地図にも載っていない兵器工廠の外では、少し前までの緊張感が嘘のような、何とも形容し難い光景が広がっていた。
シロコテラーが引きずり出してきた地下生活者の首から下を綺麗に砂へ埋められて。
突然現れた人物が砂に埋められているだけでも十分に意味不明なのだが、本当に理解出来ないのはその周囲だった。
三人が、砂から首だけを出している人物を囲みながら、妙に息の合った踊りを披露している。
体を左右へ振りながら片腕を大きく前に突き出して、時折わざとらしいほど楽しそうな笑顔まで向けている。
傍から見れば怪しい儀式だが、これは徹底的に煽っているというのが三人の表情と埋められた人物の表情から察せられた。
「…………」
そんな光景をしばらく眺めていた先生の脳裏に、何故か一人の生徒の姿が浮かんだ。
特徴的な笑顔。悪戯が成功した時に浮かべる、心底楽しそうな表情。
――ムツキ
「先生?」
隣にいたセリカの声で、先生は我に返った。
「いや、何でもないよ。ちょっとよくわからない幻覚が見えただけ」
「それ全然何でもなくないでしょ!?」
セリカが即座に突っ込む。
もっとも、この状況についていけていないのは先生だけではなかった。
アヤネは三人の踊りと砂に埋められている男を交互に見ながら何度も瞬きを繰り返し、ノノミは困ったような笑顔を浮かべている。
現地ホシノも、普段の気の抜けた表情のまま臨戦ホシノを眺めていた。
「あっちの私……何やってるんだろう?」
「私にも分からないよ~」
ユメも苦笑するしかない。
ゲヘナ組も似たようなもので、二人のヒナは揃って何とも言えない表情を浮かべ、普段なら大抵のことへ口を挟むマコトですら完全に突っ込むタイミングを失っていた。
さらにハイランダー組は、ヒカリとノゾミがデカグラマトンから貰ったミニチュアシェマタを抱えたまま固まり、その横でスオウだけが深々と溜息を吐いている。
「……何してるんだろー?」
「煽ってるのだけはわかる……」
「お前等あいつ等みたいになるなよ、頼むから…」
三人がそれぞれ好き勝手な感想を漏らしている間も、謎の男を囲む踊りは続いていた。
「やめろ……」
砂から首だけを出している地下生活者が、怒りに震えながら声を漏らす。
「今すぐ……今すぐそのムカツク踊りをやめろぉぉ!!」
当然、三人はやめない。
むしろ臨戦ホシノはわざわざ正面へ回り込み、さらに腹立たしい笑顔を浮かべて踊り続けた。
それが最後の一押しになった。
「小生の周りで踊るなぁぁぁぁぁぁ!!」
地下生活者の絶叫が夜の砂漠へ響き渡った。
「いやぁ~、元気だねぇ」
臨戦ホシノが楽しそうに笑う。
「ん。元気元気」
シロコテラーも平然としていた。
「これほどの怒気を発する余裕があるのなら、生命活動に問題は無さそうだ」
デカグラマトンまで当然のように評価する。
「どこを見て元気だと思ったんですかぁぁぁ!!?」
そこでようやく先生が額を押さえた。
「あのさ……そろそろ説明してもらっていい?」
三人の動きが止まる。
「「「何を?」」」
三人が同時に首を傾げる。
「全部だよ!」
先生は思わず声を上げた。
「突然シロコが変な空間からこの人を引っ張ってきたと思ったら、気付いた時には砂に埋まってるし、その周りで三人が変な踊り始めるし! 私だけ何にも分かってないんだけど!」
「私たちもよくわかってません!」
アヤネも先生に続いてすぐに手を上げる。
「私もよくわからないわ」
現地ヒナも続いた。
「こんなの分かってたまるか」
マコトまで加わる。
先生は改めて三人へ向き直った。
「この人が、何かしてたの?」
「ん~……」
臨戦ホシノは砂に埋められている地下生活者を見下ろしながら、先ほどまで浮かべていたふざけた笑みを少しだけ薄くした。
「してたねぇ」
シロコテラーも臨戦ホシノに同意するように大きく頷く。
「ん。いっぱい」
「例えば、なにしたの?」
先生の表情から、僅かに呑気な色が消えた。
シロコテラーは何から説明するか少し考えた後、一番分かりやすいものを口にする。
「シャーレを爆破した犯人がこの引きこもり」
先生が固まった。周囲も同じ反応だった。
あの日の爆発は先生本人にとっても忘れようのない出来事である。
