地図に存在しない古い線路へ進路を変えてから、どれほど走っただろうか。
列車は、砂漠の奥へ奥へと進み続けていた。窓の外に広がる景色はとうに見慣れた砂一色へ変わり、現在の路線を示す標識や駅舎はもちろん、誰かがこの辺りを利用していることを示す痕跡すら見当たらない。
それでも古い線路図によれば、線路はまだ遥か先まで続いている。
「このまま行けば、あとどのくらい?」
運転席へ顔を出した先生が尋ねると、操作盤と古い線路図を見比べていたスオウが僅かに眉を寄せた。
「正確には分からない。現在の地図には何も載っていないからな。ただ、この速度ならもう少し――」
そこで突然、スオウの言葉が途切れた。
「……?」
ノゾミも前方を見ながら表情を強張らせる。
「ねぇ、あれって…」
「ああ。見えている」
「どうしたの?」
先生が窓の外へ目を向けようとした直後、車内に短い警告音が鳴り、列車がゆっくりと減速を始めた。
「え? 何? 故障?」
「違うよー」
ヒカリが困った顔で前方を指差す。
「これ以上、進めないみたい」
ヒカリの宣言から、ほどなくして列車は完全に停車した。
突然の停止に気付いた他の面々も次々と運転席付近へ集まってくるが、スオウたちは何とも言えない表情を浮かべたまま説明しようとしない。
「一体何があったんですか?」
アヤネが不安そうに尋ねると、スオウは少しだけ考えてから短く答えた。
「……降りれば分かる」
その言い方が妙に気になった先生たちは、念のため周囲を警戒しながら列車を降りた。
すると、スオウたちが先ほどの言葉を言った意味がすぐに理解できた。
「…………何だこれ」
先生の口から、思わずそんな声が漏れた。
線路が無くなっていた。
正確には、途中から消えているわけではない。
列車の十数メートルほど先から、地面そのものが異常な形で盛り上がり、線路が下から無理やり引き千切られていたのだ。
レールが途中で大きく捻じ曲がり、枕木は砕け、地面へ固定していた金具までもが力任せに引き千切られている。被害は一点だけではなく、巨大な何かが砂の下を突き進んだかのように、太い一本の跡となって遠くまで続いていた。
「凄い昔の列車事故……とかじゃないですよね、これ……」
アヤネが呆然と呟く。
「こんなの事故でなるわけないでしょ…」
セリカが不安そうな顔で否定した。
鉄道を日常的に扱うハイランダーにとっては、なおさら異常な光景だった。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
ノゾミは線路の近くまで駆け寄ると、引き剥がされたレールを見て目を見開いた。
「下から無理やり剥がされてる! これ何トンあると思ってるの!?」
「ひどいよぉ……」
ヒカリまで悲しそうな顔でしゃがみ込む。
「線路がこんなにぐちゃぐちゃ……」
スオウも地面へ残された巨大な跡を調べ、砂を手ですくいながら険しい表情を浮かべた。
「爆破された形ではない。何か大きなものが、この下を通ったように見える」
「大きなものって……どれくらい?」
先生が尋ねると、スオウは難しい顔をして答えてくれた。
「少なくとも、人や普通の車両ではない。尋常じゃないくらい大きな何かだ…」
その説明を聞いて、誰もが砂の奥へ続いている巨大な跡へ視線を向けて不安な空気の中。
「あー……」
場違いなくらい気の抜けた声が聞こえた。
「……なるほど」
別の方向からも、納得したような声がする。
先生が振り返ると、臨戦ホシノ、シロコテラー、そしてヒナの三人だけが、驚くというより、心当たりのあるものを見つけてしまったという顔をしていた。
「三人とも、何か知ってるの?」
「ん~……心当たりがある程度だけど~……」
臨戦ホシノが頬を掻きながら、改めて同行している面々をゆっくり見回す。
