TS転生おっさん物語   作:すすぺっと

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第30話 帰るだけだったはずなのに

 放課後。

 

 六時間目が終わり、教室の空気が一気に緩む。

 

 部活へ向かう者、友達と予定を確認する者、そのまま帰り支度を始める者。

 

 俺も机の中を確認してから、教科書を鞄へ入れた。

 

 今日は帰りに駅前へ寄る。

 

 目的は一つ。

 

 英語のノートを買う。

 

 今使っているものが残り数ページになっていたので、なくなる前に同じものを補充しておこうと思っただけだ。

 

 別に、勉強熱心だからノートの消費が激しいわけではない。

 

 むしろ俺は、同年代と比べればノートを使わない方だと思う。

 

 前世では四十歳前後まで生きた。

 

 一度学生時代を経験している分、高校の授業でも見覚えのある内容はそれなりにある。

 

 もちろん、昔習ったことを全部覚えているわけではないし、今の学校で初めて習うことだってある。

 

 ただ、それを差し引いても今の俺は覚えることに困らない。

 

 この身体は神様が用意したものだ。

 

 身長や身体能力だけでもずいぶん出来がいいが、記憶力までかなり良かった。

 

 一度見聞きしたものが一字一句そのまま残る、なんて大げさなものではない。

 

 それでも授業で聞いた内容は頭に残りやすいし、一度理解したことなら後から思い出すのにもあまり苦労しない。

 

 そのせいで、板書を最初から最後まで必死に写す必要もなかった。

 

 必要なところだけ書く。

 

 問題を解く。

 

 先生から指示された内容を残す。

 

 俺にとってノートは、覚えるためというより記録用に近い。

 

 それでも使っていれば、いつかはなくなる。

 

 だから今日は一冊買って帰る。

 

 それだけだった。

 

「透花、今日駅前寄るんだっけ?」

 

 鞄のファスナーを閉めたところで、千夏がやって来た。

 

「うん。ノート買う」

 

「この前も買ってなかった?」

 

「あれは数学。今日は英語」

 

「ちゃんと分けてるんだ」

 

「混ぜたら後で探すの面倒でしょ」

 

「透花って、ノートそんなに見返す?」

 

「あんまり」

 

「じゃあ何で分けてるの?」

 

「提出することもあるし、必要な時にすぐ見つかる方がいいじゃん」

 

「そういうところはちゃんとしてるよね」

 

「そういうところは?」

 

「あ」

 

 千夏がわずかに目を逸らした。

 

「今の言い方、ちょっと引っかかるんだけど」

 

「気のせい」

 

「絶対違うでしょ」

 

 千夏は答えず、自分の鞄を肩に掛けた。

 

「まあいいや。あたしも駅前寄るから途中まで一緒に行く」

 

「千夏も?」

 

「うん。ちょっと買うものあるし」

 

「じゃあ行こうか」

 

 俺は席を立つ。

 

 今日の予定は、駅前でノートを一冊買うこと。

 

 千夏も同じ方向なら、一緒に帰る。

 

 それだけの放課後になるはずだった。

 

「透花ちゃん、もう帰る?」

 

 教室を出る前に予定が一つ増えた。

 

 振り返れば、莉子が鞄を持ってこちらへ来ている。

 

「うん」

 

「駅の方?」

 

「そうだよ」

 

「じゃあ私も一緒に行く」

 

「莉子も何かあるの?」

 

「特にはないけど」

 

「ないんだ」

 

 千夏が先に突っ込んだ。

 

「駅までは帰り道なんだからいいじゃん」

 

「別に駄目とは言ってないけど」

 

「じゃあいいでしょ」

 

 莉子が当然のように俺たちの横へ並ぶ。

 

 こういうところは莉子らしい。

 

「真澄ちゃんは?」

 

 そのまま莉子の視線が教室の奥へ向いた。

 

 真澄もちょうど帰り支度を終えたところだった。

 

「私は図書室へ寄ってから帰ります」

 

「長い?」

 

「返却するだけですので、それほどは」

 

「じゃあ待ってようか?」

 

「いえ。先に行っていただいて構いません」

 

 真澄はすぐそう返した。

 

 時計を見る。

 

 別に急ぐ用事ではない。

 

「数分なら待ってればいいんじゃない?」

 

 俺が言うと、真澄がこちらを見る。

 

「……よろしいんですか?」

 

「私は急いでないし」

 

「あたしも」

 

 千夏が続く。

 

「私も!」

 

「莉子はそもそも用事ないでしょ」

 

「千夏ちゃん、それ今関係ある?」

 

「ある気がする」

 

「ないよ」

 

 二人のやり取りに、真澄の口元が少しだけ緩んだ。

 

