自分とまったく同じ顔をしたこの世界の自分が、いつの間にか、何かにつけて「興味ないね」と口にするようになっていたという事実をまだ完全には受け止め切れていないスバルを連れ、先生は現地スバルの案内でアリウス自治区の奥へと進んでいた。
先頭を歩く現地スバルは、先ほどまでの騒ぎなど最初から無かったかのように落ち着いている。ハーモニカは既にしまわれ、歩き方も表情も普段の彼女を知らない者が見れば、寡黙で頼りになる先輩としか思えないだろう。
その数歩後ろを歩くスバルだけが、何とも言えない顔で自分の背中を見つめ続けていた。
「……本当に、あれがこの世界の私なんですよね?」
「そうだね」
「誰かが変装しているとかではなく?」
「顔も名前もアリウスのみんなの反応も一致してるし、ほぼ間違いないと思うよ」
「はぁ……」
スバルはもう一度、前を歩く自分へ視線を向けた。
当の現地スバルは振り返りもせず、淡々と告げる。
「そんなに見られると歩きづらいんだけど」
「誰のせいだと思ってるんですか……」
スバルの眉がぴくりと動く。その横で先生は口元を押さえながら笑いを堪えた。
少なくとも今朝までのスバルは、この世界のアリウスへ来ることにかなり緊張していたはずだった。自分が知る場所とは違うと分かっていても、そこに暮らす生徒たちがどんな生活をしているのか、心配せずにはいられなかったのだろう。
ところが実際に来てみれば、後輩たちは先生の食べ物目当てで自分を揉みくちゃにし、自分はゲームに影響されたらしく妙なクールキャラへ変貌している。
今のところ、心配していた方向とはまったく違う意味で振り回されていた。
「ほら、着きましたよ」
やがて現地スバルが足を止めた。
目の前にあるのは、周囲の建物と比べれば比較的状態の良い一棟だった。新しい建物というわけではなく、窓や扉はきちんと整備され、日常的に誰かが使っていることが一目で分かる。
「ここは?」
「スクワッドがアリウスにいる時、よく使ってる場所です。ちょうど今もいるはず」
現地スバルは扉を開け、そのまま中へ入っていく。先生とスバルも後を追った。
建物の中は、外観から受ける印象以上に生活感があった。
簡素な机や椅子が置かれ、壁際には保存食や日用品をまとめた棚が並んでいる。以前のアリウスを知る者からすれば贅沢とは到底呼べない場所だろうが、少なくとも生き延びるためだけの拠点という張り詰めた空気はもう感じられない。
そして広めの一室には、四人の少女がそれぞれ思い思いに時間を過ごしていた。
サオリとアツコは机を挟んで何かを話している。
ミサキは窓辺へ寄り掛かり、外をぼんやりと眺めていた。
ヒヨリはソファの端へ座り、雑誌を広げながら真剣な顔でページをめくっている。
先生が知るアリウススクワッドの四人だった。
「……ん?」
最初に気付いたのは現地サオリだった。
顔を上げた瞬間、少し意外そうに目を瞬かせる。
「先生?」
「やあ」
先生が片手を上げると、現地サオリは椅子から立ち上がった。
「アリウスで先生に会うなんて、珍しいこともあるな」
「いつもはみんながシャーレに来てくれるからね」
「確かにそうだな」
彼女の表情が僅かに柔らかくなる。
それを聞いた現地アツコも振り返り、先生の姿を確認すると嬉しそうに近付いてきた。
「先生、いらっしゃい」
「お邪魔してるよ」
「本当に珍しいね。今日は泊まっていくの?」
「まだそこまでは決めてないかな」
その間にミサキも窓辺から離れ、ヒヨリも慌てて雑誌を閉じて立ち上がった。
「先生、お久しぶりです!」
「ヒヨリも元気そうだね」
「はい! 私はいつでも元気ですよ! ……お腹が空いている時以外はですけどね」
「ははは、いつも通りだね」
「それは褒められているんですかね!?」
ミサキは先生の隣に立っているスバルと、その少し離れたところにいる現地スバルを交互に見比べた。
「……また増えた?」
「あぁ、募集でね」
「ああ」
それだけで納得したらしい。
既にこの世界では、募集によって別の時間や世界から生徒が現れることそのものが、シャーレ周辺の者たちにはそれなりに知られている。
