台風の影響怖いですねぇ。
交通機関は止まっちゃいそうで面倒です。
それではご覧ください。
高校生活が始まってから、教室には少しずつ役割のようなものができ始めていた。
明るく人の輪へ入る小日向さん。
その隣へ当然のように座る千夏。
周囲の様子を面白そうに眺める瀬尾さん。
そして、誰よりも真面目に授業を受け、提出物を揃え、先生の頼みごとまで引き受けている女子生徒がいる。
名前は、たしか――
姿勢がよく、黒髪はきれいに整えられ、机の上には必要なものだけが並んでいる。
隙がない。
ただ最近、その白河さんが時々こちらを見ている。
目が合うと、すぐに視線を逸らす。
けれど、なぜか少しだけ不満そうだ。
何かした覚えはない。
……ないはずだ。
放課後。
帰りのホームルームが終わっても、教室には何人かの生徒が残っていた。
窓の外では、傾き始めた日差しが校庭を淡く照らしている。
運動部の掛け声が遠くから聞こえ、開け放たれた窓から、少しだけ冷たい風が入り込んでいた。
俺は鞄へ教科書を詰める。
今日は寄り道をせずに帰る予定だ。
家に帰り、少し昼寝をする。
夕食までに起きられたら、録画していた番組を見る。
完璧な放課後である。
「あれ、透花ちゃん帰るの?」
隣の机に座っていた小日向さんが、弁当箱を入れていた鞄から顔を上げた。
「帰るよ」
「今日は寄り道しないの?」
「毎日寄り道すると、寄り道じゃなくなる」
「確かに」
小日向さんは妙に納得したように頷く。
斜め前の席では、千夏が鞄のファスナーを閉めていた。
「あたしも帰る。途中まで一緒ね」
「うん」
いつもの流れだ。
俺が立ち上がろうとした時、教卓の近くから紙の束が崩れる音がした。
振り返る。
白河さんが、床へ落ちたプリントを拾っていた。
黒髪は低い位置でひとつに結ばれている。
普段は真っ直ぐに伸びた背中が、今日は少しだけ丸い。
教卓の上には、提出済みの書類。
壁へ貼るらしい係決めの一覧表。
行事説明会の資料。
量が多い。
担任の宮原先生も、その横で申し訳なさそうな顔をしていた。
「ごめんね、白河さん。先生もすぐ戻るから。分けるだけでいいからね」
「大丈夫です。これくらいなら、すぐ終わります」
「本当に無理しなくていいから」
「はい」
宮原先生は職員室から呼ばれたらしく、急ぎ足で教室を出ていった。
白河さんは床に膝をつき、一枚ずつプリントを重ね直している。
誰かが手伝った方が早い。
そう思ったが、俺より先に千夏が動いた。
「手伝おうか?」
白河さんが顔を上げる。
「大丈夫です。もう拾い終わりますから」
「でも、まだいっぱいあるよ」
「整理するだけですので」
声は丁寧だ。
けれど、少し硬い。
断られた以上、無理に手を出すのも違う。
千夏は迷ったように俺を見る。
俺は教卓の上の資料へ視線を向けた。
拾うだけなら、確かにすぐ終わる。
ただ、問題はその後だ。
資料は種類ごとに分ける必要があるらしい。
壁へ貼る一覧表には、まだ空欄が残っている。
白河さんの机の上には、開いたままのノートと筆箱が置かれていた。
たぶん、今日の分だけではない。
頼まれたものを一つずつ引き受けているうちに、積み上がったのだろう。
前世でも、よく見た。
仕事が早い人間には仕事が集まる。
断らない人間には、さらに仕事が増える。
そして本人も、できてしまうから断らない。
結果として、一番ちゃんとしている人間から疲れていく。
俺は小さく息を吐いた。
見なかったことにして帰る選択肢もある。
あるのだが。
ここで白河さんが全部抱えると、たぶん明日も同じことになる。
宮原先生も悪気はない。
白河さんも頼まれれば断らない。
放っておくと、静かに継続する案件だ。
長期化する面倒は、小さいうちに処理した方がいい。
「白河さん」
声をかけると、白河さんの手が止まった。
「……何ですか」
なぜか少し警戒されている。
俺は床に残っていたプリントを数枚拾い、種類ごとに分けた。
「これ、どれと同じ?」
「その青い資料は、こちらです」
「分かった」
教卓の端へ重ねる。
千夏も空気を読んだらしく、別の束を持ち上げた。
「これは?」
「そちらは行事説明会用です」
「小日向さん、そっちお願い」
「はーい」
小日向さんまで加わった。
三人で動くと、紙の束はすぐに整理されていく。
白河さんは少し困惑した顔をしていた。
「本当に、大丈夫だったのですが」
「早く終わる方が楽だから」
俺が答える。
白河さんの眉がわずかに寄った。
「私が頼まれた仕事です」
「うん」
「ですから、私がやります」
真面目だ。
責任感が強い。
立派ではある。
ただし、少し危ない。
俺は一覧表へ目を向けた。
「白河さん、ほかにも頼まれてる?」
「……別に、大したことではありません」
「係決めの集計と、資料分けと、掲示物?」
「それくらいです」
「それくらい、が増えると面倒だよ」
白河さんは黙った。
教室に、紙が擦れる音だけが小さく響く。
窓から入った風が、低く結ばれた白河さんの黒髪を揺らした。
近くで見ると、目元にほんの少しだけ疲れが滲んでいる。
姿勢は崩れていない。
声も落ち着いている。
けれど、机の上のノートには、途中で止まった文字が残っていた。
たぶん白河さんは、できないのではない。
できる。
だからこそ、抱える。
「全部ちゃんとやろうとすると、ちゃんとしてる人から潰れるよ」
俺はそう言った。
