柴関ラーメンでの騒動は、ひとまず形だけは収まった。
半壊した店内では、柴大将がため息交じりに片付けを始めている。
風紀委員会の部隊は撤退し、ヒナもまた、イオリとチナツ、そしてアコの件について処理するためにその場を後にした。
便利屋68も、最後にはアルが胸を張って言った。
「この借りはいずれ返すわ! 便利屋68の名に懸けて!」
と言って去っていった。
なお、その横でカヨコは、
「後さ、この前貰ったお金、ここに置いていくから修理費にでも使ってよ。また来た時にでもまたラーメン食べさせてね」
と小さく言い残しアルの後を追っていった。
ナギサも、先生たちの方へ丁寧に一礼する。
「先生。私も少々、用事ができましたので、先にシャーレへ戻っていますね」
「用事?」
「ええ。少し、手配しておきたいことがありまして」
ナギサは穏やかに微笑んだ。
その笑顔は優雅だったが、どこか含みがあるように感じたが、先生は疑うのはよくないと深くは聞かなかった。
「分かった。気をつけてね」
「はい。先生も」
そう言って、ナギサは静かにその場を離れていった。
残ったのは、先生、臨戦ホシノ、シロコテラー、そしてアビドスの生徒たち。
ただし、そこに現地ホシノの姿はなかった。
◆
アビドスへ戻る道中。
瓦礫と砂埃の匂いがまだ少し残る街を歩きながら、先生はふと辺りを見回した。
「そういえば、ホシノは来なかったんだね」
その言葉に、アビドスの面々が足を止めた。
「え?」
セリカが不思議そうに振り返る。
「ホシノ先輩?」
「うん。柴関ラーメンの騒ぎにも来てなかったみたいだから」
「そういえば……」
アヤネが眉をひそめる。
「ホシノ先輩、あの時アビドスにもいませんでしたよね」
「ん。来てなかった」
シロコが淡々と頷く。
ノノミも口元に手を当てた。
「どこに行ってしまったんでしょうか〜?」
「またどこかでサボってるんじゃないの?」
セリカはそう言ったが、声にはいつもの勢いがなかった。
ただのサボりにしては、タイミングが悪すぎる。
「連絡はしてみた?」
「今してみますね」
アヤネが端末を取り出す。
しかし、数秒後、表情を曇らせた。
「……繋がりません」
「ん」
「なによそれ……本当にどこ行ったのよ、ホシノ先輩」
先生は答えられなかった。
けれど、そこでふと後ろを見た。
臨戦ホシノとシロコテラー。
二人は、いつものように歩いている。
けれど、先生はどこか違和感を感じていた。
臨戦ホシノの眠たげな笑みは薄く、シロコテラーも普段より口数が少ない。
二人とも、どこか落ち込んでいるように見えた。
「……」
先生はその表情が気になったが、その場では何も聞かないことにした。
アビドスに戻ると、対策委員会の面々はそれぞれ動き始めた。
アヤネは、黒服やカイザーに関する資料を改めて整理するために部室へ向かった。
セリカは落ち着かない様子で、ホシノへの連絡を何度も試している。
ノノミは皆に飲み物を用意しようとし、シロコは見回りに出ようとしていた。
いつも通りに見える。
けれど、ホシノがいないだけで、どこかぎこちない。
それだけなのに、アビドスの空気は少し変わっていた。
先生はしばらく皆の様子を見守っていたが、ふと臨戦ホシノとシロコテラーが屋上へ向かうのに気づいた。
何かを話すようでもなく、ただ静かに階段を上っていく。
先生は少し迷ったのだが、先ほどの二人の表情が忘れられなかった。
だから、こっそりと二人の後を追うことにしたのだった。
屋上には、砂混じりの風が吹いていた。
臨戦ホシノはフェンスに背を預け、遠くの砂漠を見ている。
シロコテラーはその隣に立ち、黙って同じ方向を見ていた。
先生が屋上に出ると、臨戦ホシノがいつものように手を振った。
「うへ〜。先生、どうしたの〜?」
「二人が気になってね」
「おじさんたちが?」
「うん。帰り道から、少し落ち込んでるように見えたから」
臨戦ホシノは、へらりと笑った。
「気のせいだよ〜。おじさん、いつも通りだし〜」
「ん。問題ない」
そういつもの調子で答える二人。
そんな二人を見ながら先生は静かに口を開いた。
「本当に大丈夫なの?」
今度は二人が黙ってしまう。
先生の声は責めるものではなかった。
けれど、その表情は真剣だった。
「アビドスに居たホシノの事、何か知ってるんじゃない?」
臨戦ホシノの笑みが、少しだけ薄くなる。
シロコテラーも耐え切れずに目を伏せた。
しばらく、風の音だけが響いた。
やがて、臨戦ホシノが小さく息を吐いた。
「はぁー……先生には敵わないな〜」
「話してくれる?」
「うへ〜。話したくないな〜」
「どうして?」
「先生、きっと悲しい顔するから」
「それでも、大事な生徒の事だから聞かせてくれない?」
「……教えるのは簡単なんだけどさ~」
「でも、知ると辛いよ?」
「そうなんだ――」
先生は二人の隣に立って屋上から見える景色を見つめながら。
「それでも聞きたい」
臨戦ホシノは、遠くの砂漠を見たまま、ぽつりと口を開いた。
「……こっちの私はね〜」