「では、お言葉に甘えて。すぐ戻ります」

 

「うん」

 

 真澄が教室を出ていく。

 

 俺たちはそのまま待つことになった。

 

◇

 

「何してんの?」

 

 数分もしないうちに、今度は桐生がやって来た。

 

「真澄待ち」

 

「白河?」

 

「図書室に返却」

 

「ああ」

 

 桐生は俺、千夏、莉子の順に見る。

 

「高遠は駅前?」

 

「ノート買う」

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

「相変わらず寄り道に夢がないな」

 

「ノート買うのに夢必要?」

 

 桐生が一瞬考える。

 

「……言われてみればいらないな」

 

「でしょ」

 

 莉子が笑った。

 

「桐生くんも来る?」

 

「俺?」

 

「駅までは一緒じゃない?」

 

「いや、今日はやめとく」

 

「なんで?」

 

 千夏が聞く。

 

「女子三人の中に俺一人で入ったら浮くだろ」

 

「もうすぐ四人になるけど」

 

 俺が言うと、桐生が妙な顔をした。

 

「増えるほど駄目だろ」

 

「別に誰も気にしないと思うけど」

 

「高遠はそうだろうな」

 

「何その言い方」

 

「お前、そういうところ妙に気にしないから」

 

「悪い?」

 

「悪いとは言ってない」

 

 桐生は笑って鞄を持ち直した。

 

「じゃ、また明日」

 

「うん。また明日」

 

「またね、桐生くん」

 

「じゃあね」

 

 桐生が教室を出ていく。

 

 入れ替わるように真澄が戻ってきた。

 

「お待たせしました」

 

「全然待ってないよ」

 

 莉子が答える。

 

「じゃあ行こうか」

 

 こうして、最初は二人だったはずが四人になった。

 

 まあ、駅まで行く人数が増えたところで困ることもない。

 

 四人で校舎を出る。

 

 歩き始めてしばらくすると、莉子と真澄が今日の英語の話を始めた。

 

「真澄ちゃん、最後の問題どうだった?」

 

「昨日と同じ形式でしたよ」

 

「やっぱり?」

 

「莉子さん、途中から勘で書いていませんでしたか?」

 

「なんで分かるの?」

 

「途中から明らかに手が止まらなくなったので」

 

「あー……」

 

「顔にも出てたよ」

 

 千夏まで言う。

 

「千夏ちゃんまで?」

 

「途中まで悩んでたのに、急に勢いよく書き始めたら分かるでしょ」

 

「そんなに分かりやすかった?」

 

「かなり」

 

 俺は横で聞きながら歩く。

 

 しばらくして、莉子がこちらを見た。

 

「透花ちゃんは?」

 

「何が?」

 

「聞いてる?」

 

「聞いてるよ」

 

「全然入ってこないから」

 

「私が入るところあった?」

 

 莉子が少し考える。

 

「……なかったかも」

 

「じゃあいいでしょ」

 

「それはそうだけど」

 

 そのまま三人の話が続く。

 

 俺は必要なところだけ時々口を挟む。

 

 こういう歩き方にも、いつの間にか慣れていた。

 

◇

 

 駅前が見えてきたところで、横から名前を呼ばれた。

 

「高遠さん」

 

 振り向く。

 

「藤堂さん」

 

 藤堂さんが少し離れたところからこちらへ歩いてくる。

 

「今帰り?」

 

「うん。藤堂さんは?」

 

「部活の用事が終わったところ」

 

 そう言ってから、藤堂さんの視線が俺の隣へ移った。

 

 千夏、莉子、真澄。

 

「今日はみんな一緒なんだね」

 

「帰りが一緒になっただけだよ」

 

「そっか」

 

 藤堂さんはそれ以上何も言わない。

 

「藤堂さんももう帰るの?」

 

 莉子が聞く。

 

「うん。でも駅前で少し買うものがあるから」

 

「私たちも寄るよ」

 

「そうなの?」

 

「透花ちゃんがノート買うんだって」

 

「莉子、それ私の用事」

 

「いいじゃん、それくらい」

 

「別に隠してないけど」

 

 藤堂さんが笑った。

 

「私も同じ方向だから、途中までいい?」

 

「もちろん」

 

 こうして五人になった。

 

 朝から人数を増やす予定は一度も立てていないのに。

 

「高遠さん、ノート買うの?」

 

「うん」

 

「授業用?」

 

「英語」

 

「この前も買ってなかった?」

 

「藤堂さんまで同じこと言うんだ」

 

「だって前に持ってたの見たから」

 

「あれは数学」

 

「教科ごとに分けてるんだ」

 

「混ぜると後で面倒だから」

 

 藤堂さんが少し感心したように頷く。

 

