TS転生おっさん物語   作:すすぺっと

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第31話 気づけば、一学期も終わりかけ  

 気づけば、七月も後半に入っていた。

 

 高校へ入学してから、もう三か月ほど経っている。

 

 ついこの前まで春だった気がするのに、今では朝から暑い。

 

 校門を抜けて校舎へ入るまでの短い距離でも、日差しが容赦なく照りつけてくる。

 

 教室へ入ると、冷房の効いた空気が少しだけありがたかった。

 

 窓の向こうから聞こえてくる蝉の声さえなければ、外の暑さを忘れられそうだ。

 

「透花、おはよ」

 

「おはよう」

 

 先に来ていた千夏が、席へ向かう俺を見て声をかけてくる。

 

「暑そう」

 

「暑いからね」

 

「もっとこう、夏って感じの反応ないの?」

 

「暑い以外に?」

 

「ないならいい」

 

 何を期待されていたんだろう。

 

 鞄を机の横へ掛け、椅子を引く。

 

 机の中には教科書と、今日使うものが少し。

 

 帰りのホームルームでは、そろそろ机やロッカーの中を整理しておけと言われる時期になっていた。

 

 終業式までは、あと数日。

 

 そう考えると、一学期も本当に終わりが近い。

 

 三か月。

 

 長いような、短いような。

 

 前世まで含めれば学校生活そのものは二度目だが、今の高校へ入った日のことはまだよく覚えている。

 

 知らない顔ばかりの教室。

 

 昔から知っていたのは千夏くらいで、それ以外は名前すら分からなかった。

 

 それが今では――

 

「透花ちゃん、おはよー」

 

 考えている途中で、聞き慣れた声がした。

 

「おはよう、莉子」

 

「今日も暑いね」

 

「千夏と同じこと言ってる」

 

「千夏ちゃんも?」

 

「言ったけど」

 

「だって暑いじゃん」

 

「それは否定してないよ」

 

 莉子が俺の机の横まで来る。

 

 そのすぐ後ろから、真澄も教室へ入ってきた。

 

「おはようございます」

 

「おはよう、真澄」

 

「真澄ちゃん、おはよう」

 

「おはようございます、莉子さん。千夏さんも」

 

「おはよ」

 

 いつものように挨拶が交わされる。

 

 三か月前なら、こんな朝になるとは考えていなかった。

 

 けれど今は、誰がいつここへ来たのかを意識することもない。

 

 莉子が俺の机の横まで来て、ふと思い出したように顔を上げた。

 

「ねえ、今日の一時間目って何だっけ?」

 

「英語」

 

「あ、そっか。ありがとう」

 

「忘れてたの?」

 

「時間割見たはずなんだけど、朝になると抜ける時あるんだよね」

 

「私は前日に確認しています」

 

 真澄がそう言うと、莉子が少しだけ肩を落とした。

 

「真澄ちゃんはちゃんとしてるなあ」

 

「普通だと思います」

 

「その普通ができない日もあるの」

 

「莉子、朝から言い訳してる」

 

「千夏ちゃんは黙ってて」

 

 千夏が笑う。

 

 朝からよく喋るな、この三人。

 

 そう思いながら英語の教科書を机に出したところで、予鈴が鳴った。

 

◇

 

 二時間目が終わった後の休み時間。

 

 次の授業の準備をしていると、横から声が飛んできた。

 

「高遠」

 

「ん?」

 

 顔を上げると、桐生がプリントを片手に立っていた。

 

「昨日の数学、最後の問題あっただろ」

 

「あったね」

 

「俺、途中まで合ってた?」

 

「三行目から違ってたよ」

 

「そこまで覚えてんのかよ」

 

「昨日見たし」

 

 俺が答えると、桐生は自分のプリントへ視線を落とした。

 

「三行目……あ、ここか」

 

「符号」

 

「マジだ」

 

「その後もずれてる」

 

「追い打ちかけんなよ」

 

「聞いたの桐生でしょ」

 

「そうだけどさ」

 

 桐生が渋い顔をする。

 

 その声が聞こえたらしく、近くにいた莉子が振り返った。

 

「桐生くん、数学?」

 

「そう」

 

「昨日の最後のやつ?」

 

「小日向はできたのか?」

 

「途中までは」

 

「仲間じゃん」

 

「私は符号間違えてないもん」

 

「そこ張り合うところか?」

 

「大事でしょ」

 

 話がそのまま二人の方へ流れていく。

 

 俺は自分のプリントをしまい、次の教科書を取り出した。

 

「高遠は?」

 

 不意に桐生から戻ってきた。

 

「何が?」

 

「最後までできた?」

 

「一応」

 

「はいはい」

 

