俺にとって、高遠透花というクラスメイトは、少し変わったやつだ。
別に、話しかけにくいわけじゃない。
声をかければ普通に返事をするし、冗談を言えば呆れながらも返してくる。
機嫌が悪いわけでもなければ、他人を避けているわけでもない。
だから前に瀬尾から、
「高遠さんって、ちょっと高嶺の花っぽくない?」
と聞かれた時も、正直あまりピンと来なかった。
見た目の話なら分かる。
背が高くて、顔立ちも整っていて、黙って座っているだけでも妙に目立つ。
その上、一人でいても全然気にしていないように見える。
そういうところだけ見れば、ちょっと話しかけづらいと思うやつがいるのも分からなくはない。
でも。
「高遠、今日一人?」
放課後。
帰り支度をしていた高遠に声をかけると、鞄へ教科書を入れながら顔を上げた。
「うん」
「珍しいな」
「そう?」
「いつも誰かいるじゃん」
朝比奈だったり、小日向だったり、白河だったり。
最近は、気づくと誰かしら高遠の近くにいる。
俺がそう言うと、高遠は少しだけ考えた。
「私が呼んでるわけじゃないけど」
「それは知ってる」
「じゃあ珍しくないでしょ」
「いや、一人になってる時間が珍しいって意味」
「そういうこと?」
そこでようやく納得したらしい。
こういうところだ。
たまに、こっちの言葉を妙にそのまま受け取る。
変に勘ぐらないというか。
余計な意味を足さないというか。
かと思えば、少し真面目な話をすると、今度は妙に落ち着いた答えが返ってくる。
同じ高校一年生のはずなのに、時々年上と話しているような気分になる。
「桐生は?」
「ん?」
「帰らないの?」
「帰るよ。ちょっと友達待ってる」
「そっか」
それで会話は終わった。
高遠は、
「じゃあまた明日」
と軽く手を上げ、そのまま教室を出ていく。
俺も、
「おう、またな」
と返した。
やっぱり普通だ。
少なくとも俺には、瀬尾が言うほど遠い人間には見えない。
ただ。
その日の夕方。
俺は、自分が知っている高遠透花が、学校で見ている一面でしかなかったことを知ることになる。
夕方。
俺は近所のスーパーにいた。
家に帰った直後、牛乳と卵が切れそうだから買ってきてほしいと頼まれたからだ。
ついでに自分の飲み物も籠へ入れる。
あとは卵を取れば、とりあえず頼まれたものは揃う。
そう思いながら売り場を歩いていると、少し先に見覚えのある後ろ姿が見えた。
背が高い。
この辺りで、あのくらい背の高い女子はそう何人もいない。
――高遠?
少しだけ目で追う。
やっぱり高遠だった。
学校の制服ではなく、私服姿だ。
ただし、一人じゃない。
近くに、中学生くらいの男女がいる。
二人とも高遠と同じ買い物籠を覗き込みながら、何か話していた。
弟妹か。
知り合いか。
そこまでは分からない。
だからといって、わざわざ近づいて確かめる理由もない。
誰かと一緒にいるクラスメイトを見つけたからといって、遠くから声をかけるほどでもないし。
俺はそのまま自分の買い物を続けることにした。
ところが、売り場を一つ移ったところで声が聞こえてきた。
「姉ちゃん、それ買おうぜ」
声の聞こえた方に視線を向けると。さっき高遠と一緒にいた男子がいた。
「いらない」
高遠が即答する。
「早くない?」
「家に似たのあるでしょ」
「あるけど、あれ俺のじゃないし」
今度は女子の声がした。
「私のでもないよ」
「じゃあ誰のだよ」
「知らない」
「まず家に何があるか確認してから交渉して」
高遠が淡々と締める。
男子が不満そうに唸った。
「姉ちゃん、そういうところ妙に現実的なんだよな」
「買って余らせる方がもったいないでしょ」
「夢がない」
「お菓子に夢を求めるなら自分のお金でどうぞ」
「強い」
思わず口元が緩んだ。
やっぱり弟と妹らしい。
それにしても。
――高遠、家だと普通に姉ちゃんやってるんだな。
別人みたいに変わっているわけではない。
声も表情も、学校で見る高遠と大きく違わない。
ただ、返事が早い。
言葉にも遠慮がない。
いちいち相手がどう受け取るかを考える前に、ぽんぽん返しているように見える。
まあ、家族ならそんなものか。
それ以上見ているのも変なので、俺は別の棚へ向かった。