白河さんが顔を上げる。
目が合った。
黒い瞳が、わずかに揺れた。
言いすぎたかもしれない。
高校生の係決めに、潰れるは少し大げさだったか。
だが、前世では本当にそうだった。
真面目な人間ほど、限界を越えるまで頑張る。
周囲も、頑張れる人間へ無意識に頼る。
壊れてから気づいても遅い。
今回は、ただのプリント整理だ。
だからこそ、今のうちに人へ振ればいい。
「別に、任せてもいいと思う」
俺は手元の資料を揃えながら続けた。
「頼まれたことを終わらせるのと、一人で全部やるのは違うから」
白河さんは何も言わなかった。
怒らせただろうか。
少し不安になったが、今さら言葉は戻せない。
「……高遠さんは」
しばらくして、白河さんが口を開いた。
「いつも、そうやって簡単に言えるのですね」
声は静かだった。
でも、少しだけ硬い。
「簡単?」
「力を抜けばいい。任せればいい。焦らなくていい」
白河さんは、俺の方を真っ直ぐに見る。
「自分は余裕があるから、そう言えるのではありませんか」
なるほど。
そう見えているのか。
俺は少し考える。
確かに今世の俺は、なるべく無理をしないようにしている。
授業も、提出物も、必要なことはやる。
ただし、頑張りすぎない。
前世で一度、加減を間違えた結果が過労死だ。
二周目で同じ失敗を繰り返すつもりはない。
「余裕があるというより」
俺は言葉を選ぶ。
「余裕がなくなるまでやらないだけ」
白河さんが瞬きをした。
「できることでも、全部引き受けたら終わらないから」
教卓へ最後の束を置く。
「白河さんも、今日は帰っていいと思う」
「……でも」
「先生には、四人で終わらせたって言えばいい」
千夏が隣で頷いた。
「あたしもそう思う。終わったし、帰ろうよ」
「そうそう。放課後は休まないと」
小日向さんも笑いながら加わる。
白河さんは、整えられた資料の束を見た。
それから、自分の机へ残されたノートへ視線を向ける。
唇がわずかに動いた。
何かを言いかけて、飲み込んだように見えた。
「……ありがとうございます」
声は小さかった。
けれど、先ほどまでの硬さが少しだけ薄れていた。
「どういたしまして」
俺は鞄を肩へ掛ける。
これで解決。
帰れる。
予定より少し遅くなったが、昼寝の時間はまだ確保できる。
「じゃあ、行こうか」
千夏に声をかける。
「うん」
小日向さんも、自分の鞄を持ち上げた。
「私も途中まで一緒に帰ろうかな」
「小日向さん、方向逆じゃなかった?」
千夏がすぐに反応する。
「駅までは一緒だよ」
「そうだけど」
二人の間に、ほんの少しだけ妙な空気が流れた。
気のせいだろうか。
俺は教室の扉へ向かう。
その途中で、何となく振り返った。
白河さんはまだ教卓の前に立っていた。
夕方の光が、横顔に淡く落ちている。
姿勢は変わらず真っ直ぐだ。
ただ、こちらを見る目だけが、先ほどとは少し違った。
不満そうな。
悔しそうな。
それなのに、何かを確かめるみたいな。
よく分からない視線だった。
目が合う。
白河さんはすぐに顔を逸らした。
俺は首を傾げる。
やはり、何か怒らせただろうか。
翌朝。
教室へ入ると、白河さんはすでに席についていた。
机の上には教科書とノートがきれいに並んでいる。
昨日と同じ。
隙のない優等生の机だ。
俺が席へ向かう途中、白河さんと目が合った。
白河さんは、一瞬だけ迷うような顔をした。
それから、静かに言う。
「……おはようございます、高遠さん」
「おはよう、白河さん」
俺も返す。
ただの挨拶。
それだけのはずだった。
なのに、白河さんは何か言いたそうにこちらを見ている。
「何かある?」
「いいえ」
即答だった。
「ただ、少し顔色が悪く見えただけです」
「そう?」
「寝不足ではありませんか」
昨日は帰宅後、予定通り昼寝をした。
むしろ寝すぎて、夜の寝付きが少し悪かったくらいだ。
「たぶん大丈夫」
「そうですか」
白河さんはそう言いながら、まだこちらを見ている。
昨日までとは違う。
不満そうなのに、気にしている。
気にしているのに、話しかける理由を探しているようにも見える。
その様子を、少し離れた席から瀬尾さんが眺めていた。
瀬尾さんと目が合う。
瀬尾さんは、妙に楽しそうに笑った。
嫌な予感がする。
「高遠さん」
「なに?」
「昨日、白河さんと何かあった?」
「プリントを分けた」
「それだけ?」
「それだけ」
瀬尾さんは、なぜか納得していない顔をする。
「高遠さんって、本人だけ何も分かってない時あるよね」
「何が?」
「ううん。なんでもない」
そう言って、瀬尾さんは笑いを堪えるように前を向いた。
分からない。
俺は自分の席へ座り、窓の外を見る。
朝の校庭には、運動部の生徒が何人か走っていた。
風が木の葉を揺らしている。
今日も平和である。
少なくとも、俺にはそう見える。
ただ。
斜め前では千夏がこちらを見ている。
隣では小日向さんが、昼休みに持ってくる菓子パンの相談を始めている。
少し離れた席では、白河さんが一度開いた教科書から、なぜかまたこちらへ視線を向けている。
俺は何となく落ち着かない気分になった。
本当に。
俺、何か怒らせたか?
人の心がわかるようでわからない系のおっさんJK。
次回は白河さん視点です。
木曜日に投稿予定。
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