ゲーム開発部の部室を後にしたケイとトキは、ミレニアムの廊下を並んで歩いていた。
廊下の端・天井近く・曲がり角の先。
あちこちから視線を感じる。
それは生徒たちの好奇の目であり、ドローンのレンズであり、監視システムの無機質な観察でもあった。
「見られてますね……」
ケイがうんざりしたように小さく呟く。
トキは表情を変えずに答えた。
「しょうがないでしょう。今現在、注目の的であるシャーレの先生と一緒に現れた謎のミレニアム生なんですから」
「謎のミレニアム生……ですか」
「しかも、私はまだしも、現在のケイは本当に謎の存在なのですから」
「否定できないのが腹立たしいですね」
ケイは軽く頭を押さえた。
トキの方は、周囲から向けられる視線を気にしているようで、まったく気にしていないようにも見える。
「はぁ……今は無理やりにでも納得するしかないですね」
「それが精神衛生上いいでしょうね」
トキはそう言って、前方の扉の前で足を止めた。
「ほら、着きましたよ」
ケイが顔を上げる。
そこにあったのは、特異現象捜査部の部室だった。
「……やはり、ここですか」
「こういう時、最初に話を通すべき相手ですし、あなたの学生証の確認ができるのは彼女しかいないでしょう?」
「それもそうですね。下手に隠して後で面倒になるより、彼女に一部だけでも共有しておいた方がいいでしょうね」
ケイは深く息を吐くと、まるで自分の部屋に入るかのように扉を開けた。
中には、白を基調とした車椅子に腰掛けた少女がいた。
長い白髪。病弱そうな雰囲気。
けれど、その瞳には鋭い知性と並々ならぬ自尊心と好奇心が宿っている。
明星ヒマリ。
彼女は、二人が入ってくるのを待っていたかのように、にこにこと微笑んでいた。
「あら? まさか特異現象の方から訪ねてくるとは、予想できませんでしたね」
ケイは即座に眉をひそめる。
「下手な嘘をつかなくていいですよ。貴女のことですから、今朝からずっと見ていたのでしょう?」
「おや、バレていましたか」
「ヒマリ部長は、面白いものを見つけたらすぐ夢中になりますからね」
「……ふふふ」
ヒマリが楽しそうに笑った。ケイはヒマリの行動に不思議そうに首を傾げる。
「ヒマリ? 突然笑ってどうしました?」
「いえ」
ヒマリは頬に手を当て、楽しげに二人を見た。
「今こうして対面で会話をしていても、あなた達の存在が分からないのが面白くて」
「分からない?」
「ええ。私があなた達を認識したのは今朝です。私とあなた達は初対面のはずなのに、二人とも普通に私の名前を知っていて、私の性格すら把握しているように感じてしまいます」
ヒマリの笑みが、少しだけ深くなる。
「まるで、私のことを知っている別の誰かと話しているようですね」
ケイは少しだけ考え、それからあっさりと言った。
「まぁ、そうでしょうね。私たちは俗に言うなら、未来から来た存在ですからね」
「ずいぶん説明を省きましたね」
トキが横から指摘する。
「遠回しに説明しても、ヒマリ相手には時間の無駄です」
「…それもそうですね」
ヒマリは一瞬だけ目を丸くした後、くすりと笑った。
「未来から、ですか……? 確かにそうなのだとしたら、大変ロマンがあっていいですが」
そこで、ヒマリの目が細くなる。
「その話を正直に受け入れるほど馬鹿ではないことは、自称未来人で私のことを知っていると言っていたあなた達なら、分かりますよね?」
試すような微笑み。ケイは予想通りと言わんばかりに頷く。
「ヒマリ部長は、私たちが未来から来た証拠をご希望ですか?」
トキが問うと、ヒマリは楽しそうに肩をすくめた。
「出せるものなら」
「では、これを」
ケイは懐から一枚のカードを取り出した。
ミレニアムサイエンススクールの学生証。
それをヒマリへ向けて軽く投げる。
ヒマリは受け取り、眉を上げた。
「学生証、ですか?」
