「……んん?」
先生が目を覚ますと、最初に見えたのは見慣れない天井だった。
ミレニアムサイエンススクールのゲーム開発部の部室のソファーの上に寝かされていた。
「……あれ、ここは……?」
先生はゆっくり上体を起こす。
その瞬間、近くにいたケイが勢いよく振り返った。
「先生! 目が覚めましたか!」
「ケイ……?」
「気分はどうですか? 吐き気は? 眩暈は? 意識の混濁は?」
「………首がちょっと痛いかな」
「それは……その……すいません。アリスの裸を見せるわけにはいかなくて……力加減をミスりました」
ケイは言い訳しながら目を逸らした。
その言い訳を聞きながら先生は思い出した。
廃工場の地下で中央に眠っていた裸の女の子。
「……もしかして、ケイが私を気絶させたの?」
「……………そうです」
「ずいぶん溜めて言ったね」
先生は困ったように笑った。
「できれば、次からは先に説明してほしいかな」
「ごめんなさい」
先生が苦笑していると、モモイの声が聞こえた。
「先生起きた!?」
「よかったです……!」
モモイとミドリが駆け寄ってくる。
その後ろには、リオと現地トキ。
さらに、臨戦トキも当然のように先生の様子を確認していた。
「無事に意識回復をしたようでよかったです」
「ご無事で何よりです」
二人のトキが、ほぼ同時に言う。
先生は少しだけ首を傾げた。
「それで、あの女の子はどうしたの?」
部室内の空気が、一瞬だけ変わった。
ケイが無言で視線を向ける。
先生もその先を見る。
そこには、一人の少女がいた。
ミドリが用意した予備の制服を着せられ、椅子に座っていた。
長い髪、無垢な表情。
けれど、その目にはまだ明確な意思の色がない。
まるで、今起動したばかりの機械のようだった。
「AL-1S」
リオが小さく呟いた。
先生はその名前を聞き返す。
「AL-1S?」
「地下施設で眠っていた存在よ。記録上では、そう呼ばれているらしいわ」
リオの声は静かだった。
ただし、その横顔は硬い。
先生は少女へ近づく。
「こんにちは」
少女は先生を見る。
そして、少し遅れて口を開いた。
「……応答します」
平坦な声だった。
「こんにちは」
「私は先生。君の名前は?」
「個体識別名、アリス」
「アリス……? いい名前だね」
先生は少しだけ笑った。
「よろしくね、アリス」
「よろしく、を確認」
その受け答えは、どこまでも機械的だった。
モモイは少し不安そうに、ミドリの隣で小声を漏らす。
「なんか……思ってたよりロボットっぽいね」
「うん……」
ミドリも頷く。
その時、アリスは机の上に置かれていたゲーム機へ手を伸ばした。
「物体を確認」
「それはゲーム機だよ」
モモイが説明する。
「ゲーム機?」
アリスはゲーム機を見つめる。
そして、なぜか口元へ持っていこうとした。
「待って待って待って! 食べ物じゃないよ!?」
モモイが慌てて止める。
「経口摂取による解析を試行」
「しないで! ゲーム機は食べちゃダメだよ!」
ミドリも慌ててゲーム機を取り上げる。
「これは遊ぶ物で食べ物じゃないよ」
「遊ぶ…」
アリスは首を傾げる。
「遊ぶとはなんですか?」
そのアリスの問いに、部室の中が静かになった。
遊ぶ。楽しい。好き。面白い。
そういう言葉の意味を、彼女はまだ知らない。
先生はアリスの前に膝をつき、優しく言った。
「これから、少しずつ覚えていけばいいよ」
「覚える」
「うん。みんなで教えるから」
アリスは先生を見つめた。
「みんな?」
「そう。ここにいるみんな」
「わかりました」
やはり、返答はどこか機械的だった。
その様子を見ていたケイは、胸元をぎゅっと握りしめていた。
臨戦トキも静かに目を伏せている。
ただリオだけは、ずっとアリスを見つめていた。
その瞳には、明確な恐怖の色が滲んでいることを誰も気が付かなかった。
アリスが完全に覚醒する前なら誰かに被害を出す前に止められるかもしれない。
リオは部室の端から、アリスを観察していた。
現時点では、自我らしいものはない。
記憶も、意思も、感情も、極めて希薄。
今なら、まだ間に合うのではないか?
物理的破壊は危険かもしれない。
アリスの内部構造も、動力源も不明。
不用意に破壊すれば、どんな反応を起こすか分からない。
ならば、演算系に過負荷をかける。
論理処理に異常を起こさせ、自己防衛的に停止させられるかもしれない。
それが最も被害の少ない方法ではないか?
