朝。
今日は千夏とは別々に学校へ来た。
毎日必ず一緒に登校しているわけではないので、それ自体は珍しくない。
校門を抜け、教室へ向かう。
廊下を歩いていると、何となく視線を感じた。
これも今さらだ。
高校に入ってから、こうして見られることは多い。
最初の頃はいちいち気になっていたが、最近では目が合わない限り気にすることもなくなった。
教室へ入る。
自分の席へ向かおうとしたところで、近くにいた女子と目が合った。
「あ……おはよう、高遠さん」
「おはよう」
一瞬だけ迷ってから声をかけてきた女子に、そのまま返す。
すると相手は少し目を丸くしたあと、ふっと表情を緩めた。
「うん、おはよう」
なぜか二度目の挨拶を残して、友達のところへ戻っていく。
……二回言ったな。
まあ、いいか。
鞄を机の横へ掛け、椅子を引く。
「おはよ、高遠さん」
今度は聞き慣れた声だった。
「おはよう、瀬尾さん」
瀬尾さんが自分の席へ鞄を置きながら、こちらを見る。
「今日は朝比奈さんと一緒じゃないんだ」
「千夏? 今日は先に行くって」
「へえ」
それだけ言うと、瀬尾さんの視線が俺の横を通り過ぎた。
さっき挨拶してきた女子の方を見ている。
何か考えるように少し目を細めた。
「……何?」
「いや」
「今、何か考えたでしょ」
「分かる?」
「その顔されたらね」
瀬尾さんが小さく笑う。
「最近、高遠さんの周りってちょっと変わったなと思って」
「私の周り?」
「うん」
何のことか分からず首を傾げる。
瀬尾さんはそんな俺を見て、今度は少し呆れたような顔になった。
「高遠さん、前より話す相手増えたよね」
「……そう?」
「そうだよ」
返事が早い。
俺は少し考えてみる。
けれど、すぐに何かが浮かぶわけでもなかった。
さっきだって挨拶を返しただけだし、瀬尾さんとこうして話すことも、最近では珍しいことではない。
「そんなに変わった?」
「変わったっていうより……増えた、かな」
「何が?」
「高遠さんと関わる人」
そう言われても、まだいまいち実感がない。
俺が誰かと仲良くなろうと動き回った覚えもない。
瀬尾さんは俺の顔をしばらく見てから、
「まあ、その顔なら気づいてなかったんだろうけど」
「どんな顔?」
「全然心当たりありませんって顔」
「実際、あんまりないよ」
「ほらね」
何だか納得されてしまった。
やがて教室に人が増え始め、朝のざわめきが大きくなっていく。
瀬尾さんも自分の席へ戻っていった。
残された俺は、さっきの言葉をもう一度思い返す。
話す相手が増えた。
そう言われても、やっぱりまだよく分からない。
ただ、朝から二人に声をかけられたことだけは確かだった。
その程度のことを、この時の俺はまだ特に気にしていなかった。
二時間目が終わった休み時間。
次の授業の準備をしていると、机の横から声がした。
「高遠」
「ん?」
顔を上げると、桐生が立っていた。
「この前会った弟と妹、相変わらず?」
「相変わらずだよ」
「弟の方、かなり喋るよな」
「悠真はずっとあんな感じ」
「妹は?」
「結衣は静かだけど、よく見てる」
「ああ、それは分かる」
「一回しか会ってないのに?」
「一回で分かった」
「そんなに?」
「お前の家族、みんな分かりやすかったぞ」
「私も?」
「……そこはノーコメント」
「なんで?」
「面倒になりそうだから」
「もう面倒なこと言ってるよ」
「ほらな」
何が「ほら」なのか。
桐生は妙に納得した顔をしている。
俺としては自分が家族の中でどう見えているか聞いただけなのだが、どうやら答える気はないらしい。
「で、何しに来たの?」
「別に。今思い出したから聞いただけ」
「本当にそれだけ?」
「それだけ」
そう言って、桐生はあっさり自分の席へ戻っていく。
用事らしい用事もない。
それなのにわざわざ話しかけに来る。
以前なら、そんなことを気にしたかもしれない。
今はもう、桐生ならこんなものだと思っている。
そこまで考えて、朝の瀬尾さんの言葉がふと頭に浮かんだ。