「その学生証が、正規の手続きで発行されているものか調べてみてください」
「なるほど。面白そうですね」
ヒマリは空間ディスプレイを立ち上げる。
指先が軽やかに動き、ミレニアムのシステムへと接続される。
セキュリティを抜け、照合し、発行記録を確認する。
最初は余裕の笑みを浮かべていたヒマリだったが、数秒後、その表情が変わった。
「これは……!?」
ケイが静かに尋ねる。
「どうでした?」
「この学生証は、確かに正規の手続きで発行されています。しかも、リオのデジタル署名付きで」
ヒマリは画面を見つめたまま続ける。
「ただし、発行日が未来の日付になっていますね」
室内に、少しだけ沈黙が落ちる。
ケイとトキは、揃って笑みを浮かべた。
「これが、私たちが未来から来たという証拠になりますか?」
トキも続ける。
「少なくとも、リオ会長のデジタル署名が入った学生証の発行日を間違えるほど、リオ会長が間抜けじゃない事はヒマリ部長が一番よく知っているでしょう?」
ヒマリは、心底驚いたように二人を見る。
「……本当の話だったのですか」
「信じてもらえたようで何よりです」
ケイは胸を張った。
「ただし、先生にはまだ詳しい話をしていません。余計なことは言わないでください」
「おや、先生に秘密なんですか?」
「まだゲーム開発部に会ったばかりです。未来の情報の開示には慎重になるべきです」
「そういうものですか…」
ヒマリは興味深そうに頷く。
「それで、未来から来たお二人が、超天才清楚系病弱美少女ハッカーである私の元を訪れた理由は何ですか?」
「相変わらず自称の圧が強いですね」
ケイが小さく呟く。
「事実ですので♪」
深い溜息の後にケイは真面目な顔に戻る。
「今日から近いうちに、一人の生徒がゲーム開発部に入部するはずです」
ヒマリの目が細くなる。
「その子の学生証を、事前に発行しておいてほしいのです」
「……なるほど」
「通常の手続きでは難しいでしょう。ですが、貴女なら簡単でしょう?」
「随分と信用されていますね」
「未来でお世話になりますから」
トキが淡々と言う。
「ヒマリ部長は、こういう面白い案件を断れない人です」
「そこまで把握されていますか」
ヒマリは楽しげに笑った。
「分かりました。そのお願い、快く引き受けましょう」
ケイはほっと息を吐く。
「ありがとうございます。今度、時間がある時にゆっくり事情を話します」
「ええ。ぜひお願いします。未来から来たなど、私が見逃すはずがありませんから」
二人が部屋を出ようとした時、ヒマリがふと思い出したように声をかけた。
「そういえば、あなた達の名前をまだ聞いていませんでしたね」
ケイは振り返る。
「私は天童ケイ。未来で、この部活に入る者です」
続いてトキが答える。
「私は飛鳥馬トキ。同じく未来で、ヒマリ部長のお世話になる者です」
「天童ケイと、飛鳥馬トキですか…」
ヒマリは満足そうに頷いた。
「覚えておきますね」
そして最後に、キーボードを指で軽く弾きながら。
「では、ハッキングして発行する学生証の名前は?」
ケイの表情が少しだけ柔らかくなった。
「彼女は……」
一拍置いて、ケイは言う。
「彼女の名前は、天童アリスでお願いします!」
そう告げて、ケイとトキは特異現象捜査部の部室を後にした。
無事にヒマリに頼みごとをしてゲーム開発部へ戻る途中、二人は廊下の先でユウカが部室から出ていく姿を見た。
ユウカは少し疲れたような顔をしていたが、心なしか表情はどこかすっきりしていた。
「どうやら、入れ違いでユウカにもお説教されていたようですね」
「まぁ、モモイとミドリにはいい薬になったでしょう」
「ケイのお説教だけでは足りませんでしたか?」
「足りる足りないの問題ではありません。二重で叱られたなら、あの二人もしばらくは大人しくなるはずです」
「短期間だけでしょうけどね」