今日の目的は高遠の家族観察じゃない。
牛乳と卵だ。
あと自分の飲み物。
ついでに何か菓子でも買う。
それでいい。
そう思って棚の角を曲がったところで。
「あ」
真正面に高遠がいた。
向こうも俺に気づいて、少しだけ目を丸くする。
「……桐生?」
「よう、高遠」
結局会った。
ここまで近くで顔を合わせたなら、無視する方がおかしい。
「買い物?」
「見れば分かるでしょ」
「まあ、そうだけど」
高遠の手には買い物籠がある。
野菜や調味料、菓子類までいろいろ入っていた。
「家の買い物?」
「うん。母さんに頼まれたのと、なくなりそうなもの」
「ちゃんとしてんな」
「買い物くらいするでしょ」
学校で話している時と変わらない。
そう思ったところで、後ろから足音が近づいてきた。
「姉ちゃん、これって――」
さっきの男子が菓子の袋を手にやってくる。
途中まで言いかけて、俺を見た。
止まる。
少し遅れて、さっきの女子も来た。
こちらも俺を見て、ほんの少し首を傾げる。
一瞬だけ、妙な間ができた。
そりゃそうだ。
俺からすれば、高遠の弟と妹らしい二人。
向こうからすれば、姉と知らない男が話している。
高遠が俺たちを順番に見た。
「あ、こっちは同じクラスの桐生颯太」
紹介されたので、軽く頭を下げる。
「桐生颯太。高遠と同じクラス」
続いて高遠が二人へ視線を向ける。
「こっちは弟の悠真と、妹の結衣。双子」
「高遠悠真です。どうも」
男子――高遠弟が軽く頭を下げる。
「高遠結衣です。はじめまして」
高遠妹も続いた。
「あ、はじめまして」
俺も改めて頭を下げる。
それから二人を見比べた。
「双子なんだ」
「そうっす」
高遠弟が答える。
言われてみれば、どこか似ている気もする。
ただ、雰囲気は結構違う。
高遠弟の方は、見るからに話しやすそうだ。
高遠妹は少し落ち着いていて、こっちを静かに見ている。
自己紹介が済んだことで、さっきまでの微妙な間がなくなった。
まず口を開いたのは高遠弟だった。
「桐生さんって、姉ちゃんとよく話すんですか?」
いきなりそこから来るのか。
「まあ、クラスで普通に」
「へえ」
高遠弟が面白そうに高遠を見る。
「姉ちゃん、ちゃんと男子とも喋ってんじゃん」
高遠の眉が少しだけ動く。
「何だと思ってたの」
「いや、喋るとは思ってたけど」
「今の言い方だと違うでしょ」
俺も気になった。
「俺も聞きたい。高遠、学校でどんな扱いされてる想定なんだ?」
「ほら、桐生さんも気になってる」
「桐生まで乗らなくていいから」
高遠が呆れたように言う。
高遠弟はかなり話しやすいタイプらしい。
初対面でも、自己紹介さえ終われば遠慮がない。
一方、高遠妹はすぐには会話へ入ってこなかった。
俺と高遠のやり取りを少し眺めてから、ぽつりと言う。
「桐生さん、お姉ちゃんと話すの慣れてますね」
「そう?」
「はい」
「まあ、同じクラスだし」
「そうなんですね」
それだけ言って、高遠妹は今度は姉を見る。
なんとなく分かった。
高遠弟は口に出す。
高遠妹は先に見る。
同じ双子でも結構違う。
「それより」
高遠が弟の手元を見た。
「そのお菓子何?」
「これ?」
高遠弟が袋を持ち上げる。
「新商品」
「聞いてない」
「買おうかなって」
「自分のお金?」
「家計から」
「戻して」
「交渉の余地は?」
「ない」
「姉ちゃん判断早すぎ」
「さっきも同じ話したでしょ」
そこで高遠弟が俺を見る。
「桐生さん、どう思います?」
「俺に振るの?」
突然、他人の家庭内会議に参加させられた。
高遠も俺を見る。
「桐生、余計なこと言わなくていいから」
「圧が強い」
「普通だよ」
「姉ちゃんの場合、その普通が怖いんだって」
「俺を巻き込むなよ」
「公平な第三者の意見が欲しくて」
「初対面の相手を家庭内裁判に呼ぶな」
高遠が呆れたように言う。
「まあ、自分の金ならいいんじゃない?」
俺がそう答えると、高遠弟がすぐ高遠を見る。
「ほら」
「最初からそう言ってるでしょ」
「家計から出したかった」
「じゃあ駄目」
即座に潰された。
思わず笑う。
学校で、高遠にここまで遠慮なく突っ込むやつはそう多くない。
朝比奈なら近いかもしれないが、それとも少し違う。
完全に家族の距離だ。