――話す相手、前より増えたよね。
いや。
桐生は結構前からこんな感じだった気もする。
やっぱりよく分からない。
次の移動教室へ向かう途中。
廊下で隣に並んだ藤堂さんが、時間割を確認してから少し嬉しそうに言った。
「高遠さん、今日体育あるよね」
「あるね」
「よかった」
「そんなに?」
「うん。体育の日はちょっと嬉しい」
その言い方がいかにも藤堂さんらしくて、少し笑う。
「藤堂さん、本当に運動好きだね」
「好きだよ」
「知ってる」
「……知ってるって言われると、ちょっと変な感じ」
「なんで?」
「高遠さんに私のこと知ってるって言われたから」
「バレーの話、あれだけしたし」
「それはそうだけど」
藤堂さんも小さく笑った。
「高遠さんは体育、嫌いじゃない?」
「別に嫌いじゃないよ」
「そうなんだ」
「何その顔」
「もっと『できれば動きたくない』って言うかと思ってた」
「そこまでじゃないよ」
「そっか」
藤堂さんの口元が少し緩む。
「何で嬉しそうなの?」
「別に?」
「今笑ってたよ」
「……ちょっとだけ」
何が嬉しかったのかは分からない。
ただ、以前みたいに話題の中心がずっとバレーというわけでもなくなっている。
そういえば俺も、藤堂さんが運動そのものをかなり好きだと知っている。
最初に話した頃なら、そんなことまで考えなかった。
前を歩いていた生徒たちが教室へ入っていく。
「じゃあ、また後で」
「うん」
藤堂さんと別れ、それぞれの席へ向かった。
朝から何となく意識しているせいだろうか。
今日は普段なら気にも留めないことが、少しだけ目につく。
昼休み。
弁当を出していると、莉子がいつもの調子でやって来た。
少し遅れて千夏。
真澄も自然に席を寄せる。
四人で昼を食べることについて、もう誰も理由を口にしない。
「そういえば、透花ちゃんさ」
弁当箱を開けた莉子がこちらを見る。
「なに?」
「最近、知り合い増えたよね」
箸を止めた。
「……今日それ二回目」
「え?」
「朝、瀬尾さんにも言われた」
「あ、やっぱり?」
「何がやっぱりなの?」
「私だけじゃなかったってこと」
莉子が妙に嬉しそうに笑う。
すると千夏まで頷いた。
「あたしも増えたと思う」
「千夏まで?」
「だって昔から見てるし」
「中学の頃とそんなに違う?」
「違うよ」
即答された。
今日は即答される日らしい。
「透花、中学の時も目立ってたけど、自分からいろんな人のところに行くタイプじゃなかったでしょ」
「今も行ってないけど」
「そうなんだよね」
千夏が首を傾げる。
莉子が吹き出した。
「なのに増えてる」
「何か変な言い方じゃない?」
「でも合ってるでしょ?」
「……まあ」
完全には否定できない。
自分から積極的に誰かへ近づいた覚えはない。
それなのに、二人から同じことを言われている。
「朝は瀬尾さんと話してたでしょ」
莉子が指を一本立てる。
「うん」
「さっき藤堂さんとも話してたし」
「見てたの?」
「たまたま見えたの」
もう一本。
「桐生くんともよく話してるよね」
「桐生は向こうから来るから」
「でも話してるじゃん」
「それはそうだけど」
「ほら」
「その『ほら』は何?」
「増えてる」
ずいぶん楽しそうだ。
「なんで莉子が嬉しそうなの?」
「なんとなく」
「なんとなく?」
「透花ちゃんの世界が広がってる感じするから」
「そんな大げさな話かな」
「私の中ではちょっと大げさ」
莉子は悪びれもせずに言った。
「莉子はそういうの好きだよね」
千夏が呆れ半分に口を挟む。
「いいじゃん」
「別に悪いとは言ってないけど」
二人のやり取りを聞いていると、真澄が箸を置いた。
「高遠さんご自身が、大きく変わったということではないと思います」
「そうなの?」
「はい」
真澄は少し考えてから続ける。
「関わる方が、少しずつ増えていったのではないでしょうか」
「関わる人?」
「きっかけは、それぞれ違いますから」
きっかけ。
そう言われて、ようやく一人ずつ思い浮かべてみる。
千夏は昔からいる。