順番に視線流れていたが最後にスオウで止まったところで、臨戦ホシノは何とも言えない顔で溜息を吐いた。
「……君に至っては未実装だしなぁ~」
スオウの眉間に皺が寄った。
「何を言っているのかよく分からないが、何故か無性に腹が立ってきた」
「いやぁ、ごめんごめん。君が悪いわけじゃないんだけどねぇ」
「なら何の話なんだ」
「それが説明しづらくてねぇ……」
臨戦ホシノは再び全員の顔を見回し、困ったように腕を組んだ。
「この面子だと防御デバフと貫通属性がなぁ……」
「…………何の話?」
先生には本気で意味が分からない。
しかしシロコテラーは何か思いついたらしく、シロコとアヤネを順番に見た。
「ん。よわシロコとアヤネに水着を着せたら?」
「最悪それしかないかもねぇ……」
「なんで水着なんですか!?」
突然自分の名前が挙がったアヤネが即座に叫んだ。
一方、シロコは少し残念そうに自分の服装を見下ろす。
「ん……水着持って来てない」
「シロコ先輩も真面目に受け取らないでください!」
「でも必要らしい」
「何にですか!?」
アヤネが頭を抱える横で、先生はさらに混乱していた。
「水着に着替えたら倒せる相手なの?」
「そういう問題ではないわ」
ヒナが疲れたように先生へ答える。
「今の話はあまり深く考えなくていいと思う」
「ヒナがそう言うなら……」
「うん。その方がいいわ」
募集組だけで通じている何かがあるらしい。
これ以上追及しても理解出来る気がしなかった先生は、素直に話を戻すことにした。
「じゃあ、結局この線路をこうしたのは何なの?」
臨戦ホシノは巨大な跡を眺めながら、少しだけ真面目な顔になった。
「たぶんだけどねぇ。この先に、ものすっごく大きな蛇みたいなロボットがいるかもしれない」
「巨大な蛇型ロボ!?」
先生の目が露骨に輝いた。
「先生、遊びに行くわけじゃないのよ」
ヒナの声が低くなる。
「はい……」
ともかく、この先に危険な何かが存在する可能性があることは間違いない。
問題は、ここからどうするかだった。
「線路もこの状態じゃ列車じゃ進めないし、この先に危ないものがいるかもしれない。みんな、どうしようか。一度引き返す?」
先生は一応全員へ確認した。
「ここまで来て戻れるものか!」
最初に答えたのはマコトだった。
「雷帝の遺産が本当にこの先にある可能性が高まったのだぞ。カイザーまで情報を掴んでいる以上、放置するという選択肢は無い!」
「私も進むわ」
現地ヒナも迷わず同意する。
「危険なものがあるなら、なおさら確認しておいた方がいい。出来るだけ早く対処する必要があるでしょうし」
ヒナも二人の言葉に静かに頷いた。
一方、ヒカリとノゾミは先ほどまで巨大ロボットという言葉に怯えていたものの、無惨に破壊された線路をもう一度見た途端、表情を変えた。
「……これやった奴なんだよねぇ?」
「多分ね」
臨戦ホシノが答える。
「…………」
ノゾミの頬が引きつる。
「線路こんなにして……」
「許さないぞー!」
ヒカリもレールの残骸を見ながら、次第に怒りを滲ませていく。
「列車が走れないじゃん!」
「見つけたら絶対文句言ってやるから!」
先ほどまで怖がっていた二人が、鉄道学園の生徒としての怒りを優先し始めた。
スオウは特に大きな反応を見せず、ただ線路の先を見据えていた。
「私は行く」
「理由は?」
「まだ確認出来ていないことがある。それだけだ」
アビドス側も同じだった。
「ここまで来たなら行くしかないでしょ」
セリカが肩を竦める。
「ん。進む」
シロコも即答した。
「ただし、徒歩なら物資はちゃんと確認しましょう」
アヤネが現実的な提案をし、ノノミもにこやかに頷く。
「水分は多めに持って行きましょうね~」
