「……鋼鉄大陸と呼ばれている場所です。かつて、私たちがデカグラマトンとキヴォトスの命運をかけて戦った……決戦の地です」
臨戦ヒマリが静かに告げたその名前を最後に部屋にはしばらく重い沈黙が落ちていた。
先生にとっては初めて聞く名前であり、現地ケイやマルクトたちも同じなのだろう。誰もすぐには言葉を返せずにいる一方で、その場所を知っている募集ケイ、臨戦トキ、臨戦ヒマリ、臨戦リオの四人だけは、画面上に表示された座標を見つめたまま明らかに表情を強張らせていた。
「……そんなに危険な場所なの?」
先生が最初に尋ねると、臨戦ヒマリは車椅子の上で姿勢を正し、いつもの少し芝居がかった調子を抑えながら答えた。
「少なくとも、何の準備もなく向かって良い場所ではありません。先生が想像しているような、単に人里離れた未開の土地というわけではないのですよ」
ケイも続ける。
「場所そのものが危険であることはもちろんですが、内部に何が残っているのか、この世界でも同じ状況なのか、それすら今は分かりません」
「そうなんだ……」
先生はもう一度、画面に表示された座標へ目を落とした。
詳しい事情まではまだ分からない。それでも、デカグラマトンが何日も前から行方をくらまし、意図的に記録を消したうえで、募集組が揃って警戒するほど危険な場所を何度も調べていた可能性が高いとなれば、何もせず待っているという選択肢は取りづらかった。
「だったら、なおさら早く行こう」
「駄目です」
先生が顔を上げた直後、臨戦ヒマリが迷いなく却下した。
「え?」
「駄目です。今の我々が向かったところで、デカグラマトンを捜索する以前の問題として、まともに活動出来ない可能性があります」
その言葉へ臨戦リオも頷く。
「ヒマリの言う通りよ。座標が判明したからといって、そこへ行くための準備まで整ったわけではないわ。現状では移動手段も確保していないし、長時間活動するための装備や補給体制もない。仮に今すぐ出発出来たとしても、到着後に何も出来ない可能性の方が高いわ」
「ですが、このまま待っている間にもデカグラマトン様に何かあったら……」
アインが不安そうに口を開くと、臨戦トキも少し表情を和らげて彼女へ答えた。
「焦る気持ちは理解出来ます。ですが、急いだ結果こちらまで動けなくなってしまえば、捜索どころではありません。特に先生まで危険に晒すことになりますから、そこだけは妥協出来ません」
「……そう、ですよね」
アインは残念そうに俯いたものの、その隣でマルクトがそっと肩へ手を置いた。
「アイン。今は我々だけで考えるより、経験のある方々の判断へ従うべきでしょう。デカグラマトン様を探し出すためにも、我々まで無謀な行動を取るわけにはいきません」
「はい……お姉様」
先生も周囲を見回してから、小さく息を吐いた。
「場所が分かったから、すぐ行けばいいってものじゃないんだね」
「その通りです。先生が思ったより素直に理解してくださって助かりました」
「ヒマリ、私を何だと思ってるの?」
「勢いで危険地帯へ飛び込む方です」
「否定出来ないところが嫌だなぁ……」
そんなやり取りを横目に、臨戦リオは既に次の手を考え始めていたらしく、腕を組みながら静かに口を開いた。
「最低限でも、この世界の私とヒマリには協力してもらう必要があるわね。装備、輸送、通信、補給、それらを短時間で揃えるならミレニアムの設備を使うのが最も合理的よ」
「それからアリスもです。今すぐ一緒に連れて行くかは別として、鋼鉄大陸へ向かう以上、彼女の力を借りられる状態にはしておいた方が良いでしょう」
臨戦ヒマリが付け加える。
「アリスか……」
先生は聞き慣れた名前に少しだけ表情を緩めた。
「はい。詳しい理由は移動しながら説明しますが、少なくとも彼女へ今回の件を伝えておく必要はあります」
「分かった。それならここで考え続けてても仕方ないし、まずミレニアムへ行こう」
先生の判断に全員が頷く。
「我々も同行します」
マルクトが当然のように申し出た。
「デカグラマトン様のことです。我々だけここで待っているつもりはありません」
「私も行くよ」
ソフが続き、オウルも小さく頷いた。
「異論はありません。どうせここに残ったところで気になって仕事にもならないでしょうし、店は既に休業中ですからね。まぁ、どうでも良いのですが」
「わ、私も行きます! 絶対にデカグラマトン様を見つけたいです!」
アインまで力強く手を上げ、現地ケイも肩をすくめる。
「ここまで来たら私も付き合いますよ。あのコーラ狂いが一体何を考えているのか、直接問い詰めないと気が済みませんから」
