け合いながらボールを繋いでいる。
確かに、雰囲気は悪くない。
失敗した人を責める声もない。
先輩後輩の空気も、思っていたより柔らかい。
ただ。
楽しそうであることと、毎日参加したいことは別問題である。
キャンプや釣りをしている番組や動画を見て、楽しむことはあれど、実際に自分が行動に移すことはないのと同じだ。
何事にも準備が必要だが、準備にはお金が必須で、労力もかかる。
そして、何よりも重要なのが、俺はどちらかと言えばインドア派だ。
「透花」
反対側では、千夏が俺の袖を軽くつまんでいた。
「やらなくていいからね」
「うん」
「帰りたくなったら、すぐ帰ろう」
「分かった」
まるで保護者のようだ。
ありがたい言葉ではあるが、残念ながら今回は逃れられそうにない。
真澄さんは練習予定表を確認しながら、時計を見る。
「見学開始から十二分経過しています」
正確である。
時間も過ぎていることだし、帰りたいところだが、帰れないだろうな。
そんな予感がする。
そしてその予感はすぐに当たった。
藤堂さんがコートの中から声を上げた。
「高遠さん、一球だけ!」
「時間過ぎてるよ」
「一球でいいから!」
一球。
それなら、すぐ終わる。
俺は少し考えた。
ここで断り続けるより、形だけ参加して満足してもらった方が早いかもしれない。
前世でも、最短で話を終わらせるために、先方の要望へ一度だけ応じることはあった。
もっとも、その一度が追加業務へ繋がることも多かったが。
嫌な記憶は無視する。
面倒なこと嫌なことは忘れるか、無視するのが人生を上手く生きるコツだ。
最もそれだけじゃ上手くはいかない。
人生を生きるにはいくつものコツが必要なのである。
「一球だけなら」
答えると、藤堂さんの表情が明るくなった。
「着替え持ってくる!」
「制服のままじゃ駄目なの?」
「駄目!」
即答された。
借りた練習着は、少しだけ丈が短かった。
サイズ自体は合っている。
ただ、俺の身長に対して、用意されていたものが足りなかったらしい。
裾を確認していると、莉子さんがじっとこちらを見ていた。
「どうしたの?」
「透花ちゃん、やっぱり脚長いね」
「服が短いだけだよ」
「それだけじゃないと思う」
千夏も莉子さんの視線を遮るように、半歩前へ出る。
「透花、嫌なら上着着ていいからね」
「体育着とあまり変わらないよ」
「そうだけど」
何が気になるのだろう。
真澄さんは俺の姿を一度見たあと、静かに目を逸らした。
「大変よくお似合いです」
「ありがとう」
褒められた。
借り物だが、悪い気はしない。
髪をまとめ直し、コートへ入る。
床の感触が、授業の時とは少し違った。
同じ体育館でも、部活動の時間になると空気が変わる。
ボールの音が速い。
掛け声も大きい。
藤堂さんは、ネットの向こう側に立っていた。
「最初は、軽くボールを上げるから」
「一球だけね」
「うん」
返事が少し怪しい。
俺はネット際へ立つ。
部員たちの視線が集まっている。
非常に居心地が悪い。
目立たないために来たわけではないが、見世物になる予定もなかった。
藤堂さんがボールを持ち上げる。
「行くよ」
「どうぞ」
高めの軌道。
体育の授業より、少しだけネットから離れている。
届かないほどではない。
俺はボールの落ちる位置へ一歩動く。
膝を曲げる。
跳ぶ。
腕を伸ばす。
指先へ触れたボールを、向こう側へ軽く押し返した。
床へ落ちる。
乾いた音。
体育館が静かになった。
またか。
「高遠さん」
藤堂さんが、妙に真剣な顔をしている。
「今、どのくらい本気だった?」
「普通に跳んだだけだけど」
「全力ではない?」
「一球だけだから」
意味の分からない質問である。
一球に全力を尽くす理由はない。