「高遠さんって、結構ちゃんとノート取るんだね」

 

「そんなに取らないよ」

 

「そうなの?」

 

「板書も全部は書かないし」

 

「覚えられるの?」

 

「だいたいは」

 

 藤堂さんが足を少し緩めた。

 

「……だいたい?」

 

「授業で聞いたことは結構残るから」

 

「それ、すごくない?」

 

「そうかな」

 

「そうだと思う」

 

 藤堂さんの反応を見る限り、少なくとも一般的ではないらしい。

 

 まあ、この辺りはあの神様が用意した身体のおかげなのだろう。

 

 前世の記憶があるだけなら、昔習ったことを思い出す助けにはなっても、今聞いたことまで覚えやすくなるわけではない。

 

 今の記憶力については、明らかに昔の俺より上だ。

 

 身体能力といい、妙なところまで高性能である。

 

 そのわりに説明書の一つも寄越さなかった辺りは、いかにもあの神様らしいが。

 

「でも、覚えてるのと解けるのは別だよ」

 

「そうなの?」

 

「知らない解き方は考えないと分からないし、覚えてても使い方間違えたら意味ないでしょ」

 

「ああ、それはそうか」

 

 藤堂さんが納得したように頷く。

 

 莉子が俺を見る。

 

「透花ちゃん、そういうところ妙に現実的だよね」

 

「何が?」

 

「『記憶力いいから全部余裕』って言わないところ」

 

「実際そうじゃないからね」

 

「でもテストは強そう」

 

「そこは否定しない」

 

「否定しないんだ」

 

 千夏が笑った。

 

◇

 

 文房具店へ入る。

 

 俺は迷わずノート売り場へ向かった。

 

 今使っているものと同じシリーズを探す。

 

 少しして見つけた。

 

 手に取る。

 

「もう決めたの?」

 

 藤堂さんが横から覗き込んだ。

 

「うん」

 

「早いね」

 

「今使ってるのと同じだから」

 

「毎回同じの?」

 

「同じ教科ならだいたい」

 

「色とか変えないの?」

 

「特に困ってないし」

 

「透花は昔からそうだよ」

 

 千夏が横から言った。

 

「気に入ったらずっと同じの使う」

 

「気に入ったっていうか、変える理由がないだけ」

 

「それをずっと使うって言うんじゃない?」

 

「そうなの?」

 

「そう」

 

 莉子がノートを覗く。

 

「私は新しいの見たら変えたくなるけどなあ」

 

「莉子はそっちっぽい」

 

「でしょ?」

 

「褒めてるかは分からないけど」

 

「褒めてよ」

 

 真澄も俺の手元を見る。

 

「高遠さんは、一度使いやすいと分かったものはそのまま使うんですね」

 

「真澄もそう思う?」

 

「はい。以前一緒に作業した時も、必要なものを決めるのが早かったので」

 

「そこまで見られてたんだ」

 

「見ていたというより、印象に残っていました」

 

「へえ……」

 

 藤堂さんが三人を見る。

 

「何?」

 

 俺が聞くと、少し考えるようにしてから笑った。

 

「高遠さんって、思ってたよりいろいろあるんだなって」

 

「いろいろ?」

 

「私が知らないこと」

 

「それはそうじゃない?」

 

「……うん。それはそうなんだけど」

 

 藤堂さんはもう一度笑った。

 

 何が面白かったのかは分からない。

 

「藤堂さんは何買うの?」

 

「私は付箋」

 

「付箋?」

 

「うん」

 

「スポーツ用品じゃないんだ」

 

 一瞬、空気が止まった。

 

「高遠さん」

 

「なに?」

 

「私が毎日スポーツ用品買ってると思ってる?」

 

「思ってないよ」

 

「今の言い方はちょっと怪しかったけど」

 

「本当に思ってないって」

 

 莉子が笑い出した。

 

「透花ちゃん、藤堂さんのこと運動だけの人だと思ってない?」

 

「だから思ってないよ」

 

「じゃあ私が甘いもの好きでも驚かない?」

 

 藤堂さんまで乗ってくる。

 

「驚かない」

 

「休日ずっと家にいる日があっても?」

 

「それはちょっと意外」

 

「ほら」

 

「今のは仕方なくない?」

 

 藤堂さんが笑う。

 

「冗談だよ」

 

「分かりにくいなあ」

 

「高遠さんにも、知らない私があるってこと」

 

「それはそうだね」

 

 俺が答えると、藤堂さんは少しだけ目を細めた。

 

「うん」

 

 短い返事だった。

 

 俺はそのままノートを手にレジへ向かう。

 

 そういえば。

 

 藤堂さんについて最初に知ったことは、バレーが好きということだった。

 