こうして方針が決まり、一行は一度マルクトナルドを後にして、急ぎミレニアムへ向かうことになった。
◆
ミレニアムへ到着すると、臨戦リオと臨戦ヒマリはすぐに動き始めた。
「私はセミナーへ行くわ。この世界の私なら、事情さえ説明すれば必要な設備と輸送手段の確保には協力してくれるはずよ」
「では私は特異現象捜査部へ向かいましょう。こちらの私にも、鋼鉄大陸とデカグラマトンについて説明しておく必要がありますから」
「二人ともお願い。私たちはアリスのところへ行ってくるよ」
「分かりました。話がまとまり次第、ゲーム開発部へ向かいますね」
校内で二人と別れた先生は、ケイ、臨戦トキ、現地ケイ、そしてマルクトたち四人を連れてゲーム開発部の部室へ向かった。
扉へ近付くより前から、中からは何やら騒がしい声が聞こえてくる。
「だからそこは絶対こっちのルートだって!」
「お姉ちゃん、そのルートで三回も落ちたでしょ!」
「次は落ちないから!!」
「それ、さっきも言ってた……」
「アリスに任せてください! 今度こそ完全攻略です!」
いつも通りだった。ゲーム開発部の部室ではモモイ、ミドリ、ユズ、アリスが一台の画面を囲んでゲームへ熱中していた。
先生が軽く扉をノックしてから中へ入ると、最初にこちらへ気付いたアリスがぱっと表情を明るくした。
「先生!」
「あ、先生じゃん!」
「こんにちは、先生」
「……こんにちは」
三人も次々とこちらを向き、すぐにその後ろに大人数がいることへ気付いた。
「……あれ? ハンバーガーショップの人じゃん!? どうしたの?」
モモイが不思議そうに首を傾げる。
「先生、新しいパーティーメンバーですか?」
「ある意味、そんな感じになるのかな?」
先生は少し困ったように笑った後、ゲーム開発部の面々へ事情を説明することにした。
数日前からデカグラマトンが突然姿を消していること。部屋には『探さないでくれ』という書き置きだけが残されていたこと。そして、消された端末の情報を復元した結果、鋼鉄大陸と呼ばれる危険な場所を何度も調べていた形跡が見つかったこと。
いつも賑やかなモモイたちも、話が進むにつれて次第に表情を引き締めていった。
「まさか私たち御用達のハンバーガー屋さんのオーナーが失踪していたなんて……」
「あそこのオーナーさん、私たちが買いに行くと毎回コーラをオマケしてくれるから助かってたよね」
「……それで、そのオーナーさんが失踪しちゃったんですか?」
「うん。しかも今のところ、他に手掛かりがないんだ。だから一度そこへ行って確かめたいと思ってる」
「アリスに何か出来ることはありますか?」
アリスはほとんど迷うことなく立ち上がった。
「実は、そのことで来たんだ。デカグラマトンを探すために、アリスにも協力してほしいんだけど……」
「もちろんです!」
最後まで聞くより早く、アリスは力強く頷いた。
「先生が困っているなら、アリスも一緒に行きます! ハンバーガー屋のオーナーを探し出すクエストですね!」
「アリスはいつも元気でいいですよね…」
「いい…」
ケイ達がお互いに深く頷きながら何かを噛み締めていた。
「先生と一緒なら、どんなクエストでも攻略出来ます!」
「アリスが行くなら私たちも――」
モモイが勢いよく手を上げかけたところで、ケイが首を横へ振った。
「今はまだ待ってください。少なくともリオとヒマリの二人が帰ってこない事には軽々に答えを出せません」
「むぅ……」
「それに、後から本格的な支援が必要になる可能性もあります」
「じゃあ私たちは後方支援ってこと?」
「そうなる可能性が高いですね」
モモイは少し不満そうだったが、ミドリが横から宥める。
「それなら、今は先生たちが動きやすいように準備する方が大事なんじゃない?」
「……それもそっか」
「必要なら……私たちも後から行けるように、準備しておきます」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」
先生がそう答えると、ゲーム開発部の空気も少しだけ和らいだ。
「それで、まだ二人が戻ってくるまで少し時間があるんだけど……」
先生が時計を確認すると、モモイが待っていましたとばかりにコントローラーを持ち上げた。
「じゃあゲームしよう!」
「切り替え早いね!?」
「待ってるだけなら遊んでた方が有意義でしょ!」
「その理屈は分からなくもないけど……」
結局、臨戦リオと臨戦ヒマリが戻ってくるまでの間、一行はゲーム開発部で待たせてもらうことになった。
最初こそデカグラマトンのことが気になって落ち着かない様子だったアインたちも、モモイに半ば強引にコントローラーを握らされると、少しずつゲームへ興味を示し始めた。