最後に先生はユメを見る。
ユメは破壊された線路の先をじっと見つめていた。
「……私も行きたい」
「ユメ?」
「何となくだけど、この先に私が忘れてる何かがある気がするんだ」
その言葉を聞いた現地ホシノは少しだけ目を細め、それからいつものような笑みを浮かべた。
「じゃあ、おじさんも行かないわけにはいかないねぇ」
「私もいるよ、ユメ先輩」
臨戦ホシノも続く。
こうして列車は安全な場所に停めたまま、必要な水や食料、携行装備を降ろし、先生達は徒歩で先を目指すことになった。
◆
それからの道のりは、想像以上に長かった。
地図に残された古い線路を頼りに砂漠を進んではいるものの、場所によっては線路そのものが砂に埋もれている。時折姿を現す錆びたレールや古い設備を目印にしながら進むしかなく、列車で移動していた時とは比較にならないほど速度は落ちていた。
「…………暑い」
出発からしばらく経った頃、先生がとうとう弱音を吐いた。
「だから砂漠舐めない方がいいって言ったでしょ!」
セリカがすかさず怒鳴る。
「でも、まだ元気だから大丈夫!」
「その台詞を言う人はだいたい大丈夫じゃないのよ!」
「はい先生、水を飲んで」
シロコがすぐに水筒を差し出した。
「ありがとう……」
「一気に飲みすぎないで」
「わかった」
アビドス組や普段から戦闘慣れしたゲヘナ組は比較的余裕があるものの、先生やユメ、ハイランダー組は何度か休憩を挟みながら進まなければならなかった。
それでも誰一人、戻ろうとは言わなかった。
辺りが完全に暗くなり始めた頃には、さすがに全員の口数も減っていた。
日中は容赦なく照りつけていた太陽も地平線の向こうへ沈み、今度は昼間とは正反対の冷えた空気が砂漠を覆い始めている。徒歩で何時間も歩き続けた疲労もあり、先生だけでなくユメやアヤネたちの足取りも目に見えて重くなっていた。
「今日は野宿になるかもしれないわね」
現地ヒナが暗くなった空を見上げながら、現実的な判断を口にする。
「これ以上暗くなれば、線路を辿るのも危険になるわ。一度休んで――」
「あれ…?」
その言葉を遮ったのは、先頭近くを歩いていたユメだった。
「どうしたの?」
先生が声を掛けると、ユメは返事の代わりに前方を指差した。
全員が同じ方向へ視線を向けると、暗い砂漠の向こう側。
月明かりに薄く照らされながら、そこには巨大な黒い影が浮かび上がっていた。
「……建物かな?」
先生が目を凝らす。
近づくにつれ、その輪郭は次第にはっきりしていった。何両もの列車を丸ごと収容出来そうな巨大な格納庫。その周囲には研究棟と思われる建物がいくつも連なり、全体が一つの巨大施設として構成されている。
長い年月放置されていたらしく、壁の一部は砂に埋もれ、外装もかなり傷んでいる。それでも完全に崩壊していないところを見ると、相当頑丈に造られた施設だったのだろう。
そして何より。
「線路が……」
アヤネが足元を照らした。
自分たちがここまで辿ってきた古い線路は、そのまま施設内部へ続いている。
「地図には?」
先生に聞かれ、アヤネはすぐ端末を開いた。現在の地図、古い線路図、先ほど施設で見つけた資料を順番に確認していくが、やがて困惑したように首を振った。
「ありません。この周辺には、これほど大きな施設が存在していた記録が残っていません」
「なるほどな」
マコトが巨大な建物を見上げながら、目を細める。
「わざわざ地図から消したということか」
「可能性は高いわね」
現地ヒナも同意する。
ここまで来た疲労より、ようやく目的地らしき場所へ辿り着いたことへの安堵と緊張の方が勝っていた。
全員の視線は、自然と目の前にそびえる巨大な施設へ集中してしまった。
