アリウス自治区で現地スバルやスクワッドと話し合い、社会科見学という今後の方針まで決めた先生がシャーレへ戻ってきた頃には、すっかり日も傾いていた。
「ただいま――」
先生はいつもの様にいたって普通にシャーレの扉を開けた瞬間。
休憩スペースには、何故か妙に大勢の人間が集まっていた。
正面のソファには元理事が腕を組んで座り、その隣ではカヤが書類を抱えたまま険しい表情を浮かべている。テスも静かにこちらを眺めており、その周辺には本日シャーレにいた募集生徒たちまで揃っていた。
そして全員の視線が今、帰ってきた先生へ向けられている。
「あっ失礼しました~」
先生は反射的に扉を閉めようとした。
「待て」
「……うぅ」
元理事に呼び止められ、素直に手を離した。
隣にいたスバルが何とも言えない顔で先生を見る。
「……先生もしかして、出掛けたことを誰にも言ってなかったんですか?」
「一応、アロナは知ってるよ?」
『はい! 私は知っています!』
「そういう意味ではないのですが……」
スバルが呆れたように息を吐く。その様子を見届けた元理事は、額へ手を当てながら深々と溜息をついた。
「朝から姿が見えないと思えば、また知らない生徒を一人増やして帰ってきたか……」
「知らない子じゃないよ。スバルだよ」
「名前の話をしているんじゃない」
「ごもっともです」
今度はカヤが口を開く。
「朝から一体どこへ行っていたんですか?」
「トリニティとアリウスにちょっとだけね」
「二ヶ所も!?」
「……色々あったんだよ」
「その色々を誰にも知らせずに出掛けないでください!」
早速始まった追及に、先生は少し身を縮めた。
ただ、今回はまったくの無断外出というわけではない。アロナから「護衛なしで出掛ければ怒られる」と忠告された結果、きちんと対策まで講じている。
「でも今日はちゃんと護衛もいたよ」
先生は少し得意げに隣のスバルを示したけど、何故か誰も納得した顔をしてくれない。
「…あれ?」
その反応で元理事の迫力が一段上がる。
「まさかとは思うが、護衛が必要だから呼んだのか?」
「だってナギサからシャーレのみんなには秘密にしてって言われてたから……」
その説明を聞いて、今度は全員が少しだけ反応を変えた。
「ナギサ?」
ヒナが尋ねる。
「トリニティのナギサだよ。ティーパーティーの三人から相談があるって呼ばれたんだ」
先生はそこで、ようやく今日一日の事情を最初から説明した。
現地ナギサから秘密裏に呼び出されたこと。
一人で向かおうとしたところをアロナに止められたこと。
そこで募集を行い、スバルが来てくれたこと。
そしてトリニティで聞かされた、アリウス生たちが抱えている少し変わった問題。
知らない相手から飴を貰ってついていきそうになったり、明らかに怪しい求人へ応募しようとしたり、労働の対価として弁当一つを渡されただけなのに喜んでしまったりする生徒が出ている。
その後アリウスへ実際に赴き、現地スバルやスクワッドからさらに詳しい事情を聞いたことも話した。
「なるほどな……」
先生の説明を最後まで聞いた元理事は、先ほどまでの苛立ちを少しだけ引っ込めた。
「少なくとも、遊びに出掛けていたわけではないようだ」
「当たり前じゃん!」
「だからと言って無断で消えて良い理由にはならないがな」
「はい……」
テスが先生の隣にいるスバルへ視線を向けた。
「まぁまぁ。先生も護衛を用意してから出掛けたという点については、以前より成長したと考えてもいいんじゃない?」
「募集して護衛を増やすのを成長と呼びますか?」
カヤのもっともな指摘に、テスは少し考え込んだ。
「一人で行くよりはいいんじゃない? 先生は私並みに雑魚だからね!」
そんな中、スバルは自分へ集まる視線を受けながら、静かに一礼した。
「梯スバルです。事情があって今日からお世話になります。先生については、私がきちんと護衛していましたので」
事情が分かったことで、最初の張り詰めた空気はかなり薄れていた。
「それで? 結局、アリウスの子たちにはどうすることになったのぉ?」
臨戦ホシノがソファの背へ身体を預けながら尋ねる。
「社会科見学をやってみようと思ってる」
「社会科見学?」
