要塞都市エリドゥ。
G.Bibleを開くために必要だと判明した、その謎の都市。
それが何なのか、どこにあるのか、ゲーム開発部の誰も知らなかった。
しかし、臨戦トキだけは知っていた。
正確には、以前自分でスケッチブックに書いてしまった一文が、今になって彼女の首を絞めることになった。
「さあトキ! 案内してもらうよ!」
モモイが拳を突き上げる。
「エリドゥに行ってG.Bibleを開く! そして最高のゲームを作って廃部回避!」
「勢いだけはすごいね、お姉ちゃん」
ミドリが少し呆れたように言う。
アリスは光の剣を抱え、目を輝かせていた。
「アリスも要塞都市へ向かいます! こんなに長いおつかいクエストは初めてですね!」
「いやもうおつかいじゃ無いんじゃないかな……?」
ユズは不安そうに小さく呟いた。
先生は苦笑しながらも、出発する一同を見守っていた。
ケイはアリスの隣に立ち、臨戦トキは先導するように部室の扉へ向かう。
「では、行きましょうか」
臨戦トキがそう言って扉を開けようとした、その時だった。
扉の外に、一人の少女がいた。
車椅子に腰掛けた、白髪の少女。
明星ヒマリ。
いつものような余裕の笑みではない。
真剣な表情で、先生たちを待ち構えていた。
「ヒマリ?」
ケイが眉をひそめる。
ヒマリは静かに口を開いた。
「出発の前に、少し私の話を聞いてください」
その声には、いつものふざけた調子がなかった。
モモイも思わず勢いを止める。
「え、なになに? 急にシリアス?」
「シリアスになる程度には、面倒な情報です」
ヒマリはそう言って、空間ディスプレイを展開した。
「要塞都市エリドゥに、急遽援軍が呼ばれました」
「援軍?」
ミドリが不安そうに聞き返す。
モモイは腕を組んで、ふんと鼻を鳴らした。
「援軍がなんぼのもんじゃーい!」
「アリスも戦います!」
アリスが光の剣を抱えて一歩前に出る。
「勇者は援軍にも負けません!」
「そうだそうだー! こっちにはアリスも先生もいるんだよ!」
「お、お姉ちゃん……油断はよくないよ」
「援軍って……」
ユズはすでに顔色が悪い。
だが、ヒマリは困ったように笑った。
「問題は、呼ばれた援軍の中に美甘ネルがいることです」
その名前が出た瞬間、臨戦トキの表情が変わった。
「ネル先輩が?」
モモイがすぐに食いつく。
「知っているの!? トキ!」
「ええ、もちろん知っています」
臨戦トキは珍しく少しだけ真面目な顔になった。
「ざっくりとした説明になりますが、ミレニアム最強ですね」
余りにもざっくりとした説明にモモイ達は沈黙してしまった。
「その認識で間違いありません。C&Cのリーダー、コールサイン00。ミレニアムにおける最強戦力の一角です」
「ええーー!!?」
モモイが叫ぶ。
「難易度バグりすぎじゃん!? 私たちG.Bibleを開きたいだけなんだけど!?」
「こんなの、おかしいです! おつかいクエストの難易度じゃありません! これじゃあラストダンジョンです!」
「わ、私たちでどうにかなる相手なの……?」
ミドリが不安そうに言う。
「む、無理……かも……」
ユズはもう帰りたそうな顔をしていた。いやもう心はすでにロッカーの中だった。
モモイたちは、一斉に先生を見る。
「先生……」
「どうしよう……?」
「アリスは勇者ですが、レベル上げが必要かもしれません……」
先生も腕を組んで考え込んだ。
「うーん……」
ケイも真剣な顔で考えている。
「ネルが相手となると、正面突破はかなり厳しいですね」
その時、臨戦トキがぽつりと言った。
「向こうが援軍を呼んだのならこちらも呼べばいいのでは?」
全員の視線が彼女に集まる。
「援軍?」
先生が首を傾げる。
臨戦トキは頷き、すたすたと歩き出した。
「付いてきてください」
「どこへ?」
「援軍を呼びに」
