休日の午後。
高遠家のリビングには、三人しかいなかった。
両親は朝から外出中。
夕方までは戻らないらしい。
そして長女の透花は、ソファの端で完全に動きを止めていた。
「姉ちゃん」
床に座っていた悠真が振り返る。
「なに」
「さっきから全然動いてなくない?」
「休日だから」
「休日って活動停止日じゃないだろ」
向かいで本を読んでいた結衣が顔を上げる。
「お姉ちゃんにとっては、かなり近いんじゃない?」
「結衣まで」
透花はそう言ったきり、またソファへ沈んだ。
学校でどんな顔をしているのか、悠真は詳しく知らない。
ただ、たまに見かける姉の同級生の反応を見る限り、外では妙に落ち着いた人間として認識されているらしい。
家ではこれである。
「省エネにも限度があるだろ」
「呼吸はしてる」
「最低条件の話してない」
そこでインターホンが鳴った。
透花が時計を見る。
「千夏かな」
「今日来るの?」
「来ていいって言った」
悠真が立ち上がるより先に、透花が玄関へ向かった。
動けるなら最初から動け。
そう思ったが、口には出さなかった。
「お邪魔します」
リビングへ入ってきた千夏は、小さな紙袋を片手に持っていた。
「悠真、結衣、久しぶり」
「千夏姉、久しぶり」
「こんにちは、千夏ちゃん」
「これ、駅前で買ってきたんだ。四人で食べようと思って」
袋の中には焼き菓子が入っているらしい。
悠真がすぐに覗き込む。
「さすが千夏姉」
「悠真は一人で食べすぎないでね」
「まだ何もしてないんだけど」
「前科があるから」
結衣が小さく笑った。
千夏はそのまま結衣の髪を見る。
「結衣、ちょっと伸びた?」
「うん。少しだけ」
「似合ってる」
「ありがとう」
そんな会話をしながら、千夏は自然にリビングの奥へ進む。
透花はすでに元のソファへ戻っていた。
千夏がその隣へ向かう。
すると透花は、何も言われていないのに少しだけ横へずれた。
千夏も何も言わず、空いた場所へ座る。
悠真は黙った。
結衣も一度だけ二人を見る。
「……姉ちゃん」
「なに?」
「なんで今、詰めたの?」
「千夏が座ると思ったから」
「いつもここだし」
千夏まで当然のように答える。
悠真は結衣を見る。
結衣も悠真を見る。
「それだよ」
「何が?」
透花は本気で分かっていない顔をしていた。
「飲み物どうする?」
千夏が立ち上がる。
「麦茶でいい」
「悠真と結衣は?」
「俺も」
「私もお願い」
「分かった」
そのまま千夏は迷わずキッチンへ入った。
冷蔵庫を開ける。
棚からコップを出す。
しかも透花が普段使っているものまで把握していた。
悠真はとうとう耐えられなくなった。
「千夏姉」
「ん?」
「なんでうちの食器の場所そんな詳しいの?」
「昔から来てるから」
「俺より分かってない?」
「それは悠真がキッチン使わなすぎなんじゃない?」
「反論できないのが悔しい」
結衣が静かに言う。
「千夏ちゃん、前にお母さんと一緒に片づけてたこともあったよ」
「ほら」
「ほら、じゃないんだよなあ」
何が問題なのか、千夏には伝わっていないらしい。
麦茶を四つ並べると、そのうち一つを迷わず透花へ渡した。
「はい」
「ありがとう」
「どういたしまして」
それだけ。
特別な空気など何もない。
そこが余計に気になった。
焼き菓子を開けると、味が四種類入っていた。
透花は中を一度見て、迷わず一つ取る。
千夏は残った中から別のものを選んだ。
悠真が気づく。
「姉ちゃん、それ千夏姉が苦手なやつ避けた?」
「千夏、シナモン強いのあんまり好きじゃないから」
「うん。苦手」
「だから先に取っただけ」
また当然のように言う。
悠真は眉を寄せた。
「十年以上一緒にいると、そこまで覚えるもんなの?」
結衣が答える。
「普通は覚えるんじゃない?」
「結衣、お前俺の嫌いなお菓子全部分かる?」
「辛いのと、レーズン入り」
「二個しか出てこないじゃん」
「お兄ちゃんが分かりやすすぎるだけ」
「それ褒めてないよな?」
その間にも、透花と千夏は普通にテレビを見ていた。
千夏がリモコンへ視線を向ける。
透花が先に取って渡す。
「ありがと」
「ん」
しばらくして千夏が少し暑そうに髪を持ち上げる。
透花がエアコンの温度を一度下げる。
「寒かったら言って」
「大丈夫」
会話は短い。
というより、ほとんど説明がない。
悠真は何となく観察を始めた。
千夏が座り直そうとすれば、透花が自然に足を引く。
透花が眠そうになれば、千夏は話しかける回数を減らす。
千夏がスマートフォンを見始めても、透花は気にしない。
二人とも、黙っている時間の方が長い。
なのに。
気まずそうには見えなかった。
「……なあ、結衣」
「なに?」
「やっぱあの二人、ちょっと変じゃない?」
「お兄ちゃんが言うと変な意味に聞こえる」
「俺のせい?」
結衣は返事をせず、ソファの二人を見る。
しばらくして。
「……でも」
「でも?」
「ちょっと分かるかも」
悠真が勝ち誇った顔になる。
「だろ?」
「その顔は腹立つ」
「なんでだよ」
結衣はもう一度二人を見る。
千夏が近い。
けれど、それだけではない。
近いことを、どちらも気にしていない。
距離が近いというより、もう距離を測る必要がないみたいだった。
昔から何度も見てきた光景なのに。
改めて見ると、少し不思議だった。
夕方。
結衣が時計を見た。
「お母さんたち、まだ帰らないみたい」
スマートフォンには、帰宅が少し遅くなるという連絡が入っていた。
「ご飯どうする?」
悠真が聞く。
「冷蔵庫に作り置きあるって」
「じゃあ温めればいいね」
千夏が立ち上がる。
悠真も反射的に立った。
「待って」
「なに?」
「なんで千夏姉が普通に夕飯の準備に参加してるの?」
「四人いるんだから、一緒にやった方が早いでしょ」
透花も立ち上がる。
「そうだね」
「姉ちゃんまで」
「私の家だけど」
「そういう話じゃない」
結衣もゆっくり立つ。
「……お兄ちゃん」
「何」
「さっきの話、もう少し分かってきた」
「だろ?」
「でも、千夏ちゃんが普通すぎるのも原因だと思う」
「何の話?」
千夏が怪訝そうな顔をする。
悠真は少し迷ってから、結局口にした。
「千夏姉、もう半分うちの家族みたいだなって」
「は?」
今日初めて。
千夏の動きが完全に止まった。
「ち、違うから!」
「でも冷蔵庫の中身まで知ってるし」
「昔から来てるからでしょ!」
「姉ちゃんの好みも生活パターンも分かってるし」
「それも幼馴染だから!」
透花が首を傾げる。
「千夏は朝比奈家だけど」
「姉ちゃんは黙ってて」
「なんで?」
結衣がため息をつく。
「お姉ちゃんが入ると、話がややこしくなるから」
「理不尽では?」
千夏は耳まで赤くなっていた。
悠真は笑う。
結衣も少しだけ口元を緩める。
当の透花だけが、最後までよく分かっていない顔をしていた。
いつも通りの休日だった。
少なくとも。
透花と千夏にとっては。