「うん。教室で危ないことばかり教えるより、私や慣れてる子達と一緒に外を歩いてもらった方がいいんじゃないかなって」
先生はアリウスで考えた方針をみんなにも説明した。
買い物をして商品の値段を知ること。
働いた時の普通の報酬を知ること。
公共交通機関や飲食店を実際に使うこと。
そして何より、外の世界には危険なことだけでなく、楽しいこともたくさんあると知ってもらうこと。
「まだ行き先までは決めてないから、これから予定を作らないといけないんだけどね」
「それなら私も手伝いますよ」
カヤがすぐに仕事の顔へ戻る。
「各学園へアリウス生をまとまった人数で連れていくのでしたら、事前の連絡は必要でしょう。移動経路や人数、引率者についても決めておいた方がいいですね」
「流石は天下の防衛室長! 助かるよ!」
「そう思うなら最初から私に相談してください」
「次からはそうします」
先生はまた小さくなった。
そこでふと、今日アリウスで聞いた別の話が頭を過った。
「あっ」
「どうしたんですか?」
「そういえば……」
視線が休憩スペースの一角へ向く。
そこには、ナギサ、ミカ、セイアの三人がいた。
「お紅茶三人組~!」
「はい?」
「な~に?」
「何だい?」
三人が揃ってこちらを見る。先生は少しだけ表情を引き締めた。
「三人とは後で、大事な話があるから」
「…………」
先生としては、それだけだった。
現地アツコから聞いた、アリウス分校の運営資金を巡る交渉。
そのやり方を教えたのがシャーレにいるティーパーティー三人だと聞いた以上、一度きちんと話しておいた方がいい。
少なくとも、先生の中ではそれだけの意味しかなかった。
しかし、事態は思ってもない方向に転がり始める。
「…………ふぇ!?」
ナギサの頬が、ほんのり赤くなった。
「…………え!?」
ミカも目を丸くした後、みるみる嬉しそうな笑顔になっていく。
「…………お?」
セイアに至っては、口元を片手で隠しながら露骨に視線を逸らしていた。
「……どうしたの?」
「い、いえ?」
ナギサが少しだけ髪を整える。
「何でもありませんよ、先生!」
「何で急に嬉しそうなの?」
「気のせいではないですか!?」
「絶対気のせいじゃないよね?」
「先生、大事な話って、三人だけでだよね!?」
ミカがにこにこと笑いながら一歩前へ出た。
「うん。そのつもりだけど」
「わーお☆」
ミカの笑顔がさらに輝いた瞬間、周囲の空気も変わった。
「…………」
それまで社会科見学の話を聞いていた募集生徒たちが、一斉にティーパーティー三人へ視線を向ける。
「三人だけ……?」
誰かが呟いた。
「先生と大事な話……?」
別の誰かが続ける。
「抜け駆け?」
また一人。
「……地下?」
「地下かな」
「地下ですね」
「何で地下に行く話になってるの!?」
先生だけが現状を理解できないで混乱している中。肝心の三人は、周囲から向けられる視線の意図を完璧に理解していた。
ナギサが僅かに胸を張り、何とも勝ち誇った笑みを浮かべる。
「皆さんから先生を奪ってしまってすいません。ですが考えてみてください。私はアビドス編から居る古株なんです! 長い付き合いの中、先生が私を選ぶのも無理はないと思いますよね!?」
「ナギサ?」
「私だけを選んでくれなかったのはちょっと引っかかるけど、まぁ今は細かい話はいいじゃんね!」
「ミカ?」
最後にセイアが普段の落ち着いた雰囲気はどこへ行ったのか、妙に得意げな表情で胸元へ手を添えた。
「鉄壁の先生を落としてしまうほどのセクシーフォックスですまない……。本当にすwwwまwwwなwwwいwww」
「セイア!?」
先生が一番驚いた。
「三人とも何の話してるの!?」
だが、その疑問に答える者はいなかった。
むしろ三人の煽りが完全に火へ油を注いだらしく、周囲の雰囲気は先ほどよりさらに重くなっている。
そんな中ヒナだけは少し違う反応をしていた。
最初は無言で三人を見つめていたものの、やがて視線が下がり。
次第に羽が元気なく垂れ下がり。背中までも少しずつ丸くなり、目に見えて生気が失われていった。
「……ヒナ? どうしたの、目に見えて元気ないけど大丈夫?」
「……私も――」
