「先生! アリスはこれから勇者になります!」
ゲーム開発部の部室に、アリスの明るい声が響いた。
先ほどまでAL-1Sと呼ばれていた少女は、もう機械的な受け答えだけを返す存在ではなかった。
テイルズ・サガ・クロニクル。
ゲーム開発部が生み出した、数々の理不尽な仕様を誇るRPG。
その強制プレイを経て、アリスは何度も論理エラーを起こし、何度もリブートし、それでも挑戦を続けた。
そしてトゥルーエンドへ到達した時、涙を流した。
「アリスは、もっとゲームを知りたいです!」
アリスが笑っている。ゲームを見て目を輝かせている。
モモイとミドリの言葉を聞き、先生を見て笑い、ケイの名前を呼ぶ、その姿はもうただの機械ではなかった。
少なくとも、先生にはそう見えた。
「アリス、こっちは協力プレイのゲームだよ!」
「協力プレイ!」
「そう! 仲間と一緒に戦うの!」
「仲間と一緒に戦う……保存しました!」
「保存しなくても、普通に覚えればいいんだよ」
「普通に覚える。保存しました!」
「結局保存してる!」
モモイとミドリが笑いあっている。
先生も、そんなアリスたちを見てほっとしていた。
けれど部室の端で、リオだけが青ざめた顔をしていた。
「……」
アリスを見る。
ゲームで笑う少女を見る。
さっきまでAL-1Sだった存在を見る。
リオの頭の中で、冷たい情報が何度もよみがえる。
名もなき神々の王女AL-1S。
覚醒すれば、キヴォトスを滅ぼしかねない存在。
そう判断していたから、止めようとした。
完全に目覚める前に、誰かを傷つける前に、停止させようとした。
そのために、TSC強制プレイゴーグルまで作った。
だが、結果は違った。
むしろ、ゲームを通して情緒を獲得してしまった。
目の前にいるのは、もはや危険な遺物ではなく――
「協力プレイ!早くやりましょう!」
どこにでもいる一人の少女だった。
「……っ」
リオは片手で頭を押さえていたが段々と足元が揺らぐ感覚に襲われる。
呼吸が少しずつ乱れていく。
「リオ?」
先生がそんなリオの様子に気づいて声をかけるが、リオは顔を上げなかった。
「ごめんなさい、少し……席を外すわ」
それだけ言うと、よろめくような足取りで部室の出口へ向かう。
「リオ様」
現地トキがすぐにその後を追った。
二人はそのまま、ゲーム開発部の部室を出ていってしまった。
先生はそんな背中を心配そうに見つめていた。
「……様子が変だったな」
そして、追いかけようと一歩踏み出した。
だが、その前にケイが立った。
「先生」
「ケイ?」
「今は、リオよりもアリスを優先してください」
ケイの声は真剣だった。
「アリスは生まれたばかりです。自我も、感情も、まだ不安定です。先生がそばにいることには意味があります」
「……うん、ケイの言いたい事は分かるよ」
「なら――」
「でもね」
先生は困ったように笑った。
「私にとっては、アリスもリオも大事な生徒なんだ」
ケイは言葉を詰まらせる。
「見捨てられないよ……」
「……」
そう言われてしまっては、ケイも何も言えなかった。
先生はアリスを守ろうとしているけれど、リオもまた救おうとしている。
ケイからするとアリスを止めようとしたリオの事も、一人で苦しむ生徒として見ている。
ケイは諦めたように小さく息を吐いた。
「……先生は、本当にそういう人ですね」
「ごめんね」
「謝らないでください。先生が悪いわけではありません」
ケイは少しだけ視線を落とした後、顔を上げる。
「分かりました。私も行きます」
「ケイも?」
「先生一人で行かせるわけにはいきません。それに、リオが抱えているものを、私も知っていますから」
臨戦トキも当然のように一歩前へ出た。
「先生。私も同行します」
「トキも?」
「はい。先生の護衛は私の任務です。それに、リオ様がまた不安定になっている可能性がありますし」
先生は部室内を振り返る。
モモイとミドリは、アリスにゲームを教えることで手一杯になっていた。
「アリス。私は少し出てくるね」
「先生は冒険に行くのですか?」
「うん。ちょっとだけね」
「アリスも行きますか?」
「今回はここで待っていてくれるかな。モモイとミドリと一緒に、たくさんゲームを覚えていて」
「はい! アリスは学習します!」
「すぐ戻ります、アリス」