入口付近に降り積もった砂の一部だけが不自然に崩れ、最近になって何かがここを通ったような痕跡を残していたことに、誰一人気付かなかった。
◆
施設内部は、外から見た以上に深い闇へ沈んでいた。
当然ながら照明は一つも点かず、壁際に並ぶ古い設備にも電気が通っている気配はない。先生たちはスマートフォンや端末のライトを点灯させ、それぞれの小さな光だけを頼りに奥へ進んでいった。
ひび割れたコンクリートの壁。途中で放置されたままの古い工具。砂埃を被った台車。大きく錆びた配管。
普段ならどうということもない廃施設の光景なのだろうが、視界のほとんどを暗闇が占めているだけで、妙な圧迫感を覚えさせられた。
静かすぎることも、その雰囲気に拍車をかけている。
聞こえるのは自分たちの足音と、遠くで砂が建物に吹き付ける微かな音だけ。誰もいないはずの空間なのに、何故か自分たち以外にも何者かがいるような錯覚を覚える。
「……随分広いね」
先生が小さく呟いた声でさえ、廊下の奥まで反響した。
「格納庫だけじゃないみたいですね」
アヤネが周囲へライトを向けながら答える。
「研究区画らしい部屋もいくつもあります。列車整備のためだけの施設ではなさそうです」
「やっぱり兵器関係なのかなぁ…?」
ユメが不安そうに呟くと、現地ホシノは彼女を安心させるように軽く笑った。
「まあまあ。まだ決まったわけじゃないしねぇ」
そんな会話をしながら進んでいた時だった。
「……ねえ」
列の後方を歩いていたノゾミが突然足を止めた。
「どうしたのー?」
ヒカリが振り返る。
ノゾミは少し青ざめた顔で、自分たちが通ってきた暗い廊下を見ていた。
「今、後ろに誰かいなかった?」
「ノゾミ…こんな時にイタズラはやめてよぉ……」
「本当だって! なんか一瞬、影が動いた気がしたの!」
ノゾミは恐る恐るスマートフォンのライトを後方へ向ける。
明かりが照らしたのは、誰もいない廊下だけだった。
壁際には古い棚が並び、床には砂埃が積もっている。しかし、人影らしきものはどこにもない。
「ほらー、誰もいないじゃん」
「でも絶対何か見えたんだけど……」
「古い施設だから、何か落ちたりした影じゃない?」
先生がそう言って宥める。
「まあ、何かいたらホシノたちが気付くでしょ」
「そうだねぇ」
臨戦ホシノも特に気にした様子はなく、再び歩き始めた。
ノゾミだけは最後まで納得していない顔をしていたが、一人だけその場へ残る方が怖かったらしく、急いで皆の後を追った。
そして先生たちが角を曲がり、廊下から完全に姿を消した少し後。
先ほどまで誰もいなかったはずの暗闇の奥で、何かが別の扉の向こうへ静かに消えていった。
◆
「先生! 皆さん! ちょっとこちらへ来てください!」
しばらく施設内を調べていたところで、少し先へ進んでいたアヤネの声が聞こえてきた。
全員が声のした方へ向かうと、そこには比較的広い研究区画らしき部屋があった。壁沿いには古い端末や研究設備が並び、その中央ではアヤネが一枚の壁をライトで照らしている。
「どうしたの?」
「これです」
アヤネが指し示した先には、古びた二つの校章が並んでいた。
一つは見慣れたアビドスの校章。そして、その隣に残っているもう一つを見た瞬間、マコトと二人のヒナの表情が変わった。
「……ゲヘナね」
現地ヒナが静かに言う。
マコトはすぐに壁へ近づき、手袋をした指で積もっている埃を払い落とした。長い年月によってかなり色褪せてはいるが、その意匠を見間違えるはずがない。
「間違いない。しかもこれは、雷帝の時代に使われていたものだ」
「じゃあ」
現地ヒナが壁に並ぶ二つの校章を見比べる。
「本当に、当時のアビドスとゲヘナがここを共同で使っていたのね」
「ヒナの話とも一致するな」
マコトの声から、先ほどまで残っていた僅かな疑念も消えていた。