ヒナが泣きそうな顔で自分の胸の内を吐露するように叫んだ。
「私も、先生と二人っきりで大事な話をされたかった……!!」
「なんでぇぇ!?」
そしてとうとう本気で落ち込んでしまった。
「話ならいつでもするよ!?」
「そういうことじゃない……」
「どういうこと!?」
ヒナはそれ以上答えず、完全にシナシナになってソファへ沈んでいった。
それでも三人はまだ完全には危機を理解していないらしく、どこか浮ついた空気を残していた。
やがて臨戦ホシノがにっこりと笑う。
「じゃあ三人とも、ちょ~っと地下でお話ししようかぁ~?」
「ん。案内する」
シロコテラーも立ち上がった。
そのまま三人は、いつの間にか集まった亡者のような募集生徒たちに囲まれ、ずるずると廊下の向こうへ連れていかれた。
「先生~☆ 後でね~!」
「先生、必ず参りますから!」
「しばし待っていてくれたまえ。大事な話のためなら、この程度の――」
三人の声が遠ざかっていく。
先生は呆然とその光景を見送った。
「…………何だったんだろう?」
横から元理事の声。
「後で絶対に誤解を解いておいてくれ」
「誤解?」
「そこからか……」
元理事は心底疲れたように額を押さえた。
◆
アリウスの社会科見学は、先生が思っていた以上に大掛かりな計画になった。
参加希望者を確認し、引率に誰を連れていくのかを決め、交通手段と食事、緊急時の連絡先まで用意する必要がある。
特に今回は、普段あまり自治区の外へ出ないアリウス生を連れていく。
ただ観光させるだけならまだしも、一般社会で暮らすための知識を身につけてもらうという目的がある以上、行き当たりばったりで進めるわけにはいかなかった。
「候補は三校くらいかな」
シャーレの会議室では、先生、スバル、カヤ、テス、元理事を中心に、社会科見学の予定表が広げられていた。
「まず外せないのはトリニティでしょ」
先生が地図の一点を指差す。
「アリウスからの隣だし。街も綺麗だし、治安もいい。買い物したり、お店に入ったりする練習には向いてると思うんだけど」
「最初の訪問先としては妥当ですね。今回の件を相談してきたのもティーパーティーですし。協力も得やすいでしょう」
カヤも先生の意見に頷く。
「次にゲヘナにも行こうかな~って」
スバルが少しだけ顔を上げた。
「ゲヘナですか?」
「うん。色んなお店があるし、トリニティとは雰囲気も全然違うからね。違う場所も見た方がいいかなって」
「治安がな~…」
テスが冷静に尋ねる。
「ヒナたちにも協力してもらえば何とか……」
「本当に大丈夫なのか?」
元理事が口を挟む。
「でもゲヘナも見ておいた方がいいと思うんだよ。それにエデン条約の加盟校だしさ!」
先生なりに理由はあった。
安全で整った場所だけを見せれば良いというものでもない。
様々な環境を知ること自体が、外の世界へ慣れるための経験になるはずだ。
「最後はミレニアムにしようと思ってるんだよね」
「ここは特に問題なさそうですね」
カヤが資料を見る。
「治安も比較的安定していますし、店舗や交通機関も充実しています」
「でしょ? それに娯楽関連は凄いからね。アリウスの子達にはいい刺激になると思うんだよね」
先生は満足そうに頷いた。
こうして候補は、トリニティ、ゲヘナ、ミレニアムの三校に絞られた。
そこから各学園への許可取りが始まる。
トリニティは元々ティーパーティーから持ち込まれた相談だったこともあり、話はすぐに通った。アリウス生が外へ慣れるための見学であれば、出来る限り協力すると現地ナギサも快く了承してくれた。
ゲヘナ側も、現地ヒナやマコトへ事情を説明すると意外なほど話は早かった。
『アリウスの生徒が社会科見学だと?』
最初こそマコトは怪訝そうな声を出したが、目的を聞けば異論はなかった。
『フハハハハ! ならばゲヘナの素晴らしさを存分に見せてやろうではないか! トリニティなどより遥かに――』
『マコト』
『何だヒナ!』
『大人しくしていてちょうだい』
『いつもしているだろう!?』
電話越しにいつものやり取りが始まったものの、最終的には正式に許可が下りた。