リオはそう考えた。
そして、その時だった。
視界の端に、あるゲームソフトが映る。
テイルズ・サガ・クロニクル。
自分の精神を壊しかけた理不尽なゲーム。
リオは、そのパッケージを見つめた。
開始直後の即死トラップ。
説明不足のギミック。
初期装備で挑まされる理不尽なボス。
遠すぎるセーブポイント。
なぜか突然始まる高難易度ミニゲーム。
あのゲームならアリスの演算に、深刻な負荷を与えられるかもしれない。
「……」
リオは静かに手を伸ばした。
誰にも気づかれないように、テイルズ・サガ・クロニクルを手に取る。
「リオ?」
先生が気づいたように声をかける。
リオは平静を装って振り返った。
「少し、席を外すわ」
「大丈夫?」
「ええ。すぐ戻るわ」
現地トキが一歩前に出る。
「リオ様、私も――」
「トキはここにいて」
「……承知しました」
現地トキは少しだけ不満そうだったが、先生の近くに立ち止まった。
リオは部室を出る、その足取りは静かだった。
しかし、その目だけは決意に満ちていた。
そして一時間後。
ゲーム開発部の部室の扉が再び開いた。
「ごめんなさい。戻ったわ」
リオが戻ってきた。
その手には、奇妙な装置が抱えられていた。
VRゴーグルのような形をしている。
だが、通常のものよりも明らかに物々しい。
ケーブル、ロック機構、外部接続端子、そして不穏なほど頑丈そうな固定具。
モモイが首を傾げる。
「何それ?」
「少し、確認したいことがあるの」
「確認?」
リオはそう言いながら、部室内を見渡す。
先生はミドリと一緒にアリスへ簡単な会話を教えている。
ケイはなにか資料を確認しながら唸っていた。
臨戦トキと現地トキは、先生の左右で静かに警戒している。
リオは、ほんの一瞬だけ躊躇した。
けれど、すぐにアリスへ近づいて、皆が少しアリスから目を離した隙を狙い、アリスの頭へゴーグルを装着した。
「……?」
アリスは抵抗しなかった。
ただ、首を傾げる。
「視界への装置装着を確認しました」
その声で、ケイが振り返った。
そして、顔色を変える。
「リオ! 何をしているんですか!?」
リオは一歩下がる。
ゴーグルのロックが作動し、淡い光が灯る。
「これは、停止措置よ」
「停止措置……?」
先生も立ち上がる。
「リオ、君は何をしようとしてるの?」
リオは苦しそうに唇を噛んだ。
けれど、説明する。
「これは、TSC強制プレイゴーグル」
部室が静まり返った。
モモイが最初に反応する。
「私たちのゲームで何作ってんの!?」
「アリスが完全に覚醒する前に、演算に過負荷を与えて活動を停止させるための装置よ」
「待ってください!! まさか、そのゴーグルは……!」
「テイルズ・サガ・クロニクルを完全クリアするまで絶対に外せない」
リオはそう告げた、その顔は本気だった。
ケイの顔から血の気が引いた。
「そんなことをしたら、アリスの精神が!!」
「まだ精神は形成されていないわ」
「だからこそです!」
「完全に覚醒する前に止めるしかないのよ!」
リオの声も震えていた。
「これは、破壊ではないわ。停止措置よ。誰かを傷つける前に、危険を未然に防ぐための……」
「アリス!!」
ケイが叫ぶ。
アリスはゴーグルを装着されたまま、静かに座っている。
モモイとミドリは、二人のやり取りを聞いていた。
そして同時に顔を引きつらせた。
「いや、待って! それ、私たちが作ったゲームなんだけど……」
「二人とも酷くない!?」
モモイが叫ぶ。
「うちのゲームを精神破壊兵器みたいに言わないでよ!!」
ミドリも小さく頷く。
「でも……否定しきれない……」
「ミドリ!?」
リオは申し訳なさそうな顔をした。
「許してとは言わないわ」
「いや、そこじゃない!」
「私を恨むといいわ……」
「リオさん!? うちのゲームを使ってそんな悲壮な顔しないで!?」
臨戦トキが冷静に言う。
「ゲームとしてはクソでも、精神攻撃兵器としては優秀ですよね」
「ここに味方がいないんだけど!!」
モモイが頭を抱えた。
ケイはアリスに近づこうとしたが、先生がそれを制した。
「ケイ、待って! 今無理に外そうとすると、逆に危険かもしれない!」
「でも……!!」
アリスに装着したゴーグルが起動したのか画面内部から音が漏れた。
ゲーム開始音が聞こえてくる。
アリスは淡々と呟く。
「アリス、ゲームを開始します……」
「………説明不足です」
「………開始直後の即死トラップを確認。もう一度再開します」
「もう一度…」
◆
そこから、長い戦いが始まった。
アリスは、テイルズ・サガ・クロニクルをプレイし続けた。
「は? 初見殺しです。もう一度…」
「思考停止。電算処理過多の為リブートします」
「うわーーん! アリス、このゲームを作った人を殴ります! 致命的なエラーを確認、リブートします」
「エラー発生! エラー発生! くぁwせdrftgyふじこlp;@!!!」
最初は完全に機械的だった。
失敗するたびに論理エラーを起こし、リブートする。
