D.U.地区からトリニティ自治区へ向かう電車の中で先生は窓の外を流れる景色を眺めながら、少しだけ胸を弾ませていた。
トリニティ。ゲヘナやアビドス、ミレニアムとはまた違う雰囲気を持つ学園だと聞いている。
荘厳な校舎、整えられた庭園、そしてお嬢様学校だと聞いていた。
そして、ティーパーティーと呼ばれる生徒会組織。
少し気がかりだったのは、電話口で聞いた現地ナギサの声は、どこか張り詰めていた。
だからこそ、先生としては少しでも力になりたいと思っていた。
「楽しみだね、トリニティ」
先生は何気なく付いてきてくれたみんなにそう言った。
しかし、その言葉に明るく返事をする者はいなかった。
隣に座るナギサは、すでに魂が半分抜けたような顔をしている。
向かいの席では、ミカが窓の外を眺めながら乾いた笑みを浮かべていた。
セイアは静かに目を伏せ、何かを考えている。
アツコは仮面を膝の上に置き、ぼんやりと車内の床を見つめていた。
「……みんな大丈夫?」
「ええ、もちろんです」
ナギサは即答した。
「少しばかり、これから向かう先が戦地なのか地雷原なのか火山地帯なのかを考えていただけです」
「全然大丈夫そうじゃないね」
「大丈夫ですよ。慣れていますから」
「慣れてほしくなかったなぁ」
先生が困ったように笑った、その時。
車両の奥から声が聞こえてきた。
「パヒャヒャ、乗車券確認しま〜す」
「はやくだせ〜!」
二人の少女が、妙なテンションで乗客の乗車券を確認しながら歩いてきた。
双子のように似た雰囲気を持つ、ハイランダーの生徒。
「乗車券だせ〜!」
「パヒャヒャ、持ってないと面倒なことになるからね〜?」
「これでいいかな?」
先生は素直に乗車券を差し出した。
二人はそれを確認し、じっと先生を見る。
「あっ、大人だ」
「先生ってやつ?」
「うん、シャーレの先生だよ」
「シャーレだってさ」
「おぉ~! 噂は聞いてる」
「どんな噂なの?」
先生がハイランダーの生徒と会話をし始めた。
それを見て、セイアが静かに口を開く。
「ナギサ、正直に言ってくれ」
「なんでしょうか、セイアさん」
「これから私たちは、エデン条約のゴタゴタに巻き込まれるんだろう?」
その言葉に、空気が少し重くなった。
ミカも、アツコも、視線だけをナギサへ向ける。
ナギサは少しだけ沈黙した後、微笑んだ。
「そうですよ?」
「ハァー……やっぱりか」
セイアが目を細める。
ナギサは晴れやかな顔で続けた。
「あっ、大丈夫ですよ。死ぬ時はみんな一緒ですから」
それを聞いたセイアは深くため息を吐いた。
「もしその時が来たら、君だけ死んでくれ」
「ひどい! なぜ私だけを置いていくのですか!?」
「君が一番事情を分かった上で私たちを巻き込んでいるからだよ」
「私だって巻き込まれた側です!」
「いや、足にしがみついていたのは君だ」
ミカが頬杖をつきながら割り込む。
「でもナギちゃんさ〜。現実問題どうする気なの?」
「どう、とは?」
「今ここでセイアちゃんがこの世界のナギちゃんと私の前に現れたら、最悪セイアちゃん誘拐されるよ?」
セイアが静かに頷く。
「その可能性は否定できないね」
ナギサは少し考えた。
そして、柔らかく微笑む。
「その時は、尊い犠牲ということでいかがでしょう?」
「追い込まれた狐はジャッカルより凶暴だということを、今ここで証明してあげようか?」
「冗談です! 冗談ですから、セイアさん!」
ナギサは慌てて両手を振った。
そして、考え込んで、次第に頭を抱えて苦しみ始める。
「あぁー!! 考えれば考えるほど面倒くさいですね!! 今からカタコンベに突撃しませんか!?」
ミカが苦笑する。
「それをやってもいいんだけどさ〜。エデン条約編が二話で終わったら、多分読者が泣くよ?」