 今でもその印象は強い。

 

 けれど、それだけの人ではないのは当たり前だ。

 

 自分が他人からどう見られているか分からないのと同じで、俺だって相手のことを全部知っているわけではない。

 

 当たり前の話だった。

 

◇

 

 買い物を終えて店を出る。

 

 少し歩いたところで藤堂さんが足を止めた。

 

「私はこっちだから」

 

 駅とは少し違う方向を指す。

 

「うん。また明日、藤堂さん」

 

「また明日、高遠さん」

 

 藤堂さんは千夏たちにも目を向けた。

 

「朝比奈さん、小日向さん、白河さんもまた明日」

 

「また明日」

 

「じゃあね、藤堂さん」

 

「また明日、藤堂さん」

 

 三人がそれぞれ返す。

 

 藤堂さんは軽く手を振り、そのまま離れていった。

 

 少しして莉子が口を開く。

 

「藤堂さん、思ってたより話すね」

 

「どういう意味?」

 

「もっとバレーの話ばっかりする人なのかと思ってた」

 

「それ、私と話してる時の印象じゃない?」

 

「最初ずっと勧誘されてたもんね」

 

 千夏が言う。

 

「まあね」

 

「真っ直ぐな方ですね」

 

 真澄が藤堂さんの去った方向を見る。

 

「うん。それはそうだと思う」

 

 俺も同意する。

 

「透花ちゃん、藤堂さんとも結構話すようになったよね」

 

 莉子が言った。

 

「またその話?」

 

「だって今日ようやく気づいたんでしょ?」

 

「もう気づいたよ」

 

「成長したね」

 

「何の成長?」

 

「人間関係への気づき?」

 

「そんな項目ある?」

 

「今作った」

 

「だと思った」

 

 話はそこで終わった。

 

 莉子はそのまま別のことを話し始める。

 

 俺も適当に返しながら歩いた。

 

◇

 

 駅前で莉子が先に別れる。

 

「じゃあ私こっち」

 

「うん。また明日、莉子」

 

「また明日、透花ちゃん」

 

 莉子が笑って手を振る。

 

「千夏ちゃん、真澄ちゃんもまた明日」

 

「また明日」

 

「また明日、莉子さん」

 

 少し先の分岐で、今度は真澄が足を止めた。

 

「私はこちらです」

 

「うん。また明日、真澄」

 

「はい。また明日、透花さん」

 

 いつもの丁寧な返事。

 

 千夏にも挨拶してから、真澄が別の道へ向かう。

 

 気づけば、隣に残ったのは千夏だけだった。

 

「結局二人になったね」

 

 千夏が言う。

 

「最初も二人だったしね」

 

「途中は増えたけど」

 

「かなりね」

 

 二人で歩き出す。

 

 手に持った店の袋を見る。

 

 中身はノート一冊。

 

 本来の用事は、本当にこれだけだった。

 

 ノートを買う。

 

 そのまま帰る。

 

 そのはずだったのに。

 

 莉子が加わって。

 

 真澄を待って。

 

 桐生と話して。

 

 途中で藤堂さんまで一緒になった。

 

 別に大事件があったわけではない。

 

 それぞれ少し話して、それぞれの予定へ戻っていっただけだ。

 

 それでも、一人で寄って帰るだけだった予定と比べれば、ずいぶん賑やかな放課後になった。

 

「透花の周り、最近あんな感じだよね」

 

「またその話?」

 

「あたしは今日一回しか言ってないけど」

 

「回数で数えないでよ」

 

「でも本当じゃん」

 

「否定はしないけど」

 

 千夏が少し笑う。

 

「何?」

 

「いや。昨日までなら否定してそうだなって」

 

「昨日じゃなくて今日の朝までね」

 

「もっと最近だった」

 

「自分でもそう思う」

 

 もう一度、袋を見る。

 

「今日、ノート一冊買うだけだったんだけどな」

 

「そうだけど?」

 

「それにしてはいろいろあったなと思って」

 

「そう?」

 

「うん」

 

 千夏にとっては、そこまで変わった一日でもないらしい。

 

 俺も少し考える。

 

 まあ、確かに。

 

 誰かと大げさな約束をしたわけでもない。

 

 偶然帰る時間や方向が重なって、その都度一緒になっただけだ。

 

 そういう日もある。

 

 最近は、それが少し増えただけなのかもしれない。

 

「帰ろうか」

 

「うん」

 

 千夏と並んで歩き出す。

 

 手元の袋は、最初から最後までノート一冊分の重さしかなかった。

 

 そのわりに今日の放課後は、思っていたよりずいぶん長かった気がする。

 

 まあ。

 

 ノートは買えたんだから、予定通りではあるか。

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