「こ、このボタンを押せば良いんですか?」
「そうそう! そこでジャンプ!」
「わ、わっ!? 落ちました!」
「最初はそんなもんだって!」
アインが慌てふためく横では、ソフが数分で操作を覚え、妙に真剣な顔で画面へ食い入るようになっていた。
「ちょっと待って、この敵おかしくない? 攻撃判定広すぎない?」
「分かる! 絶対調整ミスだよね!」
「いや、避けられるでしょ」
ミドリの冷静な指摘にソフとモモイが同時に振り返る。
「避けられないよ!」
「避けられるよ!」
そんなやり取りを少し離れたところから見ていたオウルは、最初こそ興味なさそうにしていたものの、いつの間にか画面上の敵の動きを分析し始めていた。
「その攻撃は三回目の予備動作だけ僅かに長いですね。そこへ回避を合わせれば良いのでは?」
「オウル、やってないのにもう攻略してる……」
「眺めていれば分かる程度の規則性です。まぁ、どうでも良いのですが」
そしてマルクトは自分で積極的に参加するというより、三人が少しだけ笑顔を取り戻した様子を静かに見守っていた。
先生もその横へ立ち、同じ光景を眺める。
「みんな、少し元気になったね」
「……そうですね」
マルクトが穏やかに頷いた。
「この数日、三人ともデカグラマトン様のことばかり考えていましたから。こうして別のことへ意識を向けられる時間があるのは、悪いことではないのでしょう」
「マルクトもやってみる?」
「我も、ですか?」
「せっかくだし」
「……では、一度だけ」
そうしてマルクトまでゲームへ参加することになり、いつの間にか部室は普段以上に賑やかになっていった。
◆
しばらくして、ゲーム開発部の扉が開いた。
「お待たせしました」
二人の姿を見た先生はコントローラーをモモイへ返し、すぐに立ち上がる。
「どうだった?」
「ひとまず必要な協力は取り付けられました」
臨戦ヒマリが答える。
「こちらの私は、鋼鉄大陸という未知の場所に随分と興味を持ったようです。危険性についても説明しましたが、それ以上に知的好奇心を刺激されてしまったようで、かなり積極的に協力してくれることになりました」
「……目をキラキラさせてはしゃいでいる姿が簡単に想像できるよ」
「先生のその言い方には少々気になりますが、そこは置いておきましょう」
続いて臨戦リオが話す。
「こちらの私も協力を了承したわ。鋼鉄大陸については知らなかったけれど、私たちの世界で起きたことを必要な範囲で説明したところ、放置すればキヴォトス全体へ影響が及ぶ可能性があると判断したみたい」
「それで、すぐに行けるの?」
「最低限の移動手段だけなら用意出来たわ」
その答えに先生の表情が明るくなる。
「ミレニアムの輸送用航空機を一機、使用出来るよう手配してもらったわ。ただし、あくまで現地へ人員と最低限の物資を運ぶための機体よ。本格的な装備、長期活動用の補給物資、追加の通信設備などを揃えるには、もう少し時間が必要になる」
「つまり、今すぐ大人数では行けないってことだね」
「その通りです」
臨戦ヒマリが頷く。
「そこで、まず我々が先行して鋼鉄大陸へ向かい、周辺の安全を確認した上で簡易的な前哨基地を設置します。通信設備、発電設備、休息出来る寝床程度の必要最低限の環境を整えてから、後続の本隊を迎えるのが現実的でしょう」
「それならアリスも一緒に行きます!」
すぐにアリスが立ち上がった。
しかし。
「駄目です」
「今回は待ちなさい」
臨戦ヒマリと臨戦リオがほとんど同時に却下した。
「ええっ!?」
断られると思っていなかったアリスに臨戦ヒマリが説明する。
「アリス、今回はまだ現地の状況が分かっていません。あなたに来てもらう必要がある可能性は高いですが、だからこそ、何の準備もなく連れていくわけにはいきません」
「あなたは後続部隊と一緒に来てちょうだい。必要な装備を整えてからの方が、あなた自身も十分に力を発揮出来るわ。それにモモイたちも、後から支援に入る予定なのでしょう?」
「そうだよアリス。今回は先生たちに先に様子を見てもらおう」
モモイが珍しく真面目な顔で言う。
「私たちもちゃんと準備して、後から追いつけばいいんだから」
「……分かりました」
アリスは少しだけ残念そうにしながらも、やがて素直に頷いた。
「では、アリスは装備を整えて待ちます! 先生、絶対に無茶をしないでください!」
「うん。約束するよ」
結局、先遣隊として最初に鋼鉄大陸へ向かうのは、先生、ケイ、臨戦トキ、マルクト、アイン、ソフ、オウル、そして既に経験のある臨戦ヒマリと臨戦リオという構成に決まった。