たまたま仕事帰りにシャーレへ立ち寄ったカヤが、執務室で寝落ちしていた先生とシッテムの箱を仮眠室へ運んでくれたため無事だったものの、執務室そのものは大きく損壊し、積み上げられていた仕事の大半もまとめて吹き飛んだ。
先生がゆっくり地下生活者に視線を向けると、地下生活者は気まずそうに視線を逸らした。
「先生が一人で執務室に残ったところを狙ってた。私とホシノ先輩が寝たのも、多分こいつの干渉。あとみんなのガチャ運が悪いのもこいつのせい!」
シロコテラーが淡々と説明を続ける。
「えぇ……」
臨戦ホシノも腕を組みながら話を引き継いだ。
「それ以前からアビドスにも色々ちょっかい出してたみたいだよぉ。こっちの私を追い詰めて、何かさせようとしてたんだよね~?」
「……私?」
現地ホシノが自分を指差す。
「うん。かなり熱心にねぇ」
「…………へぇ、それは話が変わってきたなぁ~」
現地ホシノも妙に迫力のある笑みを浮かべて出した。
先生もその変化には気付いたが、ひとまず地下生活者へ視線を戻した。
自分を殺そうとした、この一点だけでも怒る理由としては十分である。
それでも先生はしばらく地下生活者を見つめた後、少し困ったような笑みを浮かべた。
「そっかー」
「…………?」
地下生活者が怪訝そうに先生を見る。
「あれ、君の仕業だったんだね」
「…………」
「書類が全部吹っ飛んで、あの時はかなりバニタスだったけどさ」
「バニタス……?」
「まあ、私も無事だったしみんなにも被害が出てないみたいだし。今はもう怒ってないよ」
「…………は?」
地下生活者の目が大きく見開かれた。
先生はその反応を特に気にすることなく、臨戦ホシノたちへ顔を向ける。
「だから三人とも、そろそろ許してあげたら?」
「…………」
地下生活者の表情がゆっくりと引きつった。
許す。
その一言が何より腹立たしかった。
自分がどれほど策を巡らせたと思っているのか。
債権を利用し、先生を排除しようとし、小鳥遊ホシノを追い詰めるために数々の手を打ち、スオウたちへ思考誘導まで仕込み、最後にはシェマタを利用しようとした。
その全てが、先生の中では書類が吹き飛んだ迷惑な事件程度にしか認識されていなかった。
自分はこれほど先生を敵として意識していたというのに、その先生は自分の事を眼中にすら入れていなかった。
「……ふざけるな」
「え?」
「ふざけるなぁぁぁぁぁ!!」
突然の絶叫に先生が驚いて一歩下がる。
「小生が! どれだけ! この盤面を整えるために苦労したと思っているんですか!!」
「いや、知らないけど……」
「そういうところですよぉぉぉぉ!!」
地下生活者は首まで砂の中へ埋まっているため、身体を動かすことすら出来ない。それでも首を必死に振りながら、積もり積もった鬱憤を先生へぶつけ始めた。
「小生の計画を何度も何度も台無しにして! 募集だの未来から来た生徒だの、訳の分からないものまで持ち込んで! 挙げ句の果てに小生の存在すら眼中に無かっただと!?」
「いや、本当に君の存在知らなかったから……」
「それが腹立たしいと言っているんだ!!!」
先生としては返答に困るしかない。
地下生活者はそんな先生の反応を見るほど、さらに自尊心を傷付けられていった。
そして最後に自分の正しさを証明出来そうな材料へ縋るように、首だけを動かして現地ホシノへ視線を向けた。
「そもそも!」
地下生活者は声を張り上げる。
「小鳥遊ホシノという存在がどれほど危ういか、お前等は理解していない!」
「……私のこと?」
現地ホシノが僅かに目を細める。
「そうだ! 貴様だ!」
地下生活者は勢いづいた。
「その内側に抱えている神秘! それがどれほど危険なものか! 貴様自身すら理解していない!」
「へぇ~……」
現地ホシノの口元に笑みが浮かぶ。
ただし、その目はまるで笑っていなかった。
「おじさんのこと、ずいぶん勝手に決めつけてたんだねぇ」
「事実を言っているまでだ! 恐怖へ転じたキヴォトス最高の神秘がどれほど――」
そこで地下生活者の言葉が止まった。
背後から感じる空気が一瞬にして変わったのである。
夜の砂漠を流れていた冷たい風とはまるで違う。