ケイがそう言うと、アリスは元気よく頷いた。
「ケイ、行ってらっしゃい!」
ケイは一瞬だけ表情を緩めた。
「……はい。行ってきます。アリス」
◆
リオの隠れ家。
薄暗い部屋の中で、リオは机に手をつき、歯を食いしばっていた。
額には冷や汗が浮かんでいる。
現地トキは、その横に静かに控えていた。
「リオ様」
「……少し考えさせて」
リオは低く呟く。
「私は、判断しなければならない――」
「ですが!」
「分かっているのよ、トキ!」
「分かっているのに……できない…」
その時、扉が開いた。
先生、ケイ、臨戦トキが入ってくる。
リオは驚いたように顔を上げた。
「先生……」
「ごめんね。色々あって流れてしまったけど――」
先生は、できるだけ明るい声で言った。
「約束を守りに来たよ」
「約束……?」
「リオが抱えていることについて、話を聞かせてくれないかな?」
リオは顔を強張らせた。
「……今更話すことなんてないわ」
「リオ」
「帰って。これは私が背負うべき問題よ」
「本当にリオが背負わないといけないのかな?」
先生の声は穏やかだった。
穏やかだからこそ、リオの胸に刺さった。
リオは唇を噛む。
「先生に話しても、何も変わらないわ」
現地トキが静かに口を開いた。
「リオ様、先生は話を聞くと言っています」
「聞いてどうなるの」
「どうなるかは分かりません。ですが、リオ様が一人で抱え続けた結果、リオ様が壊れてしまいそうで私は怖いです」
「……」
「私は相談した方がいいと思います」
リオは返す言葉を失った。
臨戦トキが静かに頷く。
「メイドの私の言う通りです」
「ありがとうございます。臨戦の私」
「二人で納得しないで……」
リオは頭を押さえて、しばらく沈黙が続いた。
やがて、リオは諦めたように息を吐く。
「……分かったわ」
先生は静かに頷いた。
リオは椅子に腰を下ろす。
そして、ゆっくりと話し始めた。
「今、アリスと呼ばれている少女」
「うん」
「あの廃墟で回収した彼女は、ただの生徒ではないわ」
リオの瞳が暗く沈む。
「名もなき神々を崇拝していた古の民が残した遺物。記録上では、こう呼ばれている」
「名もなき神々の王女、AL-1S」
室内の空気が重くなる。
「このまま放置して、何らかのきっかけで完全に覚醒すれば、キヴォトスが滅んでしまう可能性がある」
「……キヴォトスが?」
「ええ」
リオの声は震えていた。
「本当は、私がミレニアムの会長として、みんなを守らなければならない」
拳を握る。
「そのために、今のアリスを……殺さなければならないのに」
「リオ」
「でも、できないの!」
リオの叫びが部屋に響いた。
「ゲームで泣いていた。笑っていた。モモイやミドリに名前を呼ばれて嬉しそうにしていた。先生に勇者だと言っていた」
リオは苦しげに顔を歪める。
「あれを見てしまったら、もう、ただの遺物だなんて思えないのよ!!」
「……」
「私は、ミレニアムの会長なのに。合理的に判断しなければいけないのに。危険だと分かっているのに」
涙が零れる。
「私にはもう、それが決断できない…」
リオは自分自身を責めるように呟いた。
「自分の覚悟の無さが嫌になる……!」
先生は黙ってリオの話を聞いていた。
ケイも、臨戦トキも、現地トキも。
誰も、すぐには言葉を挟まなかった。
リオは冷たい判断をしようとしていたのではない。
誰かを守るために、自分が一番残酷な役割を引き受けようとしていた。
でも、アリスを一人の少女として見てしまった結果、出来なくなってしまった。
「そんな事情があったんだね」
その時、ケイが一歩前へ出た。
「リオ」
「……」
「アリスは、そんなことしません」
リオは涙目のままケイを見た。
「なぜ、そう言い切れるの!?」
「外的要因さえなければ、今のアリスがキヴォトスを滅ぼしたりすることはありえません!」
ケイは自信満々に胸を張った。
横から臨戦トキが口を挟む。
「まぁ、確かに外的要因がなければ、可愛いアリスは大丈夫ですよね」
そう言いながら、ニヤニヤとした表情でケイを見るが、ケイはトキのにやけ顔には気づかずに誇らしげに頷いた。
「トキの言う通りです」
「……」
臨戦トキは、すっと真顔になり、内心で思う。
もしかして、自分がその外的要因だったことを忘れている?