そう言って、臨戦トキは迷いなく廊下を進んでいく。
先生たちは顔を見合わせた後、彼女の後を追うことにした。
そうして辿り着いたのは、セミナーの一室だった。
中では、ユウカが一人で大量の資料を前に唸っていた。
机の上には予算書、申請書、活動報告、各部署からの要求書類が山積みになっている。
「おかしい……数字が合わない……でも、どこかで見落としが……?」
ユウカは完全に集中していた。
そこへ、臨戦トキが遠慮なく近づく。
「ユウカ。ちょっとお時間よろしいですか?」
「ちょっと待って! 今期の予算の計算中だから!」
ユウカは資料から目を離さずに答える。
臨戦トキは涼しい顔で続けた。
「その件で、少しお伝えしたいことがありまして」
「予算の件で?」
「今期の予算が、なぜか前年と比べて少なくないですか?」
「はぁ? そんなわけ……」
ユウカは言いかけて、資料に目を戻した。
そして、表情が変わる。
「……待って」
さらに別の資料を確認する。
「確かにおかしいわ」
ユウカの声が露骨に低くなった。
「でも、原因が分からない……」
「私はその原因を知っています」
臨戦トキが淡々と言う。
ユウカが勢いよく顔を上げた。
「知ってるの!? 原因は一体なんなの?」
「原因は会長の横領です」
室内が静まり返った。
先生は一瞬、聞き間違いかと思った。
モモイとミドリは固まる。
ユズは小さく「え?」と声を漏らした。
アリスだけが首を傾げる。
「横領とは、悪の組織の資金調達ですか?」
「だいたい合ってるけど、今は黙ってようね」
先生が小声で言う。
臨戦トキは一枚の資料を取り出し、ユウカへ差し出した。
「ちゃんと証拠の資料も用意しています」
「……見せなさい」
ユウカは資料を受け取りページをめくっていく。
一枚目。
二枚目。
三枚目。
そのたびに、ユウカの空気が変わっていく。
最初は疑念。
次に困惑。
次に怒り。
そして最後には、静かな殺気に似た何か。
周囲の空気が重くなる。
モモイが小声で言った。
「ねえ、ユウカから黒いオーラ出てない?」
「お姉ちゃん、静かに」
ミドリは青ざめていた。
ユズはもう完全に先生の後ろに隠れている。
臨戦トキは、そんなユウカの横で涼しい顔をしていた。
「その会長は、今現在、横領したお金で建設した都市エリドゥに引きこもっています」
「……」
「なのでユウカも私たちと協力して――」
「会長ーー!!!!!」
ユウカの叫びが、セミナーの一室を震わせた。
モモイたちが飛び上がる。
「ひゃっ!?」
「こ、怖い……!」
「アリスはラスボスの誕生を確認しました!」
「アリス、今それ言っちゃ駄目……!」
ユウカは怒りを露わにした表情で、臨戦トキへ向き直る。
「その横領都市エリドゥってどこにあるのよ!!?」
「あー……説明が少し難しいので――」
「座標をこっちに送りなさい!!」
「イエスマム!」
臨戦トキは見事な返事をして、即座に端末を操作した。
テキパキとエリドゥの座標をユウカへ送信する。
ユウカはそれを受け取ると、資料を片手に立ち上がった。
「会長…説明してもらいますからね……」
その声は静かだった。
静かすぎて怖かった。
ユウカはドシドシと床を踏み鳴らしながら、部屋を出て行った。
その背中を、全員が無言で見送る。
しばらくしてから、モモイがぽつりと呟いた。
「今のユウカ、魔王みたいだったね」
「うわーーー怖いです! 身近にラスボスが潜んでいました!」
アリスが震える。
「……次からもう少し真面目に活動しようかな」
ミドリが真顔で言った。
「ひぇぇ……怖かった……」
ユズは先生の後ろで小さくなっていた。
ゲーム開発部の一同は、心に誓った。
ユウカを本気で怒らせてはいけない。
そんな空気の中、先生は臨戦トキを見る。
「トキ、ユウカ行っちゃったけど大丈夫なの?」
臨戦トキは少し視線を逸らした。