一方のスバルは、スクワッドの四人を前にして少しだけ目を細めていた。
もちろん、自分が知る彼女たちとは違う。
けれど四人が同じ部屋で、何でもない時間を普通に過ごしている。それだけの光景が、彼女にとっては少し不思議で、同時にどこか安心出来るものだった。
そんなスバルの様子に気付いた現地アツコが、少しだけ首を傾げる。
「初めまして……でいいのかな?」
「……まぁ確かに、そうですね」
現地アツコは深く追及しなかった。
「よろしくね、もう一人のスバル…先輩って言った方がいい?」
「いえ、いつも通りでいいですよ。こちらこそ、よろしくお願いします」
挨拶が済んだところで、現地サオリが改めて先生へ向き直った。
「ところで、どうして今日はアリウスに来たんだ?」
「ああ。それなんだけどね」
先生は少し表情を改め、ティーパーティーから相談された内容を話し始めた。
最近になって、アリウスの生徒たちが自治区の外へ出る機会が増えたこと。
それ自体は良いことなのだが、見知らぬ相手に食べ物で誘われてついていきそうになったり、明らかに怪しい求人へ応募しようとしたり、労働の対価として不釣り合いな現物しか渡されていないにもかかわらず満足してしまう生徒が出ていること。
先生が一つ一つ説明するたびに、スクワッドの四人の顔が少しずつ渋くなっていった。
「……その話か」
現地サオリが小さく息を吐いた。
「やっぱりみんなも知ってたんだ?」
「私たちも把握はしている」
今度は現地アツコが頷いた。
「実は、それについては私たちも前から気になってたの」
「前から?」
「うん。多分、外から見るより少し複雑なんだよね」
先生が椅子へ座ると、スバルもその隣へ腰を下ろす。現地スバルは何故か少し離れた壁へ背中を預け、腕を組んで瞳を閉じて黙っていた。
立ち方だけが妙に決まっている。先生は一瞬だけそちらへ視線を向けたものの、今は我慢して現地アツコの話へ集中した。
「実は先生に助けられてベアトリーチェの支配が終わってから、アリウスのみんなが一斉に外へ出るようになったわけじゃないんだよ」
「まあ、それはそうだよね」
先生もすぐに理解した。
長い間、閉鎖された環境で生きてきた生徒たちである。昨日まで外部を敵だと教え込まれていた者へ、今日から自由だから好きに街へ行っていいと言っても、簡単に気持ちを切り替えられるはずがない。
「元々外の世界に興味を持っていた子たちは、比較的早い時期から外へ行くようになったの。最初は怖がってたけど、買い物したり、働いてみたり、他の学校の子と話したりしてるうちに慣れていった」
「その子たちは大丈夫なんだ?」
「今はだいたいね。相場も分かるし、怪しい人に声を掛けられてもちゃんと警戒するよ」
現地アツコはそこで少し困ったような顔をした。
「問題なのは、もう一つの方」
「外が怖いと思ってた子たち?」
「そう」
長い時間を掛けて、ようやく外へ興味を持ち始めた生徒たち。
自分たちを害する場所だと信じていた世界に対して、ほんの少しだけ好奇心が恐怖を上回った。
それは間違いなく良い変化だったのだが。
「外へ出るようになったのが最近だから、経験がほとんど無いんだよね。悪い人がいることは知ってても、どういう人を警戒すればいいのかが分からない。仕事をしたら普通どのくらいお金を貰えるのかも知らないし、お店の商品がいくらくらいするのかも知らない」
「それで、お弁当一個でも喜んじゃうんだ……」
先生の声が少し重くなる。
「私たちも、何もしてなかったわけじゃないよ」
現地アツコは続けた。
「危ない求人は避けた方がいいとか、知らない人についていっちゃ駄目とか、出来るだけ教えてる。でも……」
「上手くいかない?」
「それもあるんだけど、言い方が難しくて」
現地アツコは少し考えてから、ゆっくりと言葉を選んだ。
「例えば、外で初めて仕事をして、お弁当を貰って嬉しそうに帰ってきた子に、『それ、騙されてるよ』って言うのは簡単でしょ?」
「……うん」
「でも、その子は勇気を出して外へ行ったんだよね」
先生は黙って続きを待った。
