混沌とした空間の中で、地下生活者は長いこと盤面を睨み続けていた。
本来ならば、ここまで苦戦するはずではなかった。
むしろ最初の段階では、自分こそが物語の外側から全てを見下ろし、必要な時に必要な駒へほんの少し指を触れるだけで、望む結末へ導けるのだと確信していた。
小鳥遊ホシノの過去に残された傷。
アビドス高等学校の抱えた借金。
砂漠横断鉄道計画と列車砲シェマタ。
多少の予定外が生じようとも修正など容易い。そう考えていた。
だが、実際に始まってみればどうだったか。
「…………」
地下生活者の前には、これまでに起きた出来事がいくつもの情報として浮かんでいた。
最初に利用するつもりだったアビドスの債権。
カイザーが市場へ流し、そこから新たな火種を生むはずだったそれは、聞いたこともない元カイザーPMCの理事によって丸ごと買い取られた。
しかも買っただけではない。四億五千万円という巨額を支払い、何の見返りも求めず、そのまま権利そのものを握り潰した。
「……今思い返しても意味が分からない」
そこから既におかしかった。
ならば先生自身を盤面から消してしまえばいい。
そう考えて仕掛けた事故。念入りに条件を整え、警戒していた者たちの意識にすら干渉し、ようやく作り上げた絶好の機会だった。
先生は執務室にて一人で眠っている。
逃げる余地などないはずだった。
「それなのに……」
先生は生き延びていた。
しかも、ほとんど怪我すらなく。理由を調べれば、よりにもよって爆発直前に防衛室長が先生を仮眠室へ運び出していたという。
「何故なんだ……」
未だに理解出来ない。そんな偶然が立て続けに起こるのか?
盤面へ指を伸ばすたび、その指先のほんの僅か手前で誰かが勝手に別の行動を取る。
さらに極めつけが梔子ユメの存在だった。
「…………」
地下生活者は、彼女の情報を表示する。
梔子ユメ。
アビドスの元生徒会長。
小鳥遊ホシノにとって、過去を形作る上で決して切り離すことの出来ない存在。
失われているからこそ意味がある。
もう言葉を交わせないからこそ、残された後悔や疑問が傷となって小鳥遊ホシノの中へ残っているはずだった。
「何故、生きているんだ……?」
地下生活者は両手で頭を抱えた。
最初に確認した時は、自分の情報が間違っているのだと思った。だが何度調べても梔子ユメ本人。偽物でもなければ、似た別人でもない。
そして改めて先生の周辺について情報を集め直した結果、一つの不可解な事実へ辿り着いた。
「……募集?」
先生が持つという、謎の機能。
それを使用することで、時には本来この場に存在しないはずの生徒さえ呼び出しているらしい。
同一人物が二人になる事もある。
未来を知っている者が来ることもある。
別の時間を経験した者が助けてくれることもある。
地下生活者はしばらくその情報を読み込んでいた。
「まさか……」
一つの仮説が頭の中に浮かぶ。
梔子ユメも先生がその『募集』とやらで呼び出したのではないか?