セイアは改めてナギサを見る。
「それに、元凶を倒したところで、トリニティが抱えている問題も、アリウスが抱えている問題も、何も解決しないんじゃないか?」
ナギサは沈黙した。そして、今度こそ深く深くため息を吐く。
「ハァー……本当にドブカスですね………」
「ナギサ、口が悪いぞ」
その時、アツコが静かに口を開いた。
「なら、私が動こうか?」
三人の視線がアツコへ向く。
アツコは仮面を指先でなぞりながら続けた。
「今の時期なら、トリニティで私のことを知っている人は居ないはずだし」
ナギサは言いにくそうに眉を下げた。
「……アツコさん」
「なに?」
「アズサさんが補習授業部に参加していますし、多分先生は補習授業部の顧問にされますよ?」
「あっ」
アツコの動きが止まる。
ナギサは申し訳なさそうに続けた。
「つまり、私たちも補習授業部と関わることになります。ですので、むしろアツコさんはセイアさんの次に動きにくいと思いますが……」
「……」
アツコは目を瞑る。
そして、ようやく思い出したように小さく頷いた。
「アズサがいるんだった……」
アツコは少し考え込んだ後、ぽつりと言った。
「待って」
「はい?」
「秘策を思いついた」
ナギサがすぐに身を乗り出す。
「マジですか?」
「マジ」
アツコは仮面を手に取る。
「アズサに、私が秤アツコだってバレなきゃいいんでしょ?」
「それはそうですが……」
「やってみる価値はあると思う」
ナギサは数秒考えた。
そして、力強く頷く。
「じゃあ、その秘策が成功したら、よろしくお願いします」
「うん。任せて」
どこか真剣な話をしている横で、先生の方も話し終わったようだった。
「じゃあ、お仕事がんばってね!」
「パヒャヒャ、よい旅を〜」
「迷子にならないようにね〜」
二人が去っていく。
先生は席へ戻り、明るい顔で言った。
「もう少しで到着だね!」
その瞳は、初めての学園訪問に向けてきらきらしていた。
ナギサ、ミカ、セイア、アツコは一瞬だけ顔を見合わせる。
そして、全員で苦笑いを押し込めた。
「ええ。楽しみですね、先生」
「うんうん、楽しみだね〜」
「そうだね。実に興味深い」
「……楽しみ」
四人は、先生に話を合わせた。
誰も、帰りたいという本音など言えなかった。
◆
トリニティの駅に到着し、先生たちは電車を降りた。
駅からトリニティ総合学園までの道のりは、美しかった。
整えられた街並み、白を基調とした建築、どこか荘厳で、清らかな空気。
先生は素直に感心していた。
「すごいね。綺麗なところだ」
「そうですね」
ナギサはそう答えながらも、周囲を警戒している。
その理由はすぐに分かった。
道行くトリニティ生たちが、遠巻きにこちらを見ている。
先生を見る視線、自分たちを見る視線。
特に、ナギサ、ミカ、セイアを見る視線。
ひそひそと囁き声が交わされる。
「今の……」
「ナギサ様……?」
「でも、ナギサ様は……」
「ミカ様もいる?」
「セイア様……!?」
「いや、見間違いじゃ……?」
先生は少しだけ首を傾げた。
「みんな、こっちを見てるね」
「気のせいですよ」
ナギサが即答した。
「え、でも」
「気のせいです」
「そっか」
「先生、は少し素直すぎかな~?」
ミカが小さく苦笑する。
そうして、数多の視線を浴びながら一行はトリニティ総合学園へ到着した。
校舎の前には、一人の少女が待っていた。
羽川ハスミ。
トリニティの正義実現委員会に所属する生徒だった。
「先生、お久しぶりです」
ハスミは丁寧に頭を下げる。
「ナギサ様から、本日訪問されると話を聞いていたので案内しますよ……」
そこで、ハスミの言葉が止まった。
彼女の視線が、先生の後ろにいる四人へ向く。
「………えっ!?」
動きが止まる。