地図から消された線路。
地図に存在しない巨大な格納庫。
兵器開発を思わせる研究設備。
アビドスとゲヘナ、二つの校章。
そして未来から来たヒナが教えた、雷帝とアビドスによる共同開発兵器。
「シェマタが、この施設に関係している可能性はかなり高くなったわね」
現地ヒナも真剣な表情で周囲を見回す。
「もっと資料を探しましょう。設計図や運用記録が残っていれば、場所まで特定出来るかもしれない」
「そうだな。ここまで来て何も残っていないとは考えにくい」
マコトがそう言った、その直後だった。
――ギィィィ……。
金属がゆっくり擦れるような音が、静かな研究室の中へ響いた。
全員の会話がぴたりと止まる。
「……今の何?」
先生がゆっくり後ろを振り返る。
そこには、さっきまで確かに閉まっていたはずの扉があった。
その扉が、誰も触れていないのに少しずつ開いていく。
蝶番が軋むたび、隙間の向こうから真っ暗な廊下が少しずつ姿を現していった。
「…………」
誰もすぐには声を出せなかった。
その中で最初に口を開いたのはユメだった。
「ひぃん! だ、誰か開けたの?」
「私じゃありません!」
アヤネが即座に否定する。
「自動ドアじゃないの!?」
ノゾミが半ば願望を込めるように尋ねるが、ヒカリが泣きそうな顔で首を振った。
「電気ついてないし、ドアノブあるよぉ……」
「じゃあ何で開いたの!?」
「ん。わからない」
先ほどから怖がっていた二人に加え、ユメとアヤネまで少しずつ互いの距離を縮めていく。
「ゆ、幽霊とかじゃないよね?」
ユメが小声で尋ねる。
「い、いませんよ! そんな非科学的な――」
アヤネが必死に否定しようとした瞬間。
カタン、と部屋の外の暗い廊下のさらに奥から、何か硬い物が床へ落ちたような音が聞こえてきた。
「ひっ!?」
アヤネは反射的にユメへ抱きついた。
「アヤネちゃん!?」
「す、すみません!」
「さっきまで幽霊いないって言ってたじゃん!」
ノゾミが叫ぶ。
「理屈と怖いものは別なんです!」
「正直だねぇ……」
ヒカリもすでにノゾミの腕へしがみついており、最終的にはヒカリ、ノゾミ、ユメ、アヤネの四人がほとんど一塊になるような状態で固まっていた。
「もう帰りたいよぉ……」
「私も帰りたいけど、外も暗いじゃん!」
「ここまで来たんだし、もう少しだけ頑張ろう?」
「ユメ先輩も震えてますよね!?」
「それはそれ、これはこれ!」
四人が小声で揉めている様子を見て、先生は困ったように笑った。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だって。古い建物なんだから、風とかで扉が――」
「先生」
その言葉の途中で、今度はセリカが先生の袖を掴んだ。
「ん?」
「今、向こうで何か動かなかった?」
セリカがライトで指した先には、研究室から別の通路へ続く開いた扉がある。
先生もそこへ明かりを向けたが何もいない。暗闇が続いているだけだった。
「……気のせいじゃない?」
「ならいいけど」
セリカはまだ少し気になるようだったが、いつまでも一箇所に留まるわけにもいかず、一行は研究室を後にした。
さらに奥へ進むにつれ、施設はただの列車格納庫というより、巨大な兵器工廠と呼んだ方が似合う構造へ変わっていった。
天井から吊り下げられた大型クレーン。普通の列車部品とは思えない巨大な金属製パーツを固定するための設備。
壁の中を這うように伸びている太い電力ケーブル。
何十年も前に放棄されたはずなのに、設備そのものはかなり大規模なものが残されている。
「これを全部動かしていたの?」
現地ヒナはライトを上へ向け、天井付近まで続く巨大な配線を見上げた。
「相当な電力が必要になるわね」
