TS転生おっさん物語 作:とりにく
ルーキーのランキングに載っていたので、驚きました。
拙作をご覧いただきありがとうございます。
皆様の感想、評価をお待ちしております。
透花は、昔から変わらない。
泣きそうになっても怒らない。
失敗しても責めない。
近づけば拒まない。
離れれば、追ってはこない。
それがずっと、あたしにとっては安心だった。
けれど中学生になって、少しだけ分からなくなった。
透花のその落ち着いた優しさは、あたしだけに向けられていたものではなかったのだと、教室で何度も見せつけられるようになったから。
高遠透花は、誰にでも淡々としている。
誰にでも優しい。
誰にでも、ちょうどいい距離でそこにいる。
だからこそ、知りたくなった。
あたしは透花にとって、ただの幼馴染なのか。
それとも、少しくらいは特別なのか。
その答えを聞くのが怖いくせに、聞かずにはいられなかった。
朝の通学路は、小学生の頃より少し広く感じる。
ランドセルじゃなくなったからかもしれない。
制服を着るようになったからかもしれない。
それとも、周りにいる人たちが少しだけ大人びて見えるからかもしれない。
でも、隣に透花がいることだけは変わらない。
それが嬉しくて、でも少し不安だった。
「透花、今日も部活見学行かないの?」
横から覗き込むと、透花はほとんど間を置かずに言った。
「行かない」
即答だった。
透花らしい。
何かを決める時、透花はあまり迷わない。
というより、迷う前に面倒かどうかを判断している気がする。
「即答」
「運動部は疲れる。文化部は人間関係が読めない」
「全部だめじゃん」
「帰宅部は自由度が高い」
言い方が変だ。
中学生なのに、たまに妙に落ち着いたことを言う。
同い年のはずなのに、ひとりだけ少し先の景色を見ているみたいな時がある。
だからあたしは、昔から透花の隣にいると安心した。
でも最近は、その安心が少しだけ怖い。
透花は、あたしが近づいても拒まない。
袖を引いても、隣に座っても、約束をねだっても、困ったような顔をしながら、結局そこにいてくれる。
なのに、透花から追いかけてくることはない。
あたしが隣に行けば受け入れてくれる。
でも、あたしが離れたら、透花はそのままひとりで歩いていけそうに見える。
それが嫌だった。
嫌なのに、そんな透花だから好きだった。
「透花が一緒なら、あたしも決めやすいのに」
そう言うと、透花は当然みたいな顔で返してくる。
「私を基準にすると帰宅部になるよ」
「そこはあたしに合わせてよ」
「無茶を言う」
あたしは笑いながら、軽く肩をぶつけた。
小学生の頃なら、そのまま腕をつかんでいたと思う。
けれど今は、肩が触れたあと、少しだけ離れてしまった。
自分で離れたくせに、寂しい。
昔は何も考えずに近づけた。
袖を引っ張って、手を握って、隣に座って、勝手に約束して。
でも今は、ふと思う。
近すぎないかな。
透花は嫌じゃないかな。
あたしだけ、子供みたいにくっついていないかな。
そんなことを考えるようになってしまった。
透花は変わらないのに。
あたしだけが、勝手に変わっている。
「透花ってさ」
「ん?」
「誰にでもそんな感じだよね」
言ったあと、少し後悔した。
こんなの、責めているみたいだ。
でも、口から出てしまった言葉は戻らない。
「そんな感じとは」
「落ち着いてる感じ。無理に近づかないけど、離れるわけでもない感じ」
透花は少し考えた顔をした。
その顔が、またずるい。
何でもないことみたいに受け止める。
怒らない。
慌てない。
突き放さない。
だから余計に、聞きたくなる。
それは、あたしだけ?
あたしだけじゃないの?
