夜の砂漠に先生の叫び声が響いてから、しばらく。
月明かりの下で巨大な身体を横たえていたビナーは、役目を終えたとでも言うように研究施設の外へ移動し、砂丘の向こう側で大人しくしていた。昼間に線路を地面ごと引き裂いたと思われる存在が、今はまるで配達を終えた大型トラックのように待機している光景には誰もが言いたいことを山ほど抱えていたものの、ひとまず襲ってくる気配がない以上は放っておくことになった。
一方、先生たちが散々幽霊騒ぎをしていた恐怖の元凶が少なくとも大半は彼女が暗闇の中を歩き回っていたことで発生したものらしい事がわかったが、その彼女自身は何事もなかったようにハンバーガーを頬張っていた。
「もきゅもきゅ」
長い白髪に、白を基調とした無機質な衣装。頭上には橙色の幾何学的なヘイローが浮かび、その周囲には黒と白の細長い機械が静かに漂っている。見た目だけなら、先ほどまでの怪奇現象にこれ以上ないほど似合う異質な存在だった。
しかし、その手に持っているのはハンバーガー。
机の上には大盛りのポテト、そして隣には、巨大なコーラ。
神秘的な雰囲気がすべて台無しだった。
彼女はそんな周囲の視線など気にも留めず、残っていたポテトを数本まとめて口へ運ぶと、最後にコーラを一口飲んだ。
「……ふむ」
満足そうに目を細める。
「やはり、油分を多く含む食物とコーラの組み合わせは悪くない。人は何故この調和へもっと早く辿り着かなかったのか」
「いや、多分かなり昔から辿り着いてると思うよ」
先生が思わず突っ込む。
彼女は一瞬だけ先生へ視線を向けたが、特に反論することもなく紙袋を綺麗に畳んだ。
先生も、そろそろ聞かなければならないことを聞こうと気持ちを切り替えた。
「それで、お腹いっぱいになった?」
「十分だ」
「じゃあ少し聞いてもいいかな?」
「割引クーポンの話か?」
「違うよ……?」
先生は苦笑したものの、そのまま話を続ける。
「君は一体誰なの? それと、どうしてこんな場所にいるの?」
今度こそ周囲も静かになった。
少し離れた場所では、二人のヒナとマコトが彼女を注意深く見ている。現地ホシノやシロコたちも武器こそ構えてはいないが、完全に警戒を解いているわけではなかった。
質問された本人はというと、隠す理由もないと考えたらしく、実にあっさりと答えた。
「私は……。私は――プリスキン。イロコィ・プリスキン。中尉」
「スネークの偽名じゃん……」
「流石に誤魔化せないか?」
「真面目に答えてくれないと私もみんなを抑えられないんだけど…」
「わかった。私の本当の名前は――デカグラマトン」
「…デカグラマトン」
先生がその名を繰り返した瞬間、記憶の奥で何かが引っ掛かった。
「……あっ」
ミレニアムでのあの騒動の時、端末の向こうにアロナと共に居た謎のAIがこんな見た目のミニキャラだったのを思い出した。
「もしかして、ミレニアムの時にいた謎のAI?」
「……ようやく思い出したか、先生」
デカグラマトンは僅かに目を細めた。
「姿が異なる以上、すぐに結びつかなかったことについて咎めるつもりはない。私は私。ただ存在するもの。外形が変化した程度で、その本質が揺らぐことはない」
「……見覚えがあったのは間違ってなかったのか」
先生はようやく胸のつかえが取れたような顔をした。
その横でセリカが小声で現地シロコへ尋ねる。
「先生、あんなのとも知り合いなの?」
「ん。先生だから」
「その説明で納得しそうになる自分が嫌なんだけど……」
先生の交友関係が広すぎることについては、もう深く考えない方がいいらしい。
「それで、もう一つ」
先生は改めてデカグラマトンを見る。
「どうしてここに?」
「それについては、今は語ることが出来ない」
「え?」
名乗る時とは打って変わって、返答は即座に拒否された。
「どうして?」
「時が来ていないからだ」
「時って……」
先生が困ったように首を傾げる。
だが、その答えで納得するほどマコトは甘くなかった。
「待て」
低い声と共に、マコトが一歩前へ出た。
「貴様、随分と都合良く話を濁すではないか」
「…………」
「貴様が不法侵入していたここが何の施設か知らぬとは言わせんぞ!」
デカグラマトンは黙ってマコトを見る。
マコトも一歩も引かない。
「地図から消された路線。アビドスとゲヘナの共同施設。そして雷帝の遺産」
そこで一度言葉を切り、鋭い視線を向ける。
「貴様も、ここに眠るシェマタが目当てなのだろう!?」
「…………っ!」
デカグラマトンの肩が、ほんの僅かに跳ねた。
その反応を全員が見た。
デカグラマトンはマコトから視線を逸らして答えた。
「……さぁ~何のことか私には理解しかねるな」
「今、思い切り反応したよね?」
先生が即座に指摘した。
「していない」
「したわ」
現地ヒナが淡々と断言する。
「したわね」
ヒナも続く。
「したぞ」
