トリニティで予想以上の富裕層価格を叩きつけられ、ゲヘナでは順調だったものの、昼食に入ろうとした焼肉店を美食研究会に爆破されて、結局ゲヘナ学園の食堂でフウカのカレーをご馳走になった。
そんな濃密すぎる社会科見学を経た先生たちは、そのまま電車に乗って本日最後の目的地であるミレニアムサイエンススクールへ向かっていた。
「……今日は色々あったね」
車窓の向こうへ流れていく景色を眺めながら先生が呟くと、向かい側に座っていたスバルが少し疲れたように笑った。
「まだ社会科見学は終わっていませんよ、先生。これからミレニアムが残っています」
「分かってるんだけど、トリニティとゲヘナだけで二日分くらい動いた気がするんだよね……」
「朝から服を買ってもらって、お店の偽物を見分けて、焼肉店が爆発して、最後にはゲヘナの学食でカレーを食べましたからね。私も今日一日の出来事だと言われると、少し自信がなくなります」
スバルが指折り数えていくたびに、先生の表情が何とも言えないものになっていく。
その近くではマイアたちアリウス生が、トリニティでもらった服の入った買い物袋や、ゲヘナで買ったちょっとした菓子や雑貨を大事そうに抱えていた。
「ミレニアムはどんなところですか?」
マイアに尋ねられ、先生は今度こそ自信を持って答える。
「今回の三校の中では一番落ち着いて見学出来ると思うよ。治安は良いし、街もかなり整備されているし、物価だって普通。トリニティみたいに何でも高いわけじゃないし、ゲヘナみたいに突然お店が爆発することもまずないからね」
「本当…ですか…?」
「本当だよ!」
不安そうに聞き返された先生は胸を張って答えた。
少なくとも、ミレニアムで今回予定している見学先に問題があるとは思えない。
「それに今日は、シャーレに居たケイとトキも案内に来てくれる予定だからね。二人ともミレニアムには詳しいし、分からないことがあれば何でも聞けると思うよ」
「それなら安心ですね」
スバルも納得したように頷いた。
少し離れた席では現地スバルが、トリニティで買ってもらった新しい私服のまま腕を組み、静かに窓の外を眺めている。
先生はその姿を一度見てから、何となくもう触れないことにした。
今朝から何度見ても、本人が目指しているらしいクールな雰囲気だけは妙に完成度が高かった。
◆
ミレニアム自治区へ到着すると、ゲヘナともトリニティとも違う近未来感のある街並みが一行を迎えた。
巨大なモニターや案内板が通りの各所に設置され、無人搬送機が静かに行き交う。道路も綺麗に整備されており、ゲヘナのようにどこかから銃声や爆発音が聞こえてくることもない。
「……静かですね」
マイアが周囲を見回しながら呟く。
「そうでしょ?」
先生はどこか誇らしげだった。
「最後はやっぱり落ち着いて――」
そこまで言ったところで、少し先に二人の少女が先生達に気が付いた。
「先生、こちらです」
トキが、いつもの落ち着いた表情でこちらへ歩いてくる。その隣にはケイもいる。
「ごめん、少し待たせちゃったかな?」
「いいえ。私たちも少し前に到着したところです」
先生はトキを見て、少しだけ首を傾げた。
「今日はメイド姿なんだね」
「ええ。偶にはこちらも懐かしいかと思いまして」
「そっか。似合ってるよ」
「ありがとうございます、先生」
トキはいつも通り淡々と答える。
トキが以前のメイド姿へ戻ってきていることに少し珍しさを感じたものの、それ以上深く考える理由もなかった。
ケイも先生へ挨拶しようとして、ふとその顔をじっと見つめる。
「…………」
「ケイ?」
先生が少し不思議そうに笑う。
「さっきから私の顔を随分見てるけど、何か付いてる?」
「あっ……いえ。そういうわけではありません」
ケイは慌てて視線を外した。
「こうして近くで先生を見ると、少し新鮮だなと思っただけです」
「シャーレでも結構近くにいると思うんだけど?」
ほんの一瞬だけ、ケイの動きが止まる。
しかしすぐに咳払いをして、いつもの調子を取り戻した。
「今日は社会科見学ですから、普段とは少し違って見えただけです。細かいところを気にしないでください!」