「列車一台を整備するための設備じゃないわね」
ヒナも同意する。
「シェマタがここで造られていたなら、この規模にも説明はつくけれど」
マコトが心底うんざりしたように息を吐いた。
「まったく……調べれば調べるほど雷帝の置き土産が増えていくではないか」
「私に言われても困るわ」
「分かっている! ただ愚痴くらい言わせろ!」
現地ヒナも珍しくそれ以上は咎めず、疲れたように小さく息を吐いた。
その時だった。
――ズズズズズ……。
足元が僅かに揺れた。
「……地震?」
先生が立ち止まる。
「違う」
スオウが即座に否定した。
「揺れ方が一定じゃない。何かが移動している」
言葉が終わる前に、今度は先ほどよりも明確な振動が建物全体を襲った。
――ズズズズズズ……。
壁や床が低く唸り、天井に積もっていた埃がぱらぱらと落ちてくる。遠くでは何か巨大な金属が共振するような音まで聞こえた。
「な、何!?」
先ほどから怯えていた四人は、反射的にさらに強く抱き合った。
「外からです!」
アヤネが震えながらも端末を確認する。
「建物の外で何か大きなものが動いてます!」
「見に行く?」
先生が近くの窓へ視線を向けた。
「行きたくないよぉ……」
ヒカリが本気で嫌そうな声を出す。
「でも、見ない方がもっと怖いでしょ!」
ノゾミに押されるようにして、ヒカリ、ユメ、アヤネも一緒に窓際へ近づいていった。
窓ガラスは砂埃に覆われ、外の景色はかなり見づらい。四人は袖や手で汚れを拭いながら、恐る恐る外を覗き込む。
広がっているのは、昼間とはまったく違う姿を見せる夜の砂漠だった。
辺りに人工的な明かりは一つもない。
雲の切れ間から差し込む月明かりだけが、白く砂丘を照らしている。
「何も……いない?」
ユメが少しだけ安心したように言う。
その瞬間、遠く離れた砂丘の一部が、ゆっくりと持ち上がった。
「…………」
四人の表情が固まる。
最初は砂が崩れただけにも見えた。
だが違う。盛り上がった砂の下を、何か途方もなく巨大なものが移動している。
やがてそれは砂の中から一部だけ姿を現し、月明かりの下に長大な影を落とした。
蛇のように細長い何か、しかし生物とは思えないほど巨大で、硬質な輪郭を持っている。
昼間、列車の線路を地面ごと引き裂いたもの。
臨戦ホシノたちが「心当たりがある」と言っていた存在。
それが今、月明かりの中をゆっくりと移動していた。
「…………っ!」
ヒカリが息を呑む。
ノゾミの顔から血の気が引き、ユメとアヤネも完全に硬直した。
四人とも、次の瞬間には悲鳴を上げていただろう。
だがその直前、自分たち以外、誰もいないと思っていた暗い施設の中から別の音が耳へ届いた。
「来たか……ビナー」
どこか神秘的で尊大な声。
まるで外に現れた巨大な存在がここへ来ることを、最初から知っていたかのような口調だった。
「待っていたぞ」
「…………」
先生たちも、それまで見ていた窓の外からゆっくりと視線を逸らす。
今度こそ、誰一人として気のせいだとは言わなかった。
施設の中に、自分たち以外の誰かがいる。
しかもその何者かは、外に現れた巨大な存在を知っている。
先生は無意識に息を潜め、隣室へ続く暗い扉を見つめた。
臨戦ホシノとシロコテラーはすでに警戒するように身体の向きを変え、ヒナも静かに武器へ手を掛ける。
マコトと現地ヒナの表情からも、先ほどまであった余裕が消えていた。
誰もすぐには動けなかった。
目の前の壁の向こうに何がいるのか。
外にいる巨大な存在と、一体どんな関係があるのか。
答えはまだ何一つ分からない。
先生たちは誰からともなく身構えながら、声の聞こえた隣室へ静かに視線を向けていた。
先ほどまで幽霊だの何だのと騒いでいた空気は、もうどこにも残っていない。
