TS転生おっさん物語   作:すすぺっと

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完全な日常回です。


第28話 四人でいるのも、いつの間にか普通

 昼休みというものは、始まった直後が一番騒がしい。

 

 椅子を引く音。弁当箱を開ける音。購買へ向かう連中の足音。午前中の授業から解放された教室が、一気に高校生らしい騒がしさを取り戻していく。

 

 俺はその波に乗るでもなく、いつものように机の上へ弁当を出した。

 

 今日は特に予定もない。

 

 食べて、少し休んで、午後の授業に備える。

 

 実に平和な昼休みである。

 

「透花ちゃん、今日ここで食べる?」

 

 ……訂正。

 

 少なくとも、一人で静かに食べる予定ではなくなったらしい。

 

 顔を上げると、莉子さんが弁当を持って立っていた。

 

「そのつもりだけど」

 

「じゃあ私も」

 

「どうぞ」

 

 最近、このやり取りにもほとんど説明がいらなくなってきた。

 

 莉子さんは俺の返事を聞くと、近くの空いている椅子へ手を伸ばす。

 

 そこへ、今度は聞き慣れた声が飛んできた。

 

「莉子、もういるの?」

 

 千夏だった。

 

「早い者勝ちです」

 

「何に勝ったのよ」

 

「透花ちゃんの昼休み?」

 

「私を景品にしないで」

 

「ほら、本人から苦情来てるじゃん」

 

「冗談だってば」

 

 莉子さんが笑い、千夏が呆れた顔をする。

 

 いつもの光景と言えば、だいたいいつもの光景だ。

 

 ただ。

 

「真澄ちゃん」

 

 莉子さんが、少し離れたところへ声をかけた。

 

 弁当を手にしていた真澄さんが、こちらを見る。

 

「はい?」

 

「今日、一緒に食べない?」

 

「……私もですか?」

 

「うん」

 

 真澄さんの視線が、莉子さんから千夏へ、それから俺へと移った。

 

 俺は特に断る理由もないので、軽く頷く。

 

「真澄さんがよければ」

 

 一瞬だけ間があって。

 

「……では、お邪魔します」

 

 そうして気づけば、俺の机の周りには四人分の昼食が並んでいた。

 

 誰かが予定を立てたわけでもない。

 

 集まろうと約束した覚えもない。

 

 なのに最近、こういうことが妙に増えた気がする。

 

 まあ。

 

 四人で食べることになったのなら、それはそれでいい。

 

 そう思って、俺は箸を取った。

 

「透花、それ昨日の?」

 

 向かいから千夏が、俺の弁当箱を覗き込んでくる。

 

「うん」

 

「やっぱり」

 

「昨日の?」

 

 莉子さんがすぐ反応した。

 

「夕飯の残り」

 

「え、見ただけで分かったの?」

 

「だいたい」

 

「なんで?」

 

 聞かれた千夏は、逆に何を聞かれているのか分からないような顔をした。

 

「昔から見てるし」

 

「それで分かるものなんだ……」

 

 感心したように莉子さんが俺の弁当と千夏を交互に見る。

 

 俺としては、そこまで不思議でもない。

 

 千夏は昔から家に来るし、うちの母親の料理もそれなりに知っている。

 

 昔から一緒にいるうちに、そういう細かいことまで自然と覚えてしまったのだろう。

 

「そういえば透花、今日あそこ寄る?」

 

「ああ、あそこ?」

 

「そう」

 

「別にいいよ」

 

「ちょっと待って」

 

 莉子さんが箸を持ったまま手を上げた。

 

「二人だけで会話が省略されすぎじゃない?」

 

「駅前の店」

 

「情報がほとんど増えてないよ」

 

「透花には通じてるし」

 

「私にも通じるように話してよ」

 

「聞けばいいじゃん」

 

「今聞いてるの!」

 

 千夏と莉子さんのやり取りに、真澄さんが小さく笑った。

 

 俺もそこで少し考える。

 

 確かに千夏相手だと、説明を途中で飛ばすことは多い。

 

 言わなくても通じるから、わざわざ言葉にしない。

 

 昔からそうだったせいか、俺自身はそれを特別だと思ったこともなかった。

 

「そうだ」

 

 今度は莉子さんがスマホを取り出した。

 

「透花ちゃん、これ見て」

 

「なに?」

 