リオはケイの言葉に納得しなかった。
「外的要因。その可能性をゼロにできないから問題なのよ」
「アリスは大丈夫です!」
「信じるだけでは不十分よ」
「信じることは大切です!」
「責任を負う立場では、それだけでは足りないのよ」
「アリスは絶対平気です!」
「それは説明になっていないわ!」
二人の言い分は平行線だった。
ケイはアリスを信じている。
リオは危険性を無視できない。
どちらも本気でどちらも正しかった。
どちらも、アリスを見ていた。
だからこそ、話は簡単には進まない。
先生はしばらく二人のやり取りを見ていて一つ提案した。
「しばらく様子を見るのはどうだろう?」
リオが先生を見る。
「様子を見る?」
「うん。アリスがどう成長していくのか。何を選ぶのか。私たちで見守る」
「もしそれでアリスが暴走したらどうするのよ!?」
リオは先生にも食って掛かるように言った。
「もし本当に、キヴォトスを滅ぼすような事態になったら? その時、誰が責任を取るの?」
そう問われた先生の表情が変わった。
柔らかい笑みが消える、代わりに、静かで真剣な顔になる。
「その時は、私が責任を取るよ」
そう言って、先生は懐から一枚のカードを取り出した。
それを見た瞬間、ケイと臨戦トキの顔色が変わった。
「先生!」
「やめてください!」
二人が同時に声を上げるが、先生は静かに二人を手で制した。
先生は、リオと現地トキを見る。
「このカードは、私が持っている切り札みたいなものだよ」
「切り札……?」
「簡単に言えば、どんな状況もひっくり返せる可能性があるもの――」
リオの目が細くなる。
「そんな都合のいいものが……」
「でも、使用には重い代償がある」
先生は続けた。
「だから、簡単には使えない。気軽にポンポン使っていいものでもない」
ケイが唇を噛む。
臨戦トキも珍しく強張った表情をしていた。
先生は、それでもリオから目を逸らさなかった。
「でも、もしアリスが本当に暴走して、キヴォトスを滅ぼしそうになったら、その時は、私がこれを使ってアリスを抑えてみせる」
「先生……」
「だから、リオ」
先生は静かに言った。
「今すぐアリスを殺すことだけは、待ってほしい」
リオは何も言えなかった。大人のカード。
その正体を完全に理解したわけではない。
けれど、ケイと臨戦トキの反応を見ればある程度分かる。
それは、本当に危険な切り札なのだ。
先生は、アリスのためにそれを使う覚悟を見せた。
そして同時に、リオの抱える不安も無視しなかった。
リオは長い沈黙の末、小さく息を吐いた。
「……分かったわ。しばらく様子を見ましょう」
リオは視線を落とす。
「それが、今の私にできる最大の譲歩よ」
「ありがとう」
「ただし、私は監視を続ける。危険だと判断すれば…」
「うん。今はそれでいいよ」
ケイも少しだけ肩の力を抜く。
臨戦トキも静かに息を吐いた。
現地トキはリオの横で、小さく頷く。
「リオ様。今度は一人で抱え込まないでください」
「……努力するわ」
リオは少しだけ困ったように目を伏せた。
だが、その表情には先ほどまでの追い詰められた色は少しだけ薄れていた。
◆
リオ達と先生たちがゲーム開発部の部室に戻ると、そこには少し賑やかな光景が広がっていた。
「アリス、そこはジャンプ!」
「ジャンプします!」
「その次、攻撃!」
「攻撃します!」
「お姉ちゃん、そこは回避だよ」
「えっ、そうだっけ!?」
「アリス、回避します!」
アリスはモモイとミドリに挟まれて、楽しそうにゲームをしていた。
そして、いつの間にかもう一人。
ロッカーの近くに、小柄な少女がいた。
花岡ユズ。
離席している間に合流したらしい。