外には、昼間に線路を地面ごと引き裂いたと思われる巨大ななにか。しかも隣の部屋には、その存在を「ビナー」と呼び、まるで最初から現れることを知っていたかのように待ち構えている何者かがいる。
偶然ここへ迷い込んだ人物とは到底思えなかった。
「先生、下がって」
ヒナが声を潜めながら先生の前へ立つ。現地ヒナも反対側から周囲を警戒し、臨戦ホシノとシロコテラーもいつでも飛び出せるように武器へ手を掛けた。
マコトも普段のような大仰な態度は鳴りを潜め、隣室から聞こえてくる声に神経を集中させている。
「ビナー……とか言ってたな。少なくともあの巨大なものを知っている奴が隣にいるということだけは確かだ」
「それも、待っていたみたいね」
現地ヒナの言葉に、周囲の警戒が一段階強まった。
誰も動こうとしない中、隣室から再び声が響いた。
「長き砂漠を越え、我が求めに応じてここへ至ったか。汝の働き、確かに見届けた」
誰かに命令するというより、まるで世界そのものが自分へ従うことを当然としているかのような口調。その声だけを聞けば、外にいる巨大な存在の主と呼ばれても不思議ではない。
「……なんか、凄い人がいるね」
先生が小声で呟く。
「先生、そんな感想を言ってる場合じゃないですよ!」
怖さのあまりユメへ抱きついたままだったアヤネが、声を抑えながら必死に突っ込んだ。
「だって気になるじゃん」
「やめようよー! 絶対ヤバい奴だよー!」
ヒカリはノゾミの腕へしがみついたまま、半泣きになっている。
しかし、次に聞こえてきた言葉は、そんな彼女たちの緊張をさらに煽るものだった。
「さあ、私へ渡すがいい」
「…………」
先生たちの表情が引き締まった。
何かを受け取るつもりらしい。こんな人気の無い所で一体何を受け取るのか。
月明かりの下に現れた巨大なロボットがわざわざ運んでくる物となれば、ろくでもないものである可能性の方が高い。
「とりあえず確認するよ」
先生が囁く。
「危ないと思ったらすぐ引くからね!」
ヒナに釘を刺され、先生は素直に一歩下がった。
それでも好奇心までは抑えられず、一行は足音を殺しながら隣室へ続く壁際へ近づいていく。
そこには外へ面した大きな窓があった。
先生がまず窓枠の端から慎重に顔を出し、その後ろから現地ホシノやヒナたちも少しずつ外を覗き込む。
「…………」
先生の目に、月明かりの中へ立つ一人の少女が映った。
腰よりも遥かに長い白髪。
白を基調とした無機質で独特な衣装。
その細い身体の周囲には、黒と白のファンネルのようなものがいくつも浮遊している。
そして何より目を引くのは、その頭上に幾何学的な線が複雑に絡み合った、橙色に輝く巨大なヘイローだった。
暗い砂漠の中では、その姿だけが異様なほど鮮明に浮かび上がっている。
「…………」
先生はその姿を見て、不思議そうに眉を寄せた。
初めて見るはずなのに、何故かどこかで見覚えがあったからだった。
「……君は…どこかで……」
そう小さく呟く。
だが記憶を辿るより先に、目の前で別の動きがあった。
ビナーと呼ばれていた巨大なロボットの大きな口から、白い少女の前へ何かを差し出したのである。
「…………?」
その何かは、遠目には四角い紙袋のように見えた。
そても兵器には見えない。
重要機密を保管するケースにも見えない。
「……なんかいい匂いしない?」
先生が鼻を動かした。
「先生、こんな時に何を――」
セリカも途中で言葉を止めた。
「……するわね」
砂漠の夜風に乗って漂ってくる、油と焼いた肉の香ばしい匂い。
どう考えても。
兵器から漂う匂いではない。
白い少女は、ビナーから差し出された大きな紙袋を両手で受け取った。
「ご苦労だった、ビナー」