「なんで聞いたの」

 

「なんとなく聞きたくなっただけ」

 

 なら最初から聞かなければいいのに。

 

 そう思ったが、口には出さなかった。

 

 しばらくすると、莉子と桐生は別の問題の話を始めた。

 

 俺が間に入らなくても普通に続いている。

 

 だから、そのまま放っておく。

 

 次の授業の準備が終わったところで、今度は別の声がした。

 

「小日向さん」

 

 瀬尾さんだった。

 

「ん?」

 

「昨日配られたプリントって、提出明日だっけ?」

 

「え、今日じゃないの?」

 

「私が聞いてるんだけど」

 

「真澄ちゃん」

 

 迷いなく真澄へ振る莉子に、瀬尾さんが少し笑う。

 

「明日ですよ」

 

「よかった。白河さん、ありがとう」

 

「いえ」

 

「莉子、確認してなかったの?」

 

「透花ちゃんまで言わないでよ」

 

「聞いただけだけど」

 

「言い方がもう責めてる」

 

 そんなつもりはない。

 

 瀬尾さんはまだ少し笑っていたが、チャイム前になると時計を確認した。

 

「あ、高遠さん。次、移動教室だよね?」

 

「うん」

 

「じゃあ一緒に行こう」

 

「いいよ」

 

 それだけ決めて、瀬尾さんは自分の席へ戻っていった。

 

 俺も特に気にせず教科書を鞄へ入れる。

 

 入学した頃なら、こういう一言にも少しくらい理由を考えたかもしれない。

 

 今は、移動先が同じなら一緒に行けばいい。それだけだった。

 

◇

 

 昼休み。

 

「真澄ちゃん、それ何?」

 

 弁当を広げて早々、莉子が真澄の弁当箱を覗き込んだ。

 

「これですか?」

 

「うん。美味しそう」

 

「母が入れてくれたものです。食べますか?」

 

「いいの?」

 

「一つでしたら」

 

「やった」

 

 真澄からおかずを一つもらった莉子が、嬉しそうに口へ運ぶ。

 

「莉子、さっき自分の弁当じゃ足りないって言ってなかった?」

 

 千夏が呆れたように言う。

 

「だから増やしてるんだよ」

 

「堂々と言うこと?」

 

「美味しいよ、千夏ちゃんも食べる?」

 

「なんで莉子が勧めるの」

 

「確かに」

 

 俺が言うと、莉子がこっちを見る。

 

「透花ちゃんも食べたい?」

 

「いや、私の分あるから」

 

「遠慮しなくていいのに」

 

「遠慮じゃないよ」

 

 真澄が小さく笑う。

 

 俺たちがそんな話をしていると、通りかかった藤堂さんが足を止めた。

 

「高遠さん」

 

「藤堂さん」

 

「午後の体育、体育館に変わったって」

 

「そうなんだ」

 

「さっき先生が言ってた。外、暑いからだと思う」

 

「それは助かるね。ありがとう」

 

「うん」

 

「藤堂さん、ありがとう」

 

 莉子も続ける。

 

「ありがとうございます」

 

 真澄が頭を下げると、藤堂さんは軽く手を上げた。

 

「じゃあ、また後で」

 

「うん」

 

 そのまま自分の友人のところへ戻っていった。

 

「体育館かあ」

 

 莉子が呟く。

 

「外よりいいでしょ」

 

 千夏が言う。

 

「暑いのは暑いけどね」

 

「どっちにしても動くからね」

 

 話題はそのまま午後の体育へ移った。

 

 藤堂さんが途中で声をかけてきたことを、誰も特別なこととして扱わない。

 

 俺も同じだった。

 

 春には、そもそも藤堂さんとこうして話すこと自体なかった。

 

 でも今となっては、それをわざわざ考えることも減っている。

 

 変わったとしたら、そういうところなのかもしれない。

 

◇

 

 午後の授業も終わり、帰りのホームルーム。

 

 宮原先生が教卓の前で連絡事項を読み上げていた。

 

「あと数日で一学期も終わるから、机とロッカーの中身はそろそろ持って帰れよ」

 

 そこで一度、教室を見回す。

 

「特にプリント溜めてるやつ。夏休み明けまで置いてても勝手には片付かないからな」

 

 教室のあちこちから笑い声が起きた。

 

 俺は何となく机の中を見る。

 

 今日使った教科書と、何枚かのプリント。

 

 特に問題はなさそうだ。

 

 宮原先生はそのまま別の連絡へ移り、ホームルームは数分で終わった。

 

 椅子を引く音が一斉に響く。

 

「……あ」

 

 横から小さな声がした。

 

 見ると、莉子が机の中を覗いたまま止まっている。

 

「どうしたの?」

 

