ティーパーティーから正式に頼まれた、アリウス生たちへの一般常識教育を始めるため、先生とスバルはアリウス自治区へ向かっていた。
トリニティからアリウスへ近付くにつれて、車窓の向こうに見える景色は少しずつ変わっていく。華やかな建物や整備された街路は姿を消し、代わりに長い年月を感じさせる建造物や、修繕の跡が残る道が増えていった。
先生にとっては、ある意味で思い入れのある場所だった。
けれど、隣に座るスバルにとってはそうではない。
「…………」
目的地が近付くにつれて、スバルの口数は少しずつ減っていた。
窓の外を眺める横顔は決して険しいものではない。それでも、普段より僅かに緊張していることくらいは先生にも分かった。
「スバル、緊張してるの?」
「……少しだけ」
誤魔化すつもりはないらしく、スバルは素直に認めた。
「先ほどの話からうっすらとですが、この世界のアリウスが私の知っている場所とは違うことは分かっています。それでも実際に見るまでは、どうしても色々と考えてしまって」
「そっか」
先生はそれ以上深く聞かなかった。
募集でやって来た生徒たちは、皆それぞれ先生の知らない時間を過ごしている。その中には、簡単に踏み込んでいいことばかりではないと、これまでの経験から先生も理解していた。
「でも、ティーパーティーの話を聞いた感じだと、かなり平和そうだったよね」
「……飴について行きかねない程度には、ですね」
スバルは苦笑しながら頷いた。
やがて移動手段を降り、二人はアリウス自治区へ足を踏み入れた。
そして、数分もしないうちに、スバルは足を止めていた。
「どうしたの?」
「いえ……」
先生の問い掛けに答えながらも、スバルの視線は周囲へ向けられたままだった。
そこに広がっていたのは、彼女の記憶にあるアリウスとは随分と違う光景だった。
道の脇では数人の生徒たちが古くなった外壁を修繕している。その少し離れたところでは、大きな籠を抱えた生徒同士が今日の夕食について相談しながら歩いていた。
開け放たれた窓からは誰かの笑い声が聞こえ、建物の前には洗濯物が並んで風に揺れている。
武器を携えている生徒は当然いるけれど、刺々しい雰囲気を感じない。
ただ普通に歩き、普通に話し、普通に今日を過ごしている。
不意にスバルが小さく呟いた。
「……ここは本当にアリウスですか?」
「アリウスだよ」
建物そのものには、まだ過去の傷跡が残っている。
完全に復興したわけでもなければ、何もかもが豊かになったわけでもない。
それでも、この場所に漂っていた息苦しいほどの閉塞感は感じられなかった。
「私の知っている記憶とは……全然違いますね」
その声には驚きと、ほんの僅かな安堵が混じっていた。
「こっちでも色々あったからね~」
「先生が色々した、の間違いでは?」
先生は当時を思い出しながら楽しそうに笑う。
「私だけじゃないよ。アリウスのみんなが頑張ったからだよ」
「そうですか……」
ただ、少しだけ表情を柔らかくして、もう一度目の前の景色を眺めていた時だった。
近くを歩いていたアリウス生の一人が、先生たちの存在に気付いて足を止めた。
「あれ、先生…?」
「やあ、久しぶり」
先生が片手を上げると、その声に反応して周囲にいた別の生徒たちまで次々とこちらへ顔を向けた。
「先生だ!」
「本当に先生だ!」
「何しに来たの?」
「今日は泊まる?」
数人だったはずが、気付けばあっという間に先生たちの周囲へ人だかりが出来ていた。
スバルは、その様子を少し意外そうに眺める。
先生がアリウスの生徒たちから慕われていること自体は、彼女にとって不思議なことではない。
「先生、荷物ない?」
「何か持つよ」
「何か手伝うよ!」
「修理でもいいよ」
「護衛なら一日中出来るよ!」
「今、何か困ってない?」
「…………」
スバルの眉が僅かに動いた。みんな妙に積極的だった。
歓迎されている、というだけなら分かる。
しかし先生の周囲へ集まった生徒たちの目が、何故か妙にギラギラしている。
先生の手荷物へ視線を向ける者や何か指示を出してもらえないか期待する者。
中には今にも何でもしますと言い出しそうな顔をしている者までいた。
「随分と慕われているんですね」
「ありがたいことにね」
先生も改めてアリウス生たちを見る。
「何か手伝ってほしいことない?」
「ないなら作ってくれてもいいよ」
「荷物持ちでもいい」
その反応を見て、先生はようやく理解する。
「あぁ……」
彼女たちにとって先生の手伝いをするということは、単なる善意だけではない。