ただ存在しているだけで肺へ入る空気まで重くなったように錯覚するほどの圧力が、地下生活者の背後から急速に膨れ上がっていた。
首まで砂に埋まっているため、後ろを振り返ることは出来ないがヤバいのはわかる。
目の前にいる先生たちの表情が何か尋常ではないことが起きた事を如実に語っていたから理解出来た。
先生は唖然と目を見開いている。
アヤネも、ノノミも、セリカも、ユメも、現地ホシノも、二人のヒナも、マコトも、ハイランダーの三人も、誰もが一様に地下生活者の背後を見つめていた。
平然としているのはシロコテラーだけ。
デカグラマトンですら完全な無反応ではなく、僅かに目を細めながら興味深そうにその変化を観察していた。
「な、何です……?」
問い掛けた直後、背後から声を掛けられる。
「これが見たかったんでしょ?」
「…………っ!!」
聞き覚えの無い声がした。
臨戦ホシノと間違いなく同じ声なのに、響きの奥に含まれているものがまるで違う。
地下生活者が恐る恐る目を動かすと、自分の横から一つの顔がゆっくり覗き込んできた。
赤黒い気配。
周囲で炎のように揺らめく、紅と黒が混ざり合った異質なオーラ。
見る者の本能へ直接警鐘を鳴らすような存在感。
そして地下生活者のすぐ隣から顔を覗かせているのは、紛れもなく小鳥遊ホシノだった。
ただし、自分が知る姿ではない。
「…………ひぃ!!」
地下生活者の口から、情けない声が漏れた。
自分がずっと生み出そうとしていたもの。
小鳥遊ホシノを追い詰め、精神的に壊し、神秘を恐怖へと反転させ、ようやく辿り着かせようとしていた姿。
それが何故か、既に目の前にいる。
「な……何故……!?」
ホシノテラーは不思議そうに首を傾げた。
「ん~?」
「なぜ貴様が既にテラー化しているんだ……!!?」
絶叫が夜の砂漠へ響き渡る。
ホシノテラーは自分を指差す。
「そりゃあ出来るよ?」
「出来るよじゃない!! そんなものが! そんな軽い調子で出てきていい存在ではないでしょうが!!」
「いや~そんなに褒められるなんて照れるなぁ~?」
「褒めてない!!」
地下生活者の叫びへ、少し離れた場所にいたシロコテラーが平然と補足する。
「ん。ぶっちゃけるとホシノ先輩は割と気軽になるよ」
「気軽にだと!?」
地下生活者の声が裏返った。
「恐怖への転化ですよ!? 神秘の反転ですよ!? そんなもの、当然相応の絶望や極限状態、覚悟が必要で――!」
ホシノテラーが何かを思い出したように軽く手を打った。
「ああ、それなら机の角に足の小指ぶつけた時ぐらいの絶望で簡単になれるよ?」
「…………は!?」
地下生活者の表情が固まった。
自分が作り出そうとしていた悲劇。そのために綿密に組み上げた盤面。
小鳥遊ホシノという存在を徹底的に追い込み、絶望させることでようやく到達させようとしていたテラー化。
それを目の前のホシノは、足の小指を机へぶつけた痛みへの絶望でなれると言った。
「…………何?」
「すっごく痛かったんだよねぇ~」
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
この日一番の絶叫だった。
「小生が! どれだけ! その状態へ至らせるために盤面を組んだと思っているんですか!!」
「知らないよぉ」
「足の小指ぃぃぃぃ!? 小生の計画が足の小指以下だと言うのかぁぁぁぁ!!」
「そこまでは言ってないんだけどねぇ」
「言ってるようなものだろうがぁぁぁぁ!!」
地下生活者は完全に我を忘れていた。
だが、その勢いのまま最後の自尊心に縋ったことがいけなかった。
「こんなもの……認められるか! 所詮一時的な変質! そんなもの、小生が恐れるとでも――」
「なら私を本当に恐れないか証明して見せろ」
最後まで言い切ることは出来なかった。
ホシノテラーの身体が僅かに動いた。
それだけだったにもかかわらず、地下生活者が次に認識した時には、赤黒い気配を纏った拳が自分の顔面へ向かって真っ直ぐ振り下ろされていた。
「――っ!?」
逃げようにも、首まで砂へ埋まっている。
避けることも身体を捻ることも出来ず、迫ってくる拳を見ることしか出来ない。