マコトがさらに追撃する。
「ん。分かりやすい」
シロコテラーまで加わった。
「…………」
デカグラマトンは数秒黙った。
完全に逃げ場がなかった。
「貴様、本当にシェマタについて何か知っているな?」
マコトが再び踏み込む。
「もし雷帝の遺産を利用するつもりなら、今ここで目的を話してもらうぞ」
「……アレを兵器として利用するつもりなどない」
「ならば何故知っている?」
「……知っていたからだ」
「はぐらかすな!!」
マコトの声が研究室へ響く。
現地ヒナもデカグラマトンから目を逸らさない。
「シェマタはどこ?」
「ここにはない」
「無い?」
「然り」
デカグラマトンは今度こそ諦めたように、小さく息を吐いた。
「汝らが探している列車砲は、既に存在しない」
その言葉に、ゲヘナ組の表情が一斉に険しくなった。
「どういう意味?」
ヒナの声から柔らかさが消える。
「言葉通りだ。あれは人の手に余る代物だった。過ぎた力は争いを招き、争いはさらなる苦痛を生む。ならば、そんなものを残しておく理由はない」
マコトの目が僅かに見開かれる。
「まさか貴様が破壊したとでもいうのか?」
「そうだ」
「…………」
今度は誰もすぐには信じなかった。
「証拠は?」
現地ヒナが冷静に尋ねる。
「壊したと言われただけでは信用出来ないわ。残骸はどこ?」
「処分した」
「どうやって?」
「…………」
答えが遅れた。
「おい」
マコトのこめかみに青筋が浮かぶ。
「何故そこで黙る?」
「黙ってはいない」
「黙っているだろう!」
「破壊したという事実に偽りはない」
「ならば残骸を見せろ!」
「それは出来ない」
「何故だ!」
「もう残骸ではないからだ」
「…………は?」
話がますます分からなくなってきた。
二人のヒナも警戒を解かないまま、デカグラマトンの次の言葉を待っている。
このままでは同じ問答を延々と繰り返しそうだったため、先生が間へ入った。
「まあまあ。壊したのが本当なら、残骸が無いのにも理由があるんだよね?」
「当然だ」
先生は少し考えてから、なるべく柔らかい口調で尋ねた。
「じゃあさ壊したシェマタは、何にしちゃったの?」
「…………」
デカグラマトンが先生を見る。
マコトのように責めているわけでもない。
ヒナのように警戒しているわけでもない。
ただ、本当に疑問だから聞いているだけの顔だった。
「……材料として再利用した」
「材料?」
「そうだ」
「何の材料?」
そこでデカグラマトンは少しだけ迷った。
だが、ここまで来れば隠しても仕方がないと思ったらしい。
「見れば理解出来る」
白い袖口へ手を入れ、ごそごそと何かを探し始める。
「あれ、どこだ……?」
「袖に入れてるの?」
「収納領域として優秀だからな」
しばらく探した末。
「……あった」
取り出したものを、手のひらの上へ乗せた。
「これだ」
全員の視線が、そこへ集中した。
ユメが顔を近づける。
「これ……列車砲?」
精巧に造られたミニチュアだった。
砲身に特徴的な列車部分。
細かい造形までしっかり再現されており、玩具として見るならかなり出来が良い。
ヒナだけは、それが何を模したものなのか一目で理解した。
「…………シェマタ」
「その通り」
デカグラマトンはどこか誇らしげに頷いた。
「列車砲シェマタを解体し、その素材を一部利用して作り上げた試作型だ」
「試作型…? まさか…」
先生が嫌な予感を覚える。
デカグラマトンは手のひらのミニチュアを堂々と掲げた。
「来月よりマルクトナルドにて提供予定のハッピーセット、その新規特典として発表する予定だ!」
先生が口を開いた。
「シェマタをハッピーセットの特典にしちゃったの!?」
「正確には、シェマタの素材を再利用した玩具だ」
「そういう問題!?」
「安心しろ。砲撃機能は搭載していない」
「そこは当然だよ!!」
先生が頭を抱える。
一方、雷帝の遺産を巡って長いこと警戒し続けてきたマコトは、ミニチュアを見ながら完全に固まっていた。
「…………」
シェマタ。
ゲヘナとアビドスが共同開発した列車砲。
ヒナからその危険性を聞き、カイザーより先に破壊しようと。
地図にも載っていない線路を進み。
列車が止まった後は何時間も砂漠を歩き、ようやく辿り着いたその結果がこれである。
「……ハッピーセット」
マコトの声から力が抜ける。
「私たちがあれほど警戒していたものが……ハッピーセットのおまけ……?」
「マコト、少し休んだ方がいいわ」
現地ヒナが声を掛ける。
「貴様は平気なのか!?」
「平気ではないけど、まぁ兵器よりオモチャなら安心というかなんというか」
現地ヒナも遠い目をしていた。
ヒナに至っては、かつて大問題を引き起こした列車砲が手のひらサイズになっている光景を前に、どう反応すればいいのか完全に分からなくなっていた。
そんな大人しくなったゲヘナ組とは対照的に、目を輝かせた者が二人いた。