「そういうもの?」
「そういうものです!」
妙に強く言い切られ、先生はそれ以上追及しなかった。
そのままケイとトキは、今回参加しているアリウス生たちへ順番に挨拶していく。
「皆さん、今日はよろしくお願いします。分からないことがあれば遠慮なく聞いてくださいね」
「よろしくお願いします」
マイアたちも頭を下げる。
「それからスバルさんも、初めまして。今日は――」
「……初めまして?」
スバルの声に、ケイの言葉が止まった。
「…………」
数秒の沈黙。
先生も少しだけ首を傾げた。
「ケイ、スバルとはシャーレで会ってるよね?」
「もちろん知っていますよ!」
返答だけは異様に早かった。
ケイはそのまま、スバルの少し後ろにいるもう一人の彼女へ視線を移す。
「今の挨拶は、そちらのスバルさんに言ったんです!」
「私?」
現地スバルが自分を指差した。
スバルはケイと現地スバルを交互に見る。
「……それなら、まあ」
完全に納得したわけではなさそうだったが、同じ名前と顔の人間が二人並んでいる状況自体がややこしいため、それ以上は突っ込まなかった。
◆
ミレニアムでの社会科見学は、先生が期待した通り非常に順調な滑り出しを見せた。
最初に案内された商業区では、トリニティのような極端な高級店ばかりが並んでいるわけでもなく、ゲヘナのように偽物が混ざっている個人商店を警戒する必要もなく。学生向けの飲食店や雑貨店、書店、ゲームショップなどが整然と並び、価格も先生が想定していた範囲に収まっている。
「先生、このお菓子なら買ってもいいですかね?」
マイアが値札を確認しながら尋ねる。
「ちゃんと今日のお小遣いの範囲に収まるなら大丈夫だよ。値段も普通だし、買ってみようか」
「わかりました」
「ようやく平和な時間が訪れた……」
先生が感極まったように呟いた。そんな先生にスバルは苦笑していた。
「まだ始まったばかりですよ」
「でもトリニティでは値段が参考にならなくて、ゲヘナでは昼食が爆発したから……」
「昼食が爆発したわけではありません。昼食を食べる予定だった建物が爆発したんです」
「どっちも大差ないよ……」
ケイとトキも、ミレニアム特有の設備について丁寧に説明してくれた。
特にアリウス生たちが興味を示したのは、街のいたるところで使われている電子決済だった。
「お金を使わないんですか?」
マイアが目の前で会計を済ませた生徒を見て、不思議そうに尋ねる。
「現金を直接渡さないだけですよ」
ケイが説明する。
「端末を登録しておけば、こうして読み取り機にかざすだけで支払いが出来ます」
「……それだけ?」
「はい。非常に便利でしょう?」
「すごい」
アリウス生たちが一斉に端末を覗き込む。
先生も、今回の見学用に用意された簡易決済機能を確認した。
事前に決めた予算は登録されているものの、店によっては後払い処理も可能になっている。最終的にはまとめて精算する仕組みらしい。
「ただし、現金を渡してないからって無料になるわけじゃないからね。使った分はちゃんと後で支払うんだよ」
先生はアリウス生たちへ念を押した。
「「「わかりました!」」」
全員が素直に頷いたのを確認して先生も安心する。
最初は小さなお菓子を一つ。次に飲み物。
端末をかざすと軽い電子音が鳴り、商品を受け取る。
「……本当に買えた」
マイアが少し驚いたように端末を見る。
「便利だね」
「そうでしょう?」
ケイが何故か少し誇らしそうだったのが気になるが、その後も一行はミレニアムの街を巡った。
これまでアリウスではほとんど触れる機会のなかった事ばかりで、参加した生徒たちは見るものすべてに興味を示している。
先生も、予定通り進んでいることに、心底安心していたのだが、問題が起き始めたのは、ゲームセンターへ入ってからだった。
「ここも社会勉強になるんですか?」
スバルの疑問に、先生は少しだけ目を逸らした。
「……外にはこういう娯楽もあるってことで」
「遊びたいだけでは?」
「半分くらいは教育だよ」
「残り半分は?」
「…………青春?」