ミレニアムも同様だった。リオを通して話を進めると、教育目的なら問題ないという返答が返ってきた。安全面についても他二校より計画を立てやすく、先生としては三校目でかなり理想的な見学が出来るのではないかと期待していた。
アリウス側とも参加人数を調整し、外へ出始めたばかりの生徒を中心に希望者を募る。体調不良や途中離脱に備えて引率側の人数にも余裕を持たせ、移動中に迷子が出ないよう班まで作った。
最初は「ちょっと外へ連れていこう」程度だった話が、気付けば立派な行事になっていた。
準備開始から、ほぼ一週間、ようやく日程表が形になり始めた頃だった。
「そうだ。うちのナギサ達と話をしないと」
各学園から正式な許可が揃った日の夕方。
先生はようやく、ずっと先延ばしになっていた用事を思い出した。
こうして呼び出された三人は、妙に緊張しながら小さな会議室へ入ってきた。
何故か三人とも、いつもより少しだけ身だしなみが整っているように見える。
「お待たせしました、先生」
「待った?☆」
「さて……大事な話とやらを聞かせてもらおうか」
「うん。じゃあそこに座って」
「「「…………」」」
三人が並んで着席する。
先生は反対側へ座ると、少し真面目な表情で三人を見た。
ナギサの頬が僅かに赤くなる。
ミカは期待を隠そうともしていない。
セイアも落ち着いているように見えるが、椅子へ座った後もソワソワしていた。
「まず確認なんだけど」
「はい」
「この世界のアツコに、アリウス分校の運営資金をどう確保すればいいか教えたのって、君たちだよね?」
予想外の話に三人の表情が固まった。
「え?」
ミカが最初に声を漏らす。
「アツコから聞いたんだけど」
先生は何も気付いていないまま話を続けた。
「トリニティから支援を取り付けた後、その金額をゲヘナへ持っていって、それ以上の支援を引き出したって聞いたよ。しかも一回だけじゃないみたいだし」
「…………」
自分たちが呼び出された理由を正確に理解したナギサが目を逸らした。同じく察したセイアも静かに目を閉じる。
ミカだけは未だに事態を理解出来ていないような顔で先生を見ていた。
先生は少し困ったように眉を下げる。
「アツコはああ見えて素直なんだから、あんまりあくどい交渉方法を教えちゃ駄目だよ?」
「…………」
「別に交渉の仕方を教えるのが悪いって言ってるわけじゃないんだよ? アリウスの運営資金は必要だし、結果的に助かってるのも分かるんだよ――」
「…………」
「でもトリニティとゲヘナの対抗心を利用して競わせるのは、やり過ぎると後で揉めるかもしれないからさ」
「…………」
「三人とも聞いてる? なんか心なしか目が死んでるけど…」
「……はい」
ナギサの返事には、先ほどまでの期待が完全に消えていた。
ミカがおそるおそる手を上げる。
「先生……大事な話って」
「これだよ?」
「…………は?」
「え? 他にある?」
先生の一言でミカの期待も粉々に砕けた。
「……ないです」
「そっか」
先生は満足そうに頷いた。
「じゃあ今後は気を付けてね」
「はい……」
「分かったよ……」
「肝に銘じよう……」
三人は力なく立ち上がった。
「ごめんね。一応君たちには言っとかないとって思ってさ」
「大丈夫です……」
「……全然大丈夫そうじゃない気がするけど?」
「少し……時間をください……」
ナギサを先頭に、三人は肩を落として会議室から出ていった。
「怒りすぎちゃったかな…?」
先生は最後まで、彼女たちが何故あれほど落ち込んでいるのか理解出来ていなかった。
◆
「…………」
「…………」
「…………」
休憩スペースのソファに、三人が並んで座っているところを募集生徒たちに発見された。
ナギサは虚空を見つめ。
ミカはテーブルへ頬をつけ。
セイアは背もたれへ身体を預けたまま、何かを悟ったように天井を眺めている。
「どうだった? 先生との大事な話は?」
臨戦ホシノが興味津々で尋ねる。
「「「…………」」」
「ナギサちゃん?」
「なにも…な゛かった……!!」
その一言だけで、周囲の者たちは大体の事情を察した。
「ん。ドンマイ」
シロコテラーが小さく親指を立てた。
「うぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