 差し出された画面には、駅前に新しくできるらしい店の記事が表示されている。

 

 写真を見る限り、軽食と甘いものが中心らしい。

 

「今度行こうよ」

 

「混んでなければ」

 

「じゃあ混んでなかったら行く?」

 

「予定が合えばね」

 

「よし」

 

「何が?」

 

「約束一個増えた」

 

「そこまで確定してないけど」

 

 俺が言うと、莉子さんは楽しそうに笑った。

 

「千夏ちゃんも行く?」

 

「日による」

 

「真澄ちゃんは?」

 

「私ですか?」

 

 真澄さんが少し目を丸くする。

 

「うん。四人でもいいじゃん」

 

「そこでしたら、開店直後はかなり混むと思いますよ」

 

「知ってるの?」

 

「系列店が少し話題になっていましたから。最初の一、二週間は避けた方が無難かと」

 

「なるほど」

 

 莉子さんが真面目な顔で頷く。

 

 俺も記事をもう一度見る。

 

「じゃあ真澄さんの言う通り――」

 

 そこまで言って、口が止まった。

 

 真澄さんがこちらを見る。

 

 そういえば。

 

 前に、呼び捨てで構わないと言われていた。

 

 あの時は今まで通り「真澄さん」と呼び続けていたが、それから一緒に話す時間も増えた。

 

 二人で作業をしたり、そのまま帰ったり。

 

 こうして同じ机を囲んで昼を食べることも、今では別に珍しく感じない。

 

 なら、もういいだろう。

 

「……真澄の言う通り、少し経ってからでいいんじゃない?」

 

 真澄の箸が、ほんの一瞬だけ止まった。

 

「……はい。その方がいいと思います」

 

「あれ?」

 

 案の定、一番先に気づいたのは莉子さんだった。

 

「なに?」

 

「今、真澄ちゃんって呼び捨てにしたよね?」

 

「したね」

 

 千夏まで即座に乗ってくる。

 

「前にそう呼んでいいって言われてたし」

 

「でもずっと『真澄さん』だったじゃん」

 

「まあ……もういいかなって」

 

「もういいかな、ですか」

 

 真澄が小さく繰り返す。

 

 その声は普段とほとんど変わらない。

 

 ただ、口元がほんの少し柔らかくなったように見えた。

 

「……あれ?」

 

 莉子さんが今度は自分を指差した。

 

「今度は何?」

 

「透花ちゃん、千夏ちゃんは『千夏』で、今は真澄ちゃんも『真澄』になったよね?」

 

「うん」

 

「私だけまだ『莉子さん』じゃない?」

 

「……あ」

 

 本当だ。

 

「今気づいた?」

 

「今気づいた」

 

「即答しないでよ!」

 

 莉子さんが頬を膨らませ、千夏が吹き出した。

 

「透花らしいけど」

 

「別に距離置かれてるとは思ってなかったけどさあ。なんか私だけ丁寧じゃない?」

 

 言われてみれば、その通りだった。

 

 莉子さんと呼び始めたから、そのまま呼んでいただけだ。

 

 今では昼休みになるとこうして来るし、放課後にも話す。休日に一緒に出かけたことだってある。

 

 最初の頃とは、もう随分違う。

 

「じゃあ……莉子でいい?」

 

 一瞬。

 

 莉子さん――莉子が目を丸くした。

 

「うん」

 

 返事をしてから、少し間が空く。

 

「……もう一回」

 

「なんで?」

 

「いいから」

 

「莉子」

 

「うん」

 

 今度の返事は、さっきより少しだけ弾んでいた。

 

「分かりやす」

 

 千夏が呆れ半分に言う。

 

「いいじゃん。嬉しいんだから」

 

「開き直った」

 

「千夏ちゃんだってずっと呼び捨てじゃん」

 

「あたしは昔からだし」

 

「ほら、そういうところ!」

 

 二人がまた言い合い始める。

 

 俺はそこで、ふと真澄を見る。

 

「じゃあ真澄も、私のこと呼び捨てでいいよ」

 

「いえ……」

 

 返事は意外に早かった。

 

「嫌?」

 

「そうではありません」

 

 真澄は少しだけ考えるように視線を落とした。

 

「私は……『透花さん』の方が自然なんです」

 

「そうなの?」

 

「はい。こういうところは、性分ですので」

 