藤堂さんは、部長らしい上級生を見る。
上級生も、少し驚いた顔をしていた。
「もう一球いい?」
「一球って言ったよね」
「今度は少し高さを変えるから」
契約違反である。
俺が断ろうとすると、コートの外から声がした。
「透花ちゃん、もう一回見たい!」
莉子さんだった。
「莉子さん」
「ごめん。でも、さっきの格好よかった」
裏切り者がいる。
まさか背中から撃たれるとは思わなかった。
千夏は複雑そうな顔で俺と莉子さんを見比べている。
「透花が嫌じゃないなら……あと一回だけ」
千夏まで折れた。
真澄さんは時計を見る。
「着替えの時間を含めても、あと十分程度なら問題ないと思います」
管理側も延長を認めた。
味方がいない。
俺は小さく息を吐く。
今なら関ヶ原の戦いで裏切られた石田三成の気持ちが少しわかる気がする。
「あと一回だけだからね」
藤堂さんは勢いよく頷いた。
「分かった!」
信用度は低い。
二球目は、先ほどより高かった。
俺は少しだけ助走をつける。
ボールへ合わせて跳び、今度は手のひらで軽く叩いた。
真下へ落とすつもりはなかった。
向こうのコートへ返せれば十分だった。
しかし。
ボールは想像以上の勢いで床へ落ちた。
大きな音が響く。
俺は着地しながら、ボールを見た。
力加減を間違えたらしい。
「ごめん」
近くにいた部員へ謝る。
当たりそうになったわけではないが、驚かせてしまった。
「いや、大丈夫」
返事をした部員は、少し引きつった笑みを浮かべている。
藤堂さんは黙っていた。
「藤堂さん?」
声をかけると、はっとしたように顔を上げる。
「高遠さん」
「なに?」
「もう少しだけ、やってみない?」
「やらないよ」
「レシーブも見たい」
「一球の約束だったから」
「二球やった」
「それは藤堂さんが増やしたからでしょ」
藤堂さんは言葉に詰まった。
藤堂さんは決して悪い子ではないし、バレーは負ける熱意は今までのことでよくわかっているが、巻き込まれたくはないのだ。
前世で熱意も何もかも使い果たした擦り切れたおっさんには若人の輝きは眩しいものがある。
藤堂さんが沈黙している。その間に、俺はコートの外へ向かう。
目的は果たした。
見学した。
一応、体験もした。
これで向いていないと判断してもらえるだろう。
正直、期待薄かもしれないが。
まぁ、先のことは未来の自分に任せよう。
「透花ちゃん、すごかった」
コートを出ると、莉子さんが駆け寄ってきた。
目が輝いている。
裏切ったことは忘れてないぞ。
「ボール、すごい音したよ」
「力加減を間違えただけだよ」
「それでもすごい」
千夏はタオルを差し出してくる。
「透花、疲れた?」
「少しだけ」
「じゃあ帰ろう」
判断が早い。
俺はタオルを受け取る。
「ありがとう」
千夏は満足そうに頷いた。
真澄さんも、静かに口を開く。
「動きに無駄が少なかったように見えました」
「疲れたくないからね」
「その意識で、あれほど動けるのですね」
なぜか感心された。
俺としては、最小限に済ませただけである。
着替えを終えて体育館へ戻ると、藤堂さんが入口で待っていた。
手には、昼休みに持っていた練習予定表がある。
嫌な予感がする。
「今日はありがとう」
「どういたしまして」
「どうだった?」
「雰囲気はよかったと思う」
嘘ではない。
部員同士の関係は悪くなさそうだった。
仮に職場だったらホワイト企業だと思うだろうな。
藤堂さんの顔が明るくなる。
「じゃあ――」
「でも、入部はしないよ」
先に言う。
藤堂さんの表情が止まった。
「どうして?」
「毎日練習するのは疲れるから」
「週に何日かだけでも」
「部活は、ちゃんとやりたい人が入る方がいいと思う」
中途半端に参加すれば、真剣な人の邪魔になる。
俺は楽をしたい。