ナギサ達の悲鳴がシャーレに響いた。
◆
数日後。
社会科見学を翌日に控えたシャーレの廊下で、先生とスバルは奇妙な三人組と遭遇した。
向こうから歩いてくるのは、見慣れたティーパーティーの三人だった。
ただし服装が妙だった。
ナギサの上半身には、珍しく白地のTシャツでラフな格好。
ただ、その中央へ大きく【勘違いポンコツ女】と書かれていた。
ミカには【色ボケクーデター女】と書かれていて。
セイアには【ハミデナイヤン】と書かれていた。
「…………」
先生はその光景に何も言えなかった。同じくスバルも何も言えなかった。
そして三人も何も言わない。しばらく廊下の真ん中でお互いに見つめ合いながら、ただ静かな時間だけが流れた。
「……それどうしたの?」
先生がようやく口を開く。
「シャーレに居る私たちのご友人からのささやかな贈り物ですよ……」
ナギサが即答した。
「みんなからのプレゼントだよ」
ミカは死んだ目で笑った。
「ハハ、羨ましいだろう……?」
セイアも虚ろな目で自慢してくる。
「何故プレゼントされた物を律儀に着ているんです?」
スバルが素朴な疑問を口にする。
「『せっかく贈ったんだから一度くらい着て』と囲まれまして……」
ナギサの声に覇気がない。
「断れなかったの?」
「相手が多すぎました」
「…………そっか」
先生は少し同情した。
そこでセイアのTシャツが再び目に入る。
「…………」
どうしても意味が分からない。
「セイア」
「何だい」
「『ハミデナイヤン』って何?」
「ゲヘナの行政官の姿を想像すれば、意味が分かるだろうさ……」
「……」
アコの姿を思い出した、先生は何とも言えない顔になった。
「くっ……ごめん!」
「それは何に対して謝ったんだい!?」
「それは……言えない……!!」
「バニタスバニタータム……」
「!?」
突然のセイアの呪詛にスバルがびっくりしていると、少し離れたところから、元理事が歩いてきた。
元理事も三人のTシャツを見ると、一瞬だけ足を止める。
その後は何事も無かったように先生を見る。
「……社会科見学の準備は終わったのか?」
「今そこスルーした!?」
「触れない方がいいこともある」
「バニバニ……」
セイアがさらにショックを受けた。
元理事はそんな彼女を気にする様子もなく、先生へ一枚の予定表を差し出す。
「最終確認だ。参加者、移動経路、各学園への連絡、緊急時の対応まで一通り終わっている」
「ありがとう!」
「今回は遊びに行くわけではない。くれぐれも予定外の問題を増やすなよ」
「大丈夫だって!」
「その言葉を何度聞いたと思っている」
元理事はまったく先生を信用していない顔だった。
先生は予定表を受け取り、隣のスバルと一緒に内容を確認する。
トリニティ、続いてゲヘナ、最後にミレニアム。
それぞれに見学場所や休憩時間、食事の予定まで細かく書き込まれている。
一週間かけて準備しただけあって、紙の上ではかなりしっかりした計画になっていた。
「……結構、大掛かりになりましたね」
スバルが感心したように予定表を眺める。
「でも、せっかくみんなで行くならちゃんと準備した方がいいからね」
「そうですね」
スバルは少しだけ笑った。
「アリウスのみんなも楽しみにしているみたいでしたよ」
「それじゃあ私も頑張んなくっちゃね!」
「ただ、社会科見学だということを忘れて、ほとんど遠足みたいになっている子もいましたけど」
「楽しみにしてくれてるなら、それくらいでいいよ」
先生はそう言って笑った。
今回の目的は、一般常識を身につけてもらうこと。
買い物の仕方や物価を知ること。
安全な仕事と危険な仕事を見分けること。
外の街でどう振る舞えばいいのかを覚えてもらうこと。
けれど、それと同じくらい外へ出ることを楽しんでもらいたい。
自分たちがこれまで知らなかった場所へ行き、知らなかったものを見て、また行きたいと思ってもらえたなら、きっとそれだけでも意味はある。
「よし、明日から頑張ろうか」
そう言って先生は予定表を閉じた。
「そうですね」
先生自身、準備に抜かりはないと思っていた。少なくとも紙の上に書かれた予定を見る限りでは。