 いかにも真澄らしい答えだった。

 

 呼び方を変えたから仲が良くなるわけでもないし、変えないから遠いわけでもない。

 

 本人がそれを自然だと思うなら、それでいい。

 

「なら無理に変えなくていいよ」

 

「ありがとうございます、透花さん」

 

「うん、真澄」

 

「……はい」

 

 また一拍だけ返事が遅れた。

 

 莉子がにやりとする。

 

 真澄がそれに気づいて、わずかに眉を寄せた。

 

「何ですか、莉子さん」

 

「なんでもないよー」

 

「その顔で言われても説得力がありません」

 

「ほら千夏ちゃん、真澄ちゃんが怖い」

 

「自業自得でしょ」

 

 いつの間にか、俺抜きで話が回っていた。

 

 しばらくして飲み物がなくなったので、俺は空になったボトルを持ち上げる。

 

「ちょっと飲み物買ってくる」

 

「私も行こうか?」

 

 莉子が腰を浮かせかける。

 

「すぐそこだし大丈夫」

 

「はーい」

 

 廊下の自販機で一本買って戻る。

 

 教室へ入ったところで、俺は少しだけ足を緩めた。

 

 三人がまだ話している。

 

 莉子が何かを言い、千夏が呆れたように返す。

 

 その横で真澄が笑っていた。

 

 俺がいなくても、何の問題もなく会話が続いている。

 

 ……あれ。

 

 考えてみれば当たり前なのだが、今まで意識したことがなかった。

 

 千夏は幼馴染。

 

 莉子は高校に入ってからできた友達。

 

 真澄も同じく、高校で知り合った友達だ。

 

 俺の中では、それぞれ別々につながっていた。

 

 でも今は、俺から伸びていたはずのつながりが、いつの間にか三人の間にもできている。

 

「何の話?」

 

 席へ戻りながら聞く。

 

「透花ちゃんがいない間に話進んじゃった」

 

「置いていかれた」

 

「自分から離れたんでしょ」

 

 千夏に即座に返された。

 

「それはそう」

 

 椅子に座る。

 

 それでも話題は俺へ戻らなかった。

 

「それでね、真澄ちゃんが――」

 

「莉子さん、それは言わなくていいです」

 

「えー」

 

「真澄、諦めた方がいいよ。莉子こういう時止まらないから」

 

「千夏さんまで……」

 

 俺は買ってきた飲み物の蓋を開ける。

 

 少し騒がしい。

 

 でも、不思議と嫌ではない。

 

 俺をきっかけに知り合ったはずなのに、今では俺が間に入らなくても普通に話している。

 

 それを眺めながら、飲み物を一口飲む。

 

 こういうのも、悪くない。

 

 そう思えたことの方が、俺には少し意外だった。

 

 予鈴が鳴った。

 

「あ、もう終わり?」

 

 莉子が時計を見る。

 

「昼休みは伸びないよ」

 

「知ってるけど」

 

 四人で椅子と机を戻していく。

 

「ねえ、明日も一緒に食べる?」

 

「毎日決めなくてもよくない?」

 

「千夏ちゃん冷たい」

 

「食べたければ来ればいいじゃん」

 

「じゃあ来る」

 

「決断早いなあ」

 

 莉子は今度は真澄を見る。

 

「真澄ちゃんも?」

 

「予定がなければ」

 

「透花ちゃんは?」

 

「私、元々ここで食べてるし」

 

「じゃあ決まり」

 

「何が決まったんだろう」

 

 莉子と真澄がそれぞれの席へ戻っていく。

 

 千夏も自分の席へ向かいかけて、途中で振り返った。

 

「じゃ、また後で」

 

「うん」

 

 短いやり取り。

 

 いつも通りだ。

 

 俺も机を元の位置へ戻す。

 

 少し前まで、千夏と話す時間と、莉子と話す時間と、真澄と話す時間は、それぞれ別のものだった気がする。

 

 それが今では、四人で昼飯を食べても誰も理由を説明しない。

 

 こういうのって、いつから普通になるんだろうな。

 

 少なくとも、誰かが決めた覚えはない。

 

 次の昼休みにまた三人が来ても、たぶん俺は何も言わないだろう。

 

 きっと、その時も普通に四人で昼飯を食べる。

 

 今は、それくらいがちょうどいい。

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