先生は特に気にせず、笑顔で声をかけた。
「ハスミ、久しぶりだね! そういえばトリニティだったね。今日はスズミは居ないのかな?」
「あっ……え?」
ハスミは一度先生を見て、もう一度後ろの四人を見る。
脳が情報処理に失敗している顔だった。
「スズミさんは自警団ですから、所属が違うんですよ……」
「そうなんだ」
「はい……あの〜先生」
「うん?」
「後ろの方たちは……?」
「ああ」
先生は何でもないことのように言った。
「後ろにいるのは、ナギサとミカとセイアとアツコだよ。みんな私のところに来てくれたんだ」
「は?」
ハスミの口から、普段なら出なさそうな声が漏れた。
ミカが明るく手を振る。
「そーそー。私たちはもう先生のモノってことだよ、ハスミちゃん☆」
「ミカさん、その言い方はさすがに誤解を招くのでは?」
ナギサが眉をひそめる。
セイアは少し考えた後、静かに頷いた。
「言い方に語弊はあるが、概ねその通りか……」
「セイアさんまで!?」
ハスミの混乱が深まっていく。
ナギサは気を取り直し、努めて余裕そうな顔でハスミに近づいた。
「ハスミさんもご苦労様です。案内でしたら、私たちが居るので要りませんよ」
「あっ……わ、わかりました……」
完全に押し切られたハスミは、反射的に頷いた。
アツコがその横へ静かに近づき、ハスミの肩をぽんぽんと叩く。
「お疲れ様」
「……ありがとうございます?」
ハスミは最後まで何が起きているのか分からない顔のまま、その場に取り残された。
先生たちはナギサの案内で、現地ナギサが待つテラスへ向かうことになった。
テラスには、優雅な茶会の光景が広がっていた。
白いテーブル。
美しく並べられた茶器。
焼き菓子と紅茶の香り。
そこにいたのは、現地の桐藤ナギサ。
そして、現地の聖園ミカだった。
二人は先生に気づくと、穏やかな笑みを浮かべる。
「先生、お越しくださりありがとうございます」
現地ナギサが立ち上がる。
「お待ちしておりました」
現地ミカも手を振る。
「やっほー、先生。来てくれてありがとね」
先生は軽く会釈した。
「呼んでくれてありがとう。直接話したいことがあるって聞いたから来たよ」
「ええ。それで……」
現地ナギサの視線が、先生の後ろへ向いた。
「後ろに居るのが………!?」
言葉が止まった。
現地ミカも、同じ方向を見る。
「ええ!!?」
二人の目が、大きく見開かれた。
そこに立っていたのは、ナギサ、ミカ、セイアというティーパーティーフルセット、そして静かに立つアツコ。
現地ナギサは、かつてないほど取り乱した顔で叫んだ。
「ど、どうして!? 私とミカさんまでなら理解出来ますが、なんでセイアさんまで居るんですか!!!?」
現地ミカも椅子から立ち上がる。
「ナギちゃんと私が居る!!? それにセイアちゃん!!!?」
二人は完全に混乱していた。
一方、先生はその反応を見て、少しだけ嬉しそうに思った。
あんなに驚いてくれるなんて、それほどセイアに会いたかったのかな?
募集で来てくれてよかったな。
先生は完全に斜め上の感想を抱いていた。
その後ろで四人は、全員がめんどくさそうな顔で現地ナギサと現地ミカを見つめていた。
ナギサが小さく呟く。
「うぅ…胃が……なんで私がこんな目に…?」
ミカが乾いた笑みを浮かべる。
「もう帰りたくなってきた☆」
セイアは軽く目を伏せる。
「もし誘拐されたら助けてくれよ?」
アツコは静かに仮面を持ち上げた。
「その時はアリウス式で助けてあげるね」
「アリウス式、どんな方法なんだい?」
「誘拐された奴が悪いから見捨てるんだよ」
「…泣けるね」
テラスに、気まずい沈黙が落ちる。
先生だけが、まだ比較的穏やかな顔をしていた。
トリニティ到着早々、景気づけの一発が目の前で盛大に爆発したのだった。