莉子と真澄とは、高校に入ってから知り合った。
瀬尾さんとも、最近は話すことが増えた。
桐生とは気づけば軽口を交わすようになっている。
藤堂さんとはバレーがきっかけだった。
そして昨日は七瀬と久しぶりに会った。
もちろん、全員が同じ関係ではない。
千夏と七瀬では付き合ってきた時間も違う。
莉子や真澄と、桐生や藤堂さんを同じ言葉でまとめるのも何となく違う気がする。
ただ――。
「……言われてみれば、増えてるね」
「でしょ?」
莉子がすぐに反応した。
「今さら気づいたの?」
千夏まで呆れたように言う。
「数えたことないし」
「普通数えないけどね」
「じゃあいいでしょ」
「それはそうだけど」
千夏が笑う。
俺もそのまま昼食へ戻ろうとしたところで、莉子が何気なく言った。
「まあ、見た目だけなら今でも高嶺の花だけどね」
「見た目だけ?」
「あ」
莉子の動きが止まった。
「違う。そういう意味じゃなくて」
「どういう意味?」
「遠くから見た時の印象!」
「それは分かる」
千夏まで頷く。
「千夏まで?」
「透花は昔からそういうの気にしてないだけでしょ」
「気にしてどうにかなるものでもないし」
自分の顔や身長を今さらどうにかできるものでもない。
すると真澄が静かに補足する。
「外見だけでなく、高遠さんは落ち着いて見えますから」
「落ち着いてると駄目?」
「いいえ。そういう意味ではありません」
「むしろそこが高嶺の花感なんだよ」
莉子が力説する。
「よく分からない」
「だと思った」
「なんで分かるの」
「今までの透花ちゃん見てたら分かるよ」
また一つ、俺の知らない俺の話が増えた。
それ以上考える前に、莉子が別の話題を持ち出した。
「そうだ、真澄ちゃん。今日の英語の最後の問題なんだけど」
「どこですか?」
「ここ。私これ絶対違う気がする」
「……確かに違いますね」
「即答!?」
「莉子、声大きい」
「千夏ちゃん冷静すぎない?」
「間違ってるのは莉子でしょ」
「そうだけど!」
話題はあっさり変わった。
俺も途中で一言二言挟みながら、昼食を続ける。
いつもの昼休みだ。
ただ今日は、その「いつも」の中に誰がいるのかを、少しだけ意識してしまう。
……確かに、増えたな。
今度はさっきより素直にそう思えた。
放課後。
帰り支度をしていると、先に鞄を持った桐生が近くを通った。
「高遠、じゃあまた明日」
「うん。また明日、桐生」
「おう」
そのまま桐生が教室を出ていく。
少しして、部活へ向かう準備を終えた藤堂さんもこちらを振り返った。
「高遠さん、また明日」
「また明日、藤堂さん」
「うん」
藤堂さんが出ていく。
さらに瀬尾さんも鞄を持ち上げた。
「じゃあね、高遠さん」
「うん。また明日、瀬尾さん」
「また明日」
気づけば教室に残っている人数も少なくなっていた。
俺も鞄を持つ。
朝は瀬尾さんと話した。
休み時間には桐生。
移動中には藤堂さん。
昼には千夏、莉子、真澄。
昨日は七瀬。
一つ一つは、別に大した会話ではない。
挨拶をして、少し話して、それぞれ自分の予定へ戻っていく。
それだけだ。
でも、こうして並べてみると、高校に入ったばかりの頃よりずいぶん名前が浮かぶ。
誰かと仲良くなろうと頑張った覚えはない。
人付き合いを増やそうと決めたこともない。
それでも気づけば、こうなっていた。
教室を出る。
廊下では、部活へ向かう生徒や帰宅する生徒の声が重なっている。
明日から何かを変えるつもりはない。
明日も学校へ来て、誰かと挨拶をして、何か話す。
その相手が誰になるのかは、その時にならないと分からない。
けれど、それでいい。
そうしているうちに、また何かが少しずつ変わっていくのかもしれない。
まあ、それは明日になれば分かるか。
そんなことを考えながら、俺はいつものように昇降口へ向かった。
楽しんでいただけたら評価、感想を貰えたら嬉しいです。
TSものって大抵ロリ系の主人公になっちゃうので、もっと色々な主人公がいればいいのになぁとTS関係の小説を読んでると思いますねぇ〜