全員の自己紹介を終えて、ようやく教室内は落ち着きを取り戻しつつあった。
あくまで、取り戻しつつ、である。
教室の端では、まだアツコが膝を抱えて座っている。
その隣にはアズサが寄り添い、時折心配そうに声をかけていた。
ヒフミはロールケーキを飲み込んだ後、涙目でナギサから距離を取っていた。
ハナコはようやく現実へ戻ってきたものの、時折遠い目をして「水着…」と小さく呟いている。
コハルは気絶から目を覚ましたばかりで、ミカを見るたびに顔を赤くして視線を逸らしていた。
補習授業部。
その名前から想像される静かな勉強空間とは、すでにだいぶ離れている。
それでも、なんとか座席につき、先生の前に全員が揃った。
「えっと、改めて」
先生は教卓の前に立つ。
「今日から補習授業部の顧問をすることになった、シャーレの先生だよ。よろしくね」
「よろしくお願いします、先生!」
ヒフミが元気よく返事をする。
「よろしくお願いしますね~、先生」
ハナコは穏やかに微笑む。
「よ、よろしく……」
コハルは少し緊張したように言った。
「よろしく頼む」
アズサも短く答える。
ようやく、普通に進められそうな空気になった、のだが。
ヒフミとアズサ以外の補習授業部メンバーの顔には、隠しきれない疑問が浮かんでいた。
なぜ、ここにティーパーティーがいるのか。
しかも、ナギサ、ミカ、セイアらしき人物が揃っている。
さらに、妙な仮面の少女までいる。
どう見ても、補習授業部に必要な人員ではない。
ハナコはニコニコと笑っているが、明らかに観察している。
コハルは困惑を隠せず、ミカとセイアの方をちらちら見ていた。
アズサはアツコの件でそれどころではなさそうだが、それでも警戒は解いていない。
その空気を感じ取ったナギサは、非常に面倒くさそうな顔をした。
どう説明するべきか。そもそも、説明してよいのか。
下手なことを言えば、また地雷を踏んでしまうような気がする。
ナギサは救いを求めるように、ミカ、セイア、アツコへ視線を向けた。
ミカは窓の外を見ていた。
「いい天気だね〜☆」
セイアも窓の外を見ていた。
「実に穏やかな空だね」
アツコも窓の外を見ていた。
「あっ、鳥が飛んでる」
三人とも、完全に我関せずという態度だった。
ナギサの額に青筋が浮かぶ。完全に押し付けられた。
ナギサの中で、何かがぷつりと切れかける。
そうですか…そういう態度ですか。
ならばこちらも、撃たねば無作法というもの。
その破滅的な思考が脳裏をよぎった瞬間。
先生が口を開いた。
「彼女たちは、シャーレの募集で来てくれた生徒たちだよ」
ナギサの思考が止まる。
先生は穏やかに続けた。
「この世界のナギサたちとは姿かたちは似てても、違う存在なんだ」
教室が静かになる。
ハナコは「なるほど」と微笑む。
コハルは「似てるけど違う……? え、えっちなやつじゃないわよね!?」と勝手に混乱していた。
アズサは疑わしそうにしつつも、アツコが近くにいるため深く追及しなかった。
ヒフミは「あはは…」と困ったような笑いを漏らしていた。
ナギサは先生を見た。
いい感じに説明してくれた。
詳しくは何も言っていないのに、なんとなく納得できる雰囲気にしている。
これが先生力である。
「……助かりました、先生」
「うん?」
「いえ、なんでもありません」
ナギサはそっと胸を撫で下ろした。
ようやく補習を始められそうな空気になった。
先生が教材を確認しようとした、その時。
教室の扉が控えめに叩かれた。
「失礼します」
入ってきたのは、ティーパーティー所属の生徒だった。
彼女は先生へ丁寧に頭を下げる。
「先ほどナギサ様が、先生に伝え忘れていたことがあったそうです」
「ナギサが?」
「はい。申し訳ありませんが、先生だけご同行いただけますでしょうか」
先生は少しだけ迷った。補習授業部の初日だ。
しかし、現地ナギサがわざわざ呼ぶということは、何か大切な話なのだろう。
「分かった。少し行ってくるね」
先生は補習授業部の面々にそう告げる。
ヒフミが元気よく頷く。
「はい! いってらっしゃい、先生!」
「自習でもして待っているさ」
アズサもそう言った。
ナギサは一瞬、先生を引き留めたそうな顔をした。
しかし、今ここで止めれば逆に怪しまれる。
「……いってらっしゃいませ、先生」
「うん。すぐ戻るよ」
先生はティーパーティー所属の生徒に案内され、補習授業部の教室を後にした。
◆
案内された先は、先ほどのテラスだった。