「先生?」
「みんなも楽しそうだからいいじゃない!?」
「誤魔化しましたね」
とはいえ、外へ出ること自体を怖がっていた生徒たちに、娯楽を知ってもらうのも決して悪いことではない。
アリウス生たちは最初こそゲーム機の操作方法すら分からなかったが、教えてもらえばすぐに夢中になっていった。
「これ、もう一回出来る?」
「出来るよ」
「お金は?」
「端末をかざせば」
ピッ。
「出来た」
マイアが嬉しそうにゲームを再開する。
別の生徒はクレーンゲームへ。もう一人はお菓子の売店へ。
少額の決済が、少しずつ積み重なっていったが、先生はそのことには気付いていたものの、一回一回は数百円程度なので、そこまで強く気には留めていなかった。
「お、いたいた」
聞き覚えのある声が聞こえた。
「先生、やっと見つけたぞ」
「ネル?」
先生が振り返ると、そこにはネルが立っていた。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃねぇよ。探したんだぞ」
ネルは少し呆れたように先生を見る。
「先生の所の二人が待ち合わせ場所に来ねぇって言って、先生たちを探してたんだよ。最終的にアタシとユウカに捜索まで要請してよ」
「え?」
先生の表情が止まった。
「……トキとケイが?」
「ああ、ずっと待ってたのに先生たちが来ねぇから、どっかで行き違ったんじゃねぇかって――」
ネルの言葉を聞き先生はゆっくりと横を見ると、そこにはトキとケイが立っていた。
トキは普段と変わらない無表情でケイは気まずそうに視線を逸らしている。
先生はもう一度確認するように尋ねた。
「その……私を待ってるトキとケイって、今どこにいるの?」
「本来の待ち合わせ場所だろ。トキはアタシに直接頼みに来たし、ケイの方はユウカにも連絡してるぞ」
スバルも何かを察したらしく、二人をじっと見つめ始めた。
先生がようやく口を開く。
「まさか、二人とも……シャーレから来たトキとケイじゃない!?」
「…………」
数秒の沈黙が場を支配した。先に観念したのはトキだった。
「はい」
「はい!?」
先生の声が裏返る。トキは悪びれた様子もなく続けた。
「私はミレニアムに居る方の飛鳥馬トキです」
そう言ってから両手でピースサインを見せつけてくる。
そのポーズにネルが横からトキを睨みつける。
「お前、何やってんだよ!?」
「先生たちの社会科見学をご案内していました」
「そういう意味じゃねぇ!」
「では、どのような意味でしょうか…?」
「何でシャーレのお前のフリして先回りしてんだって聞いてんだよ!」
トキは少し考えた後、ごく真面目な顔で答えた。
「社会科見学に興味がありましたので」
「普通に参加したいって言え!」
「しかし、本来の私が案内役を務める予定だと聞きましたので、それならば私が先にお迎えすれば自然に参加出来るかと」
「お前は発想がおかしいんだよ!!」
ネルの怒鳴り声がゲームセンターへ響く。
一方で先生はケイの方を見ていた。
「……じゃあケイも?」
ケイは少し気まずそうに頬を掻いた。
「この世界のケイだよね?」
「……まぁそうです」
「マジか……」
先生は驚きで数条固まった。
そしてケイの頭から足までを改めて見る。
「ちょっと待って! どうして肉体があるの!?」
「そこからですか!?」
ケイが思わず声を上げた。
「だって私が知ってるこの世界のケイってAIだったよね!?」
「それは少し前の話です!」
「身体はどうしたの!?」
「色々あったんですよ!」
「その色々が知りたいの!」
「もう……!」
ケイは観念したように息を吐いた。
「素体自体は、あのコーラ狂いに用意してもらいました」
「コーラ狂い?」
「デカグラマトンですよ」
「呼び方!」
先生がすぐに突っ込む。
「正確には身体そのものを作ってもらったわけではありません。用意してもらった素体を基礎にして、私自身で再構成したんです」
「自分で出来るの!?」
「私を誰だと思ってるんですか?」
ケイが少し得意げに胸を張る。