「ホシノ、ストップ!!」「ホシノちゃん! 止まって!!」
先生とユメの声が鋭く響いた。
その瞬間、地下生活者の鼻先から僅か数センチのところで、ホシノテラーの拳が完全に静止した。
「…………」
誰も声を出さなかった。
地下生活者自身も、息をすることすら忘れていた。
拳は当たっていない、だが寸前で停止した際に生じた風圧だけで髪が大きく後方へ靡き、顔の周囲に積もっていた砂が一斉に吹き飛んでいる。
地下生活者は目の前にある拳を見た。自分の鼻先と拳の間に残されている僅かな距離を確認した。
もしこの拳が止まっていなかったら。そう考えた瞬間。
「ひっ……」
地下生活者の喉から、小さな悲鳴が漏れた。
ユメが胸を撫でおろしながら安心したように呟く。
「ホシノちゃんがとうとう殺っちゃうかと思ったよぉ…!」
先生も少し困ったように眉を下げる。
「ホシノ、殺しちゃ駄目だよ?」
「……はぁ~い」
ホシノテラーは驚くほど素直に拳を引いた。
その身体を包んでいた赤黒い気配も徐々に薄れていき、ほんの数秒後にはいつもの臨戦ホシノへ戻っていた。
「ふぅ~」
地下生活者は呆然とその姿を見つめた。
「慣れかなぁ?」
もう何も言えなかった。
そんな軽い話で済ませていいものではない。
だが再び文句を言って、今度こそ拳が止まらなかったらと思うと、口を開く勇気など残っていなかった。
「い、命だけは勘弁してくださいぃぃぃぃ!!」
「いや、殺さないよ!?」
先生が慌てて否定する。
「絶対ですよ!? 後からやっぱり気が変わったとか無しですよ!?」
「そんなことしないって!」
地下生活者は首しか出ていない状態のまま、今にも先生へ縋りつきそうな顔を向けた。
少し前まで、その先生を爆殺しようとしていた張本人とは到底思えない姿だった。
先生も流石に少し呆れたような笑みを浮かべる。
「まあ、殺したりはしないよ」
「先生……!」
地下生活者の顔に、一筋の希望が戻った。
「やはり貴方だけは話が分かる! 小生は最初から先生ならばと――」
「――待て」
そこへ割って入ったのはデカグラマトンだった。
地下生活者の顔が固まる。
「何です……?」
「汝をこのまま放置すれば、再び同じ真似をする可能性がある」
「しませんよ! もうしません! 今の拳を見てまだやると思いますか!?」
「口約束だけで十分とは思えん」
デカグラマトンは静かに地下生活者へ近づいた。
「汝がキヴォトスへ干渉し、他者の思考へ働きかけていた力。あれは汝には過ぎたものだ」
「…………どうしてそれを」
地下生活者の声が急に弱くなる。
デカグラマトンは地下生活者の顔の前へ片手を翳した。
「故に私が預からせてもらう」
「やめろ!!」
地下生活者が叫ぶより先に、周囲の空気が僅かに震えた。
デカグラマトンの頭上に浮かぶ橙色のヘイローが淡く輝き、その指先から幾何学的な光が地下生活者の身体へ伸びていく。
「何を……!」
抵抗しようとしたところで、何もできない。
そもそも身体を動かせたとしても、先ほどまで自分が使っていた力そのものが少しずつ指の間から零れ落ちていくような、不気味な喪失感が全身を駆け巡っている。
「終わった」
「…………」
地下生活者はしばらく呆然としていた。
すぐに今までと同じように混沌の領域へ意識を伸ばそうとする。
何も起きない。
キヴォトスの外側へ視線を繋ごうとしても。
他者の意識へ触れようとしても。
今まで当然のように出来ていたことが、何一つ出来なかった。
地下生活者の顔から血の気が引いた。
「小生の力が……」
「汝には必要ないだろう?」
「返せぇ!!」
「断る」
「それが無ければ小生はただの――!」
言葉を途中で止めたが、少し遅かった。
シロコテラーが淡々と続きを言った。
「ん。ただの引きこもり」
「言うなぁぁぁぁぁぁ!!」
臨戦ホシノも楽しそうに頷く。
「良かったねぇ。これでもう危ないこと出来ないよぉ」
「何一つ良くないんですよ!!」
地下生活者は涙目になりながら叫んだ。
だが先生としては、今後の再犯を防げるという意味では安心出来る処置だった。
「じゃあ、これで一件落着かな?」
先生がそう言った。
その瞬間。