「はぁ…簡単に想像できてしまった…」
ケイがため息を吐きながらゲーム開発部の扉を開けると、中ではモモイとミドリが揃って意気消沈していた。
モモイは机に突っ伏し、ミドリは申し訳なさそうに資料を片付けている。
「うう……ユウカのお説教長かった……」
「お姉ちゃんが余計なこと言うから……」
ケイが二人に呆れつつ部室を見回すが、そこに先生の姿がない。
「あれ……先生はどこですか?」
モモイとミドリは不思議そうな顔をした。
「え? 先生ならトキが連れていったじゃん」
ミドリも頷く。
「私たちがユウカからお説教されている間に、トキさんが先生を呼んで、外に……」
その言葉を聞いたケイの動きが止まった。
トキの表情も、ぴたりと固まる。
「……私は」
トキが低い声で言う。
「ずっとケイと一緒にいました」
モモイが目を瞬かせた。
「え?」
ケイの背中に、嫌な汗が伝う。
トキはずっと一緒にヒマリと話をしていてゲーム開発部に戻っていない。
それなのに、先生を連れ出したトキがいた。
それはつまり
「この世界のトキ……」
ケイが呟く。
「リオの側近の、飛鳥馬トキ……」
トキの瞳が鋭くなる。
いつもの鉄面皮が、わずかに崩れていた。
「先生が連れていかれた可能性が高いです」
「場所は?」
「リオ様が使用する隠れ家はいくつかあります。この距離、この時間、そして現地の私の動線から考えると……」
トキは即座に踵を返した。
「案内します!」
「早く!!」
ケイも叫ぶように言い、二人は部室を飛び出した。
「えっ、ちょっと!? 二人共どうしたの!?」
「先生に何かあったの!?」
モモイとミドリの声が背後から聞こえる。
だが、二人は振り返らなかった。
◆
薄暗い地下道。
ミレニアムの地下に点在する、管理用通路と秘密の通路が複雑に入り組んだ場所を、ケイとトキは走っていた。
ケイは涙目になりながら、それでも必死に足を動かす。
「先生……無事でいて……!」
先生はまだ何も知らない。
アリスのことも。リオのことも。ケイのことも。
これから未来で何が起きたのかも。
そんな状態でリオに接触したら、何が起こるか分からない。
トキも、いつものポーカーフェイスを保てていなかった。
悔しそうに歯を食いしばり、前を睨んで走っている。
「私が油断しました」
「今は後悔より先生です!」
「…そうですね」
地下道の先。
わずかに光が漏れている扉が見えた。
トキが足を止める。
「ここです」
ケイは息を整える暇もなく、武器を構える。
トキも同じく構えた。
二人は顔を見合わせ、頷く。
そして、扉を開け放った。
「先生!」
「先生、無事ですか!」
飛び込んだ二人は、そこで完全に思考停止した。
部屋の中には、先生がいた。
無事だった。
無事だったのだが。
先生の前には、膝を抱えて体育座りをしている黒髪の少女がいた。
長い黒髪。ミレニアムの制服。
冷徹で合理的な印象を与えるはずの少女。
調月リオ。
そのリオが、ぽろぽろと涙をこぼして泣いていた。
先生は、そんなリオの頭を優しく撫でている。
「私は君がどんな苦労をしてきたのか分からないけど」
先生の声は穏やかだった。
「君が精いっぱい、何かを背負って頑張っていることは分かるよ。だから、そんなに泣かないで。私でよかったら協力するからさ」
「だって……」
リオは涙目で顔を上げた。
「トキが、横領都市って言ったのよ……!」
ケイとトキは固まった。
リオは続ける。
「私を裏切って、どこかに行ってしまうに決まってるわ!」
その横には、もう一人のトキがいた。
この世界の飛鳥馬トキ。
「リオ様。私は別に裏切ったりしませんよ?」
「でも横領都市って……」
「言ったのは私ではありません。別の私です」
「別の私って何の事よ……!?」
現地トキは先生を見つめながら無表情のまま先生の袖をくいくいと引っ張って淡々と口を開いた。