先生が以前、ベアトリーチェと戦う際にBBQを報酬に戦った件が尾を引いているのを理解した。
先生を手伝えば、褒められる。
褒められれば、食べ物が貰える。
そんな妙な成功体験が、かなり強固に形成されてしまったらしい。
「なるほど、これはナギサ達が心配するのもわかるな」
「何か言いましたか?」
「私の身から出た錆って事がわかったんだよ」
そんなやり取りをしていると一人のアリウス生が、スバルをじっと見る。
「スバル先輩」
「……なんですか?」
「今日は、いつものやらないの?」
「…………え? いつもの?」
スバルが目を瞬かせた。
「うん」
「ほら、あれ」
「最近やってるやつ」
「格好いいやつ」
「…………?」
スバルは完全に困惑した。
アリウスに来たばかりなのに最近やっていることなど存在するはずがない。
「あの……私は――」
スバルが説明しようとしたタイミングで、周りに集まってきたアリウス生に先生は小さく首を振った。
「今日は特に大丈夫かな。スバルも一緒にいるし、荷物もそんなにないから」
「…………」
その直後に先生の周囲を取り囲んでいたアリウス生たちが、一斉に黙った。
「え?」
先生が不思議そうに瞬きしていると。
今まで先生へ向いていた視線がゆっくりと隣にいるスバルへ集まっていく。
「…………?」
スバルも、その変化に気付いた。
「どうしました?」
だが、その途中で別のアリウス生が何かに気付いた。
「待って」
「ん?」
「スバル先輩、先生と一緒に来たんだよね?」
「ええ。それは――」
「先生の護衛?」
「そうですけど」
それを聞いた瞬間、周囲の空気が変わった。
「…………」
スバルは嫌な予感を覚えた。
一人の生徒が目を細める。
「ずるい」
「ずるい!」
「スバル先輩だけ先生の手伝いしてる!」
「抜け駆けだ!」
「絶対何か貰うつもりだ!」
「美味しいもの独り占めする気だ!」
「裏切り者ー!」
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
突然の非難に、スバルが慌てて両手を上げた。
「私は来たばかりで、先生の護衛も頼まれただけです!」
「もう先生の護衛してる!」
「やっぱり抜け駆け!」
「私たちは何も頼まれてないのに!」
「そうだそうだ!」
「話を聞いてください!」
一人がスバルの腕へしがみつく。
それを見た別の生徒が反対側から抱き付く。
「私も先生の手伝いする!」
「私も!」
「スバル先輩ばっかりずるい!」
「だから私が決めたわけでは――!」
さらに人数が増えた。
「わっ……ちょっと!?」
右から引っ張られ。左から抱き付かれ。
後ろからも腕が伸びてくる。
あっという間にスバルの姿がアリウス生の集団へ埋もれていった。
「待ってください! 本当に話を――!」
「裏切り者!」
「先輩なのに!」
「先生の食べ物独占反対!」
「私は食べ物の話なんて一度もしてません!」
スバルの声が人混みの中から聞こえる。
「み、みんな!」
先生も慌てて止めようとする。
「スバルは本当に今日来たばっかりだから! 私がお願いしただけで――」
「先生は黙っててください!」
「えぇ!?」
何故か先生まで止められた。
「先生はスバル先輩に甘い!」
「いや今日会ったばっかりだよ!?」
「もう護衛頼んでる!」
「それはアロナに一人で行くなって怒られたからで――」
「やっぱりスバル先輩だけずるい!」
「説明すればするほど悪化してない!?」
先生はどうしたらいいのか、完全に困り果てた。
スバルも揉みくちゃにされながら必死に弁明しているのだが、今のアリウス生たちに話を聞く気はほとんどないらしい。
トリニティで聞かされた話が脳裏を過る。
一般常識以前に、食べ物への執着からどうにかした方がいいのかもしれない。
そんなことを先生が考えていた、その時だった。
どこからともなく静かな音色が聞こえてきた。
「…………?」
先生が顔を上げる。
揉み合っていたアリウス生たちも、一人、また一人と動きを止めた。
荒れた建物の間を抜けてくる、どこか物悲しく、それでいて妙に達者なハーモニカの音。
「この音……」
一人のアリウス生が振り返る。
「来た」
「今日もやってる」
「格好いい……」
「スバル先輩だ!」
「え? じゃあ今、目の前に居るスバル先輩は?」
「多分偽物だ!」
「ちゃんと本物ですよ!」
ようやく人混みから顔だけ出せるようになったスバルが抗議するが、全員の視線は、通りの向こうへ向けられていた。