「先生~?」
少し離れたところから、間延びした声が聞こえた。
「ん?」
先生が振り返る。
そこには現地ホシノが立っていた。
いつものように柔らかい笑顔を浮かべている。
「私たち、まだその人にお礼してないんだけどぉ~?」
「…………え?」
先生の表情が固まった。
ゆっくり視線を動かすと、アビドスの面々が、全員揃って地下生活者を見ていた。
「…………」
地下生活者も、この事態にようやく気付いた。
自分は今。無力である。
混沌の領域へ逃げられない。
思考誘導も使えない。
身体は砂へ埋まっている。
そして周囲には自分が散々好き勝手しようとしていたアビドスの生徒たちがいる。
「……あの」
地下生活者の声が震える。
現地ホシノが一歩近づいた。
「私のこと、ずいぶん好き勝手に言ってたよね?」
「いや、その件につきましては既に先生へ謝罪を――」
「先生にでしょ?」
「…………」
正論だった。
セリカも腕を組みながら地下生活者を睨む。
「私たちの学校で好き勝手やってた分は、まだ何も返してもらってないわよね?」
「正確には実害が出る前に悉く失敗して――」
「ん。未遂でも駄目」
シロコが静かに口を挟む。
「あっ……はい」
地下生活者の声が小さくなる。
ノノミはいつもの柔らかな笑顔を浮かべたまま、どこか有無を言わせない雰囲気を纏っていた。
「少しくらい、お話をしてもいいですよね~?」
「その『お話』は言葉を使うんですよね?」
「どうでしょうね~?」
そして最後にユメが自分自身を指差した。
「私も勝手に死んだことにされて、ホシノちゃんを苦しめる材料に使われそうになってたんだよね?」
「…………」
地下生活者は黙った。
「そうですよ。ユメ先輩」
臨戦ホシノが楽しそうに補足する。
地下生活者は最後の望みを託してそっと先生を見る。
「先生」
「…………」
「先生?」
「…………」
「助けてください」
「いやぁ……」
先生も困った。
先ほど殺さないとは約束した。だから命の危険があるほどのことをさせるつもりはない。
しかし、ここまで聞いてしまえばアビドスの生徒たちへ全部忘れて許してあげようと言うのも違う気がする。
先生は恐る恐る声を掛ける。
「み、みんな…やりすぎないようにね?」
現地ホシノがにっこり笑った。
「大丈夫だよぉ。死なない程度にするから」
「その言い方が一番怖いんだけど!?」
「待ちなさい! 話し合い! こういう時こそ話し合いというものが――!」
「ん。今から話し合う」
「拳で話すなぁぁぁぁぁ!!」
「私たちの学校で何しようとしてたのよ!」
「だから未遂ですって! 未遂!!」
「ユメ先輩のことまで利用しようとしたんだよねぇ?」
「ひぃぃぃぃ!?」
先生は少し離れた場所から聞こえてくる絶叫に、何とも言えない顔で砂漠の夜空を見上げていた。
「……大丈夫かな」
「汝が気にする必要はない。それよりなぜ瓶コーラは美味しいのか議論しないか?」
隣ではデカグラマトンが何事もなかったように瓶コーラを飲んでいる。
「……終わるまで議論するかぁ」
◆
「…………」
地下生活者は砂の上へ仰向けに倒れていた。勿論生きている。
怪我もキヴォトス基準で見れば大したものではない。
ただし、顔面は見事なまでにボコボコになっていた。
「……前がみえねぇ」
地下生活者は虚ろな目で夜空を見上げている。
先ほどまで外側から世界を操る者としての威厳を必死に守ろうとしていた人物とは思えない。
そんな地下生活者の横へ、臨戦ホシノとシロコテラーが近づいてきた。
「お疲れ様~」
「ん。生きてるね」
「…………」
地下生活者は二人を睨もうとした。
だが顔が腫れているせいで、いまいち迫力がない。
「こ、殺さないと約束したのに……」
「死んでないでしょ?」
「死にそうなんですが……」
「はいはい、それじゃあ写真撮るよ~」
先生の声が聞こえた。
「…………は?」
地下生活者がゆっくり顔を動かす。
少し離れた場所で先生が端末を構えていた。
「待って…!」
「なに~?」
「何の為の写真ですか?」
「シャーレにあるボコボコ顔コーナーに飾ろうかなって思って」
「そんな事したら小生の尊厳が完全に死ぬでしょうが!!」