「まあ、ジャンク教の教祖に借りを作るのは少々癪でしたが、結果としては悪くありませんでした」
「ジャンク教って何!?」
「あの馬鹿がコーラとジャンクフードばかり崇拝しているので、私がそう呼んでいるだけです」
「あの子は、ミレニアムで一体どういう扱いになってるの……?」
先生が頭を抱えている。スバルも情報量の多さに若干追いつけていない。
「つまり……今日ずっと一緒にいたのは、ミレニアムのトキさんとケイさんだったんですか?」
「そうなります」
「それで最初に私へ『初めまして』と……」
ケイが露骨に目を逸らした。
「やっぱり私に言ってたんじゃないですか!」
「その後ちゃんと誤魔化せたので問題ありません!」
「問題ありますよ!」
さらに先生も思い出す。
「だからケイ、私をずっと珍しそうに見てたんだ……」
「それは……」
「肉体で直接会うの初めてだったから?」
「~~~~♪」
ケイは下手くそな口笛を吹いて誤魔化していた。
「先生は、変なところで鋭いですね」
「今まで全然気付かなかったけどね!」
「それは私たちの演技力が優れていたということですか?」
「すっごいポジティブだね!」
先生たちが二人の正体を巡って騒いでいる間にも。
その少し後ろでは、マイアたちアリウス生は、誰にも止められないまま電子決済を満喫していた。
先生はケイの肉体と二人の入れ替わりに夢中。
スバルもそちらへ意識を持っていかれている。
トキとケイも自分たちへの追及に対応するので精一杯だった。
その結果、唯一少し離れた位置から見ていたネルが、先に異変へ気付いた。
「……おい」
ネルがアリウス生たちを見る。
「お前ら、さっきから景気よく使ってるけどよ。その、予算とか大丈夫なのか?」
「?」
ネルの一言で、全員の意識がようやく後ろへ向く。
マイアが電子端末を持っている。その隣の生徒も。さらに別の生徒も。
「…………」
先生は嫌な予感を覚えた。
「みんな、ちょっと端末見せてもらっていい?」
「どうぞ」
先生は利用履歴を確認すると、一つ一つは大きな金額ではないが、人数分の少額の取引が履歴に残っていた。
「どのくらい使っていました?」
スバルの問いに、先生は少しだけ困ったように笑って答えた。
「予定してた予算より……一万円ちょっと多いぐらいかな」
アリウス生たちも、先生たちの様子からようやく何かまずいことが起きたらしいと察し始めた。
マイアは手にしていた端末へ視線を落とし、少し不安そうに先生の顔を見上げる。
「でも……まだ使えましたよ?」
「うん。そこが今回ちょっと分かりづらかったんだよね」
先生は、マイアたちの前へしゃがみ込んだ。
「後払いっていうのは、その場でお金を渡さなくても買い物が出来るけど、使った分のお金が無くなるわけじゃないんだ。後からまとめて払うことになるから、端末が使えるかどうかと、あとどれくらい使っていいかは別なんだよ」
「…………」
マイアたちは改めて自分たちの端末を見つめた。
現金なら、財布を開けば残っている金額が目で見える。使えばその分だけ減り、あとどれくらい買い物が出来るのかも自然と分かる。
だが今回の電子決済では、商品を受け取っても手元の財布が軽くなることはない。端末も何事もなく次の決済を受け付けてくれるため、外での買い物そのものに慣れていない彼女たちが感覚を掴めなかったのも無理はなかった。
「……使いすぎちゃいましたか?」
マイアが申し訳なさそうに尋ねる。
その声を聞いた先生は少しだけ苦笑すると、マイアの頭へそっと手を乗せた。
「少しだけね」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいよ」
先生はそのままマイアの頭を優しく撫で、それから近くにいた他のアリウス生たちにも順番に手を伸ばした。
「今回は私も悪かったんだ。みんなが電子決済を使うのは初めてだったのに、『使った分は後で払うんだよ』って言っただけで、予算の確認方法までちゃんと説明してなかったから」
「でも、私たちがいっぱい使ったから……」
「それでも最初に教えるのは引率してる私の仕事だよ。それに、このくらいなら私が立て替えられるから心配しなくて大丈夫」