そう考えた瞬間、絶叫が響き渡った。
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!? 何なんだその力はぁぁぁ!! チートではないのか!!?」
地下生活者は勢いよく立ち上がり、目の前にあった盤面を乱暴に叩いた。駒が跳ね、いくつかは盤外へ転がっていく。
「死んだ人物! 未来の人物! 別の可能性! 何でも呼び出していいなら物語など成立しないでしょうが!!」
近くにあった駒を掴んで投げつける。
「こんなので勝って何が楽しいんだ!!? ルールを守れ!! 小生はちゃんと盤面の駒を動かしているでしょう!!」
もっとも、他者の思考を誘導し、混沌の領域から一方的に現実へ干渉し、先生を事故に見せかけて爆殺しようとした人物が何を言っても説得力など微塵も無かった。
当然、その矛盾を指摘する者もこの場にはいない。
しばらくの間、地下生活者は好きなだけ暴れ回った。物を投げ、頭を抱え、床を踏み鳴らし、最後には肩で荒い息をしながらその場へ座り込む。
「……はぁ……はぁ……」
感情に任せて散々暴れたことで、ようやく少しだけ頭が冷えてきた。
乱れた盤面へ目を向けると、やがて地下生活者の口元が僅かに持ち上がった。
「……まあ、いいでしょう」
倒れていた駒を一つ拾い上げ、元の位置へ戻す。
今まで抱いていた怒りが完全に消えたわけではない。
しかし、地下生活者には狙いがあった。
「小生には、まだ最後の一手が残されているのですから」
盤上に置かれた一つの駒。
朝霧スオウ。
彼女へ仕込んだ思考誘導は今も機能している。
自分の意志だと思わせたまま、違和感すら抱かせず、砂漠横断鉄道、古い契約、そしてシェマタへと少しずつ意識を向けさせる。
その結果、彼女は既にアビドスへ赴き、先生たちと行動を共にしながら列車砲を探し始めている。
「そう……それでいい」
地下生活者の機嫌が目に見えて戻っていく。
多少予定と異なる人物が混ざっていようとも。
先生が生きていようとも。
ユメが何故か復活していようとも。
最後に必要な場所へ辿り着かせればいい。
「物語には、必ず収束点がある」
ならば少しだけ外から刺激を与えればいい。
地下生活者は今度はカイザーへ意識を向けた。
「さて……」
彼らにも、アビドスのどこかにとんでもない兵器が眠っている。
その程度の情報を掴ませれば十分だった。
カイザーならば必ず食いつく。
「まあ、カイザー如きに先生たちを止められるとは最初から思っていませんがね」
以前までとは違い、今度は油断などしない。
何度も予想外を見せられたのだ。ならば、最初からカイザーには大した期待をしなければいい。
「あれはただの障害物です。少し時間を浪費させれば、それで十分」
本命はその先にある。
シェマタ。
かつてアビドスと雷帝の手によって生み出された列車砲。
長い年月放置された影響で、現在の状態は決して良好とは言えない。
まともな整備すらせず、必要な点検も行わず、そのまま起動して砲撃すればどうなるかなど考えるまでもない。
「ヒヒヒヒヒ、事故が起きるでしょうねぇ」
地下生活者は楽しそうに笑った。
むしろ、それがいい。
スオウへ最後の一押しを与え、シェマタを発射させる。
砲撃が成功すれば、それはそれで盤面が大きく動くし、失敗したならば暴発、大破、施設崩壊。
何が起きても構わない。
「どちらでも、小生に損はありません。……あわよくば、先生もろとも」
現場に居る大勢が巻き込まれる可能性がある。
そう考えると地下生活者は満足そうに頷いた。
これまで何度も修正を迫られ、その度に予定を狂わされてきた。
だが今度こそ、そう考えたその時、新たな情報が入ってきた。
「…………!」
地下生活者はすぐさま内容を確認する。
先生一行は砂漠横断鉄道の旧施設を経由し、古い線路を追跡。その後、徒歩で砂漠を進行し、とうとうシェマタが格納されていたと思われる研究施設へ到達した。
地下生活者の顔に歓喜が浮かぶ。
「ついに来ましたよ!!」
思わず勢いよく立ち上がってしまうくらい浮かれていた。
「長かった……本当に長かった……!」
ここまで幾度も予定外に邪魔された。だが結局、最後にはここへ辿り着いた。
「見なさい!」
聞く者など誰もいないにもかかわらず、地下生活者は勝ち誇ったように声を上げる。
「これこそ収束! 物語というものは、多少枝葉が変わろうとも最後には本来あるべき場所へ戻るのです!」
地下生活者は意気揚々と、混沌の領域から現実世界へ視線を繋いだ。
キヴォトス側からは通常認識出来ない、一方的な観測。
これまで何度も利用してきた方法であり、誰かに気付かれたことなど一度もない。
「さあ」
口元を大きく吊り上げる。
「小生の物語の続きを――」
視界が繋がった。
そして最初に目へ入ったのは、長い白髪と巨大な橙色のヘイローを持つ見知らぬ少女だった。
「…………?」
地下生活者の眉が寄る。
「誰ですか、あれは…?」
自分の把握している駒ではない。
しかし、今はそんなことなどどうでもよかった。
重要なのはシェマタだ!