学校に着くと、透花は本当に普通みたいに、他の子にも同じ顔をする。
「高遠さん、おはよう!」
昇降口の前で、同じクラスの子が手を振った。
透花はいつもの調子で返す。
「おはよう」
ただの挨拶。
それだけだ。
なのに、その子は嬉しそうに笑う。
「今日の小テスト、範囲どこまでだっけ?」
「昨日のプリントの最後まで」
「助かった! 高遠さん、いつも落ち着いてるから聞きやすい」
落ち着いてるから。
聞きやすいから。
そう言われている透花を見て、胸の奥が少しだけもやっとした。
分かる。
透花は聞きやすい。
落ち着いている。
焦っている時に横を見ると、なぜか少し安心する。
あたしが昔から知っていた透花の良さを、他の子が見つけていく。
それは別に悪いことではない。
透花が嫌われるよりずっといい。
でも、面白くない。
そんな自分も面白くない。
「なに?」
透花に見られて、あたしは思わず言った。
「別に」
言ってから、あ、と思った。
別に、ではない。
でも、何と言えばいいのか分からない。
透花が他の子と話すのが嫌。
でも、話さないでほしいわけでもない。
透花が優しいのが嫌。
でも、優しくない透花なんて透花じゃない。
じゃあ何が嫌なのか。
自分でも、よく分からなかった。
昼休みになっても、そのもやもやは消えなかった。
透花は窓際で購買の焼きそばパンを食べていた。
中学生になってから、透花は購買のパンに妙に詳しくなった。
「高遠さん、それおいしい?」
前の席の子が、透花に声をかける。
「おいしいよ」
「今度買おうかな」
「早めに行かないと売り切れる」
そんな何気ない会話にも、胸の奥がちくちくした。
透花は、誰にでも返事をする。
誰にでも必要なことを言う。
無理に笑わないのに、冷たくもない。
それが透花らしいと分かっているのに。
「千夏も食べる?」
透花が焼きそばパンを少し持ち上げた。
あたしは一瞬、言葉に詰まった。
本当は、少し欲しかった。
でも今欲しいのは焼きそばパンではない。
「……いい」
「そう」
「そうじゃなくて」
何がそうじゃないのか、自分でも分からない。
透花は首を傾げる。
本当に分かっていないようにも見えるし、分かっていて踏み込まないようにも見える。
それがまた、少し腹立たしい。
「なんでもない」
言ってしまった。
なんでもなくない。
全然なんでもなくない。
なのに、そう言うしかなかった。
その時、透花が包装をたたみながら言った。
「放課後、少し歩く?」
あたしは顔を上げた。
心臓が、少し跳ねた。
「え?」
「帰り。寄り道してから帰る?」
何でもない顔をしている。
でも、透花から誘ってきた。
それだけで、胸の奥のもやもやが少しほどける。
「……別に、いいけど」
本当は、嬉しかった。
けれど素直に嬉しいと言うのは、なんだか負けた気がした。
放課後、二人で川沿いの道を歩いた。
この道は、小学生の頃にも何度か通ったことがある。
けれど制服で歩くと、同じ場所なのに少し違って見えた。
風が吹く。
川の水面がきらきら光る。
隣には透花がいる。
近い。
でも、昔みたいには近づけない。
「で、何かあった?」
透花が聞いてきた。
その声はいつも通りだった。
落ち着いていて、急かさない。
あたしは小石を蹴った。
言いたいことはたくさんあった。
でも、どれも子供っぽくて、面倒で、恥ずかしい。
透花が他の子にも優しいのが嫌。
あたしだけを見てほしい。
でもそんなことを言ったら、透花は困るかもしれない。
困らせたいわけじゃない。
ただ、知りたいだけだ。
「透花ってさ」
「うん」
「あたし以外にも、普通に優しいよね」
やっと言えた。
言った瞬間、胸の奥がぎゅっとなる。
透花が困ったらどうしよう。
面倒だと思われたらどうしよう。
そんなことを気にしてるのか、と笑われたらどうしよう。
でも透花は、笑わなかった。
「まあ、普通には」
その普通が分からない。
あたしは立ち止まった。
「あたしには、昔からそうだったじゃん。怒らないし、聞いてくれるし、約束もしてくれるし」
言いながら、自分で気づく。
ずっと覚えている。
積み木のことも。
また遊ぶ約束も。
連絡帳に描いた花を、透花が消さなかったことも。
あたしにとっては、全部が積み重なっていた。
「でも、中学に入ったら、ほかの子にもそうで」
言葉が小さくなる。
「……それって、別にあたしだからじゃなかったのかなって」
言ってしまった。
恥ずかしい。
逃げたい。
でも逃げたくない。
透花は川の方を見た。
その横顔は、いつもより少し真剣に見えた。
「千夏と他の子は違うよ」
一瞬、息が止まった。
「……どう違うの」
聞くのが怖い。
でも聞きたい。
「付き合いの長さ」
それだけ?