リオはそれを見て、苦しそうに目を伏せていた。
成功している。計画は機能している。
アリスの演算に負荷を与えている。
そう思うべきだった。
けれど。
「……もう一度」
アリスは止まらなかった。
「もう一度!」
また挑む。
「もう一度!!!」
また立ち上がる。
何度も、何度も。
やがて、その言葉に少しだけ変化が現れた。
「納得できません!」
ケイが息を呑む。
「……今」
「納得できないって言った?」
モモイも目を丸くする。
アリスはゲームを続ける。
「この敵は卑怯です!」
ミドリが小さく声を漏らした。
「怒ってる……?」
「でも、もう一回挑戦します」
部室の空気が変わった。
ケイは震える手で口元を押さえる。
先生も、静かにアリスを見つめていた。
アリスはまた失敗するけど、すぐまた挑戦する。
そのたびに言葉が少しずつ変わっていった。
「悔しいです!」
「もう少しで勝てそうです」
「この道は覚えました」
「この宝箱は罠です。許しません」
「ご、ごめん……」
モモイが思わず謝った。
さらに時間が過ぎる。
アリスは、少しずつゲームの中の物語を理解し始めた。
「この人物は、仲間ですか?」
「うん。仲間だよ」
ミドリが答える。
「仲間は、大切な物ですか?」
「大切だよ」
「そうなんですか…」
また進む。
「この選択肢は、誰かを助けるためのものですか?」
「そうだね」
先生が答える。
「なら助けましょう!」
リオは、何も言えなかった。
自分はアリスを停止させるつもりだった。
危険な存在になる前に、止めるつもりだった。
なのに、アリスは止まらない。
むしろ、ゲームの中から言葉を拾い、感情を拾い、少しずつ形を得ていく。
そして、長い長いプレイの末。
アリスは、ついにトゥルーエンドへ到達した。
画面の中で、物語が終わる。
仲間たちが未来へ歩き出す。
長い旅の果てに、主人公は笑う。
アリスは、しばらく何も言わなかった。
そして。
「こ、ろ、し、て……」
「アリスーー!!!!」
ケイが慌ててゴーグルを取ると、アリスの瞳から一筋の涙が零れた。
「でも……楽しかったです……」
ケイの目が大きく見開かれる。
アリスは、両手を胸に当てた。
「アリスは、この物語が好きです」
そこにいたのは、さっきまでの機械的な少女ではなかった。
目に涙を浮かべ、けれどどこか誇らしげに微笑む少女。
彼女は、先生を見た。
「アリスは、もっとゲームを遊びたいです」
先生は静かに微笑んだ。
「そうだね、これからたくさん遊ぼうか」
「はい!」
少女は明るく頷いた。
「そしていつか。アリスは、勇者になります!」
モモイとミドリが、顔を見合わせた。
「泣いた……」
「うちのゲームで泣いた……」
「ミドリ! うちのゲーム、クソゲーじゃなかったのかも!」
「いやそれは判断が早い」
「そこは乗ってよ!」
ケイは呆然としていた。
「アリスの情緒形成の原点が……テイルズ・サガ・クロニクル……?」
臨戦トキが冷静に分析する。
「結果的に教育プログラムとして機能しましたね」
現地トキも頷く。
「リオ様、見事に失敗ですよ」
リオは茫然とアリスを見つめていた。
「どうして……?」
声が震えている。
「停止するはずだったのに……耐えたとでも言うの…?」
アリスはリオの方を見た。
「リオ」
「……」
「あなたがゲームをくれたのですか?」
リオは答えられなかった。
アリスは微笑む。
「ありがとうございます。アリスは、ゲームが好きになりました」
リオの表情が、苦しそうに歪んだ。
自分はこの子を止めようとした。
危険な存在だと判断して、停止させようとした。
なのに、目の前の少女は礼を言っている。
ただの機械でも、兵器でもなく。
ゲームで泣いて、ゲームを好きになった、一人の少女として。
「私は―――」
リオは何かを言おうとした。
だが、言葉にならなかった。
モモイがぽんとアリスの肩を叩く。
「よーし! じゃあ次はもっと楽しいゲームやろう!」
「もっと楽しいゲーム!」
アリスの目が輝く。
「はい! アリスはどんどんゲームをプレイします!」
ミドリが慌てて付け加える。
「今度はちゃんと遊びやすいゲームにしようね」
「うん! さすがに二本目もTSCは危ないからね!」
「自覚はあるんですね」
ケイが疲れた声で言った。
先生はそんな皆を見て、ほっと息を吐く。
アリスはテイルズ・サガ・クロニクルという、あまりにも理不尽なゲームを通して、論理エラーとリブートを繰り返しながら。
それでも、何度も立ち上がって、そして、ゲームを好きになった。
その姿を見ていたリオだけが、まだ動けずにいた。
彼女の中で、何かが静かに崩れ始めていた。
AL-1S。
名もなき神々の遺したかもしれない危険な存在。
キヴォトスを滅ぼしかねないかもしれない遺物。
そう考えていた。
けれど今、目の前にいるのは。
「アリスの勇者の旅はまだ始まったばかりです!」
そう胸を張って笑う、ただの一人の少女だった。