そこから盤面がどう動かすのか、地下生活者はさらに視界を寄せる。
「…………」
白い少女の掌に、何かが乗っている。
随分と小さい何かだったが、その形には強烈な見覚えがあった。
「……ん?」
地下生活者は思わず画面へ顔を近づけた。
「何故……シェマタが小さいんですか!?」
意味が分からない。
そして次の瞬間、白い少女が淡々と告げた。
『汝らが探している列車砲は、既に存在しない』
地下生活者の動きが止まった。
『あれは人の手に余る代物だった。故に既に破壊した』
最初は聞き間違いだと思った。
だが、続いて語られる内容を聞くにつれ、その可能性は容赦なく消えていく。
シェマタは解体された。
素材として再利用された。
そして今、白い少女の掌に載っているのは、その素材を利用して作られた小型の試作品。
『マルクトナルドにて提供予定のハッピーセット、その新規特典玩具として再誕させる!』
「…………」
地下生活者はしばらく声を失った。
自分の最後の切り札の列車砲シェマタ。
事故を起こさせる。
ホシノを揺さぶる。
先生を巻き込む。
それら全ての前提となる兵器が既に解体済み。
現実を認識した地下生活者の口元が震え始める。
「ふ……」
声が漏れる。
「ふーざーけーるーなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
絶叫と共に、地下生活者は再び暴れ始めた。
「何をしているんだ貴様ぁぁぁぁぁぁぁ!!」
目の前の盤面を蹴り飛ばす。
「それは小生の切り札だったんだぞぉぉぉぉ!!」
近くにあった物を掴み、力任せに投げる。
「ハッピーセットだとぉぉぉぉぉ!?」
別の物も宙を舞った。
「人の計画を玩具にするなぁぁぁぁぁ!!」
もはや、自分が物語の外側から全てを操っているという威厳など欠片も残っていない。
地下生活者は頭を抱えて転げ回り、挙げ句の果てには床を何度も叩きながら叫び続けた。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 何なんだ今日は!! 何でこうなるんだぁぁぁぁ!!?」
散々暴れた末、地下生活者は息を切らしながらようやく動きを止めた。
怒りも、悲しみも全部因数分解できたらいいのにと思いながら、理解不能という感情で何もかも混ざり合ったこの感情を収めようとしていた。
「はぁ……はぁ……」
やがて地下生活者は、荒い息を整えながら再び現実世界へ視線を戻した。
そこには、何事もなかったかのようにシェマタのミニチュアを扱っている白い少女の姿がある。
「……あの白い女ぁ!!」
地下生活者の目が恨めしそうに細められる。
自分がどれほど苦労してこの盤面を整えたと思っているのか。
何度も修正を加え、何度も予想外に耐え、ようやくここまで辿り着いたのに。
それを何も知らない相手が勝手にシェマタを解体し、よりにもよって玩具へ変えてしまった。
「…………」
地下生活者は向こうへ向けて、これ以上ないほど恨みのこもった視線を送った。
その時だった、白い少女の橙色の瞳が、ふいにこちらへ向けられた。
「…………?」
地下生活者の動きが止まった。
偶然だ、そう思った。
この領域から行っている観測は、キヴォトス側から認識出来るようなものではない。
これまで何度覗き見しても、誰一人気付かなかった。
今回も同じ、そうでなければならない。
しかし、彼女の視線は明らかに空間の一点を捉えており、それが自分の観測地点と重なっているようにしか見えなかった。
なぜだが嫌な予感が胸の奥に湧き上がる。
さらに、少し離れた場所にいた黒いドレスを身に纏った少女まで、何かを感じ取ったようにゆっくりと顔を上げ真っ直ぐこちらを向いた。
「…………は?」
地下生活者の喉から、情けない声が漏れた。
目が合っている。
流石に気のせいではない!
間違いなく、向こう側から、自分を見ている。
そう認識した時、ただこちらを見ていた白い少女が静かに目を細めた。
『先ほどから……随分と不愉快な視線を向けていたのは、汝か』
「――っ!?」
その言葉を聞いた瞬間、地下生活者の背筋を冷たいものが駆け抜けた。
さらにまで同じ方向を見つめたまま、黒いドレスの少女が小さく口を開く。
『ん。見つけた』
――まずい!