「ど、どうしましょうか?」
ケイは額を押さえる。
「嫌な予感しかしません」
その直後だった、ミレニアム全域に放送が流れ始めた。
『セミナー会計の早瀬ユウカです』
いつもの冷静な声。
だが、その裏には明確な怒りがあった。
『緊急事態が発生したわ』
ミレニアム中の生徒たちが、何事かと足を止める。
『私たちのバカ会長が問題を起こして、エリドゥと呼ばれる都市に逃げたわ』
先生たちは固まった。
モモイが小声で呟く。
「言い切った……」
『今現在、その都市のどこかに潜伏している』
ユウカの声は続く。
『そのバカ会長を捕まえて来た人物、団体、組織に、私から特別報奨金を出すわ』
先生たちは空気が変わるのを感じた。ミレニアム中の生徒たちの目が、一斉に鋭くなる。
『エリドゥの詳しい場所はメインモニターに表示しておいたから――』
最後の最後で溜めていた怒りが爆発した。
『今期の予算で苦しみたくないなら、さっさと捕まえて私の前に連れてこい!!!!』
そのユウカの叫びを最後に放送が切れた。
次の瞬間、ミレニアムが動いた。
「ほら行くぞコトリ、ヒビキ! 予算確保のために!」
「予算確保して、メカワニを……えへへ」
「ウタハ先輩が行くなら…私も頑張ろうかな」
「聞きましたかツバサ!?ここで予算確保してうちの部を立て直しますよ!」
「部長!ちょっと待って!! 体力が…はぁっ…!ふはぁぁ……!」
その他にも生徒達が走り、ドローンが飛び、ロボットが疾走していく。
どこかでは何かの装置を担いだ生徒たちが叫ぶ声をあげていて。
研究部らしき生徒たちが移動用メカに乗って移動していた。
それはもはや、暴動と言っても差し支えない熱量だった。
先生たちは窓からその光景を眺めていた。
「……すごいことになっちゃったね」
「みんなの行動力、恐るべし……」
モモイが圧倒されている。
「ユウカを怒らせるとこうなるんだ……」
ミドリが震える。
「アリスは学びました。会計は最強職です」
「それは多分違うけど、今は間違ってないかも……」
ケイはゆっくりと臨戦トキを見た。
先生も、モモイたちも、全員が臨戦トキを見る。
視線を受けた臨戦トキは、少しだけ苦笑した。
「予定通りとはいきませんでしたが、概ね結果オーライということで……」
そして、自信なさげに親指を立てた。
「ちょっとやり過ぎかな……?」
先生に指摘された臨戦トキは視線を逸らした。
だがもう、放送は流れてしまった。
激昂したユウカの一言により、ミレニアム中の生徒たちは要塞都市エリドゥへと駆り立てられた。
ネル率いるC&C、リオが用意したアビ・エシュフ。
そして、報奨金に目の色を変えたミレニアム生。
要塞都市エリドゥを巡る騒動は、もはやゲーム開発部だけの問題ではなくなっていた。
先生はその光景を見つめながら、困ったように笑った。
「リオ、大丈夫かな……?」
「たぶん、大丈夫ではありませんね」
臨戦トキが冷静に切り捨てた。
その直後何かに気づいたように顔を上げる。
「……待ってください。私たちがリオを捕まえてユウカの前に連れていけば、その功績だけでゲーム開発部の廃部を回避できるのではないですか?」
その言葉に、モモイの頭の上には見えない疑問符が浮かんでいるようだった。
「え? なんでそこでリオ?」
ケイもまた、不思議そうにモモイを見る。
「え? だってリオが会長だからじゃないですか。モモイこそ何を言っているんですか?」
「え!?」
モモイの声が裏返った。
「あの涙目のリオが会長〜!!?」
ゲーム開発部の面々が固まる。
ミドリは目を見開き、ユズは完全に硬直し、アリスもぽかんと口を開けていた。
「リオが……会長……?」
「え、えっと……本当に……?」
「リオは会長だったのですか?」
その後ろで、ヒマリが口元を押さえる。
次第に肩が震えて腹を抱え、必死に笑いを堪えている。