ユズは少しおどおどしながらも、アリスのプレイを見守っていた。
「あ、あの……アリスちゃん、そのアイテムは後で使うと便利……かも……」
「ユズ! ありがとうございます!」
「ひゃっ、名前呼ばれた……」
ユズは驚いて少しだけロッカーに半分隠れた。
先生はその光景を見て、ほっと笑う。
「楽しそうだね」
ケイも、アリスが笑っている姿を見て、柔らかな表情を浮かべていた。
「はい……とても」
臨戦トキも部室内を見回す。
そして、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば」
「うん?」
「ゲーム開発部廃部の件は、解決したのですか?」
その臨戦トキの一言で部室の空気が止まった。
モモイとミドリが同時に固まる。
「……」
「……」
ユズもびくっと肩を震わせた。
「あぁ……そうだった……」
その顔は絶望に染まっていた。
次の瞬間、ユズはすっとロッカーの中へ引きこもった。
「ユズ!?」
ミドリが慌てて声をかける。
モモイは頭を抱えた。
「そういえばそうだったーー!!」
「お姉ちゃん、忘れてたの!?」
「だってアリスのこととか、リオとか、TSCとか色々あったし!」
「それはそうだけど!」
アリスだけが、よく分かっていない顔で首を傾げていた。
「む? どうしました?」
モモイは急に顔を上げた。
そして、何かを思いついたように拳を握る。
「こうなったら、ユウカの上の会長に直談判しよう!」
「え?」
ミドリが固まる。
「廃部を撤回してもらうんだよ! アリスも仲間になったし、ゲーム開発部はこれからすごいゲームを作るって直接言えばいい!」
「お姉ちゃん、それすごく危ない発想じゃない?」
「大丈夫! 熱意は伝わるって!」
モモイは完全に勢いで動き始めていた。
「よーし! 急いでアリスの武器を調達しに行くぞー!!」
「いつまでも手ぶらだとかわいそうだしちょうどいいか」
「直談判には迫力が必要だし大きい武器を見つけに行こう!」
「それもう直談判じゃなくて襲撃じゃない!?」
「アリス、行くよ!」
「はい! アリスは装備を整えます!」
「ユズも行くよ!」
「えっ、あ、あの、私はロッカーで……!」
「出発ー!」
モモイはアリスとミドリ、そしてロッカーから半分出かかったユズを巻き込みながら、勢いよく部室を飛び出していった。
先生はぽかんとした顔で見送る。
「元気でいいことだけど……」
「なんで武器……?」
ケイは額に手を当てた。
「モモイらしいと言えば、モモイらしいですが……」
臨戦トキはふと窓の外を見た。
そこには、一機のドローンが浮かんでいた。
おそらく、ずっと部室を監視していたのだろう。
そのドローンは小刻みに震えていた。その震え方は、どこか精神的なダメージを受けているように見えた。
ケイもそれに気づき、少しだけ哀れむような目を向ける。
「……あれ、リオのドローンですよね?」
「おそらく」
臨戦トキはまたどこからともなくスケッチブックを取り出した。
そして、さらさらと文字を書く。
窓の外のドローンへ向けて掲げた。
【ご愁傷様】
ドローンは震えたまま、ふらふらとどこかへ飛んでいった。
先生はその光景を見て、困ったように笑った。
「リオ、大丈夫かな……」
ケイは遠い目をした。
「さっそく問題が出てきましたからね」
臨戦トキは静かに頷く。
「証明開始前から、リオ様の胃が削れていますね」
先生は、部室の外から聞こえてくるモモイの元気な声と、遠ざかるドローンを交互に見た。
アリスの安全性を見守るとリオと約束したばかりだった。
だが、どうやらそれは、思っていたよりずっと騒がしい日々になりそうだった。