「え~…一枚だけだと寂しいからさ~。お願い!」
地下生活者が必死に起き上がろうとする。
しかし、左右から臨戦ホシノとシロコテラーが肩を掴んだ。
「ほらほら~」
「ん。ダブルピースして」
「何をさせる気ですか!?」
二人が地下生活者の腕を一本ずつ持ち上げる。
そして無理やり両手でピースをさせた。
「やめろぉぉぉぉぉ!!」
ボコボコの顔で涙目。そしてダブルピース。
「はい、チーズ!」
「撮るなぁぁぁぁぁ!!」
パシャッ。
「…………」
数秒。
「消してくれぇぇ!」
地下生活者が震える声で言った。
「今すぐ消してください!!」
地下生活者の叫びが再び砂漠へ響き渡る。
先生は少し悪いことをしたような気もしたが、流石にこれまで散々好き勝手してきた相手である。
写真一枚くらいは許してもらおう。
「まあまあ」
「何一つまあまあではありません!」
「でもこれで全部終わったんだし」
「…………」
その言葉に地下生活者の動きが止まった。
「……終わった?」
「うん」
先生は笑った。
「もう人の心を勝手に弄る力も無いし、アビドスにも手を出さないって約束させられたんでしょ?」
「…………」
「だから、後はちゃんと反省してくれればいいよ」
「…………」
地下生活者の顔に少しずつ安堵が戻っていった。
これで終わった。本当に終わった。
殴られ、力も奪われ、恥ずかしい写真まで撮られたが生きている。
「……分かりました」
地下生活者は深く息を吐いた。
「ならば小生は、この辺りで失礼――」
シロコテラーが手を上げた。
「ん。街まで送ってあげるよ」
地下生活者の動きが止まる。
「何処へ?」
臨戦ホシノが楽しそうに笑った。
「街の中の矯正局だけどねぇ~♪」
「何故!?」
臨戦ホシノは指を折りながら数え始める。
「そりゃあ先生を殺そうとしたでしょ~。シャーレ爆破したでしょ~。みんなの思考を勝手に弄ったでしょ~。アビドスで悪いことしようとしてたでしょ~。送られるには十分じゃない?」
「ぐっ……」
反論出来ない。
「でも普通に連れて行けばいいよね?」
先生が口を挟む。
「そうですね!」
地下生活者が全力で同意する。
「先生! そこだけは全面的に先生へ賛成します! 普通に! 普通に連行しましょう!!」
シロコテラーが目の前の空間へ手を伸ばした。
「ん。もう繋いだ」
黒い裂け目が広がり空間が歪む。
その向こう側に見覚えのない施設が映っている。
地下生活者の顔が青ざめた。
「待ってくれ」
後退しようとする。
「待ってください!」
臨戦ホシノが右側へ回り込む。
シロコテラーが左側。
「待って!!」
二人が地下生活者の身体をそれぞれ持ち上げる。
「待て待て待て待て!!」
足が地面から離れた。
「何をするつもりですか!?」
「大丈夫大丈夫~」
「ん。三食強制労働付き!」
「そういう問題ではない!!」
先生も慌てて二人へ近づく。
「いやいや! 普通に入れてあげればいいでしょ!?」
「せっかくだからねぇ」
「何がせっかくなんですか!?」
臨戦ホシノとシロコテラーが、地下生活者を抱えたまま一度身体を後ろへ引く。
「何をする気だぁぁ!!?」
地下生活者の顔から完全に血の気が引いた。
二人とも駆け出していく。
「待ちなさいって言ってるでしょうがぁぁぁぁぁ!!」
「せーのっ!」
「ん!」
地下生活者の身体が宙を舞った。
「ぎゃあああああああああああああああああ!!?」
綺麗な放物線を描いて、そのままワープゲートの中央へ吸い込まれた。
「先生ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! 覚えてろぉぉぉぉぉぉ――――!!」
声が遠ざかっていく。
そしてぷつりと途切れた。
それを見届けてからシロコテラーが空間を閉じる。
これでようやく夜の砂漠に静寂が戻った。
臨戦ホシノが満足そうに両手を腰へ当てる。
「ナイスシュート」
シロコテラーも満足そうに頷いた。
「ん。スリーポイントシュート」
先生は二人を呆れた様子で見てから訂正する。
「ラインを踏んでたから二点だね」
最後の最後まで締まらないが、こうしてアビドスの大地に平穏が戻ったのだった。