先生は安心させるように笑った。
「だから今日のことは、『失敗しちゃった』で終わりにしないで、次に同じことをしないための勉強にしよう」
「……次?」
「うん。今度電子決済を使う時は、端末が使えるからまだ買える、じゃなくて、自分がいくら使ったのかを途中で確認すること。あと、最初に決めた予算を超えないようにする」
「…………」
マイアは頭を撫でられたまま、しばらく先生を見つめた後、小さく頷いた。
「分かりました」
「私も確認します」
「次は使いすぎないようにします」
周囲のアリウス生たちからも次々と声が上がる。
「うん。それで十分だよ」
先生は最後にもう一度マイアの頭を撫でてから立ち上がった。
「むしろ一万円くらいのところで気付けて良かったよ。本当に取り返しがつかない金額になる前に、一つ覚えられたと思えば安い勉強代だからね」
「先生、そこまで甘やかして大丈夫ですか?」
スバルが少し呆れたように尋ねる。
「甘やかしてるわけじゃないよ。次から気を付けてもらえればいいんだよ」
先生はそう答えてから、改めてアリウス生たちを見る。
「ただし、もう今日は追加でピッてするの禁止ね?」
アリウス生たちは揃って端末を持った手を下ろした。
「はい」
ようやく先生が笑う。
その少し離れたところでネルは腕を組みながら一連のやり取りを眺めていたが、やがて呆れ半分、感心半分といった様子で肩をすくめた。
「まあ、電子決済なんて金が減ってる実感薄いからな。慣れてねぇなら、これからはちょくちょく利用履歴見るようにしとけ」
「ネルが今日一番まともなこと言ってる……」
事態が落ち着き、ネルはようやく本来の目的を思い出した。
視線がトキへ向く。
「……で後輩」
「なんですかネル先輩?」
「お前はもう来い」
「どちらへでしょうか?」
「帰るんだよ!」
ネルはトキの腕を掴んだ。
「もう一人のお前が代わりにずっと待ってんだぞ! 案内役本人がいるのに、何でお前がここで社会科見学してんだ!」
「ですが、まだ先生の案内が終了していません」
「もう終盤だろうが!」
「最後まで責任を持って――」
「あと先生に迷惑かけんな!」
そう言いながら、ネルはトキをずるずると引きずり始めた。
「ネル先輩。自分で歩けます」
「だったら最初からついて来い!」
「先生、それでは私は一度失礼します。また後ほど」
引きずられながらも、トキは妙に落ち着いた様子で先生へ手を振る。
「う、うん。またね……」
「手ぇ振ってんじゃねぇ!」
ネルの怒声と共に、二人の姿が少しずつ遠ざかっていく。
「…………」
先生たちはその後ろ姿を見送った。
「トキさん、最後まで落ち着いてましたね」
「大物だよね……」
その横でケイが、小さく胸を撫で下ろした
「…………ふぅ。トキは不用意でしたね。最初からもう少し慎重に行動すれば、ああして連行されることもなかったでしょうに」
「すごい他人事……」
「私は最後まで正体を隠し通すつもりでしたから」
「もうバレてるよ?」
「それはネルが余計なことを言ったからです」
「いや、二人が勝手に入れ替わったのが悪いんじゃ……」
「それについては意見が分かれますね」
「分かれないよ!」
その時だった。
「ケ~イ~!」
「…………あっ!」
ケイの表情が凍った。
声のした方向から、ユウカが足早にこちらへ向かってくる。
「やっと見つけた!」
「……ユウカ」
「シャーレの方に居る貴方が先生たちを待ち合わせ場所でずっと探してるのよ! どうしてあなたが先生と一緒にいるの!?」
「これは、その……」
先ほどまでの余裕が嘘だったように、ケイが一歩後ずさる。
「社会科見学の案内をしていたんです!」
「何であなたが!?」
「興味があったので」
「だったら最初から参加したいって言いなさい!」
「ですが、既に案内役は決まっていましたから――」
「だからって成り代わる理由にはならないでしょう!」
ユウカはケイの腕を掴んだ。
「ほら、来る!」
「えっ!? ちょっと待ってください! 私は別に先生へ迷惑を掛けたわけでは――」