まるで神が忠実な眷属の働きを労うかのように、ゆったりと頷く。
「長き道程を経ながら、私が求めたものを一つたりとも損なわず届けたこと……賞賛に値する」
「…………」
先生たちは固唾を呑んで見守る。
白い少女が紙袋へ手を入れて最初に取り出したのは、ハンバーガーの包み紙だった。
その光景に先生が瞬きをする。
続いて取り出されたのは、山盛りのポテト。
最後に袋の奥から慎重に持ち上げたのは、かなり大きな紙コップだった。
少女はそれを月明かりへ掲げ、どこか満足そうに目を細める。
「ふっ……夜の帳の中でさえ私の目からは汝は輝いて見える」
そうしてニコニコ顔でストローを挿してコーラを飲み始めた。
「……ご飯ですかね?」
アヤネが思わず漏らす。
「ご飯みたいだねぇ……」
現地ホシノも何とも言えない顔で答える。
あれほど不穏な台詞を口にし、巨大なロボットまで呼び寄せていたというのに、その目的がどうやら夜食の受け取りだったらしい。
白い少女は先生たちが勝手に困惑していることなど知る由もなくポテトをパクついていた。
「流石はマルクトだ。品質管理に問題なし。時間が経過しても、ポテトの食感も許容範囲内に保たれているな」
そうして様子を窺っていると少女の動きが止まった。
「先ほどから視線を感じるが出てこないのか…?」
「あ、バレた……!?」
先生が口を押さえるがもう遅い。
少女はハンバーガーとコーラを手にしたまま、ゆっくりとこちらに視線を向ける。
橙色の瞳が真っ直ぐにこちらへ向いた。
「…………」
窓から顔を覗かせていた先生たち。
「…………」
夜食を受け取ったばかりの謎の白い少女。
互いに目が合った。
すると、向こうは特に気にもせずに食事を再開した。
「なんだ、先生か」
「え?」
先生が目を丸くする。
「私を知ってるの!?」
「当然だ」
少女は、何故そんな当然のことを聞くのかと言いたげに答えた。
「まさか、このような場所で再び汝と相見えるとはな」
「再び?」
後ろにいた面々が、一斉に先生を見る。
「先生、知り合いなの?」
ユメに聞かれ、先生は困ったように首を傾げた。
「知り合い……なのかなぁ。なんか声は聞いたことあるような気がするんだけど……」
あと少しで何か思い出せそうだった。
そんな先生を見つめたまま、少女はしばらく沈黙した。
「まぁよい。積もる話は後だ」
「え?」
「今の私には、より優先すべき事柄がある」
先ほどまでの再会など些事だと言わんばかりに視線を落とし、手に持っていたハンバーガーへ意識を戻す。
先生は思わず聞き返した。
「優先すべきこと?」
「そうだ」
少女は厳かに告げた。
「空腹を満たす」
「…………」
その場にいた誰もが、また黙った。
本人だけは至って真剣だった。
「生命活動を必要とせぬ私であろうとも、食を楽しむ権利まで放棄した覚えはない。熱せられた肉とパン、油で揚げられた芋、そして炭酸と甘味を兼ね備えた至高の飲料――これらが生み出す調和を前に、余計な説明など必要ない」
「めちゃくちゃ熱弁するじゃん……」
先生が思わず呟く。
「刮目せよ。これこそ――」
少女がドヤ顔で巨大なコーラを高々と掲げた。
「コーラだ!」
「それは見れば分かるよ!」
とうとう先生が耐え切れず突っ込んだ。
そこでふと、もう一つの疑問が頭に浮かぶ。
「……あのさ」
「何だ、先生」
「そのハンバーガーとかって……誰が持ってきたの?」
「ビナーだが?」
「…………」
即答だった。
先生が、ゆっくりビナーを見る。
月明かりの下、途方もなく巨大な身体を持つ蛇型の機械が、何事もなかったかのように砂漠へ佇んでいる。
線路を地面ごと引き裂いたと思われる、あの巨大な存在がまさか…。
「ちょっと待って……この子、配達員なの!?」
夜の砂漠に、先生の叫び声が響き渡った。