「じゃあ俺は巻き込まれないうちに――」
言いかけたところで、高遠妹が姉の籠を覗き込んだ。
「あ」
「なに?」
「お姉ちゃん、自分のお菓子入れてる」
高遠が止まる。
高遠弟もすぐに籠を見る。
「あ、本当だ」
「それは私のお金で買うから」
「俺も自分のお金ならいいってこと?」
「だから最初からそう言ってるでしょ」
「細かい」
「そこは細かくするところ」
高遠妹が小さく笑った。
俺もつられて笑う。
高遠がこっちを見る。
「桐生まで笑わなくていいから」
「いや」
俺は改めて三人を見る。
「高遠って、家だとちゃんと姉ちゃんなんだな」
「ちゃんとって何?」
「そのままの意味」
「よく分からない」
本人は本当に分かっていないらしい。
でも、学校で見る時とはやっぱり少し違った。
学校でも別に取り繕ってはいない。
ただ家族の前だと、もう一段遠慮がない。
返事も早い。
突っ込みも容赦がない。
高遠弟も高遠妹も、それを当たり前のように受け取っている。
今度は高遠弟が俺へ聞いた。
「逆に、姉ちゃんって学校だとどんな感じなんですか?」
「俺に聞く?」
「はい」
「本人いるけど」
「本人に聞いても分かってないんで」
高遠が横から口を挟む。
「どういう意味?」
高遠妹が静かに続けた。
「それはちょっと分かる」
「結衣まで?」
「お姉ちゃん、自分が周りからどう見られてるか、あんまり気にしてないから」
「ああ」
思わず納得した。
確かにそうだ。
高遠本人に、
『学校で自分がどんな感じか』
なんて聞いたところで、
『普通じゃない?』
で終わりそうな気がする。
「で、どうなんです?」
高遠弟がもう一度聞く。
「そうだな……」
本人を目の前にして評価するのも妙だが、聞かれたので少し考える。
「まあ、目立つ」
「やっぱり?」
今度は高遠妹が反応した。
「そりゃ目立つだろ」
俺は高遠を見る。
「背、高いし」
「そこ?」
「顔も含めて」
「急に付け足した」
「事実だろ」
高遠は特に照れるでもなく、
「まあ、それは昔からだから」
と流した。
こういうところも妙に慣れている。
「あと」
少し迷って、瀬尾との会話を思い出す。
「ちょっと近寄りがたいって思ってるやつもいるみたいだな」
高遠弟が目を丸くした。
「姉ちゃんが?」
その驚き方に、高遠が少し不満そうな顔をする。
「失礼じゃない?」
「いや、だって」
高遠弟が姉を見る。
「家じゃ姉ちゃんだし」
「家族から見たらそうでしょ」
高遠妹は少し考えてから、
「でも、見た目だけなら分からなくもないかも」
と言った。
「結衣は分かるの?」
「背も高いし、黙ってると落ち着いて見えるし」
「黙ってればな」
高遠弟が余計な一言を足す。
「悠真?」
「褒めてる」
「どこが?」
「外見は」
「限定された」
また笑ってしまった。
瀬尾が少し高嶺の花っぽいと言っていた高遠。
その本人が、家では弟にここまで遠慮なく弄られている。
どちらが本当というわけでもないんだろう。
見る側が違うだけだ。
「でもさ」
俺は高遠を見る。
「家でも結構落ち着いてんだな」
「そう?」
やっぱり本人は分かっていない。
高遠弟が少し考えてから頷いた。
「まあ、それはそうかも」
「悠真まで?」
「だって姉ちゃん、こういう時だけ妙にしっかりしてるじゃん」
「こういう時だけって何」
「買うもの決める時とか。無駄なの絶対増やさないし」
高遠妹も籠の中を見ながら言う。
「お姉ちゃん、必要なものといらないもの分けるの早いよね」
「買い物なんだから普通でしょ」
「姉ちゃんの普通、たまに基準が厳しいんだよ」
「さっきお菓子を家計で買おうとしてた人に言われたくない」
「それは別の話」
「同じ話だよ」
また二人が言い合い始める。
俺はそれを見ながら、少し納得した。
「学校でもそんな感じだぞ」
三人がこっちを見る。
「そんな感じ?」
高遠が聞き返す。
「変なところで妙に落ち着いてるっていうか」
「変なところ?」
「ほら、そうやって一個ずつ確認するところとか」
「聞かれたから答えてるだけだけど」
「それ」
高遠弟が笑った。
「学校でも変わんないんだ」
「変わってるつもりないし」
「姉ちゃん、自覚ないもんな」
「何の?」
高遠妹が小さく笑う。
