先生が無事だったという事実がシャーレ中へ広まり、爆発直後の張り詰めていた空気がようやく緩み始めたのも束の間だった。
同じ仮眠室から寝起き姿で現れた先生とカヤ。そのうえ先生本人が何の悪気もなく「起きたら隣でカヤも寝てた」と口を滑らせたことで、先ほどまでとはまったく別の意味で現場の空気が凍りついたのである。
「違います! 違うんです! 私はただ先生を仮眠室まで運んだだけで――!」
必死に弁明するカヤだったが、募集生徒やシャーレに居候している面々は誰一人として逃がすつもりがないらしい。結果としてカヤは数人に囲まれたまま、地下にある空き部屋へと半ば強制的に連行されていった。
「カヤは私を仮眠室に運んでくれただけだから、って、待って待って待って! 私も行くからちょっと待って!」
いくら何でもそのまま見送るのは忍びないと思ったのか、先生まで慌ててその後を追っていく。先ほどまで爆発現場の中心人物だった二人が揃って廊下の向こうへ消えていく姿を、残された面々は何とも言えない顔で見送ることになった。
「カヤちゃん…ヤムチャしやがって……。南無南無」
幸いにも人的被害は確認されていない。爆発が起きた時間帯が早朝だったこともあり、被害を受けたフロアには先生以外人がおらず、その先生も偶然カヤによって別室へ移動していた為無事。
結果だけを見れば、大規模なガス爆発の割には奇跡的なほど被害は軽かったと言える。
ただの事故として処理されそうになっていた時、雑にカヤの未来を憂いていたテスの手元に持っていたシッテムの箱から、プラナの声が聞こえてきた。
『……テス先生。今回の爆発事故について、一つ確認してもよろしいでしょうか?』
「ん? どうしたのプラナ~?」
『事故として考えるには……少々、不可解な点があるように思えます』
「不可解?」
テスは改めて爆発した執務室の方へ目を向けた。
壁は吹き飛び、窓ガラスも全壊、家具や書類は周囲へ散乱している。少し離れた場所では元理事たちが安全確認を進めており、見た目だけなら確かに大きな事故現場そのものだった。
「う~ん……私には普通にガスが爆発したようにしか見えないけど」
『私も確証があるわけではありません。ただ、先生が偶然その場を離れていなければ命に関わっていた規模の爆発です。発生時刻や場所も含め、偶然として処理するには少し気になります』
「なるほどね~」
プラナが気になると言うのであれば、少なくとも確認しておく価値はある。
とはいえテス自身は爆発物やガス設備に詳しいわけではない。どうしたものかと周囲を見回したところで、ちょうど良さそうな三人が目に入った。
「ハルカちゃん、モエちゃん、ニコちゃん。ちょっといい?」
「は、はいっ!」
「なになに? まだ何か爆発させるの?」
「私にも何か?」
三人を呼び寄せると、テスはプラナから言われた疑問をそのまま伝えた。
「この爆発、普通の事故として見ると何か変なところってある?」
「変なところ……ですか?」
最初に反応したのはハルカだった。便利屋68で様々な荒事を経験してきた彼女は、少し怯えたような様子を見せながらも、爆発したフロアを真剣な目で見回していく。
「わ、私なんかの意見で良ければ……その……普通のガス爆発にしては、壊れ方が少し妙な気がします。どこがって上手く説明できないんですけど……なんというか、爆発してほしい場所が最初から決まっていたみたいな……」
「あ~それなんか分かるかも~」
今度はモエが楽しそうに頷いた。
「爆発自体はガスっぽいんだけどさ。事故ならもっと適当に壊れてもよさそうなのに、先生の執務室周りがやけに派手なんだよね。ん~……偶然って言われたら偶然かもしれないけど、私ならもう一回調べるかな」
「なるほど」
テスが腕を組む。
最後にニコを見ると、彼女は爆発現場よりも別の方向――厨房などの設備が集まっている方へ視線を向けていた。
「私も少し気になってたんですよね~」
「何かあった?」
「ここ何日か、料理しようとすると設備がいつもと違う状態になってることが何度かありまして。大したことじゃなかったので、その度に直してたんですけど~」
「それっていつ頃?」
「朝食を作り始める直前ですね~。でも、その後アルさんやナギサさんたちも似たようなこと言ってましたよ?」
「…………」