そう思ったら、透花は続けた。
「それだけじゃないけど」
胸の奥が、変に熱くなる。
透花は少し言葉を探しているみたいだった。
「千夏は、気を抜いても大丈夫な相手」
気を抜く。
その言葉が、ゆっくり染み込んできた。
「気を抜く?」
「うん。多少騒がしくても、近くても、まあ千夏だしって思える」
褒めているのか分からない。
でも、嫌じゃなかった。
透花が、あたしの近さを嫌がっていない。
騒がしいと思っていても、それでも隣にいていいと言っている。
それが分かって、少しだけ泣きそうになった。
「でも、あたしがいなくても平気そう」
ずっと思っていたことが、口からこぼれた。
透花は少しも誤魔化さずに言う。
「平気かどうかで言えば、たぶん平気」
胸が沈みかけた。
でも、すぐに続きが来た。
「でも、いた方が楽しい」
今度こそ、言葉が出なかった。
風が吹く。
髪が頬にかかる。
顔が熱い。
透花は、こういうことをさらっと言う。
何でもないことみたいに。
たぶん本人の中では、本当に何でもないのかもしれない。
でもあたしには、何でもなくなかった。
「……そういうこと、さらっと言う」
「重く言うと変でしょ」
「変じゃない」
変じゃない。
だってあたしにとっては、重い言葉だった。
ずっと聞きたかった答えだった。
それでも、まだ少し足りない。
だから、聞いた。
「あたしって、あんたにとって何?」
聞いてしまった。
返事が来るまでの数秒が、やけに長い。
幼馴染。
友達。
近所の子。
たぶん、そう返されても嬉しい。
でも、それだけだったら少し寂しい。
透花は真剣に考えたあと、言った。
「近所の強めの縁」
あたしは固まった。
何それ。
何それ、本当に。
思わず吹き出した。
「なにそれ」
「かなり正確だと思う」
「もっと他になかったの?」
「幼馴染、だと普通すぎるし」
普通でいいのに。
でも、普通じゃないと言われたような気がして、少しだけ嬉しい。
「千夏は普通じゃないから」
透花が続けた。
あたしは動きを止めた。
「……それ、どういう意味?」
「距離が近い。約束が重い。声が大きい」
「悪口?」
「特徴」
「もう」
怒ったふりをした。
でも、口元が緩んでしまう。
透花にとって、あたしは普通じゃない。
近くて、重くて、声が大きくて、でも気を抜ける相手。
何それ。
すごく変なのに、すごく嬉しい。
帰り道、あたしは何度もその言葉を思い出した。
近所の強めの縁。
かわいくない。
全然かわいくない。
告白でもないし、特別な言葉でもない。
でも、透花らしい。
だから余計に、大事にしたくなった。
「じゃあさ」
「うん」
「高校行っても、近所の強めの縁?」
「近所かどうかは進学先次第だけど」
「そこは嘘でもそうって言ってよ」
「同じ高校ならね」
「じゃあ同じ高校行く」
「進路を勢いで決めるな」
透花が呆れたように言う。
でも、拒まなかった。
同じ高校ならね、と言った。
それだけで、あたしの中には新しい約束ができてしまう。
たぶん透花は、また軽く言っただけだ。
その場の流れで、自然に返しただけ。
でもあたしは覚えている。
子供の頃の「また遊ぶ」も。
大きくなっても遊ぶという約束も。
今日の「いた方が楽しい」も。
そして、「同じ高校ならね」も。
全部、覚えている。
透花は分かっていない。
自分がどれだけ、言葉を残していくのか。
あたしがそれをどれだけ大事に拾っているのか。
分かっていないから、ずるい。
でも、分かっていない透花だから、好きなのかもしれない。
あたしは隣を歩きながら、少しだけ透花の方へ寄った。
肩は触れない。
でも、さっきより半歩近い。
透花は何も言わなかった。
拒まれない。
それだけで、今日のあたしは少しだけ満足できた。
鼻歌が自然に出る。
「機嫌直った?」
透花が言う。
「別に」
「またそれ」
「別に、機嫌悪くなかったし」
「そういうことにしておく」
「そうして」
あたしは前を向いたまま笑った。
本当は、機嫌はかなり直っている。
でも、それをそのまま言うのは悔しい。
だから代わりに、心の中でだけ呟いた。
近所の強めの縁。
今はそれで許してあげる。
でも高校に行っても、その先に行っても、透花の隣にいるのは他の誰でもはく、あたしがいい。
子供の頃の約束は、思っていた以上に重い。
それを透花に教えたのは、たぶんあたしだ。
だから責任を取って、これからも隣にいてもらう。
あたしはそう決めて、少しだけ歩幅を透花に合わせた。