「先生たちを本来の待ち合わせ場所へ行かせなかった時点で十分迷惑でしょう!」
「先生助けてください!」
ケイが助けを求めるように先生を見る。
「頑張ってね!」
「見捨てないでください! ユ、ユウカ! せめて説明くらいは――」
「歩きながら聞くわ!」
「待ってください!」
ケイの悲鳴と共に、今度はユウカに引きずられていく。
全員が黙ってその姿を見送った。
「……ミレニアムも色々あるんですね」
スバルが静かに呟く。
「今日一番平和な場所だと思ってたんだけどなぁ」
現地スバルが淡々と答える。
「街自体は平和だった。今回問題を起こしたのは、人だったな」
「それを言われると何も反論出来ない……」
先生が深々と息を吐いた、その時だった。
「先生ーっ!!」
遠くから聞き覚えのある声が飛んできた。
先生たちが揃って振り返ると、人混みの向こうから二人の少女がこちらへ向かってくる。
一人はケイ。そして、その隣を歩いているのは臨戦トキだった。
「あ」
先生は二人の姿を見た瞬間、なんとも言えない顔になった。
本来なら、ミレニアムへ到着した時点で合流しているはずだった二人である。
ところが先生たちは、先回りしていた現地の二人を何の疑いもなく案内役だと思い込み、そのまま社会科見学をほぼ最後まで進めてしまった。
対するケイは、ようやく先生を発見した瞬間から露骨に頬を膨らませていた。
「もう! 今日は散々でした!」
「ご、ごめんね……」
「待ち合わせ場所へ行っても先生はいませんし、連絡してもなかなか捕まりませんし、探し回ってみれば知らない間に社会科見学はほとんど終わっているじゃないですか!」
「本当に申し訳ない……」
先生もこれについては全面的に自分たちが悪かったため、素直に頭を下げるしかなかった。
「なるほど。それでネルとユウカが二人を回収しに行ったんですね……」
「うん。二人とも見事に連れていかれたよ」
「当然です!」
ケイはまだ収まらない様子だったが、その隣で臨戦トキだけは別のことを考えているらしい。
腕を組み。何故か妙に深刻そうな顔をしていた。
「しかし……まさか、私たちが先生と合流するより先に、別の私たちに先生をかすめ取られるとは……」
「トキ?」
臨戦トキはゆっくり顔を上げる。
「これが……寝取られというものでしょうか?」
「寝言は寝てから言ってください!」
ケイの鋭いツッコミが飛んだ。
「違うのですか?」
「何一つ合ってません!」
「ですが先生を別の私に――」
「案内役を代わられただけです!」
「精神的には似たものかと」
「似てません!」
「トキ、余計な言葉を覚えたね……」
先生が何とも言えない表情になる。
「インターネットには多くの知識がありますので」
「その知識は忘れていいよ」
「残念です」
スバルは呆れながら二人を眺めていた。
「でも、これでようやく本来の案内役と合流出来ましたね。全部終わっちゃいましたが」
「それを言わないでください!」
ケイが再び頬を膨らませる。
「私たち、何のために今日の予定を空けておいたと思ってるんですか!」
「本当にごめん」
先生が心底申し訳なさそうに謝る姿を見て、ケイもそれ以上責める気にはなれなかったらしい。
「……まあ無事だったならもういいです。ただ次からは、ちゃんと本人か確認してくださいね?」
「了解……」
「顔が同じだからって、何でも信じたら駄目ですよ?」
「肝に銘じます……」
そんな先生とケイの横で、臨戦トキが静かに頷いた。
「確かに。今後先生と合流する際には、私だけが答えられる合言葉を用意するべきかもしれません」
「例えば?」
「先生と私だけの秘密を――」
「却下です!」
「まだ何も言っていません」
「絶対ろくなこと言わないでしょう!」
ケイと臨戦トキの言い合いが始まり、先生は思わず笑ってしまった。
◆
三校を巡った社会科見学が終わりに近付き、先生たちはミレニアムの駅へ向かっていた。
朝からずっと歩き続けたこともあり、流石にアリウス生たちにも疲労の色が見えていたが、それでも表情は明るかった。
トリニティでもらった洋服。