テスの顔から笑みが少し消えた。
単発なら偶然で済む。だが、何日か前から似たような設備異常が繰り返され、その直後に先生の執務室で大規模な爆発が起きたとなれば、さすがに話が変わってくる。
『やはり、確認した方が良いと思います』
「そうみたいだね」
テスが頷いたところで、少し離れた場所にいた臨戦ホシノとシロコテラーが互いに目を合わせていることに気付いた。
「二人とも、何か知ってる?」
「ん~……」
臨戦ホシノは少し言いづらそうに頬を掻いた。
「知ってるっていうほどじゃないんだけどねぇ。時期的に、ちょっと嫌な相手が動き始めた可能性はあるかなって」
「ん」
シロコテラーも短く頷く。
「昨夜の眠気も妙だった。疲れてたのは確かだけど……いつもより判断が鈍かった気がする」
「それでその相手って?」
「…………」
「…………」
二人が揃って黙る。
テスはその反応を見て、これ以上聞いても今は答えないだろうと察した。
「まあいいや。とりあえず事故って決めつけるのはやめとこう」
「それが良いだろうな」
近くで話を聞いていた元理事も同意する。
「設備そのものを調べ直す。先生にも、当分一人で残業しないよう言っておけ」
「それ本人が聞くと思う?」
「無理やりにでも聞かせろ」
「ハァ…頑張りま~す」
こうして、先生本人が地下室でカヤを庇って右往左往している間に。
爆発現場では、今回のガス爆発が単なる事故ではない可能性が静かに浮かび上がり始めていた。
◆
そんな調査が始まっていることなど露ほども知らない地下生活者は、久しぶりに上機嫌だった。
「ヒヒ……ヒヒヒヒ……!」
暗い地下空間に、抑え切れない笑い声が響く。
先生は深夜、一人で執務室に残っていた。臨戦ホシノとシロコテラーも、自分の思考誘導によって警戒を緩め眠りに落ちた。
そして予定通り、明け方に先生の執務室で大規模な爆発が発生した。これだけ条件が揃えば、結果など確認するまでもない。
「ようやく……ようやく盤面から邪魔者が一人消えました!」
ぽっと出のよくわからん奴に債権問題を潰された時はどうなることかと思ったが、先生という最大の障害を排除出来たのであれば、今からでも十分に取り返せる。
地下生活者は上機嫌のまま、盤面に置かれていた先生の駒を摘み上げた。
「小生にはどうして周りの者達が貴方に手こずったのか不思議でなりませんね」
そして、ぽいっと盤の外へ投げ捨てた。
改めて盤面を見る。
アビドスを巡る物語は、まだ始まったばかり。
債権という入り口こそ失ったが、使える駒も、残されている過去もまだある。
「さて、先生が消えたのなら、少し強引に進めても問題ないでしょう」
地下生活者が目を向けたのは、砂漠を横断する鉄道路線。
そして、過去のアビドスが残した契約。
「債権が使えないのであれば、別の過去を使えばいい」
地下生活者は楽しそうに笑った。
「さあ、次の幕を始めましょう」
地下生活者は再び駒へ手を伸ばした。
◆
次の日の午後。
アビドスには、少し変わった来客が訪れていた。
「ハイランダー鉄道学園?」
再びアビドスの地へ呼び出された先生は、アヤネから聞かされた名前に首を傾げた。
「はい。砂漠横断鉄道に関する話があるそうなんです」
「鉄道かぁ」
先生の隣ではユメが懐かしそうに頷いている。
「昔はいろいろ計画してたからね~。今どうなってるんだろう?」
「ユメ先輩、当時の事何か覚えてますか?」
現地ホシノが尋ねるが、ユメは少し困ったように笑った。
「う~ん、ところどころかなぁ。なんせ色々ありすぎて」
「そっかぁ」
そのやり取りを少し離れたところから見ていた臨戦ホシノは、何とも言えない表情を浮かべていた。
自分の知る未来ならユメはいない。
何か過去の情報が出てくる度、それを確かめたくても本人に聞くことなど出来なかった。
だが今は目の前にいる過去について本人へ直接聞くことが出来る。
「……チートだねぇ~」
「ん?」
「何でもないよ、ユメ先輩」
臨戦ホシノが笑ったところで、廊下から足音が聞こえてきた。
扉が開かれると、三人の生徒が姿を現した。
「こんにちは~。ハイランダー鉄道学園から来ました~」
どこかのんびりした調子で最初に顔を出したのはヒカリだった。
「はーい、来ましたー。思ってたより普通の校舎じゃん?」
