アツコの秘策は、見事に空振りに終わった。
「なんで……?」
補習授業部の教室の端。
アツコは膝を抱えて座り込んでいた。
「どうしてバレたの……? 作戦はかんぺき〜♪だったはずなのに……」
完全に一人反省会が始まっている。
その隣には、白洲アズサが心配そうに寄り添っていた。
「アツコ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃない……」
「そうか……」
アズサはどう声をかければいいのか分からない様子で、それでもアツコの近くから離れようとはしなかった。
廊下では、先生たちがその光景を見守っている。
先生は少し困ったように笑った。
「いつまでも廊下にいるのもよくないし、入ろうか」
「そうですね」
ナギサが疲れた顔で頷く。
「もうすでに色々と手遅れな気もしますが」
「始まったばかりだよ?」
「始まる前から終わっているということもあります」
「そんな悲しいこと言わないで」
先生が教室に入る。
すると、アズサが先生の方を向いた。
そして、先生の後ろにいる面々に気づいた瞬間、絶望したような顔になった。
「百合園セイア……!? それに桐藤ナギサと聖園ミカ……」
アズサの視線が鋭くなる。彼女は一瞬だけ目を伏せ、何かに納得したように呟いた。
「そうか……お前達も結局は……そうなのか……」
「え?」
先生は首を傾げる。
アズサは先生の反応には答えず、覚悟を決めたような表情で続けた。
「私はどうなろうと構わない。だが、アツコは見逃してくれ……」
「アズサ何言ってるの?」
「彼女は今、錯乱しているようなんだ……」
教室の端で膝を抱えたまま、アツコが小さく震える。
「酷い……」
先生は状況が理解できず黙っていた。
すると、ナギサたちが素早く動いた。
三人はアズサを囲むようにして教室の端へ移動し、先生に聞こえないよう小声で話し始めた。
「何を勘違いしているのか大体分かりますが!」
ナギサが早口で言う。
「私たちはこの世界の桐藤ナギサではありません!」
「右に同じく」
ミカが軽く手を上げる。
「左もそうだね」
セイアも静かに頷く。
アズサは眉をひそめた。
「お前たちは何を言ってるんだ?」
「いいから話を最後まで聞いてください!」
ナギサは必死だった。
「分かりやすく言うとですね、私たちはこれから起こる事件を見届けた世界から来た存在なんですよ!」
「は?」
アズサの顔がさらに険しくなる。
ナギサは構わず畳みかけた。
「証拠をお聞かせしましょうか? アリウス出身の白洲アズサさんですよね?」
「……っ」
「そこのメンヘラピンクの手引きで、そこのわんぱくフォックスを暗殺するために送り込まれたんですよね?」
「言い方酷くない!?」
ミカが思わず抗議する。
セイアは静かに目を伏せた。
「間違っていないのが癪だがな」
アズサの背筋に、冷たいものが落ちた。
全部、知られている。
アリウスのことも。
自分の目的も。
ミカとの関係も。
セイアのことも。
まさか、本当に未来から来たのか。
では、自分はこれからどうなる。
捕まるのか、情報を吐かされるのか。
利用され、捨てられるのか。
そう考えた瞬間、アズサの手に力が入った。
だが、ナギサの口から出たのは、予想外の言葉だった。
「私たちはあなたを捕まえようなんて思っていません」
「……え?」
「むしろ、この世界の私にバレないようにうまく立ち回ってください!」
ナギサは真剣な顔で言った。
「特に、先生にもバレないようにお願いします!」
「……え?」
アズサは二度目の間の抜けた声を出した。
セイアが穏やかに続ける。
「君は君の役割を果たせ、と言っているんだよ」
「役割……?」
「今はわけが分からないと思うが、流れに身を任せるのが重要なのさ」
「何を言って――」
「いいからいいから! 私たちのことは気にせず、いつも通り過ごしていればいいんだよ?」
「……」
アズサは警戒したまま三人を見た。
けれど、本当に何もしてこない。
拘束もされないし問い詰められもしない。
先生に告げ口される気配もない。
アズサはしばらく迷った後、ゆっくりと教室の端へ戻った。
そして、またアツコの近くに立つ。
「アツコもあいつ等と同じで未来から来たのか…?」
「うん……」
「そうか……」
「バニバニ……」
「もうそれやめてくれ」
「……泣けるね」
◆
そうしているうちに、補習授業部のメンバーが少しずつ集まり始めた。
最初に教室へやってきたのは、阿慈谷ヒフミだった。
ヒフミは教室に入るなり、先生に気づいた。
「お久しぶりです! 先生!!」
満面の笑みだった。
先生も笑顔で返す。
「ヒフミ、久しぶり」
「はい! またお会いできて嬉しいで――」
そこで、ヒフミの視線が止まった。
ナギサ、ミカ、セイアと順番に視線が動く。
ヒフミは笑顔のまま教室の扉を閉めた。
ぱたん。タッタッタッタッタッタッタ!