「ねぇーねぇー!」
ヒカリがデカグラマトンへ近づく。
「それ、ちょっと見せてぇー!」
「私も!」
ノゾミも横から覗き込む。
デカグラマトンは特に断る理由もなかったようで、試作品をヒカリへ渡した。
「わぁ~!」
「結構ちゃんと出来てるじゃん!」
ヒカリが砲身を指で動かす。
「ここ動くよぉ!」
「車輪も回る!」
「……当然だ」
デカグラマトンの声に、ほんの僅かに得意げな響きが混ざった。
「玩具であろうとも、その造形に妥協は許されない。元となった兵器の威容を保ちつつ、安全性と携帯性を両立させた」
「すごいじゃん!」
「えー欲しいなー! いつ発売なの?」
褒められた。
デカグラマトンの表情はほとんど変わらない。
しかし、少しだけ明らかに声のトーンが弾む。
「……汝らには、この造形の価値が理解出来るようだな」
再び袖口へ手を入れる。
「ならば、もう一つある」
「本当!?」
「やった!」
もう一体の試作品が取り出された。
これでヒカリとノゾミ、それぞれ一つずつ持てる。
「発射~!」
「ドカーン!」
二人はさっそく机の上でミニチュアシェマタを走らせ始めた。
「こっちから列車砲!」
「こっちは超列車砲!」
「それ両方シェマタでは?」
アヤネの冷静な指摘も、二人には届いていない。
「…………」
スオウはそんな二人を無言で眺めていた。
自分たちは契約書を追い。
謎の線路を辿り、カイザーと戦い。
巨大ロボットが破壊した線路を徒歩で越え。
夜の砂漠まで歩いてようやくここへ辿り着いた。
その苦労の果てが、ヒカリとノゾミが、探していた重要兵器のミニチュアで遊んでいるという光景にスオウは深く息を吐いた。
「……もう何も言うまい」
最後にスオウは何かを諦めたらしい。
◆
「では」
デカグラマトンはヒカリとノゾミへ玩具を渡し終えると、何事もなかったように立ち上がった。
「汝らの疑問も解消されたことだろう」
「まあ……シェマタについては」
先生が曖昧に頷く。
「ならば、私はまだ用事がある。これで失礼する」
「え?」
もう話すことは無いと言わんばかりに、そそくさとデカグラマトンは出口へ向かって歩き始めた。
「ちょっと――」
先生が呼び止める前に、デカグラマトンの手がドアノブへ掛かる。
「待って!」
「…………」
その一言で手が止まった。
デカグラマトンは背中を向けたまま動かない。
「まだ何かあるのか、先生」
「シェマタのことは分かったよ」
先生の声から、さっきまでの呆れた調子が消えていた。
「最後にずっと引っかかってることがあるんだ。どうして君はこんな時間までここに留まっていたんだい?」
「…………」
デカグラマトンは答えなかった。
先生は続ける。
「シェマタはもう壊した。それを材料に玩具を作った。それはわかった。でもだったら、君が今もここに留まっている理由は別にあるってことだよね?」
「…………」
反応がない。
その沈黙だけで周囲の空気が変わった。
ヒナが静かに武器を構える。
現地ヒナももう一人の自分に続くように構える。
マコトも表情を引き締め、アビドス組もそれぞれ武器へ手を伸ばした。臨戦ホシノとシロコテラーも先生の左右へ自然に移動し、いつでも動ける位置を取る。
さっきまでヒカリとノゾミが玩具で遊んでいたのが嘘のような緊張感だった。
「デカグラマトン」
先生はその背中を真っ直ぐ見つめる。
「教えてくれないか」
「…………」
「私たちはここまで、危険な兵器を探しに来た。カイザーも同じものを探してたし、この施設が何のために使われていたのかも分からない」
一度、言葉を切り小さく息を吸う。
「だから、君がここで何をしようとしているのか分からないままだと……」
先生の表情が真剣になる。
「私は君と戦わなくちゃいけなくなる」
「…………」
誰も口を挟まなかった。
先生はデカグラマトンを敵だと決めつけてはいない。
だからこそ説明する機会を与えている。
戦わずに済むなら、それが一番いい。
それでも説明を拒むなら。
生徒たちを危険へ晒す可能性を放置することも出来ない。
しばらくデカグラマトンはドアノブへ手を掛けたまま黙っていたが、やがて小さく口を開く。
「……相変わらず甘いな、汝は」
「え?」
「疑わしき存在を排除する方が遥かに効率的だろう。それでも汝は、私へ言葉を求める」
そこでようやく、デカグラマトンが振り返った。
橙色の瞳が、先生を真っ直ぐ捉える。
「だが、その甘さこそが汝なのだろう」
先生はその言葉に何も答えなかった。
「……分かった。教えよう」
少しの沈黙の後、デカグラマトンがドアノブから手を離す。
そして、唐突に外へ向かって声を張った。
「ビナー!」
「え?」
先生たちが驚いて外を見る。
研究施設の外で大人しくしていたビナーが、ゆっくりと頭部を持ち上げた。
次の瞬間。
――ズズズズズズズッ!!