その後ろからノゾミも続き、最後に二人とは少し離れるようにスオウが入ってくる。
スオウは部屋の中にいる面々を一通り確認すると、余計な前置きをすることもなく一枚の書類を机の上へ置いた。
「早速で悪いが、これを確認してほしい」
「これは?」
「過去にハイランダー側とアビドス生徒会の間で交わされた契約書だ。砂漠横断鉄道と、その周辺施設に関する取り決めが記載されている」
アヤネが受け取り、内容を確認していく。
先生も横から覗き込むが。
「……ん?」
契約書へ目を通していた先生は、ある箇所でふと視線を止めた。
末尾に記された署名。そこには、アビドス生徒会長――梔子ユメの名前が確かに残されていた。
「……ユメ先輩の?」
横から書類を覗き込んでいた現地ホシノの表情から、それまで浮かんでいた気の抜けた笑みが消える。さらに契約日へ視線を移した瞬間、僅かに目を細め、その数字を確かめるように黙り込んだ。
先生はそんな変化を見逃さなかった。
「ホシノ?」
「!? ううん! 何でもないよぉ~」
返事こそいつもの調子だったが、その声には普段よりほんの少しだけ力がなかった。
その日付が何を意味しているのか、先生にはまだ分からない。ただ、ホシノにとって軽く流せるものではないことだけは察せられた。
だが、この世界では原本の契約書だけを頼りに過去を推測する必要はなかった。
「え?」
現地ホシノの後ろから、間の抜けた声が聞こえた。
一同が振り返ると、そこには当然のように梔子ユメ本人が立っていた。自分の名前が話題に上がったことに気付いたらしく、契約書を覗き込みながら自分の顔を指差している。
「その名前、私だよね?」
「…………」
今度はユメに気が付いたスオウが言葉を失った。
ヒカリとノゾミも、机の上に置かれた契約書と目の前のユメを何度も見比べている。過去の人物として話を進めるつもりだった相手が、何故か当たり前のように目の前に立っているのだから無理もない。
「え~っと……元?アビドス生徒会長の梔子ユメです」
ユメが改めて名乗ると、スオウはしばらく彼女の顔を観察した後、警戒を解かないまま問い返した。
「お前が、当時のアビドス生徒会長だった梔子ユメだと?」
「うん。そうだよ」
「なら証明してみせろ」
「えぇ!?」
まさか本人確認を要求されるとは思っていなかったらしい。ユメは素っ頓狂な声を上げ、自分の顔や身体を見回した。
「証明って言われても……どうすればいいの?」
「本人なら、当時の人間にしか分からないことくらいあるはずだ」
「そう言われてもなぁ……」
ユメは困ったように頬を掻きながら、昔の記憶を引っ張り出していく。
「昔の生徒会室は雨の日になると窓のところから少し水が入ってきたし……ホシノちゃんは昔から私にバレない様に私の胸を羨ましそうにチラチラ盗み見ていたし…」
「ユメ先輩?」
「それから、私が処理途中の書類を机の端に積んでたら、ホシノちゃんに何回も怒られて――」
「それ以上は本人確認に必要ないよねぇ?」
現地ホシノが恥ずかしそうに割って入り、ユメの暴露を強制終了させる。
しかし、スオウはそれでも首を縦には振らなかった。
「その程度なら、当時の記録を調べれば分かる可能性がある。それだけで本人だとは断定できない」
「厳しいなぁ……じゃあ、どうしたら信じてくれるの?」
ユメが完全にお手上げといった様子で尋ねると、スオウは少し考え込んだ末、何故か至極真面目な顔で答えた。
「アビドス生徒会には代々受け継がれてきた口上があると聞いた。それを言ってみろ」
「…………口上?」
今度はユメだけでなく、現地ホシノまで首を傾げた。
「ユメ先輩、そんなのあったんですか?」
「私が聞きたいよぉ!」
「私も初耳だねぇ~」
臨戦ホシノまで加わり、三人揃って頭上に疑問符でも浮かべていそうな顔になる。
そんな中、シロコテラーが無言でユメのところまで歩いてきた。
「ユメ先輩、耳貸して」
「ん? シロコちゃん知ってるの?」
促されるまま顔を寄せると短く何かを耳打ちする。
内容を聞き終えた瞬間、ユメの顔が見る見るうちに赤くなった。
「えっ……これを言うの?」
「ん」
「今ここで?」
「ん」
「みんなの前で?」
「ん」
何度聞いても返ってくるのは同じ肯定だけだった。
「……やらなきゃ駄目?」
「本物って証明したいならやるしかない」