「もし何をしても『危ない』『騙されてる』『それは駄目』って言われたら、外ってやっぱり怖い場所なんだって思って、また出なくなっちゃうかもしれない」
「…………」
話を聞いていた先生の表情が少し変わった。ティーパーティーから相談を受けた時は、一般常識を教えれば解決出来る話だと思っていた。
知らない相手についていかない、怪しい求人へ応募しない、働いた分だけ適切な報酬を受け取るなど、どれも教えること自体は難しくない。
けれど、今回問題になっている生徒たちに必要なのは、単なる知識だけではなかった。
ようやく外へ踏み出した一歩を、怖い思い出へ変えずに済む手段が求められている。
危険を教えながら、それでも外の世界を嫌いにさせない、そんな方法。
「思ってたより難しい問題だね……」
「そうなんだよ」
現地アツコも困ったように笑う。
「でも先生が来てくれたのは助かるよ」
「私も、これは先生に任せるのが良いと思う」
現地サオリも頷いた。
先生はしばらく考え込み、それからふと気になってスクワッドの四人を見回した。
「ちなみに、みんなはもう外の生活には慣れてるんだよね?」
現地アツコが胸を張って答える。
「私たちはシャーレにもよく行ってるからね。買い物も出来るし、仕事も出来るよ」
「そうだな」
現地サオリも当然のように頷く。
その横でミサキが淡々と付け足した。
「怪しい奴の話なんて最初から信用しなければいいだけだし」
「ミサキは逆に、もう少し人を信用してもいいと思うけどね」
「別に困ってないし…」
「友達増えないよ?」
「……面倒くさい」
「そこは直そう?」
「興味ない」
「この世界のスバルみたいなこと言わないで!」
先生のツッコミに、壁際の現地スバルが僅かに眉を動かした。
一方、ヒヨリは待っていましたとばかりに胸を張る。
「私も全然大丈夫ですよ!」
「ヒヨリは一人でも外に行く?」
「もちろんです! この前なんて一人で百鬼夜行まで行ってきました!」
「百鬼夜行!?」
先生は少し驚いた。
「へぇ~。何しに行ったの?」
「有名な焼き鳥屋さんに行ってきました!」
一瞬心配した自分が馬鹿らしくなった。
「美味しかったですよ! 塩とタレで迷ったんですけど、せっかく来たので思い切って両方食べました!」
「いいね~。他にはなにか観光したの?」
「それから帰りにお団子も食べました!」
「満喫してるね~」
食欲を原動力にしている点だけ見れば若干不安は残るが、少なくとも自分で公共交通機関を使って百鬼夜行まで出掛け、食事をして帰ってこられるのなら社会生活という意味ではかなり順応している。
「そういえばサオリはシャーレ以外でも仕事したことあるんだよね?」
「ある」
「大丈夫だった?」
「…………」
サオリの返答が止まった。
「サオリ?」
「今は問題ない」
「今は?」
先生が聞き返すと現地アツコが少し笑いながら横から口を挟んだ。
「前に一度、バイト代を払ってもらえないまま雇い主に逃げられたことがあるよ」
「アツコ!」
サオリが珍しく気まずそうな顔をした。
「えぇ!?」
先生は思わず身を乗り出した。
「ちゃんと請求したの?」
「後日向かった時には既にいなかった」
「どうしてその日のうちに貰わなかったの?」
「後で振り込むと言っていたから」
「サオリ……」
「もう同じ失敗はしない!」
「それならいいけど……いや不払いは全然良くはないんだけど……」
今度、連邦生徒会の労働関係の相談窓口についても教えておいた方がいいかもしれない。
そして最後に先生は現地アツコを見る。
「アツコは?」
「私?」
「外で困ったこととかない?」
「う~ん無いかな?」
その返事を聞いた現地サオリが、僅かに目を細めた。
先ほど自分が過去の失敗を現地アツコにあっさり暴露されたことを、どうやらまだ覚えていたらしい。
「いや、アツコはある意味で一番順応しているぞ」
静かに口を挟む。
「そうなの?」
先生が少し意外そうに聞き返す。
現地アツコも何故自分が急にそんな評価を受けているのか分からないらしく、不思議そうに首を傾げていた。
「何の話?」