本格的な戦力やミレニアム側の支援は、準備が整い次第後から合流することに決まったのだった。
◆
それから必要最低限の物資を積み込み、先生たちはミレニアムが用意した輸送用航空機へ乗り込んだ。
機体は先生が普段目にする輸送機とは大きく異なり、ミレニアムらしい近未来的な意匠で統一されていた。流線型の機体表面には余計な突起がほとんどなく、内部も大型ディスプレイや自動制御設備が並び、貨物スペースには折り畳み式の通信機器や小型発電装置、簡易寝具など、前哨基地を作るための最低限の資材が固定されている。
「凄いね……これ、本当に輸送機?」
先生が機内を見回す。
「ミレニアム基準では一般的な輸送用航空機ですよ」
臨戦ヒマリが何でもないことのように答える。
そうして輸送機はミレニアムを離れ、鋼鉄大陸へ向けて飛び立った。
移動が始まってからしばらくは、誰もが思い思いに時間を過ごしていたものの、目的地へ近付くほど会話は少なくなっていった。
アインは落ち着かない様子で何度も窓の外を確認し、ソフもいつもの軽さを失って黙り込んでいる。オウルは端末に表示された航路や周囲の情報を確認し続け、マルクトも言葉こそ発しないものの、その表情にはデカグラマトンへの心配が滲んでいた。
「大丈夫?」
先生がマルクトへ声を掛ける。
「……はい」
マルクトは小さく頷く。
「ただ、ようやく手掛かりへ近付いていると思うと、少し落ち着かないだけです」
「見つけようね」
「……そうですね」
先生の言葉に、マルクトは今度は先ほどより少しだけ強く頷いた。
やがて操縦席側から、目的地が近いことを知らせる通知が入った。
「そろそろです」
ケイが窓の外を見る。
先生も席を立ち、機体側面の大きな窓へ近付いた。
最初は雲と空しか見えていなかった景色の向こうに、少しずつ異質な影が浮かび始める。
「…………」
やがて先生は、言葉を失った。
眼下には、これまで先生が目にしたどの場所とも異なる異様な景色が広がっていた。
そこにあったのは、荒涼とした大地の上へ無数の建造物が並んでいるような場所ではない。氷海地方の冷たい海と白く霞んだ空の狭間に、巨大な人工構造物そのものが一つの大陸を形作るように広がっていた。白と灰色を基調とした鋼鉄製の施設群が海上へ幾重にも連なり、巨大な円環状の構造物や複雑に交差する通路、その中心から空へ突き立つようにそびえる高い塔が、遠くからでもはっきりと確認出来る。
施設の周囲を覆う海には冷たい霧が漂い、所々には氷の塊まで浮かんでいた。輸送機が高度を下げるにつれて窓の外には薄く雪が舞い始め、巨大な構造物の表面にも白い霜や氷が張り付いているのが見えてくる。自然の大地はほとんど存在せず、視界のどこを見ても金属と海、それを覆う寒々しい白だけが続いていた。
まるで氷海の真ん中へ、何者かが途方もない規模の機械都市をそのまま築き上げたかのようだった。
しかも、これほど巨大な施設であるにもかかわらず、動いている者の姿はどこにも見当たらない。上空から眺めているだけでも伝わってくる圧倒的な規模とは裏腹に、そこには不気味なほどの静けさだけが漂っていた。
「……あれが鋼鉄大陸……」
先生は窓へ手を添えながら、初めて目にする景色を見つめ続ける。
その隣では、マルクトたちも同じように言葉を失っていた。
「ここに、デカグラマトン様が…?」
ソフが小さく呟く。
「こんな場所がキヴォトスに存在していたなんて……」
「我も、知りませんでした」
マルクトも眼下の光景から目を離せない。
そして、その場所を既に知っている募集組だけは、驚きではなく警戒を滲ませた表情で鋼鉄の大地を見つめていた。
先生たちを乗せた輸送機は高度を少しずつ下げながら、その巨大な大陸へ向けて進んでいった。
◆
鋼鉄大陸の地上では、デカグラマトンが巨大な建造物の傍に立っていた。
白く長い髪が、周囲を吹き抜ける風に揺れる。
「…………」
彼女は何も言わず、ただ空を見上げていた。
遥か上空に小さな点にしか見えない距離を、一機の航空機がこちらへ向かって飛んでくる。
デカグラマトンはその姿を長い間、無言のまま見つめ続けた。
表情から何を考えているのかを読み取ることは出来ない。
輸送機は少しずつ鋼鉄大陸へ近付いてくる。
「…………」
やがてデカグラマトンは空から視線を外した。
何かを決意したようにも、何かから逃れようとしているようにも見える曖昧な表情のまま、ゆっくりと踵を返す。
そして一度も振り返ることなく歩き出し、その姿は巨大な建造物が落とす深い影の中へ、静かに消えていった。