だが、他人の努力まで軽く扱いたいわけではない。
「私が適当に入ったら、真面目にやってる人に悪いでしょ」
藤堂さんは黙った。
体育館の中では、部員たちが練習を再開している。
ボールを追う声。
床を踏む音。
その中で、藤堂さんは少しだけ目を伏せた。
「……高遠さんって、そういうこと考えるんだね」
「普通だと思うけど」
「ううん」
藤堂さんは小さく首を振る。
「自分が疲れるから嫌だって言いながら、ちゃんと周りのことも考えてる」
また妙な方向へ受け取られた。
俺は単に、面倒な責任を増やしたくないだけである。
「だから」
藤堂さんは顔を上げる。
「無理に入部させるのはやめる」
助かった。
「でも、たまに練習へ来るのは?」
「話を聞いてた?」
「聞いてた。正式に入らなくても、体育館へ遊びに来るくらいなら迷惑じゃないから」
諦めていない。
方向を変えただけだった。
分かってはいたけど、熱意が凄まじい。
「考えておく」
強く断ると、また何日も勧誘されそうだ。
曖昧にして、そのまま忘れてもらう。
前世で覚えた消極的な回避方法である。
藤堂さんは笑った。
「うん。待ってる」
忘れる気はなさそうだった。
帰り道。
右側には千夏。
左側には莉子さん。
真澄さんと藤堂さんも、少し後ろからついてくる。
なぜ藤堂さんまでいるのだろう。
というかいつの間に?
「部活は?」
「今日は見学対応したから、先輩が先に帰っていいって」
「そう」
つまり、俺のせいで一人増えたらしい。
千夏が藤堂さんを振り返る。
「透花、入部しないからね」
「分かってる」
「本当に?」
「無理に誘うのはやめる」
藤堂さんは答える。
それから、俺を見る。
「高遠さんが来たくなった時に、来てもらう」
来たくなる予定はない。
だが、千夏は少しだけ警戒を緩めたらしい。
「ならいいけど」
良くはないんだが、ここは口をつぐむ。
せっかく、幼馴染の交友関係が広がりそうなのを邪魔するわけにはいかない。
莉子さんは楽しそうに笑っている。
「でも今日の透花ちゃん、格好よかったよね」
「はい」
真澄さんも頷く。
「普段とは異なる印象でした」
「授業でも似たようなことしたでしょ」
「練習着だったから違うよ」
莉子さんが言う。
やはり服装は重要らしい。
藤堂さんも会話へ加わる。
「高遠さん、まだ全力で跳んでないと思う」
「普通に跳んだよ」
「普通と全力は違うでしょ」
「全力で動いたら疲れるから」
「そこなんだ」
藤堂さんが笑う。
何がおかしいのか分からない。
駅へ続く道を歩く。
結局。
十分だけの見学は、着替えを含めて四十分ほどかかった。
二球だけとはいえ、体験までした。
入部は断った。
それでも、藤堂さんの勧誘は完全には終わっていない。
今日の目的は、話を一度で片づけることだったはずだ。
成果を確認する。
勧誘者との接触時間は増えた。
帰り道の同行者も増えた。
バレー部には、いつでも来ていいと言われた。
悪化している。
俺は小さく息を吐いた。
前世から何も学んでいないのではないだろうか。
「透花」
千夏が隣から呼ぶ。
「なに?」
「もう体育館行かないよね?」
「自分からは行かないと思う」
「思う?」
「体育で使うことはあるから」
「そういう意味じゃない」
千夏は少しだけ頬を膨らませた。
莉子さんが笑う。
真澄さんも口元を緩める。
藤堂さんだけは、期待を捨てていない顔をしていた。
見学だけ。
一度だけ。
それで終わるはずだった。
けれど。
どうやら俺は、バレー部に入らないまま、バレー部へ顔を出す可能性だけを残してしまったらしい。
なんだかんだ、流されてしまうのだろうなと思う。
まぁ、たまにはこんな日があってもいいだろう。
生きていくため時には刺激も必要だ。そう思うことにした。