「このアリウスの運営資金を荒稼ぎしたのは、アツコの手腕だからな」
「荒稼ぎって……何したの?」
先生の興味が一気にそちらへ向いた。
「大したことじゃないよ」
「大したことある」
今度はミサキが即座に否定した。
「凄かったですよね!」
ヒヨリまで便乗して頷く。
「ちょっと待って。みんなして何を言うつもりなの!?」
現地アツコが嫌な予感を覚えたように三人の口を塞ごうとするも少し遅かった。
サオリが淡々と話し始めてしまった。
「最初はトリニティだったな。アリウス分校の運営資金が足りないから、支援を取り付けに行った」
「それは普通じゃない?」
先生はまだ特におかしなところを感じていなかった。
「今のアリウスはエデン条約に正式加入しているし、トリニティとゲヘナの間にいる立場でもある。安定した運営のために支援を求めること自体は、何も変じゃないよね?」
「そこまではいい。問題は、その後だ」
先生が首を傾げる横で、ヒヨリがどこか楽しそうに続きを引き継いだ。
「トリニティから支援してもらえることになったその足で、今度はゲヘナに行ったんですよ!」
「ん? ゲヘナにも?」
「そうです!」
「…………何をしに?」
先生の問いに、現地アツコは少しだけ視線を逸らした。
その様子を見た時点で、先生にも何となく嫌な予感がしてくる。
サオリが妙に誇らしげな口調で説明する。
「アツコはゲヘナでこう言った『トリニティはこれくらい支援してくれることになったよ』とな」
「それを……万魔殿に?」
「ただ報告しただけだよ?」
アツコが観念したように答える。
「その結果、ゲヘナ側から、トリニティより少し多い額を引き出させた」
ミサキが淡々と続ける。
「…………」
「しかも一回じゃありません」
ヒヨリの追撃はまだ続く。
「次の支援の相談の時も、最初に片方から話を聞いて、その条件をもう片方に持っていってました!」
「ヒヨリ、それ以上言わなくていいよ」
「でも本当のことですよ?」
「そうだけど……」
現地アツコが珍しく困ったようにオロオロしていた。
先生は話を聞いてよくこんな急所を突くような、とある意味で感心していた。
エデン条約以前から長い因縁を持つトリニティとゲヘナ。そのどちらも、間に入っているアリウスを露骨に冷遇するような真似は出来ない。
まして『トリニティはこれだけ支援してくれました』と聞かされたゲヘナが、それより明らかに少ない額を提示するのは何となく癪だろう。逆もまた然り。
「もしかして、トリニティとゲヘナを競わせた?」
「競わせてないよ?」
「本当に?」
「私はただ、もう片方がどれくらい支援してくれたか伝えただけ」
「それを世間では競わせてるって言う気がするんだけど……」
「でも嘘は言ってないよ?」
「それはそうだけど!」
先生が頭を抱える。
現地サオリはそんな現地アツコを見ながら、何故か少し誇らしそうだった。
「結果として、アリウスの運営資金はかなり安定した」
「食事も増えました!」
ヒヨリも嬉しそうに両手を上げる。
「前より食事の質も上がった」
ミサキまで淡々と付け足した。
「みんな結果で完全に納得してる……」
先生は呆れながらも、実際に成果が出ているだけに強く否定することも出来なかった。
「ちなみに、そのやり方は自分で思いついたの?」
「半分は、仕上げをしてくれたのはシャーレにいるナギサさん達」
「あぁー……」
先生の動きが止まる。
「三人とも?」
「うん。最初に運営資金をどうすればいいか相談したら、交渉の仕方とか、相手が断りづらい条件の作り方とか教えてくれたよ」
あのズッコケ三人組も普段はふざけ倒しているが、政治面では化物という事実を再認識した先生だった。
それにしてもアツコへ一体何を教え込んだのか、今度シャーレへ戻ったら少し詳しく確認する必要がありそうなのでお話しすることを決意するのだった。
密かにお紅茶軍団への対応を決めていると現地サオリが真面目な顔で言ってくる。
「だから言っただろう。アツコは一番順応している」
「順応って言っていいのかな、これ……」
「社会で生きていく力という意味では、間違ってないと思うけど」