足音が遠ざかっていった。
「逃げましたね」
「逃げたね〜」
「追った方がいいんじゃないかい?」
「任せてください」
次の瞬間、ナギサはすごい速さで廊下へ飛び出した。
数分後
「いやです〜!!」
ヒフミの悲鳴が聞こえた。
ナギサはジタバタ暴れるヒフミを抱えるようにして教室へ戻ってきた。
「こっちのナギサ様はすぐにロールケーキを詰めてくるから嫌なんですよ〜!!!」
「人聞きの悪いことを言わないでください!」
ナギサの額に青筋が浮かぶ。
「事実じゃないですか〜!」
「反省が足りませんね」
ナギサはどこからともなくロールケーキを取り出した。
「えっ、どこから?」
先生が目を丸くする。
そして、次の瞬間。
ヒフミの口にロールケーキがぶち込まれるのだった。
「むぐぅ!?」
「ほら、甘いものを食べれば落ち着きますよ」
「むぐぐぐぐ!」
ヒフミは涙目で抗議している。
アズサはその様子を見て、少しだけ引いていた。
「トリニティは……こういう場所なのか?」
「違うと思いたい…!」
先生は自信なさげに答えた。
次に教室へ入ってきたのは、浦和ハナコだった。
ハナコは教室に入った瞬間、ティーパーティーの面々が揃っていることに気づいて、その表情が曇った。
また自分をティーパーティーに勧誘するためなのかとそう思ったからだった。
だが、ハナコが口を開くより先に、セイアが何気なく言った。
「水着姿じゃない君を見るのは久々だね」
「え?」
ハナコの思考が一瞬止まる。
ミカがにこにこと続けた。
「確かにハナコの水着は殲滅力がすごいからね〜☆ なんなら今から着替えてくれば?」
「ふむ」
セイアが顎に手を添える。
「確かに範囲殲滅役が居れば完璧だな。ハナコ、水着に着替えて来てくれないか?」
ナギサも真面目な顔で頷く。
「ハナコさんの水着ですか……ありですね……」
「……」
あのティーパーティーの三人に自分の水着を熱望されていると理解した瞬間。ハナコの脳内に、存在しない記憶が溢れ出す。
水着姿のティーパーティー三人。
その中に自分も加わり、水を撒き、敵を吹き飛ばし、戦場を浄化していく光景。
そこには争いも悲しみもなく、自分を解放した清々しいほどの笑顔があった。
意識が現実へ戻ってきた時、ハナコは上を向いていた。
自然と涙が頬を伝う。そして、噛み締めるように言葉を紡いだ。
「私のエデン条約は……ここにあったんですね………」
ナギサ、ミカ、セイアは同時に察した。
あ、壊れた。
「……しばらく放っておきましょうか」
「そうだね〜」
「時間が解決することもある」
三人は、ハナコが戻ってくるまでそっとしておくことにした。
先生は遠い目で呟く。
「補習授業部って、勉強する場所だよね?」
「たぶんそのはずだ…よな…?」
アズサの声に自信はなかった。
最後にやってきたのは、下江コハルだった。
コハルは教室へ入って来て。すぐに目に入って来た光景を順番に処理しようとした。
教室の端で膝を抱えてる人の隣で心配そうに寄り添う人。
口いっぱいにロールケーキを詰め込まれて涙目の人。
立ったまま上を向き、静かに涙を流している人。
そして、なぜか揃っているティーパーティーの三人。
コハルの脳が、現実の処理を拒否した。
「えっ……?」
とてもか細い声だった。
その声に気づいたミカが、ぱっと顔を輝かせる。
「コハルちゃーん!」
「ひゃっ!?」
「会いたかったよ〜!」
ミカはそのままコハルに抱きついた。
「ひゃあああ!?」
コハルは顔を真っ赤にして硬直する。
そのまま目をぐるぐるさせ、鼻から血を垂らしながらふらりと力が抜けた。
「大丈夫!?」
先生が慌てる。
ミカは抱えたまま目を瞬かせた。
「あれ? 気絶しちゃった?」
「ミカさん、勢いが強すぎます!」
ナギサが注意する。
「え〜、優しくしたつもりだったんだけどな〜」
「あなたの優しいは、一般的な強めです」
ナギサが静かに言う。
先生は改めて教室を見渡した。
ヒフミはロールケーキを処理中。
ハナコは変わらず涙を流している。
コハルは鼻血を出しながら気絶中。
アズサもこの状況に混乱しているようだった。
補習授業部、全滅に近かった。
先生はその光景を見ながら、少しだけ不安になった。
この個性的なメンバーを、ちゃんと勉強させられるだろうか。
いや。
先生はすぐに考え直した。
シャーレにいるみんなほど酷くはないはず。
それに比べれば、きっと大丈夫。
先生は自分に言い聞かせるように頷いた。
「……よし」
そして、まだ誰もまともに着席していない教室を見渡して言った。
「まずは、みんな落ち着いて自己紹介でもしようか」
補習授業部の初日は、まだ始まってすらいなかった。