そこに、現地ナギサが一人で待っていた。
彼女は先生に気づくと、穏やかに微笑む。
「先生。何度もお呼び立てして申し訳ありません」
「大丈夫だよ」
先生は案内されるまま席に着いた。
現地ナギサは、案内してきた生徒へ視線を向ける。
「ありがとうございます。ここからは私一人で大丈夫です」
「わかりました」
生徒は一礼し、テラスから下がっていった。
テラスには、先生と現地ナギサだけが残る。
どうやら先ほどとは違う様だ、本格的に話をする空気だった。
「それで、何か伝え忘れたことがあるんだって?」
現地ナギサは少しだけ目を伏せた。
「先生のおっしゃる通りです。私としたことが、色々ありましたので、大事なことを伝え忘れてしまいました」
「まぁ、あれはしょうがないよ」
先生は苦笑する。
「ナギサやミカやセイアが突然増えたら、誰でも混乱すると思うし」
「……ええ」
現地ナギサは一瞬だけ目元を引きつらせたが、すぐに表情を整えた。
「それで、私に伝えたいことって何かな?」
先生の問いに、現地ナギサはまっすぐ先生を見た。
「……先生は、あちらの私から何も聞いていないんですか?」
「うちのナギサから?」
「はい」
「特に何も聞いてないけど…?」
先生は正直に答える。
現地ナギサは少しだけ考え込む。
「そうでしたか……」
そして、声を落とした。
「ではお伝えしますが、この話は私と先生だけの話にしてくださいね」
「分かった。約束するよ」
先生も自然と姿勢を正す。
現地ナギサの空気が変わった。
優雅なティーパーティーのホストではない。
トリニティ総合学園の政治を担う者としての顔。
そして、何かに追い詰められている少女の顔だった。
「実は、先生をお呼びしたのは、補習授業部の顧問としてだけではありません」
「そうなの?」
「先生には、トリニティの裏切り者を特定していただきたいのです」
「……裏切り者」
先生の表情が引き締まる。
現地ナギサは静かに頷いた。
そこから彼女が語った内容は、先生の想像を超えていた。
百合園セイアが襲われたこと。
その事件は外部には伏せられていること。
犯人がトリニティ内部に潜んでいる可能性があること。
そして、その犯人がまだ動きを止めていないかもしれないこと。
「セイアが……」
先生は、募集で来てくれたセイアを思い出す。
水着になって威嚇していたセイア。
だが、この世界のセイアは今、そんな冗談を言える状態ではない。
「私は、次に狙われるのは自分だと思っています」
現地ナギサの声がかすかに震えた。
「ティーパーティーの一角であるセイアさんが襲われた以上、次が私であってもおかしくありません」
「ナギサ……」
「先生!」
現地ナギサは身を乗り出した。
その手が、先生の手を掴む。
優雅さを取り繕う余裕は、もうなかった。
「助けてください!」
今にも泣きだしそうなほどに震えている声だった。
「私は……このトリニティで、誰を信じればいいのか分からないのです!」
先生は、何も言えなかった。
ただ、その手を握り返す。
「分かった。私でよければ、力になるよ」
先生は静かに言う。
現地ナギサの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……ありがとうございます、先生」
救いを得たような顔。
だが、その次の言葉で、先生は再び胸を締め付けられることになる。
「実は、犯人の目星はついているんです…」
「……」
先生は嫌な予感がした。
「その容疑者は今の補習授業部のメンバーです」
現地ナギサは、静かに言った。
先生は思わず黙ってしまった。
ヒフミ。
ハナコ。
コハル。
アズサ。
先ほどまで見ていた、あの教室の生徒たち。
「先生には、彼女たちと過ごしながら、犯人を見つけていただきたいのです」
現地ナギサの声は真剣だった。
誰かを疑い、酷く恐れているが、それでも先生に託している。
先生はしばらく言葉を探した。
「……分かった」
最終的に、そう答えるしかなかった。
「ただ、私は彼女たちを最初から犯人だと決めつけることはしないよ」
「もちろんです」
現地ナギサは頷く。
「だからこそ、先生にお願いしているのです」
秘密の話し合いは、そこで終わった。
◆
先生は補習授業部の教室へ戻りながら、考えていた。
この世界のセイアが襲われた。
犯人はトリニティ内部にいる。
現地ナギサは、補習授業部の誰かを疑っている。
あの中に、本当に犯人がいるのか?