ミサキがさらりと答える。
「それはそうなんだけどさぁ……」
当の本人は未だに、自分が何故ここまで妙な目で見られているのか完全には理解していない様子だった。
「何か変だった?」
「結果だけ見れば完璧なんだよなぁ……」
先生が何とも言えない顔をしている中。
「……待ってください」
隣からスバルの狼狽した声が聞こえた。
「今……何と言いました?」
「ん?」
現地アツコが首を傾げる。
「アリウスが、エデン条約の……」
スバルは聞き間違いではないかと確かめるように、ゆっくりと言葉を区切った。
「正式加盟校……?」
「そうだよ」
「……アリウスが?」
「ああ。今はアリウスもエデン条約へ正式に参加している」
「…………」
スバルは完全に固まった。
先ほど自治区へ入った時から、自分が知るアリウスとの違いを何度も目にしてきた。
それだけでも十分な違いだった。だが今聞かされたものは、次元が違った。
「アリウスが……エデン条約に……?」
声に出してみても、まだ実感が湧かない。
「そんなことが……」
「フッ」
静かな鼻笑いが聞こえた。
スバルの眉が動く。ゆっくり音が聞こえて来た方向を見ると相変わらず壁際で腕を組んでいる現地スバルが笑っていた。
「……何がおかしいんですか?」
「別に」
「今、鼻で笑いましたよね?」
「貴方の勘違いじゃない?」
「絶対笑いました」
現地スバルはほんの少しだけ顔を横へ向ける。
「もう一人の私といると、退屈しないですね」
スバルのこめかみに青筋が浮かんだ。
「さっきから何なんですか、貴方は!?」
「興味ないね」
「興味あるからわざわざ煽ってきてるんでしょう!?」
「二人とも仲良いね」
「「良くありません!」」
先生の一言に、二人の声が綺麗に重なった。
スクワッドの四人は二人のスバルを見比べていたが、現地スバルの最近の言動に慣れているせいか、妙な格好や言い回しに疑問を持っている者は一人もいなかった。
むしろサオリなどは、「スバルは最近、落ち着きが増したな」と真面目な顔で評価している。
スバルは何とも言えない表情になった。
先生はその様子を見た後、先ほどから気になっていたことを思い出し、サオリへそっと身を寄せて耳打ちする。
「そういえば、あのスバルは、さっきアツコが言ってた二つのグループだとどっちなの?」
現地サオリは何故そんなことを聞くのか分からないという顔をした。
「前者に決まっているだろう」
「やっぱり?」
「スバルはかなり早い時期から外へ出ていた。買い物も仕事も一人で出来るし、最近は外の娯楽にも詳しい」
現地スバルは再び腕を組んだまま、何処か遠くを眺めている。
ただ立っているだけなのに、妙に風でも吹いていそうな雰囲気を出していた。
「順応しすぎて別方向に行っちゃってない?」
「何がだ?」
「いや、何でもないよ」
現地サオリにはどうやら本気で分からないらしい。
それも含めて、この世界のアリウスでは完全に受け入れられているようだった。
◆
ひとしきり話を聞き終えた先生は、改めて椅子へ深く座り直した。
今回の依頼について、来る前よりずっと詳しい事情が分かった。
ティーパーティーの心配は正しい。一般社会について知らなければ、この先もっと深刻な被害に遭う生徒が出てもおかしくない。
けれど、だからといって危険な部分ばかりを強調するのも違う。
「……難しいなぁ」
先生が呟く。
「やっぱり座学だけじゃ駄目そう?」
先生は少し考えてから答えた。
「『外には悪い人がいるから気を付けよう』って教えるだけなら簡単なんだけどね」
それを何度も繰り返したら。
せっかく外へ出ようと思えるようになった生徒たちが、また自治区へ引き籠もってしまうかもしれない。
「外が怖くないって教えながら、危ないことも教えないといけないんだよね」
「そうなんだよね」
アツコが小さく頷いた。
隣でスバルも静かに話を聞いていた。
「……先生」
「ん?」
「私も、その方が良いと思います」
「スバルも?」
「はい」
スバルは少しだけ目を伏せた。
「外へ出なければ、危ない目には遭わないかもしれません。でも、それでは……何も変わらないですから」