「そういうところ」
「結衣まで何なの」
俺も少し笑った。
学校で感じていた高遠の妙な落ち着きは、学校で作っているものじゃないらしい。
家族から見ても、昔からこうなのだ。
そう考えると、なんとなく腑に落ちた。
学校では、高遠が少し離れたところから周りを見ていることが多い。
でも家族といる時は、高遠弟も高遠妹も遠慮なく姉の中へ入ってくる。
高遠も、それを当たり前のように受け入れている。
別人になるわけじゃない。
学校で見えていなかった部分が、家族と一緒にいると自然に出てくるだけなのだろう。
「桐生」
「ん?」
「さっきから人の家族見て楽しんでない?」
「ちょっと」
「認めた」
高遠弟がすぐに笑う。
「分かります?」
「分かる」
「桐生?」
高遠の声が少し低くなる。
「冗談だって」
半分は。
少し話しているうちに、本来の目的を思い出した。
まだ買うものが残っている。
このまま立ち話を続けていたら、帰るのも遅くなる。
「じゃあ俺、まだ買うもんあるから」
「あ、うん」
高遠が頷く。
高遠弟も軽く頭を下げた。
「じゃあ、桐生さん。また」
「おう。またな」
高遠妹も、
「ありがとうございました」
と頭を下げる。
「いや、こっちこそ。話せて面白かった」
高遠弟がすぐ反応した。
「主に姉ちゃんで?」
「主に高遠で」
「桐生」
「じゃあな」
何か言われる前に手を上げて、その場を離れる。
少し歩いてから、さっきの三人を思い返した。
高遠弟は、とにかく姉への遠慮がない。
でも、本気で馬鹿にしている感じじゃない。
あれだけ好き勝手言える時点で、むしろかなり仲がいいんだろう。
高遠妹は、弟ほど前には出ない。
その代わり、よく見ている。
たまに入ってくる一言が妙に的確だ。
初対面の俺にも普通に受け答えしていたし、思っていたより話しやすかった。
――高遠の家、結構にぎやかなんだな。
学校の姿からは、あまり想像していなかった。
一人でいても平気そうで。
誰かが来れば話すけど、自分から騒ぎの中心へ入っていくことは少ない。
それでも家族といれば、普通に弟と妹に絡まれて。
普通に言い返して。
普通に姉をやっている。
別に性格が変わるわけじゃない。
相手が違えば、見える部分も違う。
そういうことなのかもしれない。
俺は籠の中を見る。
牛乳。
卵。
飲み物。
あとは。
「……菓子」
忘れるところだった。
俺も高遠弟を笑えない気がしてきた。
翌日。
教室へ入ると、高遠はもう来ていた。
席に座り、プリントを眺めている。
昨日までと何も変わらない。
背が高い。
目立つ。
落ち着いている。
一人でいても気にしていない。
瀬尾が見れば、やっぱり高嶺の花っぽいと言うのかもしれない。
でも俺にはもう、別の姿も浮かぶ。
弟に菓子を戻せと言っていた高遠。
妹にしれっと突っ込まれていた高遠。
必要なものといらないものをさっさと分けて、家族にあれこれ言われていた高遠。
そう考えると、昨日までより少しだけ身近に見える。
俺は自分の席へ向かう途中、高遠の机の横で足を止めた。
「高遠」
顔を上げる。
「なに?」
いつもの返事だ。
昨日のことを思い出す。
「お前、やっぱ普通に姉ちゃんなんだな」
高遠が数秒黙った。
「……昨日から何だと思ってたの?」
「いや、なんか面白くて」
「失礼だな」
「褒めてる」
「悠真と同じこと言ってるよ」
「あ、それはちょっと嫌だな」
「昨日初めて会った弟と張り合わないで」
高遠が呆れたように息を吐く。
その反応を見て、俺は少し笑った。
やっぱり普通だ。
学校で見ても。
家族と一緒にいても。
高遠は高遠だった。
ただ、今まで俺が見ていたのが全部じゃなかっただけだ。
「何笑ってるの?」
「いや」
俺は自分の席へ向かいながら答える。
「高遠って、やっぱ高遠だなと思って」
「何それ」
後ろから聞こえた声に、また少し笑った。
瀬尾の言っていた高嶺の花という表現は、今でも完全には分からない。
ただ。
遠くから見ている時と、近くで話している時。
学校で見る時と、家族といる時。
見えるものが少し違うだけで、どれも同じ高遠なんだろう。
昨日より、それだけは少し分かった気がした。
これから不定期の更新になりますが、のんびりとお待ちください。