そう言って話し始めた臨戦ホシノの声はいつもより少しだけ小さかった。
「自分を犠牲にして、アビドスの借金を返そうとしてるんだよ」
先生は息を呑んだ。
「自分を……?」
「そう」
シロコテラーが頷く。
「黒服という男がいる」
「黒服……」
「そいつが、ホシノ先輩に提案した筈。ホシノ先輩の身柄と引き換えに、アビドスの借金を減らすっていう契約を…」
先生の表情が強張る。
「そんなことが……?」
「うへ〜。嫌なやり方だよね〜」
臨戦ホシノは笑おうとした。
けれど、その笑顔はうまく作れなかった。
「おじさんもさ、自分の時の借りがあるから、一発殴ってやりたかったんだけどね〜」
「アビドスに居たホシノは……その話を受けるつもりなの!?」
「たぶん、もう覚悟を決めちゃってる…。誰にも相談せずに、勝手に。自分ながら馬鹿だよね~……」
その声には、怒りよりも悔しさが滲んでいた。
先生は悲しそうに目を伏せる。
「じゃあ、アビドスに居たホシノは……もう帰ってこないのかい?」
「いや」
臨戦ホシノは首を振った。
「退部届を出すために、一度帰ってくるよ」
「退部届か……」
「でも、そのタイミングでどんなに引き留めても、こっちの私は必ず黒服の元に行っちゃう」
シロコテラーが静かに続ける。
「心が折れている。だから説得だけでは難しい。私の時もダメだった」
「……」
先生は黙り込んでしまう、胸の奥が痛かったからだ。
ホシノは、まだ笑っていた。
眠そうに、だらしなく、何でもないように。
でも、その裏でそこまで追い詰められていたことに気が付かなかった。
その事実と自分自身の不甲斐なさに先生は怒りを覚えそうになった。
先生がしばらく俯いていると、臨戦ホシノはそんな先生を見て少しだけ困ったように笑う。
「ほらね、先生。悲しい顔になっちゃった」
「……そうだね」
先生は小さく頷いた。
「凄く悲しいし、悔しいし、何もできない自分に腹が立つよ…」
風が吹く。砂が屋上をかすめていく。
しばらくそうしていた時、先生は何かを思いついたように顔を上げた。
「あのさ」
「ん〜?」
「ホシノって、強いよね?」
臨戦ホシノは首を傾げた。
「え? まぁ、おじさんは強いけど、今のおじさんは心折れてるから激烈に打たれ弱いよ〜」
「違う違う」
「アビドスに居たホシノの事じゃなくて、私が呼んだホシノの方」
「……私?」
臨戦ホシノは自分を指差した。
「うん」
「そりゃあ、最強だよ〜!」
臨戦ホシノは一瞬で得意げな顔になり、胸を張った。
「おじさん、こう見えて頼れるからね〜」
「ん」
シロコテラーは、その張られた胸をじっと見た。
少し悲しそうな目だった。
「……何かな、大きいシロコちゃん」
「ん。何でもない」
「今ちょっと悲しい目で見たよね〜?」
「ん。気のせい」
「本当に気のせいなのかな〜?」
先生は少しだけ笑った。
そして、真剣な顔に戻る。
「そうだよね。ホシノは強いよね。だからさ、こんな作戦を思いついたんだけど――」
先生は、二人に向かって話し始めた。
その内容を聞いた瞬間、臨戦ホシノとシロコテラーは目を見開いた。
最初は驚きで動けなかったけれど、先生が話を続けるうちに、二人の表情は少しずつ変化していった。
落ち込んでいた表情が消えて、代わりに浮かんできたのは、どこか悪い笑み。
柴関ラーメンで風紀委員会を相手にした時と似た、しかしそれ以上に楽しそうな笑みだった。
「――というのはどうかな? これなら、ホシノも借りを返せるんじゃないかな?」
先生は最後にそう尋ねた。
しばらく沈黙が場を支配していたが。
臨戦ホシノが重苦しい沈黙を破るように、声を上げて笑った。
「……あっはっは! いい作戦だよ、先生!」
「いけそう?」
「うん。すっごくいけそう!」
臨戦ホシノの目が、ようやく光を取り戻していた。
シロコテラーも静かに頷く。
「ん。先生にしては大胆」
先生は少しだけほっとする。
臨戦ホシノはフェンスから背を離し、肩を回した。
「うへ〜。そうか〜。その手があったか〜。必死に戦力集めたのがバカみたい」
「ん。黒服もたぶん読めない」
「だよね〜。あの気持ち悪い黒服の顔が驚愕する所、ちょっと見てみたいな〜」
「ホシノ、すっごい悪い顔してるよ」
「うへ〜。先生も人のこと言えないよ~?」
「大人の戦いってやつだよ」
「えっぐ~い!」
「ん。でも良い作戦だね」
先生は頷いた。
「ありがとう。じゃあ、まず私たちがやらないといけないことは……」
「ん。こっちのホシノ先輩の確保からだね」
臨戦ホシノは楽しそうに笑った。
「絶対に逃がさないようにしないとね〜」
先生は楽し気に笑う二人を見て少しだけ二人の力になれたのがうれしかった。
ホシノが一人で間違えたなら今度は、みんなでその間違いをひっくり返せばいい。
それが、先生の思いついた作戦だった。
けれど屋上に吹く砂混じりの風の中で、臨戦ホシノとシロコテラーは、久しぶりに心から楽しそうに笑っていた。
こうして、止まりかけた歯車は、予想外の方向へ回り始めた。