先生とスバルもつられてそちらを見つめていると、やがて、古びた建物の陰から一人の少女が姿を現した。
~~~~♪
ハーモニカを口元へ当てたまま、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
風が吹き抜けるたびに服の裾が僅かに揺れ、本人は周囲の視線など一切気にしていないような落ち着いた足取りで歩いていた。
その姿を見た瞬間。
「…………え?」
スバルの口から、間の抜けた声が漏れた。
何故なら、こちらへ歩いてくる少女はどう見ても自分だった。まるで鏡を見ているような瓜二つの姿。
「…………」
スバルが思わず面食らう中。現地スバルはハーモニカを吹きながら、ゆっくりと距離を縮めていく。
周囲のアリウス生たちは、完全に見慣れた光景として受け入れていた。
「今日も格好いい」
「この曲好き」
「スバル先輩、最近ずっと練習してるもんね」
「歩きながら吹くの難しそう」
スバルは、自分そっくりの存在よりも、その周囲の反応へ驚いていた。
どうやら、これは今日だけの突発的行動ではない様子だった。
「……いつも、なんですか?」
思わず近くの生徒へ尋ねる。
「うん、最近よくやってる」
「マジですか……」
スバルは再び現地スバルを見つめると、現地スバルもここでようやく自分と同じ顔をした少女に気付いた。
「…………!!」
ほんの一瞬だけだったが、その目が大きく見開かれる。
ハーモニカの音も途切れた。明らかに驚いている様子。
先生もそれを見て、ようやく声を掛けようとした。
「あ、ごめん。この子はね――」
「…………」
現地スバルはすぐに先生へ視線を向ける。
そして、先ほどの驚きが嘘だったかのように。
すっと表情を戻した。
そして少しだけ顎を引き、どこか遠くを見るように視線を逸らし。
「……興味ないね」
「あー…………元ソルジャーかな?」
この手のタイプは初めてでは無かった先生の反応は異様に早かった。
現地スバルの肩が僅かに揺れた。
「…………」
そしてスバルは己と瓜二つの存在がよくわからない行動をとっている事実に口を開けたまま固まっている。
一方で、周囲のアリウス生たちは先生の言葉の意味が分からないらしい。
「元ソルジャー?」
「何それ?」
「先生、何の話?」
「出た! スバル先輩の決め台詞!」
「今度真似してみようかな」
スバルは、その会話を聞きながら静かに周囲を見回した。
誰もおかしいと思っていない。むしろ現地スバルの振る舞いを普通に格好いいと思っている。
その光景になぜか自分の顔が羞恥で熱くなっていくのを感じていた。
「……先生!」
スバルが、顔を真っ赤にしながら先生を見る。
「この世界の私に一体、何があったんですか……!?」
そのスバルの問いに、先生は一度言葉を探す。
「う~ん」
先生は現地スバルを見る。
彼女は相変わらず涼しい顔をしている。
「多分FF7でもやったんじゃない?」
「FF7…?」
スバルが混乱していると、現地スバルが涼しい顔で口を開く。
「何のことでしょうか?」
「シャーレの休憩スペースにアドチルのBDあるよ」
「!! ……興味ないね」
「声震えてるよ?」
先生が即座に突っ込む。
周囲のアリウス生たちからは「おぉ」と感心したような声まで上がった。
「やっぱりこっちが本物のスバル先輩だ」
ゲームの影響を受けて、妙にクールな振る舞いへ目覚めた自分自身の様子に、スバルはますます何も言えなくなった。
「…………」
理解が追いつかない。
ただ、少なくとも悪い変化ではないことだけは、何となく分かった。
自分と同じ顔をした少女が、くだらないことに夢中になれる程度には、アリウスが平和になったということなのだから。
少し落ち着いてきたスバルは小さく息を吐いた。
「……まあ元気そうなら、それで良い……のでしょうか」
「多分?」
「何故先生まで自信がないんですか」
「だって私も今日初めて見たし……」
先生が苦笑する。
その時、現地スバルがゆっくりと二人の前へ歩いてきた。
「それで、今日は何をしに来たんです?」
「急に普通に戻った!」
「何のことです?」
「さっきまで元ソルジャーだったよね!?」
「…………興味ないね」
「まだそれは続けるのね」
先生の声がアリウス自治区へ響く。
周囲の生徒たちは相変わらず楽しそうに笑っていた。
スバルはそんな光景を眺めながら、改めて思う。自分が知っているアリウスとは、まるで違う。
そしてどうやら、その違いについて理解するには、一般常識を教えるだけでは済まないほど、時間が掛かりそうだった。