ゲヘナで覚えた偽物の見分け方。
ミレニアムで遊んだゲーム。
どの出来事について話す時も、皆楽しそうだった。
「…………」
先生はそんな姿を眺めながら、少し申し訳なさそうに頭を掻いた。
「みんな、今日はちょっと謝らないといけないことがあるんだ」
アリウス生たちが先生へ顔を向ける。
「社会科見学だったのに、思っていたほど予定通りに教えられなかったからさ」
先生は今日一日を思い返した。
「トリニティでは物価が高すぎて普通の相場が参考にならなかったし、ゲヘナではお昼を食べようとしたお店が爆発したし、ミレニアムでは電子決済について私の説明が足りなくて予算を超えちゃったし……」
最後の部分については、先生自身の落ち度もかなり大きいと感じていた。
「最初はもっと普通に、買い物とか、お金の使い方とか、外での過ごし方を教えるつもりだったんだけど―――」
「そんなことないよ」
返事は思った以上に早かった。
先生が顔を上げると、アリウス生たちが今日一日のことを思い返しながら、一つずつ言葉にしていく。
「トリニティでは、自分で服を選んだ」
「ゲヘナでは、安いものが全部お得じゃないって分かった。偽物もあるって知ったし、カレーも美味しかった」
「ミレニアムでは、電子決済を使ったら、ちゃんといくら使ったか確認するのを学んだ」
「それに楽しかった!」
「私も!」
「外って、思ってたより色んなものがあるんだね」
「ちょっと怖いこともあるけど、面白い」
「ゲヘナは陽気なアリウスみたいだった」
「その表現は言いえて妙だね……」
先生が苦笑する。それでも、生徒達が口にした次の言葉に、先生は少しだけ目を見開いた。
「今度は、自分たちだけでも外を見てみたい」
「…………」
「今日行かなかったところもあるし」
「他の学園も見てみたい」
「またお店にも行きたい」
次々と声が上がる。
外へ出ることが怖かった。
何があるのか分からず、自治区の中にいた方が安全だと思っていた。
そんな生徒たちが、今は次にどこへ行こうかと楽しそうに話している。
先生の表情が柔らかくなる。
「それなら、今日やった意味はあったのかな」
「十分あったと思いますよ」
隣を歩いていたスバルが静かに答える。
「予定通りに一般常識を教えられたかどうかは、私には分かりません。でも、みんなが外へ出ることを怖がらなくなったのなら、それだけでも十分ですよ」
先生は改めて、楽しそうに話しているアリウス生たちへ視線を向けた。
最初にアリウスでアツコから聞かされた話を思い出す。
危険なことばかりを教えれば、ようやく外へ興味を持った子たちが「やっぱり怖い」と戻ってしまうかもしれない。
だからこそ先生は、外の危険だけではなく、楽しさも知ってもらおうと思った。
決して理想通りの社会科見学ではなかった。
それでも「外は面白い」そんな感想を残してくれたのなら。
少なくとも、先生が一番伝えたかったことだけは届いたのかもしれない。
「じゃあ、次に外へ遊びに行く時も、分からないことがあったらいつでも聞いてね」
「うん!」
「今度はお金もちゃんと確認する」
「それは絶対にね!」
先生の返事に笑い声が上がる。
その中で現地スバルだけは、少し離れた位置から皆を眺めながら静かに腕を組んでいた。
「スバルも今日は楽しめた?」
先生から尋ねられると、現地スバルは少しだけ顔を逸らす。
「……良かったと思う」
「そっか」
「ただし、今日一番有意義だったのはトリニティ」
現地スバルは自分の新しい私服を確認するように袖口へ視線を落とす。
「それは服を買ってもらったからでしょう!?」
スバルが即座に突っ込んだ。その横では臨戦トキが小さく頷く。
「なるほど。私も次回はトリニティから参加するべきでしょうか」
「トキ、何を考えているんですか!?」
今度はケイが止めた。
先生は思わず笑い出す。
三校を巡った社会科見学は、予定表通りにはほとんど進まなかった。
けれど、アリウスの生徒たちにとって、外の世界はもう怖いだけの場所ではなくなった。
それだけは今日一日で、確かに変わったことだった。