「うぅ……」
そこまで言われては仕方がない。
ユメはしばらく葛藤した後、観念したようにスオウへ向き直った。頬はまだ真っ赤で、声も普段より随分小さい。
「ユ、ユ~メユメユメ~……」
その時点ですでに恥ずかしさで消え入りそうだったが、どうにか最後まで続ける。
「お前ら全員……サンダーフォースユメ~……」
ユメが言い終えた後、部屋には静寂が落ちた。
何とも言えない空気の中、スオウだけが目を見開く。
「まさか……本物の梔子ユメなのか!?」
「なんで納得したの!?」
先生が思わず机を叩いた。
「おぉ~、本人確定~」
ヒカリは素直に感心しているが、隣のノゾミは完全に納得がいかないらしい。
「いやいや! 今ので本人認定する方もどうなの!?」
「私も知らないんだけど!?」
現地ホシノまで妙なところでショックを受けている。
「いやぁ、おじさんも知らなかったなぁ……」
臨戦ホシノも複雑そうな顔で腕を組んだ。
一方、本人確認のためとはいえ公開処刑を受けたユメは、まだ赤い顔のままシロコテラーを見つめていた。
「……シロコちゃん」
「ん?」
「後でちょっとお話ししようね?」
「なんで?」
対するシロコテラーは、本気で何が悪かったのか分かっていない顔をしていた。
本人確認と呼ぶには随分と理解不能な儀式を終え、ようやく話題は本来の契約書へ戻った。
「それで、この署名そのものには覚えがあるのか?」
スオウに改めて尋ねられ、ユメは契約書を受け取った。自分の名前が書かれている部分を指先でなぞりながら、紙面に並ぶ文字と契約日をゆっくり確認していく。
「字は私ので間違いないと思う。でも、この契約を結んだ時のことは……」
そこで言葉が止まる。知らないわけではない。
完全に初めて見るような感覚でもない。
むしろ、記憶の奥に何かが引っ掛かっている。
ただ、それを手繰り寄せようとすると形になる直前で霧のように消えてしまう。
「ユメ先輩。本当に何も覚えてないんですか?」
現地ホシノが恐る恐る尋ねる。
「ごめんね、ホシノちゃん。何となく『あった』って感じはするんだけど、はっきり思い出せなくて」
「そうですか……」
現地ホシノは少し残念そうに答えたものの、以前のように一人で抱え込む必要はなかった。
その答えを知っていたかもしれない相手がいる、そして何より、その本人が目の前で一緒に悩んでくれている。
「だったら、思い出せない部分はこれから一緒に調べればいいよ」
先生が横から笑いかける。
「先生……」
「ユメ一人で全部思い出さなくてもいいんだからさ。資料を探したり、現地を見たりして、少しずつ確かめていけばいいよ」
「……うん!」
先生の言葉に、ユメも少しだけ表情を明るくした。
そのままもう一度契約書へ目を落とし、何とか記憶を掘り起こそうと眉間に皺を寄せる。
「でもなぁ……何かあった気がするんだよね。この契約の辺りで……」
「何か?」
「う~ん…なんだっけな…」
しばらく唸っていたユメだったが、やがて途切れ途切れに言葉を絞り出した。
「確か……兵器みたいなのがあったような気がする」
「兵器?」
先生の表情が少し真面目になる。
アヤネたちもそれまでの和やかな空気を引っ込め、ユメへ視線を集めた。
「うん。すごく大きいやつだったような……たしか、この辺の話と一緒に何かあった気がするんだけど」
「名前は覚えてる?」
「名前かぁ……」
ユメは両腕を組み、天井を見上げながら必死に記憶を探った。
「長かったような……強そうだったような……なんだっけなぁ……」
何度か小さく唸った末、突然何かが閃いたように目を見開く。
「あっ! 思い出した!」
「本当!?」
「うん完璧!」
ユメは勢いよく机へ両手をついて、自信満々に口を開いた。
「ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲だよ!」
ユメの宣言を聞いていた先生が困ったように眉を下げる。
「……絶対違うと思う。アームストロングって二回言ってるし」
「えぇ!?」
「いやぁ、流石にそれは違うと思うなぁ」
臨戦ホシノも苦笑しながら否定する。
「「ん。完成度高けーなオイ」」
シロコテラーとシロコだけは周りとは違う反応をしていたが、ユメは納得がいかないように頬を膨らませた。