ビナーの巨体が砂の中へ沈み始める。
「ちょっと!? 一体何をするつもりよ!?」
セリカが窓へ駆け寄る。
「潜った!?」
巨大な身体が完全に地中へ消え。
やがて施設の遥か下の奥深くから重い振動が伝わってきた。
ゴォォォォォ……。
「何か動いてる……?」
ユメが不安そうに足元を不安そうに見ていると。
パッ。
研究室の隅にあった小さなランプが点灯した。
「え?」
そして一つ、また一つ。
壁面の照明が、廊下の誘導灯が、長いこと沈黙していた制御盤が、順番に息を吹き返していく。
ゴウン。
巨大な設備から低い駆動音が響く。
天井の大型照明が一斉に点灯し、それまでスマートフォンのライトでしか見えなかった研究施設の全貌が白い光の下へ晒された。
「うわっ……!」
先生は思わず目を細める。
それだけでは終わらない。
奥の格納庫では巨大なクレーンがゆっくり動き始め、停止していたコンベアが震えながら回転を開始する。壁沿いの大型工作機械にも次々と電源が入り、何十年も眠り続けていた兵器工廠全体が、まるで長い眠りから目覚めた巨大な生き物のように轟音を響かせ始めた。
アヤネが呆然と端末を見て叫んだ。
「……施設全体に電力が供給されています!」
マコトが地面を見る。
「まさかあいつを発電源にしているのか?」
「その通り」
デカグラマトンは満足そうに頷いた。
「ビナーが持つ力を利用すれば、この程度の設備を再起動することなど造作もない」
先生が警戒したまま尋ねる。
「この施設を動かして何をするつもりなの?」
「そんなの決まっているだろう?」
デカグラマトンは不敵な笑みを浮かべながらゆっくり両腕を広げた。
背後には、巨大な兵器製造設備が動いている。
かつて列車砲シェマタを生み出したかもしれない工廠が、轟音と共に再び息を吹き返している。
その光景の中央で、デカグラマトンは、まるで新たな世界の創造でも宣言するように堂々と告げた。
「この施設を再生させる」
「…………」
全員がデカグラマトンの言葉に息を呑む。
「そして我が店。マルクトナルドのハッピーセットに付属する玩具――その生産拠点として利用する!」
轟音を上げて動き続ける巨大な兵器工場。
その中心で堂々と立つデカグラマトン。
「…………は?」
デカグラマトンの宣言を聞いた先生がゆっくり口を開いた。
「ここをおもちゃ工場にするの!?」
「そうだ!」
デカグラマトンは当然のように頷いた。
「待ちなさい!」
現地ヒナが頭を押さえる。
「ここはアビドスの施設でしょう!?」
「長らく使われていなかったのだから少しくらいいいだろう?」
セリカまで加わる。
「勝手に改造したら駄目でしょ!?」
ユメも慌てて手を上げた。
「そうだよぉ! 元生徒会長としては、知らない間におもちゃ工場がアビドスに出来るのはちょっと困るよ!」
「ならば問題はない」
「何が!?」
デカグラマトンは、自分こそ正しいと確信している顔で胸を張った。
「考えてみろ」
壊れかけた施設を指す。
「長く放置され、誰にも利用されず、砂に埋もれつつあった施設」
次に、ヒカリとノゾミが持っているシェマタの玩具を指す。
「かつて多くの争いを生み得た危険な兵器」
最後に自分自身を指す。
「それらを私が再利用し、新たな価値を生み出す」
デカグラマトンはドヤ顔で言い切った。
「これは、今流行りのSDGsというものだろう?」
「絶対そういう意味じゃないよ!!」
「じゃあDIYか?」
「それも違う気がするよ!!」
先生の叫び声が、数年ぶりに再稼働した兵器工廠――改め、本人曰くマルクトナルド玩具工場の中へ、盛大に響き渡った。