考えるより先に身体が動いた。
地下生活者は即座に観測を打ち切る。
現実世界へ繋がっていた視界が途切れ、混沌の領域は再びいつもの暗闇へ戻った。
「…………」
しばらくその場から動けなかった。
どこにも追跡されている気配はない。
観測経路も閉じた今ならば、大丈夫なはずだ。
「……気のせいのはずだ」
地下生活者は自分自身へ言い聞かせるように呟いた。
「そう。たとえ気付かれたとしても、問題は無いはずだ…」
キヴォトスではない。
通常の座標系すら意味を持たない場所。
向こう側から来られるはずがない。
「ここまで追って来られるはずなど――」
『そのように引きこもってばかりいると、身体に悪いぞ?』
唐突に聞こえて来た声に地下生活者は言葉を失った。
「……え?」
観測は切った。繋がりはもう無い。
それなのに、声だけがはっきりとこの領域へ届いていた。
「何で……?」
地下生活者が知る由も無かったが、キヴォトス側ではデカグラマトンが、先ほどまで地下生活者の視線が存在していた空間へ向けて静かに手を伸ばしていた。
観測そのものは消えている。だが、一度接続した以上、そこには僅かな痕跡が残る。
情報。
経路。
揺らぎ。
普通なら意味を持たないほど微細なものだったが、彼女にとっては十分だった。
「……なるほど」
デカグラマトンの瞳に無数の情報が流れ込む。
見えない向こう側へ伸びていた経路を逆向きに辿り、その先へ存在する異質な領域を突き止める。
「随分と妙な場所に閉じ籠もっていたものだ」
その声に反応し、シロコテラーが隣へ歩み寄った。
「場所、分かった?」
「ああ。完全とは言えぬが、引きずり出すには十分だ」
デカグラマトンは視線を動かし、解析した座標情報をシロコテラーへ教える。
「これでいいかな?」
シロコテラーは僅かに目を閉じ、受け取った情報を確認する。
以前ならば、この世界から外れた場所へ直接干渉することなど出来なかった。
だが今は違う。限定的とはいえ、自分に掛けられていた制限は解除されている。
「ん。ありがとう」
「ならば後は汝に任せよう」
「任せて」
シロコテラーの周囲で、空間が僅かに歪み始めた。
◆
そんな絶望的なやり取りが行われていることなど知らない地下生活者は、自分の領域の中を落ち着きなく歩き回っていた。
「おかしい……」
先ほど届いた声、あれがただの偶然であるはずがない。
「おかしいおかしい……!」
観測経路は既に閉じている。にもかかわらず声が届いたということは、向こう側から何らかの方法でこちらを辿られている可能性がある。
しかし、そんなことが本当に可能なのか。
「いや……出来るはずがない!」
地下生活者は何度も自分に言い聞かせた。
「ここは小生の領域。外からそう簡単に――」
言葉が途中で止まる。
目の前の空間に、小さな亀裂が走った。
「…………?」
最初は錯覚かと思った。
だが細い亀裂は次第に広がり、周囲の空間そのものを押し退けるように歪んでいく。
「何だ、これは……!?」
地下生活者は一歩後退した。
亀裂の向こう側に、黒い色が見える。
混沌の領域そのものとは異なる、人工的に開かれた空間の穴。
その向こう側から、ゆっくりと黒いドレスの少女が姿を現した。
「…………」
地下生活者の顔が引きつる。
「駒如きが小生に手を伸ばすなんて……!?」
シロコテラーだった。
彼女は驚くほど自然な顔で、まるで隣の部屋へ顔を出しただけのようにこちらを見ている。
「ん」
シロコテラーは地下生活者を確認すると、短く頷いた。
「みっけ」
「待っ――」
言い切るより早く、その手がこちらへ伸びてきた。
地下生活者は反射的に逃げようとしたが、腕を掴まれる方が早かった。
「ぎゃあああああああああああああ!!?」
情けない悲鳴が混沌の領域へ響き渡る。
「離しなさい! 何をしているのかわかっているのか!!?」