「そんなぁ! かなり自信あったのに!」
「名前だけ聞いても絶対違うでしょ、それ!」
現地ホシノが頭を抱える。
「すっごく長いね~」
ヒカリが妙なところに感心すると、ノゾミがすぐさま横から突っ込んだ。
「違うって私たちの目的は――――」
口を滑らせそうになったノゾミを一睨みで黙らせるスオウ。そして何事もなかったかのように、スオウは真面目な顔のまま契約書を再確認した。
「少なくとも、その名称はどこにも記載されていない」
「ほら! 記載されてないならまだ可能性はあるよね!?」
「何でそうなるのユメ先輩!?」
再び部屋の中が騒がしくなる。
ただし、ユメが口にした兵器という言葉だけは、その場にいた全員の頭に残った。
名称は不明のどのような兵器なのかも分からない。
ユメ本人ですら記憶が曖昧なのもあるが、それでも、過去のアビドスと砂漠横断鉄道、そしてユメ自身が署名した契約のどこかに、何らかの大規模兵器が関係している可能性だけは無視できなかった。
「ここで悩んでても仕方ないね」
先生が契約書へ視線を落としながら言う。
「一度、現地を見に行ってみようか。実際に見れば、ユメも何か思い出すかもしれないし」
「私もそれが良いと思います」
アヤネが頷く。
スオウも異論はないらしく、すぐに答えた。
「鉄道側はこちらで案内する。確認したい場所があるなら対応する」
「それならみんなで行こうか!」
ユメも元気よく手を上げる。
こうして砂漠横断鉄道を巡る話は動き始めた。
ただしそれは、地下生活者が想定していたものとは随分違う形だった。
失われたはずの当事者が自ら契約書を確認し、その横には本来なら既に盤上から消えているはずの先生までいる。
本人たちはまだ、その異常さに気付いていなかった。
◆
地下生活者は久しぶりに気分良く盤面を眺めていた。
債権を利用した最初の一手こそ潰されたものの、その後に仕掛けた爆発は成功した。
「多少予定が狂ったところで、結局は修正出来るのですよ」
今後はアビドスとハイランダーの間に残された過去の契約を利用し、小鳥遊ホシノを中心に盤面を動かしていけばいい。
「さて……先生という支えを失った小鳥遊ホシノが、あの契約書を前にどう動くのか。ようやく本来の流れへ戻せそうですね」
先ほどまでの失敗を取り返したとでも言いたげに、地下生活者は上機嫌で次の展開を思い描いていた。
だが、その時だった。
「……ん?」
新たに入ってきた情報へ何気なく目を通し、地下生活者の笑みが止まる。
アビドスとハイランダーとの会談の出席者の中に、見覚えのある名前があった。
「……先生?」
最初は見間違いだと思った。
昨日、先生のいた執務室は確実に爆発した。あれだけの規模であれば、無事であるはずがない。
地下生活者は怪訝そうな顔をしながら追加情報を確認する。
すると、今度は会談中の様子が表示された。
「…………!?」
そこには、どう見ても先生本人がいた。
元気そうに何の怪我もなく当たり前のような顔で会談に加わっていた。
「……何故、生きている!?」
地下生活者の声から、先ほどまでの余裕が消えた。
何かの間違いではない。
本人であることは見れば分かる。
爆発は成功した、それなのに標的だけが生きている。
理解出来ないまま報告を読み進めていくと、過去に死んでいるはずのアビドス生徒会長の梔子ユメの名前が目に飛び込んできた。
「はぁ!?」
地下生活者はしばらく理解できずに画面を見つめることしか出来なかった。
こちらの方が、先生の生存以上に意味が分からなかった。
梔子ユメは過去の人物だ。
小鳥遊ホシノの傷の根幹にいる存在であり、既に失われているからこそ利用価値がある。
そのはずなのに画面にははっきりと映し出されている。
梔子ユメ本人が、アビドスで会談に参加していた。
「……いや、いやいやいやいやいや」
地下生活者は、ゆっくりと自分の盤面へ目を向けた。
盤の外へ捨てた先生の駒、過去の傷として扱っていた梔子ユメ。
そして、目の前にある最新の情報。自分が前提としていた二つの事実が、同時に否定されている。
「…………」
長い沈黙の末。
地下生活者は、もう一度だけ画面を確認した。
それでも現実は変わらない。
「一体、小生の知らない所で何が起きてるんだ!?」
ようやく絞り出された言葉はそれだけだった。