「思ったよりある」

 

「何が?」

 

「プリント」

 

「先生が今言ってたやつ?」

 

「その言い方やめて」

 

 莉子が何枚か取り出す。

 

 さらに出てくる。

 

「結構あるね」

 

「透花ちゃん、数えないで」

 

「数えてないよ」

 

 真澄も近くまで来て、中を覗いた。

 

「莉子さん、今日少し持って帰った方がいいですよ」

 

「やっぱり?」

 

「終業式の日にまとめて持ち帰る方が大変です」

 

「正論が痛い」

 

「莉子が溜めたんでしょ」

 

 千夏まで加わる。

 

「千夏ちゃんまで」

 

「自業自得じゃん」

 

 莉子が俺の机の中を覗いた。

 

「透花ちゃん、少な」

 

「何が?」

 

「机の中」

 

「使わないもの置いとかないし」

 

「透花ちゃん、こういうの早そう」

 

「溜める理由ないでしょ」

 

「それができれば苦労しないんだよ」

 

「できてないから今苦労してるんじゃない?」

 

「透花ちゃん、今日ちょっと厳しくない?」

 

「普通に言っただけなんだけど」

 

 千夏がまた笑った。

 

 莉子は不満そうな顔をしながらも、結局プリントを鞄へ詰め始める。

 

「入らない」

 

「それは知らない」

 

「一枚くらいなら持ちますよ」

 

 真澄が手を差し出した。

 

「真澄ちゃん……!」

 

「一枚です」

 

「先に釘刺された」

 

「甘やかすとまた溜めるよ、真澄」

 

「その可能性はありますね」

 

「真澄ちゃんまで!?」

 

 今度は俺も少し笑った。

 

 こういう会話が、今では珍しくない。

 

 誰か一人と話していたはずが、気づけば別の誰かが入っている。

 

 俺が何かしなくても、勝手に話は続いていく。

 

 それで困ることもない。

 

 むしろ、俺が毎回話題を考える必要がない分、その方が楽だ。

 

「じゃあな、高遠」

 

 帰り支度を終えた桐生が、教室の出口から声をかけてきた。

 

「うん。また明日、桐生」

 

「おう」

 

 少しして、藤堂さんも部活へ向かうらしく鞄を持って通り過ぎる。

 

「高遠さん、また明日」

 

「また明日、藤堂さん」

 

「みんなもまた明日」

 

「またね、藤堂さん」

 

「また明日」

 

「お疲れさまです」

 

 藤堂さんが出ていく。

 

 瀬尾さんも友人と一緒に教室を出る時、こちらへ軽く手を振った。

 

「高遠さん、また明日」

 

「うん。また明日」

 

 それぞれが、それぞれの場所へ帰っていく。

 

 莉子もどうにかプリントを鞄へ押し込み、真澄と一緒に教室を出ていった。

 

「じゃあね、透花ちゃん」

 

「また明日」

 

「また明日、透花さん」

 

「うん。また明日、真澄」

 

 千夏も少し後で鞄を肩に掛ける。

 

「じゃ、透花。また明日」

 

「うん」

 

 教室を出ていく千夏を見送ってから、俺も立ち上がった。

 

 さっきまで声が重なっていた教室が、少しずつ静かになっていく。

 

 窓の外では、まだ蝉が鳴いていた。

 

◇

 

 廊下を一人で歩く。

 

 夕方になっても、窓から差し込む日差しはまだ強い。

 

 春にここへ来た時は、知っている相手なんて千夏くらいだった。

 

 それから三か月。

 

 何か特別なことをしようとした覚えはない。

 

 友達を増やそうと思ったこともないし、クラスに馴染もうと頑張った記憶もない。

 

 授業を受ける。

 

 必要なことをやる。

 

 放課後になれば帰る。

 

 やっていること自体は、入学した頃から大して変わっていない。

 

 それでも、三か月前とは少し違う。

 

 廊下ですれ違えば挨拶をする相手がいる。

 

 休み時間になれば、普通に話す相手がいる。

 

 昼になれば、誰かと一緒に飯を食べている。

 

 俺がいないところでも、知り合った連中同士で普通に話している。

 

 そういうものが、いつの間にか日常になっていた。

 

 高校へ入る前は、もっと一人で適当に過ごすものだと思っていた。

 

 思っていた形とは、だいぶ違う。

 

 でも。

 

 嫌なら、とっくに距離を取っている。

 

 そうしていないなら、今のところはこれでいい。

 

 階段を下りる。

 

 玄関へ近づくにつれて、外から聞こえる蝉の声が大きくなった。

 

 一学期は、もうすぐ終わる。

 

 高校生活は、まだ三か月しか経っていない。

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