自分の知るアリウスを思い浮かべているのだろう。
「あの子たちがようやく外へ出ようと思えたのなら、その気持ちは大事にした方がいいと思います」
外へ出るな、と教えるのではない。
外へ出ても大丈夫なようにする。
危険を避ける方法を知り、それと同時に外の世界にある楽しいものも知ってもらう。
「…………」
先生はふと、今日アリウスへ来る途中に見たものを思い出した。
トリニティの街並みに店に並ぶ商品。そして賑わっていたカフェを眺めていたスバルの姿。
そして今、目の前にいるヒヨリは自分一人で百鬼夜行へ行き、焼き鳥を食べて帰ってくることが出来る。
外の世界を知るというのは、危険を学ぶことだけではない。
「……そっか」
「先生?」
現地サオリが声を掛ける。
先生の顔が少しずつ明るくなっていた。
「教室で全部教えようとするから難しいんだ」
「どういうことだ?」
「実際に見てもらえばいいんだよ」
先生は立ち上がった。
「ちゃんとした仕事なら、どのくらいお金を貰えるのか。そのお金で何が買えるのか。お店ではどうやって買い物するのか。求人票のどこを見ればいいのか」
一つずつ指を折りながら挙げていく。
「それに、電車の乗り方とか、カフェとか、お店とか……外には危ないものだけじゃなくて、楽しいものもいっぱいあるってことも」
「どうするつもりなんだ?」
先生は少しだけ笑った。
「社会科見学をしようと思う」
「社会科見学?」
「うん。みんなで実際に外へ行くんだ」
世間に疎い生徒たちだけを対象にする必要もない。
外に慣れている生徒も一緒に行けば、困った時には助けてもらえる。
スクワッドも。二人のスバルも。先生自身も同行する。
実際の街を歩きながら、一つずつ覚えてもらえばいい。
「危ないから外に出るな、じゃなくてちゃんと知れば、外はそんなに怖い場所じゃないって教えてあげよう」
部屋の中が少しだけ静かになった。
最初に頷いたのは現地アツコだった。
「うん。私は賛成」
「私も異論はない。先生が一緒なら、大きな問題にはならないだろう」
「先生が一緒だから大きな問題になる可能性もありそうだけど」
ミサキがぼそりと呟いた。
「ミサキ?」
「別に」
その横では、スバルも小さく笑っていた。
「私も手伝います」
「ありがとう」
「そっちの私も、当然手伝いますよね?」
わざわざ少し強調して問い掛ける。
「…………」
壁際の現地スバルへ全員の視線が集まった。
現地スバルは腕を組んだまま目を開けると。
「……いいでしょう。私がどれだけ物知りか教えてあげましょう」
「だから普通に答えられないんですか!?」
スバルが即座に声を上げた。
「だが実際スバルは適任だ。外のこともかなり分かっているからな。後輩たちの面倒も見慣れている」
「ふっ……元ソルジャーを舐めるな」
現地スバルが照れくさそうにそっぽを向くと、先生が楽しそうに笑う。
「決まりだね、元ソルジャー!」
「ああ、任された」
少しだけ騒がしくなった室内で、今度はヒヨリが勢いよく手を上げた。
「はい、ヒヨリ」
「社会科見学って、お昼ご飯は出ますか!? 出来れば焼肉がいいんですが!?」
「ヒヨリ」
「はい?」
先生は額を押さえながら、深々と息を吐いた。
「君は食べ物への執着から少しずつ直していこうか」
「えぇ!? どうしてですか!?」
ヒヨリの悲鳴に近い声が部屋へ響き、周りのみんなが楽しそうに笑う。
スバルはそんな彼女たちを眺めながら、また一つ、この世界のアリウスが自分の知る場所とは違うことを実感していた。
問題は確かに残っている。
世間を知らず、外を怖がり、ようやく踏み出した一歩が危なっかしい生徒たちもいる。
外へ出た時、どうすれば騙されずに済むのか、働いたらどれくらいの報酬を受け取るべきなのか。
どこへ遊びに行き、何を食べ、どんな経験をして帰ってくるのか、そんな未来の話だった。
そして次に先生たちが教えることになるのも、戦い方でも、生き残り方でもない。
アリウスの生徒たちが、外の世界で普通に生きていくための少し騒がしい社会科見学になりそうだった。