「先生。リオ会長に裏切り者扱いされて深く傷つきました。次は私を慰めてください」
「えっと……順番にね?」
「……わかりました」
現地トキは、先生の袖を掴んだまま静かに待機した。
ケイは口を開けたまま固まっている。
トキもまた、武器を構えた姿勢のまま動けなかった。
最悪の事態を想定していた。
先生が拘束されているかもしれない。
リオに問い詰められているかもしれない。
現地トキと戦闘になっているかもしれない。
だが、現実は違った。
先生は泣いているリオを慰めていた。
現地トキは慰め待ちをしていた。
そしてリオは、横領都市という言葉に深く傷ついていた。
ケイは震える声で言った。
「……トキ」
「…はい」
「貴女、もしかして何かしたんじゃないでしょうね!?」
トキは、少しだけ視線を逸らしながら観念した様子で。
「横領都市エリドゥを許すな。あと、もっと褒めろ。と書いたスケッチブックで精神攻撃を…」
「それが原因じゃないですか!!」
ケイのツッコミが、地下の隠れ家に響き渡った。
先生がようやく二人に気づく。
「あ、ケイ、トキ。来てくれたんだ!」
「来てくれたんだ、ではありません!」
ケイは涙目のまま叫んだ。
「先生が連れ去られたと思って、どれだけ心配したと思っているんですか!」
「ご、ごめん。こっちのトキに案内されて、リオに会って……話してたらこうなっちゃってさ…」
「どうしてこうなるんですか!?」
ケイは頭を抱えた。
リオはぐすっと鼻を鳴らす。
現地トキが無表情で説明する。
「先生はリオ様に対して、かなり早い段階で『まず泣かないで話そう』と提案しました」
「何があったらその提案になるんですか!?」
「リオ様が泣いたからです」
「見れば分かります!」
トキは、現地トキをじっと見つめる。
現地トキも、トキを見る。
二人のトキが向き合う。
しばらくの沈黙。
現地トキが先に口を開いた。
「あなたが別の私ですね」
「はい。アルティメットパーフェクトメイドの飛鳥馬トキです」
「私も飛鳥馬トキです」
「知っています」
「先生に沢山褒められているそうですね?」
「それはもう沢山褒めてもらってます」
「羨ましいですね。ですが次に先生から褒められるのは私です!」
「では、私も並びますか…」
「あれ? 順番待ち増えた……?」
先生が困ったように呟く。
ケイは両手で頭を抱えた。
「もう嫌です……! この空間……!」
リオは涙を拭いながら、先生の袖を掴んだ。
「先生……私は、そんなに悪いことをしたのかしら……?」
「まだ何をしたのか聞いてないけど、まずはちゃんと話してくれると嬉しいかな」
「……話したら、先生は協力してくれる?」
「そうだね、リオは凄く頑張っているらしいし私の出来る事なら協力するよ!」
「先生……!」
リオがまた泣きそうになる。
現地トキが静かに先生の反対側の袖を引っ張る。
「先生。リオ様の次は私です」
トキも一歩近づく。
「先生。私も精神的負荷を受けました。精神回復を要求します」
ケイは震えた。
「収拾がつかない!! しかも先生も気軽にリオに協力するって言わないでください!!」
先生は困りながらも笑った。
「いや、でもさ…こうやって泣いちゃってるし…」
「あああぁぁぁぁ!!」
ケイは天を仰ぐ。
ミレニアムに来て、まだそれほど時間は経っていない。
それなのになぜこんな状況になってしまったのだろうか…。
ケイが疲れ果てた視線を先生に向けながら。
「……先生」
「ん?」
「今すぐシャーレに帰りませんか?」
「まだ何もしてないよ!?」
「わかってるならさっさとアリスを回収して来てください!!!!!」
ケイの絶叫が、地下の隠れ家に響く。
こうして、先生の知らないところで始まったケイとトキの行動は、なぜかリオの涙と二人のトキの慰め待ちという結果へと着地したのだった。