ヒフミは先生を見て嬉しそうに笑っていた。
ハナコは少し不思議な雰囲気だが、穏やかだった。
コハルは混乱しながらも真面目そうだった。
アズサは警戒心が強かったが、アツコを心配していたりと優しい一面を持っていた。
この4人の中に、裏切り者がいる。
そう考えようとしても、先生の中ではうまく結びつかなかった。
教室に戻ると、そこでは意外にも真面目な光景が広がっていた。
ヒフミはナギサに教えてもらいながら問題を解いている。
「ここは、こう考えればいいんですよ」
「なるほど……! ナギサ様、教えるのだけはすごく分かりやすいです!」
「教えるのだけ、とは何ですか?」
「ひゃっ! な、なんでもありません!」
ミカはコハルの横で問題集を覗き込んでいた。
「コハルちゃん、ここ惜しいよ〜」
「ち、近い! 近いですから!」
「え〜? でも見えないよ?」
「見えなくてもいいんですよ!」
セイアも同じくコハルの反対側に座っている。
「ここは公式を使うといい」
「セイア様まで近い!」
「私も駄目なのかい?」
「駄目っていうか、二人に挟まれると落ち着かないの!」
アツコはアズサの隣で、静かにノートを見ていた。
「アズサ、ここ違う」
「そうなのか?」
「うん。ここはこう」
「……なるほど」
ハナコはその光景を見ながら、時々にこにこと笑っている。
先生は入口で立ち止まった。
一見すれば、普通の補習の時間だった。
募集で来た生徒たちが、それぞれ補習授業部のメンバーを支えている。
けれど、先生の頭には現地ナギサの言葉が残っていた。
この中に、この世界のセイアを襲った犯人がいる。
笑い声と、鉛筆の音と、時折響くコハルの悲鳴。
その穏やかな空気の中で、先生は一人、静かに思い悩むことになった。
◆
その頃、テラスでは、現地ナギサが一人で紅茶を飲んでいた。
香り高い紅茶。
整えられた茶器。
穏やかな風。
だが、彼女の心は少しも穏やかではなかった。
「先生しか……信用できない……」
小さな呟きが、テラスに落ちる。
セイアが襲われた。
犯人はまだ見つかっていない。
次は自分かもしれない。
誰を信じればいいのかもう分からない。
だが、ミカだけは……。
現地ナギサはカップを握る手に力を込めた。
「出来れば、犯人が見つかってほしい……」
それが一番だ。
誰も失わずに済むなら、それがいい。
けれど、もし見つからなかったら。
もし、自分が次に狙われるのなら――
「私がどうなったとしても……せめて、ミカさんだけは守ってください……先生……!」
現地ナギサは祈るように目を閉じる。
一人しか居ない寂しいお茶会、紅茶の冷めていくテラスで、静かに先生へ願いを託していた。