しかし堪えきれていない。
「ふ……ふふ……っ!」
「ヒマリ、笑わないであげてね」
先生が苦笑する。
ヒマリは車椅子の上でぷるぷる震えながら答えた。
「い、いえ……これは、その……ふふっ……あまりにも……!」
ケイは呆れたようにモモイたちを見た。
「気づいてなかったんですか!?」
モモイは気まずそうに視線を逸らす。
「いや〜、だってねぇ?」
ミドリも控えめに頷いた。
「もっと立派な人が会長かと思ってました」
アリスは無邪気な顔で断言した。
「リオが会長……? それは嘘ですね!」
ユズが小さく呟く。
「人は見かけによらないんだね……」
「今の言葉をリオ様が聞いたら、また盛大に泣きわめきますよ」
「あはは……リオも頑張っているんだけどね〜」
先生は困ったように笑った。
「少し空回りしちゃうんだよね……」
その時、モモイがはっと顔を上げた。
「……待って」
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「リオを捕まえればいいんだよね?私たち、すごく出遅れてる!!」
次の瞬間、モモイは勢いよく走り出した。
「急げー!! リオ会長を捕まえて廃部回避だー!!」
「お姉ちゃん、待って!」
ミドリが慌てて追いかける。
「アリスも行きます! 会長捕獲クエストです!」
「そ、それ本当に大丈夫なのかな……!?」
ユズも半泣きになりながら後を追う。
四人はあっという間にフルスロットルで走っていく。
「何回この光景見るんだろう」
先生が呟く。
その直後、モモイのポケットから何かが落ちた。
からん、と軽い音を立てて床に転がる。
「あれ?」
先生が拾い上げる。
それは、モモイの携帯ゲーム機だった。
中には、先ほど転送されたG.Bibleのデータが入っている。
「モモイ、大事なゲーム機を落として……」
先生は声をかけようとして、ふと画面を見た。
そして首を傾げる。
「どうしました、先生?」
臨戦トキが近づく。
先生は画面を見せた。
「データに空き容量があるよ……」
「空き容量?」
臨戦トキが画面を覗き込む。
ケイも近づいてくる。
「おかしいですね」
臨戦トキは静かに言った。
「確か、データがいっぱいでモモイのデータが消されたはずでしたよね?」
「そうだったよね?」
「なら、空き容量があるのは不自然ですね」
先生と臨戦トキの会話を聞いていたケイの表情が変わった。
胸の奥に、嫌な感覚が走る。
咄嗟にケイは、廊下の先を走っていくアリスへ声をかけた。
「アリス!」
アリスは一瞬だけ振り返った。
その顔には、いつもの明るい笑みが浮かんでいる。
「先生たちも早く来てください!」
元気な声だった。
いつものアリスだった。
ケイは一瞬、自分の考えすぎだと思いかけた。
だが。
アリスが前へ向き直る、そのほんの一瞬。
青い瞳が、赤く揺らいだ。
「……っ」
ケイの息が止まる。
見間違いかもしれない。
光の反射だったのかもしれない。
「ケイ?」
先生が不安そうに声をかける。
ケイは答えられなかった。
廊下の向こうで、アリスはモモイたちと共に楽しそうに走っている。
勇者として、仲間と一緒に何も知らないまま。
ケイは携帯ゲーム機の画面を見つめる。
なぜか空いている容量に消えたはずのデータ。
そして、アリスの瞳に一瞬宿った赤。
「……まさか」
臨戦トキも、アリスの異変に気づいたのか、表情を引き締めた。
「ケイ」
「まだ確証はありません」
ケイは自分に言い聞かせるように言った。
「ありませんが……」
とても嫌な予感がケイの体を包み込む。
ようやくゲーム開発部の廃部回避も見えてきた。
けれど、その裏で何かが、静かに動き始めているような気味の悪い感覚。
ケイは走っていくアリスの背中を見つめながら、拳を握りしめた。
「……アリス」
その声は、誰にも届かなかった。