地下生活者は必死に抵抗し、空いている手で床へしがみついた。
だがシロコテラーは無表情のまま引っ張る。
「ここは小生の領域ですよ!? 勝手に入って来るなぁぁぁ!!」
指先へ力を込めても意味はない。
身体が少しずつ空間の穴へ吸い込まれていく。
「何で来られるんだぁぁぁぁぁ!!」
「ん。運営から許可出た」
「何の話をしてるんだぁぁぁぁぁ!?」
説明されたところで理解出来るはずもなかった。
地下生活者はさらに必死になって床へしがみつくが、身体はもう半分近く向こう側へ引き込まれている。
「いやだぁぁぁぁぁ!! 離せ! 離してくれぇぇぇ!!」
最後まで抵抗していた指が一本ずつ床から外れていく。
「待って! 本当に待ってください!! 話し合いましょう! こういう時こそ話し合いが重要ではありませんか!?」
「先生を爆破した人が言っても説得力ない」
「それとこれとは話が別でしょうがぁぁぁぁ!!」
最後の指が引きはがされる。
「あっ」
次の瞬間、身体全体が空間の裂け目へ吸い込まれる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!」
視界が大きく歪み、上下の感覚すら分からなくなる。
そしてほんの一瞬の浮遊感の後、身体が硬い床へ叩きつけられた。
「――あぁぁぁっ!?」
ベシャッ、と間の抜けた音を立てながら着地する。
「…………」
しばらく地下生活者は、自分が何処にいるのか理解出来なかった。
先ほどまでいた混沌の領域とは違う。
明るい。
床も。
壁も。
現実に存在する建物。
そして何より周囲には複数の気配がある。
「…………」
地下生活者は四つん這いの姿勢のまま、恐る恐る顔を上げた。
最初に目へ入ったのは白だった。
床へ流れ落ちるほど長い白髪にその頭上で光る、巨大な橙色のヘイロー。
デカグラマトンが、感情の読み取りづらい顔で自分を見下ろしている。
「…………」
地下生活者が何も言えずにいると、デカグラマトンはその姿を頭から足元まで一度眺めた。
「……随分と醜悪な姿だな」
「…………」
言い返せない。
今の自分は四つん這いで床へ這いつくばっている威厳などあるはずもない。
次に視線を横へ動かす。
黒いドレスに身を包んだシロコテラー。
つい先ほど自分を安全圏から力ずくで引きずり出した張本人が、何事もなかったようにこちらを見下ろしている。
シロコテラーは僅かに満足そうな表情を浮かべた。
「ん。新パターン開拓してみた」
「…………」
そして最後にもう一人。
その隣に立っている人物を見た瞬間。
地下生活者の思考が止まった。
小柄な身体。
ピンク色の髪。
いつもと変わらないような、気の抜けた笑顔。
臨戦ホシノ。
「あぁ~」
臨戦ホシノは初めて珍しい生き物でも見るように、四つん這いになっている地下生活者を覗き込んだ。
「こいつが例の引きこもりなんだぁ~」
「…………」
地下生活者は口を開こうとした。
しかし、声が出ない。ホシノのことは知っている、当然だ。
彼女こそ、自分がここまで盤面を動かしてきた最大の目的の一つなのだから。
だからこそ声が出せなかった。目の前のホシノから感じる雰囲気が自分が知っている小鳥遊ホシノとは少し違うように感じたからだった。
「…………」
臨戦ホシノの表情は穏やかなままだった。
いつもの気の抜けた笑い方。
それなのに地下生活者には、デカグラマトンの無機質な視線よりも、シロコテラーの無表情よりも。
その笑顔が一番恐ろしく見えた。
「うへ〜はじめまして~」
臨戦ホシノの瞳が楽しそうに地下生活者を捉える。そして聞こえてくる声色そのものは柔らかい。
「そして、さようなら」
「…………へ?」
地下生活者の口から漏れたのは、これまで盤面の外から物語を弄んできた者とは思えないほど情けない声だった。
その小さな声だけが。数十年ぶりに明かりを取り戻した兵器工廠の中へ、妙にはっきりと響いていた。